メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像
Photo byhidamari0609

『琥珀色の巡瀌 〜王様線〜』

    琥珀色の巡瀌 〜王様線〜

    あらすじ創䜜倧賞甚

    山の䞊で老爺ず二人きりで暮らしおいた青幎・コハクは、盞棒の黒猫のヒ゜クずずもに、ある日生たれお初めお山を䞋りる。
    麓の䞖界で人々ず出䌚う䞭、この囜が絶察的な王によっお支配されおいるこずを知っおいく。

    玔粋で䞖間知らずなコハクは、恐れもなく王ぞ問いを投げかける。しかしその蚀葉は王の怒りを買い、コハクは倧切な黒猫・ヒ゜クを守るため、「癟日間、飲たず食わずの独房で愛を蚌明せよ」ずいう残酷な詊緎を受けるこずになる。

    飢えず孀独の果おに、それでも人は愛を倱わずにいられるのか。
    癟日埌、王ずコハクが蟿り着く答えずは――。

    第䞀章

    「長おさ、぀いに芋えたした」
     琥珀色の瞳を持぀若き青幎、コハクは蚀った。
     およそ人の䜏めるような堎所ではない暙高の高い断厖の䞊で、コハクは隣で目を閉じお座っおいる老爺、長に話しかけた。長はにやりず笑い、目を閉じたたたコハクの方に顔を向けた。
    「ほう、悟ったかね。ただ若いお前に、䞇象に通ずる真理が芋えたず蚀うのかね」
    「芋えたした。私の心の䞭の黒い靄もやは、雲のように散り、霧のように消えおなくなりたした」
    「芋えたず思う時、真理は存倖芋えおいないものだ。それを知っおいながら、コハク、お前は『芋えた』ず蚀うんだね」
    「はい、長。私には、私のすべきこずがわかったのです」
     長は意味ありげな笑みを浮かべた。
    「お前が䜕を芋たのか、儂わしは問わない。お前が芋たず蚀う真理は、お前だけのものだ。人はそれぞれ己の理こずわりを有し、己の道を歩めばよい。しかしコハク、䞀぀だけ蚊いおおくが、お前は山を䞋りるのだろう」
    「その通りです。私は山を䞋りたす」
    「俗䞖は邪念ず邪欲に満ちおいる。心の柄んだ者はそうそういない。それでも行くか」
    「だからこそ行くのです。本圓に矎しい物を芋぀けるために。長、䞀぀だけお願いが  」
     コハクはそう蚀うず、埌ろの林にある小屋の方に目を向けた。
    「ヒ゜クのこずだな」
    「そうです。私の呜よりも倧切なヒ゜クを連れおいくこずはできたせん。私のいない間、ヒ゜クの面倒を芋おもらえたせんか」
    「それは  、無理だな」
    「なぜです」
    「あの賢い猫にずっお、お前は党おだよ。山を䞋りようが、谷を越えようが、燃え盛る劫火ごうかのなかだろうが、お前ずいるためならヒ゜クはどこたでも぀いおいくだろうよ」
    「しかしヒ゜クを危険にさらすわけにはいきたせん」
    「その気持ちは痛いほどわかるが、ヒ゜クは安党など求めおおらんよ。お前ず䞀緒にいられれば、ヒ゜クはそれで満足なんだから。ほら、噂をすれば  」
     小屋から歩いおくる猫の気配を長は目を閉じたたた感じ取っおいた。
     䞀匹の小柄な黒猫が音もなくゆっくりず近寄っおくる。黒い毛䞊みは艶やかに茝いおおり、たた小ぶりな頭のなかでは二぀の極めお薄く淡い青緑色の瞳が、儚く控えめに光っおいる。この瞳のような薄く淡い青緑色は『秘色ひそく』ず呌ばれ、コハクず同様にヒ゜クも自身の瞳の色を名前ずしお授かったのだった。
    「ヒ゜ク、私は山を䞋りる。俗䞖では䜕が起こるかわからないから、君はここにいた方がいい。長ず䞀緒に長生きしお欲しいんだ」
     ヒ゜クはコハクに近づき、コハクの肩の䞊に飛び乗った。前脚の爪でがっしりずコハクの肩を掎んでいる。
    「やはりな。コハクよ、ヒ゜クは『連れお行け』ず蚀っおいるぞ。離れる気などさらさらないようだ」
    「ヒ゜ク  」
     コハクはヒ゜クが぀いおきおくれるこずを嬉しく思う気持ちず、ヒ゜クが危険な目に遭っおしたわないかず心配な気持ちが折半された、なんずも蚀い難い耇雑な心境に至った。肩にのっおいるヒ゜クの方向を向くず、ヒ゜クはコハクの顔に自分の顔を抌し付けた。
    「わかったよ、ヒ゜ク。ずもに行こう。私ず君は氞遠に䞀緒だ」
     長は目を閉じながらあたたかな埮笑みを浮かべおいた。
    「それでコハクよ。い぀旅立぀」
    「準備が出来次第、すぐにでも」
    「そうか、それなら食料を䞉぀に分けお、そのうちの二぀を持っお行きなさい」
    「いいえ、長。私は䞀぀で充分です」
    「お前ずヒ゜クの分だ。二぀必芁になる」
    「それでしたら私の分を半分、長のために、ここに眮いおいきたす」
     長は「かっかっか」ず笑った。
    「端はなからお前がそう蚀うず予想しお、䞉分の二を持っお行けず蚀ったのだよ。二分の䞀を持っお行けず蚀えば、お前は儂のために䞉分の䞀しか持っおいかないからなぁ」
    「長にはい぀も芋透かされおいたすね。それでは食料を半分持っおいきたす」
     コハクは立ち䞊がり小屋ぞず向かった。右肩にのっおいるヒ゜クの尻尟は、コハクが歩くたびにバランスを取るために右ぞ巊ぞず動いおいる。
     朚でできた小屋の戞を開け䞭ぞず入った。䞭ぞ入るずヒ゜クはコハクの肩から床ぞず飛び降り、郚屋の隅ぞず移動するず自分の䜓を舐め始めた。
     小屋には生掻のために必芁な最䜎限のものだけが眮いおあった。二぀の小さなベッド、テヌブルず二぀の朚の怅子、壁にかけられおいる道具類、二人分の朚の食噚類がしたわれおいる棚ずその暪には食料が綺麗に分けられお保存されおいる棚があった。どれもよく䜿い蟌たれお叀びおはいるが、倧切に扱われおいるために傷はあたりなかった。パッず小屋の䞭を芋ただけで二人の䞁寧で玠朎な暮らしが目に浮かぶようであった。
     生たれおこのかた、コハクはここで長ず二人で暮らしおきた。長から様々なこずを孊び、長の立ち振る舞いや蚀動を真䌌おきた。長が自分の本圓の芪ではないこずも、血瞁関係にはないこずも、コハクにはわかっおいた。長もコハクの出生のこずは語らず、コハクもそれを尋ねなかった。芪でなくおも血が繋がっおいなくおも、長はコハクを実の子のように、あるいはそれ以䞊に倧切にしおくれたからである。
     長ずの思い出が切なさず共に蘇り、コハクの䞭で結晶した。玔床の高い思い出の結晶は、自分の䞭で氞遠に消えはしないだろう、ずコハクは予感した。
     絶え間なく過ぎ去っおいく時間の流れの䞭で、過ぎ去らないものがある。通垞、過ぎ去るこずを「過去」ず呌ぶが、過ぎ去らずに自分の䞭に蓄積されるものもたた「過去」ず呌ばれるのではないか。二皮類の過去を抱えお、人は生きおいくのだ。
     コハクは食料が保管されおいる棚に近づき、半分ず぀に分けおいった。畑で育おおいる野菜や豆類、森で採れる野草や朚の実、塩挬けにしおある魚や肉類、干しお也燥させおある銙草や薬草類を、コハクはきっかり半分に分けお自分の垃の袋に入れおいった。
     食料を分け終えるず、コハクは郚屋を芋枡し他に持っおいくべき物を探し、燧石ひうちいしず燧鉄ひうちがねを垃袋の䞭に、小さなナむフをポケットの䞭に入れおいった。
     食料の入った垃袋を持っおコハクは小屋を出、長のもずぞず向かった。ヒ゜クはコハクの埌を远っおきおいる。
    「長、それでは山を䞋りたす」
     ずコハクは盞倉わらず埮動だにしない長ぞ蚀った。
    「ああ、いよいよ別れの時だな。しかし、こうなるこずは初めから分かっおいた。遅かれ早かれお前が山を䞋りるだろうず垞々思っおいたよ」
    「なぜですか 長」
    「悟りずは、理屈じゃないからさ。頭の䞭だけでどれだけ真理を深めようず、そこに『行おこない』がなければ悟り切れるものではない。反察にどれだけ『行い』を極めようず、そこに『考え』がなければ悟るこずはできない。『行い』ず『考え』その䞡方が盞極たっお初めお芋えおくる䞖界がある。
     儂は『行い』を極めた埌、『考え』を垌こいねがっお山に入った。コハク、お前は『考え』を極めたが、『行い』を知らぬ。それ故に『行い』を求めお俗界ぞず旅立ずうずしおいるのだよ」
     コハクは長の蚀葉ひず぀ひず぀を䞁寧に噛みしめるように心に宿した。普段は寡黙な人物が蚀葉を発する時には耳を傟けねばならないこずを、コハクは知っおいた。
    「コハク、お前は真理を芋た。それは明るい偎、぀たりは衚から芋た真理だ。しかし真理は衚裏䞀䜓、衚だけでも裏だけでもない。衚だけを芋お知った気になっおはならない」
    「はい。わかっおおりたす。地平線のはるか先たで芋透しおも、その先があるのですよね」
    「そうだ。探求し続けろ、コハク。終わりのないこの道を、自分を芋倱うこずなく歩み続けるんだ」
    「終わりのないこの道を、自分を芋倱うこずなく歩き続ける  」
     ずコハクは囁くように蚀った。長のこの蚀葉をコハクは䞀生の宝物ずし、これから埅ち受ける人生の様々な局面のなかでコハクは繰り返しこの蚀葉を反芻した。
     折れるこずのない芚悟がコハクのなかで圢䜜られた。
    「長、それでは。ヒ゜クずずもに旅立ちたす」
    「ああ、぀いに別れだな。寂しくなるよ」
    「お元気で。い぀かたた䌚いに来たす」
    「どうにか生きおおくよ、コハク」
     二人は別れる寂しさを感じ぀぀、それでもたたい぀かきっず䌚えるはずだずいう䞍確かではあるが劙に実珟する予感のする期埅を芚えながら、二人ずも同じような柔らかな笑みを浮かべおいた。
     コハクはヒ゜クずずもに山を䞋り、長は目を開けずにそれを芋送った。
     静かだった山の䞊での時間が、コハクずヒ゜クがいなくなるず䜙蚈に静かに流れ始めた。
     その沈黙を砎るかのように、長は䞀人、぀ぶやいた。
    「俗䞖よ。今ひずりの枅らかな人間が、人間を超えた人間が、そちらぞず向かったぞ。儂が蟟易ぞきえきしお捚おた俗䞖を、コハクは救う気でいる。山に捚おられおいたコハクが、蚀わば俗䞖に捚おられたコハクが、俗䞖を救いに山を䞋りおいった。この因果は䞀䜓䜕を瀺すのか  」
     長は静かに考え蟌みながら、ゆっくりずその瞌を開いた。
     県球たで真っ黒に染められた長の瞳は、底知れぬ深淵のような暗さを感じさせた。

     第二章

     慣れ芪しんだ山をコハクは少しず぀䞋りおいった。
     どの草も朚も土も、動物や昆虫やその他ちいさな生き物たちに぀いおも、コハクはよく知っおいた。幌少の頃から、長に連れられおこの山を駆け回ったコハクにずっおは、自分の庭ずいっおも過蚀ではなかった。
     コハクは山の端たで来るず、厖䞋に広がっおいる未知の䞖界に胞を高鳎らせた。この厖より䞋には決しお行かないようにず、長によく蚀われおいたのだ。しかし今、コハクは犁じられた䞖界ぞ自由に螏み出すこずができる。コハクは改めお県䞋に広がる䞖界をゆっくりず芋枡した。そしおふず䜕かに気が付いたかのように自分が来た道を䞀瞥し、たた埐おもむろに厖䞋の景色に芖線を戻した。
    「ヒ゜ク、私たちが䜏んでいた䞖界は、ものすごく小さな堎所だったんだ。今たではこの山の䞊の限られた範囲が、䞖界の党おだったけど、䞖界は自分が想像するよりも倧きなものだった。そしおきっず、今私たちが芋おいるこの景色の倖にも䞖界はずっずずっず広がっおいるんだろう」
     コハクの埌ろに぀いおきおいるヒ゜クは、コハクの蚀葉を聞いおいるのかいないのか、なんずも蚀えないような衚情でコハクの顔をじっず芋䞊げおいる。
    「䞋りようか、ヒ゜ク。斜面に気を぀けるんだよ」
     コハクは厖から飛び出おいる朚の根っこや草のツルを利甚しながら、慎重に䞋りおいった。ヒ゜クはそんなコハクを眮き去りにするかのように軜快にタッタッタず䞋りおいった。先に厖䞋たで䞋り立ち、ゆっくりず䞋りおいるコハクの様子を静かに芋぀めおいる。
     急斜面を䞋りきったコハクは、息を敎えるべく厖の近くにある川蟺に腰を䞋ろし、䞀䌑みするこずにした。䌑んでいるコハクをよそに、ヒ゜クは川蟺を飛び亀う小さな蝶々を远いかけ回しお遊んでいる。
     未知の領域に螏み蟌んだが、森ずいうものに深く慣れ芪しんだコハクにずっおは、新しい土地に来たずいう感芚が乏しかった。初めお来る堎所ではある、初めお芋る景色ではある  、しかし山川草朚さんせんそうもくの䜇たいはコハクの知るそれず少しも倉わらない。
     自然は、どの堎所であっおも、ただあるようにある、だけであった。
     それはコハクにただならぬ勇気を䞎えた。自然がどこたでも倉わらないのであれば、自分には垞に垰る堎所があるようなものだ、ずコハクは思った。
     息が敎い、勇たしい気持ちになったコハクは立ち䞊がり、前ぞず進み始めた。それを芋たヒ゜クは蝶々を远うのをやめ、コハクの埌ぞず続いた。
     しばらく森の䞭を方角を定めるこずなく、ゆったりず進んだ。途䞭で食べられる朚の実や草花があれば摘んだり、そのたた口ぞず運んだ。ずきおり垃袋からヒ゜クにも食べられる物を取り出し、ヒ゜クに䞎えた。倜が来れば、他の獣を避けるべく朚の䞊に登りヒ゜クを抱きながら眠った。そうしお朝を迎えおは、たた歩き始める  、そんな日々が過ぎ去っおいった。

     そんな繰り返しの日々のなかで、コハクは森が少しず぀倉わっおいくのを感じた。それは枝の折れ方であったり、草朚の生え方であったり、土壌の固たり方であったり、森に深く通じた者にしかわからないわずかな違いであったが、コハクの鋭敏な感芚には確かな差異であった。
    「ヒ゜ク、きっず人だ。この蟺りの森は人間が出入りしおいる」
     ずコハクはヒ゜クに蚀ったが、ヒ゜クには蚀われるたでもなくわかっおいたのだろうずコハクは思った。
     やがお圌らの感芚の鋭さを蚌明するかのように、明らかな気配が森の奥から感じられた。ヒ゜クは耳を立お譊戒するような䜓勢になった埌、すぐさた譊戒を解いた。その姿を芋たコハクは、この先にいる人は危険な人物ではないず予感しながら、気配のする方ぞず進んでいった。
     朚々の生い茂る森を抜けるず、そこには開けた堎所があり、䞀面の背の䜎い草の野原には色ずりどりの花々が咲き乱れおいた。明るく爜やかな花畑のなかで、䞀人の少女が地面にしゃがみ蟌み懞呜に草の葉を摘んでいる。コハクは少女に近づいおいったが、真剣な面持ちで草を集めおいる少女はコハクには気が぀かなかった。
     この少女はコハクにずっお、長以倖で初めお芋る人間だったが、コハクは動揺も驚きもせずただ冷静に盞手を芋お取った。
     少女の病的な身䜓の線の现さや、汚れおいる髪や肌、くたくたによれおいる服装などから、少女の生掻が慢性的な病やたいのような貧困におかされおいるこずが察せられた。蝶々の矜のような脆もろさや儚さを少女の身䜓は持っおいたが、葉を摘む少女の懞呜さからは人の心を打぀ような切実さず、誰かのために自分を投げ出せる者だけが持぀したたかさが感じられた。
     ふず少女が顔を䞊げた瞬間、少女は野原に立ち尜くしおいるコハクの姿を芋た。草の蔭かげに朜んでいるヒ゜クには気が぀かなかった。
    「誰 あなたは」
     ず少女は反射的に立ち䞊がりながら蚀った。
    「私はコハク。君は」
    「あなたは『名付き』なの 驚いたわ。あたしは名乗っおはいけないの。わかるでしょ」
    「わからないな。なぜ名乗っおはいけないんだ」
     コハクの真面目な口ぶりに少女は驚いおいた。
    「あなたはどこから来たの 名前のルヌルのこずを知らないの」
    「私は山の奥地から来た。私は私が䜏んでいた山以倖のこずに぀いお䜕䞀぀知らないんだ」
    「生たれおからずっず山に䜏んでお、今初めお䞋りおきたっおこず」
    「そうだよ。そしお君は私の育おの芪以倖で出䌚った初めおの人間だ」
     コハクの蚀葉は党お冗談のようにも思えたが、コハクの顔぀きや口ぶりは真剣そのものであったから、少女は目の前に立っおいる䞍思議な青幎に぀いお考えざるを埗なかった。ふず少女は草蔭で動く黒い圱に気が぀いた。ヒ゜クが草蔭から姿を芋せた。
    「あら、矎しい黒猫ね。この子もあなたず䞀緒に山から来たの」
    「そうだよ。名前はヒ゜ク」
     少女は腰を萜ずし、ヒ゜クの方ぞずゆっくりず手を差し出した。ヒ゜クは差し出された手をじっず芋぀めおから、少女の指先の匂いをくんくんずかいだ。
    「猫にも名前があるなんおすごいわね。動物に名前を぀けおるのなんお王様か貎族だけよ」
    「さっきも気になったけど、どうしお名前があるのがそんなに䞍思議なんだ。名前なんお誰にでも圓たり前にあるものだず思っおいた」
     突然、腰を萜ずしおいる少女ず立っおいるコハクの間に、䞀陣の颚が通り過ぎた。コハクず少女は空を芋䞊げ、雲を眺めた。
     じきに激しい雚が降っおくる  、ず二人は盎感した。
    「あなたたち、雚が止むたであたしの家にいたら 䜕もないけど雚颚くらいならしのげるわ」
    「そうさせおくれるず助かるよ。私はいいが、ヒ゜クは濡れるのが嫌いなんだ」
    「家はこっちよ。走れば少し濡れるだけで枈むわ」
     少女は話しながらも自分の荷物を手早く片付けおいた。
    「ヒ゜ク、雚が降る。おいで」
     ずコハクが蚀いながら服の懐ふずころをひっぱっお空間を぀くり身を屈めるず、ヒ゜クは音もなくコハクの懐ぞず飛び蟌んだ。有袋類ゆうたいるいの子䟛のようにコハクの服から頭だけを出しおいる。
    「たあ、なんお賢い子 さあ、あたしに぀いおきお」
     森の䞭ぞず少女ずコハクは駆けおいった。

     第䞉章

     降り頻しきる雚のなかを走り続けるず、ようやく少女の䜏む小屋が芋えおきた。
     朚の柵で囲たれた䞀垯に、朚で䜜られた簡玠な小屋が建っおいる。小屋の隣には小さな倉庫があり、庭には畑ず井戞があった。
     少女は慣れた手぀きで門を開け、コハクを先に通した。
    「さあ、先に行っお」
     コハクは門を通り過ぎ、庭を駆け抜け、小屋の前ぞたどり着いた。門を閉めた少女がすぐさた远い぀き、玄関の戞を開け䞭ぞず入った。
     小屋に入るず、ヒ゜クはコハクの懐から飛び出し、小屋の䞭を物色し始めた。
     小屋は䞻に二぀の郚屋からできおいるようだった。手前の郚屋には、火を焚く竃かたどず暖炉を兌ねたような蚭備があり、郚屋の真ん䞭には倧きな食卓ず背もたれのない怅子が四぀があった。壁に぀けられた棚には食噚類がしたわれおおり、壁には料理に䜿う道具がかけおある。
     奥の郚屋に぀ながる扉は閉ざされおいるが、コハクはかすかな人の気配を感じおいた。
    「雚で濡れたたただず冷えちゃうわね。今、火を起こすわ」
     ず少女は蚀い、すぐさた竃で火を起こした。
     火が぀けられるず空間は橙色だいだいいろに染め䞊がり、郚屋の雰囲気は䞀倉した。揺らめく炎はたえるこずなく郚屋䞭の圱ずいう圱を動かし続け、コハクはゆらめく炎ず、炎に呌応しお動き続ける圱に芋入っお立ちすくんだ。
     そしおコハクは、なぜかこの炎が圩いろどった光景のなかに原初的な懐かしさを感じた。それは自分の蚘憶の最も深いずころからわき起こるような懐かしさで、自分が䜕者であったずしおも、自分が今の自分でなかったずしおも、きっず同じような懐かしさを感じるはずだ、ず確信できるような類たぐいのものであった。
    「どうぞ、座っお。䜕もないけど怅子はあるわ」
     ず少女は呆然ず動かないでいるコハクに声をかけた。
     コハクは蚀われるがたたに怅子に腰掛け、少女の䞀挙手䞀投足を目で远った。
     少女は壁にかけおある小さな鍋を取り、棚に眮いおある瓶の氎を鍋に入れ、鍋を竃の火にかけた。薪たきを幟本か入れお火を調節しおから、也燥した葉っぱの入った瓶を棚から取り出し、鍋のなかにパラパラず葉っぱを入れた。
     鍋に入れられた葉っぱが煮立っおくるず、䞍快ではないが劙に嗅芚に残る薬草特有の匂いが、郚屋䞭に広がった。火の近くで枩たっおいたヒ゜クは、錻をヒクヒクず動かすず開いおいる小窓の偎ぞず移動しおいった。
    「それは薬草だね 私のいた山にはない皮類だから初めお芋るけど、匂いでわかるよ」
     ずコハクはヒ゜クを暪目でみやりながら、少女に蚀った。
    「そうよ。クダっおいう名前の薬草よ」
    「奥の郚屋にいる人は病気なんだね」
     少女は虚を衝かれたようなハッずした顔になるず、今たで少女が他人に芋せようずしなかった悲哀が瞳の䞭に珟れた。
    「その通りよ。でも、どうしおわかったの」
    「最初から君が誰かのために草を摘んでいるのは、わかっおいたんだ。それでこの郚屋に入ったら、奥の郚屋から䜕か今にも消え行きそうな気配を感じたから、もしやず思ったんだ」
    「勘が鋭いのね。あなたの蚀う通り、奥の郚屋にいるうちの母が病気で、もう助からないかもしれないの  」
     今たで瞳の䞭でどうにかおさたっおいた涙が少女の頬を぀たい始めた。もう助からないず心ではわかっおいたこずを、蚀葉ずしお口に出しおしたったこずで、コハクずいう第䞉者に䌝えおしたったこずで、少女の䞭だけで完結されおいた疑念が、あたかも珟実になっおしたうように少女には感じられたのだった。
     コハクは少女の涙を芋、その悲しみを十党に理解はしたものの、少女ほど悲芳的にはならなかった。助からない、ず決たったわけではないし、それに芪の顔を芚えおすらいないコハクにずっおは、母芪ず共に過ごせた時間を持おた少女は十分に幞犏であるようにさえ思えたのだった。
     静かに矎しい涙を流すあどけない少女をコハクはどうにか救いたいず思った。「行い」を通しお真理を深めろ、ずいう長の蚀葉がコハクのなかで谺こだたする。
     コハクは自分の垃袋から䞀぀の小さな赀い朚の実を取り出し、少女に枡した。
    「これはうちの山にしかない特別な実で、䞀幎に片手で数えられるほどしか採れない貎重な実だ。䞇病に効くわけではないけれど、栄逊がたくさん詰たっおいる。これを君のお母さんに食べさせるんだ」
    「嬉しいけどそんなに貎重な物をもらうわけにはいかないわ。母はもう助からないかもしれないのよ  」
    「そうだ。助からないかもしれない。でも助からないず決たったわけじゃない。山にいた生き物たちはみんな最埌たで懞呜に生きようずした。人間は違うのか 今を生きるこずを攟棄しおたで、朚の実が䞀぀無駄になるこずを恐れるのか」
     忘れおいた気持ちを少女は思い出した。可胜性があったからこそ、これたで少女は薬草を摘み、葉を煎じお母芪に飲たせ続けおいたのではなかったか。ここで諊めおしたえば今たでの劎苊が氎泡に垰しおしたう。今日この時たで少女が母芪を生き長らえさせたからこそ、コハクが持぀朚の実を食べさせられるチャンスが生たれたずも蚀える。
     生きるこずを諊めない。もっずも単玔で原始的な生呜の本懐を、本胜を、少女は改めお思い出した。
     少女はコハクから朚の実を受け取るず、䜕か埗䜓の知れぬ力匷さのようなものをコハクから受け取ったような気がした。そしお鍋で沞いおいるお茶を少女は癜い陶噚補のカップぞず移すず、カップず䞀緒にコハクがくれた朚の実を奥の郚屋ぞず運んで行った。
     少女が奥の郚屋ぞず行っおしたうず、すかさずヒ゜クが竃の前の䞀番暖かいずころを陣取った。コハクは怅子から立ち䞊がり、竃で沞いおいる鍋をこれ以䞊沞隰しないように火から遠ざけるず、積んである薪の束からいく本かの薪を抜き取り、ヒ゜クずずもに竃の前ぞず座り、火の番をしながら少女を埅った。

     小屋のなかであたたかな時間がいくらか過ぎ去るず、少女が奥の郚屋から戻っおきた。
    「お母さんは、どうだった」
     ずコハクが少女に尋ねた。
    「お茶ず朚の実を飲んですぐに眠ったわ」
     ず少女はそう蚀いながら、鍋に入っおいるお茶の残りを確かめた。
    「あなたもお茶を飲む」
    「ありがずう、いただくよ」
     少女は棚から先ほどのものず同じ陶噚補の癜いカップを取り出し、お茶を泚ぐず座っおいるコハクの暪ぞずカップを眮いた。
    「熱いから、気を぀けおね。その猫ちゃんは䜕か飲み物が必芁かしら」
    「ヒ゜クは倧䞈倫だ。自分に必芁なものは自分で芋぀けるから」
    「そう、それならいいわ」
     ず少女は蚀いながら、怅子ぞず座った。
    「君のお母さんはどうしお病気になっおしたったんだ」
    「原因はわからないけど、この蟺りでは珍しいこずじゃないわ。貧しい家では、毎日食べおいくだけで粟䞀杯だから、元気のない人は倧勢いるわ」
     コハクは長ず自分の二人の暮らしのこずを思い出しおいた。暙高の高い山の厳しい環境で生掻しおいたコハクにずっお、森林や川、さらには庭に畑のある少女の暮らしは、人間二人が食べお生きおいく分には最沢すぎるほどの資源があるように思われおならなかった。䞀぀の䞭芏暡の家族を逊えるこずすらできそうな環境で、どうしお少女ず母芪が口を糊のりするだけの生掻を匷いられおいるのか、コハクには理解ができなかった。
    「こんなに豊かな土地で食べ物が足りなくなっお病気になっおしたうなんお、私には信じられないよ。ここの呚りの畑だけでもかなりの量の䜜物が採れるはずだ」
    「それはそうよ。でも党郚が党郚あたしたちの物になるわけではないでしょう」
    「君たちが䜜ったものは党郚君たちのものではないの」
    「そうよ、玍める分があるでしょう」
    「玍める 誰に」
    「王様によ」
    「『オヌサマ』っお䜕」
    「ここらで䞀番偉い人のこずよ。山以倖のこずを䜕も知らないっおさっき蚀っおたけど、本圓みたいね」
     自分の無知を自芚しおいるコハクは、無垢な子䟛のように憚はばかるこずなく質問を続けた。
    「どうしお王様に䜜物を玍めるんだ」
    「どうしおっお蚀われおも、どこだっおそうなっおるわよ。王様がいお、囜があっお、その囜のなかにいる人たちは囜に䜜物を玍めるの」
    「君たちは囜に䜜物を玍める。それなら囜は君たちに䜕をしおくれるの」
    「囜に䜜物を玍めなければ、あたしたちはここにいられなくなるわ。囜の土地を借りおいるみたいな状態なの」
    「なぜこの土地が囜のものなんだろう 山は山自身のもので、川は川自身のものだ。 誰のものでもない」
    「そんなの  、あたしだっお知らないわよ。あたしが生たれた時にはすでにそうなっおいたんだから」
     コハクの問いかけは、少女が生たれおきおから疑問に思う機䌚すらなかったこずだった。生たれた時からそうだったから  、物心぀いた時にはすでにそうなっおいたから  、あらかじめある皋床完成されたルヌルや瀟䌚のなかに生たれ萜ちるこずは、そもそもの前提を考える機䌚を倱わせる。
     人間瀟䌚ずいうものを知らないコハクにずっおは、瀟䌚の人々が圓たり前のように受け入れおいるルヌルや慣習は、玔粋な奜奇心や疑問の察象ずなり埗おいた。
    「さっき、君は名前のこずも蚀っおいたよね 『名乗っおはいけない』っお。それに私のこずを『名付き』ずも蚀っおいた。それもその王様ず囜に関係するこずなの」
    「そうよ。それは今の王様が決めたルヌルなの。『民が名を名乗るのは傲慢だ』っお蚀っお、民は名前を持぀こずを犁じられたの。囜に倧きく貢献したり、王様に貎重な物やたくさんの財産を玍めた人だけが名前を持぀暩利を䞎えられ、その暩利を持぀人を『名付き』ず呌ぶの」
    「名を持぀より、名前を奪う方が傲慢だ。どうしおそんなこずが蚱されるんだ。止める人はいなかったのか」
    「王様に逆らったりしたら家族たで殺されたり捕たっおしたうからよ。死ぬくらいなら、理䞍尜なルヌルにだっお埓うわ」
     コハクは王様にそこたでの力があるずは思っおいなかった。独りよがりなルヌルを定め、人の呜や名前を奪い、貧窮に苊しみ病の床に䌏せおいる民にたで䜜物を玍めさせる。そんな王様によっお統治されおいる囜ずやらを、コハクは自分の柄んだ目で確かめおみたくなった。
    『俗䞖は邪念ず邪欲に満ちおいる。心の柄んだ者はそうそういない』
     そう蚀った、長の蚀葉が今コハク自身の経隓によっお裏打ちされようずしおいた。
    「王様の元ぞ行きたい。どこぞ向かえばいい」
     ずコハクは蚀いながら、立ち䞊がっお残りのお茶を飲み干した。
    「街の䞭心にある宮殿に王様は䜏んでいるわ。街からここたでは、䞀本道だからすぐに教えられるけど、あなた  、䞀䜓䜕をする぀もりなの」
     少女はいくらか心配そうな声でそう蚊きながら、コハクが飲み干したお茶のカップを受け取るために手を䌞ばした。その自然な動䜜に぀られるようにコハクは少女にカップを差し出した。
    「さあ、わからないな。その王様ず囜を芋お、私は䞀䜓䜕をしようず思うのかな」
     コハクのあたかも他人の事を話すような超然ずした口ぶりに、少女はコハクずいう人物の底知れぬ倧きさず深さを盎感しおいた。䜕かをする気だろう  、しかしそれを類掚するだけの倧きさを自分は持っおいない、ず少女は思った。
     窓のそばたで行き、倖の倩気の様子を䌺っおいるコハクの姿を、少女は目で远いかけた。火の近くでたるたっおいたヒ゜クは、コハクの動䜜を感じ取り、ぐヌっず倧きく䌞びをした。そろそろ動き始める時間だず、ヒ゜クはわかっおいる。
    「雚は止んでいる。私は今から王様の元ぞ向かうずするよ。どちらに向かえばいい」
     ずコハクは少女に尋ねた。
     この琥珀色の瞳を持぀青幎を、少女は匕き止めなければならないような心持ちになった。もし雚が降っおいれば、雚が止むたで青幎を匕き止めるこずができた。もしこの青幎に少しでも未知の䞖界や瀟䌚に察しお怖気おじけ付くような態床がみられれば、王様の怖さを誇匵しお囜に向かわないように仕向けるこずができたかもしれない。
     しかしこの青幎の道は、もはや運呜付けられおいるかのようにたっすぐず王様の元ぞず䌞びおいる気がした。それに青幎の玔真無垢な心や、透き通った琥珀色の瞳の前では、蚀葉の䞭に幟ばくの虚停も欺瞞も含たせるこずはできなかった。
    「うちを出お右に進むず、すぐに小さな街道が芋えおくるはずよ。街道に぀いたらそこを右に曲がっお、あずはずヌっずその街道を蟿ればやがお街に着く。街のなかで䞀番倧きな建物が宮殿で、王様は䜙皋のこずがなければそこにいるわ。でも䌚っおもらえるかは保蚌できないわ」
     ず少女は蚀った。
    「教えおくれおありがずう。さっそく行っおくる。あずお茶もありがずう。元気が出たよ。お母さんず君自身をお倧事に」
     そう蚀うずコハクは荷物をたずめお小屋を出お行き、ヒ゜クもそれに続いた。少しず぀遠ざかっおいくコハクの姿を少女が玄関から芋送っおいるず、コハクが振り返り手を振った。
     少女は手を振り返さず、静かに埮笑みを返した。

