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この倏、䞀人でも倚くの人に読んでほしい実話 短線小説

    幎 月日  ヒロシマ

    私たちは助かった  

    人生は運である。
    こんな蚀葉は䜿いたくない。
    けれど、あの日、母が私たちを連れ出さなければ死んでいた。

    戊争は激化しおいた。

    父がフィリピンぞ出埁するこずになり、戊火の広がる神戞に䜏んでいた私たちは、神戞よりも安党だず思われる広島垂の癜島はくしたぞ移䜏するこずにした。

    姉が二人、自分歳、匟の人。そのうち、長女だけが、広島垂から離れた可郚珟圚は広島垂に疎開するこずになった。

    生掻は苊しい。アワやピなど家畜の逌のようなものしか配絊はない。次女が持っお垰る囜民孊校の絊食の残り物を食べた。
    ゞャガむモ、ペモギの団子、ヒペコの䞞炊き、りシガ゚ル  

    そのうち疎開先の長女から母芪ぞ手玙が届くようになった。

    「お母ちゃんの所ぞ垰りたい」

    長女は疎開先で「ブタ ブタ」ずいじめられおいたらしい。母は䞀人だけを疎開先に預けるこずを䞍憫に思い、広島に連れお垰りたいず考えおいた。

    そしお、「月日」に日垰りで長女を連れお垰るために広島を出るこずにした。

    「この子達をお願いしたす。今日䞭に垰っおきたすから」

    母は、近くに䜏む䌯母さんに私ず匟を預けようずした。するず、䌯母さんは空を芋䞊げお難しい顔になった。

    「あんたね。ここも空襲があるんよ。䞀時でも子どもを手離しおどうするんじゃ」
    「そこをなんずか」
    「責任なんかずれんよ。みんな連れお行きんさい」

    䌯母に突き攟され、結局、党員で長女の疎開先ぞ向かうこずになった。

    しかし、月日に䞀番䞋の匟が発熱しおしたい、広島出発が、あの月日の早朝になったのだ。

    午前時。空襲譊報も解陀され、䜏んでいる癜島を離れ、途䞭、軍甚トラックの荷台に乗せおもらい、可郚にある鈎匵すずはりずいう疎開先ぞ向かった。

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    真倏の倪陜はただ䜎いが、空は晎れ枡っおいた。防空頭巟を぀けおいるのでものすごく暑い。鈎匵に近づくず、軍甚トラックを降りお歩き始めた。

    砂塵のあがる荒涌ずした道が続き、畑や田んが、緩やかな流れの谷川があった。所々の家には、赀いペンキが塗られた防火甚氎のドラム猶がある。こんな田舎にも戊火が近づいおいる。

    付近の寺から子どもの声が聞こえる。長女の䜏んでいるお寺も近くにあるはずだ。蝉がはげしく鳎いおいる。

    その時、いきなり空が、ピカッず青く光った。

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    「ふせ」

    咄嗟に母芪が叫び、防火甚氎の陰に私たちを突き倒した。


    ドガヌン



    あたりは急に静寂が走り、恐る恐る顔をあげた。初めお芋るあたりの光景に、蚀葉が出ない。

    耐色ずも黄色ずも぀かぬ「倧きなキノコのような雲」が山の皜線から湧き䞊がっおいたのだ。

    「お母ちゃん、広島の方角じゃ」
    「倧䞈倫じゃろうか」

    䞊空に盛り䞊がる濃くお倧きな雲は、たるでキノコのよう圢をしおいる。幌い心にも、爆匟が萜ちたこずぐらいは予想できた。

    母は立ち䞊がり、キノコ雲を眺めた埌、怖い顔をしながら「行くよ」ず疎開先ぞ歩き始めた。

                


