
【後編】ロンドン、統合失調症:幻聴と歩いた夜 ディレクターズカット版
⚠️この記事は以前書いた「ロンドン、統合失調症:幻聴と歩いた夜」の内容を読みやすいように再編集したバージョンです。
前編記事では、日本での統合失調症の発症から診断に至るまでの経緯をお話ししました。今回は、その後に決断したロンドン留学での体験をお伝えします。
プロローグ:もう限界でした
もう限界でした。
誰にもわかってもらえない、自分は狂ってなんかいない──そう思いたかったのです。家族も、友人も、医師でさえも、敵に見えるようになっていました。
日本での日常は、すでに”現実”のかたちを保てなくなっていました。
• 自分の声が、誰かの声に上書きされる
• SNSで繋がる世界こそが真実だと感じる
• それでも、どこかで「このままでは終われない」とも思っていた
そんな中、ふとしたきっかけで「留学」という選択肢が浮かびました。
海外に出れば、何かが変わるかもしれない。
日本では得られなかった自由を、あちらで掴めるかもしれない。
その思いは妄想と幻想の入り混じった”使命感”のようなかたちで、私をロンドンへと突き動かしました。
当時の私はまだ、その幻想が、さらに深い混乱と闇を生むことになるとは、夢にも思っていませんでした。
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【イギリス編】留学先での妄想と現実の境界線
4.逃げるように決めたロンドン留学──それは「夢」か「逃避」か
出発の日、成田空港へ向かう私の気持ちは、普通の「留学」ではありませんでした。
「日本という国から脱出する」
「これでもう、誰にも支配されない」
そんな強い”解放感”と”万能感”に包まれていました。
ロンドンに降り立った瞬間、不思議と「何かが変わった」と思いました。日本では感じられなかった開放感、誰も自分を知らないという自由。
だけどそれは、**「妄想の舞台が、広がっただけ」**だったのかもしれません。
晴れて始まった海外生活
出国前に英語の勉強はしました。しかし英語が得意になったわけではなく、生活に不安がないと言えば嘘になります。
けれど、不思議と「言葉がなくても通じ合える」という感覚がありました。
たとえば、街中で出会った女性と目が合うと、まるで心が通じ合ったかのように思えました。それは本当に「話さなくても通じている」という錯覚でした。
そして、たまに聞こえる「フェイスアップだ、ジャパニーズ」という謎の言葉。
日本にいた頃と同じように「彼女は自分に気がある」とまで信じてしまうような瞬間もありました。
【医学的解説】関係妄想について
このような現象は「関係妄想(かんけいもうそう)」と呼ばれる統合失調症の症状の一種で、他人の行動や視線が自分に特別な意味を持っていると誤解してしまうものです。
また、タチの悪いことに言語の壁を超えてテレパシーは全て日本語でした。
当時の私は、まさにこの妄想の渦の中にいました。
日本で戦争が起きているという確信
ロンドンの生活が始まって間もなく、私はある”声”を聞きました。
それは「日本が戦争状態にある」「自分がいない間に日本は世界から敵視されている」といった内容でした。
テレビやネットのニュースを見るたび、意味のない映像や音声が「隠されたメッセージ」に聞こえました。
「日本に帰ったら終わりだ」
「君だけが生き残ったんだ」
どこからともなく声が聞こえ、私は”唯一の日本人の生き残り”だという妄想に強く取り憑かれていきました。
【医学的解説】複合的な妄想について
このような内容の妄想は、「被害妄想」「宗教妄想」「誇大妄想」が複雑に絡み合ったものと言えます。冷静なときに見れば明らかにおかしな考えでも、症状のピーク時にはそれが”現実”そのものに感じられるのです。
それでも、学校には通っていました
奇妙なことに、そんな混乱の中でも私は語学学校にはちゃんと通っていました。
朝起きて寮で自分でご飯を作って出かける、当たり前のことはできていました。授業の内容も頭に入ってきますし、クラスメイトとの交流も多少はありました。
ただ、その人間関係にも妄想が混ざっていました。
• 中東系の人たちが日本人に喧嘩を売っている
• ドイツ系の人たちは学校を支配しようとしている