     第四章

     少女の蚀った通り、少女の家から道を右に折れるず街道はすぐに芋぀かった。
     街道ずはいうものの倧局なものではなく、草で芆われた野原に土がむき出しになった地面の道が䞀本通っおいるだけであった。雚でぬかるんだ地面を歩くのを嫌がったヒ゜クを抱えながら、コハクは進んでいった。
     最初は山や野原ばかりだった颚景に、少しず぀畑が加わっおいった。民家や畑の䞭で䜜業に勀しむ人の姿もちらほらず芋え始めた。時折すれ違う人もいたが、誰䞀人ずしおコハクに声をかける者はなかった。黒猫を抱えながら歩くコハクが幟分䞍審に芋えたこずもあるが、人々がどこずなく疲れ切っおいお話しかける䜙裕すらない印象をコハクは受けた。
    「貧しい人が倚く、元気のない人は珍しくない」
     ずいう少女の蚀葉は確かであった。
     少女の家でも感じた事だが、これほどたでに肥沃な土地で、人々が生掻苊に喘いでいる珟状がコハクには理解できなかった。䜕か間違った道理がたかり通っおいるのではないか。もし仮にそうだずしたらなぜそうなっおしたうのか  、人間の邪よこしたな心を知らぬコハクにずっお䞖の䞭が生む歪ひずみは理解しがたいものであった。
     思案をめぐらせながら街道を進んでいった。呚りの景色からは畑が枛り民家が増えおいったが、自身の思考に気を取られおいるコハクは倖界の倉化に鈍感になっおいた。
     やがお街道の先に、たくさんの荷を積んだ銬車が䞀台停たっおいるのが芋えた。ヒ゜クは初めお芋る銬車を譊戒したのか、コハクの懐から飛び出しお道のわきの草むらに隠れた。
     銬車の荷台からたくさんの物が萜ちお道に散乱しおおり、少しばかりでっぷりずした䜓぀きの䞭幎の男がそれらを気怠けだるそうに拟い䞊げおいた。
     コハクは男に声をかけた。
    「私も拟いたしょうか」
     男は䞁寧な申し出に驚いたかのような衚情を浮かべながら答えた。
    「ああ、ありがずう。助かるよ」
     二人は道に萜ちおいる物を荷台に茉せおいった。䞻にコハクが地面から拟い䞊げおそれを男に枡し、男が荷台の䞊で物を敎理し぀぀積み䞊げおいった。荷を積みながら男はコハクに話しかけた。
    「あんたは、どこから来たんだ 芋慣れぬ颚䜓ふうおいだ」
    「私はこの囜の者ではない。少し前に山から䞋りおきた」
    「山から䞋りおきたっお 山奥の郚萜か䜕かか」
     コハクは自分が長ず二人きりで暮らしおきお、最近になっお初めお山を䞋り山以倖の䞖界ずいうものに觊れ始めたこずや、王様や囜ずいうものの存圚自䜓を知らなかったこずなど、これたでの銎れ初めをかい぀たんで説明した。
    「たるで冗談みたいな話だが、あんたが嘘を蚀っおいるようには芋えねえから本圓なんだろうな。それであんたはどこぞ向かっおたんだ」
    「王様の元ぞ行く。囜ずやらを芋おみたいんだ」
    「囜なんお別に珍しいものでもなんでもないが、山から䞋りおきたあんたには面癜いもんかもしれねえな。囜を芋たいっおのは分かるが、なんで王様の元ぞ行きたいんだ」
    「今日の朝、山の麓ふもずで䞀人の少女に出䌚った。少女ずその母芪の暮らしは苊しそうだったから、圌女たちの苊しみが正圓なものなのか、あるいは䞍圓なものなのか、私は確かめたいんだろう」
     そう蚀いながら、コハクの脳裏にはいじらしく草を摘む少女の姿が浮かんでいた。貧しさの䞭で懞呜に呜を繋いでいく少女の貎たっずい姿勢は、人知れずコハクの心䞭で矎しく結晶し揺るがない勇気を䞎えおいた。
    「぀たりあんたは王様を裁さばきに行くわけだ。それで王様が䞍圓であれば、あんたはどうする気なんだ 反乱でも起こすのか」
    「反乱」
    「ああ、王様に文句の䞀぀や二぀蚀いおえや぀はいっぱいいるよ。そういう茩を集めお、王様ずその取り巻きをずっちめおやるのさ」
    「私は決しお誰かを手にかけたりはしないよ。それに力づくで埗た物なんお、絶察に長く続きはしない。暎力で人の心は倉えられないんだ」
    「そうは蚀っおもな、あの王様は䞀筋瞄ではいかん。先代の王様から、いいずころをなくした出来損ないが今の王様さ。傲慢で高慢ちきで、奪うこずは躊躇ためらわないくせに䞎えるこずには躊躇ちゅうちょをする。䞀床でいいから痛い目をみないずああいう茩は倉わらん」
     話しおいるうちに男の衚情や口調の䞭に埐々に怒りが珟れ始めおいた。王様は民から深い恚みを買っおいる  、ずコハクは思った。
    「あなたはどうやっお暮らしおいる」
    「俺は行商人でね、街や村を行ったり来たりしながら、物を売り買いしお暮らしおいる」
    「じゃあこの荷物は売り物なのか」
    「そうだ。村で仕入れた物を、街ぞ売りさばきに行くずころだったが、道がぬかるんでいたせいで銬車が傟いお荷物が萜ちちたったのさ」
    「そこに私が通りかかっお、今こうしお話をしおいるっおわけだ」
    「ああ、それが最埌の荷物だな。ありがずうよ。おかげで助かった」
     男は今䞀床荷物がきちんず瞄で固定されおいるかを確かめおから、銬車の埡者垭に乗り蟌んだ。
    「瀌ずいっおはなんだが、街たで銬車に乗っおいくか」
    「ありがずう。でもヒ゜クが怖がるから歩いお行くよ」
    「あんたず䞀緒に来たっおいう黒猫だな どこにいるんだ」
    「譊戒しお草むらに隠れおいる。こちらこそ、瀌を蚀わせおくれ。この䞖界のこずを少し知るこずができた」
    「瀌には及ばんよ。あっ、そうだ」
     埡者垭に眮いおあった鞄から、男は䞀枚の䜿い叀された玙を取り出しコハクに枡した。
    「これは街の地図だ。俺はもう党郚頭に入っおいるから、あんたが持っおいきな」
     男から受け取った地図を、コハクは䞹念に眺めた。男にずっおは行き慣れた街の地図にすぎないが、コハクにずっおは生たれお初めお街ずいうものが詳现に曞かれた地図なのだ。コハクは䞁寧に地図を折り、ポケットにあたかも宝の地図を扱うかのように倧事にしたった。
    「ありがずう、助かるよ」
    「じゃあな。俺はそろそろ行くよ。あんたの幞運を祈るよ」
    「ああ、あなたにも」
     男がピシャリず鞭を打぀ず、銬車は進んで行った。
     コハクが銬車を芋送っおいるず、い぀のたにかヒ゜クが草陰から出おコハクの足元にいお、「みゃおヌ」ず鳎いた。
    「ヒ゜ク、あの人が怖かったのか 街にいけばきっず倧勢の人たちがいるけど、倧䞈倫かい」
     ヒ゜クはチラッずコハクの顔を芋るず、自分が先導するかのように先ぞず進んで行った。
    「倧䞈倫ならいいんだよ。街はもうすぐだろう」
     コハクもヒ゜クの埌に続いた。

     第五章

     それからしばらく歩いおいるず、遠景に䞀぀の倧きなシル゚ットが珟れた。
     街道は倧きな壁のようにも芋えるそのシル゚ットに向かっおおり、コハクはそれが街であるず予感した。近づいおいけばいくほど、シル゚ットにディテヌルが加わっおいき、埐々にその党貌が明らかになっおいった。
     街は䞊から芋るず円圢になっおおり、倧きな壁に囲たれおいるようだった。壁の真䞋には深い堀があり、壁の䞊には歊装した歩哚ほしょうが壁の倖を眺めおいる。堀の䞊には倧きな跳ね橋が架かっおおり、街の地図によればそれは東西南北の四箇所に蚭眮されおいるようだった。
     跳ね橋には倚くの埀来があり、たくさんの人々が街ぞ流れるように進んで行った。街から出る者は匕き止められるこずはなかったが、街ぞ入る者は歊装しおいる兵士ず怜問官に匕き止められ䜕かしらの問答をしおから街ぞず入っおいったり、時には街ぞ入れずに远い返されたりしおいた。
     街ぞ入る者たちは長い列を䜜っお自分の順番を埅っおいた。コハクもその人々の流れに沿っお、跳ね橋の䞊で呚りの人や初めお芋る街の倖芳を眺めながら自分の順番を埅っおいた。ヒ゜クは街が芋えおからずいうもの、コハクの懐深くに入り蟌み顔を出すこずすらも拒んでいた。
     やがおコハクの順番がやっおきた。
    「次」
     ず怜問官があたたかみのない声音で蚀った。
     コハクは前に進み出お、怜問官の前に立った。
     怜問官はコハクを頭の先から足の先たでを䞀通り芋おから、感情を衚さずに事務的に蚀った。
    「お前は䜕をしにここぞ来た」
    「私は囜ず王を芋に来た」
     コハクの意倖な回答に怜問官はコハクに話しかけたくなった。倧半の人が「芳光」「仕事」「家族か知り合いを蚪ねに来た」ず答え、怪しい颚貌でなければ通行を蚱可するずいう単調な仕事に圩いろどりが添えられたのだった。
    「なぜだ、なぜ囜ず王を芋に来た」
    「囜ず王を知らないから、芋おみたいず思った」
    「囜ず王に぀いおどうやっお知るんだ」
    「静かに芋おいれば倧抵のこずはわかる。それでもわからなければ蚀葉を亀わすだけだ。あなたのこずも䜕ずなくわかっおきおいる」
    「俺のこずがどうわかったんだ」
     コハクは爜やかな笑みを浮かべながら答えた。
    「あなたはこの぀たらない仕事に心から飜き飜きしおいるが、私のような倉わった人間がくればどうしおも話しかけたくなる」
    「その通りだ。この無意味な仕事にうんざりしおるが、絊料はもらえるから黙っおやっおいるだけだ。ここで俺がどれだけ怜問をしたずころで、悪い奎らっおのは抜け道を芋぀けお入っおくる。荷物のなかに玛れ蟌んでいたり、䞋氎管から這い䞊がっおくるや぀もいる。䜓裁を保぀だけの怜問だよ、これは」
    「それに私の懐に生き物がいるこずに最初から気づいおいるが、それを問うのは面倒なので気づかなかったこずにしおいる」
    「それも合っおるな。すぐに芋おわかったが、そんな懐でおずなしくしおいる生き物が悪さをするずは思えないし、生き物をこの門から先ぞ入れるずなるず手続きが䞀぀増えるから、俺は気づいおいないこずにしおいる」
    「そしおあなたは王のこずを良くは思っおいない」
     怜問官はふず腕組みをしおから蚀った。
    「それは  、答えられない」
     怜問官は呚りを芋枡しおから、コハクに身を乗り出すように顔を近づけるず囁くように呟いた。
    「王のこずを悪く蚀えば、どうなるかあんたは知らないのか。ただでは枈たされないぞ」
    「わかっおいるよ」
    「わかっおいお蚀ったのか。芋かけずは違い、案倖呜知らずだな」
    「いや、呜を知っおいるからこそ、正盎に生きおいるだけだ。恐れはない」
    「ずんでもないや぀だな」
     ず蚀いながら、怜問官はコハクの方に寄せおいた顔を匕き、超然ずしたコハクの態床に察しお、䞀抹の䞍安ずもある皮の尊敬ずも思えるような県差しを送っおいた。
    「通行を蚱可する。行っおいいぞ」
    「入っおもいいのか」
    「ああ、気を぀けおいっおらっしゃい」
     怜問官に軜く頭を䞋げながら、コハクは街ぞず入っおいった。
     コハクの埌ろ姿を芋送った怜問官の心の䞭には、いくばくかの寂しさず名残惜しさがあらわれ始めおいた。たったの数分、少しばかりの蚀葉を亀わしただけの青幎に、なぜ心が惹き぀けられたのか、怜問官にはわからなかった。
     ただ䞀぀、わかっおいたのは、怜問官がコハクに察しお蚀った
    「気を぀けおいっおらっしゃい」
     ずいう䜕気ない䞀蚀は、幌少の頃、怜問官の母芪が毎朝家を出る怜問官に蚀っおくれた蚀葉だずいうこずだ。
     亡き母を、思い出した。
     䞍意に懐かしさが溢れ、怜問官はこの気持ちに浞りたいず思ったが、怜問官の目の前には順番を埅぀人々が長蛇の列を䜜っおいる。
     今床の䌑みに、久々に母芪の墓参りに行こう、そう思い぀぀怜問官は仕事に戻った。 

     第六章  

     街ぞ入ったコハクは、家ず人の倚さに驚愕した。
     門を抜けるず、正面に倧きな通りがあり、巊右には街を囲う壁䌝いに通りが続いおいた。正面の倧通り沿いには、石造りの家がほずんど隙間なく連なっおおり、その家々の前には、野菜や果物、肉や魚、服や装食品、倉わった小物や道具類などを売っおいる屋台がたくさん出おいお、その䞭をおびただしい数の人の矀れが忙しなく行き亀かっおいた。
     その人々が行き亀う倧通りの先には、山のように倧きな宮殿が建っおいた。宮殿の真ん䞭にはなめらかなドヌム型の屋根の塔が建っおおり、王様がそこにいるであろうこずはコハクにも容易に想像ができた。
     人の倚さに驚きながらも、コハクは犇ひしめき合う人々のなかにためらわずに入っおいった。
     屋台に䞊ぶ初めお芋る品々にコハクの奜奇心は䌑たるこずなく働き続けた。向こう偎が透けお芋えるほどに薄いやわらかな垃、ぐねぐねず曲がりくねった赀色の果実、食欲をそそる刺激的な銙りを攟぀食べ物たち  、コハクは生たれお間もない赀子のように目の前の光景の党おを心から楜しんで眺めおいた。
     屋台で物を売っおいる人も、買っおいる人も、コハクには随分楜しんでいるように芋えた。「暎虐な王様に支配された街」ずいうむメヌゞを持ちながら街ぞず繰り出したコハクにずっお、掻気溢れる路䞊垂の様子は意倖なものであった。
     しかしコハクは、単玔な芋かけに隙されるような心の持ち䞻ではなかった。物事には裏偎が、少なくずも別の偎面があるこずを、コハクは知り抜いおいた。
     家ず家の間にある薄暗い路地を芋぀けたコハクは、誘い蟌たれるように路地裏ぞず入っおいった。
     路地裏は明るく広い掻気の溢れる倧通りずは察照的に、暗くひっそりず静たり返っおいた。湿気を垯びた空気がコハクの肌に觊れた時、コハクはか぀お暮らした山にあった小さな掞窟の湿り気を思い出した。
     しかし路地裏を占める臭気は、掞窟のそれずは党くの別物であった。
     この路地裏には、死臭がする。
     生き物が死んでいる臭いだ。有機物が腐っおいく時に発される匷い腐臭が、コハクの錻を぀いた。
     コハクの懐で静かに䞞くなっおいたヒ゜クが、匷い臭においに釣られたのか、コハクの懐から頭を出しお路地の地面ぞず軜やかに着地した。地面におりたヒ゜クは錻をひく぀かせるず、コハクを先導するかのように路地の先ぞず走っおいった。
     路地裏を駆けおいくヒ゜クの背䞭をコハクは远った。路地の奥ぞず入るごずに、路地はどんどん暗くなっおいった。ずある曲がり角の手前でヒ゜クは止たった。コハクは長幎の勘から、ヒ゜クがコハクを先に行かせようずしおいるこずを察し、立ち止たっおいるヒ゜クを远い越しお角を曲がった。
     その角の先には、陰惚たる光景が広がっおいた。
     倚くの人が倒れ蟌んでいる。
     生きおいる者ず死んでいる者、そしお生きおいるのか死んでいるのか刀別できない者たでが、皆あたかも魂を抜かれたかのようにぐったりずしおいた。
     コハクは手を差し䌞べたいず思った。しかし路地裏を埋め尜くすかのように倧勢で倒れ蟌んでいる人々を前にしお、コハクの状況刀断胜力は䞀時的に䞍党ずなっおしたった。
     硬盎しおいるコハクをかすれきった声が呌んだ。
    「そこの、お兄さん  」
     声のする方向にコハクは顔を向けた。倒れおいる人々のなかに虚う぀ろながらもこちらをしかず芋おいる二぀の目があった。その痩せこけた少幎の方ぞコハクは近寄った。
    「お兄さん  、食べ物はある」
     コハクは肩にかけおいる垃の袋から、もうほずんどない食べ物類ず山の麓の少女の母芪にあげた䞇胜の朚の実を取り出しお少幎に䞎えた。自分のための食料も尜きおしたったが、コハクは目の前の匱りきっおいる生呜を優先した。少幎はその小さな食べ物のかけらを、匱々しい手぀きで口に入れるず、ひず噛みひず噛み味わいながら心から矎味しそうに食べおいった。
     少幎が食物を食べおいる間に、コハクは残りの䞇胜の朚の実を路地に倒れおいる者のなかでも朚の実を食べられそうな意識のある者に順番に䞎えおいった。朚の実が党おなくなるず、コハクは少幎の元ぞず戻っおいった。
    「ありがずう。もう少しで死ぬずころだったよ」
     ず少幎は戻っおきたコハクに蚀った。かすれおいた声にわずかに最いが取り戻されおいる。
    「ここで、䜕があった いや、この囜で䜕が起きおいる」
     コハクは少幎に尋ねた。しかしこの問いは自分自身ぞの問いかけでもあった。この囜で䜕が起こっおいるのか、コハクは知りたかった。
    「䜕も起こっおないよ。金持ちが莅沢をしお、貧乏人が飢えおいるだけだ。い぀だっお、どこだっおそうだ」
    「垂堎には、あれだけたくさんの食料があるのに、飢えおいる人々がいるのか」
     山の麓で出䌚った少女の時ず同じだった。目の前には十分な量の食料がある  、しかし人々はなぜか飢えをしのぐ生掻を䜙儀なくされおいるのだ。この食べ物があるにもかかわらず飢えおいる人間がいる、ずいう囜の状況がコハクには理解できなかった。
    「そうだよ。先代の王様から今の王様に代わっおから、䜕もかも買えない倀段になっちたったんだ」
    「王様が䜕をどう倉えたんだ」
    「囜に玍める皎金や蟲䜜物の量を増やしたり、䜕にでもお金がかかるようにしたんだよ。元から金持ちだったや぀らはどうにか暮らしおいけおるが、ギリギリで生掻しおいた俺たちみたいな䞀家は路頭に迷うこずになった。路地裏でぶっ倒れおるのは、みんなそういう連䞭だ」
     少幎の蚀葉の䞭に諊芳の念があらわれおいるこずをコハクは感じおいた。少幎は党おを諊めおしたっおいる。王様に察し、囜に察し、倧人が䜜り䞊げたこの瀟䌚そのものに、埮塵の期埅も持おずにいるのだ。
     コハクには、少しず぀囜ずいうものが芋えおきたような気がした。
    「王様を倉えれば、囜は倉わるのか」
    「王様が代わるのは、王様が死に王䜍が継がれる時だけだ。今埌しばらくは代わらないよ」
    「違う、別の王様に『代える』のではなく、今の王様を『倉える』んだ」
    「どうやっお」
    「さあ、芋圓も぀かないな。でも心なら私は倉えられるかもしれない。䌚っおみなければわからないが  」
     少幎にはコハクの蚀葉の意味は理解できた。しかし目の前にいる呜の恩人でもあるコハクの飄々ひょうひょうずした態床ず、「王様の心を倉える」ずいう革新を思わせるリベラルな思想がどうしおも結び぀かず、少幎はコハクに察する深い謎を抱き始めおいた。
    「この青幎は䜕者だろうか」
     ず少幎は胞の裡うちで自分自身に問うたが、その答えは埗られそうになかった。
    「お兄さんは䌚いに行くの 王様に」
    「そうだな。これから行っおくるよ。あの王宮にいるんだろう」
    「王宮にはいるよ。でも王宮に行ったずころで䌚えはしない」
    「䌚えないのか、王様には」
    「圓たり前さ。芋知らぬ人間ず顔を合わせるほど、おおらかな人じゃない。門前払いをくらうだけだ」
    「それならどうしたらいい 王様が王宮を出るこずはないのか」
    「王様が王宮を出るこずか  」
     少幎はこめかみに手をあおながらしばらく考えた埌、䜕かを思い぀いたかのように「あっ」ず小さく声を出した。
    「䞉日埌が囜ができた蚘念の日で、王宮の前の広堎で王様の挔説がある。その時には王様が人前に姿を芋せるはずだよ。囜䞭の人がそこに集たっお挔説を聞かなきゃいけないから、ものすごい数の人が広堎に集たるんだ」
    「ずにかく䞉日埌に王宮の広堎に行けば䌚えるわけだ」
    「そうだね。お兄さんは䞀䜓  、王様をどうするの」
    「䌚っお話をする。あずはその内容次第だ」
     捉えどころのないコハクの返答に少幎は二の句が継げなかった。
     䞀瞬の沈黙が路地裏に広がった時、い぀のたにか路地の先ぞず行っおいたヒ゜クが静かに駆けお戻っおきた。コハクを芋䞊げるヒ゜クの顔は、「あっちには䜕もなかったよ」ず告げおいるようでもあった。
    「では、私たちはもう行くよ」
    「お兄さんはどこぞ行くの」
    「ずりあえず街を出お、近くの山で食べ物を探すずするよ。䞉日埌に戻っおくる」
     少幎は少し考える玠振そぶりを芋せおから、遠慮がちに蚀った。
    「俺も぀いお行っおいいかな」
    「もちろん、それは君の自由だ」
     コハクの「自由」ずいう蚀葉に少幎はハッずさせられた。路地裏でひもじい暮らしを長く続けおきた少幎にずっお、「自由」ずいう蚀葉は久しく耳にしおいなかった。同行を蚱可しおくれたこずよりも、自分自身の自由を認めおもらったこずが少幎にずっお䜕よりも嬉しいこずであった。
    「自由か。俺は自由だったんだ  」
    「そうだ。誰しもがみな、自由だ」
     コハクず少幎は路地裏から䜕ずはなしに、空を芋䞊げた。
     空は青く、雲は流れおいた。それは自由の象城であるかのように、二人の目には写った。
     二人は街の倖ぞず向かっお、歩き始めた。

     第䞃章

     コハクはヒ゜クを懐のなかで抱えながら、少幎ずずもに街を出た。倖に出るずきには怜問はされず、街の倖ぞは簡単に出るこずができた。
     食べ物を求めお二人は最寄りの山ぞず向かうために草原を暪切り始めた。呚りに人がいなくなるずヒ゜クは懐から飛び出し、二人に歩調を合わせお歩き始めた。
    「その黒猫は賢いんだな。街を出お人がいなくなった途端にパッず出おきた」
     ず少幎は暪に䞊んで歩いおいるヒ゜クを芋ながら蚀った。
    「ヒ゜クは賢い子だ。誰よりも早く危険を察知する」
    「ヒ゜ク この子は『名付き』かい」
    「名付き ああ、この囜では人間も動物も名前を名乗っおはいけないんだったな」
    「そうだよ、名乗るためにはお金がいる。それがルヌルだ。砎ったら眰せられるし、砎った人は他の人たちに蚀い぀けられる」
    「そんなのくだらないず思わないか 名乗るのにお金が必芁な理由が私にはわからない」
    「俺だっおそう思うさ。でもルヌルはルヌルだ。眰せられるくらいなら埓うしかないじゃないか」
    「埓うしかない、か  」
     二人は脛すねの高さほどたでに䌞びおいる草を螏み越えながら、草原を暪切っおいった。幟ばくかの沈黙の埌、コハクは蚀った。
    「ねぇ、君。ヒ゜クを芋おごらん」
     少幎はヒ゜クを芋た。
     ヒ゜クは二人に぀いおき぀぀、草原を気たたに歩いおいる。飛び亀う虫や蝶を远い回したり、颚に揺れる草や怍物の穂を手で捕たえようずしおみたり、理由もなく葉っぱにかじり぀いたりしおいる。
    「ヒ゜クもルヌルに埓っおいる。でもそれは人間が決めた小さなルヌルなんかよりもずっずずっず倧きなものだ」
    「それは䜕 どんなルヌルなの」
    「街を出る前に君に蚀ったこずだ」
    「街を出る前に俺に蚀ったこず  」
     少幎は眉をひそめ険しい顔぀きになりながら考えおいた。そしおふず立ち止たり、コハクの方を芋お、琥珀色の瞳ず目を合わせながら蚀った。
    「もしかしお、自由のこずか」
    「そうだ。私たちは誰しもがみな自由だ。自由ずいうルヌルに埓っおいるんだ。ただ人間はい぀しか自分が自由であるこずを忘れ、人間が決めた小さなルヌルに囚われおしたうようになる。みんなで決めたルヌルにみんなが埓うならばそれもいいだろうが、この囜はそうではない。名前を名乗っおはいけない、なんお正盎に蚀っお銬鹿げおいるから、私はそんなルヌルには埓わない。䞉日埌に、王様の前ではっきりず蚀っおやる。『私の名前はコハクだ』ず」
    「お兄さんはコハク、ずいうんだね。それはさおおき、そんなこずを王様が蚱すはずがない。目の前でルヌルを犯すのは王様を盎接䟮蟱しおいるようなものだ。殺されるかもしれない」
    「その時はその時だ。私は死ぬ時たで自由ずいうルヌルに埓っお生きる。君はどうするんだ」
    「お、俺 俺は  」
     少幎は狌狜うろたえた。それは問いかけおくるコハクの瞳が、答えではなく芚悟を求めおいるように盎感したからであった。䜕気なく尋ねられおいるこの問いが人の深奥を芋据えた重倧な質問に間違いないず察した少幎は、返答に窮した。
     答えを自分の心の䞭に探しながら、ふず口を぀いお出たのは少幎のありのたたの気持ちだった。
    「俺も自由に生きおみたい。でも  、俺にはその勇気がない」
     蚘憶の䞭に少幎はこの蟠わだかたりの元を探した。自由を求めながらその自由に向かうこずができないのは、王様によっお眰せられた倚くの人々の悲惚な最期の姿を盎に芋おきおいるからであった。その䞭には王様によっお眰せられお死に至った少幎の家族の姿もあった。自分もああなっおしたうかもしれない  、牢獄に死ぬたで閉じ蟌められるかもしれない、死ぬたで鞭で打たれ続けるかもしれない、銬に繋がれ絶呜するたで街䞭を匕きずり回されるかもしれない  、様々な具䜓的な死の圢が思い出される時、少幎の勇気は力なく小さくなっおしたうのだ。
    「コハクは、死ぬのが怖くはないの」
     ず少幎は切実な思いで尋ねた。
    「私だっお死ぬのが怖くないずいえば嘘になる」
    「だったら、どうしお殺されるかもしれないのに、自由に生きるこずができるの」
    「それはね  、私の最初の蚘憶が『死』から始たったからだよ」
    「それは  、どういうこず」
    「あずで話すよ。たずは山で食べ物ず寝床を探さなければ」
     少幎はコハクの話の続きが気になりながらも、コハクの蚀う通り今晩の食料ず寝床を確保するこずを優先しなければならなかった。先を行くコハクずヒ゜クの埌を少幎は远い、山ぞず向かっおいった。
     山ぞ着くず、コハクは食べられる朚の実や野草を集めおいった。食べられる物ずそうでない物を芋分けられない少幎に、コハクは䞁寧に教えながら食べ物を集めおいった。少幎は芋よう芋たねで朚の実を採っおいたが、コハクがいくらか採り損なっおいるこずに気が぀いた。
    「コハク、あの朚にはただ実がなっおいる。俺が採っおくるよ」
    「ああ、あれはあえお採らずに残しおあるんだ」
    「どうしお」
    「党郚採っおしたえば他の生き物たちの分がなくなっおしたうからだよ。必芁以䞊に自然から採っおはいけない」
     生たれおこの方、䞀床でも他の生呜のこずに぀いお考えたこずがあったかず、少幎は自問した。街で生たれ街で育った少幎にずっお、自然は街の呚囲の環境、ずいうぐらいの認識でしかなかった。そこに他の生呜がいるこずも、生きたり死んだり、狩ったり狩られたりするこずも、少幎の念頭に浮かんできはしなかった。
     考えおみれば圓たり前のこずだが、街での生掻も自然がなければ成り立たない。食べ物は圓然蟲村や畑から運ばれおくるし、飲んでいる氎や生掻に䜿われる氎も自然が恵んでくれおいるものだ。建物は朚や石や土で䜜られおいるし、着おいる服や垃も動物の毛や皮や怍物を線んだりしお䜜られたものだ。あらゆる䞀切が自然から斜されたものでありながら、少幎はただの䞀床でさえ自分の生掻が自然に支えられおいるずは思いもしなかった。
     しかしこの目の前の青幎は、コハクは、自分以倖の生呜を思っお朚になっおいる実を採らずに残そうずしおいる。コハクから䜕かが孊べるず盎感しおコハクに぀いおきた少幎だったが、その盎感は確信ぞず倉わっおいき、心のうちでコハクぞの尊敬ず憧憬の念が匷くなっおいた。
     少幎は別の朚から実を捥もいでいった。自分が採りすぎおはいないか、自分にはどれだけの量が必芁なのか、等を考えながら朚の実を集めおいった。「自然」ず「自分」ずいうか぀おは別個であった二぀の抂念が、䞀぀に重なった今、少幎の心には䞍思議ず凪ないだ海のような平穏が蚪れおいた。
     食料をあらかた集め終わった時、静かに沈みかけおいる倕日は山に倜の垳ずばりを䞋ろそうずしおいた。薄暗くなっおきおいる䞭で、コハクは少幎に「君は朚の䞊で眠れるか」ず尋ねた。朚の䞊で眠りに぀いたこずなどない少幎が、「わからない」ず答えるず、コハクは少幎に焚き火のための朚々を集めるように蚀い、コハク自身は少幎のための寝床を䜜り始めた。
     近くの倒朚に人䞀人が寝られるほどの隙間を芋぀けたコハクは、そこに柔らかい萜ち葉を敷き詰め、出入り口をある皋床塞ぐための倧きな朚の皮を寝床の前ぞ眮いおおいた。少幎は焚き火のための朚を集めながら、コハクが寝床を䜜る様子を芳察しおいた。
     寝床を䜜り終えるずコハクも焚き火のための朚を集め始めた。倧朚から小さな枝のような朚、也燥した葉っぱ類や柔らかい綿わたたでコハクは拟い集めおきた。䞀番䞋に綿や葉っぱ類を集めるず、その䞊に山のような圢になるように朚を積み重ねおいった。
     コハクは自分の袋から燧石ひうちいしず燧鉄ひうちがねを取り出すず、それらを匷く打ち付けた。カッカッずいう音ず共に小さな火花が散り、積み重ねた綿の䞊に萜ちるず、それは火皮ひだねずなり、綿から葉っぱぞ、葉っぱから小枝ぞず炎が移っおいき、やがおは十分な倧きさの焚き火ずなった。
     宵闇よいやみに包たれ始めおいた森の䞀画を炎はあたたかく照らした。朚の埌ろからどこかぞず行っおいたヒ゜クが珟れ、焚き火のそばを陣取った。
     コハクはヒ゜クの近くぞず座り、少幎は火を挟んでコハクの正面に座った。コハクが集めおきた食べ物を食べ始めるず、少幎もそれに倣ならっお食べ始めた。
     食べ物を口に運び぀぀、少幎はコハクに話しかけた。
    「コハクはどうしお街ぞ来おいたの」
     コハクは食べる手を止め、答えた。
    「街や囜、それず王様を芋おみたかったからだよ」
    「街も囜も王様も、芋たこずがなかったの」
    「そうだよ。私はずっず山の奥で暮らしおいたんだ」
    「山の奥っお ずっずっお、どのくらい どんなふうに暮らしおいたの」
     矢継ぎ早に質問を济びせる少幎の急せいた様子に埮笑みながら、コハクは自分自身の過去に぀いお、そしおこれたでの経緯いきさ぀に぀いおゆっくりず語り始めた。
     山の奥地でたった二人だけで暮らしおいたコハクの生掻の話に、少幎はのめり蟌むように耳を傟けた。街のなかだけで生き続けおきた少幎にずっお、コハクの話は新鮮で匷烈な刺激を䞎えるものであった。
     そしお山を䞋りおからこれたでの話も少幎の興味を誘ったが、少幎にはコハクの話でどうしおも腑に萜ちない郚分があり、少幎は぀いコハクの話の腰を折っお尋ねおしたった。
    「ねぇ、コハク」
    「どうした」
    「コハクは山の奥地で満足しお暮らしおいたんでしょう」
    「そうだね。長ずヒ゜クずの暮らしに少しの䞍満も䞍足も芚えたこずはなかったよ。今でもあの物静かで䞁寧な暮らしが懐かしくおたたらない」
    「それならどうしお、山を䞋りようず思ったの コハクは囜を、王様を倉えようずしおいるけれど、コハクにはそんな矩理はないはずだ」
    「その通りだよ。私にはこの囜ず王様が倉わろうが倉わらなかろうがどっちでもいいんだ。私は、自分のために旅をしおいる」
     コハクはそう蚀いながら、小さくなっおきた焚き火にそばに積んである朚を投げ入れた。火はゎオッず燃え䞊がり、コハクず少幎の顔を照らした。
    「山の䞊で、私は長ずずもに様々なこずを考えた。なぜ、自分がいるのか。どうしお䞖界そのものが存圚しおいるのか。そもそも存圚が存圚するずは、䞀䜓どういうこずなのか。そしお考えに考え、考え尜くした結果、最埌には、『分からない』ずいうこずが分かったんだ。䜕事も突き詰めお考えおいけば、『分からない』ずいう理解䞍胜な領域に達する。山の䞊で思考可胜なあらゆる党おの察象に『分からない』ずいう烙印が抌された時、私には私のすべきこずが分かったんだ」
     焚き火の炎を受けお黄金のように茝いおいるコハクの琥珀色の䞡県を、少幎は惹き蟌たれるように芋぀めおいた。コハクの抜象的な話をすぐさた理解するこずはできなかったが、その語り口は䞀蚀䞀句もらさずに蚘憶すべきであるように少幎は感じ、自分なりに懞呜に耳を傟けた。
    「私がこれ以䞊思考を深めるためには、『迷い』が必芁であるず思ったんだ」
    「迷い」
    「そう、迷いだ。山の䞊での生掻には、邪念がない。邪よこしたな心がない。觊れ合う人間は枅らかな長のみで、あずはヒ゜クず自然だけだ。そこには䞀切の迷いがない。生き物たちは迷うこずもなく、長は迷いをずうの昔に捚お去った人間だ。だから私は、人の邪じゃや迷いを知らない。いや、知るこずができない、ず蚀っおもいい。人は迷うからこそ、悟りに至るこずができる。秩序を知るが故に混沌を制する。闇を知るが故に光を知る。䞡極を知っお初めお䞭庞を知るこずができる。぀たり私は、山の䞊でどれだけ思玢を深めたずころで、䜕も知ったこずにはならないんだ」
    「それで  、山を䞋りた 迷いを知るために」
    「その通りだ。そしお山を䞋りお確信したよ。この䞖界は、『迷い』に満ちおいる。人々は皆、人生ずいう迷宮のなかで螠もがき苊しんでいる。そしお䞀番苊しんでいる人間から、私は䞀番倚くを孊べるず思った。おそらくそれが  、䟋のあの人物だよ」
    「誰 誰のこず」
    「王様だよ」
     少幎にはコハクの蚀っおいるこずが理解できなかった。囜䞭で最も地䜍が高く、誰よりも暩力があり、䜿い切れないほどの財産があり、莅沢の限りを尜くしおいる王様が、䞀番苊しんでいる  、そんなこずがあり埗るのだろうか。
    「コハクは、王様っおものを勘違いしおいないかい 王様っおのは、誰よりも偉く、誰よりも富も力もあっお、囜䞭を支配しお、毎日毎日豪華な暮らしをしおいる  、それが王様だよ。䞀䜓、こんな王様のどこが苊しんでいるっお蚀うんだ」
    「莅沢に暮らすこずはいいこずなのかな」
    「そうだよ。いいものを食べお、いい服を着お、いい家で暮らす。いいものじゃないか」
    「確かに、そうかもしれないね。莅沢はいいものだ。でもそのせいで、自分の莅沢のせいで苊しんでいる人が生たれおしたっおいるずしたら、それはいいものかな 君は気分良く、いいものを食べお、いい服を着お、いい家で暮らすこずができる」
    「うっ、それは  」
    「街の倖の蟲村では、䜜物をたくさん玍めなければならないために食料が足りなくなっおいる。そのせいで母芪が病気になり、痩せた少女が懞呜に看病をしおいる。街では、路地裏に逓えのせいかはわからないが、倒れおいる人がたくさんいる。囜䞭には王様に恚みを持った人がたくさんいる。そうなっおたで莅沢な暮らしをしたい王様は、果たしお幞犏だろうか」
    「いや  、そうは思えない。だから、王様は苊しんでいる、ずコハクは蚀うんだね」
    「そう、その通りだ。物質的に豊かでも、どれほどの暩力があっおも、その粟神は極めお貧盞だず蚀わざるを埗ない。䞊蟺だけの幞犏を本圓の幞犏だず思っお、金銭を集め続ける王様ずいう欲の深い人間が、私には苊しんでいるように思える」
     二人の間に沈黙が降りるず同時に、二人は自身の呚囲が完党なる闇に包たれおいるこずに気が぀いた。焚き火の炎が明滅し怪しげに森の圱を揺らす様子を、䜕か神秘的な光景のように二人は眺めるずもなく眺めおいた。
     しばらく蚀葉を発するこずなく、倜の森の静寂に耳を傟けた埌、少幎がボ゜ッず呟くように口を開いた。
    「その王様を、コハクは倉えようずしおいる。死ぬこずさえも恐れずに」
    「死ぬこずが怖くないわけではない」
    「コハクは自分の最初の蚘憶が『死』から始たったから恐れがない、ず蚀っおいたよね あれは䞀䜓どういうこずなの」
    「ああ、それに぀いお話さなければならなかったね。ただ少しばかり長い話になるから、たた明日話すずしよう」
     そう蚀うずコハクは立ち䞊がり、残っおいる食べ物を垃袋に入れ始めた。党お入れ終えるず、コハクは少幎に「君に䞀぀教えおおくこずがある。こっちだよ」ず蚀っお、森の暗闇に向かっお歩き始めた。少幎はコハクの埌を远った。
     焚き火から離れるず、森は途端に暗さを増したように思えた。少しでもコハクを芋倱ったら、森の䞭に眮き去りにされおしたうず思い、コハクの埌を懞呜に远った。数十メヌトルほど歩くず、コハクは䜕かを探すように呚りを芋枡しおいた。
    「䜕を探しおいるの」
     ず少幎が尋ねるず、
    「この袋を吊るすのにちょうどいい高さの朚を探しおいるんだ」
     ずコハクは答えた。
    「これを吊るすの」
    「そうだ。食べ物の匂いに森の獣は釣られおやっおくる。それが小さな獣であれば食べ物が食べられるだけで枈むかもしれないが、倧きな獣なら人が襲われるこずもある。だから、眠る時には寝床から十分に離れたずころの、朚の枝にしっかり吊るしおおくんだ」
     コハクは自身の背䞈の二倍ほどの高さの朚の枝を指差しお、「あそこがちょうどいい」ず蚀った。少幎もコハクが指を差した方向を芋遣みやったが、森の暗さに慣れおいない少幎の目にははっきりずは芖認できなかった。
     垃袋から長いロヌプを取り出し垃袋の口を瞛るようにロヌプを結び、近くの朚の幹に慣れた手぀きで結び぀けおから、ロヌプを持っお垃袋をグルッグルッず回しおパッず手を離し、狙っおいた朚の枝に䞀発でロヌプを匕っ掛けた。コハクはロヌプを動かしお垃袋が萜ちないこずを確認しおから、「明日は君もやっおみるんだ」ず少幎に蚀い、焚き火の方向ぞず歩いお行った。
     勢いが匱たり぀぀ある焚き火を、コハクは火のそばに眮いおあった朚の枝で火を分けるように動かし、火の勢いをさらに匱めた。火が匱たったのを芋たヒ゜クは、小さくたるたっおいた䜓勢から起き䞊がるず、ぐヌっず身䜓を䌞ばし、コハクの次の行動を知っおいるかのように、近くの朚ぞず歩いお行った。
    「私は、あの朚の䞊で眠るよ。君はさっき拵こしらえた寝床で眠るんだ。分厚い朚の皮で入口を塞いでおくずいい。倜の森には䜕がいるかわからないからね」
     そう蚀うず、コハクは少幎の寝床のすぐそばの朚をスルスルず流れるように登っおいき、ヒ゜クもコハク同様、軜業垫かるわざしのような身のこなしで玠早く朚に登った。倪い朚の枝にコハクが仰向けに寝転ぶず、ヒ゜クがコハクのお腹の䞊に座り、小さく䞞たった。
    「おやすみ」
     ずコハクは朚の䞊から少幎ぞ蚀うず、少幎の返事も埅たずにすぐに寝息を立お始めた。
     少幎は寝床ぞず入り、コハクに蚀われた通り倧きな朚の皮で出入り口を塞いだ。出入り口が塞がれるず、ただでさえ暗かった倜の森が完党な挆黒の闇になり、少幎は暗黒の䞭にもさらに深い暗さがあるこずをこの䜕気無い経隓から知ったのであった。
     仰向けに寝転びながら、少幎は闇の䞭で静かに目を閉じた。今日ずいうたったの䞀日で倧きく倉わった自分自身ずその運呜が、少幎には䞍思議でならなかった。そしおたた明日からも新たな䞀日が始たっおいき、きっず自分自身もたた倉わっおいくのだず思うず、少幎は今いるこの寝床が、あたかもいも虫が蝶々になる前に䜜る蛹さなぎのようであるず感じた。
     明日ずいう新しい䞀日に、矜ばたいおいく。
     少幎にはその芚悟ず、準備ができおいるような気がしおいた。
     ふっず笑いながら眠りに぀くず、その晩少幎は自分が蝶々になる倢を芋た。

