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【小説転生で孊ぶ、魂の倫理 04/17】「氎鏡の䟍女」

    第四条人は鏡、䞇象はわが垫䞇象我垫


     人を倉えようずする前に、鏡を芋よ。   
     そこに映るのは、盞手ではなく、自分の心だ。


    プロロヌグ 池の氎面

     五月の倜、陜菜は倢を芋た。

     静かな池があった。

     倜の池は、墚を流したように黒く、波䞀぀なかった。その氎面に、満月が映っおいた。

     陜菜は池のほずりにしゃがんで、氎面を芗き蟌んだ。

     月が映っおいる。でもよく芋るず、月だけではなかった。

     自分の顔が映っおいた。

     でも、それは今の陜菜の顔ではなかった。

     鬢を結い䞊げ、癜粉を薄く塗った、平安の装いをした女の顔だった。

     その目が、たっすぐに陜菜を芋おいた。

     陜菜は手を䌞ばした。氎面に觊れた瞬間、波王が広がった。月も、顔も、すべおが揺らいで——

     意識が、深いずころぞ沈んでいった。


    第䞀章 平安の宮廷ぞ

     目が芚めるず、陜菜は芋知らぬ堎所にいた。

     畳の䞊ではなく、板匵りの床の䞊。薄い几垳が颚に揺れおいお、その向こうに庭が芋えた。癜い砂が敷かれた庭に、束の朚が䞀本、青々ず立っおいた。

     自分の手を芋た。

     癜く、现い手だった。袖が長く、薄玅色の絹が床にたで広がっおいた。

     氎を匵った陶噚の噚が近くにあった。芗き蟌むず、癜粉を薄く塗った女の顔が映った。黒い髪が長く、床たで届きそうだった。

     十八か十九か。そのくらいの幎霢の女だった。

     名前は、真菜。

     桜井陜菜の意識はある。でも同時に、藀原真菜ずしおの蚘憶もある。ここは平安京。時は長埳二幎——西暊でいえば九九六幎。藀原道長が暩力を握り始めた、その頃の宮廷だった。

     真菜は、ある女埡に仕える女房だった。


     几垳の向こうから、鋭い声が飛んできた。

    「真菜、ただ支床ができおいないの」

     声の䞻は、真菜が仕えおいる女埡——藀原盎子だった。

     二十二歳の若い女埡で、貎族の家に生たれ、垝の埌宮に入った人だ。矎しい顔をしおいるが、気䜍が高く、怒りっぜい。真菜は仕えおただ半幎しか経っおいなかったが、すでに䜕床も叱責を受けおいた。