• アジア系の人たちは味方
そんな妄想に支配されながらも、「通うことが使命」のように感じていました。
「自分がここにいることが、世界のバランスを保っている」
「世界平和のために私はこの国で諜報活動をしている」
そんな奇妙な責任感のようなものがありました。
この時期はまだ、「自分は病気かもしれない」という感覚はほとんどありませんでした。
むしろ、世界の真実を知ってしまったのは自分だけで、他の人々はそれに気づいていないだけだ──そんなふうに本気で信じながらロンドンでの生活を楽しんでいました。
偽スマホ事件:ビートたけしの声に導かれて
ロンドンでの生活が続く中、妄想と幻聴はますます色濃くなっていきました。
英語もよくわからない街を、ただ”導かれるままに”歩く日々。まるで何か使命があるかのように。
その日も、私はロンドンの中心部をフラフラと歩いていました。頭の中ではあの声がずっと鳴っています。
「こっちだ、行け…そこに運命がある」
「いいか、これはたけし軍団の極秘ルートだぞ。誰にも言うなよ」
「なんだバカヤロー!お前は大物になる」
声の主は、あの有名なビートたけしさん。テレビでよく見ていたその声でした。
私にははっきりと聞こえました。その瞬間、私は「たけし軍団のメンバーになる」という謎の使命感にとらわれていました。
道端で一人の外国人男性が私に話しかけてきました。アジア系でもなく、白人でも黒人でもなく、とにかくどこかミステリアスで、私はすぐに「この人は”ビートたけし”の使者だ」と確信しました。
男は早口な英語で言いました。
「ヘイ、アイフォン、アップルウォッチ、グッドプライス!」
そう言われて私の目の前に出されたのは、どう見ても安っぽい、明らかに偽物っぽいスマートフォンと時計でした。
でも私の頭の中の”たけしの声”はこう叫んでいました。
「それだ!お前にしか手に入らないやつだ。お前は特別だ」
「こいつは本物の中の本物だ…軍団の証だ!」
「日本人の大物はみんなこれを持ってる」
聞けば値段は全部で日本円にして5万円ほどでした。冷静に考えれば高すぎる。しかも怪しい。
ですがその時の私は「これを買えば正式に軍団入りだ」と信じて疑いませんでした。ATMでお金を引き出し、誇らしげにその”アイテム”を購入しました。
「よし、お前は今日からたけし軍団の一員だ」
「日本に戻ったら、お前が世界を変えるぞ」
そう幻聴の声が囁き、私はひとり誇らしげにロンドンの街を歩きました。偽物のスマホと時計を抱えて…。
⚠️ 現実との接触と落差
日本に無事帰国してから、私はその”宝物”を携帯ショップに持ち込みました。少しの期待と、少しの不安を抱きながら。
しかし、店員さんに見せた瞬間、あっさりと言われました。
「これは完全に偽物ですね。模造品です」
その時の衝撃は、今でも覚えています。笑い話にできるような軽さではありませんでした。頭の中で叫んでいた”たけしの声”は消え、代わりに恥ずかしさと後悔が押し寄せました。
この”偽スマホ事件”の後も、私はどんどん妄想の世界へとのめり込んでいきました。
街のカフェ、語学学校生活、寮での生活──すべてが自分にとって特別な意味を持ち、「声」に導かれるまま行動していたのです。
そして、ついにある夜、私は寮を飛び出し、ロンドンの夜をさまようことになります。そこからが、統合失調症の「本当の地獄の始まり」でした──
5.寮からの脱出──眠れない夜と”監視”の影
留学生活が始まり、数週間が過ぎたころ。妄想と同居しながらもロンドンの暮らしにも慣れてきたはずなのに、私の心はどこかザワザワと落ち着きませんでした。
当時住んでいたのは、学生寮でした。部屋は中庭に面していて、周囲の部屋からは丸見え。
初めは気にしていなかったはずの”窓”が、いつの間にか私の中で不安の種になっていきました。
眠れない夜が続く
気がつくと、夜、眠れなくなっていました。
• 生活音が気になり寝られない
• 何かが耳元で囁いているような気がして、体がピリピリと緊張
• 眠ろうとしても、何か”重大なこと”が起こる気がしてならない
「寝てはいけない。寝ると襲われる」
「君は監視されている。今、君の部屋のことを誰かが見ている」
そんな”声”が聞こえるようになってきました。本当に誰かが喋っているのか、頭の中なのか、もう判断できなくなっていました。
