
妻には「大丈夫」と言う。でも、本当は大丈夫じゃないあなたへ
- 返金可
◾️最初にーなぜ話せないのか?
「今日、仕事でこんな嫌なことがあってさ…」
本当は、そう話したい。
でも、家に帰ると何も言わずに過ごしてしまう。
「どうしたの?」と聞かれても、
「別に、大丈夫だよ」
と答えてしまう。
そんなこと、ありませんか?
ーー
夫婦仲が悪いわけじゃない。
会話だって普通にある。
子どものことを話したり、一緒にテレビを見たりもする。
でも、自分の悩みや弱さになると、なぜだか話せない…
仕事で誰かに言われた一言が引っかかっている。
最近、仕事がうまくいかない。
人間関係に少し疲れている。
そんな悩みを本当は聞いてほしい。
それなのに、
「こんなことで悩んでると思われたくない」
「心配をかけたくない」
「話しても分かってもらえないかもしれない」
そんなことを考えて、結局、自分の中にしまってしまう。
そして次の日には、何事もなかったように仕事へ行く。
こういう人は、決して家族を大切にしていないわけでも、信頼していないわけでもありません。
むしろ逆です。
家族に心配をかけたくない。
自分がしっかりしていたい。
家族の前では、できるだけ頼れる存在でいたい。
そう思っているからこそ、自分のことを後回しにしてしまうのです。
ただ、これが続くとどうなってしまうでしょうか?
⚫︎「相談しない」ことが当たり前になる。
⚫︎何かあっても、自分だけで考える。
⚫︎何事も自分だけで決める。
⚫︎自分のなかだけで飲み込む。
そして、気づいたときには…
一番近くにいる大切な人に、大切なことを話さなくなってしまっている。
ーー
もしかすると、夫婦の距離を遠ざけているのは、会話の少なさや、関係の悪さだけではないのかもしれません。
話しはしているのに、本音だけが話せない。
そんな微妙や距離感もあります。
そして、ここで少し考えてみてほしいことがあります。
あなたは本当に、
「相談できる相手がいない」のでしょうか?
それとも、
「相談する自分を見せるのが怖い」のでしょうか?
人は、自分が弱いと感じる部分ほど、見られたくないと思うものです。
特に、家族を支える立場になればなるほど、
「自分がしっかりしなければ!!」
という思いは強くなります。
だから、助けを求めることさえ、
「自分が弱いからだ…」
と感じてしまうことがある。
でも、聖書には、人が一人で抱え込むことについて、少し違った見方を与えてくれる言葉があります。
それは、
誰かと一緒にいることには、どんな意味があるのかという内容です。
ーー
なぜ私たちは、愛している人にさえ自分の弱さを見せられなくなるのでしょうか。
その奥には、本人も気づいていない「ある思い込み」が隠れていることがあります。
ここから、その部分を聖書の言葉からもう少し掘り下げていきます。