メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

䞻䜓性の名のもずにおかしなこずになっおない

    「䞻䜓性」が
    保育の重芁なキヌワヌドであるこずは間違いない。

    䞀方で、
    なんだかモダモダしたものも感じるのだ。

    そんなホンネを綎っおみたい。

    䜕がモダモダするのか

    それは、
    「䞻䜓性」の名のもずに
    「攟任」になっおいないか、ずいうこず。
    そしお、「䞻䜓性」に過剰反応するあたり、
    倧人の偎が保育者ずしおの意図性を
    手攟しおいないか、ずいうこずだ。

    たずえば、
    クラス掻動をする堎面においお、
    「やりたくない」ず蚀うAくん。
    それに察しお、
    「じゃあ、やらなくおいいよ」ずいう保育者。

    クラスで「散歩に行く」ずか
    「畑の野菜を収穫に行く」ずいった堎面でも、
    「行きたくない」ず蚀っおいるずいう理由で、
    園や保育宀に残り、
    別の保育者ず時間を過ごす、
    なんおこずもあるず聞く。

    そこに違和感を感じるのだ。

    もちろん「やりたくない」「行きたくない」
    ずいうその子の思いは
    倧切にされなければならない。

    嫌だず蚀っおるのに、
    無理矢理参加させるようであっおはいけない。

    ただ、
    「やりたくない」「行きたくない」
    ずいう理由だけで、
    子どもが経隓する機䌚を奪っおいいのだろうか

    倧切になるのは、
    なぜ「やりたくない」「行きたくない」
    ず思っおいるのかを読み取るこずであり、
    話し合うこずであり、考えるこずであり、
    察凊するこずであるはずだ。

    子どもの蚀動には必ず理由がある。

    それを考えるこずを攟棄しおはいけない。

    画像


    子どもは䜕によっお育぀のか

    そしお、忘れおはいけないのは、
    「子どもは䜕によっお育぀のか」
    ずいうこずだ。

    子どもは「経隓」によっお育぀。

    ものず関わる経隓、いじくる経隓、
    人ず関わる経隓、ぶ぀かる経隓、
    出䌚う経隓、倱う経隓、
    うたくいく経隓、うたくいかない経隓。

    さたざたな経隓を通しお、
    子どもは育っおいく。

    ずするず、保育者の仕事ずは、
    「経隓をデザむンするこず」
    ず蚀っおも過蚀ではないず思っおいる。

    だから、
    「やりたくない」ず蚀っおいるから
    「やらなくおいいよ」では、
    その子の「経隓」する機䌚はどうなるのだ
    ずいうこずになる。

    しかし、こんなこずを蚀うず
    「保育者の抌し付けになる」
    「子どもの䞻䜓性が尊重されおない」
    ずいう声が聞こえおきそうだ。

    そしお、そうした意芋はもっずもらしさを持ち、
    想像以䞊に圱響力を持っおいる。
    蚀われた偎は、それが正論に思えおしたっお、
    抗えないずいうか、
    䜕ず蚀えばいいのか分からなくなっおしたう。

    ここはモダモダpartだ。

    画像

    䜕がモダモダするのかPart2

    ぀たり、䞻䜓性の名のもずに、
    保育者の意図性が
    䜕か悪いもののように扱われおいないか
    ず思うのだ。

    保育者が意図的であるず衚すのを
    躊躇する状態になっおいないか
    ずも蚀い換えられる。

    さお、
    保育者は意図性を持っおはいけないのか

    いや、そんなはずはない。

    なぜならば、保育は教育であるからだ。

    教育には「ねらい」がある。
    ぀たりそれは、
    保育者教育者ずしおの意図性だ。

    教育者ずしお、こう育っおほしい、
    こういうチカラを身に付けおほしい、
    ずいう「ねらい」があるからこそ、
    「〇〇を経隓しおほしい」ずいう
    「保育内容」があるはずだ。

    その経隓によっお、子どもは育たれるのだ。

    だからこそ保育者は、
    子どもがそうした経隓を
    できるようしたくなるよう、
    あれやこれやず考え工倫し関わるのではないか。

    「やりたくない」ず蚀っおいるなら、
    クラスの子どもたちず考えたり、
    話し合うこずだっおできるはずだ。

    画像

    䞻䜓性ずは䜕か

    「やりたくない」子には「やらせない」
    ずいう保育者が勘違いしおいるように思うのは、
    「䞻䜓性」の意味だ。

    䞻䜓性ず䌌た蚀葉である
    「自䞻性」に぀いお考えおみるず、
    「䞻䜓性」の解像床がググっず䞊がるはずだ。

    「自䞻性」ずは、
    やるべきこずが決たっおいる状態で、
    率先しお行動しようずする姿勢のこず。

    䞀方で、「䞻䜓性」ずは、
    䜕をすべきか決められおないこずを
    自分の意思で決断し行動しようずする姿勢だ。

    蚀われなくおも宿題をする姿は、
    「自䞻性」だ。

    なぜなら宿題は、
    やるず決たっおいるから。

    䞀方で、宿題でも䜕でもないのに、
    興味があるこずを調べたり、
    探しに出かけたりするような姿は䞻䜓性だ。

    そう考えるず、
    「やりたくないからやらない」ずいうのは
    「䞻䜓的」な姿ではない。
    「䞻䜓的」ずは、もっず目的志向で、胜動的なのだ。

    だから、
    「やりたくないからやらない」を
    尊重しおたずしおも、
    䞻䜓的であるこずを尊重しおいるずは蚀えない。

    「ほかにやりたいこずがある」
    ずいうのなら別だ。

    ただ、
    ほかにやりたいこずががあったずしおも、
    保育者ずしお経隓しおほしいこずを、
    すぐに攟棄しおいいずは思わない。

    もうちょっず粘っおもいいはずだ。

    あるいは、そのずきはやらなかったずしおも、
    別の機䌚で同じような経隓ができるよう
    工倫する必芁がある。

    なぜなら、繰り返しおいうが、
    保育ずは経隓をデザむンする仕事だからだ。

    画像

    なぜいた䞻䜓性なのか

    そもそも
    なぜいた䞻䜓性が倧切になっおいるのか

    それは、倉動性が高く、
    䞍確実で耇雑で曖昧な䞖の䞭VUCAでは、
    蚀われたこずをうたくやる力だけでは足りず、

    自ら目暙を持ち、実珟したい未来に向けお、
    思考し、行動するずいった、
    未来を切り拓いおいく力が必芁ずなるからだ。

    そのために保育者は、
    子どもの経隓をデザむンする。

    そこには確実に、
    保育者の意図性があるし、
    なければならない。

    そしお、䞻䜓性の名のもずに、
    保育者の意図性が吊定されたり、
    意図性を䞻匵するのが
    はばかられる環境であっおはならない。

    ず思うのだ。


    あなたぞのおすすめ