ある夜、中庭を眺めていた私は、寮のスタッフと思われる男性が電話している姿を目にしました。
彼は私の部屋の方を見ていました(ように見えました)。
ただ電話をしていただけなのかもしれません。でも、私にはこう聞こえていました。
「ターゲットは確保されている。監視は継続中だ」
その瞬間、私は確信しました。
「自分は監視されている」
日本の精神科医に「統合失調症かもしれない」と言われていたことはすっかり忘れ、自分は何か大きな陰謀に巻き込まれているのだ、と信じこみました。
頭の中はパニックで、どうすればこの危機から逃れられるのかをずっと考えていました。
寮からの脱出を決意
その夜、私は「このままではいけない。ここにいたら殺される」と思いました。
寮はすでに”危険区域”であり、私は逃げ出さなければならないと思い込みました。
「日本のスパイだと思われている」
「このままでは消される」
リュックに財布とスマホを詰め込み、寮から出ました。
寮はカードキー式で受付を通るのであれば出入りは自由でした。ゲートをくぐると私は真夜中のロンドンを歩き出しました。
ロンドンの綺麗な夜の街並みが通り過ぎていきます。
目指す場所も、泊まる場所も決まっていませんでした。ただ、「ここにいたらダメだ」と強烈に思い込んでいました。
そして映画の舞台になったホワイトチャペルという地名が気になりだしました。ロンドンの街のホワイトチャペルを目指し、時に走ったり時に歩いたりしながらロンドンの街を進みました。
【医学的解説】統合失調症の初期症状について
統合失調症では、初期症状として 睡眠障害(不眠) がよく現れます。また、他人の何気ない行動(電話や視線)に自分が関係していると信じ込む「関係妄想」、誰かに狙われている、攻撃されるという「被害妄想」もよく見られる症状です。
この時の私は、これらの症状に完全に支配されていました。
こうして私は、夜のロンドンを逃げるように歩き始めました。寮から逃げ、どこにも行き場のないまま、街を彷徨いホワイトチャペルを目指しました。
この”脱走”こそが、統合失調症のどん底に突き落とされるきっかけとなりました。
次に訪れたのは、幻聴と妄想に導かれて向かった「ホワイトチャペル」、そしてロンドン警察に保護され、精神病院へ搬送されるという、壮絶な出来事でした──。
6.路上を彷徨い、警察保護から精神科入院へ
深夜の街を徘徊する
寮から脱走した私は、真夜中のロンドンをホワイトチャペル目指して歩き回っていました。
何かに追われている気がして、一歩も止まれませんでした。
冷たい風が吹く中、知らない通りを歩き、時々地図も見ずに地下鉄の駅へ降りていく。
夜のロンドンはとても静かで、美しい街並みが広がっているはずなのに、私の目にはその景色がまるで「この世の終わりのような景色」に見えていました。
「ここで止まったら殺される」
「立ち止まるとテロリストになる」
「歩き続けなければ生き残れない」
そんな声が、頭の中でずっと響いていました。そして謎の使命感に突き動かされていました。
ホワイトチャペルに到着すると私は強烈な眠気に襲われ、止まる場所を探し始めました。しかし、なかなかホテルは見つからず、電話ボックスの中などで仮眠を取ったりしながら街を彷徨いました。
ホームレスと仲良くなる
歩いている途中、公園や路上で寝ているホームレスの人たちを見かけました。
「自分も今夜はここで寝ようかな」と思ったものの、怖くて座ることもできず、でもなぜか、そのホームレスの人たちと目が合った瞬間、
「彼らは同志だ」
「この戦争を生き残るための仲間だ」
「彼らは虐げられてきた」
そんな妄想が生まれ、仲間意識を勝手に抱いていました。
私は彼らに話しかけると、自分の持っていたショルダーバッグを空にして彼らの1人に渡しました。
「これで生活が楽になるぞ」
おかしなことを言って彼らにバッグを渡しました。感謝はされましたが、やってることは支離滅裂でした。
今考えるとよく襲われたりしなかったなと思います。
ロンドンの地下鉄を走り回る
街を彷徨い続けているうちに夜が明け始めました。
「止まって寝てしまえば戦争が終わらない」
そんな強迫観念に囚われていました。
そして今度は地下鉄に乗り込み、行き先もわからないまま改札を抜け、ホームに座り込みました。
