
エドヒガン
3月15日 東京。
桜が満開。
早咲きのエドヒガンだ。

2年前ポーランド旅行を前に読んでいた本「また、桜の国で」の中に出ていた一文に衝撃を受けた。
>>日本の多様な桜が凄まじい勢いでソメイヨシノに塗り替えられてくのを嘆いていた・・・
まさに私は
>>桜はいっせいに咲き、あっという間に散るものだ
と思っていたから。
このエドヒガンはお隣のお家との塀近くにあって、まだたっぷり寒さの残る3月に花をつけ始める。
お隣の人から
うちのエドヒガンはお宅のから来たものよ。
そう言われてはじめてその名前を知った。
27年前ここに越して来た時、すでに長らく生きてきた風貌でそこにあって
それにもかかわらず
いつも入っていただく植木屋さんの愛情のおかげで
今年も愛らしい花をつけた。
晴れた弥生の午後
メジロがやってきて花びらをついばんでいる。

調べるとエドヒガンはソメイヨシノと違って長寿の木だという。このエドヒガンは私が生まれるうんと前からここで生きて来たのかもしれない。
東京大空襲でこの辺りまで焼け野原だった話を聞いたことがある。数ブロック先に住んで無事だったおばあちゃまからだ。
戦後のプロジェクトで多くのソメイヨシノが植えられたというが、このエドヒガンは戦火を生き残った木かもしれなかった。
そんな、なんやかんやが背景にあって
今やこのエドヒガンは私にとって
心情的にとても美しい。
ところが
このところ、この土地をめぐって色々な人が出入りを始めた。ひょっとしたらこのエドヒガンの花を見るのは今年が最後かもしれない。
お金の為なら人々はこんな古木に思いめぐらすことなどないのだろう。
悲しく残念なことだ。
ちょうど去年の今頃カナダに居てアイスストームが襲った。そのとき倒れた木々で道路をふさいだものはすぐ撤去されたが、公園のあちことではそのままの状態で残されている。意図的に撤去しないのは自然の生の循環を大切にしているからだ。
人間もそんな自然の一員であること
カナダで当たり前だった事が忘れ去られてしまう。
いつだって上から目線だ、東京に居ると。
自分より長く生きて来たエドヒガンの生への尊重は?
土地を見に出入りする人々に、そう聞いて反応を見てみたい。