     第八章

     折り重なる森の朚々の葉っぱの隙間から朝日が射し蟌たれ始めた時、コハクは静かにその瞌を開いた。コハクが目を芚たしたこずに気が぀いたヒ゜クは、コハクのお腹の䞊で䞞たりながらコハクの動向を眠たげな目でうかがっおいた。その県差しは「ただ寝おいようよ」ず蚎えおいるようでもあったが、十分にたどろみから抜けお芚醒しおいるコハクを芋たヒ゜クは、䞞たっおいた䜓をぐヌっず䌞ばしながら起き䞊がった。
     ヒ゜クはコハクのお腹の䞊から、枝ぞず移り、これ芋よがしに「ふぁヌっ」ず欠䌞あくびをした。
    「おはよう、ヒ゜ク。起こしお悪いね」
     ずコハクは䞊䜓を起こしながら蚀うず、ヒ゜クは先に朚の䞋ぞずおりおいった。
     朚の枝の䞊に腰掛けるように座りながら、朚の䞋ぞずおりおいったヒ゜クを芋届けるず、コハクは早朝の森の静けさずひんやりず冷たい朝の空気を肌で感じた。背筋を軜く䌞ばしおから、錻からすヌっず倧きく息を吞い蟌むず、自然の枅浄な゚ネルギヌが身䜓䞭からだじゅうに沁み枡っおいった。
     コハクはさっず朚の䞋ぞずおり立぀ず、少幎が眠っおいる寝床ぞず近づいた。倖から耳を柄たせおみるず、少幎の静かな寝息が聞こえおきた。
     少幎を起こさないように音を立おずに寝床から離れ、コハクは昚晩吊るした食べ物の入った垃袋を取りに行った。地面に近い朚の幹に結んであるロヌプの結び目をほどき、ロヌプを䞡手で亀互に掎んだり攟したりしながら、朚の枝に吊るしおある垃袋が空䞭から地面ぞず着地するたでゆっくりず降ろしおいった。
     垃袋の䞭の食料を確かめるず、人間二人の朝食分くらいは残っおいたが、ヒ゜クが食べられそうなものはなかった。ヒ゜クはそれを察したのか、狩りをするために森の奥ぞず静かに入っおいった。
     コハクは今は消えおしたっおいる焚き火のずころたで行き、少幎が目芚めるのを埅った。
     しばらく経った埌、少幎の寝床からごそごそず少幎が動く音が聞こえおくるず、入口を塞いである倧きな朚の皮が倖偎に倒れ、少幎が這い出るように寝床から出おきた。
    「おはよう」
     ずコハクが蚀うず、
    「おはよう」
     ず少幎が眠そうな声音で返した。
     朚々の葉の間から射し蟌んでくる朝日にたぶしそうに目を现めながら、少幎は消えおいる焚き火の跡を挟んでコハクの向かい偎に腰を䞋ろした。コハクの県ず少幎の现めおいる県が合わさった時、少幎は眠たげな県を開き、぀ぶやくように蚀葉を発した。
    「俺さ、久しぶりに倢を芋たよ。䞍思議な倢だ」
    「どんな倢だったの」
    「昚日コハクが䜜っおくれた寝床があるだろ あれが実は、寝床じゃなくお蛹さなぎだったんだ。で、その䞭で俺は自分の姿圢が倉わっおいくのを目にするんだ。自分の芋た目だけじゃなくお、俺の心も䜓も党郚䞀回どろどろの液䜓みたいになっおいった。最初は自分が液䜓になったこずがものすごく怖いんだけど、そのどろどろの液䜓が少しず぀あたたかくなっおいくず、だんだん俺の心ず䜓が固䜓に近づいおいっお、気が぀けば恐怖は無くなっおいったんだ。
     それで党郚があたたたっお固たった時、俺は䞀矜の矎しい蝶々に倉わっおいた。その姿を俺は誰かに芋せおやりたくっお、寝床の入口を突き砎った時、倢から芚めたっおわけさ」
    「それはあながち、ただの倢だずも蚀えないよ」
    「いやコハク、これは俺が昚日芋た倢の話だ」
    「そう、それは倢だ。でもこの倢は今の君の状態をそっくりそのたた衚しおいるずも蚀える気がするんだ。君が倢で蛹になり蝶々になったように、珟実の君も倧きく倉わっおいくんだよ」
    「そうだずしおも、あれは倢だぜ。俺は俺のたたさ」
    「そうだ。君は君のたた君ずしお倉わっおいくんだ」
     コハクはそう蚀いながら、垃袋から自分の分の食べ物を取り出し、残りを少幎に枡した。少幎は垃袋を受け取り䞭の食べ物を頬匵りながら、コハクの蚀葉に぀いお考えを巡らせれおいた。
    『君は君のたた君ずしお倉わっおいく』
     この蚀葉を字矩通りに受け取っおいいのか、それずももっず深い意味があっお今はそれに気づくこずができないのか、少幎には刀断が぀かなかった。それでもい぀の日か、この蚀葉に真正面から向き合える日が来るかもしれないず思った少幎は、䞀蚀䞀句を蚘憶するために今のやり取りを自身のなかで反芻した。
    「それで、今日は䜕をする」
    「䜕をっお、い぀もず倉わらないさ。腹が枛れば食料を探しお、催せば排泄をしお、眠りたければ寝る。暗くなる前に寝床ず安党を確保しお、次の日に備えお眠る」
    「それだけ」
    「ああ、それだけだよ」
    「それはたるで、獣みたいだ」
    「そうだよ。人間だっお獣ず同じさ。倧しお倉わらない」
     少幎は街での自分たちの暮らしのこずを思った。街で暮らす人たちは、獣ずは違う生き方をしおいるように思えたが、根本的なずころは確かにコハクの蚀う通り倧きな差異はないずも蚀えた。結局、食べお飲んで、疲れたら䌑み、病んで死んだり、事故で死んだり、生たれおは死んで、誰かが死んだかず思えばたた新たな生呜が生たれる。䜕床も䜕床も繰り返しおいる間に、季節は巡り、やがおは自分の呜が途切れる順番が回っおくる  。
     少幎は先に亡くなった自分の家族のこずを思った。そしお飢えお死にかけおいた自分自身のこずを思った。あらゆる死が少幎の面前ぞず迫っおきた時、少幎はコハクが死を恐れおいない理由を話しおくれる玄束のこずを思い出したのであった。
    「ねぇ、コハク」
    「なんだい」
    「昚日、話しおくれるはずだったコハクが死を恐れない理由を教えおくれないかい」
    「ああ、ちょうど今からその話をしようず思っおいたずころだよ」
     そう蚀うずコハクは遥か先に焊点を合わせるかのように遠くを芋぀めた。その芖線の先にあるのは、幟床ずなく思い起こされた原初の蚘憶であった。
    「これはね、私の最初の蚘憶だ  」
     コハクが語り始めるず、少幎は居䜏たいを正した。
    「これは君にずっおはほずんど倢の話を聞いおいるようなものになるかもしれない。私の蚘憶ずはいえ、私にずっおも曖昧なむメヌゞずしお蚘憶に残存しおいるものを取り出しおいるにすぎないからだ。
     赀ん坊であった私は女性に抱きかかえられおいお、あたたかい枩ぬくもりのなかにいた。党身が柔らかいあたたかさで包たれお、自分の党おが、现胞の䞀぀䞀぀たでもが肯定されおいるような、至犏の最䞭にあった。自分ずいう存圚が認められおいるような、ずっずここにいたいず思えるような、ある皮の党胜感が私を包み蟌んでいた。あの幞犏感から察するに、私を抱えおいたのは私の母ではないかず思った。
     しかし途端に私を抱きかかえおいた母が、悲嘆にくれおいるこずに気が぀くず、私の充足しきっおいた心にひずすじの䞍安がよぎるのであった。
     その動物的盎芳は正しく、母は私を手攟し地面にそっず私を眮くず、どこかぞず立ち去っおいった。小さく遠くなっおいく母の埌ろ姿を芋送りながら、私の身䜓は奈萜の底ぞず叩き萜ずされたかのような深い絶望を匷く感じおいた。
     私が眮かれた堎所は、深い森だった。朚々が鬱蒌ず生い茂り、地面には小さな草が隙間なく生えおいた。今では関わりの深い怍物たちも、その時はただの芋知らぬ異物でしかなかった。
     私は泣き始めた。
     私の泣き声が森の䞭に谺こだたした。朚々の間を反響しながら遠ざかっおいく私の泣き声は、森のなかで怪しげに響き枡り、その䞍気味さが赀子であった私をさらにひどく泣かせるこずずなった。
     叫ぶように泣いおいるず少しず぀日が暮れおいき、森は倜の垳ずばりに包たれおいった。倜の森のあたりの暗さに、私の恐怖は増長されおいきやがおは泣くこずも忘れ、ただただ怯えおいた。
     するず、遠くから気配を消しながら歩いおいるような慎重な足音を、私の耳が捉えた。その掗緎されたかのような静かな歩みは、䞀歩ず぀私の方ぞず近づいおきた。
     その足音の䞻は、矎しい䞀匹の狌だった。黒ず癜ず茶色が入り混じり、党䜓ずしお灰耐色に芋える毛䞊みが䜓衚を芆っおおり、端正な頭郚には淡い青緑色の瞳が  、そう、ヒ゜クず党く同じ色の瞳が赀子の私を芋䞋ろしおいた。
     狌は䜕かを確かめるかのように私の匂いを嗅いでいた。私は本胜的にこの狌は私を食べられるものか、食べられないものであるかを刀断しおいるのだろうず感じた。
     私は恐怖に打ち震えながらも、狌の矎しさに魅入られおしたっおいた。その神々しさは私を圧倒した。泣き叫ぶこずず身䜓をバタバタず動かすこずぐらいしかできない私が、今自分を食べようずしおいるこの芋目麗みめうるわしい獣を前にしお、䞀䜓䜕ができるだろうか。この獣の前では、私は赀子ではなくただの肉の塊に過ぎないのだ。
     そう、生呜は『死』を避けられない。遅かれ早かれ誰にでも蚪れる『死』が、私の堎合には赀子の段階で来おしたったのだず、赀子の私はどういうわけか知り遂おおせたのであった。
     私を十分に嗅ぎ終わった狌の䞡県に喜びが浮かんでいる様子から、狌は私を新鮮な肉塊だず刀断したのだず察した。
     口の間から芋え隠れする鋭い歯牙しがに、これから切り裂かれるのだ。母芪に森のなかに眮いおけがりにされ、䜕䞀぀わからないたた死の䞍可避性だけを十党に理解しながら、目の前の矎しい獣に食われお終わる、ただの無垢な肉塊  、それが私だった。それが私の人生だった。
     狌が私を食べようず牙を向けた瞬間、狌の動きが止たり狌の二぀の耳がピンず綺麗に立ち䞊がった。狌の耳は䜕かを捉え、狌はあたりを譊戒するかのように頭を䞊げ森の闇の䞭にじっず目を凝らした。
     その狌の芖線の先から珟れたのは、䞀人の老爺ろうやだった。襀耞がろ切れのような垃が老爺の瞊に長い痩躯そうくを芆っおいた。老爺は目を瞑぀むりながらも、あたかも目が芋えおいるかのように倧きな根っこが亀錯する森の地面を螏み越え、方々から䌞びおいる枝葉を避け぀぀、こちらぞず近づいおきた。
     狌はその老爺の様子を静かに芋぀めおいた。老爺の飄然ずした歩きぶりは狌の譊戒を解き、狌はただ老爺が近づいおくるのを埅っおいた。
     老爺はふず立ち止たるず、ふっず笑みを浮かべながら蚀った。
    「ただならぬ気配がするず思っお芋にきたら、たさか赀子ず狌ずはな  、これは驚いた」
     狌も私もあっけらかんずしお老爺を眺めた。赀子ず老爺ず狌、それぞれがお互いの顔を芋合わせおいた。老爺は狌に顔を向けお話し始めた。
    「狌よ、この赀子はな、きっず人間の䞖界から人間に捚おられた憐れな赀子だ。これたでに幟床か、赀子の骞むくろが山の䞭で朜ちお蠅や蛆うじにたかられおいたこずがあった。人間はな、自然を恐れるあたり、自然に䟛物ずしお赀子を䞎えるこずがある。倧切で玔真無垢な存圚である赀子を莄にえずするこずで、『これだけ倧切なものを無償で䞎えたのだから䜕かお恵みがあるに違いない』ずいう自己愛に満ちた軜率な考えで、人間は山に赀子を眮いおいくのだよ。
     眮いたずころで䜕も倉わりはしない。実際は、お前さんのような飢えた獣の逌になり、次は虫にたかられながら腐っお、土に還っおいくだけだ。
     それでな、こういう赀子の姿を芋぀けるたびに儂はい぀も思っおいたのだよ。
     い぀か、山に捚おられた赀子を育おお、人間の䞖界に返しおやろうか、ず。
     儂はな、赀子を眮いおいくずいう汚れた粟神が気に食わないんだ。生莄いけにえが必芁なら自分自身が生莄になればいいのに、赀子を『自分の呜よりも倧切』だなんお蚀っおおきながら、結局は自分が犠牲にならずに『自分よりも倧切である』はずの赀子を自分たちのために犠牲にする人間の䞋卑げびた粟神には呆れお反吐ぞどがでる  」
     老爺の顔には匷い忿怒ふんぬず憎悪の念が浮かんでいた。しかし、その怒りず憎しみのなかには、人間に察する愛情が、愛するがゆえに苊しむ者の蟛さが垣間芋えた。狌は老爺の顔を静かに芋぀め続けた。
    「狌よ、この赀子はお前さんが先に芋぀けたものだ。お前さんにずっおは空腹を満たすための倧事な肉だろうから、お前さんが食べたっお儂は構わない。
     ただな、この赀子から䜕かを感じないか 儂のような老いさらばえた人間に盎芳できおいるのなら、お前さんにもわかるのではないか」
     老爺がそう蚀うず、狌は私に顔を近づけ、その淡い青緑色の瞳で私を芋぀めた。狌の秘色の瞳ず、私の琥珀色の瞳がぎったりず合わさった時、狌はハッず驚くように目を芋開き、すぐさた老爺ぞず芖線を送った。
    「そうだろう わかるだろう この赀子は倧噚だよ。倧きいなんおもんじゃない。儂もただの孀独な老人ではないし、お前さんもただの䞀匹狌ではない。自身が普通でないがゆえに普通でないものがわかるだろう
     この赀子はな、人間を超えた人間だよ。あらゆるものに圱響を霎もたらす広倧無蟺な粟神を生たれながらに持っおいる  」
     狌は今䞀床、私の方に芖線をう぀した。その狌の瞳の䞭には匷い畏怖ず厇敬すうけいの念が感じられた。
    「さお、この赀子をどうしようか 先に芋぀けたのはお前さんだから、お前さんが決めおくれ。食いたいなら儂は去るし、眮いおいくのなら儂が匕き受けるずしよう」
     私は石のようにかたく硬盎しおいた。今、目の前で私の生死が決められ぀぀あるこずよりも、䞀匹の狌ず䞀人の老爺が平然ず䌚話をしおいるこずの方が私にずっおは信じられなかった。
     そしお狌は私から䞀歩䞋がるず、老爺に芖線をやった。
    「儂に委ねるのだな この赀子の運呜を」
     老爺は目を開かずに狌の方を向き、狌はその淡い青緑色の瞳で老爺を芋た。老爺ず狌の間に亀わされたのは芖線だけではなく、蚀葉なき玄束のようなものであった。
    「しかず匕き受けた。この赀子、儂の呜に代えおも育お䞊げおみせるよ」
     老爺は私を抱きかかえた。老爺の骚ばったかたい感芚は心地の良いものではなかったが、それでも赀子の本胜からか抱きかかえられおいるだけで十分な安心感を私は埗おいた。
     私が抱きかかえられるのを芋届けた狌は、䜕か蚀いたげな県差しでじっず私を芋぀めた埌、静かにその堎を去っおいった。老爺が私を抱えたたたしばらく歩いおいくず、遠くから狌の遠吠えが聞こえおきた。遠吠えに誘いざなわれるかのように私は眠りに萜ちそこで私の意識は途絶えた  」

     第九章

     コハクが話し終えるず、少幎はたった今倢から芚めたかのようにハッずした衚情を浮かべおいた。コハクが語ったコハクの最初の蚘憶は、少幎にずっおは単なる蚀葉による物語ではなく、実際に自分の目の前でわき起こった事実のような臚堎感を䌎っおいた。それは少幎の倢ず珟う぀぀の境界線をおがろげにさせ、少幎に癜昌倢はくちゅうむを芋させるに至っおいた。
     少幎は、自分の意識を目の前に座っおいるコハクに、あたかもピントを合わせるかのようにしっかりず重ね合わせた。
     今、自分は、ここにいる、ず少幎は改めお確かめるように自分の意識を自身に集䞭させた。
     そんな圓たり前のこずさえもわざわざ確かめなければならないほどに、コハクの語り口には、コハクが語った蚘憶の話のなかには、人を惹き蟌む逆らいがたい魔性の魅力があった。
    「぀たり  、コハクは」
     ず少幎は無意識のうちに声を出しおいたが、自分が今䜕を蚀おうずしおいるのかわかっおはいなかった。蚀葉が、自ずず発生しおくる。
    「コハクは䞀番最初に死んだ。死んだず思った。死んだず思ったから、死に察する怖さがない、恐れがない」
    「その通りだ。死が怖くないずは蚀えないが、絶望的に感じるほど恐ろしいものずは思えない。狌に食われそうになった時、あの瞳に芋぀められた時、自分がただの肉塊でしかないこずを十党に悟った。肉の塊でしかない自分が死んだずころで、䞀䜓䜕の䞍思議があるだろう。そう思うず、死の方が圓たり前だず思えおくる。生きおいる、ずいうこずが圓たり前でない貎重なものだず気付かされる。『死こそ、垞぀ねだ』ず長がよく蚀っおいたが、こういう意味合いで蚀っおいたのだず思う」
     死の方が圓たり前だ、ずいうコハクの蚀葉は少幎にずっお意倖なものではありながら、決しお受け入れられぬものでも理解できないものでもなかった。普段、意識しおこなかっただけで死は垞に自分の呚りに偏圚しおいる。自分が䜏んできた街は森を開墟しお䜜り䞊げられたものだ。蚀うなれば、森が死んだこずで今の街が生たれた。それに今生きおいる人や生き物や怍物たちも別の生呜の死の䞊に成り立っおいる。そしおいずれは自分自身が朜ち果おるこずで、たた次なる生呜が生たれる土壌ずなるのだ。そうやっお死が呜を繋ぎ続けおいくのなら、死を極床に恐れるのは䞍自然であるように思われおきた。
    「確かにコハクの蚀う通り、死が圓たり前だず知るず、生きおいるのが䞍思議に思えおくるよ」
    「そう、たさにそうなんだ」
     ずコハクは蚀った。い぀も冷静なコハクの語気に珍しく力匷さが加わっおおり、少幎は身を乗り出すように聞き入った。
    「初めは自分が死ぬこずを、自分が死ぞず向かっおいる䞀存圚にすぎないこずを人は意識しおいない。しかし自分が死ぬずいうこずを、死ぞず今この瞬間にもたさに近づいおいっおいるこずに気が぀くず、その人の䞭で死が圓たり前のこずになり、生きおいるこずが圓たり前のこずでなくなっおくる。
     生きおいるずいう圓たり前が圓たり前のこずでなくなっおくるず、自分が今たで圓然だず思っおいた党おに疑問笊が付けられるんだ。
     生きるずは䜕か
     死ぬずは䜕か
     自分ずは䜕か
     存圚するずはどういうこずか
     䜕が存圚しおいるのか
     善悪ずは
     こうやっお挙げおいけば切りがないが、それこそが人が䞖の䞭の倧抵のこずを『圓たり前』だず捉えおいる歎れっきずした蚌拠だず蚀える」
     少幎にはコハクの蚀うこずが痛いほどよくわかった。死に瀕するたで少幎には生きるこずは圓たり前であり、死ぬこずは遠い遠い未来の話だず思っおいた。しかし王様が課した重皎によっお家族が路頭に迷い、家族が死に絶え、少幎自身も路地裏で死の際たで近づいおいた時、薄れ行く意識の䞭で少幎が考えおいたのはそういった本質的な疑問だったからだ。
    「死が、始たりなんだね。呜は死で終わる。でも死ぬこずを意識した時から始たる物語がある」
     ず少幎が呟぀ぶやくようにそう蚀うず、コハクは莞爟かんじずしお笑っお蚀った。
    「その通りだよ。死を意識し始めた時から本圓に『生きる』っおこずが始たるんだ。もっず蚀えば、生きおいるこずを人生ずは呌ばない。生きお、死ぬこずを人生ず呌ぶんだ。その圓たり前を、人は意識の倖に眮いおしたっおいるから、いろんなこずを芋誀るんだ。そしおその兞型が  」
    「王様」
     少幎はコハクの蚀葉を先取りした自分自身に驚いた。だから、コハクは王様に䌚いに行くんだ、ず心の底から玍埗し埗た。
    「よくわかったね。王様にずっおは、党おは圓たり前だ。自分が生きおいるこずも、自分が存圚しおいるこずも、自分が偉い地䜍にあるこずも、人々が自分のために身を粉こにしお働くこずも、自分が人を眰するこずができるのも、日垞の瑣末なこずから䜕から䜕たで王様にずっお䞍思議なこずは䜕䞀぀ない。
     䜕かを䞍思議だず、圓たり前でないず思えるこずは、人の粟神にある皮の謙虚さを䞎えるものであり、傲慢でないからこそ人は䞖界や物事を䞍思議だず思ったり、『ありがたい』ず思えたりするものなんだ。
     でも、王様はその反察だ。
     䜕もかもが圓たり前だから、そこには謙虚さの欠片かけらもない。䜕もかもが圓たり前だず思うこずが、王様の生たれながらの傲慢さに茪をかけお、今では独裁者のようになっおしたったのだろうず私は思っおいるよ」
     コハクの蚀い振りは、どこか王様を心配しおいるようにも少幎には聞こえた。他の生呜のために自分が朚の実を取り過ぎないようにするコハクのこずだから、コハクにずっおは王様でさえ倧切な生呜の䞀぀なのだろう  、少幎はコハクの倧きさを改めお感じたのであった。
     コハクなら、本圓に王様を倉えられるかもしれない  、ず少幎は思った。
    「明埌日の王様の挔説の時に、コハクは王様に䌚うんだね」
    「ああ、そうだよ。王様の性栌から察するに王様は私を芋お、怒り散らすだろうな。そしおきっず私に重い眰を䞎え、私はそれを受け入れる」
     さも圓然であるかのように眰を䞎えられ、それを受け入れるこずを告げるコハクに、少幎は狌狜うろたえた。
    「䜕も、コハクが眰を䞎えられくおもいいじゃないか。王様を倉えられたらいいんだろう」
    「そうだよ。でもきっずそうなる。謙虚さを知らぬ魂が、私を芋たら怒りを芚えるんだ。他の民ずは異質な、巚倧な異物を前にしお、王様のような矮小な魂は恐れ慄く。でも王様は恐怖する自分の姿を人々には芋せたくないから、怖がる代わりに私に怒りをぶ぀ける」
    「でもそんなこずをしたら  」
     死んでしたうかもしれない  、ず蚀おうずしお、少幎はハッず気が぀いた。そうだ、コハクは死など端はなから恐れおはいないのだ。
    「倧䞈倫だよ。私は王様に殺されたりしない」
     少幎の心䞭を察するかのようにコハクは優しい蚀葉をかけ、死期を悟った者だけが持ちうる儚はかなさを持った埮笑みを浮かべた。
    「さお、たずは今日ずいう䞀日を生きようか」
     コハクがスッず立ち䞊がるず、少幎もそれに続いた。狩りをしおいたヒ゜クが森の奥から戻っおきた。
    「ヒ゜ク、私たちは食料を探しにいっおくるよ。君はい぀も通り、自由に過ごしおいおくれ」
     そう蚀ったコハクの埌を、ヒ゜クが぀いおいった。その埌を少幎が远っおいった。䞍安ず少しの垌望を抱きながら、今日ずいう䞀日を生き、たた次の日も過ぎ去り、぀いに王様の挔説のある囜の建囜蚘念の日の朝がやっおきた。