急に陽気な気持ちになった私は日本語で歌い出しました。何の歌を歌ったかは覚えていません。ただ歌い、駅のホームを歩いたり踊ったりしていました。
ホームでその姿を不審がって見る人や、「もっとやれ」と言ってくる人もいました。
時々スマホで地図を見ては「ここから逃げなければ」という焦燥感に駆られ、降りた駅でまた違う路線に乗り換えて、走るように階段を駆け上がる。改札の外へ出てはすぐ戻るを繰り返しました。
時には地下鉄の電車に乗り込み、電車の先頭から後方まで走り出しました。ロンドンの地下鉄は小さく狭いので、人の間をぬうように走り切りました。異様な光景でした。
しかし中には周囲から、「頑張れ」という声援も聞こえてきました。
この時、「自分は日本から来たスパイであり、今はアメリカやイギリスのスパイ組織が自分を保護しようとしている」
そんな妄想に囚われていました。
ロンドン塔付近タワーブリッジ駅で保護される
何時間もロンドンの街を歩き続け、しまいにはロンドンの街で日本の歌を歌いながら走り回ったりしていました。
その光景を通りすがりの若者にスマホで撮られたりしました。笑っていました。
そして気が付けば私は有名なロンドン塔の近く、タワーヒルという駅付近にいました。
夜な夜な歩き回り、もう体力の限界で、駅前の壁にもたれかかりながら、頭を壁に打ち付けるようにして泣いていました。
「日本は戦争を始めた、終わりだ」
「俺だけが真実を知っている」
「誰か助けてくれ」
「俺の正体は江戸川コナンだったんだ」
通行人が不審そうに私を見て通り過ぎ、気がついたら私のいる周囲に人だかりができていました。
警察官が声をかけてくれました。
その瞬間、
「FBIだ」
「保護プログラムが発動した」
そんな妄想が一気に頭を駆け巡りました。
現実と虚構の交錯した朦朧とした意識の中、私は警察官と一緒に救急車に乗せられ、病院に連れて行かれました。
救急病院で入院生活
警察に保護された私は救急病院に連れて行かれ、簡易ベッドのある病室に通されました。
「病室のドアを閉められたら二度と出られない」という妄想に囚われ、病室のドアは開けっぱなしにされていました。
周りには暴言を吐いている人、独り言を呟く人、泣き続けている人がいて、混沌とした空気が漂っていました。
怖がる私を見て、私を保護してくれた警察官が「It’s OK」と声をかけ続けてくれました。
そんな中、点滴を受けながら、
「ここで保護されているのは特別な人間だけだ」
「この病院はアメリカの極秘施設なんだ」
そんな思考が止まりませんでした。
クワイエットルームで保護生活
翌日、私は移送車で郊外にある施設に連れて行かれました。
通されたのは「クワイエットルーム」と呼ばれる何もないフローリングの小部屋。部屋の真ん中に椅子が二つ置かれていました。
トイレは部屋の外。出入り自由でしたが、外の世界に出るのが怖くて部屋に閉じこもっていました。
その中で妄想と会話したり笑ったりしていました。周囲の部屋からは罵声や独り言などが聞こえてきました。
どうやら症状がひどく出ている人を落ち着かせる部屋のようでした。イギリスではこういう場合、日本のように身体拘束はせず、薬を飲ませながら落ち着くのを待つようです。
看護師が薬を持ってきてくれるたびに、
**「これは洗脳の薬だ」**と疑い、
「いや、これを飲めば自分は覚醒できる」
など、矛盾した妄想が浮かびました。
時にその光景は有名な「マトリックス」の主人公ネオが薬で覚醒するシーンにも見えました。
「自分は特別だ」そんなおかしな感覚のまま部屋にいました。
途中、ソーシャルワーカーが来て私に聞き取りをしましたが、専門用語の混ざった難しい英語で聞き取れませんでした。
ただわかったのは、この後違う病院に自分が輸送されるということだけでした。
ハイゲートメンタルヘルスセンターへ
数日後、私はロンドン郊外にあるハイゲートメンタルヘルスセンターというロンドン北部の精神科病院へ移送されました。
移送される車の中で運転手に何か紙を見せられ説明を受けましたが、それすら「スパイ組織からの極秘ミッションの説明書」だと勘違いしていました。
「私は秘密の組織に加わった」そんなことを考えていました。
ハイゲートメンタルヘルスセンターに着いた時、ようやく妄想が剥がれ落ちていき、主治医のドクターブラックとその通訳の口から、
