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碧の涙 

    あらすじ「碧みどりの涙」
    中学の文化祭における会長・水島孝一郎、副会長・桑坂みどり以下の生徒会「紅陽会」四役の奮闘と、跳梁する怪盗Xの正体暴きを書記の諸住うてなの目で描く。

     「碧の涙②  逆光の距離 だから言ったでしょ」
     中年になって故郷で探偵となった水島孝一郎が、高校生の過去を述懐する。
     別々の進路に進んだかつての紅陽会の仲間たちが各々の立場で青春を満喫している中で孝一郎は進学校ゆえの過酷な受験競争に、桑坂みどりはバスケットボールに苦悩を抱える。そんな2人が夏から秋にかけて交わらない恋心と、それぞれの青春を見つめる。
     夏の日の海の記憶と秋のバスケットボールの試合が孝一郎の記憶に匂いと共に残る。

     第一話 碧みどりの涙 ①

    第一回 柳野中学校紅陽会四役

    こんにちは初めまして。アタシの名前は諸住もろずみうてな。
     迫館さこだて市立柳野中学校元三年一組。書道部所属で、当時は柳野中生徒会である紅陽会の書記を務めていました。
     今回は昭和五十四(一九七九)年十一月に私たちの学校で起こった不思議な事件についてお話しようと思います。

    さて、本題に入る前にもう少し自己紹介を続けますね。
     アタシのあだ名は坊主です。女子なのに坊主?って思いますよね。実はアタシは寺の娘なんです。家は仲道町にある、迫館では古い部類に入る日蓮宗華厳寺という江戸時代から続く古刹です。そこの娘である上に、なぜかおデコが広いので、それも合さって坊主と呼ばれているわけ。
     これでも書道三段を持っていますし、紅陽会では四役のうち書記を務めていました。

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    その紅陽会役員は会長が同じ三年生で六組の水島孝一郎君。
     柔道部所属。優等生の彼が不良の巣窟みたいな柔道部でよくやっているなと思います。茶帯だそうですが、オリンピックなどで見る有段者の黒帯じゃないので、いうほど大したことはないのかなとも思います。
     皆なは会長とか水島君と呼びますが、私は一年の時彼と同じクラスだったので孝一郎君、時には孝一郎と呼び捨てにします。彼もアタシのことはうてなと呼ぶかデコと呼びます。失礼しちゃうわね!
     銀縁の眼鏡をかけた見るからに生徒会長然とした秀才ですが、どこかおっちょこちょいで抜けたところもあり、それもあって女子に人気が高いのです。
     書道部の友だちで彼にくびったけのマユミに聞いたら「母性本能をくすぐるタイプ」なんだそうですけど、その頃のアタシたちって、まだ十五歳よ。母性本能なんて目覚めるのかしら?

     副会長はまずアタシと同じ三年生で、二年の時から同じクラスで親友の桑坂みどり。
     皆からはみど、みどさんと呼ばれている、女子バスケ部のキャプテンで、身長百七〇センチ近い美人です。
     百五〇センチ足らずで鼻ペチャのアタシとは雲泥の差ですが、そばかす混じりのアタシはキャンディキャンディみたいでそれなりに可愛いと思ってるんだけどな。孝一郎は凸凹コンビなんて言って笑います。デコはデコのくせに凹の方だもんなだって、本当に失礼な奴!

     みどは一年生の時に東京から転校して来た子で、転校生で美少女で頭がいいという、テレビドラマのヒロインのように三拍子揃っていたことから、最初の頃は男子もちょっと敬遠して手が出せない雰囲気があるようだったけど、三年経った当時は、六組のミッキイこと植村美樹さんと並んで学年のマドンナの地位にありました。
     ミッキィといえば、同じクラスの孝一郎君と熱々だという噂もあれば、孝一郎君はやはり六組の瀬戸裕美子さんとデキてるっとも言われていました。
     何度か孝一郎に生徒会室で問い詰めてみたことがあるけど、そのたびに彼は
     「俺はみどがいい」
    とか
     「デコに惚れてんだよ」
     なんて調子のいいことではぐらかされました。
     アタシは嫌いなわけではないけど、一年生の頃から知っているから今さらって感じだけど、みどはまんざらでもないよう。まぁ頭のいい2人ならお似合いだけどね。

     もう一人の副会長は二年二組の野添文憲君。十四歳ながら身長百八〇センチの偉丈夫で、男子バレー部のエースアタッカーよ。ただその巨体の割に控えめな性格で、でしゃばりで押しの強い会長はもちろん、品行方正な美人のみどの前でも借りて来た猫のような有様なのがちょっと可哀想ね.バレーの練習や試合ではうって変わった熱血漢になるらしいけど。まぁ孝一郎とみどのいい補佐役であることは間違いないわね。

