
📊数字は会社の本音を語る🔍監査・不正編 債権評価と経営者の楽観主義
【「大丈夫です。来月には払ってくれます」】
決算を前にして、経理担当者が社長に一枚の売掛金一覧表を見せました。
半年以上入金されていない取引先があるのです。
ミカ「この会社、売掛金が2,000万円も残っていますよ」
社長「大丈夫、大丈夫。先方の社長とは20年来の付き合いだから」
ミカ「でも、最後に入金されたのは8か月前です」
社長「今、新しい工場を作っていて資金繰りが厳しいだけだ。来月には払ってくれるよ」
ミカ「来月って、先月も聞いたような……」
教授「債権の評価で最も危険なのは、『回収したい』という願望が『回収できる』という判断に変わる瞬間です」
売掛金は、請求書を発行したから資産になるわけではありません。
最終的に現金として回収できて、初めてその経済的価値が実現します。
ところが、売掛金や貸付金の評価には、どうしても将来予測が入ります。
「来月払うと言っている」
「事業が軌道に乗れば返済できる」
「担保を売れば何とかなる」
「長い付き合いだから逃げない」
どれも一見もっともらしく聞こえます。
しかし監査人が確認したいのは、
「社長がそう思っているか」ではなく、「そう判断できる証拠があるか」
です。
【売掛金1,000万円は本当に1,000万円の資産なのか】
たとえば、決算書に次の売掛金が載っていたとします。
売掛金 1,000万円
一見すると、会社には1,000万円の資産があるように見えます。
ところが相手先の経営状態が悪化し、500万円しか回収できそうにないとしましょう。
経済的には、1,000万円の債権を持っていても、その価値は1,000万円とはいえません。
そこで登場するのが貸倒引当金です。
売掛金 1,000万円
貸倒引当金 500万円
実質的な回収見込額 500万円
という形で、回収できないと見込まれる部分を財務諸表に反映させます。
ミカ「それなら最初から売掛金を500万円にしてしまえばいいんじゃないですか」
教授「まだ500万円が確実に消えたとは限らないからです」
ミカ「だから売掛金そのものは残して、横に貸倒引当金を置く?」
教授「そうです。『請求する権利はいくらあるか』と『実際にいくら回収できそうか』を分けて考えるわけです」
【債権評価で数字が動く】
ここが監査上、とても重要です。
経営者が、
「800万円は回収できる」
と判断すれば、貸倒引当金は200万円。
「500万円しか回収できない」
と判断すれば、貸倒引当金は500万円。
差額は300万円です。
そして、この300万円はそのまま当期の利益にも影響します。
つまり債権評価は、
回収可能性の見積り
であると同時に、
利益の見積り
でもあります。
だから監査人は慎重になります。
【経営者の楽観主義とは何か】
ここでいう「楽観主義」とは、経営者が明るい性格だという意味ではありません。
会計上問題になるのは、
不確実な将来を、自社に都合のよい方向へ見積もる傾向
です。
たとえば取引先から、
「3か月後には資金調達できるので返済します」
と言われたとします。
社長は言います。
「相手もそう言っているんだから大丈夫だ」
しかし監査人は質問します。
資金調達の契約は締結されていますか。
銀行から融資承認は出ていますか。
返済計画はありますか。
直近の試算表は確認しましたか。
税金や社会保険料の滞納はありませんか。
他の債権者への支払い状況はどうですか。
担保はありますか。
その担保はいくらで処分できますか。
ここまで確認すると、
「払ってくれると思います」
と、
「払えるだけの客観的根拠があります」
がまったく違うことが分かります。
教授「希望は経営には必要です。しかし、希望は監査証拠にはなりません」
【現在の会計基準ではどう考えるのか】
日本の金融商品会計では、債権についてその信用状態に応じて貸倒見積高を算定します。
貸倒懸念債権については、債務者の財政状態や経営成績などを考慮する方法や、元本・利息について合理的に見積もった将来キャッシュ・フローを基礎とする方法が定められています。企業会計基準委員会の実務指針も、将来キャッシュ・フローについて、債務者の実現可能性の高い事業計画や収支見通しに裏付けられた客観性を求めています。
重要なのは、
「返済計画がある」だけでは足りない
ということです。
その返済計画が実現可能なのか。
その根拠となる売上があるのか。
利益が出るのか。
資金が残るのか。
実際に過去の計画どおり返済されているのか。
そこまで見なければなりません。
【架空事例――売掛金3,000万円が消えない会社】
ここで、架空の会社を考えてみます。
大阪で機械部品を販売するA社です。
年商は5億円。