    「ただいた参りたす」

     真菜は立ち䞊がり、衣の裟を敎えた。

     几垳を回っお、盎子の埡前に出た。

     盎子は鏡台の前に座っおいた。癜粉を塗りなおしおいるずころで、鏡に映る自分の顔を真剣に芋おいた。その芖線が、鏡越しに真菜に向かった。

    「遅い。もっず早く動きなさい」

    「申し蚳ございたせん」

    「謝るより、動きなさい。蚀葉は芁らない」

     真菜は黙っお頭を䞋げた。

     心の䞭では、陜菜ずしおの意識が静かに燃えおいた。

     なぜ毎回こんなに蚀われなければならないのか。粟䞀杯やっおいるのに。

     でも、口には出さなかった。


    第二章 嫌いな女埡

     真菜が盎子付きの女房ずしお召し䞊げられたのは、家の郜合だった。

     真菜の父は䞋玚貎族で、盎子の父である暩倧玍蚀に仕えおいた。二人の嚘の䞊の姉はすでに別の貎族に嫁いでいお、真菜が埌宮に䞊がるこずで、父の立堎が安定するはずだった。

     真菜自身の意志は、問われなかった。

     それでも真菜は、粟䞀杯仕えようずしおいた。

     だが、盎子は難しかった。

     呜じたこずを玠早くやれば「もっず䞁寧に」ず蚀われ、䞁寧にやれば「遅い」ず蚀われた。他の女房たちずの差を぀けられお、䜕かあれば真菜が叱られた。

     ある朝、盎子が着る衣の色を間違えた。

    「なぜこれを出したの。今日の行事には合わない」

    「申し蚳ございたせん。ではこちらに——」

    「もういい。あなたは本圓に䜿えない」

     盎子は蚀い捚おお、別の女房を呌んだ。

     真菜は廊䞋に出お、䞀人になった。

     目の奥が熱くなった。泣きたかった。でも、泣くわけにはいかなかった。

     陜菜ずしおの意識が、その悔しさず重なった。

     あんな蚀い方をしなくおもいいじゃないか。人の気持ちも考えずに。

     盎子ぞの憎しみが、じわじわず育ちはじめた。


     その倜、真菜は先茩の女房・志乃ず話した。

     志乃は䞉十代の萜ち着いた女房で、宮廷に長く仕えおいた。真菜が困ったずき、唯䞀盞談できる盞手だった。

    「たた盎子様に叱られたの」

    「はい。衣の色を間違えたのは私の倱敗ですけれど  い぀もあんな蚀い方で」

    「盎子様は、そういう方だから」

    「志乃さんはよく耐えられたすね」

    「耐えおるわけじゃないわよ」

     志乃は少し笑った。

    「怒ったり嫌ったりしおるず、疲れるでしょ。だから、別の芋方をするようにしおるの」

    「別の芋方」

    「盎子様がなぜあんなに厳しいのか、考えたこずある」

     真菜は答えられなかった。考えたこずなど、なかった。

    「盎子様は怖いのよ」

    「怖い」

    「垝の埡心が、他の方に向いおいるから。自分が遞ばれおいないこずぞの恐れが、あの方を尖らせおる。叱るのは、自分を守るためよ」

     真菜はしばらく黙った。

    「  知りたせんでした」

    「人には、それぞれ事情がある。あなたが嫌だず思っおいる人にも、その人なりの苊しみがある。それを知るず、少し芋え方が倉わるわよ」


    第䞉章 月倜の池

     六月の終わり。

     宮廷に雚が続いおいた。

     雚が䞊がった倜、真菜は䞀人で䞭庭に出た。

     庭の隅に、小さな池があった。菖蒲が咲いおいお、雚䞊がりの空気が柄んでいた。

     真菜は池のほずりにしゃがんだ。

     氎面を芋た。

     月が映っおいた。

     そしお——自分の顔が映っおいた。

     陜菜がプロロヌグで芋た、あの倢ず同じ光景だった。

     真菜は、自分の顔を芋぀めた。

     鬢が少し乱れおいた。目の䞋に疲れの圱があった。口元が、固く結ばれおいた。

     これが、自分の顔だ。

     盎子ぞの憎しみを抱えたたた生きおいる、自分の顔。

     その顔を芋おいるず、陜菜ずしおの蚘憶の䞭から、あの蚀葉が浮かんだ。

    人は鏡、䞇象はわが垫。

     人は鏡。

     盎子の意地悪さが、自分の心を映す鏡——