     アタシと同じ書記にはやはり三年生で五組の平敬一君、科学部所属。
     アタシよりは大きいけど中肉中背で、野添君からは頭一つくらい小さいけど、彼も優秀で科学部っていうくらいだから、高専を受験するって言っていました。
     ただ高専は公立高校入試が三月頭なのに対して前月二月の受験なので、孝一郎やみどやアタシと違って、早くから焦りまくっていたことを思い出します。
     平君なら間違いないと思いましたけどね。

     そして会計に二年生の菊田淳子さんと一年生の澤村恵子さん。菊田さんは吹奏楽部でクラリネットを吹いていました。
     わが校は吹奏楽部の強豪校なので、彼女は二年生ながらすでに二度の全道大会出場経験があります。少しふくよかな身体つきですが、性格はキッパリとしていて、自分の意見は同学年の野添君はもちろん孝一郎君にもハッキリと怯むことなく発言する度胸を持っています。お家は酒屋さんを営んでいます。
     澤村さんは反対にアタシと同じか少しだけ背が高いくらいなのにセーラー服の上からもガリガリに痩せているのがわかります。その頃はまだ必死に紅陽会について行くのが精一杯という感じでしたが、一年生ながら立候補して生徒会役員になっただけのことはあって、芯の強い性格だとアタシは思っていました。確か珠算部に入っていたはずです。

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    これでアタシの仲間の紅陽会四役の紹介は終わりです。それと紅陽会顧問の鷺舞信吾先生がいます。

     アタシは習ったことがないけど国語の先生で、怒ると万力のような指で男子生徒のお尻をつねることで『鬼の鷺舞』と恐れられています。さすがに女子のお尻を素手でつねるわけにはいきませんが、それでセーフかというと、擂り粉木の長いような白木の棒を持ち歩いていて、女子の場合はそれでお尻を打たれます。去年卒業した書道部の木下先輩なんかは「一生許さない!」と部室で泣いて悔しがっていたことがあったくらいです。

    まだ三十代になったばかりの独身の若い先生で、北海道教育大学迫館校時代は陸上部で、短距離走と砲丸投げの選手だったそうです。
     国語の先生なのにいつも黒っぽいジャージの上下を着ています。服装には無頓着なのね!
     そんなに大柄な体躯ではありませんが、砲丸投げで鍛えた力で中学生のお尻をつねったり、叩いたりするものですからたまったものではないようです。

     紅陽会顧問と同時に生活指導部の係でもあり、毎朝のように校門前で棍棒を持って生徒の服装・髪型チェックをしています。ちょっとでも違反があると男女問わず尻ケツバットが飛びます。
     そんな恐怖の一面を持っているようですが、紅陽会では優しく熱心に指導してくれる先生です。

     長くなりました。これでその頃の柳野中学校紅陽会の紹介を終わります。

     第二回 文化祭とアラビアンナイト

    さて、それではいよいよその時起こった不思議な事件のお話です。

     それはこの北の街にも木枯らしが吹き始めるその年の十一月の出来事でした。
     私たち紅陽会役員は、いや柳野中の全生徒が、間もなく開幕を迎える柳中文化祭・紅陽祭の準備に余念がなく、慌ただしい毎日を送っていました。
     特に紅陽祭実行委員会は紅陽会四役と全校各クラスの文化委員からなる文化委員会で構成され、その会長には生徒会長である孝一郎君が、同じく副会長にはみどが就任していました。

     おかしなことに、そもそも今年度の文化委員会は当初委員長に水島孝一郎君が、副委員長に桑坂みどりさんが就任していました。
     ところが六月に行われた紅陽会役員の改選で、会長と副会長に立候補した孝一郎君とみどが、揃って当選してしまったので、困ったのは上位者二名に抜けられてしまった文化委員会でした。期の半ばでこちらでも推薦式の選挙が行われ、三年四組の山本豊信君が新しい文化委員長になりました。
     全然その気のなかった豊信君はそれを根に持って、月に一度開かれる四役と各委員会の委員長が会議を行う中央委員会で毎月のように孝一郎君とみどに対して
     「お前らがケツを捲るから俺にお鉢が回って来ることになった。どうしてくれるんだ!」
    と、憤懣をぶつけていました。
     けど彼は根が誠実で生真面目なタイプなので、派手な孝一郎君とは違って慕う下級生も多かったのです。

