メインコンテンツへスキップ
見出し画像

majorityとminority

    「人間って〜」
    となりで何やらえらく主語がでかい話をしている。
    主語が大きい話はあまり好きではない。
    途中から聞こえてきたため話の本筋は分からないが、
    自分たち(男2人)が5%の少数派であることをお互いに認めあってるみたい。
    「今だってラメ入りの靴下履いてるぜ」
    「ローファー裸足で履くのだって」
    「ハルクになりたい」
    「痩せたい」
    「 iPhone 16 Proを使ってる」
    「俺も、重いよね」

    僕もmajorityよりかはminorityでありたいと思ってしまっている節はある。
    「思ってしまっている」という自覚もある。

    でも、最近はminorityの中のmajorityを追ってしまっている気がする。
    そして、その行為は本当に自分を表現出来ているのか、はたまた、それこそが自分自身なのか。
    外からの見られ方と本当の自分の間に乖離がない方が生きやすいだろうし、自然体で過ごせるだろう。

    先日、友人に Apple Watchをつけていることをいじられた。
    Apple Watchはmajorityだろ、と。
    そんなこと自分では意識したこと無かったし、自分が彼からはそのように見えていたことも初めて知った。
    Apple Watchがmajorityかどうかはさておき、自分はそんなにminorityに固執していないのかもしれないと知った時は少しホッとした。

    可能ならそんなこと一切考えずに過ごしたいものだが、それも今の時代なかなか難しいので、これまで通り生きていこうかなと思う。

    ありがとう。知らないふたり。
    と僕のともだち。

     
     
     

    庄田

     
     
    パーカーが似合うおじさんになる 名前のつかない感情のたまり場

    あなたへのおすすめ