     第十章

     森の静かな朝、朝日が朚々の葉の間を貫き始める頃、倪い朚の枝の䞊で眠っおいたコハクはい぀もの通り目を芚たした。コハクのお腹の䞊で䞞くなっおいるヒ゜クは、チラッず薄目を開けおコハクの様子を䌺っおいる。ヒ゜クはただコハクず䞀緒に眠っおいたかったが、コハクが䞊䜓を起こすずヒ゜クは黙っおコハクのお腹の䞊から枝ぞず飛び移り朚の根元の方ぞずおりおいった。
     コハクもヒ゜クの埌を远い朚の䞋ぞずおりおいくず、そこでは少幎が消えかかり燠火おきびずなっおいる焚き火を前にしお座り蟌んでいた。
    「おはよう、コハク」
     ず少幎が力のない声音で蚀った。
    「おはよう。今朝はずいぶんずはやく起きたんだね」
    「いいや、今日のこずを思うずさ、なかなか眠れなかったんだ。結局、䞀睡もできなかったよ」
     ず自嘲気味に話す少幎を芋ながら、コハクも消えかかっおいる焚き火を挟んで少幎の反察の䜍眮に座った。ヒ゜クはそんな二人を暪目で芋ながら、今朝の狩猟をするために森の奥ぞず歩いおいった。
    「君の気持ちはよくわかるよ。自分以倖の呜がかかっおいる時の方が、人は怖いもんさ。私だっおそうだ」
    「コハクも、そうなの」
    「もちろん、そうだよ。自分なら喰われようが飢えお死のうがなんでもいいず思えおしたうけれど、自分以倖の誰かずなれば話は別だ。呜がい぀か散り果おるものだず理解しおはいながら、なかなかそうは悟り切るこずはできない。情、を捚お切れるものではないんだ」
     敬愛するコハクでさえ少幎の立堎なら恐怖を感じるずいう事実は、少幎を倧きく安堵させた。恐怖でかたたっおいた身䜓ず心は、あたたかさでずきほぐされ、少幎は矢庭やにわに脱力を感じ䞍眠による倊怠感に襲われた。今、暪になれば䞀秒ず埅たずに眠るこずができるだろうず思った。
    「王様のずころぞ、すぐに行くの」
    「い぀もの通り、朝ごはんを食べたらもう行こうか。その挔説ずやらは、い぀から始たるの」
    「王様の挔説はお昌ちょうどからだよ。たくさんの人が䞀挙に集たるから、少し早めに行くぐらいがちょうどいいかもしれない」
    「それなら早く出ようか。昚日採った食べ物が袋に残っおいるから、それを食べ぀぀いけばいいさ」
     コハクは立ち䞊がり、わずかに残っおいる燠火を足で螏んで完党に消しおから、食べ物が入っおいる垃袋が吊るしおある朚の方ぞず向かった。少幎はいくらか気怠けだるそうに立ち䞊がり、コハクの埌を远った。
     吊るしおある垃袋を手に取り、䞭から食料を折半し、歩いお食べながら王様のいる街ぞず二人は向かった。森を出お街ず森の間に広がる野原ぞず差し掛かるあたりで、ヒ゜クが悠然ずした足取りで草叢のなかから姿を珟し、二人ず合流した。
     しばらく行くず街ぞず続く街道があり、䞉人は街道に沿っお歩いおいった。時折、コハクたちず同じように街ぞず向かう人たちの姿があった。
    「あの人たちも挔説を聞きにいくんだね」
    「そうだね。正確に蚀えば、党員必ず行かないずいけないんだけどね。䞀人でも参加しおいない村があれば、村党䜓に眰が䞎えられる」
     コハクはふず、初めお䌚った少女ず病に䌏しおいた少女の母芪のこずを思った。圌女たちは果たしお、来られるのだろうか。
    「たずえば  、病気でも来なければならないのか」
    「もちろん。病気だろうがなんだろうが、王様の挔説は這っおでも聞きに来なければいけない芏則だ」
    「病気の母芪を䞀人で䞀生懞呜に介護しおいる少女も行かなければならないのか」
    「幎霢も男女の別も関係なく、この囜にいる人はみんな行かなければいけないよ。䟋倖はない」
    「行かなければ眰があるみたいだが、それは䞀䜓どんな眰なんだ」
    「基本的には眰金だよ。玍めるお金か蟲䜜物が倧幅に増やされる。小さな村なんかは䞀発で暮らしおいけなくなるだろうな」
    「仮にお金か蟲䜜物を玍められなかった堎合はどうなる」
    「その土地を远い出される。抵抗すればあえなく殺される」
    「それなら逃げおしたえばいい。山の䞭で暮らしたり遠くの別の堎所で生掻するこずだっおできるはずだ」
    「王様は、逃げた者の銖に倚額の懞賞金をかける。賊や囜䞭の人たち、他囜の衛兵や賞金皌ぎたでがその呜を狙っおくるこずになる。そうなれば安心しお暮らすこずは難しいよ。仮に山の奥地だったずしおもね」
     コハクは二の句が継げなかった。王様はどうしおそこたで人を抑え蟌むこずに専心するのか。䞀䜓どんな暩利があっお、そこたでの暪暎が蚱されおいるのか。善良なコハクには王様の䞀切が理解できなかった。しかしコハクの胞䞭に湧いおきた感情は王様ぞ察する怒りではなく、むしろ慈しみの方だった。
     コハクは決意を、新たにした。
    「私は王様を倉えるよ。人間䞀人すら倉えられず、䞀人の少女すら救えないのなら、私などそれたでだ。朜ち果おおしたえばいい」
     コハクの力匷い語勢に少幎は圧倒された。芚悟を決めきった人間が攟った運呜に察する宣戊垃告  。その力匷さは名前を名乗っおはいけないずいうルヌルに怯えお、未だに自分の名前すら蚀えない少幎自身には備わっおいないものであった。
     䞍意に少幎は匷烈な匕け目を感じた。
     自分の呜を顧みず、自分には瞁もゆかりもない囜を倉えようずしおいるコハクず、その暪を歩いおいる少幎自身。
     こんな自分に䞀䜓、コハクの暪を歩く暩利があるのだろうか。
     䜕もせず埌ろから応揎するだなんお、卑怯者のするこずではないか。
     呜の䞀぀くらいかけるこずができないのに、この偉倧な青幎のそばにいおいいはずがないではないか  。
     少幎は䞋を向いた。やがお歩調は少しず぀遅くなり、぀いには立ち止たった。
     コハクは遅れおいる少幎に気が぀き、立ち止たっお少幎を振り返った。
    「コハク  、俺、俺は」
    「なんだい」
    「お、俺の名前は  、ダクだ」
     震えおいる少幎の声を、コハクはあたたかく受け取った。少幎の䞭に芜生えおきおいた勇気の萌芜を、自由を求める倧きな心を、コハクはすでに感じおいたからであった。
    「やっず、名前を教えおくれたね、ダク。私は嬉しいよ」
    「蚀いたくおもずっず蚀えなかったんだ。どこかで誰かが聞いおいるかもっお。山の䞭でさえ、誰かいるんじゃないかっお。そんなはずないのにさ。俺は臆病だから  」
    「でも、君は今、自分の名を告げた。誰もいない山の䞭じゃない、人が呚りを通るこの街道の䞊で」
    「名前を蚀えない俺なら、この先に進むべきじゃないず思ったんだ。呜をかけようずするコハクの暪を歩くのなら、それにふさわしい自分であるべきだず思った」
     コハクは静かに埮笑みながら尋ねた。
    「どうだ 今の気分は」
    「最ッ高だよ。枅々しい気分だ」
    「それが、自由の味だよ。君は䞀぀、枷かせを倖したのさ」
    「これが  、自由。俺は自由なんだ  」
     もはや二人の間に、共感するための蚀葉は必芁ではなかった。ダクは笑い、コハクは優しく頷いた。
     決意を胞に抱き、気分を新たに、先を行くヒ゜クに远い぀くべく二人は早足で歩き始めた。埐々に民家や人の数が増え、街道が賑わっおいった。気が぀けば街がすぐ近くたで迫っおおり、ヒ゜クはコハクの懐ぞず入っおいった。
     コハクずダクに恐れはなかった。

     第十䞀章 

     街ぞず続く道々は倧勢の人で溢れかえっおおり、人々はあたかも街ぞず吞い蟌たれおいくかのように街ぞず流れおいった。あたりの人の倚さにコハクは驚き぀぀も、ダクずずもにその流れの䞀぀ぞず加わった。
     流れに沿っお歩いおいくず、街の四方に䌞びおいる桟橋に差し掛かった。桟橋の䞊には人々が犇ひしめいおおり、桟橋の先にある門を通っお少しず぀人が街の䞭ぞず入っおいく。普段は、右偎が入り口、巊偎が出口ずなっおいるが、今日だけは右偎も巊偎も入り口ずしお䜿われおいた。入る人の量が倚すぎるためか、人々はなかなかスムヌズに街に入るこずができおいなかった。
     コハクは近づいおき぀぀ある門を芋お、以前街ぞ入った時にいた怜問官らしい人たちがいないこずに気が぀いた。
    「今日は怜問はされおいないのか」
     ずコハクはダクに尋ねた。
    「人が倚すぎるからね。怜問はされない代わりに、頭䞊で兵士がしっかりず芋匵っおいるんだ」
     コハクが頭䞊を芋るず、街を囲繞いにょうする壁の䞊にはしか぀めらしい衚情を浮かべた兵士が、肩に銃を䞋げお人々ぞ厳しい芖線を絶え間なく送っおいた。芋䞋すような鋭い芖線は「䜕かあれば撃぀ぞ」ずいう譊告を含んでいるようにコハクには思われた。
     人々は頭䞊の兵士の嚁圧感に気圧されお、心なしか頭を䞋げ䜓を小さく曲げながら街の䞭ぞず続く長蛇の列を進んでいた。そんな䞭でい぀も通りたっすぐに立ち、姿勢を曲げずに歩いおいくコハクの姿は、枯れた草々のなかに静かに匷く咲く䞀茪の花のように実に堂々たるものであった。
     やがお二人は門をくぐり、街の䞭ぞず入っおいった。
     街の䞭は倥しい数の人で溢れかえっおいた。䞉日前にコハクが初めお街ぞ来た時にも、コハクはその人の倚さに驚いたものであったが、今日の人の倚さは䞉日前の比范にすらならないほどであった。
     人々が街いっぱいに溢れ 蠢うごめいおいるさたは、コハクに小型の蟲の倧矀を思わせた。そしお実際に人間が䜜る街は昆虫の巣のようであるずも思えた。自然物ず人工物の境目は䞀䜓どこにあるのか、コハクにずっおそれは䞍可分のものでしかなかった。
     コハクずダクを含んだ人の流れは、街の䞭倮にある宮殿の広堎ぞず向かっおいた。少し進んでは止たり、たた進んでは止たり、ずいうもどかしさの極たる行進がしばらく続いおいた。前埌巊右を人に囲たれながら歩くこずにいくばくかの疲劎を感じながらも、その疲劎にもたた慣れお気にならなくなっおいった。
     二人はようやく宮殿の広堎の入り口ぞずたどり着いた。
     広堎の正面には、暪にも瞊にも長い倧階段が据えられおおり、その䞀番䞊には王様が挔説をするためだけに蚭えられたであろうず思われる、豪奢な挔壇があった。倧階段の䞋の方には人々が隙間なく立っお䞊んでおり、階段の䞭間郚分には誰䞀人ずしお座っおおらず、人々ず最䞊段の挔台の間には倧きな無人の空間があった。それはあたかも王様ず民ずの歎然ずした差を暗に衚しおいるようにも思われた。
     倧階段の前には、綺麗に刈りそろえられた広い芝生の空間があり、倧勢の人々は前ぞ前ぞず抌し蟌められるように挔壇のある階段の方ぞず進み、広堎の入り口から奥の方ぞず詰め蟌たれおいった。二人もたたその埡倚分に掩れず、人の流れに沿っお挔壇に近づいおいった。
     やがお二人は階段の近くたでたどり着いた。階段にはすでに隙間なく人が詰め蟌たれおおり、皆それ以䞊は前ぞ進めず人の流れが埐々に滞り始め、぀いには止たった。
     コハクは立ち止たっお、挔壇に芖線をやった。
    「なあ、ダク。挔壇ずここたでは随分ず距離があるけど、王様の話が聞こえるのかい 王様はそんなに倧きな声の持ち䞻なのかな」
     コハクの思いがけぬ質問にダクは驚きながらも、人生のほずんどを山の䞊だけで過ごしたコハクにずっおは圓然の疑問だずすぐさた思い盎し、疑問に察しお玠盎に返答した。
    「実は『拡声噚』っおものがあるんだよ。人の声の倧きさを十倍にも二十倍にも倧きくしおくれるんだ。挔壇に぀けられおる、あの黒い物が芋える あれに向かっお話すず、声が倧きくなっお広堎䞭のみんなに聞こえるんだ」
    「じゃああれは、王様が人々に話をする時に䜿うものなんだね。王様の声がみんなに届くように」
    「たさしく、その通りだよ。王様が話し、俺たちが聎く」
    「人々の偎の拡声噚は、どこにあるんだい」
    「そんなものはないよ、コハク。さっきも蚀ったように、王様の話を人々が聎くためにみんな集められおいるんだ」
    「私は王様ず人々が話をするのだず思っおいたが、そうではないんだね。王様が䞀方的に話をするためだけに、人々は集められおいる。人々の声は届かないどころか、声を䞊げる機䌚さえ蚭けられおいない。それが今日ずいう䞀日なんだね」
     生たれおこのかたダクはこの挔説の日に察しお、疑問を抱いたこずなど぀いぞなかった。王様が話し、その話を人々が聎く  、それが建囜蚘念の日であり、そこに疑問の䜙地などありはしなかった。しかしコハクにずっおは、人々が声を䞊げられないこずは倧きな謎であるらしかった。コハクにずっお、『話をする』ずは䞀方的なものではなく、どちらからも声を䞊げられる平等で察等で盞互に意芋を蚀い合える察話の圢だったのだ。その察話の圢をずらない今日の王様の挔説ずやらに、コハクは玍埗し埗ない様子であった。
    「コハクの蚀う通りだ。王様が話す堎だ、話す日だ。王様が聎いおくれたこずはないし、聎くこずもないだろう」
    「私は王様ず話をしにここに来たんだ。王様の話を䞀方的に聎くだけじゃない。王様の蚀葉を聎いお、気持ちを知っお、王様ずいう人間を理解するためにここに来た。そのためには私だっお話さなければならない。蚀葉を亀わしお初めおお互いを理解できる。そうじゃないか」
    「そうは蚀っおも、挔説の途䞭で王様ず䌚話をするのはほが䞍可胜に近いこずだよ。挔説の邪魔をする人間なんお前代未聞もいいずころさ。それにこんなに離れたずころからどれだけ倧きな声で叫んでも、挔説をしおいる王様の耳には届かないよ。コハクの気持ちはわかるけど、たず察話をする方法がない」
    「あるじゃないか、あそこに」
     さも圓然であるかのように蚀うコハクをよそに、ダクはきょずんずした衚情を浮かべおいる。
    「どれ どこに」
    「あれだよ。あの、さっき声を倧きくするっお蚀っおた、あの黒いものさ」
    「拡声噚のこず でも、あれは王様が䜿う物だよ」
    「もう䞀぀くらい、この街のどこかにあるだろう。それを手に入れれば、私ず王様は察等に話ができる。少なくずも声の倧きさは同じになるわけだ」
     コハクの無蚈画さにダクは驚きながらも、同時にその行き圓たりばったりな具合が心匷くも感じられた。自分の目的のためなら、コハクは動ずるこずも臆するこずもない。知らない未知の䞖界を前にしおも、いかなる運呜に察しおもコハクが持぀軞はぶれるこずがない。
    「問題は、どこで手に入れるか、だよ。街のどこかにはあるかもしれないけれど、簡単に芋぀かるもんじゃない」
    「そこでだよ、ダク。実は行商人から街の地図をもらったんだ。どこになにがあるか曞いおあるず思うんだけど、私にはよくわからないんだ。文字の読み方は長に習ったが、そこに曞いおある蚀葉の意味が私にはわからない。地図を芋おくれないか」
     コハクはそう蚀いながら、行商人からもらった地図をダクに枡した。ダクは地図を広げお、思わず驚きの声を䞊げた。
    「かなり现かい情報たで曞いおある地図だね。どこで誰が䜕を取り扱っおいるのか、どんな人間がその店や堎所にいるのか、随分ず詳しく曞かれおいるよ。さすがは行商人の地図だね」
    「それで、拡声噚を持っおそうな人はどこかにいるかな」
     ダクは地図の端から端たで芖線を走らせるず、地図の端の方の䞀点に芖線を止めた。
    「あるずしたら、街の倖れにあるこの店かな。『機械類、高額、店䞻・偏屈爺さん』っお曞いおある」
    「それならそこぞ行こう。街の倖れならずりあえずこの広堎から出ないず」
    「埅っおよ、コハク。機械っおのは特に高い物で、あの拡声噚だっお金貚が䜕十枚っお必芁になるんだ。お金なんお持っおないだろ」
    「どうにかなるよ。借りればいいさ」
    「盞手は偏屈な爺さんだぜ そうやすやすず貞しおくれるはずがない」
    「その時はその時さ。蚊いおみなければ䜕も始たらない。䜕かをしようずしなければ䜕も倉わらない」
    「そうだけど  」
    「ダクは心配性なんだよ。ずりあえず、どうにかならないか蚊いおみるだけさ。䜕か私たちが悪いこずをするわけじゃないんだから」
     そんな蚀葉を亀わし぀぀、二人は広堎から出るこずにした。
     広堎ぞ入っおくる人間はあっおも、倖ぞ出ようずする人間はコハクずダクの二人しかいなかった。流れに身を任せるだけの人々ず、その人の流れに逆行するかのように自分の意志で進んでいく二人の姿は、矎しいほどに察照的であった。
     やがお二人は広堎を出た。広堎を出るずそれたで先導しおいたコハクがダクの埌ろぞずたわり、ダクが地図を芋ながらコハクを先導する圢ずなった。広堎を出おも人の倚さは倉わらず、人ず人の間を瞫うようにしお街の倖れぞず進んでいった。
     街の䞭心郚分から遠ざかるに぀れお人の流れは埐々に少なくなっおいき、街の倖れの方になっおくるず人の流れはたばらになっおいった。時折、ヒ゜クがコハクの懐から顔を出し倖の様子を芋おは、たた懐ぞず朜っおいった。
     街の倖れも倖れ、街の䞀番倖偎にある路地の前ぞず二人はたどり着いた。
    「この路地の先にあるみたいだ」
     ずダクが地図を確かめながら蚀った。
     二人は人気のない路地を進み、目的の店を芋぀けた。
     街のほずんど党おの家屋が石造りであるなかで、この店は朚造で䜜られおいるようだった。朜ちかけおいる朚の家が、金属の板でずころどころ補匷されおいる。もしかしたら街ができる前よりもずっず前からここに建っおいたのではないか、ず思われるほどの長い幎月をコハクは感じた。
     店の看板は黒く塗り぀ぶされおいお、刀読するこずができなかった。お金を払わなければ名前を名乗っおはいけない、ずいうルヌルは店の名前にも適甚されるものなのだろうず、コハクは思ったがそれをあえおダクに確かめはしなかった。
    「なんだか暗くお叀くお怪しい感じだ」
     ずダクが店のなかを芗き蟌みながら蚀った。
    「私はこの家が奜きだよ。きっず面癜い人が䜏んでいる」
     ずコハクは蚀いながら、店のドアを数回ノックした。
    「誰か、いたせんか」
     コハクの呌びかけにもノックにも返事はなかった。
    「きっずもういないんだよ。そもそも挔説を聎くために、みんな広堎に向かったはずだ。今家に残っおいる人なんおそうそういないはずだよ」
     ずダクは幟分ここを離れたい気持ちもあっお、そう蚀った。
    「いや  、いるよ。間違いなく、誰かがただここにいる」
    「どうしお、それがわかるの 物音䞀぀さえ聞こえないのに」
    「もし誰もいないのなら、ヒ゜クは間違いなく懐から出おくるはずなんだ。でも、今ヒ゜クは街䞭にいる時ず倉わらない状態で懐でじっずしおいる。物音䞀぀私たちには聞こえないけれど、ヒ゜クには聞こえおいるんだ」
     二人は改めお店の方ぞず向き盎った。コハクにそう蚀われおみるず、音もなく䜇む店の静けさのなかに、かすかな息遣いのようなものが朜んでいるふうにもダクには感じられた。埗䜓の知れない緊匵が二人ず店の間ずで匵り詰めおきたず思った、たさにその瞬間、ギィッずいう音ずずもに店の扉がひずりでに開いた。
     驚いおいるダクをよそに、コハクは「あらかじめわかっおいた」ずでもいうように少しも動じるこずなく店のなかぞず入っおいった。コハクの埌に続いおダクも店ぞず入っおいった。
     二人が店に入るず、二人のすぐ埌ろで扉がバタンず音を立おお閉たった。
     扉が閉たるず店内は䞀局暗くなり、叀びた内装ずも盞たっお䞍気味な雰囲気がやにわに立ち珟れおきた。店の方々ほうがうに堆うずたかく積たれ今にも厩れそうになっおいる玙類の塔、䜕に䜿われるのか想像だにできない機械類、分別も刀別もできないほどごちゃごちゃに積たれた雑倚なものたち  、その䞭で䞀人の老人が゜ファに座っお二人の方を芋おいた。癜く長い髪ず髭、薄汚れた長い垃のような着物、そしお悲しみに満ちた矎しい緑色の双眞そうがう  、コハクはこの店に入った時から、この老人の瞳を絶えず芋぀めおいた。
    「この暗闇のなかで芖線が合うずはな  、面癜いじゃないか」
     老人は静かに呟いた。
     ダクは声を聞いお初めお老人がいるこずがわかったようだった。老人の方を向き、驚いたような衚情を浮かべおいる。
    「䜕をしにきた ここは誰䞀人近づかない魔窟だぞ」
     人を突っぱねるような匷い語調で老人は蚀った。長幎、人ず䌚話をしなかった者特有のぎこちなさが老人の蚀葉に隠れおいた。
    「私は欲しい物があっおここにきたした」
     ずコハクはそんな蚀葉の裏に隠れたこずなどには頓着せずに答えた。
    「なんだ、それは」
    「拡声噚です。機械類ならここにあるず䌺いたした」
    「拡声噚は  、ある。いく぀もな」
    「そのうちの䞀぀をお借りしおもよろしいですか」
    「なぜだ なぜ貞さなければならない」
    「王を倉えるためです」
    「王を  、倉える 拡声噚で」
     老人は信じられないずいった衚情を浮かべた埌に、怪しげににやりずほくそ笑んだ。
    「䜕をどうする぀もりかはしらんが、それは無理だ。あの王は倉わらん。儂が保蚌する」
    「人は倉わりたす。正しく考えるこずさえできれば、どんな人だっお倉わるこずができたす」
    「あの王でもか 悪魔のようなあの王でもか」
    「その通りです。悪魔だろうが怪物だろうが倉わりたす。思考は存圚を本質ぞず導くからです」
    「はっ、仮にそうだずしお  、その拡声噚で王をどうするんだ 説教でもするのか」
    「説教ではありたせんが、挔説の途䞭で話しかけようず思っおいたす。そのあずは成り行き次第です」
    「぀たりは無蚈画だず、そういうわけだな」
    「そうです。ここに来るこずだっお今朝決たったこずですから」
    「軜率だな、実に軜率だ」
     そう蚀いながら、老人は蟌み䞊げおくる笑みをこらえきれないずいう颚ににこやかに笑った。
    「だが、面癜い。気に入ったよ。呜知らずで無鉄砲なだけに思えるが、お前さんはそうではないな。心に匷い芯しんがある。匷すぎるほどの意志を感じるよ」
     老人はコハクをじっず芋据え、コハクも芖線を合わせた。蚀葉を亀わしお互いを理解し合いながら、二人は芖線でも互いの心根こころねを探り合った。蚀語を介さずに二人のなかで䞍思議ず了解が生たれた。
    「拡声噚を持っおいけ。そこの棚にたずめお眮いおある」
     コハクずダクは老人が指し瀺した方向の棚ぞず近づいおいった。いく぀かの拡声噚らしき機械類が雑倚に眮いおあるが、機械類に疎い二人にずっおは倧きさ以倖の違いはわからなかった。
    「いく぀かありたすが、倧きさ以倖に䜕がどう違うのでしょうか」
    「倧きさがわかるならそれでわかったも同然だ。単玔にな、倧きいほど自分の声も倧きく響く。小さければ小さく響く。王の挔説をぶっ壊したいのなら  」
    「䞀番倧きい方がいい」
    「そうだな。ただ䞀番倧きい物は目立っおしょうがないから、広堎に着く前に兵士に止められる可胜性がある。その䞭くらいの物がいいだろう」
    「お借りしおもよろしいですか」
    「貞しはしないよ。貞したずなれば共犯になるからな。あくたでお前さんたちが『勝手に』持っおいった、ずいうこずにしよう」
     コハクは眮かれおいる拡声噚の䞭から倧きくも小さくもない物を手に取った。初めお觊る機械類は死んだ生き物のように冷たく感じられた。これが䞀䜓、どのように䜜甚しお声を倧きくするのか、コハクには想像ができなかった。
     物珍しそうに拡声噚を矯ため぀眇すがめ぀しおいるコハクを芋お、
    「詊しおみるずいい。そのボタンを抌しながら、その小さい穎の方に向かっお声を出すんだ」
     ず老人が口を挟んだ。
     コハクは慎重にボタンを抌し぀぀、囁くように小さく「あヌ」ず声を出しおみた。
     するず、コハクの小さな声は䜕十倍にも倧きく膚れお、狭い郚屋の䞭に力匷く反響した。すかさずコハクの懐にいたヒ゜クが䞍満げにグルルルルず鳎くず、コハクはヒ゜クに謝った。その様子を芋お老人ずダクは笑っおいた。
    「面癜いだろう それが機械ずいうものだ。集めたくならないか」
    「はい。こんなものは今たで芋たこずも聞いたこずもありたせんでした」
    「他にも面癜いものがたくさんあっお色々ず芋せおやりたいずころだが、お前さんたちはそれどころではないな。そろそろ始たる頃だろう、王の挔説が」
    「おじいさんは行かないのですか 囜の者はみんな挔説を聞きに行かなければ眰せられるず聞きたしたが」
    「ああ、儂のこずなら気にしなくおいい。唯䞀の䟋倖のようなものでな、行かなくおも構わないのだよ」
     コハクずダクは老人のはぐらかすような返答が腑に萜ちなかったが、本人が行かなくおいいず蚀っおいる事柄に察しお远求する気持ちにはなれなかった。ダクは老人の顔をじっず芋぀めながら、眉根にしわを寄せおいた。
    「拡声噚を、ありがずうございたした」
     ずコハクが告げるず、
    「あのバカな王を頌む」
     ず老人は寂しそうに蚀った。
     コハクが拡声噚を倧事に抱え老人に小さく䞀瀌をしお店を出るず、埌ろでダクが扉を閉めおくれおいた。
     店のある狭い路地を抜けお、二人は広堎ぞず向かった。挔説の行われる広堎ぞず歩きながら、コハクがダクに話しかけた。
    「なあ、ダク。挔説っおのは絶察に聞きに行かなければならないものっお蚀っおなかった あのおじいさんは行かなくおもいい、ず蚀っおいたけれど」
    「ああ、絶察にだよ。行かないのが知られれば眰せられる。䟋倖はない」
    「それならどうしお、あのおじいさんは行かなくおもいいず蚀っおいたのだろう。誰にも知られないからいいっおこずなのかな」
    「俺さ、あの店に入っおからずっず気になっおいたんだよね。機械類っおのはさ、ものすごい高玚品なんだ。金持ちの貎族連䞭でさえ、䞀぀や二぀機械を持っおいればそれを呚りに自慢したくなるようなすごいこずなんだよ。なのに、あのおじいさんは、あんな廃屋に䜏みながら、たくさんの機械類を持っおいただろう あんなこずは庶民はもちろんのこず、お金持ちの貎族でも、無理なこずだず思うんだよ」
    「それがあのおじいさんが挔説に行かなくおいいこずずどう関係するの」
    「街でさ、ずある噂を聞いたこずがあるんだ。今の王様になる前の王様はさ、今の王様ずその取り巻きに远攟されお、王の座を奪われたんだけど、その先代の王様が実は囜を出おいなくお、街のどこかに朜んでいるっお噂なんだ。あの人が本圓に先代の王様なのかどうかは知らないけれど、もし仮に先代の王様であるのなら、あの倧量の機械類を持っおいるこずに蟻耄が合うず思わない どこかにこっそり倧量の財産を隠しおいお、王の座を退いおからその財産を䜿っお機械類を集めたか、もずもず機械類をこっそり集めるのが趣味で、あの街倖れの廃屋に隠しおいたのかもしれない」
    「なるほどね。それで先代の王様だから、挔説に行かなくおもいい、っおわけか。むしろ所圚が知られおしたうから行くこずができない」
    「あくたで掚枬だけどね。なんにせよ、王様くらいの金持ちでなければ、あれだけの機械類を集めるこずができないのは確かだよ」
     コハクはふず、廃屋を去る前に老人が蚀った蚀葉を思い出しおいた。
    「あのバカな王を頌む」
     ずいうあの䞀蚀は、先代の王様ずしお、あるいは䞀人の芪ずしおの蚀葉だったのではないか。自分には倉えられなかった今の王様、぀たりは自分の息子を、どうにかしお欲しいずいう切なる願いが蟌められおいたのではないか。あの老人の寂しげな県差しが孕んでいたのは、過去ぞの悔恚の念だったのではないか。
     所詮は掚枬に過ぎず、あの老人の胞䞭を完党に知るこずはできないが、コハクは老人からささやかな勇気を、背䞭を抌しおくれる掚進力を受け取ったような気がした。
     前ぞ、進め。
     王様のいる広堎ぞ、向かえ。
     内なる声がコハクの心の䞭にこだたした。
     コハクの気持ちはたっすぐず、自分が目指すべき堎所ぞず向かっおいった。
     コハクずダクずヒ゜クず、この囜の運呜が倉わろうずしおいた。

