「聞く」とは、どういうことなのか——理解の前に、受け取ることから始まる
前回「意味不明」と見えてしまう行動にも、その人なりの文脈があるのではないか、ということを書きました。もしそうだとするとその見えにくい文脈に、どのように近づいていけばいいのでしょうか。
そのときに出てくるのが「聞く」という関わり方です。ただ実際に関わる中で感じるのは、「聞く」という行為は、それほど単純なものではないということです。ただ言葉を受け取るだけでは、その人のことを理解できたとは言えないことも多くあります。
私たちは無意識に「理解しよう」とする
誰かの話を聞くとき、私たちは無意識のうちに「理解しよう」とします。それは大切な姿勢でもありますが、同時に、自分の中にある枠組みや経験を使って、意味づけをしてしまうことでもあります。
「こういうことだろう」「つまりこういう意味だろう」——そうした理解が先に立ったとき、その人の語っていることと、少しずれてしまうこともあります。私たちの理解が、その人の声を上書きしてしまっているのです。
「分かったつもり」の危険性
言葉としては理解できている。説明としては筋が通っている。それでも、どこか噛み合わない。そうしたときに起きているのは「分かったつもり」なのかもしれません。
その人の中で起きていることは言葉だけではすべて表現されているわけではありません。むしろ、**言葉になっていない部分や、うまく表現できていない感覚の中に、大切なものが含まれていることもあります。**その微妙なニュアンスを、理解の急ぎで失ってしまう。そこに支援の落とし穴があるのです。
「聞いてもらえた」から話す力が生まれる
不思議なことにこちらが丁寧に聞こうとするとき、相手の方から話し始めることがあります。「聞いてもらえた」と感じたとき、人は自然と自分の中にあるものを言葉にし始めるのかもしれません。
逆に理解しようと急いだり結論を求めてしまったりするとき、言葉は出てこなくなることもあります。そう考えると、「聞く」ということは、何かを引き出す技術というよりも、その人が話せる状態をつくる関わりなのかもしれません。
「聞く」とは、分からないまま受け取ること
もしかすると「聞く」ということは、すぐに理解しようとすることではなく、いったん分からないまま受け取ること、そしてその状態を持ち続けることなのかもしれません。
すぐに答えを出さない。すぐに意味づけをしない。その余白の中で、少しずつその人の文脈に近づいていく。そうした関わり方も、あるのではないでしょうか。
「分かりました」と早々に結論づけるのではなく、「分かりません、でも聞いています」という姿勢を持ち続ける。その誠実さが、理解に近づいていくための一つの道になるのかもしれません。
理解は時間と関係の中で立ち上がる
「聞く」という行為は一度で完結するものではありません。関わりを重ねていく中で、少しずつ見えてくるものがあります。あのときの言葉は、こういうことだったのか。あの反応には、こういう背景があったのか。
そうした理解は時間と関係の中で立ち上がってくることもあります。
複数の視点が、理解を完成させる
だからこそ「聞く」とは、情報を受け取ることではなく、その人とともに、意味が立ち上がっていくプロセスに関わることなのかもしれません。
一人で見ていると分からなかったことが、別の視点が加わることで見えてくることもあります。そうした意味で、理解は個人の中で完結するものではなく、関係やチームの中で立ち上がってくるものでもあるのかもしれません。
支援者同士がそれぞれの見方を持ち寄ることで、その人についての理解がより立体的になっていく。その営みの中にこそ、そうした営みの中で、理解がより立体的に立ち上がってくることもあるのだと思います。
「意味不明」から関係は始まる
「意味不明」と感じたところから、関係が始まっていく。そうした関わり方も、あるのではないでしょうか。
分からなさを否定するのではなく、そこを起点として、一緒に理解を作っていく。その過程の中で、初めてその人のことが見えてくるのかもしれません。
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