「あなたは統合失調症です」
と言われ、初めて現実を受け止め始めました。
ハイゲートメンタルヘルスセンターへの入院が、私の壮絶な妄想の旅にひとつの区切りをつけました。
ここからは「病院生活、病識を持ち、治療を受け入れ、回復へ向かう過程」へと話が移ります。
7.ロンドン精神科入院記:ハイゲートの日々
ドクターブラックによる診断
ロンドンを彷徨い、救急病院で保護されたあと、私はハイゲートメンタルヘルスセンターという精神科病院に移送されました。
入院して間もなく、私の前に現れたのがドクターブラックという医師でした。
当時の私の英語力はお店で注文ができる程度。専門用語を交えた医師との意思疎通は困難でした。
そのため電話越しに日本人の臨床心理士の通訳が入ってくれました。
穏やかながらもはっきりとした口調で、通訳を通じて私は言われました。
「あなたは統合失調症という病気です」
頭が真っ白になりました。
「自分はスパイでも救世主でもなく、病気だった」
そう思った瞬間、今まで自分が体験してきた”壮大な世界”が、ガラガラと崩れていく音がしました。
しかし、その一方で、どこかホッとした気持ちもありました。
閉鎖病棟での日々
ドクターブラックとの診察後、私の病院生活が始まりました。
ハイゲートの病棟は閉鎖病棟でしたが、外へ出る自由があり、散歩もできます。日本の閉鎖病棟のような重苦しい雰囲気ではなく、光が差し込む中庭があり、患者同士が穏やかに会話をしているのが印象的でした。
しかし、入院したばかりの私はまだ幻聴や被害妄想が残っており、他の患者が自分を監視しているのではないかと疑っていました。
それでも病院の中を歩き回ったり、少しずつ他の患者と挨拶を交わしたりすることで、ほんの少しずつ自分を取り戻していきました。もちろん英語は片言でした。
うまい!病院食
意外だったのは、病院の食事が驚くほど美味しかったことです。
フィッシュ&チップス、ローストチキン、シェパードパイ、カレー、ご飯、温かいスープ…。
ビュッフェ形式で栄養士さんが食事を自由に配膳してくれます。
「イギリスの飯はまずい」という噂を信じていた自分にとって、これは嬉しい裏切りでした。食事の時間が近づくと、自然と心が穏やかになっていったのを覚えています。
冷静に栄養バランスとかは気にしなくていいのか気になりました。食堂にはいつも行列ができていました。
日本人のダンカン
病棟にはもう一人日本人の男性が入院していました。名前はダンカンさん。なぜかパンクスタイルの服装で襟足まで髪の伸びたスタイルの40代くらいのおじさん。僕と同じ統合失調症のようでした。
彼とは日本やイギリスの違いについてよく議論したりしました。
彼は「一緒にご飯に行かないか?うな重、ご馳走するよ」とよく声をかけてくれました。
しかしその頃の私はまだ妄想に囚われていて、
「この人と関わると日本に帰れなくなるかもしれない」
と恐れてしまい、誘いをよく断っていました。後から思うと、一緒に行動をしていたら孤独感が少しでも和らいでいたのかもしれません。
彼と交わした言葉はほとんど覚えていませんが、久しぶりに聞く日本語での会話はとても楽しく、私の異国での孤独を癒してくれました。
自由な入院生活
病棟生活に慣れてくると、外出許可が出て、一人でロンドン市内を散歩できるようになりました。
朝ごはんを病院で食べたら、ロンドン市内を走るバスに乗りロンドンを歩きました。テムズ川沿いを歩いたり、本屋を覗いたり、小さなカフェでコーヒーを飲んだり、自分の倒れたロンドン塔付近を訪れたりしました。
また、語学学校では行方不明ということになっていたので、自分の状況を伝えに行ったりしました。お世話になった英語の先生とは軽く会話をした最後に固い握手をして学校を去りました。
「もう監視されているのではないか」という感覚も少しずつ薄れていき、穏やかな時間を過ごすことができました。
もう来れるかわからないロンドンの街を散策し楽しみました。
帰国が決まる
入院して約1ヶ月が経ち、医師から
「日本へ帰国できる状態になりました。あなたはストレスのない日本で療養生活をした方が良いでしょう」
と伝えられました。日本が恋しくなっていた頃です。良いタイミングでした。