     だいたい、孝一郎君とみどは二年生の下半期にそれぞれ紅陽会副会長と書記を務めていた経験があり、三年生の上期こそ会長と副会長の座を八組の中田君と五組の円山さんに譲ったものの、会長・副会長の紅陽会のツートップに返り咲くことは既定の事実だったと言ってもいいくらいでした。 
     アタシはこんな大役をやる気なんてはなから無かったんだけど、親友のみどが、実績は高校入試の内申に影響して来るから度胸試しにやってみなさいよ、なんていうから乗り気ではなかったものの立候補だけでもとチャレンジしてみたらまさかの当選。みどは喜んでくれたけど、毎日毎日会議はあって帰るのが遅くなるし、中体連の大会が終わると三年生は引退となる運動部の孝一郎君やみどと違って、年内の引退はない文化部のアタシには苦痛の方が多かったのです。そもそもがでしゃばりで弁が立つ孝一郎や、聡明で優等生のみどとは行動力も頭の出来も違います。豊信君の気持ちが痛いほどわかりました。

     そんな紅陽祭のその年のテーマは『躍動』と決まり、各クラスや部活もそのテーマに沿った演出を考えて、校内は活気に満ちていました。
     さらにこれは二年生の会計、菊田淳子さんの発案で、開会式に紅陽会実行委員会で寸劇をやることになりました。
     これはわが校の歴史上初めての試みで、意外に皆に受け入れられました。
     しっかり者の菊田さんらしい建設的な意見に、今までそんなことを考えてみたこともなかった3年生のアタシたちもびっくりしましたが、紅陽会は初めての体験の一年生はもちろん、昨年はただ先輩のやることを見ているだけだった二年生にもこの意見は好評で、話し合いの結果、たくさんの人員が仮装して参加できる演目として『アラビアンナイト』が選ばれました。

     一つの物語をお芝居として演じるのではなく、開会式のムードをなんとなくアラビアンナイト風にしようということになり、配役として孝一郎君がシンドバッド、みどがアラビアンナイト(千夜一夜物語)の語り部シェエラザード、平君がアラジン、巨漢の野添君がランプの精、山本君が魔法使い、三年五組の文化副委員長木田君がアリババ、アタシがアリババを助けるヒロインのモルジアナ、アラジンの妻になるバドルウルバドゥール姫を菊田さんが演じることになりました。澤村さんをはじめ他の文化委員たちは数は足りないけど、四十人の盗賊役になりました。
     これらの衣装や小道具も手作りで作ることになったため、文化委員の女子だけではなく全学年から裁縫が得意な生徒を募りましたし、男子たちは段ボールを使って小道具作りに励みました。

     さらにそんなアイディアが飛び出したものですから、孝一郎君が調子に乗って開会式のテーマソングを前月に発売されたばかりの久保田早紀という新人歌手が歌う『異邦人ーシルクロードのテーマ』にしようと言い出しました。
     吹奏楽部の菊田さんはそれよりもケテルビーの『ペルシャの市場にて』がいいといいましたが、アタシたちの誰もその曲は知らないために却下されました。
     確かに、サンヨーのテレビのCMソングに使われた異邦人は、そのエキゾチックなムードも相まって、アラビアンナイトにぴったりな雰囲気として皆に受け入れられました。平君は
     「シルクロードはアラビアなのか?」
     なんて言っていましたけど、これも孝一郎君に押し切られました。
     そういえば久保田早紀さんってどこか六組のミッキィに似ている感じがするけど、そんなところも孝一郎君のお気に入りだったのね。
     けれども、そんな喧騒とは裏腹に、アタシたちの心を悩ませていたのは最近校内で頻発していた盗難事件のことでした。

     そもそもは九月の頭に行われた北海道吹奏楽コンクールに参加した吹奏楽部での話が発端でした。
     道南地区大会で金賞を受賞し、全道大会への切符を獲得したわが校の吹奏楽部は札幌の北海道厚生年金会館で行われる全道大会に遠征して行きました。
     とはいえ、柳中吹奏楽部は四十五人のA編成楽団です。
    レギュラーメンバーのみならず、補欠メンバーまで連れて札幌まで遠征に行くのですから大変です。顧問の木村先生のご苦労も大変なものだったことでしょう。
     菊田さんによると、去年は合唱部の顧問の竹田先生も引率教員として同行されたそうですが、今年は合唱部も全道大会への出場権を獲得していたので、竹田先生の代わりに、生徒指導部から鷺舞先生が引率として同行しました。そしてその遠征旅行で、生徒の財布が盗まれるという事件があったのです。二泊三日の行程で、初日に木村先生が生徒の財布を預かって金庫に保管していたのですが、翌日夜に生徒に返したのだそうです。三日目には本番のコンクールがありましたし、終わってからはお土産を買うなどのために必要だったわけですから。ところが演奏が終わって、皆んなの緊張が解けて気が緩んだのか、楽器を迫館まで運んで帰ってくれるトラックに荷物を乗せるドサクサで、数名の女子の財布がなくなっていることがわかったんだと菊田さんは報告してくれました。一人だけならうっかりミスということも考えられますが、複数人いっぺんにですから盗難としか考えられませんでした。
     演奏のステージには楽器と譜面台以外は持ち込んでいませんし、ステージ裏は他校の生徒も出入りしていたので、犯人探しはできなかったそうです。
     鷺舞先生が帰ってきてから
     「コケにされた!」
     と怒っていたのが強く印象に残りました。