    「お母ちゃん」

    泣きそうになっおいる長女が走っおきお、私たちは久しぶりに再䌚し、䞀時の喜びをかみしめあった。

    「今日、広島に垰るのはやめおおいたほうがいい」

    ラゞオの攟送がないので爆匟の情報はない。悪い噂だけが広がっおいた。結局、芋知らぬ人に母が頭を䞋げお泊めおもらうこずにした。

    次の日、広島垂から垰っおきた人からこんな話を聞いた。

    「特殊爆匟が萜ちお、広島の街は党滅じゃ」

    その蚀葉に愕然ずした。

    䞉日埌、自分たちの家が気になった母は、「戻っおみよう」ず決意をかため、長女だけを疎開先に残し、私たち子ども䞉人を連れお広島垂の癜島はくしたに戻るこずにした。

    疎開先から自宅たでのキロ以䞊の道のり。
    歩いお広島ぞ向かうしかなかった。

    倪陜が照り぀け、汗が毛穎から止めどなく吹きだし、朚陰で䌑んだではみたが、䞀番䞋の匟が疲れ果おしたい、母がおんぶした。

    やっず暪川広島垂に近づくず、瓊瀫が埐々に増えおきお、それから続く光景は広島の街ではなかった。

    芋枡す限りの焌け野原。

    半焌けや䞞焊げの朚材が散乱し、鉄筋がぐにゃりず折れ曲がり、電線が至る所で溶けお垂れ䞋がっおいる。廃墟ず化した街は、戊堎そのものだった。

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    無残に焌け焊げた人、人、人。

    真っ黒い裞の死䜓が、ごろごろず転がっおいる。

    「お母ちゃん、あれ、䜕しずるん」
    広い道端で兵隊が䜜業をしおいる姿をみお、私は母に尋ねた。
    「死んだ人を焌くんだろうよ」
    母は喉の奥から抌し出すような声で答えた。

    兵隊は、無残に䞞焊げになった人々を棒の先にかぎ爪の぀いた物ずびぐちで匕きずり、䜿われなくなった材朚のように䞊べ、倧八車にそれを乗せた。

    そしお、䞞倪でやぐらを組み、焊げた遺䜓を䞞倪の間にざっず転がし、重油のようなものをかけた。

    火が付いた。

    髪の毛や内臓や色んな物が焌ける匷烈な臭気が空気を汚し、䜙りの臭いに錻を抌さえた。

    沈んだ気持ちで家を探しおいるず、近くを流れる川にむカダのような物が䞊んでいるのが芋えた。無数の死䜓が折り重なるように浮いおいるのがむカダに芋えたのだ。

    そんな光景を目の圓たりにしながら、母は顔をあちこちに向けお、息を切らしながら歩いおいる。

    柳 柳 柳  

    家の玄関暪にある柳の朚のこずだ。
    廃墟の䞭では、目印の「柳の朚」が芋぀かるはずがない。

    「甚のない人は、この先は行ったらいけん」

    怜問所の人間に蚀われ、遠回りをしながら道ずは思えない瓊瀫の䞊に歩き、あちらぞ向かい、こちらぞ向かい、ず圷埚っおいた。

    そしお、途方に暮れ始めた頃、母が叫んだ。

    「これじゃないの」

    黒くお尖った炭が、地面から突き刺さるように立っおいるのを芋぀けたのだ。柳の朚の燃え残りである。

    瓊をはぐるず、ただ火の気が残っおいた。所どころ煙があがり、焊げた臭いがした。

    裏の畑にあった井戞のフタが焌け、近づくず、䞭に䜕人もの人が目玉を真っ癜にしお入っおいた。

    「ここがあんたたちの家よ」
    母は茫然ず立ち尜くした。

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    被爆者父の絵をそのたた茉せおいたす。

    「これ、タケシの氎筒」
    次女が焌け焊げおペチャンコの金属を芋぀けお持っおきた。

    母は座り蟌んで頭を䞋げ、ずっず動かない。

    私たち子どもは、どうするこずもできず、萜胆しお倒れそうな母を埅぀しかなかった。

    私たちは垰る家を無くした。

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    垰る圓おがなくなっおしたい、長女のいる疎開先鈎匵の寺ぞ向かうしかなかった。

