
【自己分析】他人に相談をすることの不毛さについて
私は人に悩みを相談するのが苦手だ。というか相談しても意味がないと感じる。
親しくない人に相談することはそもそもないためそれはいいのだが、比較的信頼している人たち(家族や友人など)が相談相手であったとしても、相談という行為に関してはほぼほぼ期待も信用もしないようにしている。
というのも、何かを相談したとしても、相手からアドバイスとして貰えるものは既に自分で考えた(そのうえで没にした)内容だったりする。つまりあんまり参考にならない。
またそれ以前に、私が悩みを打ち明けた時にその悩みを「なかったこと」にしたがっているような雰囲気を感じるのが嫌なのだ。
「別にそんなことはないんじゃない?」「考えすぎじゃない?」「まぁ普通そういうもんでしょ」とかそんな感じの言葉で、私が悩んでいることを一般化して薄めようとする。
まぁカウンセラーでもない人たちに傾聴を求めるのはそもそも間違ってはいるのだが、信頼している人から私の悩みを「どうでもいいもの」扱いされるとさすがの私でも悲しい気持ちになるのだ。
相談とは少し違うが、SNSでちょっと愚痴をこぼした時なんかにやたらと元気づけようとしてくる人がいたりする。
こちらとしては自分の心の整理や皮肉・ジョークの意味合いでつぶやいているだけなのだが、深刻に受け止めて熱い慰めの言葉をくれる人がたま~にいる。(それ自体はとてもとてもありがたい)
ただそういう言葉を貰った時、「元気な姿しか表に出してはいけないのだな」と思ってしまう。私は凹んだり悩んだりすべきではなく、その人のためにいつも元気でいなければならないのだ、と思う。
これらの場面に出くわした時に思うのは、社会には「悩んではいけない雰囲気」が存在しているのだということだ。
病んでる暇があったら改善に努めたり、悩んでいることを周りに悟られないよう努力したりしなければならない みたいな。社会全体かは知らんけど、少なくとも私の周りにおいてはそんな感じがするのだ。
でも自分の力じゃどうしても解決できないことってあるじゃんね。いくら努力したって才能がなかったら成果もあんまり出てこないし。
凹んでるような時は元気が勝手に出てくるまで気長に待つしかない。
悩み事に関しては、一応自分なりに工夫や努力をしてそれでも駄目だったから半分愚痴のつもりで相談をしているわけなのだけれど、そうすると「努力が足りないんじゃない?」「皆も同じことで悩んでるけどそれでも頑張ってるんだよ」って言われたりする。
そうなるともう「劣等生でごめんなさいね」って言うしかなくなる。だって、ちょっと頑張ってできるようなことだったら最初から悩んでないし。
自分がどれだけしんどくても、「悩んではいけない雰囲気」に従うこと、すなわちその雰囲気を維持したいという周りの人の期待に応えることのほうが大事なのだろうと思う。私のくだらない悩みなんかよりも。
周りの求める普通の人間になること・普通の人間でいること のほうが重要だから、そうなるための努力を怠ってはいけないということですね。なんてありがたいアドバイスなんだろう。参考になるなぁ。
というわけなので、私は親しい人に悩みを相談するのをやめたいと思っている。
(が、つい相談してダメージをくらうことがやっぱりまだある。やめたい。)
こういう相談はカウンセラーの人にだけすべきなのだろうと思う。だってプロだし。
ただそうは言っても結局自分の問題は自分にしか解決できないので、カウンセラーの協力を得たとしても最終的には自分が必死に動くしかないのだ。
つまり相談という行為自体はただの情報収集でしかない。
そこを自分自身ちゃんと意識しきれていないので、相手にいらぬ期待をしてしまうのだと思う。相手が助けてくれるのではという幻想。
一人で生きていけるようにもっと頑張らねば。