     校内で盗難が頻発したのはそれ以来でした。
     もちろん普段は学校には金銭の持ち込みは禁止されていましたから、金銭的な被害はありませんでした。
     しかし教室に置いてあったリコーダーがなくなったり、中には教科書が紛失したケースもありました。
     生徒の中では怪盗Xなどという不謹慎な呼び名も浸透しましたが、実際に生徒の中には万引きで補導歴があるものもいたので、先生たちの方がピリピリしていた感じでした。
     先の事件があったので、真っ先に疑いの眼が向けられたのは吹奏楽部員だったと菊田さんは涙ながらにアタシたちに訴えていましたし、吹奏楽部部長で六組の孝一郎君と仲のいい柳田君もいろいろ孝一郎君に相談していたそうです。
     ただ菊田さんが憤慨するのも当然で、わが校の吹奏楽部は、アタシたちが入学した年に転任して来た木村先生が市内の実力者で、聞くところによるとそれまでコンクールなどには無縁で編成も小さかったわが校吹奏楽部を徹底したスパルタで鍛え上げ、わずか二年で全道大会初出場にまで漕ぎ着けたばかりか、今年は連覇を達成させました。
     さらに優秀な生徒をスカウトして部員を充実させ、孝一郎君なんかも去年木村先生に、
     「いつまでも柔道部なんかにいてもラチがあかんだろう?」
     と勧誘されたそうです。 

     第三回 怪盗Xと童貞

    ですから吹奏楽部はわが校のいわばエリート集団であり、実際に全道大会の時には、我が四役の菊田さんをはじめ、各委員会の長が集まる中央委員会はその構成員のうち結構な人数が吹奏楽部に在籍していたため、委員会活動も中央委員会開催も難しくなりました。
     孝一郎君も
     「アイツらにそんなことをする意味、つまり動機だな、それが見当たらん」
    と言っていました。
     でも一抹の不安は、吹奏楽部一年生でパーカッション(打楽器)担当の男子斉藤君が、小学校の時にクラスで万引き騒ぎを起こしたことがあると、澤村さんが述べたことでした。

     「ちょっと澤村さん、それ本当なの?」
     帰迫したばかりの頃、生徒会室で経緯を説明していた菊田さんがそう詰め寄りました。
    「はい先輩、本当です。あくまで噂だったので、本当のところは私にもわからないんですけど」
     「なあにアレ?よくお笑いのネタになる、教室で誰かの給食費が無くなって、先生がクラス全員の前で『みんな目をつぶれ。』って言って、犯人に手を挙げさせるやつ?」
     そう言ったのはみどでした。あんまり生真面目目そうにいうのでアタシはみどのその姿を見て吹き出しそうになりました。
    「やめてよみど。そんなことしたって盗った子が正直に手を上げるわけはないし、目をつぶれと言われた生徒たちも絶対に何人かは薄目を開けて見ていたと思うわ。ねえ、孝一郎、そう思わない?」
     アタシがそういうと彼は、
     「いやうてな、俺は実際にそれを体験している」
    「ええっ、ホント?」
    「ああ、確かあれは小学校の三年生か四年生の時だったと思うけどよく覚えてはいない。やはりお定まりの給食費盗難で、先生が『怒らないし、誰にも言わないからやった者は正直に手をあげなさい』と言って皆に目を瞑らせた。もちろん俺は薄目を開けて見ていたさ。けど誰も手をあげる奴はいなかった……」
     それを聞いてアタシは今度こそ本当に噴き出してしまったわ。真剣な菊田さんと澤村さんの下級生コンビには申し訳なかったけどね。
    「で、結局その犯人は誰だかわからなかったの会長?」
    みどが孝一郎にそう訊ました。
    「ああ、そうなんだが、どうやらそれは今五組にいる中田忠伸じゃなかったか?って噂されていた」
    「中田君ってあの……?」
     そう、五組の中田忠伸君は不良として知られていましたが、六組の折原博之君や七組の塚田真司君たちのように番長グループを組んでいる仲間とは別に、なんていうのかな?いわゆるチンピラの一匹狼みたいな感じの奴でした。
     身体はそんなに大きくなく、痩せぎすで逆三角形の顔が小さく、ちょっと斜に構えたような態度でその三白眼の眼で下から人を舐めまわすように見上げるのでアタシは生理的に嫌いな男子でした。
     「ああ、さっき菊田が小学校の時に万引き騒ぎを起こした奴のこと言っていたけど、アイツもそれだったんだ。これは噂ではなくて、学校そばのヤマト商店で切り出しナイフを万引きしたんだ。俺はそれを当時アイツと同じクラスだった柔道部の堀北から聞いたことがある」
    「それなら僕も聞いたよ」
     現在中田君と同じクラスの平君が言いました。
    「しかも本人の口からさ。アイツは悪びれるどころか自慢するように話していたっけ」

