
DV それが普通だった(第3話:弟の誕生と、母の孤独)
私が小学校に上がる頃、母が新しい命を授かった。
本来なら祝福されるべき妊娠。けれど、我が家の地獄はさらにその過酷さを増していった。
お父さんの暴力は、日に日にエスカレートしていった。
あろうことか、母の大きくなっていくお腹を狙って、何度も何度も容赦なく蹴りつけるようになったのだ。
母はただ、自分の体を丸め、お腹の中の赤ちゃんを守ることに必死だった。
なぜ、自分の作った子どもに対して、そんな残酷なことができるのか。
大人になり、自分も親となった今でも、私には到底理解できないし、本当に信じられない。
お父さんは、手だけでなく言葉の暴力でも母を追い詰めた。
「お前が外で浮気して作ってきた子どもだろ」
「どこの男のガキだ!」
狂ったように怒鳴り散らすお父さんに対し、母はいつも、泣きながら声を枯らして叫んでいた。
「何を言ってるの、あなたの子どもでしょ!」

地獄のような日々が続き、いよいよ赤ちゃんが生まれるというその日。
お父さんは、陣痛に耐える母に手を貸すことすらおろか、病院へ送ることすらしなかった。
母は、自分で出産の身支度をし、入院バッグを片手に持って、家を出た。
陣痛の痛みに耐えながら、歩いて約30分かかる病院まで、たった一人で歩いて向かったのだ。
そして、そのまま誰にも立ち会われることなく、1人で弟を産み落とした。
――私のもう一つの連載(ステップファミリー編)を読んでくださっている方は、気づいたかもしれない。
私が3番目の子どもを産んだとき、夜中しか手伝いに来られない夫との間で、あの過酷なワンオペ育児を経験した。
あの時の私の環境は、かつての母の姿と、あまりにも残酷なほど似ていた。
後になって分かったことだが、私が3人目を産んだとき、母は号泣していたという。
「自分と同じ、あの寂しくて苦しい思いを、娘にだけはさせたくなかった。なぜ1人で産んだの?私に教えてほしかった」
後に母は、ぽつりとそう私に話してくれた。
母にとって、1人で歩いて病院へ向かったあの日の孤独は、何十年経っても消えない深い傷だったのだ。

母は、病院から退院すると、なんとその当日からすぐに働き始めた。
自営業の仕事は待ってくれない。お父さんは容赦ない。
生まれたばかりの弟を、職場の片隅に寝かせ、時には車の後ろのシートに乗せたまま、時にはおんぶ紐で背中にきつく縛りつけたまま、母は休む間もなく働いた。
弟が生まれたことで、それまで末っ子として少しは甘えられていた私の環境も一変した。
「もっと甘えたかったのに」という悔しい気持ちが、幼い心の中に全くなかったと言えば嘘になる。
けれど、新しくやってきた歳の離れた弟は、そんな感情を吹き飛ばすほど、信じられないくらい可愛かった。
「この小さな命を、私が守らなきゃいけない」
幼かった私の中に、初めて「お姉ちゃん」としての強い自覚が芽生えた瞬間だった。
小学校に上がった私は、学校から帰ると友達と遊ぶ暇もなく、すぐに弟の世話と家事の手伝いに追われた。
「それが当たり前だ。お前たちの義務だ」と、
お父さんから徹底的に叩き込まれていたからだ。
小さな手で洗濯物をとりこんでたたみ、夕飯を姉と一緒に作りながら、弟をあやす。
それが、私の「小学校生活」の始まりだった。
家の空気を読んで、気配を消すだけの存在だった私が、初めて「守るべきもの」を見つけた。

けれどそれは、さらなる激動の小学生時代の、ほんの序章にすぎなかった。
(第4話へ続く