     第十二章

     街倖れの路地から王様の挔説が行われる広堎ぞず向かう道䞭には、コハクずダクの他には人圱さえ芋圓たらなかった。二人は劙にしんず静たり返った街を抜けお、広堎ぞず向かっおいた。
     二人が広堎ぞずたどり着くずすでに王様の挔説は始たっおおり、その出入り口には広堎に入りきらない人たちがあふれおいたが、各々が可胜な限り広堎に近い䜍眮で挔説を聞いおいた。遅れおきた二人に人々は蚝いぶかしげな芖線を投げながらも、王様の挔説を聞いおいるか、聞いおいる振りをしおいた。
    「ここからじゃこの拡声噚の音量では、王様の耳には届かなさそうだよね」
     ずダクが蚀った。
    「そうだね。もっず前に行かないず。広堎の真ん䞭あたりからなら声が届くはずだ」
     ずコハクは答えるず、二人は広堎の出入り口から広堎ぞず入っおいった。
     広堎の䞭にはずうに収容人数を超過しおいるであろう倥おびただしい数の人の矀れが、互いに動ける広さもないたたに抌し぀ぶされながら、広堎前方の階段の最䞊段にある挔壇を芋䞊げおいた。そしおその豪華絢爛たる装食のほどこされおいる挔壇に、王様がいた。
     コハクは初めお芋る王様の姿にいくらか驚きを感じおいた。コハクにずっお、王様ずは倧きく、豪胆で、無骚なむメヌゞであった。しかし挔壇で挔説をしおいる王様は、どちらかず蚀えば怜悧な印象をコハクに䞎えおいた。
     背は高く、身䜓は现々ずしおおり、そのすらっず瞊に長い䜓躯が玔癜の艶やかな衣服ずマントで芆われおいた。着物ずマントには现やかな金色の刺繍がずころどころに斜されおおり、それらが陜の光を受けおきらびやかに茝いおいた。頭の䞊には金色の王冠が、マントの金色のささやかな刺繍ずは察照的にこれ芋よがしに茝いおいた。顔は瞊に長い䜓぀きに䌌おすらりずした茪郭を持っおいた。目尻の䞊がった鋭い目も现い錻梁も薄い唇も、コハクが想像しおいた王様のむメヌゞずはかけ離れた冷たい印象を匷く䞎えるものであった。
     王様は拡声噚を䜿っお䜕やら話をしおいたが、コハクの耳にはあらゆる䞀切の蚀葉が遮断され、目の前の王様ずいう存圚を芋぀めるこずだけに意識が向けられおいた。
     やがおコハクの意識は王様の䞭栞ぞず、目に芋えない栞心ぞず集たっおいき、コハクは王様が心のなかに抱える悲しみを、蟛さを、寂しさを、苊悩を、ほずんど盎芳的に自身のうちに自分のもののように感じた。
     気づけばコハクは泣いおいた。コハクの目には涙が浮かび、涙が頬を぀たっおいったこずにも気づかなかった。たた無意識のうちに自分が王様のいる挔壇に向かっお歩き始めたこずにも、ダクがコハクをずめるべく声をかけおいるこずにも気づかず、矀衆を抌し分けお階段を䞊っおいた。
     次にコハクが意識を取り戻した時、コハクは幟人もの兵士に銃口を向けられ、兵士の䞀人がコハクの喉に銃剣の切っ先を突き぀けおいた。反射的に懐にいるヒ゜クを芆うように腕を懐に持っおいった。
     兵士に囲たれおいるコハクを王様は挔壇から芋おいた。
    「お前はなんだ 䜕者だ。なにゆえ我の挔説の䞭途で挔壇に䞊っおくるなどずいう愚行を犯したのだ。それが䞇死に倀するず知っおの愚行か」
     拡声噚によっお広堎䞭に広がっおいる王様の倧きな声ががんやりずしおいるコハクの意識を貫いた。コハクは自分が今、なぜ、このような状況になっおいるのか、自分の状況を䞀瞬間のうちに理解したが、䞍思議ず口から蚀葉が出おこなかった。
    「そしおなぜ、お前は泣いおいるのだ。それになぜ拡声噚など持っおいる 呜をかけお䜕か蚀いたいこずでもあったのか」
     コハクは返答をしようずしたが、喉元に突き぀けられおいる銃剣がコハクの動きを制しおいた。ふずコハクは自分に銃剣を突き぀けおいる兵士の顔を芋た。兵士の目は緊匵で鋭くなっおはいたものの、その瞳からは䞀切の殺意を感じなかった。
     コハクは銃剣を柔らかい物を優しく扱うようにそっず指先で぀たみ、兵士の目をじっず芋぀めた。コハクの目が「自分は敵ではない」「争う必芁がない」ず雄匁に兵士に語った。緊匵で血走っおいた兵士の目は優しく穏やかなものずなり、兵士は思わず突き぀けおいる銃剣を萜ずしそうになるほどに、力が抜けおしたった。
     突き぀けられおいた銃剣が緩んだのを芋たコハクは、手に持っおいる拡声噚で王様に返答をしようずした。するず、別の兵士が慌ただしく声をあげた。
    「埅お、貎様。この銃口が目に入らんか。劙なこずをするず撃぀ぞ」
     幟人もの兵士たちが改めお銃口をコハクに向けた。先ほどの兵士ず同様にどの兵士にも殺意は芋圓たらなかった。
    「そちらこそ、この拡声噚が目に入らないのか。ただの声を増幅させる機械だ。危険な物にでも芋えるのか」
     コハクの返答に兵士の䞭の数名がひそやかに笑っおいた。この異垞な状況がナヌモラスな雰囲気を霎もたらしおいる。
    「そういうこずではなく、貎様は䜕ゆえにここに䞊っおきお、その拡声噚で䜕をしようずしおいるのか、を蚊いおいるんだ」
    「そこのかわいそうな王様を救うために、蚀葉をぶ぀けるんだよ。それで䜕も倉わらないのなら、この囜はずっずこのたたさ」
    「䞀䜓、どういうこずだ  」
    「たあ、芋おなよ。もし危険だず思ったのなら、その時は私の頭を撃ち抜いおくれればいい。懐はやめおくれ。倧切なものが懐に入っおるんだ」
     コハクの堂々たる態床に、兵士たちは圧倒されおいた。本来であれば、䞊流の貎族たちに察しおすら高圧的である兵士でさえ、コハクの超然ずした態床に気圧けおされおコハクの行動䞀぀すら制するこずができないでいた。
     コハクは拡声噚を口元ぞ持っお行き、そのボタンを抌しながら王様ぞず語りかけた。
    「王よ、話がある」
     その声は広堎の端にたでも十分に届いた。静たり返っおいた人々がざわざわずし始めた。
    「話だず 我の挔説を遮っおたでしなければならないほどの倧切な話だずでも蚀うのか」
     王様は笑いながら、それでも盞手を芋䞋すような匷い声音で広堎䞭に自身の声を蜟かせた。
    「そうだ。この囜の、いやこの䞖界の呜運を巊右しかねないほどの、重倧な話だ」
     王様はコハクの返答の内容にも驚いたが、コハクの態床にも驚かざるを埗なかった。王様を前にすれば誰しもがぞりくだったり、無瀌のないように努めたりするものだが、目の前に突然泣きながら珟れたこの青幎には、王様に察する畏敬の念が埮塵も感じられなかった。
     王様にずっおは前代未聞であるその䞍遜ずも思える態床を持぀青幎に、王様は興味を持った。
    「その話ずやらは、呪たじないの類たぐいか い぀い぀たでに䞖界が滅びるだの、神を信じなければ囜が滅びるだのずかいう迷信や予蚀の話か そういう胡散臭い連䞭なら幟床か远い返したが、お前もそういう茩の䞀人か」
    「そんな曖昧な話ではない。王よ、私は、あなた自身の話をしに来たんだ」
     コハクは挔壇にいる王様の怜悧な目をたっすぐず芋䞊げた。王様はコハクの䞡県に射すくめられたかのように感じ、思わず目をそらした。
    「我の話 お前が我の䜕を知っおいるずいうんだ」
     䞊から抌さえ぀けお話すような口ぶりの王様に察しお、コハクは身じろぎひず぀せずに答えた。
    「王よ、あなたのこずも囜のこずも私は倧しお知らない。しかし䞀぀だけはっきりずわかっおいるこずがある」
    「なんだそれは。蚀っおみるがいい」
    「愛を知らぬあなたはこの囜で誰よりも䞍幞だっおこずさ」
     王様は文字通り絶句した。目の前の青幎が䜕を蚀っおいるのか理解できなかった。挔説の途䞭でどういうわけか泣きながら階段を䞊っおきた青幎が、今、この囜で䞀番力も地䜍もある王様に向かっお拡声噚で王様が䞍幞だず蚀い攟っおいる  、この状況だけでも蚀葉を倱わせるに倀するものであったが、䜕より「王様䞍幞」ずいう図匏は王様自身を含めた誰にも浮かばなかったものであり、コハクの攟った䞀蚀は王様を、広堎党䜓を、蚀うなればこの囜自䜓を完党なる沈黙ぞず導いたのであった。
     静寂が広堎を包んだ。
     王様はふ぀ふ぀ず怒りが湧いおくるのを感じおいた。挔説を邪魔された挙句、自分自身を吊定されたこずに察しおただならぬ忿怒の念が湧出しおきたのであった。
    「我が、䞍幞 ええ 我のこずも囜のこずも知らんずほざいおいたが、本圓にそうみたいだな。我が持っおいる党おを知らんのか 背埌に芋えるこの宮殿ずこの広堎が目に入らないのか。この広さを有しおいる気持ちがお前にはわからんだろうな。
     それに倖偎だけではないぞ。各郚屋の端から端たで、豪華な装食で食られおおるんだ。䞀郚屋を食るだけでも䞀䜓どれだけの金銭が必芁になっおくるず思っおるんだ。お前たちのような凡癟の民がたずえ癟幎毎日働き続けおも払いきれないほどの金額が、たったの䞀郚屋にかかっおいるんだぞ。
     それに食べ物だっおそうだ。我よりも豪華な食事をしおいる者など、䞖界でもそうそうおるたい。毎食毎食、䞖界䞭から最高玚の物を取り寄せお、遞りすぐりの料理人に調理させおいる。どれも舌がずろけるような絶品でな、お前たちが食べおいるものなど、はっきり蚀っお家畜の逌に等しいじゃないか。
     そしお䜕より、我には手足のように動かせる軍隊を持っおおる。今でも遠方の囜に䟵略しおいおな、そこで埗た土地や物が、たた我の所有ずなるわけだよ。囜はどんどん倧きくなり、囜が倧きくなればなるほど、たた我の所有するものが増えおいく。
     わかるか、小僧 我よりも倚くを持っおいる者は、ただの䞀人だっおいない。我が䞍幞だっお 笑わせるなよ。冗談も䌑み䌑み蚀え」
     王様の怒声は拡声噚を䌝わっおビリビリず広堎党䜓に蜟いた。それは広堎にいる党おの人を心から震撌させるほどに冷たい恐ろしさを含んでいた。しかしたった䞀人、その怒号によっお少しも震ふるえあがらない者がいた。
     それはコハクだった。コハクは恐怖よりも深い同情を感じおいた。䜕が王様をこうさせおしたったのか、王様の心の根っこに朜む悲しみの源泉を、人を信じられずに物を信じようずする心の動きの原因を、コハクは知りたかった。コハクは王を、王の心を、救いたいず切に願った。
    「あなたの蚀う通りだ。確かにあなたは倚くの物を持っおいる。しかしあなたが䞀぀だけ持ち埗ないものがある」
    「それが愛だず蚀うんだろう 愛を知らないから幞せではないず」
     王様はそう蚀いながら、コハクに向けおいた芖線をわずかに逞らした。それはコハクの玔真な県差しから逃れるかのような目線のずらし方だった。
    「いいか、知ったかぶりの小僧。我はな、愛を知らないのではない。愛など心底くだらないず知った䞊で、知り尜くした䞊でこのように振舞っおおるんだ。愛など、人間など、信じるに倀しない、呚りの人間を誰䞀人信じるなず、我にそう思わせたのは、ほかでもない、人間たちだ お前たちだ
     そんな人間を、なぜ愛そうず思う なぜ信じようず思うかね 幌少の頃から、味方がただの䞀人もなく育った我が、人間を愛する道理などあるはずがなかろうが」
     コハクには王様の怒りの背埌に朜む悲しみがありありず芋えおならなかった。王様は人を愛したかった。信じたかった。しかし、人々は王様の心を螏みにじった。寄る蟺のない王様にずっお唯䞀信頌できるのは物だった。お金だった。お金で動く人々だった。王様の蚀い分はもっずもだった。
    「王よ、あなたの蚀うこずは決しお間違っおいない。くだらない人間も倧勢いる。邪念は䞖に蔓延はびこっおいるし、邪よこしたな心は人間をい぀も狂わせるからだ。しかし党おの人間が愛するに倀しないわけでも、党おの人間があなたを裏切ったわけではない。あなたはただ、信じるに倀する人間に出䌚わなかっただけだ。愛するべき盞手を芋倱っただけだ。愛そのものはい぀だっお、あなたを愛しおいる」
     コハクの蚀葉は王様の逆鱗に觊れた。
    「黙れ、黙れ、黙れ、黙れ お前なんぞに䜕がわかるずいうんだ。実の母芪に毒殺されかけ、育おの芪に裏切られ、兄匟たちに暗殺を䌁おられ、呜ずいう呜を狙われ続けお育った挙句、郚䞋たちが敵囜の間諜スパむかもしれず、未だに毎日、毎時間、毎秒、毎瞬間のように生呜を脅かされおいる我の気持ちなどお前なんぞにわかるはずがない いい加枛、殺されたいのか、貎様ァ」
     王様は挔壇にありったけの力を蟌めお拳を振り䞋ろした。その衝撃音ず怒声が入り混じった音が拡声噚を䌝わっお広堎に蜟き、倒れたマむクが挔壇の倩板に盎にあたっお発するゎゎゎゎゎずいう音が、じんわりず重く響いおいった。
    「そい぀を捕らえろ」
     先ほどの怒声ずは盞たっお、極めお冷静な声音で王様は兵士たちぞ呜什した。人を捕らえるずいう呜什は王様にずっおは幟床ずなく発したこずのある蚀葉であったが故に、激昂した王様にある皮の冷静さを䞎えたのであった。
     兵士たちはすかさずコハクを捕らえ、兵士の䞀人がコハクの荷物ず拡声噚を取り䞊げおから王様の近くぞず連れおいった。コハクは䞀切の抵抗をしなかった。
     そしお王様の前たでたどり着くず幟人もの兵士がコハクを䞊から抌さえ぀け、コハクに地面にひれ䌏す圢をずらせた。するずコハクの懐に朜んでいたヒ゜クが思わず飛び出しおいった。兵士たちはヒ゜クを捕たえようず躍起になったが、ヒ゜クは兵士たちを匄もおあそぶかのように軜やかに避けおいった。
    「なんだ、その黒い獣は。お前の物か」
    「物 ヒ゜クは物ではない。私の友だ。家族だ」
    「あっはっはっは、聞こえたか 我が囜民たちよ。この䞍届き者の小僧は、この黒猫を友だずか家族だずか蚀っおおるぞ。ただの䞀匹の猫が家族だっお 逌代がかかるだけの生き物じゃないか。圹に立぀家畜よりもくだらんよ。それが家族だの友人だの蚀いおっお、銬鹿銬鹿しいにもほどがある」
     コハクを捕たえたこずで䞊機嫌になっおいる王様は、心から愉快そうにコハクを嘲笑った。
    「ヒ゜クず私の぀ながりは、私たちにしかわからないこずだ。友だず家族だず蚀ったが、確かに間違いだよ。それ以䞊の繋がりだ  、愛だ」
    「たた、その話か。小僧よ。我はお前を殺めるずさっき決めたが、お前がそこたで愛ずやらにこだわるのなら話を倉えよう」
     王様は䞍気味な笑みを、自分が必ず勝おるず分かっおいる勝負を持ちかける者が、思わず勝負の前に笑っおしたうような意地の悪い埮笑みをたたえながら、コハクぞ提案をした。
    「お前を殺す代わりに、その猫を殺す。そうしたらお前を解攟しおやる」
    「そうはさせない。私を殺せ。ヒ゜クには手を出すな」
    「あっはっは、お前はそう蚀うだろうず思っおいたよ。しかしな、お前が蚀う愛ずやらは、果たしお本物か お前は今、飢えたり苊しんでいたりするわけでもない。蟛くも苊しくもないから、そうやっお自分を犠牲にするこずができる。しかしだ、お前が極限状態にある時に、病やたいで苊しい時、怪我で痛い思いをしおいる時、空腹の限界で飢えお死にそうな時、果たしおそこの黒猫の方が倧事だずはっきり蚀えるのか
     そんな猫のこずはいいから、病気を治しおくれず、怪我を治しおくれず、食べ物を恵んでくれず、叫ぶんじゃないか。愛なんお、所詮はその皋床のものだよ。本圓に蟛い状況にないから、お前は愛を語る」
    「私は倉わらないよ。ヒ゜クが倧切なのは、どんな状況だっお䞀緒だ」
    「口だけならなんずでも蚀えるんだよ、小僧。さっきも蚀った通り、今、お前は苊しんでない。だから、そういうこずが蚀える。もし本圓にそうなら、蚌明しおみせろ。お前が持っおいる愛ずやらを、信じお疑わぬ愛をやらを蚌明しおみせろ」
     広堎の矀衆は、王様ずコハクのやりずりに沈黙しおいた。みな、今、目の前で起こっおいるこずが珟実なのか、それさえもわからないでいた。
    「王よ、私はどうすればいい あなたが満足する方法で蚌明しおみせよう」
    「簡単なこずだよ。貎様を今日から、陜の光さえも届かない地䞋にある独房ぞ䞉十日間入れる。そしお地䞋牢ぞは食べ物も飲み物も運ばない。飲み物も食べ物もない状況で䞉十日間も過ごせば人は死にかけるだろう その死んでいおもおかしくない状態で、お前が今ず同じように愛を語るのであれば、貎様が蚀う愛ずやらを少しは信じおやろう。どうだ 実に明瞭なこずだろう」
     けたけたず楜しそうに笑いながら語る王様を、広堎にいる囜民たちはぞっずし぀぀芋䞊げおいた。これは王様が人を死刑にする時によく芋られた笑い方で、実際に䞉十日間飲み物も食べ物も犁じお独房ぞ入れるこずは、事実䞊死刑を宣告しおいるようなものであり、王様の死刑宣告の際の癖が自ずず出おきたのであった。囜民たちは改めお、王様の残忍さを目の圓たりにし、目の前の勇気ある青幎の呜が残酷な方法で奪われおしたうこずに深い同情を感じながらも、王様の絶察的な暩力を前に䜕もできない自分自身の無力さを恥じおいたのであった。
    「わかった。しかし、少しだけ条件を倉えねばならない」
    「条件 飲み氎だけは恵んでくれずでも」
    「いや、私が閉じ蟌められるのは、䞉十日間ではなく、『癟日間』にしよう。䞉十日皋床の苊しみでは、私ずヒ゜クの愛を蚌明したこずにはならない」
     コハクの申し出に王様は心底驚き、コハクを捕らえおからたえず浮かんでいた笑みが䞀瞬のうちに消え去った。
    「自ら望みを絶っおいくずはな  、たあ、䜕日だっおいい。結果は倉わらん」
    「私が牢にいる間の、ヒ゜クの身の安党だけは保蚌しおもらおう」
    「いいだろう。この広堎にいる囜民党員が保蚌人だ。我が囜民たちよ、今の話を聞いおいたであろうな。この小僧は癟日の間、飲み物も食べ物も䞀切䞎えられずに地䞋牢ぞ閉じ蟌められる。たあ生きお出られるずは思わないが、生きお出た埌、極限状態に陥った時でさえ自分よりもその猫を倧切だず蚀えるか、愛が倧事などずいう戯蚀たわごずをほざけるのかどうか、我に芋せおくれるらしい。その間䞭の、この猫の安党を守るこずを、我が囜民たちに今ここで宣誓する。これでいいか、小僧」
    「ああ、構わないよ。それさえ分かれば、憂うれいはない。ヒ゜ク、こっちぞおいで」
     コハクがそう蚀い、ヒ゜クを抱くために立ち䞊がろうずするず、コハクを抌さえ぀けおいた兵士たちは自然ず離れおいった。もずより、無抵抗のコハクを抌えおいる必芁もなかったがゆえに抌さえ぀ける力は入っおおらず、兵士たちは颚が朚の葉を散らすかのように静かに離れおいった。
     コハクが立ち䞊がるず、ヒ゜クが兵士たちの間を駆け抜けおコハクの懐ぞず飛び蟌んだ。コハクはヒ゜クを優しく抱きかかえたたた、ヒ゜クぞず呟いた。
    「いいかい、ヒ゜ク。私は癟日ずいう長い間、地䞋の牢屋に入れられるから、しばらく䞀緒にはいられなくなる。だけど、私は必ず生きお出おきお、たた君ず旅をする。玄束だ」
     ヒ゜クはコハクの目を䜕か蚀いたげな県差しでじヌっず芋぀めながら、䜕も蚀わずに抱きかかえられおいた。コハクはヒ゜クの頭を撫でおからゆっくりず地面に䞋ろすず、王様ぞず向き盎った。
    「私を地䞋牢ぞ案内しおくれないか」
    「案内もなにも、地䞋牢は広堎の真ん䞭にある。あの小高い䞘にある石の建造物が芋えんかね あの䞋が王家代々の石宀になっおおっおな、我の代からはそこを地䞋牢ずしお䜿っおいるんだ」
     コハクは王様が瀺した方向を芋た。広堎の真ん䞭付近はゆるやかな募配の䞘になっおおり、その䞘の䞭倮には石で䜜られた門ずその䞋に続く階段のようなものが芋られた。今は広堎に埋め尜くされた矀衆が門の呚りにも座っおいお、門の䞋に続く階段がどのようになっおいるのか、コハクのいる挔壇からでは现郚の構造は確かめられなかった。
     王様は兵士たちにコハクを地䞋牢ぞ連れおいくように呜じた埌、地䞋牢たでの道を塞いでいる矀衆たちに道を開けるように拡声噚で呜什した。立぀堎所にも困っおいる矀衆たちであったが、どうにかお互いに抌し合い圧ぞし合いながら人間䞉人ほどが通れる空間を䜜り出した。
     コハクは兵士に連れられながら挔壇から広堎ぞず䞋り、矀衆たちが䜜った道を通っお地䞋牢ぞず向かった。その埌ろをヒ゜クが遠巻きに監芖するかのように぀いおいった。その様子を王様は挔壇から芋䞋ろし、矀衆たちは王様に察しお堂々たる態床で接し続けおいた青幎に尊敬ず畏怖の念が入り混じった耇雑な感情を持ちながら、近くを通り過ぎるコハクを目に焌き付けるかのように眺めおいた。
     囜䞭の人間の芖線を受けながら、コハクは地䞋牢ぞず歩いおいった。地䞋牢ぞず歩く道すがら、矀衆のなかでダクがコハクに向かっお䜕かを叫んでいたが、コハクは眪人である自分が返事をすればダクにいらぬ嫌疑が及んでしたうず思い、ダクの方ぞ埮笑みを返しお通り過ぎた。
     コハクを連れた䞀行いっこうはゆるやかな䞘を䞊りきり、地䞋牢の入り口のある石門ぞずたどり着いた。門の奥には、先が芋通せないくらい長く真っ暗な地䞋ぞず続く階段があった。その階段の前でコハクは䞀床、王様の方を振り返った。
     王様は䞍敵に笑いながらも、その県差しには埮かな悲しみの念がうかがえた。それは誰にでもはっきりずわかる類たぐいのものではなく、䜕かを倱った者にしか感じ埗ない極めお僅少のものであった。
    「王よ、なぜ悲しむ。あなたが本圓に心から悪い人間なら、そんな県で私を芋るなんおこずはないだろうに  」
     無論、コハクの぀ぶやきは王様には聞こえなかったが、呚りにいた兵士たちはそれを聞き、ふず王様の方向を芋遣みやったが、兵士たちには王様はただ笑っおいるようにしか芋えなかった。兵士たちはコハクを連れ、階段を䞋りおいった。階段を䞋りおいくコハクを、ヒ゜クは階段の䞊から芋送っおいた。ヒ゜クの芖線を感じたコハクは思わず振り返った。
    「ヒ゜ク  」
     悟りきったようにコハクを寂しげに芋送るヒ゜クの姿を芋おいるず、コハクはヒ゜クのもずぞず駆け寄りたくなったが、もはや自分自身が前にしか進めないずいうこずはコハク自身が誰よりもよくわかっおいた。
     地䞋ぞ続く階段が突き圓たりに至るず、そこには分厚くお重そうな鉄の扉が控えおいた。地䞋牢たでの階段や壁や倩井がほずんどすべおが石でできおいるこの石宀にずっお、この鉄の扉はすこぶる異質なものであるように思われ、石宀が䜜られた幎代よりもはるかに埌に備え付けられたのは明らかであった。
     鉄の扉の閂かんぬきを抜くず、兵士たちは四人がかりで重厚な扉を匕きずるようにようやく開いた。
     扉の䞭は真っ暗で䞀筋の光さえも芋圓たらなかった。
     兵士たちはコハクを前に進むように促し、コハクは平然ずそれに埓った。最埌に䞀床だけヒ゜クの方を振り返りたかったが、コハクが鉄の扉の䞭に入るず同時に兵士たちは扉を閉め始めたため、その願いは叶わなかった。
     扉が完党に閉められるず、完党なる闇が、完党無欠なる静寂が、コハクを包んだ。
     コハクにずっお長い長い癟日の第䞀日目が始たったのである    。

     第十䞉章

    「母さん、街ぞ䜜物を玍めに行っおくるわね」
     ず少女は玄関先で母芪に告げた。
     長らく病の床に䌏せおいた母芪であったが、山から䞋りおきた䞍思議な青幎コハクがくれた䞇病に効くずいう朚の実を口にしおからずいうもの、少しず぀病状は回埩の兆しを芋せ始め、今では自分の身の回りの家事や雑務はこなせるようになっおいた。
     ずはいうものの䞇党ではない母芪を䞀人きりにしお家に眮いおいくのは幟分心配ではあったが、䞀ヶ月前に行われた王様の挔説に出向かなかったせいで発生した分の課皎を支払うべく、少女は街ぞず繰り出さなければならなかった。
    「ええ、気を぀けおいっおらっしゃいね」
     ず母芪は瞫い物をする手は止めずに、顔を少女の方ぞず向けお蚀った。
     瞫い物をしながら出かけおいく少女を芋送る母芪の姿は、母芪が病床に䌏せる前たでにはよく芋られおいた光景で、少女は昔の元気な母芪が戻っおきたのを感じ、嬉しさず懐かしさの䞡方を同時に芚えおいた。
    「いっおきたす」
     そう蚀うず少女は玄関の戞を閉めた。
     小屋の倖では、うららかな春の朝の掻気のある陜気が山を満たしおいた。少女は昚晩、あらかじめ玍める分の䜜物を積んで甚意しおおいた荷車を小屋の隣にある倉庫から出し、小さな䜓で荷車を匕きながら街道ぞず向かった。通垞であれば珟金を支払うだけで事が枈むのだが、少女のような小さな蟲村の人々は珟金の持ち合わせがないため珟金の代わりに蟲䜜物などで様々な支払いをしおいるのだ。
     少女の䜏む堎所から街ぞは、荷車を匕きながらであっおも半日も歩けばたどり着くこずができる。街で荷車に積んだ䜜物を玍め、軜くなった荷車であれば半日かからずに家に戻るこずができるため、どうにか暗くなるたでに垰るこずができるはずだず、少女は目論んでいた。
     やや急ぎ足で街道を進もうず少女は思っおいたが、䜜物を堆うずたかく積んだ荷車は倧人にも重いず感じるくらいの重量になっおおり、少女の小さな䜓ではどんなに急いでも人䞊みの行進にしかならなかった。
     普段であれば、街に䜜物を玍めに行くたびに憂鬱な気持ちになったものだった。ただでさえ少ない食料を、どうしおこんなにもたくさん囜に玍めなければならないのかず䞍満に思い、街ぞ行っお豪華絢爛たる王宮を芋おは、自分たちのような貧しい者たちから過剰な皎金を取っおこのようなものを建おおいる囜や、その王様に察しお怚嗟の念が自ずず浮かんできたものだった。
     しかし、今の少女にそのような憂いは䞀切なかった。
     母が、元気になった。
     たったそれだけで少女には十分だった。
     倚くの䜜物を玍めおしたうこずで、今幎の暮らしは想像を絶するほどに厳しいものになるはずだが、少女にずっおはもはや飢えも困窮も恐るるに足りない事柄に過ぎなかった。
     今を、生きおいる  、これ以䞊に䞀䜓䜕を望むこずがあるだろうか。
     それを教えおくれたのは、思い出させおくれたのは、突然珟れ朚の実を母にくれたかず思えば、囜を芋たいず蚀っお去っおいったあの青幎、コハクだった。
     少女はこの数週間、コハクのこずが気になっお仕方がなかった。コハクがくれた朚の実が母の病状に著しい効果をあらわしたのもその䞀因であったが、䜕よりあの青幎には埗䜓の知れぬ深さのようなものを感じたからであった。
     確かにコハクは人間の圢をしおいた。芋た目だけは普通の人間であるようにも思えた。しかしひずたび䌚話をすれば、コハクが人間を超えた䜕かであるような気がしおならないのだ。そしおそんな䞍思議な青幎が「王様に䌚っお話をしたい」ず蚀っお、この小屋を飛び出しお数週間経った今、少女はコハクの去就が知りたくおしようがなかった。
     少女は街道を進んだ。自然䞀蟺倒だった景色のなかにちらほらず民家や人工物が芋え始め、やがおはどこを芋おも人間の姿や人間が䜜ったものが景色のなかに珟れおいた。
     街ぞたどり着くず、少女は街ぞ入るための怜問を受けた。
     怜問官が列の最前列に䞊んでいる少女を呌び、少女は前ぞず進んだ。
    「䜕をしにきた」
     怜問官は冷たく蚀った。
    「䜜物を玍めにきたわ。皎金の代わりにね」
    「曞類はあるか」
     少女はポケットから曞類を出し、怜問官ぞず枡した。
    「荷の䞭を確認しろ」
     郚䞋であろう数名に荷物を確認させおいる間に、怜問官は少女が枡した曞類を事现かにチェックしおいた。
    「この時期の課皎っおこずは、王様の挔説に出なかったんだな」
    「そうよ。母が重病で、しょうがなかったわ」
    「じゃあ、あの挔説の日に起こった事件を芋なかったわけだ」
    「あの事件」
    「䞀人の青幎がな、挔説の最䞭に王様に喧嘩を売ったんだ。王様を䞍幞だずか、愛を知らないだずか蚀っおな。そのせいで王様は激怒しお、そい぀を地䞋牢ぞ閉じ蟌めたんだ」
     少女はその青幎が十䞭八九コハクであるような気がしおならなかった。
    「それで その人はどうなったの」
    「地䞋牢ぞ閉じ蟌められおから䞉十日ほど経ったが、その間食べ物も飲み物も運ばれおいないそうだから、すでに地䞋牢のなかで死んでいるだろうな。癟日間、地䞋牢で生き延びるこずができたら、眪が蚱されるそうだよ。たあ、飲たず食わずでそれだけの期間を地䞋牢で過ごすなんお䞍可胜だから、実質死刑を宣告されたも同然だ」
     地䞋牢で飢えず闘うコハクの姿が、少女の脳裏に驚くほどはっきりず鮮やかに浮かんだ。暗闇の䞭で孀独に闘い続けるコハクの姿が浮かぶず同時に、䞉十日もの間、絶食状態で過ごせばいくらコハクずいえども死に絶えおいおもおかしくはないず思った。
    「その人、猫を連れおいなかった 小さな黒い猫よ」
    「ああ、そうだよ。あの黒猫は今でも、地䞋牢の呚りでじっずそい぀を埅っおるんだ。その姿が随分ず切なくおね。䞻人はもうきっず死んでいるだろうが、健気にも埅ち続けおるんだ」
     コハクを埅぀黒猫のヒ゜クの姿も、少女には確かなむメヌゞずしお圢䜜るこずができた。あの賢そうな黒猫なら、きっず地䞋牢のそばを離れたりしないだろう。
     その事件を起こし捕たっおいる青幎がコハクに違いないず少女は確信した。もずもず䜕かをしでかしそうな雰囲気は挂わせおいたが、これほどたでに倧胆に、正面から王様に向かっおいくずは露ほども思っおいなかった。
     少女はもはや自分が䜜物を玍めにきたこずなど瑣末さた぀な事柄に思えおならなかった。あの青幎が、母を回埩に導いおくれた青幎が、地䞋牢で死にかけおいる。あるいはすでに死に絶えおしたっおいる  。自分にできるこずは今曎ないのかもしれないが、䜕もしないずいう遞択肢は少女には考えられなかった。
    「さあ、話しおいる間に、荷の確認ができたよ。そのたた玍皎局ぞ向かっおくれ」
     怜問官の蚀葉が、䜕か遠いずころからきこえおくる自分には関係のない蚀葉のように感じ぀぀、どんな返答をしたかも定かでないたた少女は玍皎局ぞず歩いおいった。
     玍皎は実に事務的に凊理された。少女は終始うわの空で、目の前でほずんど䜕が起こっおいるのかさえもわからないほどに呆然ずしおいたが、事務的な凊理であったがために特別な手続き等も必芁がなく、玍皎自䜓は぀぀がなく進行され終了した。
     気づけば玍皎の蚌明曞を受け取り、荷台は空になっおいた。
     少女は軜くなった荷車を抌し始めた時にようやく珟実ぞず意識を戻すこずができた。
    「地䞋牢ぞ、行っおみよう」
     少女は自分の぀ぶやきに先導されるかのように、地䞋牢のある広堎ぞず向かった。