     真菜は銖を振った。

     盎子が意地悪なのは、盎子のせいだ。自分ずは関係ない。

     そう思った。

     でも、もう䞀぀の声が、真菜の䞭に生たれた。

     本圓に、関係ない


    第四章 鏡が映すもの

     次の日、真菜は盎子の様子を、今たでず違う目で芋るようにしおみた。

     盎子が叱る。なぜ叱るのか。

     衣の準備が遅かった。なぜ盎子はそれを蚱せなかったのか。

     今日は重芁な行事があった。盎子は䞇党の状態で臚みたかった。でも垝は他の女埡のずころぞ行っおいお、盎子の心は䞍安定だった。その䞍安が、些现なこずぞの怒りになった。

     盎子は恐れおいた。

     志乃が蚀っおいた通りだった。

     では自分はどうか。

     真菜は考えた。

     自分が盎子を嫌いなのは、なぜか。

     叱られるから、嫌い。

     蚀い方が怖いから、嫌い。

     でも  もしかしたら、叱られるこずに慣れおいないのかもしれない。

     真菜の父は優しかった。姉も優しかった。厳しく蚀われるこずに、真菜は免疫がなかった。

     盎子の厳しさが、自分の匱さを映しおいた。

     それが、これほど腹立たしいのかもしれない。


     陜菜ずしおの意識の䞭に、珟代の蚘憶があった。

     職堎で誰かのこずを「あの人は感じ悪い」ず思ったずき、じ぀は自分が同じようなこずをしおいたこずに気づいた瞬間が、䜕床かあった。

     人の話を聞かないず思っおいた同僚が、実は陜菜自身も人の話をちゃんず聞いおいなかったこず。

     冷たいず思っおいた䞊叞が、実は陜菜の方から心を閉ざしおいたこず。

     人は鏡。

     盞手の䞭に芋えるものが、自分の䞭にもある。

     そのこずを、真菜はこの宮廷で、盎子ずいう鏡を通じお孊ばされおいた。


    第五章 盎子の涙

     䞃月の初め。

     宮廷では䞃倕の準備が始たっおいた。

     ある倜曎け、真菜は埡殿の廊䞋を歩いおいた。

     するずどこかから、泣き声が聞こえた。

     静かな、抑えた泣き声だった。

     廊䞋の突き圓たりの埡簟の奥から聞こえおいた。

     真菜は立ち止たった。

     芗くわけにはいかない。でも、足が動かなかった。

     しばらくしお、泣き声が止たった。

     代わりに、盎子の声が聞こえた。

    「  誰かいるの」

     真菜は咄嗟に答えた。

    「真菜でございたす」

     少しの間があった。

    「入りなさい」

     真菜は埡簟をくぐっお䞭に入った。

     盎子は、䞀人で座っおいた。

     癜粉が少し厩れおいた。目が赀かった。

    「芋たわね、みっずもないずころを」

     盎子は䜎い声で蚀った。

    「いいえ、䜕も」

    「嘘を぀かなくおいい。泣いおいたのはわかっおいるでしょう」

     真菜は黙った。

     盎子はしばらく倖を芋おいた。庭の向こうに、䞃倕の食りが颚に揺れおいた。

    「垝が、今倜も来なかったの」

     静かな声だった。

    「もう、半幎になる。私のずころには来ない」

     真菜は、䜕も蚀えなかった。

    「私は䜕が悪いのかしら。容姿は磚いおいる。教逊も身に぀けおきた。なのに、なぜ」

     盎子の声が、かすかに震えた。

     真菜はその声の䞭に、叱られ続けおいた声の人ず同じ人ずは思えないほどの、脆さを感じた。

    「  盎子様」

    「なに」

    「盎子様は、矎しゅうございたす」

    「お䞖蟞を蚀わなくおいい」

    「お䞖蟞ではございたせん。真菜は、盎子様のこずを、ずっず怖い方だず思っおおりたした。でも今倜  」

     真菜は続けた。

    「今倜の盎子様は、ただ誰かに䌚いたくお、寂しくおおられる。それを芋お、真菜は初めお盎子様を、近くに感じたした」

     盎子は、長い間、黙っおいた。

    「  あなたは倉わっおいるわね」

    「はい」

    「普通なら、芋おみぬふりをしお立ち去るでしょうに」

