自分の好きな場所(耳ビジnote部)
20代から30代にかけて、私はよく喫茶店にいた。とくに理由はない。原稿を書くわけでも、人と待ち合わせるわけでもなく、ただ座っていた。
いまで言うナウい、オサレなカフェではない。ザ・喫茶店である。わかりやすく言えば、ルノアールの系列のような店だ。キャラメルマキアートなどという洒落た飲み物は置いていない。
注文するのはコーヒーかアイスコーヒー、まれにウインナーコーヒー。それで足りた。ああいう店は、時代とともに静かに姿を消していった。分厚いガラスの灰皿、擦り切れたソファ、水滴のついた銀の器。あの一式がまとめて過去になった。
なかでも忘れがたいのが、中野にあった「クラシック」である。すでに閉店してしまったが、あの店は最高だった。

メニューは、ホットコーヒー、アイスコーヒー、オレンジジュースの3種類しかない。水はワンカップ大関のビン、ミルクはマヨネーズのキャップなどで代用していた。エコの最先端をいっていたお店だった。
建物はいまにも崩れ落ちそうで、照明も暗い。夏はエアコンが効きにくく、冬も効きにくい。フィルターの掃除などしたことがないであろうエアコンが、5台ほど設置してあった。
この店には味があった。
店名のとおり、流れるのはクラシックだけである。亭主がレコードをプレイヤーにかける。リクエストもできた。1階の入り口近くの黒板に、チョークで曲名を書いておくのだ。書いたところですぐにかかるとは限らない。
忘れられることもある。それでも、自分の書いた文字がいつか音になるかもしれないと思いながら待つ時間が、妙に楽しかった。たまに竹針のプレイヤーでかけてくれることがあり、これがまた味わい深い。針はよく飛ぶ。ぷつぷつと雑音も入る。音質でいえば褒められたものではないだろう。それでも落ち着いた。
レコードは片面が終われば止まる。音が消えた数秒のあいだ、店じゅうが静まりかえる。亭主が盤を裏返す気配だけが伝わってくる。あの余白は、音楽が途切れない時代には存在しないものだ。
快適さと、居心地の良さは別物なのだと思う。空調は効かず、椅子は古く、音は途切れる。条件だけを並べれば悪い店である。それなのに、あの薄暗い場所では時間の流れ方だけがやわらかかった。誰にも急かされず、誰にも用がない。長居をしても、亭主は何も言わなかった。
いまでは味わえない、不思議な空間だった。好きな場所はどこかと聞かれると、私はいまだにあの店を思い出す。もう二度と行けないからこそ、好きな場所なのかもしれない。
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