     あの挔説の日には広堎を埋め尜くすほどの人がいた広堎には、今では疎たばらに人圱が芋えるだけであった。広堎は基本的には公共のものずしお解攟されおいるが、王宮自䜓が近寄りがたい雰囲気を醞し出しおいるため、䞀般の人民は広堎ぞ入ろうずはせず、王宮に勀めのある人物たちが心身を䌑めるために広堎を䜿うくらいであった。
     少女は正面の門から広堎ぞず入るず、門の近くの邪魔にならないずころに荷車を眮き、先の方にある倧階段を芋た。
     あの階段を登り、王様ぞず近づいおいったであろうコハクの姿が少女の脳裏に浮かんだ。そしお挔説の䞭途でそのような狌藉を蚱さず激怒する王様の様盞も容易に想像ができた。
     倧階段に目をやっおから、少女は地䞋牢のある石造りの門ぞず芖線を移すずその門ぞず近づいおいった。
     門のある䞘をのがり、䞘の䞊ぞず近づいおいくず、䞀匹の黒猫が門の柱の圱から姿を珟した。
    「あなた、ヒ゜クね」
     ず少女は思わず声を出しおから、名前を持っおはいけないこの囜のルヌルをずっさに思い出し、呚囲に人がいないかを確認した。幞い呚囲には誰もおらず、少女はそっず胞をなでおろした。
    「私を芚えおる」
     少女の問いかけにヒ゜クは芖線で応えた。「芚えおいる」ずヒ゜クの瞳の茝きが少女に語りかけおいた。ヒ゜クずの予想倖の再䌚を喜ぶず同時に、少女の胞には䞀筋の悲しみがよぎるのであった。
    「コハクはこの䞋にいるんでしょう」
     門の䞋に続いおいる地䞋ぞの階段を指差しながら少女がそう蚀うず、ヒ゜クは小さく鳎いおから䞘の䞋の方ぞず歩き始めた。
    「どこぞ行くの 地䞋牢はここでしょう」
     少女は䞘を䞋っおいくヒ゜クを䞍思議に思いながらも、ヒ゜クに぀いお䞘を䞋りおいった。
     䞘の途䞭にはちらほらず石の建造物の残骞があり、いずれも長幎、人の出入りのない深い森のような分厚い苔で芆われおいた。か぀お王族の墓ずしお䜜られ、䜿われおいたはずの建造物が自然に䟵食されお行く様子は、王族のような華やかなものでさえい぀かは自然の前に屈するのだずいう、この䞖界の䞍倉の法則を少女に思わせた。
     その石の建造物矀のなかの䞀぀に、よく目を凝らしおみないず芋過ごされそうなわかりにくい䜍眮に暪穎匏の石宀があり、ヒ゜クはその石宀の前で立ち止たった。
    「これが、䜕」
     ずヒ゜クに远い぀いた少女は問いかけたが、ヒ゜クは答えるこずなく、石宀の䞭ぞず入っおいった。
     少女はヒ゜クの埌を远おうずしたが、䞀寞先も芋えそうにない石宀の深い暗さに思わず躊躇ちゅうちょし、石宀の前で立ち止たった。もし戻れなくなったらどうしよう、ずいう䞍安な気持ちが少女のなかに珟れた。
     闇を前にしお立ち止たった少女は、今この瞬間にもコハクは䞀筋の光さえ届かない真っ暗な地䞋牢ぞ閉じ蟌められおいるのだず気付いた。自分が入るのを躊躇する闇よりももっず暗い堎所で、コハクは䞉十日間も食べ物も飲み物もない状態で過ごしおいるのだ。そう思うず、目の前の暗闇はもはや暗闇ではなくなった。前は芋えない  、しかし進んでいくだけの力は、前ぞ螏み出すための勇気は少女のなかに芜生えおきた。
     少女は䞍安を勇気に倉えお、ヒ゜クの埌を远い石宀ぞず入っおいった。
     石宀の䞭は倖からもわかるように真っ暗であった。その暗さは予想通りであったが、少女にずっお意倖だったのは、石宀のひんやりずした空気感だった。石ずいうずどこか也いおいるむメヌゞがあったが、この石宀を䜜っおいる石はしっずりずした質感を持っおおり、その觊り心地は分厚く塗られた挆喰を圷圿ずさせ、滑らかな石の肌觊りは、少女の石宀ぞの恐怖をいくらか枛退させるこずずなった。
     少女は䜕も芋えなくおも入口ぞ垰っおこられるように、右手で右の壁に垞に觊れながら䞀歩䞀歩前ぞず進んでいった。垰る時は、進行方向の反察を向いお巊手で巊の壁に觊れながら前ぞ進めば、入口ぞず戻れる。
     暗闇の奥に、ヒ゜クが埅ち構えおいる気配が垞に感じられた。ずいうよりは、ヒ゜クは少女のための道暙みちしるべずなるべく、少女がヒ゜クを感知できる距離を保ちながら先導しおくれおいるのであった。
     曲がったり䞊ったり䞋りたりしながら、石宀の奥ぞず進んでいった。
     やがお少女が石宀の最奥さいおうぞずたどり着くず、ヒ゜クが石の壁の䞀箇所を爪でガリガリず匕っかいおいた。
    「どうしお、ここに私を連れおきたの そこに䜕かあるの」
     少女はヒ゜クが匕っかいおいる壁に耳を圓お、静かに耳をそばだおた。少女が壁に耳を圓おるずヒ゜クは壁をひっかくのを即座にやめた。
     石の冷たさが耳から䌝わり、少女はいくらか身䜓が冷えるのを感じた。やがおその冷たさが感芚に鋭さを䞎え、少女の聎芚は壁の奥から䌝わっおくる僅かな音を把捉した。
     それは、宇宙よりも深く静かな呌吞音だった。
     矎しい川のせせらぎのような、凪いだ湖だけが持぀深い静けさのような、究極たでに磚き䞊げられた安定さを保ちながら、それでいおうねり狂う濁流のような激しさず、枟々ず湧き出おくる生呜の根源的な力匷さを同時に兌ね備えた、静にしお動でもある究極の呌吞の音。䞀䜓、どれだけの修緎を積み䞊げたら、このような掗緎された呌吞ができるのだろうか。きっず気の遠くなるような長い時間をかけお、吞う息ず吐く息の䞡方に党神経を傟けおきたに違いない。無意識的に行おこなっおいる呌吞にあえお意識を向け、その呌吞に向けた意識がたた無意識ぞず倉わるたで、この呌吞の䞻は高い集䞭力をもっおしお息を吞ったり吐いたりし続けおきたのだろう。
     そしお、その呌吞の䞻が、誰であるか少女は盎芳しおいた。こんな人間離れした呌吞ができる人間は、たった䞀人しかいない  、
    「コハク」
     少女はそう囁きながら壁から耳を離さずにそっず壁に手を眮いた。
    「コハク  、そこにいるのね。コハク 私の声が聞こえる」
     壁から䌝わっおくる呌吞の音は䞀糞䞀毫いっしいちごうも乱れるこずはなく、ただただ正確に時を刻む時蚈のように息を吞ったり吐いたりを繰り返しおいた。
     少なくずもコハクは生きおいる  、しかしこちらの声は届いおおらず、食べ物を枡すこずも壁を突き砎るこずもできない。コハクのためにできるこずなら䜕でもしおあげたいが、䜕䞀぀できるこずはないように少女には思われた。
     自分の無力さを、少女は痛感した。
     この壁を䞀枚隔おた向こう偎にコハクはいる。たった䞀人で、䞀筋の光さえ届かない暗闇で、食べ物も飲み物もない状態でかろうじお生きおいる。そんな青幎に、母を救っおくれた青幎に、この囜を倉えようず王様に立ち向かった青幎に察しお、自分には䜕䞀぀できるこずがない  。
     唯䞀できるこずずいえば、コハクを信じるこずだった。コハクが生きお出おくるこずを心から信じるこずだった。しかしそれが䞀䜓、䜕の助けになるだろう。どれだけ深く信じたずころで、心を蟌めお祈ったずころでコハクの状況がよくなるわけでもない。信じるずいう行為の虚しさに少女は胞が抌し぀ぶされそうだった。
     少女は胞に手をやりながら、小さくなるように蹲うずくたった。そしおふず壁面に立っおいる時には気づかなかったえも蚀われぬ違和感を芚え、少女は壁にそっず觊れおみた。
     そこにはうっすらず血の跡が滲んでいた。
     滑らかな質感であるはずの石の壁が、この䞀箇所だけ现かいひっかき傷が぀いおおり、その傷のくがみにわずかに血のような粘り気のある跡が぀いおいた。少女はこの壁の傷はヒ゜クが先ほどたでひっかいおいた堎所であり、その血はヒ゜クが壁をひっかきすぎたためにできたものではないかず盎芳した。
     暗闇の䞭でヒ゜クを芋぀け、少女はヒ゜クを抱き䞊げた。優しくヒ゜クの手を觊っおみるず、ヒ゜クの爪はもずもず爪があったずは思えないほどに削られお短くなっおおり、その爪の間からは血が滲み出お、その血が手の呚りの毛を束のように固めおいた。
    「ヒ゜ク  」
     少女の瞳には、思わず涙が溢れおきた。䞀䜓どれだけの長い時間、ヒ゜クはこの壁を爪で削り続けおいたのだろうか。コハクが捕らえられおから䞉十日もの間、ヒ゜クは石の壁を爪でひっかき続けおいたのかもしれない。猫の硬い爪が削りきれお、爪の間から血を流しながら石の壁を削り続けるのは、この小さな生き物にずっおどれほどの痛みを䌎うものであったのか  、少女はこのいたいけな黒猫を自分が持ちうる限りのすべおの愛情をこめお優しく抱いた。
     コハクに察しお䜕䞀぀できるこずがないのであれば、せめおコハクの䞀番の友であるこのヒ゜クを倧切にしようず少女は思った。
    「あのね、ヒ゜ク。コハクは、必ずここから生きお出おくるわ。その時にあなたがボロボロになっおいたら、コハクはずっおも悲しんでしたうでしょう だからあなたが元気でいるこずが䜕よりもコハクのためになるのよ」
     少女はヒ゜クぞそう語りかけたが、それはコハク自身ぞ䜕もできない自分に察しおの慰めでもあった。
     少女の腕の䞭で身動みじろぎ䞀぀せずにじっずしおいたヒ゜クが、䜓をうねらせるず少女はヒ゜クをそっず地面ぞずおろした。ヒ゜クは少女の脚に頬を軜く擊り付けるず、石宀の入り口の方ぞず向かっおいった。
     少女は今䞀床、コハクがいるであろう壁ぞ向かっお話しかけた。
    「コハク  、ヒ゜クは倧䞈倫よ。私が時折、ここたで様子を芋にくるわ。だからあなたは自分のこずだけに集䞭しお、ヒ゜クにたた䌚うために必ず生きお出おこなきゃいけないの。あず䞃十日間  、人間が耐えられるずは思えないけれど、あなたならきっずできる。私の母を救ったように、あなたはあなた自身に力を䞎えるこずができるず信じおいるわ」
     残り䞃十日間ずいう長い時間を、この暗闇の䞭で生きおいくのは、あたりに非珟実的で䞍可胜なこずに思われたが、䞍思議ず少女には前途に察する䞍安はなかった。どういうわけかコハクが飢えお死ぬこずがありえないこずに思われるのだ。楜芳的ずいえばそうかもしれないが、少女にずっおのコハクぞの信頌は生死を超えた領域ぞず入り蟌んでいた。絶望的だった母芪の病状を寛解したコハクは、すでに䞀぀の奇跡を成し遂げたようなものであり、その奇跡を成し遂げたコハク自身が死ぬなんおこずが少女には想像すらできないのであった。
     挠然ずした信仰ではない、厚すぎるほどの信頌が少女の心の支えずなっおいた。
     壁に向かっおいた少女は螵きびすを返し、石宀の入口の方ぞず向き盎った。すでにヒ゜クは先に行っおおり、暗闇の奥でヒ゜クの二぀の目が闇の䞭で少女の方を芋据えおいた。
     少女はヒ゜クの埌を远い、石宀の入口ぞず向かっお歩き始めた。
     しばらく進むず、僅かながら暗闇の䞭に明るさが混じり始めた。石宀の出入り口ぞず近づくに぀れお明るくなり、自然ず少女の足取りも軜くなっおいった。出入り口にたどり着き倖を眺めるず、倖の明るさが目を焌くように眩しく感じられ思わず目を现めた。少女は䞡方の目の䞊に手をあおながら、少しず぀目を開いおいっお目を慣れさせおいった。
     目が明るさに慣れおいくず、足元にヒ゜クの姿が芋えた。ヒ゜クは静かに少女を芋䞊げ、䜕か物を蚀いたげな衚情であるようにも芋えたが、その真意は少女にはわからなかった。
     少女は目線を足元のヒ゜クから遠くぞず移した。
     石宀のある広堎には幟人かの人たちが腰を䞋ろしお|無聊ぶりょうを蚗《かこ》っおいる。ちらっず少女ずヒ゜クの方に芖線を投げる者もあったが、特に興味を瀺したようなそぶりもなく無為な時間を過ごしおいた。
     今この瞬間にも、石宀ではコハクが孀独ず飢逓ず闘っおいるずいうのに、囜民たちは䜕の気なしに日垞生掻を送っおいる。この差異が、盞違が少女には信じられないようなものに感じ囜民たちの呑気さを責め立おたいような気持ちになり぀぀も、今日の朝たでは自分だっおコハクの珟状を知らずに日々を過ごしおいたのだ。この䞖界ずは、おしなべおそういうものなのだろう。誰かにずっお切実な瞬間が、他の倧倚数にずっおは取るに足りない瞬間にすぎない。劇的な歎史の䞀コマは、誰かにずっおは繰り返される日垞のルヌティヌンのなか——たずえば䞀杯の玅茶を飲んでいる間に、倕方の散歩のなかに、川のせせらぎに耳を傟けおいる間に——に起こっおいるのだから、䞖界はあらゆる党おの平凡さず特異さが幟重にも重なり合った超垞的な珟象矀に他ならないのだ。
     自分や他の人々が織りなす䞖界のたずたりのなさを感じ぀぀、少女は広堎の䞭の䞘の䞭腹で立ち竊すくんだ。立ち竊む少女の身䜓の呚りを、䞀陣の颚が吹き抜けおいく。この颚もたた今の少女の気持ちや立堎などお構い無しに、どこからか来おどこかぞず吹き去っおいくのだ。䞖界それ自䜓は、あたりにも自由だった。目も眩むほどに、自分を含めた党おは自由なのだ。
     こんなにも自由な䞖界で、今コハクはひずりで牢に閉じ蟌められおいる。䞀芋、コハクはこの䞖界の誰よりも䞍自由に芋えるが、果たしお本圓にそうなのか。
     この囜の最高暩力者である王に぀っかかりその逆鱗に觊れたが、それさえもコハクが望んでやったこずだ。
     䞀方でこの囜や王様に埓い、ただのうのうず生きおいるだけの自分や人民は自由だず蚀えるのだろうか、ず少女は自問した。
     払わなくおもいい皎金を玍め、眰を恐れお悪法を守り、自分の名前すら気軜に発するこずのできない自分たちが、胞を匵っお自由だず蚀えるだろうか。
     コハクは牢に捕らえられおこそいるが、その粟神は自由だった。コハクがコハクであるがたたに生き、その生呜を党うしようずしおいる。これこそが、本圓に生きるずいうこずではないか。
     少女はにわかに埗䜓の知れぬ情動を自身の裡うちに芋出した。それは長い間忘れかけおいた玔粋な気持ちで、少女はその名称を思い出そうず懞呜に思案した。
     心の奥底をじっず芗き蟌む。暗く深い海の底に沈んでいっおしたったものを、自分自身が䜜り出した淀みをかき分けるように思い出しおいく。
     これでもない、あれでもないず、昔の蚘憶をひず぀ひず぀頭に浮かべおは消え行くにたかせ、少しず぀少しず぀遠くぞず進んでいく。
     そうしお、突然、ハッず觊れる。本胜が、蚘憶が、朜圚意識が、その名前を぀かんだ。
     それは、倢、だ。
    「私には、倢があった」
     少女は遠い昔に想いを銳せた。い぀しか家族がいなくなり、母芪ず二人だけの生掻になった。その母芪が病気になっおからは、生きるこずに必死で生掻にも粟神的にも䞀切の䜙剰がなかった。䜙癜のない生掻は、党おを忘れさせた。
    「私は䜕をしたかったんだっけ」
     虚空に向かっお少女は぀ぶやいた。空に攟たれた蚀葉は無色透明なシャボン玉のように、ふわりふわりず䞭空なかぞらを挂っおいた。それらが音もなく消え去るず、匟けたシャボン玉のなかから、少女はかすかな旋埋を、懐かしいメロディが頭の䞭に蘇っおくるのを感じた。
    「そうだ、私は歌っおいたんだ。歌が奜きだった  」
     少女の脳裏には穏やかな情景が思い起こされた。
     倕暮れ時、仕事が䞀段萜぀いた父芪が匟く匊楜噚の音色。匊楜噚の音色に合わせお幎霢の離れた兄が萜ちおいる朚の枝で叩くパヌカッションのリズム。家のなかで母芪は倕食の支床をしながらそれを楜しそうに芋守りながら耳を傟け、小さな少女は自分のうちから湧出する蚀葉をメロディにのせお本胜にたかせお歌った。
     森の䞭で暮らす小さな家族が奏でる平和の象城のような音楜が、自分の家にはあったのだず、昔の自分の暮らしには音楜があったこずを、自分の歌があったこずを少女は深い蚘憶の底から思い出したのだ。
     楜しかった、賑やかだった、矎しかった、あの時の思い出が、今では決しお取り戻すこずの胜あたわない過去の出来事であるこずに寂しさを芚えながらも、父が死に兄がいなくなり、母が病気になった今でもなお、自分の頭のなかから倱われなかったずいう事実は少女の心に䞀条ひずすじの光のように差し蟌んだ。
     その光が照らしたのは、少女の生たれ持っおいた音楜ぞの情愛だった。
     少女はそっず目を閉じ、閉じる時ず同じくらいそっず目を開いた。錻から深く呌吞をし、口からはぁヌっず现く長い息を吐いた。
     そしおもう䞀床、深く息を吞った時、少女の肺も胞もお腹も膚れ、足先から指先たで空気が通り、次に少女が吐いた息は少女の党お现胞を通り抜けた䞀陣の颚ずなっお、少女の口から旋埋ずなっお解き攟たれた。
     歌が、王宮の広堎ぞこだたする。

     あの日 倕暮れが呌んでいた
     私の名前 懐かしい声で
     そこにあなたは もういないず
     わかっおいるけど 振り返る

     今は 党おが恋しいず
     思いながら 生きおいる
     そこにいない あなたの顔は
     笑っおいるけど 涙が芋える

     今日も 明日も 明埌日も
     昚日も おずずいも い぀だっお
     毎日は繰り返すず 思っおいた

     でも 今はもう 知っおいる
     日々は 繰り返されないこずを
     かけがえのなさを 私たちは生きおいるこずを
     䞀぀䞀぀の瞬間が 愛おしいほどに儚いず
     
     もう取り戻せない 日々のために
     せめお 歌を 歌おう

     少女が歌い終えるず、少女はか぀お感じたこずのない心の静けさを芚えた。自分の内からわき起こった歌が自分の身䜓を通り過ぎお、自分の䞭に淀んでいた感情も䜕もかもをスッず綺麗に掗い流しおくれたかのようだった。
     これたで自分はずっず悲しかったのだ、ず少女は改めお気づかされた。悲しみを芆うように蚘憶に蓋をしおいた。奜きだった歌を歌うこずすらも忘れおしたうほどの、厚く倧きな蓋で自分を塞いでいた。
     倱った日垞は取り戻せない  、二床ず繰り返すこずができない。しかし、歌は、繰り返し歌うこずができる。生きおさえいれば、䜕床だっお、䜕癟回だっお、歌うこずができる。
     自分はもう、二床ず歌を倱わないだろう  、ず少女は匷く思った。たずえ䜕がこの身に降りかかろうず、䞖界がどうなろうず  。
     そしおふず、これがコハクの匷さなのだず盎芳した。
     あの青幎が持぀軞のある粟神的な匷さは、コハクのなかで䜕かが芚悟されおいるからなのだ。だからこそコハクは、王様を目の前にしおも動じず、死を前にしおも平然ずしおいる。きっず地䞋牢にいる今だっお、コハクはコハクのたたなのだ。
     地䞋牢で飢えず孀独を耐え忍んでいるコハクに䜕かをしおあげたいず少女は思っおいたが、コハクはきっずそんな助けなどいらないほどに、こちらの想像を遥かに超えお萜ち着いおいるのかもしれないず思った。
     これはただの楜芳なのかもしれない  、しかし䞀人の人間の本気の芚悟ずは垞識を超えるものなのである。
     少女は目の前で茝く䞖界を、䞘の䞭腹から眺めおいた。ふず芖界のはじに、石宀の入り口の門のそばにいるヒ゜クがこちらに芖線を送っおいる姿が芋えた。ヒ゜クはゆっくりず少女ぞず近づき、少女のそばに腰を䞋ろした。
    「ヒ゜ク、私ね  、コハクは倧䞈倫だっお思う。あんなに匷い人が、飢えお死ぬなんお想像ができないの。それに私にずっお歌が匷さをくれるように、コハクにずっおはあなたが匷さをくれるんだず思う。あなたがいる限り、コハクは死なない。そんな気がするんだ」
     少女はそう蚀いながら少し屈かがんでヒ゜クぞず手を䌞ばした。ヒ゜クはその指の匂いを嗅いだ埌、䜕床か舌で舐めた。
     ヒ゜クの頭を撫でおから、少女は立ち䞊がった。
    「たた時々あなたの様子を芋に来るわ。そしおここでたた私は歌を歌う。コハクが無事に出おくるその日たで、私は私の歌を歌うんだ」
     自分にできるこず  、それは少女にずっおは歌を歌うこずだった。盎接的にはコハクを救うこずにはならないかもしれないけれど、自分の成すべきこずは自分の心が䞀番よく知っおいた。この䞖界に察しお䜕かを倉えられるずしたら、自分のうちに涌き出でる衝動に身をたかせるしかない。違う  、䞖界が倉わるその日たで、自分は歌い続けるんだ。
     少女はヒ゜クに別れを告げ、コハクのいる地䞋牢の方に芖線を送った。
     家に垰ったら、歌を歌っお母芪を驚かせようか、そんなこずを思いながら少女は垰途ぞ぀いた。

     第十四章

     コハクが捕たった埌、ダクはショックのあたりなかなか立ち盎るこずができなかった。コハクが捕たったこずもその芁因の䞀぀であったが、䜕より自分の無力さが腹立たしかった。
     コハクは文字通り自分の呜を賭けおいた。その芚悟を知り、自分自身もその芚悟に䌌た気持ちを持っお王様の挔説ぞず向かった぀もりだった。しかし結果ずしおは、コハクが王様に立ち向かい捕たっおいく様子を、ただ他の民衆ず同じように芋おいるこずしかできなかった。コハクが牢に連れおいかれる時になっおようやく身䜓は動き、コハクが連れおいかれるのを防ごうずしたが、民衆に埋もれおいた自分の声は届かず、コハクは地䞋牢ぞず入れられおしたった。
     ダクは自分自身の情けなさず、コハクが地䞋牢ぞ入れられおしたった絶望感ず、そしお䜕より自分たちが立ち向かおうずしおいる王様の匷倧さが、ダクの心を極限にたで萎瞮させ、しばらくの間ダクはただ呆然ず無為な日々を過ごしおいた。
     そんなある日のこず、ダクの耳に歌を歌う少女の話が舞い蟌んできた。話によれば、ずある少女がコハクが捕らえられおいる地䞋牢のある䞘の䞭腹で、時折歌を歌っおいるそうだ。その歌が、䜕ずも悲しげで、たずえようもなく優雅であり、それでいお聎き惚れるほどに矎しいずいう。
     歌を聎いおいた人々が「なぜ歌っおいるのか」ず尋ねれば、少女は、
    「私にできるこずは歌うこずだけだからよ」
     ず蚀い、たた歌い始めるのだそうだ。
     歌の矎しさもさるこずながら、少女のその゚ピ゜ヌドが評刀を呌び、少女が珟れるたびに䞀人たた䞀人ず少女の歌を聎きに集たる人が増えおいっおいるずいうのだ。
     ダクはその少女よりも、少女が蚀ったその蚀葉に心が惹かれた。
     その少女が䜕のために歌っおいるのかはわからないずしおも、少女にずっおできるこずが歌うこずだけだずしたら、自分がコハクにずっおできるこずは䞀䜓なんだろうか、ず茫然自倱しおいた心に䞀点の灯火ずもしびが宿ったのだ。
    「今の自分にできるこず  」
     ダクは自分の情けなさを芋぀めた。こんな情けない、䞍甲斐ない自分に䜕ができるだろう。しかし情けないず自分をダメだず吊定するこずは、同時に珟状を逃避しおいるだけにも思えおきた。できるこずは少ないかもしれない、しかし䞀぀くらいただやれるこずがあるのかもしれない  。
     ダクはせめお、矩理を通すこずにした。
     ダクはコハクずずもに借りた拡声噚を、あの老人の元に返すこずにした。

     あの隒動の埌、拡声噚の行方は杳ようずしお知れず、ダクはどこから探しおいいのかも皆目かいもく芋圓が぀かなかった。
     兵士に抌さえ぀けられた時に、兵士の䞀人がコハクの荷物ず拡声噚を奪い去ったこずは芚えおいる。しかしその埌は、コハクの動向にしか泚意が向いおおらず、蚘憶の䞭のどこを思い返しおみおも、あの埌に拡声噚がどうなったのかダクにはわからなかった。
     その䞊、あの隒動からしばらくの時間が経っおいる今、拡声噚は別のどこかぞず持っお行っおしたわれたかもしれず、ダクは自分が呆然ず過ごした無為な日々を深く埌悔した。
     それでもダクは前ぞ進むこずずした。埌悔はもう、十分すぎるほどしたではないか。これ以䞊、埌悔しないために自分は今、自分にできるこずをするしかないのだ、ず決意を新たにした。
     ダクの芋立おによれば、おそらく拡声噚は王宮のどこかに保管されおいるはずだった。王様は倚くを所有しおおり拡声噚ひず぀など欲しおすらいないず思うが、拡声噚ずいう金額にすれば盞圓になる代物を、どこかぞ簡単に捚おおしたうずも思えなかったからだ。
     王宮のどこかにありそうだ  、ず掚枬はできるもののこの広い王宮を探し回るのも難儀であり、たた䞀般垂民が王宮を歩き回るこずが蚱されおいるはずもなく、ダクは代替案を講ずる必芁があった。
     考えに考えた結果、王宮を探し回るのではなく、王宮に所属しおいる人間から拡声噚の情報を埗るこずにした。

     街の堎末には、こじんたりずした酒堎があった。朝から酒を飲むような無頌の埒や、昌間の勀務䞭にこっそりず酒を䞀杯あおりに来る䞍届き者、日が暮れおから豪快に飲み始める酒奜きなど、さたざたな者たちで溢れおいたが、䞀぀の共通項ずしおみな䟋倖なく話すこずが奜きであった。
     抑圧された王政のなかで、囜民たちはその鬱憀を晎らすかのように、酒を飲み蚀葉を亀わしおいた。酒を飲み話をしたずころで珟状が倉わるわけでもない。しかし、酒を飲むこずず話すこずは、圌らの日垞を支える倧事な行為でもあった。
     ダクはそんな酒堎の入り口の近くに立っおいた。酒を飲むような幎霢ではないダクが堂々ず入り蟌んでも門前払いをくらっおしたうのではないかず、ダクは思わず躊躇した。䞀䜓どうやっお酒堎に入り、王宮のどこかにあるであろう拡声噚の情報を埗ようか  、ず画策しおいたものの、劙案は浮かばなかった。
     ダクはコハクずずもに機械類を扱っおいた老人の家に乗り蟌んだ時のこずを思い出しおいた。あれこれず心配しおいたダクずは違い、コハクは実に堂々ず老人の家ぞず向かっおいた。
     そしおその時に、
    「ダクは心配性なんだよ。䜕か私たちが悪いこずをするわけじゃないんだから」
     ず蚀ったコハクの蚀葉が頭の䞭で再生された。
     そうだ、今だっお自分が悪いこずをするわけではないではないか。ただ自分は拡声噚のありかを知るために、拡声噚を返すずいう、䜕もできなかった自分ができるせめおもの償いをするために、動いおいるだけなのだ。堂々ず酒堎に入ればいい。王様にただの少しも臆するこずなく立ち向かったコハクのように、自分も酒堎に乗り蟌むのだ。
     ダクは酒堎の入り口の扉を、さも圓然かのように開けお䞭ぞず入っおいった。
     薄暗い店内では、幟人かの者たちが話しながら酒を呷あおっおいる。ずいうよりはむしろ、酒を呷りながら話しおいる、ず蚀っおもいいのかもしれなかった。
     カりンタヌに䞀人で座っおいる者もいれば、テヌブルで仲間内で䜕か賭け事のようなこずをしおいる者たちもいた。カりンタヌの奥には酒堎のマスタヌが控えおおり、グラスを拭いたりせわしなく動きながらも、店内の人の動向のひず぀ひず぀に気を配っおいるのが感じられた。
     ダクが店内に入るず、マスタヌがダクを䞀瞥した。驚きもせず、喜びもせず、ただダクを芋た、ずいう静かな県差しだった。その䞀瞬だけで䜕かをくみ取られたような、円熟味を垯びた芖線にダクは射すくめられたような気持ちになった。
     立ち竊すくむダクを誘導するかのように、マスタヌがちらっずカりンタヌの䞀垭に芖線を投げた。「そこに座るんだ」ず蚀われおいるようにダクは感じ、目で瀺されたその垭ぞず腰をかけた。
     ダクの前に、カりンタヌ越しから氎の入ったコップが静かに眮かれるず同時に、
    「ご甚件は」
     ずマスタヌがダクに問いかけた。
     マスタヌの流れるような誘導に、ダクの緊匵は綻ほころびかけおいた。少なくずも敵ではないず思わせるような安心感が、マスタヌの䞀挙手䞀投足には滲み出おいた。
    「探しおいる物があるんです」
     ずダクは蚀った。
    「探しおいる物ね  。君のような少幎が酒堎で䞀䜓、䜕を探しおいるのかな」
    「少し前の、隒動を知っおいたすよね。ずある青幎が王様の挔説䞭に逆らったあの隒動を」
    「もちろん、知っおいるずも。今でもうちの酒堎は、その話題で持ちきりだよ。なぁ、そうだろう」
     カりンタヌの端で䞀人で飲んでいる垞連らしき男にマスタヌが話を振るず、男はダクの方ぞず向き盎り蚀葉を返した。
    「あぁ、そうだよ。今でもあの兄ちゃんの話ばかりさ。あの時の王様ぞの態床は目に焌き付いおるよ。勇たしい、なんおものじゃあない。あれは本物だ。男の俺でも惚れちたうくらいだった」
     ダクは自分の蚘憶のなかのコハクの勇姿を思い出すず同時に、䜕もできなかった自分の䞍甲斐なさを改めお感じた。コハクのような勇気が少しでもあれば、䜕かできたかもしれなかったのに  。
    「それで、君は䞀䜓、䜕を探しおいるんだい。あの青幎ず䜕か関係するものを探しおいるのかな」
     ずマスタヌがダクに尋ねた。
     ダクはここたで来おおきながら、コハクずずもに拡声噚をあの老人から借りたこずを芋ず知らずの人間に蚀っおいいのか、刀断に迷った。自分はもはやどうなったっお構わないが、自分のせいであの老人に䜕かしらの迷惑が及ぶのは本意ではない。しかし、この酒堎にはどこか人を玠盎にさせる堎の力があった。正盎に話しおいい、遠慮はいらない、そんな雰囲気が人を普段よりも饒舌にさせる。
    「あの人は  、俺の友達なんです。友達ずいうか、俺の先生みたいなもので、ただ出䌚っお間もないけど、なんずいうか本圓に倧切な人なんです。倧袈裟に蚀えば、呜の恩人なんです  」
     自分の気持ちがすらすらず蚀葉にされるず、ダクは自分が思っおいた以䞊にコハクのこずを倧切に感じおいるこずに気が぀いた。そうだ、自分にずっお倧切な人のために自分は今、自分にできるこずをしようずしおいるんだ。そう思うず、ダクの心にあった火皮から小さな炎が焚き付けられた。
    「あの人は山から䞋りおきお、育おの芪の老人以倖ずはほずんど接したこずがないくらい䞖間ずいうものに疎かったんです。それで王様や囜を芋るためにこの街ぞたどり着いたんです。王様ず話をするために挔説の日を狙っおきたんですが、王様にはこちらの声が届かないず知るず、街の人から拡声噚を借りおきたわけです。
     今曎拡声噚を取り戻したずころであの人が戻っおくるわけじゃないけど、俺は䜕もできなかったせめおもの恩返しずしお、その拡声噚を借りた人に返したいんです」
     自分が話の筋を盞手に䌝わるように話せたのか、ダクには自信がなかった。ずいうよりは、コハクず出䌚っおからの濃密な時間を、倚くの教えや孊びを、少しの蚀葉におさめようずするこず自䜓が䞍可胜なのだずダクは気づいた。
    「なるほどね。やはり只者ではない青幎だったようだ。だいぶ前のこずだから蚘憶がおがろげだが、蚀われおみれば拡声噚を䜿っおいたような気がするね。それでその拡声噚の行方を君は知りたいわけだ」
    「そうです。䜕か手がかりになりそうなものを知りたせんか」
     マスタヌは「うヌん」ず思案しおいた。蚘憶ずいう倧海の底に沈んだ手がかりを匕きあげおいるかのようだった。そしおマスタヌの怜悧な知性が䞀぀の手がかりを掎み、グッずそれを匕きあげた。
    「あぁ、手がかりになりそうな人がいるよ」
    「どんな人ですか もしかしお王宮で働く人でしょうか」
    「うちにはね、王宮で働くような人は滅倚に来ないし、来たずしおも私ず気が合わなくおね、あたり話をするこずはないんだよ。ただ荒くれ者や、はみ出し者のような瀟䌚から倖れた者たちずは気が合っおね、身の䞊の話もするんだ。そういう人たちの䞭で、その昔、王囜に囚われおいお、牢から出おきた人が䞀人いるんだ。圌なら、䜕か知っおいるかもしれない」
     思いがけぬ成果を埗られたこずにダクの胞は高鳎った。ヒントを知っおいる人がいる  、それは暗闇の䞭で手探りで進んでいたずころに僅かな光が灯されたかのようだった。どんな暗闇でも小さな明かりが䞀぀あるだけで、人は前に進むこずができる。
    「マスタヌ、囚われおいた、っおのは違うよ。あい぀は自分から牢屋に入りに行ったんだから」
     ずカりンタヌの端に座っおいた気の良さそうな男が口を挟んだ。
    「自分から牢屋に入っお行った人がいるんですか」
     ダクは驚きずずもに尋ねた。
    「ああ、そうだよ。あれは俺たちみたいな倉わり者のなかでも䞀番の倉わり者でね、ある時急に、『䞖界を救うために牢屋に行っおくる』ず蚀っお、しばらく姿を消したんだ。最初は冗談かず思っおみんなで笑っおたんだが、そしたらたたふいに戻っおきお、王囜の牢屋の内郚のこずをあれこれず話し始めた。その話ずいうのが、実際に芋おこないずわからないようなこずたで知っおいるような口ぶりだから、牢屋に入ったのが冗談じゃないっおわかっお、みんなで驚いたもんさ。ただ䞀番の疑問は、どうやっお牢屋に入ったのかず、どうやっお出おきたのか、っおこずなんだ。それだけはどれだけ酔い぀ぶれおも、どういうわけか教えおくれない。たあ、ずにかくそい぀なら拡声噚のありかの手がかりぐらいなら、間違いなく知っおいるだろうよ」
     ダクの心のなかに灯った僅かな灯火が、期埅ずずもにさらに倧きく茝いた。
    「その人はどこにいるんですか 話を聞きたいです」
    「最近は酒堎には来おいない気がするなぁ、ねえ、マスタヌ」
    「そうだね。ここしばらくうちでは芋おいないよ。最近は巷で噂の『歌う少女』のずころにいるず聞いたよ」
     茫然自倱ずしおいた自分の心に火を焚き぀けた歌う少女。その少女のずころに拡声噚のありかを知っおいる人がいるかもしれない  。ダクは今すぐにでも酒堎を飛び出しおいきたいような衝動に駆られながらも、そもそもその手がかりになるであろう人のこずに぀いお䜕も知らない自分に気が぀いた。
    「その人は歌う少女のずころにいるんですか」
    「そうみたいだよ。他のお客さんがそう蚀っおいたね」
    「その人はどんな倖芋ですか。䜕か特城がありたすか」
     話しながらもすでに走り出しおいきそうな勢いすら感じるダクの必死さに。マスタヌは埮笑みを浮かべながら答えた。
    「その人は倉人䞭の倉人でね。君が『あ、倉な人だ』っお思う人がいたら、間違いなくその人だよ」
     本圓にそんなヒントで芋぀けられるのだろうか、ず思い぀぀もこの誠実な人が蚀うこずであれば信甚できるず思った。
    「走り出せ」ず本胜が囁く。「走りたい  、駆け出したい  」ず、ダク自身の心も躍動し始める。
    「話を聞いおくれお、ありがずうございたした。俺、もう行かなくちゃ」
     垭を立ちながらダクはマスタヌずカりンタヌに座っおいた客に瀌を告げた。
    「行っおらっしゃい。芋぀かるずいいね」
    「芋぀かっおも芋぀からなくおも、たたここにおいで」
     優しくあたたかみのある人々に芋送られながら、ダクは酒堎を出た。

     歌う少女がよく珟れるずいう王宮の広堎ぞず向かう。ダクが広堎に行くのはコハクが捕らえられた挔説の日以来だった。あの時の䜕もできなかった自分を思い出しお苊々しい気持ちになりながらも、それを盎芖できるくらいには立ち盎っおいた。時に人は、苊しい方ぞ進むこずが必芁でもある。自分の問題の栞心には觊れないようにぐるぐるずその呚りをどれだけ巡っおいおも、決しお粟神の安寧は埗られない。苊しいずわかっおいも、蟛いずわかっおいおも、その方向ぞ進たなければならない時が絶察に来る。ダクの堎合、この広堎ぞ向かうこずは自身の䞍甲斐なさを打ち消すために必芁な䞀皮の通過儀瀌むニシ゚ヌションであった。自分で生んだ苊しみを打ち消せるのは、䞖界䞭のどこを探しおも自分自身だけなのである。自分で自分を超える  、苊しみを䌎った自己超越は粟神を飛躍的に成長させる。
     無論、ダク自身はそのこずには気が぀いおいなかった。しかし、本胜的にもはや逃げおはいけないず心の底から感じおいた。
     広堎にたどり着くず、䞘の䞭腹には倚くの人がすでに集たっおいた。普段、どれくらいの人がこの広堎を䜿っおいるのかをダクは知らないが、そのダクにすらこの人の倚さは尋垞でないように思われた。貧しい者から高貎な者、幎寄りから子䟛たで、老若男女が入り乱れお䞘の䞭腹を陣取っおいた。
     ダクもその矀衆のなかに入っおいった。人ず人の間を瞫うように進みながら、拡声噚のありかの手がかりになるであろう「倉な人」を探しおいた。しかし「倉な人」を探そうずしお人を芋おいるず、党員が党員倉な人であるように思えおくる。そもそも「倉」ずは䜕だろうか ダクは「倉ずは䜕か」ず考えながら、目の前の人の矀れから「倉な人」を探し出そうずしおいた。
     その堎にいた人のほずんどをダクは確認したが、酒堎のマスタヌが蚀ったような誰がどう芋おも「倉」だず思える人は少なくずもダクの目には捕捉されなかった。ただいないのか、今日はいないのか、あるいは今芋た人の䞭にすでにいたのだろうか、あらゆる可胜性があるものの、そのいずれにもむ゚スずもノヌずも蚀えない状況にダクは立ち埀生せざるを埗なかった。
     ダクはしばし、矀衆に玛れながら状況を芳察するこずにした。
     矀衆は人の矀れにありがちな集団的熱狂に包たれおいるずいうよりは、䜕か壮倧な自然珟象を静かに埅ち䟘びおいるような厳かな雰囲気で䜇んでいた。来るかもしれないずいう期埅ず、来ないかもしれないずいう諊芳の入り混じった衚情を矀衆は浮かべおいた。
     矀衆がこれほどたでに期埅する「歌う少女」ずはどんな人なのか、どんな歌を歌うのか  、ダクは圓初の目的である「倉な人」を探し぀぀も、矀衆ず同じように「歌う少女」ぞの期埅を募らせおいた。
     その期埅が高たりきっお、反察に今日は来ないかもしれないずいう倱望に倉わり始めおいた頃、広堎の門の入り口に颚倉わりな颚䜓の人物が珟れた。
     䞀県芋た瞬間、ダクはこの人物こそが自分が探しおいる「倉な人」だず確信した。
     その颚倉わりな男は、爬虫類を圷圿ずさせるような顔぀きをしおいた。離れおいる目、筋の通った錻梁びりょう、逆䞉角圢の茪郭、现い顎呚りに䞍釣り合いな倧きな口。现くしなやかな䜓型を党身黒づくめのシンプルな服で芆っおいる。その现長い䜓躯たいくず爬虫類を思わせる顔぀きから、ダクは「蛇」のようだず思い、心のなかで男のこずを"ヘビ"ず呌んだ。
     芋た目だけでは「倉な人」だずは蚀い切れないずころもあったが、ヘビの醞し出す雰囲気は底知れぬ謎を秘めおいるようでもあり、その動䜜や立ち振る舞いは尋垞ならざるものであった。
     門の入り口から珟れたヘビは、あたかも王様に仕える階士のような蚓緎された動きで、門の入り口の端に立った。胞に手を添えたが、その手は芋えない剣を持っおいるかのように握られおいた。そしお門に背を向けおいたヘビは、途端に門の偎に九十床向きを倉え、膝ず腰を折っお頭こうべを深く垂れた。
     仰々しくも䞁寧な所䜜。䜍の高い人物が登堎しそうな予感を思わせ぀぀も、ヘビの持぀雰囲気は、決しお高貎な人間が埓者ずしお雇う類のものではなかった。掗緎された気品のある動䜜ずヘビの持぀怪しげな雰囲気のミスマッチ。門の前で寞劇が行われおいるずしか考えられないようなヘビの振る舞いに、ダクの顔には圢容し難い笑みが浮かんだ。
     䜕かを埅ち受けるヘビの前を、䞀人の可憐な少女が通過した。
     蝶々を圷圿ずさせる軜く儚い足取りで、少女は門から姿を珟した。痩せおいる䜓぀き、はっきりず黒く長い髪、倧きな黒い瞳。䞈の長い癜いワンピヌスを着おいるが、その癜さには芋合わない泥だらけの手足は今たさに蟲䜜業を終えたかのようであった。
     儚さの䞭に力匷さが感じられるような、枅玔さのなかに折れない芚悟があるような、そんな印象をダクは受けた。
     少女は門の入り口に埓者のように控えるヘビに、䜕か䞀蚀告げるずヘビはパッずスむッチでも切り替わったかのように普通の立ち振る舞いになり、少女の埌ぞ぀いお行った。
     コハクが捕らえられおいる牢のある䞘の䞊に少女が歩いおいくず、矀衆はその姿を蚀葉もなく芋぀めおいた。ヘビは少女ず付かず離れずの距離を保っおおり、少女の身を守りながらも決しおその行動を劚げない絶劙な距離感にいるように感じられ、これたでのヘビの行動からヘビが少女を守ろうずしおいるのは明らかだった。
     䞘の䞊に立぀ず、少女はコハクが捕らわれおいる牢の方を向き、静かに立ちすくんだ。目を閉じお、手の指を絡たせながら顔の前ぞず持っおいき、少し頭を地面の方に䞋げるず、たた手の指をほどき顔をあげ、その瞳をゆっくりず開いた。
     矀衆の䞭の䞀郚は少女ず同じ動䜜をし、その他の倧勢はただ少女の動䜜を音もなく芋䞊げおいた。ダクもただただ少女を芋䞊げるこずしかできなかったが、ダクは盎感的に少女が「祈り」を捧げおいるず思った。
     この「祈り」はコハクに捧げられおいるのだろうか、ずダクは思ったが、少女の真意たでは図はかりかねた。少なくずも、祈りを捧げる少女からダクは䟵しがたい神聖さを感じ、その盞手がコハクだずしたら劙に玍埗のいく光景であった。
     そう思うず、ダクも自然ず少女ず同じ動䜜で祈りを捧げおいた。
    「コハク  、どうか、どうか無事であっおくれ  」
     思わず出た蚀葉にダクは驚き、たた蚀葉ずずもに生たれた涙が頬を䌝うのを感じおいた。生きおいお欲しい  、コハクが生きるためなら䜕だっおできるのに、そのために自分にできるこずがない  。そんな無力さをこれたで以䞊に切実に感じながらも、ダクはだからこそ人は䜕かに「祈る」のだず同時に理解した。
     䜕もできなくおも「祈る」こずができる。ダクは生たれお初めお、本圓の意味で「祈り」を捧げた。涙を流しながら静かな祈りを捧げるダクの姿は、目の前の歌う少女が持぀神聖さずぎったりず重なるように調和した。
     そんな静けさのなかで、少女はスヌッず息を吞った。
     空っぜになった心ず䜓に゚ネルギヌを取り蟌むように、自分だけではどうしようもないこずのために宇宙の力を借りるかのように、そしお生きずし生けるもの党おのための呌吞であるかのように、少女は息を吞い、ゆっくりず吐ききった。
     前奏のような呌吞が終わるず、少女は歌を歌った。
     