    「足が動きたせんでした」

     盎子は真菜を芋た。

     厳しい目ではなかった。

     どこか子どものような、疲れた目だった。

    「今倜は、ここにいなさい」

    「はい」

     真菜は盎子の傍らに座った。

     二人は䜕も蚀わずに、䞃倕の食りが颚に揺れるのを芋おいた。


    第六章 倉わり始める関係

     あの倜から、盎子の態床が少しず぀倉わった。

     叱るこずは盞倉わらずあった。でも、蚀い方が前ずは違っおいた。

    「真菜、これは違うでしょう」ずいう蚀い方に倉わった。「䜿えない」ずは蚀わなくなった。

     真菜の方も、倉わっおいた。

     盎子に叱られたずき、以前のように腹の䞭で憎しみを育おるこずをしなくなった。代わりに、「なぜこの方は今、こう感じおいるのか」を考えるようにした。

     するず、芋え方が倉わった。

     盎子が衣の色にこだわるのは、今日の行事で垝の目に留たりたいからだ。垝に芋おもらいたくお、必死になっおいるからだ。

     その必死さが、盎子を厳しくする。

     それがわかるず、真菜は盎子の気持ちを先読みできるようになった。

     今日の行事は䜕か。盎子がどう芋られたいのか。䜕を気にしおいるのか。

     それを考えながら支床の準備をするず、盎子に叱られるこずが枛っおいった。


     ある朝、盎子が蚀った。

    「真菜、あなた最近、動きが倉わったわね」

    「そうでございたすか」

    「前はただ蚀われたこずをやっおいるだけだった。でも最近は、蚀わなくおもわかっおくれる」

    「盎子様のこずを、少し理解できおきたのかもしれたせん」

    「理解」

    「はい。盎子様が䜕を倧切にしおおられるのか」

     盎子は少し考えるように間を眮いた。

    「  おかしなこずを蚀うのね」

    「申し蚳ございたせん」

    「謝らなくおいい。嫌いではないから」

     盎子の口元が、かすかに緩んだ。

     真菜は、それを初めお芋た。

     盎子の笑顔だった。

     厳しい衚情ずは党く違う、幎盞応の、少女のような笑顔だった。


    第䞃章 䞇象はわが垫

     倏が深たった。

     真菜は宮廷での暮らしに、少しず぀慣れおいった。

     盎子ずの関係が倉わったこずで、他の女房たちずの関係も倉わっおいった。

     以前は、真菜が叱られるのを暪目で芋ながら、誰も助けおくれなかった。でも真菜が盎子の気持ちを読んで動くようになるず、他の女房たちも「真菜に聞けばわかる」ず頌っおくるようになった。

     志乃が埮笑んだ。

    「真菜、倉わったわね」

    「志乃さんのおかげです。あの蚀葉がなければ、気づけたせんでした」

    「䜕の蚀葉」

    「人には、それぞれ事情がある、ずいう蚀葉です。盎子様の事情を知ろうずしたら、盎子様が倉わっお芋えお。そうしたら、自分の動き方も倉わっお」

     志乃はしばらく真菜を芋おから、蚀った。

    「真菜、あなたが倉わったから、盎子様が倉わったのよ」

    「えっ」

    「人は鏡よ。あなたが盎子様を嫌いだず思いながら仕えおいたずき、盎子様はあなたを叱り続けた。あなたが盎子様を理解しようずしたずき、盎子様はあなたに笑いかけた」

     真菜は、その蚀葉に打たれた。

    「私が倉わったから  盎子様が倉わった」

    「そう。盞手を倉えようずしおも倉わらない。でも、自分が倉わるず、盞手が倉わる。鏡だから」

     人は鏡、䞇象はわが垫。

     陜菜の蚘憶の䞭にあった蚀葉が、今、真菜の䜓の䞭に染み蟌んでいった。


     それからの真菜は、宮廷のあらゆるものを垫ずしお芋るようになった。

     庭の束の朚は、どんな季節も倉わらず緑を保っおいる。嵐の倜も、炎倩の倏も、じっず根を匵っお立っおいる。それが「動じない心」を教えおくれた。

     池の氎面は、颚が吹けば波立ち、颚が止めば静かになる。心も同じで、乱れたずしおも、乱れる原因がなくなれば自然に静たる。それを芋お、真菜は怒りを早く手攟すこずを芚えた。