     そんなアタシたちでしたが、先刻生徒会室にやって来た鷺舞先生から、明日の全校朝礼で、紅陽祭を控えて皆どこもなく浮き足立っているし、展示や模擬店の準備、さらにアラビアンナイトの仮装に向けて、いろいろ資材を購入したりする必要から、普段は禁止されている財布の持ち込みなども特別に許可されているから格段の注意を促すよう会長の孝一郎から訓示するように言われて、朝礼の司会役のみどと孝一郎もぐっと引き締まった面持ちになりました。

     そして翌日、全校朝礼で、校長先生の退屈な訓話の後で、司会のみどにうながされて登壇した孝一郎君は開口一番
     「怪盗Xは君の後ろにいる!」
     ってキッパリと言い放ったものですから、退屈な校長先生のお話からずっとざわめいていた生徒全員が固唾を飲んで彼の話に聴き入ったわ。なんだかんだといって、人の心を一瞬で掴むのは上手いわね。これがカリスマ性って言うのかしら?
     それからは、紅陽祭に向けて気の緩みに気をつけて、盗難被害に遭わないように気をつけようと、うまくまとめてステージを降りました。彼はいつものことながら原稿などを読み上げるのではなく、毅然とした態度で話し終えたのです。孝一郎君は中学生でありながら、すべてのスピーチをアドリブでこなすことができましたし、時には情熱的に激しい手振りを加えて話すこともあり、鷺舞先生がよく
     「お前は本当に演説が上手いよなぁ!」
    と感心するほどでした。

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     挨拶が終わり、四役の位置に戻って来た二人でしたが、みどが
     「やるじゃない?」
     と小声で言って孝一郎君を肘で小突くと彼は「イヒヒ」
    としてやったりの顔で笑いました。このコンビの軽さはなんなのでしょう?孝一郎君はアタシとみどのことを凸凹コンビと呼びますが、この二人だって似たようなもので、その関係性が今ひとつわかりません。
     そういえばこんなことがありました。

     まだまだ紅陽祭準備がそんなに忙しくない時のことでした。私たちは個人的な事情がない限り、放課後はなんとなく生徒会室に集まるようになっていました。
     もちろん月に何度も中央委員会をはじめとして会合もあったのですが、それよりもなんとなくウマがあったアタシたち七人は用事もないのに集まって駄弁るのが楽しみでもありました。
     ある日、平君が何事か考えながら
     「僕の前に道はない」
    とつぶやいたのです。
     「ああ、高村光太郎の『道程』ですね?」
     と菊田さんが言いました。
     「三年生はもう進路のことで頭がいっぱいですね?先輩方は受験はどこを目指されるんですか?」
    「僕は高専を目指そうと思っている。写真屋の後継ぎだから学歴なんかはいらないけど、あそこならやりたいことがありそうな気がする」
     平君は写真館の一人息子です。平写真館は卒業文集に掲載する写真撮影をまかなっており、修学旅行などには彼のお父さんが同行して記念撮影を行なってくれるのが恒例行事になっていました。
    「高専って、確か五年制でしたよね?五年も勉強するなんてキツそうだなぁ」
     そう言ったのは野添君でした。
    「でも高卒後に大学に行くことを思えば短いさ。それに高専を卒業すると準学士という称号が与えられるし、その後専攻科に進んでそこを出ると大卒と同じく学士号を授与されるんだ。僕はそうまでする気はないけどね」
    「会長はル・カーレですか?中央高校ですか?」
    「とりあえず両方受けるだけは受けようと思っている。みどは中央は受けないのか?」
    「私はそんな頭はないよ。東照にしようと思ってるの」
    「あそこはいいよなぁ自由そうで。みどが行ったらモテモテだぜ!」
    「でも東照は女子の方が比率が高いのよ。男子の方が困らないって聞いたわ」
    「うてな先輩はどうするんですか?」
     アタシに聞いたのは澤村さんだった。
    「アタシ?アタシはいいとこ西綾かなぁ?公立に受かる自信なんてないけど」
     やはり後輩たちも進路については今から気になっているのでしょう。高校でもバレーをやりたい野添君は私立の迫館健斗に行きたいらしいし、菊田さんと澤村さんもおそらく中央進学に違いないわ。だいたい四役に選ばれる人たちは基本的に優等生なんだ。なんだかアタシだけ醜いアヒルの子になったような気分になっていたら、みどがそれをそれとなく察知したのか、とんでもないことを言い出しました。

