
「せっかくだから」が出てこなかった日
雨の土曜日だった。
朝から降っていて、家族3人とも特に大きな予定はなかった。
朝食を食べて、掃除をして、録画していたものを見て、そのうちゲーム実況を流して、娘はビーズを始めて、昼を過ぎたあたりでアイスを食べた。
夕飯は簡単なもので済ませた。
書き出してみると、かなり普通の一日だ。
どこかへ行ったわけでもないし、人に話すような出来事も特にない。
それでも、退屈だった記憶がない。
時計を見て「まだこんな時間か」と思うこともなかったし、「このまま終わっていいのかな」と落ち着かなくなることもなかった。
雨の音を聞きながら、気づいたら夜になっていた、というのが一番近い。
この日のことをわざわざ書こうと思ったのは、寝る前に、ふと思い出したことがあったからだ。
「そういえば、花火大会だったな」
近所で花火大会がある日だった。
天気が崩れる予報だったから、そもそも開催されるのかどうか、数日前から少し気にしていた。
結果的には、ちゃんと開催されていたらしい。
ただ、その日の家の中で、花火の話は一度も出ていない。
「行く?」も「せっかくだから見に行こうか」も、誰の口からも出なかった。
自分も言わなかったし、言いたいとも思っていなかった。
気づいたのが布団に入ってからだったのだから、言いようがない。
その後も、花火大会の話題が家族の間に上がることはなかった。
翌日になっても、たぶんこのまま上がらない。
花火に興味がなくなったわけでも、外に出るのが嫌いになったわけでもない。
出かけるのも、イベントに行くのも今でも普通に好きだ。
ただ、近くでそういうものをやっていたのに、「せっかくだから」という発想がそもそも誰からも出てこなかった。
それが自分には少し面白かった。
そして、出てこなかったことに対して、何か物足りない感じもなかった。
行かなかったことを惜しんでいるわけでも、行かなくてよかったと胸を張りたいわけでもない。
ただ、そういう一日だった。
その日の家の中を思い返してみると、3人とも、基本的にはずっとリビングにいた。
といっても、家族全員で一つのことをずっとやっていたわけではない。
「今日は家族でこれをしよう」と決めた覚えもない。
誰かが何かを始めて、それを見た誰かが少し一緒にやったり、少し見たりする。
そのくらいの温度だった。
娘がビーズを始めれば、自然と少し手を出す。
誰かが動画を見ていれば、近くにいる人も、なんとなく画面に目をやる。
そのうち離れて、また別のことをしている。
それぞれ勝手にバラバラ、という感じでもなかった。
同じ部屋の中に、それぞれの時間と一緒の時間が、混ざったり離れたりしながら流れていた。
自分では、これはけっこう居心地のいい距離だと思っている。
ただ、なぜそうなっているのかはよくわからない。
もしかしたら、今の家の広さや間取りも関係しているのかもしれない。
リビングにいれば全員の気配がわかって、でも誰かが何かを始めても邪魔にならない。
そのくらいの広さが、たまたま今の自分たちに合っているのかもしれない。
暮らし方と、家の環境と、家族の組み合わせが、今のところ噛み合っているらしい。
ただ独身の頃は、だいぶ違った。
休日になると、わりとよく動いていた。
「休みだから」という理由で出かけて、あれこれ予定を入れて、朝から動き回っていた。
その頃は、休日に昼まで寝てしまうと、本気で思っていた。
「もったいないことした!!」
せっかくの休みなのに、半分が終わっている。
朝から何かをして、ちゃんと一日を使わないと損をしたような気がしていた。
その感覚は、わりと強かった。
今はどうだろう。
もし今、休日に昼まで寝てしまったとしたら、そこまで強くは後悔しない気がする。
「もったいない」と思うより先に、「じゃあ、この時間から何しようかな〜」と、その時点から普通に考え始められる気がする。
「気がする」と書いたのは、実際に昼まで寝てしまう休日が、今はないからだ。
だからこれは、あくまで想像。
この変化を、何かの成長のように言いたくはない。
大人になったとか、価値観が落ち着いたとか、そういう話に収めてしまうと、少しずれる気がする。
正直なところ、自分でもなぜ変わったのか、うまく説明できない。
ただ、「休日をちゃんと使わないともったいない」という感覚が、以前より薄くなっているのは確かだ。
あの雨の土曜日を思い出すと、特別なことを何も足していないのに、一日がちゃんと一日になっていた。
昔の自分なら、近所で花火大会があると知っていたら、きっと「せっかくだから行こう」と思っていた。思っていたというより、考えるまでもなく、そうしていたと思う。
今回は、寝る前に思い出しただけだった。
それでも、特に足りなかった感じはしなかった。