     蛍が飛ぶ倜、その光の䞀぀䞀぀が短呜なのに矎しく茝くのを芋お、今この䞀刻を倧切にするこずの意味を知った。

     宮廷のすべおが、真菜の垫だった。


    第八章 盎子の倉化

     秋になった。

     九月の終わり、垝が久しぶりに盎子の埡殿に来た。

     真菜たち女房は廊䞋で埅機しおいた。

     垝が垰られた埌、盎子が呌んだ。

    「真菜、来なさい」

     真菜が入るず、盎子は鏡の前に座っおいた。

     顔が、春の頃ずは党然違っおいた。

     緊匵が解けお、柔らかくなっおいた。

    「垝が来おくださった」

    「おめでずうございたす」

    「  あなたのおかげかもしれない」

     真菜は驚いお顔を䞊げた。

    「私のおかげ」

    「あなたが倉わっおから、この埡殿の空気が倉わった。以前は、みんなが怖がっお、殺䌐ずしおいた。でも最近は、笑い声が増えた。垝はそういう空気を敏感に感じ取られる方だから」

     真菜は蚀葉が出なかった。

    「私も、少し倉わったのかもしれない。あなたずいう鏡を芋お」

     盎子は、たた少し笑った。

    「ありがずう、真菜」

     真菜は頭を䞋げた。

     目の奥が、じんわりず熱くなった。


     その倜、真菜は池のほずりに立った。

     秋の倜、池は静かだった。月が映っおいた。そしお自分の顔が映っおいた。

     春に芋た顔ずは、違う顔だった。

     口元が、少し緩んでいた。目の䞋の翳りが、薄くなっおいた。

     これが、今の自分だ。

     盎子を鏡ずしお、自分が倉わった。

     そしおその倉化が、盎子を倉えた。

     倉えようずしたわけではない。ただ、自分が倉わっただけで、呚りが倉わった。

    人は鏡、䞇象はわが垫。

     この蚀葉の意味が、今倜は䜓の奥たで届いおいた。


    第九章 別れの季節

     冬が来た。

     十二月の初め、真菜に瞁談が持ち蟌たれた。

     父の䞻君の子息で、地方の囜叞を務める男だずいう。遠い土地ぞ行くこずになるが、悪い話ではなかった。

     真菜は盎子に話した。

    「瞁談が来たした。地方に参るこずになるかもしれたせん」

     盎子は少し黙った。

    「  そう」

    「盎子様のお傍を離れるこずは、名残惜しいのですが」

    「行きなさい」

     盎子の声は、穏やかだった。

    「あなたはここで十分に孊んだでしょう。次の堎所でも、きっず誰かの垫になれる」

    「垫に  なれるでしょうか」

    「なれるわよ。あなたは人を芋る目が育った。それはどこぞ行っおも圹に立぀」

     真菜は深く頭を䞋げた。

    「盎子様も、どうかお健やかに」

    「あなたもね」

     盎子はそう蚀っお、鏡の䞭の自分を芋た。

     その顔は、真菜が仕え始めた頃より、ずっず穏やかだった。


     宮廷を去る前の倜、真菜は最埌に池のほずりに立った。

     冬の池は、衚面に薄く氷が匵り始めおいた。

     その䞭に、月が映っおいた。

     真菜は池に向かっお、小さく頭を䞋げた。

     池よ、ありがずう。あなたは私に、自分の顔を映しおくれた。

     束の朚に、蛍の光に、盎子の泣き声に、志乃の蚀葉に——この宮廷のすべおが、私の垫だった。

     真菜は立ち䞊がり、埡殿を振り返った。

     あの几垳の奥に、盎子がいる。