     「そういえば、『どうてい』って、別の意味もあるわね?」
    「ぶぶっ!」
     平君が噴き出しました。
     「おお、僕の道はみどに繋がっているのかな?その時はよろしく頼む」
     と、孝一郎君。みどは笑いながら
     「ま、その時が来たならね!」
     どこからどう見ても優等生で美少女のみどが、まだ中学生だというのにこんな露骨な冗談をさらりと孝一郎君とやり取りしていました。
     「お、うてなは赤い顔してんぞ。澤村なんかきょとんとしてんのに!」
     孝一郎がそう言ってアタシを冷やかしました。みどまでが手を叩いて笑っていました。
     ホントどうなってんのかしら?この二人⁉️

     話がまたまた脱線してしまいました。

     第四回 仮装とエメラルド

     そしていよいよ紅陽祭を二日後に控えた日、紅陽祭実行委員会の奮闘によって、アタシたちのアラビアンナイトの仮装の衣装が出来上がりました。図書室で『千夜一夜物語』を借りてイラストなどを参考にして皆頑張りました。
     それから本番に向けて衣装合わせをすることになりました。
     生徒会室は手狭なので、平君が科学部の部室として使っている第二理科室を使わせてくれることになりました。平君は科学部の部長です。
     第二理科室は大教室の中に実験で使う化学薬品がこぼれても腐食しないように天板にステンレスを貼った大机が並び、その化学薬品や天体望遠鏡などを収納してある所蔵庫が別室として付いていましたから、男女別の更衣室としても使わせてもらうことができました。

     シンドバッド役の孝一郎君やアラジンの平君、アリババの木田君は、頭に長いターバン風の布をを巻き上げてヘアピンで留めて、下は緑色のジャージに上は白い長袖の体操服を着て、薄い生地で作ったカラフルなベストを着けました。
     私たちの中学では入学年度によって学校指定のジャージの色が違い、私たちは一年の入学時に緑のジャージを購入しました。それを三年間ずっと着ています。同じように現二年生はえんじ色の、一年生は青のジャージです。つまりジャージ姿を見ただけで、学年がわかるという仕組みでした。
     ランプの精役の野添君は二年生なのでズボンはえんじ色でしたが、上半身は素裸にやはり短いベストを着ていました。身長一八〇センチの大男ですし、男子バレー部のエースですから、それだけですごい迫力でした。

     すごいといえば、千夜一夜物語の語り手であるシェエラザードのみどでした。
     なんと、下は紺のブルマに上は半袖の白い体操服を胸元までたくし上げたヘソ出しスタイル。そこに身体全体を覆う薄緑色のベールを纏って、小道具係りが作ったボール紙に金紙や銀紙を貼った小片を沢山付けた腰蓑や冠を着けて、まるでテレビで見たことがあるエジプトやトルコのベリーダンサーのようでした。
     みども身長が一七〇センチ近くあるので、中学生にしてはとても色っぽい姿で、女子のアタシですら見惚れてしまうくらいでしたから、孝一郎君や平君の冷やかし方はそれも凄かったです。

     モルジアナのアタシやドゥルバルドゥールの菊田さんはさすがに恥ずかしくてそんな大胆な格好はできませんが、やはりベールを腰に巻いたり頭から被ったり、それなりにアラビアンナイトの雰囲気が感じられました。
     さらに特筆すべきはアラジンの宿敵となる魔法使い(そんなキャラクターがあるなんて知らなかったけど)に扮した文化委員長の山本君でした。
     彼だけは学生服の上下、つまり黒づくめの格好で、やはりボール紙で作った不思議な形の帽子を被り、同じくボール紙で作った不気味な仮面を着け、ドラキュラが着るようなとても大きな真っ黒な生地で作ったマントを羽織っていてこれも雰囲気バツグンでした。

     「ちょっとみんな見て見て」
     みどがそう言って一度収蔵庫の女子更衣室に行ったかと思うと、首から鮮やかに輝く緑色の宝石のペンダントトップの付いたネックレスを掛けて出て来ました。
    「おお〜つ!」
     皆んなの口から一斉にどよめきが漏れました。
     「ちょっ、ちょっと、みど何それ?」
    アタシが思わず口に出すと孝一郎君が
    「すげぇな、エメラルドかい?」
     男子のくせに宝石まで詳しいのかしら?そこまで物知りだとイヤミだわね。