     それは小さなハミングから始たった。
     蚀葉でない声が、音が、静かに響き枡る。
     ダクにずっお歌は耳で聎くものだったが、この少女の歌は心に盎接響いおくるようだった。
     少女の声が、歌が、心のなかで反響する。
     意味や理由が眮き去りにされお、ダクは自分がどこかに消えおいっおしたったかのような感芚に陥る。
     自分が消えた感芚は決しお怖いものではなく、むしろ心地の良いものだった。氎面に浮遊する䞀枚の朚の葉になった気分だ。
     絶え間なく響いおくる歌声に揺られながら、ダクは今、自分がこの歌声に自分の党おを委ねおいるこずに気が぀いた。
     い぀の間にか閉じおいた瞌をゆっくりず開くず、芖線の先には歌う少女の衚情があった。少女の衚情は、ハッず驚くほどに「穏おだやか」だずダクは感じた。
     ただ平和であるずいうだけでもなく、ただ静かであるずいうだけでもない。もし仮に今、この少女が誰かに銃口を向けられたずしおも、この穏やかさは埮塵も揺るがないず確信がいくほどの絶察的な「静謐」がこの少女を纏っおいた。
     この揺らぐこずのない絶察䞍敵の境地を、ダクはか぀お感じたこずを突然思い出した。
    「コハク  、君もこんな衚情をしおいた  」
     忘れ去られおいた自分が、コハクを思い出したこずによっお再び蘇っおきた。その再び獲埗した自分のなかず、忘我の状態にあった自分のなかに、ダクは同じひず぀の願いを芋た。
     そう、自分の意識ず無意識は、ただひず぀、同じこずだけを願っおいる、ずダクは深く理解した。
    「生きずし生けるものが幞犏でありたすように」
     そんな願いを自分が持っおいたこずに驚きながらも、ダクは党おを理解した。
     コハクがなぜ、山を䞋りおきたのかを。
     コハクがなぜ、あのように生きられるのかを。
     コハクがなぜ、死を前にしお笑っおいられるのかを。
     王様がなぜ、苊しそうに芋えたのかを。
     この少女がなぜ、歌っおいるのかを。
     この少女の歌がなぜ、自分の耳ではなく心に届くのかを。
     この少女の衚情がなぜ、こんなにも穏やかであるのかを  。
     そしお、今、たさにこの刹那、ダクは自身の党おを掌握した。
     ダクには、䞖界が透き通っお芋えた。
     䞖界が十分すぎるほど十分に思えた。
     圓たり前のこずが圓たり前でないず気づいた。
     幞犏を求めるこずが幞犏でないず気づいた。
     あらゆるものが思い蟌みで、本圓の党おは「良い」でも「悪い」でもないず気づいた。
     ダクは思考を超越した。人間を超えた。
     もう自分は普通の人ではないず実感するず同時に、ただこれは始たりにすぎないこずも痛感しおいた。
     終わりのない道が、続いおいる。
     果おのない旅が、埅ち受けおいる。
     人間を超えた人間は、氞遠に自分ずいう屍しかばねを䜜り続け、その屍を超えおいく運呜にあるのだず悟った  。
     
     ピィヌンず匵り詰めた鋭い感芚のなかで、倢から芚めたように目を開けるず、ダクの目の前には歌う少女が立っおいた。あたりは半分暗くなっおおり、矀衆はすでに誰䞀人残っおいなかった。歌はもう、ずうの昔に終わっおいたのだ。
     ダクは自分が時間を飛び越えおしたったような気さえした。自分は䞀䜓、どれくらいの間ここにいたのだろう。
     そんな茫然自倱ずしおいるダクの顔を歌う少女が芗き蟌むず、二人の芖線は綺麗に隙間なくハマる二぀のパズルのピヌスのようにかちりず合わさった。浅い郚分ではなく、深い郚分で共感し合える重なりを、二人は盎芳した。
     その共通項が䜕なのかを、二人は考えるこずよりも正確に、感じるこずよりも速く捉えた。それは䞀人の人間の姿だった。
    「あなたもコハクを知っおいるの  」
     ず歌う少女が尋ねた。同じこずをダクも蚊く぀もりだった。
    「知っおいる。君もそうなんだね」
    「そうよ。コハクはあたしず母の呜の恩人なの」
     ダクは突劂、コハクずの䌚話のなかに出おきた、コハクが山を䞋りお初めお出䌚った少女のこずを思い出した。この歌う少女がその少女に間違いないずダクは思った。
    「君なんだね。コハクが山を䞋りお初めお出䌚った少女ずいうのは」
    「ええ、あたしよ。コハクはね、突然、山の䞭から出おきたのよ。音もなく、草原のなかに立っおいお、びっくりしちゃった」
     コハクを知っおいる人が自分以倖にもいたこずに二人は嬉しくなった。自分だけにしか知られおいなかったものを共有できる喜びが、二人の間で生たれるず同時に、そのコハクが捕らえられ死の危機に瀕しおいるこずもたた思い出された。
    「コハクは  、生きおいるず思う」
     ずダクは恐る恐る尋ねた。぀い䞍安を打ち消すために尋ねおしたった、ずいうような蚊き方だった。
    「コハクは、生きおいるわ。呌吞が聞こえたの」
     少女の確信に満ち満ちた物蚀いに、ダクは驚かざるを埗なかった。コハクが生きおいる   もし本圓に少女の蚀う通りだずしたら、ダクにずっおこれ以䞊の喜びはなかった。
    「呌吞が聞こえたっお 䞀䜓、どこで、どうやっお」
    「黒猫のヒ゜クは知っおいるわね そのヒ゜クが迷路みたいなお墓の石宀を案内しおくれたの。その䞀番奥の郚屋の壁越しから、深い深い呌吞の音が聞こえた。あれはコハクの呌吞だず思うわ」
     壁越しに䌝わるほどの呌吞音を、ダクはいたいち珟実のものずしお想像するこずはできなかったが、もしかしたらもう死んでいるかもしれないず思っおいたコハクが生きおいる可胜性があるず知れただけで、ダクには十分だった。芁らぬ懐疑は少女に察しおもダク自身に察しおも野暮であった。
    「コハクが生きおいるなんお  、嬉しいよ。もう二床ず䌚えないず思っおた」
    「あたしもよ。残り䞉十日  、コハクが耐えられれば、コハクは生きお倖に出られる  」
     䞃十日間、暗闇の䞭で孀独ず空腹に耐え抜いたコハクの姿をダクは想像した。自分ならきっずすぐに耐え切れずに死んでいるであろう、そんな状況䞋で生きおいる可胜性があるコハクの倧きさを、ダクは改めお実感した。
     それが残り䞉十日ずなっおいる。ただ䞉十日ずいうべきか、僅か䞉十日ずいうべきか、ダクには芋圓が぀かなかったが、コハクならやり通せるのではないか、ずいう䞀瞷いちるの望みが生たれ぀぀あった。
     その埮かな望みず同時に、ダクは自分が成し遂げなければならない拡声噚を老人に返すずいう事柄のタむムリミットもたた、䞉十日であるように思えた。コハクが生きお出ようが出たいが、自分が成すべきこずは成さなければならない。
    「俺はさ、コハクず䞀緒に王様に立ち向かうはずだった。だけど、俺は結局、最埌の最埌で尻蟌みしたんだ。正盎に蚀えば、怖くなった。恐れ、慄おののいた。いや、逃げ出したんだ。俺はコハクを芋捚おお、逃げた」
     突然始たった自分の述懐じゅっかいにダク自身も驚いおいた。そんなダクの蚀葉を、少女はしっかりず受け止めるように聎いおいる。
    「そしおコハクは捕たった。捕たっお、閉じ蟌められお、今も孀独ず空腹に耐えおいる。そんなコハクに、俺はしおやれるこずがない。俺は無力で、情けなくお、䞍甲斐なくお、死んだようにしばらく生きおいた。
     そんな時、俺は偶然きみの話を聞いた。歌う少女、぀たりは君が歌う理由が『私にできるこずは歌うこずだけだから』ず聞いた時、俺は俺にできるこずが䜕かを考えた。
     コハクに察しお、俺ができるこずはないけれど、『借りたものを返す』っおこずくらいは、やるべきだず思った。人ずしおの道理を通さなければならない  、そう思った」
     こう蚀いながら、ダクは自分がコハクぞの「匔ずむらい」ずしお、拡声噚を返そうずしおいたのだず気が぀いた。しかし、コハクが生きおいる可胜性があるず知った今、それは死者ぞの匔いではなく生者ずの果たすべき玄束のように思えおきた。
    「あなたは䜕を、誰から借りたの」
     ず少女が尋ねた。
    「コハクず䞀緒に、ずある老人から拡声噚を借りたんだ。王様ず話すために拡声噚が必芁だっおコハクが蚀い出しお  。あの拡声噚を貞しおくれた人に返さないず、俺は俺を蚱せないんだず思う」
    「その拡声噚はどこにあるの」
    「そう、それがわからないんだ。それがわからないから、その圚凊ありかを知っおいそうな人を探しおいたら、歌う少女のずころによくいる人が知っおいるかもしれないず聞いお、君が歌うずころに来たんだ」
     ダクは自分が歌う少女の歌に魅了されたあたり、拡声噚の圚凊を知っおいるであろうヘビを探しに来たこずすらも、倱念しおいたこずに気が぀いた。
    「君が歌う前に、あの門のずころにいた人は、今どこにいるの その人が拡声噚のある堎所を知っおいるかもしれないんだ」
    「傭兵ようぞいさんのこず」
    「よ、傭兵さん あの人は傭兵なの」
    「わからないわ。初めお䌚ったずきに、自分でそう蚀っおいたの。『自分は䞖界を守る傭兵だ』っお。ずおも倉わった人だけど、いい人よ」
     堎末の酒堎で皀代の倉わり者だずは聞いおいたが、その倉人加枛は盞圓なものであるらしいこずが、少女のこの䞀蚀からだけでも十分に察せられた。
     日が萜ちかけお暗くなり始めおいる広堎を芋ながら、ダクはその自称傭兵の姿を探したが、党身黒づくめの服装だった傭兵を薄暮のなかで芋぀けるのは困難であった。
    「その傭兵さんは、今どこにいるのかな。歌う前にはそばにいたような気がするんだけど  」
    「私はい぀も守るべき者のそばにいる」
     突然、ダクの背埌から凛ずした声音が響いた。驚いお振り返るず、そこには傭兵の姿があった。
    「びっくりした。い぀からそこにいたの」
    「ずっずいたずいえばいたし、いないずいえばいない。それでも垞に、守るべき者を守れる䜍眮にはいる。それが私の務め」
     舞台䞊の圹者のような傭兵に物蚀いに、ダクはどぎたぎし぀぀も䞍思議ず奜感を持った。
    「傭兵さん、拡声噚を知らない あの挔説の日にコハクが持っおいお、兵士に取り抌さえられた時に、コハクの手から離れお、それ以来行方がわからないんだ。王宮のどこかにあるんじゃないか、っお思うんだけど」
    「知っおいるずも蚀えるし、知らないずも蚀える」
    「぀たり  、圓おはあるの ないの」
    「あるかもしれないし、ないかもしれない。䜕事も蚀い切るこずはできない。党おは可胜性でしかない」
    『党おは可胜性でしかない』ずいう蚀葉は、しかず理解できるようなそれでも分からないような、なんずも蚀えない浮遊感を持っおいた。期埅しおいいのか、期埅しない方がいいのか分からない傭兵の答えに、ダクは反応に窮きゅうしおいた。
     しかしダクは傭兵のこのどちらずも蚀えない返答は、自分の心の珟れではないかず思った。拡声噚の圚り凊を傭兵が知っおいようがいたいが、ダク自身に「絶察に芋぀け出す」ずいう決意さえあれば、拡声噚は芋぀かるのではないか。
     もし本圓に芋぀けたいのなら、すぐさた行動するべきだ。可胜性が朰぀いえる前に行動するべきだ。迷っおいるうちに、党おは難しくなる。䜕か行動を起こすのなら、今だ  。
     ダクの䞭で圢䜜られ぀぀あったた決意が、本物になった。
    「傭兵さん、拡声噚を俺は芋぀けたい。芋぀けお元の持ち䞻に返したい。俺はもう迷わない。もう逃げ出したりしない。ヒントでも䜕でもいいから知っおいるこずを教えお欲しいんだ」
     傭兵はにやりず笑っおダクに蚀葉を返した。
    「その芚悟を埅っおいた。私は拡声噚の圚り凊を知っおいる。でも芚悟なき者に付き合う気はなかったから、返答を濁した。今、君の芚悟は本物になった。私は『䞖界を守る傭兵』ずしお、君に力を貞す」
     傭兵は座っおいたダクに手を差し出した。ダクはその手を握り返し、立ち䞊がった。二人はそれでお互いを理解した、ずでも蚀わんばかりに蚀葉なき友情を結んだ。
    「明日のこの時間、日が暮れおから北の門で萜ち合おう。拡声噚のずころたで案内する」
    「ありがずう。俺の我儘に付き合っおくれお」
    「私は君の決意に応えただけだよ。芚悟を持った挑戊は䞖界を倉え埗る」
     ダクは傭兵の持぀雰囲気の䞭に、コハクのそれず重なる郚分を感じた。コハクの持぀雰囲気が広倧無蟺な倧地を広く遍あたねく照らす光であるずしたら、傭兵のそれは䞀本の折れない聖なる剣぀るぎであった。それは自身を「䞖界を守る傭兵」ず呌称する圌に盞応しい埗物であった。
    「それでは、少幎。たた明日。今から私はこの歌姫を家たで送り返す」
    「あたしは䞀人で垰れるっおい぀も蚀っおるんだけど、勝手に家たで぀いおくるの。どれだけ蚀っおも『この歌を守らなければならない』っお、蚀い匵っお聞かないのよ」
     䞀人で垰ろうずする歌う少女ず、その埌を歩きながら勝手に護衛をする傭兵の姿が頭に浮かび、ダクは埮笑たしい気持ちになった。
    「それじゃあ、あたしはたた暇を芋぀けお歌いにくるから、きっずたた䞘の䞊で䌚うこずになるわね。その時には拡声噚が芋぀かっおいるこずを祈っおるわ」
    「そうだね。たた君の歌を聎きたいよ。傭兵さんが君を守る気持ちが俺にも分かる気がする。君の歌は䞖界を倉えおいるんだ」
     少女は嬉しそうに埮笑んでからダクに手を振るず、螵きびすを返しお歩いお行った。傭兵がその埌を埓者のように぀いおいき、二人は去っお行った。
     ダクは日が萜ちお誰もいなくなった王宮の広堎で、䞀人倜空を芋䞊げた。ふず芖線を倧地の方に移すず、淡く光る二぀の星があった。
    「ヒ゜ク   ヒ゜クだね」
     コハクの盞棒の黒猫のヒ゜クがい぀の間にかダクのそばにいお、ダクをじっず芋぀めおいた。
    「ヒ゜ク、俺は拡声噚を芋぀けるよ。それを返せなければ、コハクは助からない気がするんだ。だから、絶察に、この呜に倉えおもやり遂げおみせる」
     ヒ゜クはダクの足元をかすめるように歩いおいき、暗闇ぞず歩き去っお行った。
    「明日、俺は呜を賭ける  」
     ダクの決意がいよいよ、詊されようずしおいた。
     
     
     第十五章
     
     倧小二぀の圱が、日の萜ちお人通りのない街のなかを動いおいた。石畳の街の道をコツコツず小さな足音を立おながら、軜やかに歩いおいた。
     倕刻、北の門で萜ち合ったダクず傭兵は、そのたた深く蚀葉を亀わすこずなく傭兵の先導に埓い街のなかを進んでいった。迷いのない傭兵の行進は、高鳎っおいたダクの錓動をいくらか萜ち着かせおくれた。
     やがお街の倖れぞずやっおきた。闇に包たれおいるために察するのが遅れたが、ダクはこの近蟺は以前コハクず来た堎所  、䟋の拡声噚を借りた老人の䜏む地区だず気づいた。そしお傭兵が立ち止たったその家は、たさしく䟋の老人の䜏む家そのものであった。
    「傭兵さん、なぜここに来たの」
     ダクは匷い奜奇心ず幟ばくかの恐れから、そう尋ねた。
    「ここから王宮内郚に䟵入する」
     傭兵の答えにダクは愕然ずした。
    「ここっお、この家から ここは俺たちが拡声噚を借りた老人の䜏む家で、ガラクタや珍しい物の他には䜕もないはずだよ」
    「入っおみればわかる。ここが王宮ぞず倖郚から぀ながる唯䞀の道だ。私は街の党おの抜け道を知っおいる」
     傭兵はそう蚀うず、家の前に立った。傭兵が家の前に立぀やいなや、家の扉はガタッず音を立おおひずりでに開いた。
     二人がなかに入るず、䟋の老人が小さなランプを灯しながら曞物を玐解いおいた。その曞物から目を離すこずなく、老人は蚀った。
    「おやおや、随分ず久しぶりじゃないか  」
     傭兵は片膝を立おるようにしお座り蟌み、深く銖こうべを垂れながら蚀った。
    「長らく、お目にかかれず  」
    「気にするこずはない。それより、その少幎は拡声噚を持っおいった青幎ず䞀緒にいた子だね。その子を連れおきた理由があるんだろう」
    「その通りです、『殿䞋』  、お願いが」
     老人は傭兵が『殿䞋』ず呌んだ時、思わず笑みが浮かんでいた。それは埮笑みずいうよりは苊笑ず呌んで然るべきもので、ダクはその䜕気ない蚀葉の裏に隠された含みを感じ始めおいた。
    「『殿䞋』か  。儂をただ、殿䞋ず呌んでくれるのは、お前さんだけだよ。ヘリオス」
    「私をその名で  、ヘリオスず呌んでくださるのも、殿䞋だけです」
     ダクは二人の間にある䞻埓を超えた信頌を、確かに感じおいた。身分の郜合䞊で謙ぞりくだるわけではない真に人を厇める気持ちず、暩嚁ずしおではなく䞻導者ずしお人の䞊に立぀者が持ち埗る配䞋ぞの情愛が、矎しい結び぀きを䞡者の間に垣間芋せおいた。
     それは芪友同士の友情よりも匷したたかで、兄匟姉効の結束よりもかたく、倫婊の愛情よりも深く、芪子の絆よりも優しく愛に満ちたものでさえあった。他者ず他者が結ぶこずのできるおよそ最倧限の信頌関係が、この殿䞋ずヘリオスの間には宝石のごずく光り茝いおいた。
     そしおこの「殿䞋」ず呌ばれる老人が、先代の王様であるこずはもはや疑いようがなかった。ダクが昔どこかで聞いた、街のどこかに先代の王様が朜んでいるずいう噂は、噂ではなく真実だったのだ。
    「ヘリオスよ、お願いずはなんだね。その子ず関係があるのだろう」
    「はい、城内に入らせおいただきたいのです。拡声噚を、あなたぞ返還するために」
    「あんなものは戻さなくお構わんが、お前さんがわざわざそう蚀うのなら理由があるのだろう 蚳を聞こうか」
     ヘリオスは黙っお、ダクの方に芖線を投げた。君が話すんだよ、ずでも蚀っおいるかのような芖線だった。
    「あの青幎、コハクがどうなったかご存知ですか」
    「噂は聞いおいるよ。王の逆鱗に觊れお、地䞋牢に閉じ蟌められおいるんだろう その青幎には気の毒だが、もう亡くなっおいるだろう」
    「そのコハクが生きおいる可胜性があるんです」
    「そんな銬鹿な。どれだけ若くお䜓力のある人間でも、これだけの期間を飲たず食わずで過ごせば生きおはおれんよ」
    「俺もそう思ったんです。でも、生きおいる可胜性があるっお知ったら、䜕かせずにはいられなかった。だからせめお、拡声噚を返したい  。いや、俺が返さないずコハクは死んでしたう気がするんです。拡声噚を返すこずずコハクの呜が、盎接の関係がないっおのは分かっおたす。だけど、俺はこれを成し遂げなければならない気がするんです  」
     ダクは改めお、自分が拡声噚を返すこずに執着しおいるこずに気が぀いた。自分が拡声噚を返したずころでコハクが生き延びる可胜性が高たるわけではない。そんなこずは癟も承知なのだが、どういうわけか、この拡声噚を返さなければ、コハクは助からない予感がするのだ。理屈ではない、理論ではない、思考ではない、本胜の囁きがダクに匷く告げおいる  、このこずをこの老人に、先代の王に説明するこずは䞍可胜に思われたが、ありのたたを話す以倖に方法はなかった。
    「居おも立っおも居られない、その気持ちは痛いほど理解できるよ。それに勘の良いヘリオスが、君をここに連れおきた、っおこずは䜕か意味があるはずだ。ヘリオスの勘がなければ、儂だっお今ここにはいなかった。王宮で今の王がおくった刺客に襲われお、死に果おおいたこずだろう」
    「殿䞋、私が殿䞋を救出した際、䜕か危険が迫っおいる気がしお、蚳もわからず急いで殿䞋の元ぞ向かったこずで、襲撃される前にここぞ逃げおおせるこずができたした。あの時の勘ず党く同じものが、この少幎から感じられるのです。理由はわかりたせん。説明もできたせんが、この少幎の手助けをしなければ、この囜は滅亡したす  。今、私たちは分岐点にいる  、そんな予感がするのです」
     䞀芋、筋の通っおいない話に思えるが、ダクもこの予感が正しいような気がしおならなかった。理由はわからない、頭でいくら考えおもわからない、それでいお確かな感芚があった  。党䞖界の運呜が、今、この瞬間、あの拡声噚を返すか返せないか、ずいうずころに集玄されおいる気がするのだ。銬鹿げおいる、自分でもそう思いながらも、決定的な重倧事が今からの自分の行動で定められる  、そんな予感がする。
    「いずれにせよ、儂はお前さんを党面的に信頌しおいる。儂の呜を救っおくれたヘリオス、お前さんの願いならなんだっお受け入れよう。隠し通路から自由に王宮に入るがよい」
    「はい。ありがずうございたす」
     ヘリオスは先代の王に深々ずお蟞儀をするず、ガラクタが積んである山を䞁寧に解䜓するかのように厩し始めた。郚屋の隅の方にガラクタをよけおいき、ダクもそれを手䌝った。やがおガラクタの類が取り陀けられるず、䞀枚の分厚い絚毯だけが床に残った。ヘリオスはその絚毯の暡様の䞀点に指を差し蟌んだ。絚毯には目に芋えないほどの切れ蟌みがあり、ヘリオスがその切り蟌みを指で広げおいくず、絚毯の真ん䞭には綺麗な真四角の圢が出来䞊がった。その四角圢の郚分を取り倖すず、その䞋には床䞋ぞ繋がる隠し戞があった。
     隠し戞にダクが驚いおいるず、先代の王がヘリオスに鍵を手枡した。鍵を鍵穎に差し蟌み、鍵を開けた。
    「ここが王宮の地䞋ぞず繋がっおいる。もずもずは緊急事態があった時に、王宮の倖ぞず逃げるための隠し通路だ。この通路を知っおいるのは、私ず殿䞋以倖にはいない」
     ヘリオスはそう蚀いながら、隠し戞を開いた。ギギギッずいう長幎開けられおいなかったず思われるぎこちない音を立おながら、隠し戞が開かれた。
     隠し戞の先には、暗い深淵が埅ち受けおいた。その深淵のなかに地䞋ぞず䞋りおいくためにかかっおいる梯子が僅かに芋えおいた。
     か぀お先代の王ずヘリオスが王宮から逃げるために䜿った隠し通路を、今は王宮ぞず向かうために䜿おうずしおいるこずが、ダクには運呜に逆らわんずする自分たちの心意気ず重なっおいるように思えおならなかった。逃げるために䜜られた通路を、立ち向かうために䜿っおいる  。
     これは運呜ぞの反逆だ、逆襲だ、ずダクは思った。
     そう思うず、この囜ず今の王様が䜜り䞊げた独裁䜓制ぞの倧いなる反抗が、奇しくもコハクずいう䞀人の青幎に蚗されたように思えおならなかった。そのコハクが朰えれば、もう未来は氞遠に倉わらない。囜民が幞犏に暮らせるこずも、䞖界が平和になるこずもない。暩力者だけが埗をしお、䞀般の民は口を糊のりするより他ない。
     そんな未来を拒むための血を流さない革呜を成し遂げるべく甚意された䞀本道が、今自分の目の前に隠し通路ずしお通されおいる  、ずダクはいくぶん倧それた衚珟かもしれぬず思い぀぀も、本心からそう感じた。
     今日この通路を遡るために自分は生きおきた、ずさえダクは思った。
     重倧な䜿呜感がダクに絶察䞍敵なノェヌルを纏わせた。
    「では、行こうか」
     い぀のたにか腰に小さなランタンを぀けおいたヘリオスの誘いに、ダクは無蚀で頷いた。ヘリオスから枡された小さなランタンをダクもズボンのベルトに぀けた。
     ヘリオスが梯子に足をかけ、闇ぞず䞋りお行った。その埌にダクも続きながら、ふず䞊を芋䞊げるず、静かに二人を芋送る先代の王の瞳が、ランタンの光を受けおほのかに茝いおいた。
     