    来た道を匕き返し、十五キロ以䞊の道のりを再び歩かなければならなかった。

    あたりの萜胆ず疲劎ず、これからの䞍安のせいで、蚀葉が浮かぶこずはなく、ただ、足だけを前ぞ動かした。

    鈎匵にたどり着いた時刻は芚えおいない。倚分、日が暮れおいたのではないだろうか。身も心も疲れ果お、空腹もあっお倒れそうになっおいた。

    「もう䜕もありたせん。お願いしたす」

    母は疎開先の寺で、䜏職に頭を䞋げた。
    藁にもすがる思いで涙をためおいる。

    そんなこずもあり、私たちは長女ず䞀緒に寺で過ごすこずになった。母は疎開しおいる子どもたちの賄いを手䌝い、私たちは畑仕事で肥を運んだりした。

    寝起きする寺の本堂ではぎょんぎょんずノミが跳びたわり、ろくに颚呂に入れなかった。頭はフケやシラミでいっぱいになった。

    食べ物がなくお、倜、こっそり玍屋に忍び蟌み、梅干しやラッキョりを霧った。隣の畑に入っお野菜を盗み、野原を跳ねるむナゎを掎みずっお口の䞭に攟り蟌んだ。

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    空腹を玛らすため、虫くだしに䜿うマンニク草を食べるず、突然、腹が痛くなっお䜕かを吐き出した。喉からにゅるっず回虫が出おきた。


    せいぎのせんそうっお、なんなの
    どうしお、こんなひどいめにあわないずいけないの
     


    私は、たった6歳にも関わらず、戊争ぞの匷い疑問を感じおいた。

    「呜が助かっただけでもええじゃないか」
    「運が良かったんじゃねえ」

    こずあるごずに蚀われる。
    もし、月日に疎開先ぞ行っお長女を匕き取り、癜島広島垂にも戻っおいれば原爆で死んでいた。

    もし、月日に䞀時間でも遅く出かけおいたら。

    もし、月日に、䌯母が私たち姉匟を広島で預かるず蚀っおいれば。

    運が良かったのだ。そうなのか

    確かに、かすり傷䞀぀せず、原爆孀児にもなっおいない。けれど、家を無くし、自分の生きた街を無くし、友達を無くし、「家族が離れたらいけない」ず叱っおくれた䌯母を無くし、野良犬のような生掻をしお  

    「戊地でお父さんがきっず守っおくれたのよ」

    母はい぀も蚀う。その父は、出埁しお陞軍に入り、戊争が終わったのに垰っお来なかった。


    䞀幎埌の秋、父の戊友ずいう人が、母を尋ねおきた。

    「俊倫さんは、フィリピンのマニラで死にたした」

    戊友の話では、父の俊倫はマラリア蚊に苊しみ、幟床も自害しようずしたが、そのたびに戊友が抱きずめたずいう。
    そしお、最期は正気を倱い、狂ったように息絶えた  

    幎月のこずである。぀たり、原爆投䞋のか月も前、既に父は死んでいたのだ。

    せいぎのせんそうっお なんなの


    了

    最埌たで読んでくださり、ありがずうございたした。

    この䜓隓は、被爆者である父の蚘録をもずに小説颚に盎したものです。

    戊争を知らない䞖代ずしお、この䜓隓を文章に残しおおきたいず思い、昚幎曞いた䜜品を改めお芋盎したした。䞀人でも倚くの方に読んでいただけたなら幞いです。

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    参考あすのために 
        これが原子爆匟ず戊争の真実
        発行所 広島県高等孊校
            原爆被爆教職員の䌚
        発行線集人 
            「あすのために」線集委員䌚
             2007幎3月31日 発行


     
     
    短線小説を䞭心に投皿しおいたす。 2ヶ月連続でnote 公匏今日の泚目蚘事に遞ばれたした。 月に頭がぶっ壊れお䜜品も壊れおいたす。 文章力の向䞊ず文孊賞を取るこず目暙にnote のみコツコツやっおたす。 深海のク゚のように、匷烈な個性を持ち、なおか぀矎味しい䜜品を届けたす。

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