     「まさかぁ!人工エメラルドよ。パパから今年の誕生プレゼントにもらったのよ。エメラルドは私の誕生月五月の誕生石なの。それで五月十日生まれの私にみどりって名前を付けてくれたんだけど。
     パパは今はこれで我慢して、本物はみどりが大人になったら恋人に買ってもらいなさいなんて言ってたわ」
    「じゃあ今から宝石店に予約しておくか……」
     孝一郎君がまたさらりと冗談を言いました。
    「嬉しい会長、約束よ」
    みどもノリノリです。
    「けどみどさん、そんな物本当に大丈夫なの?」
     目はみどに釘付けのまま平君が訊きました。
    「パパの話だと買っても一万円くらいの安物らしいわ。ものすごくキラキラ輝いているけどね。
    それに今日はお披露目だけ。もちろん持って帰るし、本番の当日にしか着けないわ」
     「そしたらみんな揃ったところだし、それぞれ記念撮影をしよう」
    平君がそう言って卓の上に置いてあったカメラを取り上げたわ。写真館の息子の彼は特別に扱いに注意することを条件に、鷺舞先生から紅陽祭におけるカメラマンの役割を許可されていたの。仮装の制作中から時折りその様子を撮影していたわ。
     アタシたちは彼に促されて一人一人思い思いのポーズを取って記念撮影に応じたわ。
     ここでも孝一郎君と平君がエロティックなみどにばかりあれこれと注文を付けていたわ。
    「もっとみど、身体を仰け反らして胸を突き上げるんだ!腰ももう少しくねらせて。君は自分で思っているよりおっぱいは大きいんだから!」
    「なぁに会長、見たこともないくせに⁉︎」
    「いや、修学旅行の時に風呂を覗いたような気がする」
     さすがのみどもこれには噴き出して
    「バカばっかり……」
    と思わずポーズを崩しました。
     「ちょっと二人ともふざけないで!」
    平君が大声でたしなめました。
    「誰か窓の暗幕を半分だけ閉めて、光源がみどさんの右から当たるようにして!」
    平君は本職のカメラマンそのものよ。お父さんの様子を小さい頃から見て来たんだもんね。
     アタシたちがお騒ぎしているところに鷺舞先生がやって来たわ。

     「おお、やってるな⁉︎生徒会室に行ったら『第二理科室にいます』って貼り紙が残されていたから何かと思ったら、皆んな凄いじゃないか?おい桑坂、それは何だ、そんな物を許可した覚えはないぞ!」
     先生は早速みどのペンダントを見て言いました。
    「先生、僕たちも今それを言っていたところです。イミテーションだそうですし、桑坂さんもこれから許可を取ると言っていたところでした。今日はわれわれだけのお披露目ということで本番当日しか身に付けないそうですし、彼女のことですから心配することも無いと思います。僕からもお願いします。どうぞ当日だけ持ち込みを許可してください」
     孝一郎君がひたすら下手に出て懇願します。この辺の如才のなさは社会人並みだと思ったわ。けど、人工エメラルドってイミテーションってことなのかしら?
    「まぁ桑坂のことだから間違いはないと思うが、本当に開会式だけだぞ。くれぐれも注意してな!」
    言われてみどもしおらしく頭を下げて
    「先生すみません報告が遅くなりまして。気をつけます。水島君もありがとう」
    「それから平、そのカメラも大丈夫なんだろうな?それはお父さんのじゃないのか?」
    「はい。元々は父の物でしたが古くなったので僕がもらったのです。そんなに高価な物ではないそうですし、この理科室に保管して鍵を掛けておきます。科学部員は皆信頼の置ける奴らばかりですから安心です」
     平君はそう言って胸を張りました。彼も孝一郎君よりは小柄で押しは強くはないのですが、芯の強さは引けを取りません。
    「そうか、くれぐれも理科室の施錠だけには注意しろよ」
    鷺舞先生はそう言いました。

     この学校では玄関や校長室、保健室、吹奏楽部の楽器などが仕舞ってある音楽室など、重要な部屋の鍵は職員室奥の金庫の中に保管してありますが、第一第二理科室をはじめ美術室や図書室、そして生徒会室などの鍵は職員室入ってすぐのキーボックスにそれぞれ吊るされていました。ちなみに生徒会室の鍵は四役がそれぞれ合鍵を一本ずつ持たされていました。
    「ところで先生、何か用事でもあったんですか?」
    安心したかのようにみどが訊くと鷺舞先生は
    「それが、吹奏楽部の盗まれた財布が見つかった」
    と驚くべきことを言いました。

