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幸せを感じた何気ない瞬間とは(耳ビジnote部)

    幸せとは何か。そう問われて、すぐに答えられる人は少ない。多くの人は、大きな成功や特別な出来事を思い浮かべる。しかし来た道を振り返ってみると、心に残っているのは、もっと小さな場面ばかりである。

    若い頃は違った。幸せはいつも未来にあると思っていた。あの仕事が決まれば、あの目標に届けば、そのときようやく手に入るものだと考えていた。ところが実際に届いてみると、喜びは驚くほど短い。数日で薄れ、また次の目標を立てる。その繰り返しのなかで、日々の時間は目的地へ向かうための通過点でしかなくなっていた。

    朝、いつもの時間に目が覚める。カーテンを開けると、光が部屋まで届いている。湯を沸かし、コーヒーを淹れる。最初のひと口を飲んだとき、今日もはじまったと思う。それだけのことなのに、妙に満ち足りた気持ちになる。

    原稿を書き終えた直後もそうだ。言葉が出てこない。構成がまとまらない。それでも最後の行を置いた瞬間、肩の力が抜ける。誰かに褒められたわけではない。ただ、終わったという事実だけがそこにある。

    道ですれ違った人に会釈をされる。近所の店主が「今年の夏は暑かったですね」と声をかけてくる。たったそれだけの言葉で、自分がこの街にいてもいいのだと思える。

    こうした場面には共通点がある。どれも、その場では幸せだと気づいていないことだ。渦中にいる人間は、自分の幸せを自覚しない。気づくのはいつも後になってからで、しかも思い出という形でしか届かない。幸せとは体験そのものではなく、記憶の側に属するものなのかもしれない。

    だとすれば、探しに出ても見つからない。できるのは、いま目の前にある平凡な時間を、少しだけ丁寧に過ごすことだけだ。丁寧に過ごした時間は記憶に残りやすい。残った記憶が、のちに幸せという名で呼ばれる。

    何気ない瞬間は、こちらに知らせてはくれない。声もあげず、静かに通り過ぎていく。今朝のコーヒーも、店先のひと言も、たぶんそうだ。それでも、通り過ぎたあとにわずかな温かさが残る。その温かさの積み重ねを、人は人生と呼ぶのだと思う。

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