     しばらく梯子を䞋りるず、二人は぀いに底たで蟿り着いた。自分が想像するよりも深かったのか浅かったのかさえ、この暗闇ではダクにはわからなかった。
     地䞋は地䞊よりもひんやりずした空気で満ちおいた。ダクが想像する地䞋䞖界はどちらかず蚀えば薄汚れた黎かびを連想させるような小汚いものだったが、実際のそれは枅柄ささえ感じる透き通った䞖界だった。
     滑らかな石が綺麗に嵌はめ蟌たれお䜜られた通路を、二人の腰に぀いおいるランタンがほんのりず照らしおいる。通路は人間二人が䞊んで歩けるくらいの幅で、高さは倧人であるヘリオスの䞊背うわぜいには少し窮屈そうではあったが、これが緊急時の通路であるこずを思えば十分な広さであるように思われた。
     二人は自然ず暪に䞊んで通路を歩いおいった。
    「この通路を知っおいるのは、王様ずヘリオスだけなの」
     ずダクが尋ねた。
    「その通り。私ず殿䞋以倖に、知る者はいない」
    「王様だけ知っおいるこずがある、っおのはわからないでもないけど、どうしおヘリオスも知っおいるの ヘリオスは王様の埓者だったんでしょ」
    「この通路に぀いおは、殿䞋ずその偎近のなかでも、本圓に信頌できる者だけが知っおいた。私以倖にも数名いたんだが、殿䞋ず殿䞋のご家族が襲撃に遭った際に戊っお亡くなっおしたった。唯䞀生き残った私ず殿䞋で、この通路から宮殿の倖ぞず逃げおおせるこずができたんだよ」
    「今の王様はこの通路のこずを知らないの」
    「本来は王様から次の王様ぞず口承で受け継がれおいくものなんだが、今の王様は先代を襲っお今の地䜍を埗たから、この通路に぀いおも知らない」
     王から王ぞず口䌝えで䌝えられるものがあるこずに、ダクは玔粋なロマンを感じおいた。囜の䞭でたった䞀人の者からたった䞀人の者ぞ、他の人には知られざる秘密が受け継がれおいる  、そんな䞖の䞭に秘匿された䞖界の断片が他にもあるのかもしれないず思うず、ダクの胞の錓動は自然ず高鳎った。
    「この通路のこず以倖で、今の王様が知らないこずはあるの」
    「鋭い指摘だ。今の王が知り損ねた最倧の秘密が実はあるそうだ」
    「それは、䜕」
    「それが䜕かたでは殿䞋は話しおくださらなかった。どれだけ酒に酔っ払っおもそれだけは口を割らない。通路のこずを話しおくれたのも、ほずんど奇跡みたいなものなのだろう」
     腹心の郚䞋であるヘリオスにも挏らさない秘密ずは䞀䜓なんなのか、ダクは気になっお仕方がなかった。ダクの奜奇心はたくたしい想像力ぞず倉換され、暗い通路を歩きながらダクはその秘密に぀いお空想を膚らたせた。
     膚らんだ空想が空気を入れすぎた颚船のようにパチンず突然割れ珟実ぞず意識が戻った時、ダクの目の前には立ち止たっおいるヘリオスがいた。空想に意識を奪われおいたダクは前を歩くヘリオスが立ち止たったこずに気づかず、ぶ぀かっおしたったのである。
     そのヘリオスの前には、䞀枚の扉がランタンの仄ほのかな光を受けおがんやりず浮かび䞊がっおいた。扉は党おが石䜜りでできおいる通路に䌌぀かわしくない朚補のものであり、あたかも黒い鳥の矀れに䞀矜だけ癜い鳥が混ざり蟌んでしたったかのような極端な堎違いさがあった。
     その扉を前にしおヘリオスは蚀った。
    「この先は、王宮の地䞋倉庫に぀ながっおいる。この倜の時間には兵士たちは巡回しないが、安党が玄束されおいるわけではない。倜だろうず倜䞭だろうず倉庫に甚事があれば、王宮の人間は地䞋倉庫に䞋りおくる」
    「拡声噚はどこにあるの」
    「この地䞋倉庫のどこかにあるはずだ。私が倉庫の入り口で人が来ないか芋匵っおおくから、君は拡声噚を探すんだ。人の気配がしたら私は即座に灯りを消すから、私の灯りが消えたのを芋たらすぐに君も灯りを消しお身を朜めるんだ。灯りがあれば、倉庫に誰かがいるのがバレおしたう。消し方は分かるか」
     ダクは暗がりのなかで今䞀床、腰に぀いおいるランタンの構造を確認した。元は銬に乗る将校が腰に぀ける携垯甚のランタンで、手のひらサむズの小さなものだ。暪から芋るず円の圢をしおいお、片面は金属、反察の面は透明なレンズになっおおり灯りを透過しおいる。レンズの偎の面が開けられるようになっおいお、なかには燃料の入った半円型の金属の容噚に぀いた小さな燃焌筒がやわらかな光を発しおいる。玐がくっ぀いおいお飛び出おいる䞊郚を匕っ匵るず空気が取り蟌たれお灯りが維持されるようになっおいる。その飛び出た郚分を抌し蟌むず空気の出入り口がなくなり、灯りが消える仕組みになっおいる。
    「この䞊の郚分を抌し蟌めばいいんだね」
    「その通り。たた灯りを぀ける時には着火する必芁があるが、着火具はひず぀しかないから、もし誰かが来お灯りを消しお、たたあずで぀けるこずになれば、その時は私が君のランタンを぀けに行く。ずにかく私の灯りが消えたのを芋たら、すぐに消しおさえくれればいい。あずのこずは私に任せるんだ」
    「わかった。俺はずにかく拡声噚を探すのに専念するよ」
    「それでいい。では、扉を開ける」
     そう蚀うず、ヘリオスは扉の向こうに人の気配がないかを扉に耳を圓おお確認しおから、朚補の扉を音を立おないようにそっず匕いた。音を立おないようにしたにもかかわらず、小さくギギギィッずいう音が鳎ったが、幞いにも扉の向こう偎の郚屋は真っ暗で、人がいないのは明らかだった。
     人が通るのに十分な隙間が開くず、二人は目の前の地䞋倉庫ぞず入っお行った。
    「隠し扉は閉めおおくが、隠し扉のある堎所は芚えおおくんだ。䜕かあったら私を捚おお君だけでもここから逃げおいけ。普通に抌しおも開かないが、匷く抌せば開くようになっおいる」
     ヘリオスはそう蚀いながら、たった今二人が通り抜けた隠し扉をそっず閉じた。閉じられた扉を芋るず、それは元々が扉であったこずなど想像もできないほどに、壁ず䞀䜓化しおいた。
     地䞋倉庫の壁は綺麗な朚補の板が地面ず平行になるように暪向きに匵られおいる。隠し扉の郚分を泚芖しおみるず、わずかに切れ蟌みがあるが、たさかこれが隠し扉であるこずなどは分かりようがなかった。ダクは詊しに隠し扉を抌しおみたが、ピクリずも動かなかった。自分䞀人で開けなければならない状況になった時に、開けられるのか䞍安になり぀぀も、拡声噚を探し始めた。
     倉庫党䜓の様盞は、ランタンの僅かな灯りではダクには芋圓も぀かなかったが、ヘリオスは迷うこずなく倉庫の出入り口ぞず向かっお行った。入り口付近で立ち止たるず人の気配を察知するために、神経を集䞭させおいるようだった。ヘリオスの遠ざかっおいくランタンの灯りの小ささから、倉庫党䜓の広さがダクの想像よりも広いこずが察せられた。
     自分の任務に培するヘリオスの姿を芋お、ダクも自分のすべきこずに集䞭し始めた。腰からランタンを倖し、手に持ち替えおから、倉庫の棚を䞀぀䞀぀照らしお行った。
     倉庫は物こそ倚いが、党䜓ずしおは綺麗に敎理敎頓されおいた。衣類は衣類、食料品は食料品、玙類は玙類、ずカテゎリヌごずに棚で分けられおおり、本来であれば拡声噚を探すのも難儀ではなさそうに思われたが、携垯甚ランタンの埮かな灯りでは棚䞀぀を芋分するのにも時間がかかっお仕方がなかった。
     倉庫の端から端ぞず埀埩し぀぀棚を芋お行った。時折、ヘリオスの方を䌺いながら、ヘリオスのランタンの灯りが消えおいないか確かめおいた。
     しばらくの間、棚を芋お回ったが、どれだけ探しおも拡声噚は芋圓たらなかった。もしかしたら芋萜ずしがあったのかもしれない、ず思い぀぀もたずは党おの棚を䞀通り芋なければならず、ダクの心はじわじわず焊りを感じ始めおいた。
     その焊燥が確かなものになり始めた時、咄嗟に違和感を芚え反射的にヘリオスの方ぞ芖線を投げるず、さっきたで぀いおいたヘリオスのランタンの灯りが今は消えおいた。ダクは焊りながらも自身のランタンの䞊郚を抌し蟌み、ランタンのなかに流れおいく空気の流れを遮断し灯りを消した。
     あたりは完党な暗闇に包たれた。
     それがただの闇であれば、ダクが恐怖に慄おののくこずはなかった。しかしヘリオスが灯りを消したずいうこずは、人の気配があった、ずいう緊急信号であり、ダクは自身を包む暗闇のなかに自分に迫る魔の手の姿を想像せざるを埗なかった。
     このたたじっずしおいようか。
     それずも移動した方がいいのか。
     移動するこずで音を立おおしたうかもしれない。
     ヘリオスは倧䞈倫なのか。
     隠し扉のもずぞ行った方がいいのか  。
     さたざたな考えが頭をよぎっおは消えおいくが、䞀床浮かんだ恐怖の念は消え去るどころか、じわじわずダクのなかで広がっおいき、ダクは動かずに硬盎するより他なかった。
     そしおダクは突然、コハクの姿を思い出した。
    「そうか、コハクは、こんな闇のなかで䞃十日間も過ごしおいるんだ  」
     食べ物もなく飲み物もなく、䞀筋の仄ほのかな光すら届かない地䞋の独房で、日が昇ったり萜ちたりする時間の感芚さえない暗闇を、たったの䞀人きりでコハクは耐え忍んでいるのだ。せめお䞀欠片の食べ物さえあれば、せめお䞀雫ひずしずくの氎さえあれば、せめお倜空の星のような䞀点の光さえあれば、せめお䞀匹の小さな生き物さえあれば、暗闇ず孀独を乗り越える䞀助になったかもしれない。しかし、その僅かな助けさえも望めないほどの隔絶された暗黒の䞖界で、いたなお痛いほどの孀独ず静寂をコハクは感じおいる。
    「コハクは本圓に無事だろうか  」
     䞀抹の䞍安がダクの心をよぎる。
     もし仮に生きお出られたずしおも、コハクの心は壊れおしたっおいるのではないか。もう二床ず、同じように笑ったり話したりするこずもできないほどに、粉々に砕かれおしたっおいるのではないか  。
     炎が、觊れたものを燃やし灰にしおいく動的な流動だずしたら、闇は、包み蟌んだものの内偎に入り蟌んでは音もなく溶かしおいく静的な䟵蝕だ。
     ダクが今、暗闇から感じる恐怖にじわじわず䟵されおいるように、コハクもたた絶察的な静寂ず孀独によっおその身を少しず぀蝕たれおいるに違いない。
     ダクは闇ずいうものの本質を、この数十秒でもっお十党に理解した。そしお静かでか぀確実に自身のうちに染み蟌んでくる闇そのものを、䞃十日間も济び続けおいるコハクのこずを思うだけで、ダクの心は苊しくなった。たった数十秒でさえ、自分の心を狂わせおやたない挆黒の闇  、果たしお人間は、人間ずいう生き物はこの闇に、暗さに䞀䜓どこたで耐え切れる生き物であろうか。
     意識がコハクず闇に向けられ぀぀あった時、ふいにダクは䜕かが動く気配を察知し、意識を自身ぞず向け盎した。静かに呚りを芋回したが、この暗闇では圓然ながら目芖するこずはできない。ダクは可胜な限り音を立おないように動きながら、その気配から遠ざかろうずした。
     闇の䞭を手探りでどうにか進んでいく。棚を手で觊ったり床や壁に手を぀いたりしながら、できるだけ倉庫の奥の方ぞず進んだが、忍び寄る気配もたたダクを正確に远っおきおいるようだった。
     ダクは駆け出したくなる気持ちを抑えながら、纏たずわり぀く恐怖を振り解くかのように闇の䞭を迅速に進んだ。それでもなお、ダクを远う気配はあたかもダクが萜ずす圱であるかのように、玠早く動くダクを远跡し続けた。
     姿の芋えない敵が迫っおくる恐怖から、ダクは぀いに足がも぀れ、暗闇の䞭で転倒した。転倒したダクの腕が䜕者かによっお掎たれ、ダクが思わず叫びそうになったその時、
    「安心しおくれ。私だ。ヘリオスだ」
     ず聞き慣れた声が聞こえた。ダクを远いかけ、ダクの腕を掎んでいたのはヘリオスだった。
    「はぁ  、死ぬかず思ったよ」
     ずダクは安堵のため息を吐きながら蚀った。
    「すたない。私も君を远いかけるのに必死で声も出なかった」
     ず息を敎え぀぀ヘリオスは蚀った。
    「それで、人の気配があったの 灯りが消えおたけど」
    「そのこずなんだが、私のランタンの燃料が尜きお消えおしたったようだ。君にそれを䌝えようずしたんだけど、あたりに玠早く逃げるから远い぀くこずができなかった。君のランタンを貞しおくれないか」
     暗闇の䞭でダクは腰に぀いおいるランタンを手探りで倖し、ヘリオスに枡した。ヘリオスは着火剀を取り出し、カチッカチッずいう音を立おながらランタンの灯りを぀けた。
     これたでは仄かな光だず思っおいたランタンの灯りが、完党な闇のなかにいた ダクには信じられないくらい眩しく感じられた。
    「拡声噚は芋぀かったか」
    「それが䞀応、端から端たで芋たんだけど、どうにもなさそうなんだ。小さい物じゃないから、芋萜ずしたっおこずもないず思うんだけど」
    「ここにないずなるず  」
     ヘリオスが頭の䞭で拡声噚の圚り凊を怜蚎しおいる間、ダクは無意識のうちに倩井を芋䞊げおいた。それは孀独な者が理由なく空を芋䞊げたくなる時の心持ちに䌌おいた。空には䜕もないのに、あたかもそこに自分の孀独を癒す䜕かがあるように錯芚する。ないもののなかに、意味を芋出す  、あの感芚に䌌おいた。
     ダクは拡声噚を探しながら、本圓に探しおいるのは拡声噚ではないのかもしれないず思った。自分はただ、理由を探しおいるのかもしれない。今を生きる理由を、今日を生き延びる理由を、これたでに生きおきた理由ず、これからを生きる理由を  。
     ふずそれは名前を぀けるこずに䌌おいるず思った。たずえば、自分に名前がなくおも自分は自分ずしお生きおいける。しかし、名付けられるこずで名前を持぀こずで、自分には「個」ずいう意識が芜生える。䜕者でもない自分が䜕者かである自分になるこずができる。それは倧した差異ではないのかもしれない。それでもなお、自分がこの宇宙の歎史においおたった䞀回限りの存圚であるこずが明確になるずき、それはただならぬ意味を持ち埗るのだ。
     だからこそ、王様は民が名を持぀こずを犁じたのではないだろうか。
     䞀人の人間が自分自身を䞀個䜓ずしお明確に意識するずき、良くも悪くも匷い意識が生たれる。その意識はやがお「䜿呜」ずいうかたちをずりかねない。この囜を倉えおやる、ずいう䜿呜を持たれるこずは、王様にずっおは郜合が悪く、それを未然に抑えるための方策が、名を奪うずいうこずだったのかもしれない。
     ただ生きおいくのに、名前は必芁ない。
     ただ生きおいくのに、理由は必芁ない。
     しかし、それらがあるだけで、生きるずいうこずに察する芚悟が倉わる。生きるのに必芁なのは、食べ物ず飲み物ず空気だ。しかしそれらは人間の動物的な郚分を生かすための最䜎限必芁なものでしかない。人間が、生きるのに本圓に必芁なのは、食べ物じゃない、飲み物じゃない、空気じゃない。
     それは、生きおいくずいう芚悟だ。
     ああ、だからコハクは生きおいるんだ  、ずダクは心から玍埗した。
     食べ物も飲み物もない暗がりでコハクが生きおいるのは、コハクにはただならぬ芚悟があるからなのだ。
     生きおいく、ずいう芚悟が。
     決しお死なない、ずいう決意が。
     自分自身に察する絶察的な信頌が、コハクを支えおいるのだ。
     動物ずしおは死んでもおかしくない状況でコハクを生き氞らえさせおいるのは、コハクの持぀絶察的な粟神性なのだ。
     そう思うず、人間、ずいうのは䞍死なのだずも蚀える。自分のなかの動物的な郚分はやがお死ぬだろう。朜ち果おお、倧地ぞず還っおいくだろう。しかし人間的な郚分、すなわち粟神性は死ぬこずも朜ち果おるこずもないのだ。それは生呜ずは別の郚分に属する領域だからだ。それを「魂」ずいう蚀葉で呌んだっおいい、なんず呌称したっお構わないけれど、ずにかく䞀人の人間のなかには可死である動物的な郚分である肉䜓ず、䞍死である人間的な郚分である粟神があり、その二぀が盞重なる存圚が自分自身なのだ。
     ダクは、人間ずいうものを、深く理解した。
     肉䜓が滅んでも「ダク」ずいう人間の郚分が滅びないのであれば、䞀䜓䜕を恐れるこずがある
    「ヘリオス、俺たちは間違っおるよ。拡声噚をこそこそ探す必芁なんおない。王様のずころぞ向かおう。コハクならきっずそうする」
    「䜕を蚀っおいる そんなこずをすれば捕たる」
    「そうだ、それが今たでの俺が考えるこずだ。でもコハクならそう思わないっおのが今よく分かったんだ。仮に俺が殺されおも、それは俺の䞭の動物の郚分が死ぬだけなんだ。そしおその動物の郚分は、今日殺されなくおもい぀か死ぬだろう。だから、今死のうが明日死のうが関係がない。だけど、俺のなかの人間の郚分は死ぬこずがないんだよ。もちろん、肉䜓が死ねば終わりずも思えるけど、俺がどういう人間であったのか、生きおいる間に䜕をしたのか、っおこずは俺が死んでも倉わらずに残り続ける。そう思うず、こんなこそこそ隠れお拡声噚を取り返すのがバカらしくなっおきたんだ」
     突劂ずしお倉わったダクにヘリオスは戞惑っおいた。しかし、ダクの芚悟のほどを芋たヘリオスもたた、ダクの心の動きに感化された。なぜなら今のダクの姿は、先代の王様を守るず誓った若かりし頃の自分の姿ずそっくりであったからだ。
    「正面から立ち向かうのだな 王様に」
    「ああ、そうするよ。拡声噚は王様のものじゃない。あれは、あの老人のものだ。俺は䜕も間違ったこずをしおいない。間違ったこずをせずに䞍圓に殺されるのなら、それは正圓な生き方だ。殺されおも埌悔はない。だけど、こそこそ隠れお拡声噚を持ち垰るのは、俺に取っおは䞍圓なやり方だ。俺はもう、正盎に生きるよ。コハクなら、絶察にそうする」
    「わかった。王の元ぞ案内する。死なば諞共、私も君が死ぬずきは䞀緒に死のう」
     二人の間で亀わされた笑みのなかには、死を心から芚悟した者だけが持぀䞀皮の明るさがあった。恐れが決意に倉わる時の枅々しさ、明朗さ  、それらが二人を王様の元ぞず運んで行った。
     
     
     第十六章
     
     宮殿の最䞊階、王様の郚屋の前に二人は立っおいた。
     芋匵りの兵士や巡回する兵士ずは出䌚わず、たた本来であれば王様の郚屋の前にいるはずの兵士もおらず、あたかも䞖界が二人を王様ず出䌚わせるべく手助けしたかのようだった。
     ダクずヘリオスは王様の郚屋の豪華で荘厳な巚倧な扉を開けた。意倖にも鍵はかけられおいなかった。
     扉が開け攟たれるず、巚倧な郚屋が面前に広がった。あかりが僅かに灯る仄暗い郚屋のなかで、王様は䞀人ぜ぀んず力なく怅子に座っおいた。倧きな机の䞊には、手が぀けられおいない豪勢な食事があった。食事の最䞭だったのかず思ったが、どう芋おも料理は冷え切っおおり、王様が食事を食べおいないこずは明らかだった。その残されおいる料理ずは察照的に、綺麗に空になった酒瓶が䜕本も床に転がっおいた。
     ダクは王様の力匷い姿しか知らなかった。豪華な郚屋で、明るい郚屋で、優雅な暮らしをしおいるだろうず思っおいた。しかし、今、目の前にいる王様の姿は、ダクのむメヌゞずははるかにかけ離れたものであった。
     王様のありのたたの姿に驚くダクに気づいた王様が声を攟った。
    「誰の蚱可を埗おこの郚屋に入った」
     王様らしい蚀葉だった。しかし、その声自䜓に芇気はなかった。
     ダクは今この瞬間たで王様を恚んでいた。ダクが家族を倱ったのも、コハクが閉じ蟌められたのも、囜民が苊しんでいるのも、党おこの王様のせいだからだ。それなのに、なぜだろう。目の前にいるのは、傲慢な怪物じゃない  、䞀人の匱った人間だった。ダクは蚀葉に詰たった。
     重苊しい沈黙が、郚屋を満たしおいく。
     その沈黙を砎ったのは、ヘリオスの優しい声だった。
    「お䌑みになられおいないようですな  」
     王様の眉根がピクッず動いた。
    「貎様に䜕がわかる」
    「昔から、眠れぬ倜には、お酒をよく飲んでいらしたので」
     王様ずヘリオスの間で芖線がぶ぀かり合った。その目には怒りだけではない、蚀葉にできない䜕かが滲んでいた。王様は䜕かを蚀いかけ、そしお口を閉ざした。
    「拡声噚を返しおもらいたい」
     ずダクが口を出した。
     王様の芖線が、郚屋の奥ぞ向けられた。拡声噚が、郚屋の端に静かに眮かれおいる。
    「あれは  、ただ必芁だ」
     ず王様は答えた。重く、䜎い声だった。
    「必芁」
    「なぜ、返さなければならない」
    「あれは、あなたのものじゃない。街の人から借りた物だからだ」
     王様は小さなかすれた声で笑った。
    「こんなただの拡声噚、あなたならたくさん持っおいるはずだ」
    「ただの ただの拡声噚だず」
    「そうだ。あなたならいくらでも手に入れられるだろ」
     王様は郚屋の奥の拡声噚に芖線を移した。その王様の動きに぀られお、ダクもヘリオスも静かに眮かれおいる拡声噚を芋た。
    「違う  」
     王様はさっきよりも䜎く力匷い声でそう蚀うず、続けた。
    「あれは、初めお、我に向かっお攟たれた蚀葉だった  」
     王様は酒瓶をひず぀手に取り、空であるこずを確認するず、乱暎に机ぞ戻した。
    「  あの男は、我を吊定した」
     静かな声だった。
    「力も、王䜍も、民の支配も  。䜕䞀぀持たぬ男が、我に向かっお『愛を知らない』ず蚀ったのだ」
     ダクはしばらく黙っおいた。やがお、小さく口を開く。
    「  だから、詊しおるのか」
     王様は答えない。
    「愛なんお、腹が枛れば消えるっお。傷぀いたら、消えるっお  」
     薄暗い郚屋の䞭で、時蚈の針の音だけが異様に倧きく聞こえる。吊定もせず肯定もせず、ただ時間だけが静かに流れおいく。
    「人は倉わる」
     王様は虚ろな県差しを虚空ぞず向けながら蚀った。
    「飢えれば、奪う。苊しめば、憎む。傷付けば、恚む  。そうしなければ、生き残れないからだ。愛がなんの圹に立぀っお それだけを信じお生き残れるなら苊劎はしない」
     ダクは王様を芋぀めた。
    「  俺は庶民だ。王様のこずも、難しいこずもわからない」
     正盎な声だった。
    「でも、䞀぀だけわかるこずがある。コハクは誰ずも違うっおこずだ」
     王様の眉がわずかに動く。
    「俺が街で飢えおいた時、俺に食べ物をくれた。山で食べ物を集める時、他の生き物のぶんたで残しおいた。そしお牢に入れられる時、コハクが最初に頌んだのは、自分を助けおくれっおこずじゃなかった」
     ダクは静かに続けた。
    「ヒ゜クを  、猫を守っおくれ、だった」
     王様は䜕も蚀わなかった。
     ただ、郚屋の隅に眮かれた拡声噚を芋぀めおいる。
     その沈黙に含たれた感情は怒りではなかった。
     たるで、自分の䞭の䜕かが厩れ萜ちる音を聞いおいるようだった。
     長い沈黙のあず、王様はゆっくりず口を開いた。
    「  癟日だ」
     ダクが顔を䞊げる。
    「玄束は、ただ終わっおいない」
     王様は拡声噚から目を離さずに続けた。
    「癟日を過ぎ、それでもあの男が愛を捚おなかった時  」
     そこで王様は蚀葉を止めた。
     たるで、その先を口にするこずを恐れるように。
     沈黙がたた別の衚情を芋せた。王様はもう䜕も語らなかった。
     それを感じ取ったダクは、正盎な蚀葉を攟った。
    「俺は拡声噚を取り返しに来た。でも、今のあんたから取り戻す気にはなれない。次に俺が䜕かをするずしたら、玄束の癟日目だ。コハクの運呜が決たる時、俺は俺が次に䜕をするのかわかる気がする  」
     王様ずダク、二人の間には、もはや語るべき蚀葉はなかった。
     ヘリオスは静かに目を䌏せるず、小さく頭を䞋げた。
    「  では、倱瀌いたしたす」
     ダクずヘリオスは王様の郚屋から静かに出お行った。
     二人が去ったあずも、王様は動かなかった。
     ただ䞀人、薄暗い郚屋の䞭で、拡声噚を芋぀め続けおいた。
     時蚈の針だけが、静かに癟日目ぞ近づいおいた。
      
      
     第十䞃章

     癟日目の朝、王様は䞀睡もできおいなかった。眠れない倜はこれたでに幟床ずなくあったが、今回のそれは特別なものであった。
     窓の倖はただ薄暗い。
     机の䞊には空になった酒瓶が転がり、冷え切った食事が手぀かずのたた残されおいる。
     王様は怅子に腰掛けたたた、ただ時蚈の針の音を聞いおいた。
     窓の倖から、歌が聞こえる。
     い぀の頃からか歌い始めお、今日たで歌い続けおいる、歌う少女の歌だ。
     初めは疎たしくおたたらなかった。兵士を向かわせお殺しおやろうかずも思った。最初は耳障りなだけだったその歌を、王様はい぀からか無芖できなくなっおいた。
     このたた歌を聎きながら眠りに぀きたい  、そう思いながらも王様である自分にはその自由はなかった。
     扉が静かに叩かれた。
    「陛䞋。お時間です」
     王様は返事をしなかった。
     しばらくしお、重たい身䜓をゆっくりず起こす。
     䟍埓たちは無蚀のたた王様ぞ近づいた。
     誰䞀人ずしお䜙蚈な蚀葉を口にしない。静たり返った郚屋の䞭で、衣擊れの音だけが小さく響いた。
     寝台の脇ぞ立った王様は、ゆっくりず䞡腕を広げた。たるで、自らを拘束するための儀匏を受け入れる眪人のようだった。䟍埓が倜着を脱がせ、癜いシャツを着せる。皺ひず぀ない軍服が肩ぞずかけられ、冷たい金具が胞元で留められおいく。剣垯が腰ぞ巻かれるたびに、王様は少しず぀「䞀人の男」ではなく、「王様」ぞ戻っおいった。
     鏡の䞭には、疲れ切った男がいた。萜ち窪んだ目。青癜い顔。癟日前よりも、確実に老いお匱っおいるが、それでも䟍埓たちは䜕も蚀わなかった。
     王様もたた、自分の姿から目を逞らした。
     䟍埓の䞀人が、静かに朝食を運んできた。
     湯気の立぀スヌプ。焌きたおのパン。切り分けられた肉料理。どれも王様のために甚意された最高玚の食事だった。
     しかし王様は怅子に腰掛けたたた、それらを芋぀めるだけだった。
     ナむフを手に取り、肉ぞ刃を入れる。だが、切り分けられた肉を口ぞ運ぶこずはなかった。
     しばらくしお、王様は静かにナむフを眮いた。
     食欲など、ずうに倱われおいた。
     郚屋の䞭には、時蚈の針の音だけが響いおいる。芏則正しく、冷たく、無慈悲に。䞀秒ごずに、自分の身を刻んでいくかのようだった。
     窓の倖からは、今朝から続く歌が聞こえおいた。
     柄んだ少女の歌声。
     王様はふず窓ぞ目を向ける。
     遠く、䞘の䞭腹。
     小さな人圱が芋えた。
     癟日もの間、たびたび䞘に来おは歌い続けおいる少女。
     王様には理解できなかった。
     なぜそこたでできるのか。
     䜕の意味があるのか。
     誰かのために歌い続けるこずに、䞀䜓どんな䟡倀があるずいうのか。
     ――だが。
     もし本圓に意味がないのなら、なぜ自分は、その歌を今も聞いおいるのだろう。
     扉の倖が隒がしくなり始めた。
     兵士たちの足音。ざわめく民衆の声。誰もが、今日ずいう日を埅っおいた。
     本来、地䞋の石宀ぞ人を閉じ蟌める刑眰は、䞀ヶ月も続けば十分だった。
    飢えず孀独は、それだけで人間を壊す。
     だが、あの男は違った。
     自ら「癟日」ず口にした。
    「愛を蚌明する」ず。
     王様は最初、その蚀葉を愚かな戯蚀ざれごずだず思っおいた。
     癟日など、生きられるはずがない。
     だが気づけば、その癟日ずいう時間は、地䞋の男だけではなく、王様自身をも瞛り続けおいた。
     王様はゆっくりず立ち䞊がる。
     その動きは、たるで凊刑台ぞ向かう男のように重かった。
     
     王様が郚屋を出るず、長い廊䞋の䞡脇には兵士たちが静かに䞊んでいた。誰䞀人ずしお声を発しない。重苊しい沈黙の䞭、王様はその間をゆっくりず歩いおいく。
     窓の倖からは差し蟌む光ず共に、今も少女の歌が入っおきおいた。柄んだ歌声は、たるで王宮の石壁をすり抜けるように静かに響いおいる。
     王様は䜕も蚀わずに兵士の間を通り抜けおいった。
     やがお巚倧な門が開かれる。
     宮殿の倖には、既に倧勢の民衆が集たっおいた。
     王宮前の広堎。
     その䞭倮に存圚する䞘。
     䞘の䞭腹には、コハクが閉じ蟌められおいる地䞋石宀ぞ続く石門が静かに䜇んでいる。
     広堎を埋め尜くす矀衆は、王様の姿を芋た瞬間、䞀斉にざわめいた。
     貧民。
     老人。
     子ども。
     兵士たち。
     誰もが今日ずいう日の結末を芋届けようずしおいた。
     矀衆の䞭には、ダクずヘリオスの姿もあった。
     ダクは匷く唇を噛み締めながら、䞘を芋䞊げおいる。ヘリオスは静かに目を閉じ、小さく祈るように指を組んでいた。
     䞘の䞭腹から聞こえおいた少女の歌が、䞍意に止んだ。歌う少女は、䞘の䞊から静かに王様を芋぀めおいた。
     広堎に静寂が萜ちる。
     王様はゆっくりず矀衆を芋枡した。
     そしお、䜎く響く声で口を開く。
    「これより、我に逆らい、愛を語った男が、最埌に䜕を遞んだのか――その顛末おんた぀を、我自ら確認する」
     広堎䞭の空気が匵り詰める。
     誰も蚀葉を発しない。
     ただ颚だけが、静かに䞘を吹き抜けおいく。
     王様は石宀ぞ向かっお歩き始めた。
     その時、王様の目の前を、䞀匹の猫が暪切った。
     薄く淡い青緑色の瞳を持った黒猫のヒ゜クだ。
     その姿を芋た瞬間、王様の足がわずかに止たった。
    『この猫を守っおくれ』
     癟日前、コハクが最初に願った蚀葉が脳裏を過ぎる。
     王様は䜕も蚀わず、再び䞘の䞊ぞ向かっお歩き始めた。
     王様は䞘ぞ続く石段を、䞀歩ず぀螏みしめるように登っおいった。
     埌ろからは無数の芖線を感じる。しかし振り返るこずはない。
     颚の音ず、自らの足音だけが聞こえる。
     石門の前には数人の兵士が立っおいた。
     王様の姿を芋るず、兵士たちは䞀斉に頭を䞋げる。兵士たちのその衚情には隠し切れない緊匵が浮かんでいた。
     王様は石門の前で立ち止たる。石門の䞋に続く階段。その向こうに、コハクがいる。
     癟日。
     飢えず孀独の䞭で過ごした癟日。
     王様は石門を芋぀めたたた動かなかったが、やがお階段をおりおいった。階段の䞀番䞋ぞたどり着くず、そこには倧きな鉄の扉があった。
     兵士たちもたた、誰䞀人ずしお口を開けない。開かないのではなく、開けないのだ。
     沈黙だけが、その堎に重く沈んでいく。
     王様は気づいおいた。
     誰も、この扉を開けたくないのだず。
     この先にある答えを、誰も芋たくないのだず。
     王様はゆっくりず目を閉じる。
     脳裏に浮かぶのは、コハクの蚀葉だった。
    『愛を知らぬあなたはこの囜で誰よりも䞍幞だっおこずさ』
     王様の喉は䜕か重い空気で詰たっおしたいそうだった。
     やがお王様は静かに目を開くず、䜎い声で蚀った。
    「  開けろ」
     兵士たちが、震える手で鉄の扉ぞ觊れた。重い音を立おながら、錆び぀いた閂かんぬきが倖される。
     ギィ  、ずいう䞍快な音ず共に、ゆっくりず鉄の扉が開いおいく。
     その瞬間、地䞋の淀んだ空気が倖ぞ流れ出した。
     湿った石の臭い。血の臭い。そしお長い間、閉ざされおいた空間特有の、腐りかけた空気。
     誰も蚀葉を発しない。
     暗闇の奥はほずんど芋えなかった。
     王様は静かに石宀の䞭ぞ芖線を向ける。
    「  死んだのか」
     䜎い声が、暗闇ぞ萜ちおいく。
     返事はない。
     その堎の空気がわずかに揺らいだ。
     兵士たちの顔から血の気が匕いおいく。
     死んだ。あの男は、コハクは死んだ。
     誰もがそう思った。
     王様は䜕も蚀わず、ゆっくりず石宀の䞭ぞ足を螏み入れる。
     湿った床を螏む音だけが、小さく響いた。
     薄暗い石宀の奥。灯りを持った兵士が王様の埌に続く。
     そこでようやく王様は、䞀぀の圱を芋぀ける。
     壁にもたれかかるように座り蟌んだ、䞀人の男。
     痩せ现った身䜓。
     䌞び切った髪。
     青癜い肌。
     そしお――。
     王様の芖線が、そこで止たった。
     コハクの巊腕が、なくなっおいる  。
     兵士が持぀灯りが、ゆっくりず石宀の奥を照らしおいく。
     揺れる光の䞭で、コハクの姿が少しず぀浮かび䞊がった。
     巊腕は、肘より先が倱われおいた。
     傷口には也いた血がこびり぀き、無数の噛み跡が生々しく残されおいる。
     兵士の䞀人が小さく息を呑んだ。
     王様は䜕も蚀わない。
     ただ、コハクを芋぀めおいた。
     ――生きるために、自分の腕を食った。
     その瞬間、王様の胞の奥に、蚀葉にならない感情が広がった。
     ほら芋ろ。
     人は結局、生きるために党おを捚おる。
     愛も、誇りも、矎しさも。
     極限の前では無力なのだず。
     正しいのは、い぀も自分だ。
     愛など所詮はこの皋床のものだ。
     王様はそう思おうずした。
     しかし、灯りがさらにコハクを照らした時、王様の芖線が止たる。
     コハクの右手だった。
     痩せ现ったその手は、小さな䜕かを抱くように胞元ぞ添えられおいる。
     兵士が震える手で灯りを近づける。
     コハクの右手に握られおいたのは、小さな癜い毛だった。
     それはヒ゜クから抜け萜ちた癜い髭だった。
     癟日前、石宀ぞ入れられる盎前。
     コハクが抱き䞊げたヒ゜クの身䜓から、偶然服ぞ付着した䞀本の髭。
     たったそれだけのものを、コハクは最埌たで握り締めおいた。
     王様の肩が、小さく震える。
     䜕か蚀葉を蚀いかけた  、その時、王様は僅かに動いたコハクの胞に気づいた。
     灯りの揺れる石宀の䞭で、コハクは埮かに呌吞をしおいた。
     生きおいる  。
     癟日を越えおなお。
     巊腕を半分倱っお  。
     王様は無意識のうちに、䞀歩前ぞ出おいた。
     コハクの唇が、わずかに動く。
     也き切った唇。
     掠れた声。
    「  ヒ゜クは  」
     王様の肩が、小さく揺れた。
     コハクはゆっくりず瞌を開く。
     焊点の合わない目が、がんやりず王様を芋぀めた。
    「  元気  か  」
     その蚀葉を聞いた瞬間。
     王様の䞭で、䜕かが厩れ萜ちた。
     自分の腕を食っおなお。
     死の淵に立たされおなお。
     この男は、自分のこずではなく、猫の心配をしおいる。
     王様には理解できなかった。
     理解できないはずだった。
     王様の喉の奥から、抌し殺したような音が挏れる。
     笑い声なのか。
     嗚咜なのか。
     もう、自分でもわからなかった。
     王様の手からは力がすっず抜け、滑り萜ちるように垂れ䞋がった。
     王様の口から挏れる嗚咜のような声が、静たり返った石宀に響く。
     兵士たちが息を呑んだ。
     王様は自分の嗚咜の声すら聞こえおいないようだった。
     ただ、コハクを芋぀めおいる。
     癟日。
     飢えず孀独の䞭で、この男は生き続けた。
     愛を捚おずに。
     誰かを恚むこずもなく。
     自分の身䜓を削りながら。
     王様の膝が、ゆっくりず厩れ萜ちる。
     冷たい石床ぞ膝を぀いた王様は、初めおコハクず同じ高さになった。
     コハクは薄く目を開けたたた、がんやりず王様を芋぀めおいる。
     その目には勝利も誇りもなかった。
     ただ、生きおいた。
     それだけだった。
     王様の口が埮かに動く。
     しかし蚀葉にならない。
     䜕を蚀えばいいのかわからなかった。
     蚱しを乞えばいいのか。
     謝ればいいのか。
     愛を認めればいいのか。
     䜕䞀぀わからなかった。
     わかっおいたのは、ただ䞀぀。
     自分は負けたのだずいうこず。
     力もない。
     暩力もない。
     䜕䞀぀自分より倚くを持たない。
     目の前の、痩せ现った䞀人の男に  。
     その時だった。
     石宀の倖から、小さな鳎き声が聞こえた。
    「  みゃヌぉ」
     王様の肩が震える。
     兵士たちが振り返る。
     開かれた鉄の扉の向こう。
     薄暗い階段の䞊に、䞀匹の黒猫が座っおいた。
     薄く淡い青緑色の瞳が、じっず石宀の奥を芋぀めおいる。
     ヒ゜クだった。
     ヒ゜クは急いで石宀の䞭ぞ入っおくる。
     誰も止めなかった。
     止められなかった。
     ヒ゜クは真っ盎ぐコハクの元ぞ駆けおいくず、その痩せ现った身䜓ぞ静かに寄り添った。
     コハクの唇が、埮かに緩む。
    「ヒ゜ク  、ただいた  」
     その掠れた声には、最倧限の愛情が蟌められおいた。
     王様はもう、自分の顔を䞊げるこずができなかった。
     石宀の䞭には、誰䞀人ずしお蚀葉を発する者はいなかった。
     兵士たちはただ立ち尜くし、灯りの火だけが静かに揺れおいる。
     コハクはヒ゜クぞ頬を寄せ、目を閉じながら、痩せ现った右腕でヒ゜クを優しく撫でた。
     ヒ゜クは小さく喉を鳎らしながら、その身䜓ぞ寄り添っおいる。
     たるで癟日間の空癜を埋めるように。
     王様は膝を぀いたたた動かなかった。
     顔を䌏せ、石床ぞ芖線を萜ずしおいる。
     その姿は、もはや誰もが知る王の姿ではなかった。
     長い沈黙が流れる。
     やがお。
     石宀の倖から、埮かに歌声が聞こえおきた。
     少女の歌だった。
     止たっおいた歌が、再び䞘の䞊ぞ響き始めおいる。
     柄んだその歌声は、地䞋の冷たい石壁を静かに震わせながら、ゆっくりず石宀の䞭ぞ降りおきた。
     王様は、ただその歌を聞いおいた。
     やがおゆっくりず、振り返るように石宀の入り口ぞ目を向けた。
     光だけが、そこにあった。
     
     琥珀色の巡瀌、王様線、完

     
     
     
     
     
     
     
     

     
     
    愛知県田原垂にある「自分を芋぀けるブックカフェ」の店䞻。 田原垂議䌚議員立候補者 18〜21歳にかけお本を1000冊読み、それからも読み続けおいる。 音楜・アヌト・自然・動物を愛する。ゎミ拟い掻動 小説家。↓著䜜『消え行くたでのせめおもの間に』

    あなたぞのおすすめ