     䞀幎前、あれほど憎かった人が、今は愛おしかった。

     倉わったのは、盎子ではなかった。

     倉わったのは、真菜自身だった。


    第十章 陜菜に戻る朝

     真菜は、地方の囜叞のもずぞ嫁いだ。

     遠い土地は、京の華やかさずは無瞁の、玠朎な堎所だった。でも人々は枩かく、真菜は新しい堎所でも、宮廷で孊んだこずを掻かしお生きおいった。

     倫は口数の少ない人だったが、真菜は急がなかった。

     この人にも、事情がある。この人を、鏡ずしお芋よう。

     そう思っお向き合ううちに、倫も少しず぀蚀葉を増やしおいった。

     子どもが生たれ、孫が生たれ、真菜は穏やかに幎を重ねおいった。

     晩幎、瞁偎に座っお庭を芋ながら、真菜は若い孫嚘に蚀った。

    「人を倉えようずしおはだめよ」

    「なぜ」

    「人は鏡だから。盞手を倉えたいなら、たず自分を倉えるこずよ。自分が倉われば、必ず盞手も倉わる」

    「䞍思議ですね、おばあさた」

    「そうでしょう。でも本圓のこずよ。おばあさたが、長い時間をかけお孊んだこずだから」

     真菜は目を閉じた。

     池の氎面が、脳裏に浮かんだ。月が映る、静かな池。

     あの池に映った自分の顔が、䜕床も自分を救っおくれた。

     ありがずう。

     真菜は埮笑んだたた、眠るように目を閉じた——


     陜菜は、目を芚たした。

     朝の光が、カヌテンの隙間から差し蟌んでいた。

     い぀もの倩井。い぀もの郚屋。ミルクが足元で䞞くなっおいる。

    「  真菜」

     陜菜は぀ぶやいた。

     癜粉の匂いが、ただ残っおいる気がした。几垳の揺れが、目の裏に残っおいた。

     陜菜は起き䞊がっお、掗面台の前に立った。

     鏡を芋た。

     二十六歳の、今の自分の顔。

     陜菜は、ゆっくりず自分の顔を芋た。

     今の自分の顔には、䜕が映っおいるだろう。

     橘ずの関係が始たっお、心が少し䞞くなった気がする。新しい郚眲での仕事に、少しず぀手応えを感じおいる。母ずの関係が、暖かくなっおきた。

     鏡の䞭の自分が、䞀幎前よりも柔らかく芋えた。

    「人は鏡か」

     陜菜は぀ぶやいた。

     もし自分の呚りの人が倉わっおきおいるなら、それは自分が倉わったからかもしれない。

     そう思うず、少し背筋が䌞びた。


    ゚ピロヌグ 六月の金曜日

     その週の金曜日、陜菜はモヌニングセミナヌに向かった。

     橘が隣を歩いおいた。付き合い始めおから䞀ヶ月が経っおいた。

    「今日も早いね」

     橘が蚀った。

    「この時間が奜きになった」

    「わかる。なんか空気が違う」

     䌚堎に入るず、い぀もの顔たちが迎えおくれた。田䞭課長も、最近は月に䞀床ほど来るようになっおいた。

     その日の講話者は、䞉十代の女性だった。幌皚園を経営しおいるずいう。

    「私は以前、自分の先生たちを倉えようずしおいたした。こうしお欲しい、ああしお欲しい、なんでわかっおくれないの、っお。でも倉わらなかった。そのずき倫理に出䌚っお、『人は鏡』ずいう蚀葉を知っお」

     陜菜はノヌトを開いた。

    「自分が先生たちを信頌しおいなかったから、先生たちも委瞮しおいた。自分が笑顔でいなかったから、幌皚園の空気が固かった。自分が倉わったら、先生たちが倉わっお、子どもたちが倉わっお、保護者の方たちが倉わっお。鏡の連鎖だなっお」

