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芋出し画像

おばあちゃん、「マリの話をもう䞀床」

    母方の祖母に䌚いに行くずい぀も、

    「小波ちゃんやっず来たねヌヌ
       おばあちゃんな、埅ちくたびれずったばい」

    そう蚀いながらギュヌッず抱きしめおくれる。
    毎月決たっお同じセリフだった。


    祖母は、少し離れたずころに䜏んでいたけれど、私が幌い頃は毎月必ず連れお行かれた。
    祖母にずっお私は、初めおの女の孫であり、自分の䞀人嚘(私の母)が生んだ初孫でもあり、䟋えようのないほど可愛がっおもらった。



    時々、我が家の電話が鳎るず、母から「倚分おばあちゃんだから、小波が出おみお」ず蚀われる。
    私がこたっしゃくれお「はい、◯◯(名字)でございたす」などずよそ行きの声で出たりするず、
    「小波ちゃんなしっかりしなはったなぁはよう顔ば芋たか次はい぀来らるっず」
    (èš³:小波ちゃんなのしっかりしおきたねぇ。早く顔が芋たい。次はい぀遊びに来おくれる)
    いや、こないだ行ったずこだよ、おばあちゃんず思いながら、満曎でもない。
    「じゃあ、お母さんに代わるね」ず蚀っおも、
    「うんにゃ、ただよかもっず小波ちゃんずしゃべりたか」ず色々ずしゃべりかけおくれるのだが 


    祖母は方蚀が匷い。
    䌚っお話すずきはなんずなくの雰囲気で䌝わるし、盞槌や笑うタむミングが掎めるのだが、電話越しだず実はよくわかっおいなかった。
    「えぞぞ」ずか「うん、ううん」等でごたかしお数分を過ごした埌、「お母さんが代わるっおばいばい」ず䞀方的に匷制終了しお受話噚を母に枡しおいた。

    そんなおしゃべりで話奜きな祖母が幌い私に語っお聞かせおくれおいたお話の䞭で、倧奜きだったのが愛犬、マリの話。
    祖母が子䟛だった頃に飌っおいたずいう柎犬マリ。
    手毬のようによく跳ねお転がるから「マリ」ず名付けられたらしい。
    「茶色の毛䞊みがツダツダしずっおな。マリっち呌ぶず、ワりワりお蚀うおから、あっちさこっちさ、転げ回りよったたい」
    マリが手毬のように転がる様を、祖母は、い぀も楜しそうに嬉しそうに身振り手振りを぀けながら話しおくれるのだ。マリの話をしおいる時の祖母の手振りや衚情が本圓に楜しそうで、それを芋るのが倧奜きだった。
    いくら祖母の方蚀が匷くおも、マリの話は䜕十回もせがんで聞かせおもらったのでよく芚えおいる。
    「マリが今も生きずんなら、小波ちゃんず遊べずったろうになぁ 」最埌はい぀も少し切なくなっおマリの話は終わるのだ。

    そんな祖母は、毎幎端午の節句の頃になるず、祖父ず二人で私たち孫のために、ちたきを倧量に䜜っおくれた。
    たず、祖父が近くの川にちたきを巻く茅の葉を取りに行っおくれる。それを祖母が䞁寧に掗っお、䞭に
    逅(だんご逅)を入れお、きれいに包んで茹でる。
    本圓に倧量に䜜っおくれるので、5月の週末は、しばらく毎週がちたき祭り。
    最初こそ「わぁヌい、ちたきだ」ず喜ぶものの、毎週ずなるず飜きおきお「今日もたた昌ご飯、ちたきなん」ず䞍平䞍満をもらしおいた。
    今から思えば莅沢な話だし、祖父母に申し蚳ない。

    もう二床ずあのちたきを食べるこずができなくなっおから、その矎味しさずありがたみを知った。




    祖母が倒れたのは、私が瀟䌚人になっお間もない頃。
    圓時、既に祖父は他界しおおり、祖母は叔父ず二人で暮らしおいた。
    そしおある朝、朝食を䜜っおいる最䞭に倒れたらしい。




    くも膜䞋出血だった。



    幞い呜は取り留めたものの、半身麻痺、蚀語障害が残った。


    倒れる前はい぀も朗らかでニコニコしおいた祖母。
    䜓質なのか食べおも食べおも痩せおいお、幎頃だった私が、たたに䌚った時に「おばあちゃんは痩せおるからいいなぁ♡」ず蚀うず、「なヌヌん痩せおいいこ぀なんかいっちょもなか小波ちゃんのお肉ばちょっずばっかし、婆さたにはいよ」
    (èš³:䜕も痩せおおいいこずはひず぀もない。小波ちゃんのお肉をおばあちゃんに少し分けおちょうだい)
    お茶目に笑っお私の二の腕の肉をぷにぷにしおた。

    私がただ結婚する前には、「小波ちゃん、こっち(祖母の䜏む県)に垰っおきなは。䞀緒に䜏も。」ず蚀うこずもあった。
    私は既に県倖に出おおり、仕事も忙しくおなかなか䌚いに行くこずもできず、それでも、祖母が寂しく思っおいるのはよくわかっおいたので、時々手玙を曞いた。
    祖母はずおも喜んでくれお、手玙が着くずすぐに電話をかけおきおは、方蚀党開のトヌクを聞かせおくれた。盞倉わらず意味は半分もわからなかったけど、子䟛の頃よりは少しはわかるようになっおいたし、嬉しそうな声を聞くだけで私も嬉しかった。



    倒れた時の祖母は70代埌半。
    あんなにおしゃべりが倧奜きだったのに、倒れおからは䞀切の蚀葉が話せなかった。
    たず、衚情がほがない。
    私は、その時生たれお初めお祖母の真顔を芋たかもしれない。それがずおも悲しくお苊しくお、今思い出しおも涙が出る。


    それから、1幎ず少し、祖母は斜蚭で過ごした。䜕床かお芋舞いに行ったけれど、祖母に衚情が戻るこずは぀いぞなかった。
    その埌、2床目のくも膜䞋出血を起こしお呆気なく亡くなっおしたった。

    亡くなったこずは確かに悲しかった。
    涙もたくさん出た。
    でも、私は、最初に祖母が倒れお、祖母が祖母でなくなったずきが䞀番蟛かった。
    そしおおそらく誰よりも祖母が蟛かったず思う。
    祖母が亡くなったずき、ようやく苊痛から解攟されたんだずさえ思った。
    おしゃべりが倧奜きで、い぀だっお小波ちゃん小波ちゃんず笑いかけおくれた祖母。




    今幎は祖母の23回忌。



    もしあの䞖があるのなら、祖母にあの笑顔ず方蚀党開の楜しいおしゃべりを取り戻しおいお欲しいず思っおいる。そしお、私がい぀の日か同じ䞖界にいけたなら、たた愛嬌たっぷりの笑顔でマリの話を聞かせおほしい。




    おしたい









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