得意先B社に対する売掛金が3,000万円あります。
ところがB社の支払いが遅れ始めました。
最初は月500万円ずつ入金されていました。
ところが6月から入金が止まります。
9月決算時点でも3,000万円が残っています。
営業部長は言います。
「B社は大型案件を受注しています。年末には全部払えるはずです」
社長も言います。
「創業以来の取引先だ。貸倒引当金なんて必要ない」
しかし経理担当者が調べると、
B社は2期連続赤字。
金融機関への返済条件も変更。
主要仕入先への支払いも遅延。
そして「大型案件」について正式な契約書は確認できませんでした。
ミカ「かなり危ないですね」
教授「はい。ただし監査では『危ないですね』で終わりません」
ここから監査人は証拠を集めます。
【監査人なら何を見るのか】
まず見るのは入金実績です。
決算後にいくら入金されたか。
これを確認する手続は非常に強力です。
9月30日時点で「3,000万円回収できる」と主張していても、翌年1月になっても1円も入金されていないなら、その主張には疑問が生じます。
次に見るのは債権年齢表、いわゆるエイジングです。
発生から、
1か月以内
2~3か月
4~6か月
6か月超
1年超
と並べてみます。
会社全体の売掛金が増えているだけでは分からなくても、古い債権だけが積み上がっていれば異常が見えます。
さらに、
請求書
契約書
入金履歴
相手先とのメール
返済計画
債務者の財務情報
担保資料
弁護士とのやり取り
などを確認します。
債権評価とは、社長の説明を聞く作業ではなく、社長の説明を裏付ける証拠を集める作業なのです。
【数字を並べると違和感が見える】
A社の売掛金を時系列で並べます。
一昨年末 8,000万円
前年末 9,500万円
今年末 1億3,000万円
売上高は、
一昨年 4億8,000万円
前年 5億円
今年 5億1,000万円
ほとんど増えていません。
それなのに売掛金だけが急増しています。
さらにB社だけを見ると、
一昨年末 500万円
前年末 1,200万円
今年末 3,000万円
となっています。
教授「この数字を見て、何を感じますか」
ミカ「売上が増えたから売掛金が増えた、では説明できません」
教授「そのとおりです」
異常は単独の数字より、数字と数字の関係に現れます。
売上高と売掛金。
売掛金と入金額。
売掛金と回収日数。
貸倒引当金と滞留債権。
これらを並べることで、経営者の説明と経済実態が一致しているかが見えてきます。
【実際にあった事例――明豊エンタープライズ】
債権評価が財務諸表に大きな影響を与えた実例として、株式会社明豊エンタープライズの事例があります。
証券取引等監視委員会は2019年10月、同社について、中国の住宅開発事業から発生した長期未収入金および長期貸付金について貸倒引当金を過少計上していたとして、課徴金納付命令の勧告を行いました。
問題となった債権では返済が滞っており、会社は貸倒懸念債権として回収可能額を見積もっていました。
ところが証券取引等監視委員会によれば、会社はキャッシュ・フロー見積法を採用していたものの、元本回収に係るキャッシュ・フローを合理的に見積もることができていない状態で、過少な貸倒引当金を長期間にわたり計上していたとされています。
【どれほど数字が変わったのか】
証券取引等監視委員会の公表資料を見ると、たとえば平成26年7月期について、
本来の連結純資産額 10億5,300万円
記載された連結純資産額 17億3,500万円
とされており、その主な事由として貸倒引当金の過少計上が挙げられています。
差額は約6億8,200万円です。
ミカ「貸倒引当金ひとつで、純資産がそんなに変わるんですか」
教授「だから債権評価は怖いのです」
売掛金や貸付金は貸借対照表の問題に見えます。
しかし貸倒引当金を追加計上すれば費用が増えます。
利益が減ります。
その結果、純資産も減ります。
つまり、
債権評価を甘くすれば、資産も利益も純資産も大きく見せることができてしまう
のです。
【なぜ長期間続いたのか】
この事例について証券取引等監視委員会は、主な原因・背景として、
・業績悪化を回避しようとしていたこと
・中国事業について代表取締役と交渉担当者から会社への情報共有が十分でなく、取締役会も牽制機能を果たしていなかったこと
・会計基準の知識や適切な会計処理を行う意識の不足、不適切な債権管理
などを挙げています。
その後、金融庁は2019年11月29日、同社に対して2,400万円の課徴金納付命令を決定しました。
なお、この記事でいう「経営者の楽観主義」という言葉は、証券取引等監視委員会が同社について認定した用語ではありません。