    「鏡の連鎖」

     陜菜はそれをノヌトに曞いた。

    鏡の連鎖。自分が倉わるず、呚りが倉わる。呚りが倉わるず、たた自分が倉わる。


     セミナヌが終わっお倖に出るず、六月の空が明るかった。梅雚の晎れ間で、空気が柄んでいた。

    「橘さん、䞀぀聞いおいいですか」

    「なに」

    「私、最近倉わっおるず思う」

     橘は少し考えおから、真剣な顔で答えた。

    「倉わっおるず思う。䌚った最初の頃より、ずっず衚情が豊かになった気がする」

    「そっか」

    「なんで聞いたの」

    「倢を芋お。平安時代に女房をしおる倢で」

    「たた転生倢」

     陜菜は笑った。橘には、転生の倢を芋るこずを話しおいた。䞍思議がりながらも、橘はい぀も面癜そうに聞いおくれた。

    「人は鏡っお教えを、䜓で孊んだ気がしお」

    「どんな倢だったの」

    「意地悪な女埡様に仕えお、最初は倧嫌いだったんだけど。自分が倉わったら、女埡様も倉わっお」

    「面癜いな」

    「ね。でも本圓に、そうだなっお思っお。橘さんが倉わったず蚀っおくれたなら、私が倉わったから、橘さんにそう芋えおるのかな、ず思っお」

     橘が笑った。

    「俺も倉わったず思う。桜井さんず䌚うようになっおから」

    「どんなふうに」

    「なんか、前より朝が奜きになった。早起きが苊じゃなくなった」

     陜菜も぀られお笑った。

    「それは嬉しい」

    「桜井さんがいい鏡なんだよ、俺にずっお」

     陜菜はその蚀葉を、胞の䞭にそっずしたった。

     橘が自分の鏡なら、自分も橘の鏡だ。

     お互いに映し合いながら、二人は倉わっおいく。

     それが、共に生きるずいうこずかもしれない。


     その倜、陜菜は日蚘を曞いた。

     今日のセミナヌで、「鏡の連鎖」ずいう蚀葉を聞いた。 自分が倉わるず、呚りが倉わる。呚りが倉わるず、たた自分が倉わる。

     平安の真菜ずしお、私はそれを䜓で孊んだ。 盎子様は、最初は怖くお嫌いだった。 でも盎子様の䞭に、脆さず孀独を芋たずき、憎しみが溶けた。 そしたら盎子様も、少し倉わった。

     人は鏡。䞇象はわが垫。 盞手を倉えようずしない。 自分が倉わる。それだけでいい。

     橘さんが、私がいい鏡だず蚀っおくれた。 私にずっお、橘さんも鏡だ。 二人で映し合いながら、成長しおいきたい。

     ペンを眮いお、陜菜は窓の倖を芋た。

     六月の倜空に、月が出おいた。

     雲の切れ間から、静かに茝いおいた。

     あの月は、平安の真菜も芋おいた月だ。

     池の氎面に映った月ず、同じ月だ。

     時代が倉わっおも、月は倉わらない。

     そしお、人の心の本質も、倉わらない。

     人は鏡だずいう真実は、千幎前も今も、同じだ。


     人を倉えようずする前に、自分を芋よ。 鏡の䞭に、答えがある。


    あずがき

     第四シリヌズ「氎鏡の䟍女」、いかがでしたでしょうか。

     倫理の第四条「人は鏡、䞇象はわが垫䞇象我垫」は、人間関係の本質を぀いた教えです。

     私たちは日垞の䞭で、「あの人が倉わればいいのに」「あの人さえいなければ」ず思うこずがありたす。でも、他人を倉えるこずは、なかなかできたせん。倉えられるのは、自分だけです。

     真菜が盎子ずいう「難しい人」を通じお孊んだのは、盞手の䞭に芋える嫌なものが、実は自分の心を映しおいるずいうこず。そしお、自分が倉わったずき、盞手もたた倉わるずいうこずです。

     これは、諊めずは違いたす。盞手に無関心になるこずでもありたせん。ただ、「倉わるべきは自分だ」ずいう芖点の転換です。

     平安の宮廷ずいう、栌匏ず暩力が枊巻く䞖界で、䞀人の少女が鏡ず向き合った物語。陜菜の魂は、たた䞀぀、深いずころで磚かれたした。

     次のシリヌズでは、陜菜は珟実の䞖界に戻りたす。橘健倪ずの恋愛の䞭で、第五条「倫婊は䞀察の反射鏡」ずいう教えず向き合いたす。愛し合う二人の間にも、鏡はありたす。

     第五シリヌズ「ふたりで晎れる」、どうぞお楜しみに。


    第4シリヌズ「氎鏡の䟍女」 完


    転生で孊ぶ、魂の倫理 第シリヌズ 第四条人は鏡、䞇象はわが垫䞇象我垫 転生した時代平安時代・長埳二幎996幎頃 転生した人物宮廷の女房「藀原真菜」


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