ですが帰国が決まった瞬間、嬉しさよりももうロンドンにいられないという、寂しさも込み上げてきました。
帰れないのではないかとパニック発作
帰国前日、病院の隣にある公園を散歩していた時、急に
「本当に帰れるのか?」
「日本に戻ったら戦争が始まっているのでは?」
という不安が一気に押し寄せ、気がついたら公園のど真ん中でパニックになり大声で叫びながら泣いてしまいました。
幸い病院の隣にある公園で病院スタッフが巡回しており、スタッフが駆けつけ、落ち着くまで付き添ってくれ、薬を処方してくれました。
優しく声をかけてもらったとき、「自分は本当に帰れるのかもしれない」と思えました。
看護師に付き添われて日本へ帰国
帰国当日、病院の看護師と日本大使館の職員がイギリスから日本まで付き添ってくれました。
看護師さん二人はとても気さくで、言葉が通じない中でも仲良くしてくれました。自分の家族の写真を見せてくれたり政治の話をしたりしました。もちろんカタコトの日本語とスマホの翻訳を使ってのコミュニケーションです。
空港のチェックインカウンター、搭乗口、機内での様子をずっと見守ってくれていたのが印象に残っています。
飛行機がイギリスから離陸するとき、窓の外の雲を見ながら、
「これでようやく帰れる」
という安心感と同時に、
「ここからまた人生をやり直せるのだろうか」
という不安が入り混じった気持ちになりました。
また、イギリスでの生活や関わった様々な国の人々、ロンドンの綺麗な街並み、病気、入院生活など様々なシーンが浮かびました。
ただ最終的な願いは日本に帰り自分の家で寝たい、その気持ちが一番しっくりくるものでした。
留学編 終わりに:日本への帰国
ロンドンの病院での入院生活は、人生の底をなぞるような時間でした。
幻聴や妄想に振り回されて、夜のロンドンを歩き続け、警察に保護され、閉鎖病棟へ。自分がどこにいて、これからどうなるのかもわからず、帰国すらできないのではと毎日不安に震えていました。
それでも、薬が効き始めると、ほんの少しずつですが頭の中の声が小さくなり、目の前の景色がはっきり見えるようになりました。
病棟で出会った看護師さんや、日本人のダンカンさん、病棟のスタッフたちとの小さな会話や笑顔が、荒れ果てていた私の心を少しずつほぐしてくれました。
そして、ドクターブラックに「君は統合失調症だ」と告げられたとき、胸の奥で何かが崩れる音がしました。
日本で同じことを医師に言われた時には受け入れられなかった「自分は病気なんだ」という現実が、異国の地でようやく私の中に入ってきた瞬間でした。
その夜、病棟の小さな部屋の窓からロンドンの街を眺めながら、
「この経験を、いつか誰かに伝えなければならない」
と強く思いました。
留学は、一言で言えば「失敗」だったのかもしれません。病気が悪化し、夢見ていた留学生活は壊れました。
でも、もしこの経験がなかったら、私は自分が統合失調症だと気づくこともなく、妄想の中で生き続けていたかもしれません。
この経験は私にとって、人生の中で最も辛い時間であり、同時に自分の人生を取り戻すきっかけになった時間でもありました。
そして、帰国の飛行機に乗る時、私は心のどこかで覚悟を決めていました。
**「これからは、自分の病気と向き合う人生を生きていくんだ」**と。
おわりに
今回の記事は以上です。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
統合失調症という病気は、まだまだ理解されにくい部分が多い病気です。しかし、適切な治療を受けることで、多くの方が回復し、社会復帰を果たしています。
もし同じような経験をされている方、またはご家族が同じような状況にある方がいらっしゃいましたら、一人で抱え込まず、専門医に相談することをお勧めします。
次回の記事では、日本帰国後の回復過程について詳しくお話しする予定です。無料記事ですので後日談としてお楽しみください。
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この記事は実体験に基づいていますが、医学的な診断や治療に関する内容は、必ず専門医にご相談ください。
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