ここでは、将来予測を伴う会計見積りには、経営者の期待や願望が入り込みやすいという一般的な監査上の問題を説明するために使っています。
実際の事例については、行政機関が認定・公表した事実と、この記事での分析を分けて考える必要があります。
【「返済期限を延ばした」は回収したことではない】
債権管理でよく起きるのが、返済期限の延長です。
6月30日に返済予定だった。
払えないので9月30日に変更。
9月にも払えないので12月31日に変更。
さらに翌年3月へ。
帳簿だけを見ると、
「まだ期限が来ていない債権」
に見えるかもしれません。
しかし経済実態を見れば、
「返済条件を何度も変更しなければ払えない債務者」
です。
ミカ「期限を延長すると、不良債権じゃなくなるんですか」
教授「風邪を引いた人の診察日を延期しても、風邪が治るわけではありません」
返済期限の変更そのものが悪いわけではありません。
事業再生のために合理的な条件変更を行うこともあります。
しかし、そのときこそ、
なぜ返済できなかったのか。
新しい返済計画には実現可能性があるのか。
返済原資は何か。
という検討が必要になります。
【経営者の説明を否定することが監査ではない】
ここも重要です。
監査人は、
「社長は楽観的だから信用しない」
と考えるわけではありません。
社長が、
「来期には回収できます」
と言えば、
監査人は、
「その根拠を見せてください」
と確認します。
十分な証拠があれば、その見積りを支持できます。
証拠がなければ修正を検討します。
つまり監査人の役割は、
経営者を疑うことではなく、経営者の判断を証拠で検証すること
です。
これが職業的懐疑心です。
【中小企業ならどうするか】
では従業員10人、経理担当者1人の会社ならどうすればよいでしょう。
巨大な内部統制システムは必要ありません。
大切なのは**「分ける・残す・見る」**です。
債権評価なら、次の仕組みだけでも大きく違います。
・毎月、売掛金の年齢表を作る
・3か月以上滞留した債権は理由を記録する
・6か月以上滞留した債権は社長が確認する
・支払延期の約束は口頭だけでなく記録を残す
・決算後の入金状況を確認する
・大口債権については税理士など外部専門家にも見せる
特に重要なのは、営業担当者だけに回収可能性を判断させないことです。
営業担当者には、
「この取引先との関係を切りたくない」
「自分が獲得した顧客を不良債権にしたくない」
という心理が働く可能性があります。
だから営業、経理、経営者という複数の視点で見るのです。
【監査人が気にする危険信号】
売掛金や貸付金について、次のような状況が重なると注意が必要です。
・売上高は横ばいなのに売掛金だけ増えている
・特定の取引先への売掛金が急増している
・回収期間が毎年長くなっている
・返済期限を何度も延長している
・決算後も入金されていない
・相手先の財務資料を入手していない
・担保価値を何年も見直していない
・「長い付き合いだから」という説明が多い
・貸倒引当金が何年もほとんど変化していない
・営業担当者しか取引先の状況を知らない
一つだけなら事情があるかもしれません。
しかし複数が重なれば、監査人はさらに証拠を求めます。
違和感は不正の証拠ではありません。しかし、違和感は調査を始める理由になります。
【貸倒引当金は「悲観的に計上するもの」ではない】
ここで誤解してはいけません。
貸倒引当金は多ければ多いほど保守的で正しい、というものでもありません。
過大な貸倒引当金を計上すれば、今期の利益を不当に減らし、将来その引当金を戻すことで将来利益を増やすことも可能になります。
つまり問題なのは、
楽観的か。
悲観的か。
ではありません。
客観的な証拠に基づいているか
です。
会計見積りの目的は「安全側に数字を作ること」ではありません。
経済実態を適切に表現することです。
【数字は経営者の期待ではなく、証拠で評価する】
売掛金3,000万円。
帳簿にそう書いてあるから、3,000万円の価値があるとは限りません。
貸付金1億円。
契約書にそう書いてあるから、1億円返ってくるとも限りません。
決算書を見るときに大切なのは、
「いくら請求できるか」ではなく、「いくら回収できるのか」
という視点です。
その差額に、会社の信用管理、経営判断、内部統制、そして場合によっては経営者の希望までが現れます。
ミカ「社長が『絶対払ってくれる』と言ったら?」
教授「では監査人はこう聞きます。『その絶対を裏付ける資料を見せてください』」
ミカ「夢のない仕事ですね」
教授「逆です。夢と決算書を混ぜない仕事です」
そして教授は、売掛金一覧表を閉じました。
教授「会社を信じることと、数字を確認しないことは同じではありません。債権は約束ではなく、回収可能性で評価するのです。」