     第五回 推理と帰途

    「先生、いつどこで見つかったんですか?」
    慌てて孝一郎君が口を開きました。
     「ついさっき、六時間目が終わった後に職員玄関の靴箱の上に置いてあるのを、校外写生から帰った美術の小島先生が見つけたそうだ。札幌で吹奏楽部の木村先生が預かったままの巾着袋ごと置いてあったらしい」
    「先生、ちょっと私音楽室に行って来ます!」
     そう言って着替えもしないままに菊田さんが第二理科室を走り出ようとして扉を開けたかと思うと
    「キャッ!」
    という声を上げて後ずさりました。
    「だ、誰か立ってる……」
     戸口からのっそりと顔を現したのは五組の中田君でした。
    「なんだ中田じゃないか?」
    同じクラスの平君が声をかけました。
    「平、小柴先生が探してる」
     小柴先生は五組の担任の先生です。いつも赤いジャージを着ている小柄な女性体育教師で女子体操部の顧問をしています。
     「じゃ、俺が探して来ますって言って生徒会室に行ってみたら、『第二理科室にいます』っていう貼り紙があったからこっちに来てみたんだ。お前たち何だよそれ、紅陽祭の仮装か?」
    おお、どうだすごいだろう?」
    平君はそう言いましたが中田君は
    「ケッ!」
    と言ってみどの身体を舐め回すような目付きでねめつけていました。
    「それにしても桑坂、オメェはエロいな!」
    「あら、ありがと」
     さすがのみどは動じません。アタシだったらあんな三白眼でねめつけられたらおぞけが走るのに、さらりとあしらいました。普段ならここで少しは威嚇的な態度に出る中田君ですが、そこは生活指導部の鷺舞先生がいるものですからクルリと踵を返して出て行きました。
    「先生、僕も失礼します。すぐ戻って来ます。会長、カメラを頼む」
     そう言い残し、平君もやはりアラジンの衣装のまま、菊田さんと共に走り出て行きました。

     「先生、職員玄関に返されたということは、盗ったのはやはり本校の関係者ってことでしょうね?」
     孝一郎君が鷺舞先生にそう言いました。
    「職員玄関は本校の正面玄関だから、来客もそこを利用する。そういう意味では外部から侵入者があったことをまったく否定する訳にはいかないが、常識的に考えても本校関係者と見るしかないだろうな。受付窓口に一番近い事務職員さんも父兄や来客は無かったと言っているようだ。残念なことだが……」
     鷺舞先生は心底悔しそうに言いました。
    「となると、当然犯人は当日札幌に行っていたメンバーに限定されるわけで、迫館に残っていた在校生は容疑者外ということになりますね?」
    「菊田には聞かせられんな」
     先生はそう言って唇を噛みました。
     「でも先生、なぜ犯人は今になってからわざわざそれを返したんでしょう?財布の中身は盗られてなかったんでしょうか?」
    そう先生に訊ねたのは野添君でした。
    「ちょうど職員室にいた木村先生にざっと確認してもらったが、見たところ中身は減ってはいないようだということだった。今頃は当日盗まれた当人たちに確認して返している頃だと思う」
     「そうか、それで菊田さんもあんなに焦って出て行ったんですね!」
     「野添、犯人、まぁここは仮に怪盗Xとしておこうか、奴は最近校内での警戒が厳しくなって来たことに脅威を感じたんじゃないか?」
     孝一郎君がそう言いました。
     「でも会長、盗まれたのは二ヶ月以上前、それもわれわれには窺い知ることのできない札幌でのことですよ。怪盗はなぜ盗んだ金を使ってしまわなかったんでしょうね?」
     野添君は引き下がりません。なかなか論理的なところを突いて来ます。巨体の割に孝一郎君や平君、そしてみどの陰に隠れて存在感は薄いですが、彼だって二年生ながら紅陽会副会長です。先ほど進路はバレーボールをやりたいためにスポーツ強豪校として知られる私立の迫館健斗を志望していると言いましたが、菊田さんの話によると二年生の中ではやはり成績優秀なエリートで通っているそうです。
     去年の孝一郎君がそうだったように、私達が卒業後の来年度はおそらく彼が紅陽会会長のポストに就くことでしょう。

     「まぁ盗まれた金額が幾らなのか俺にもわからないけど、中学生がいきなり分不相応の大金を持って金遣いが急に荒くなったりしたら怪しまれるんじゃないか?まぁ部長の柳田の話によると、あそこの部員は中学生ながら結構自前の楽器を持っていたりして、家は割と裕福な家庭が多いそうだけどな。
     それに、やっぱり盗んだはいいけど使ってしまうのは怖かったのではないかな?手を付けずに返してしまえば、仮にバレたとしても情状酌量の余地は認めてもらえると思ったのかもしれない」
     やっぱり孝一郎君の推理には一理も二理もあると思ったわ。一年生の頃から伊達に屁理屈ばかり言っていたわけではないとアタシは感心しました。
    「でもそう考えても、やっぱり変なことは変なんだ」
    「会長、何が変なのよ?理路整然としているように聞こえるわ」
     みどがそう言いました。

    「最初に遠征先という知らない土地で財布をいくつも盗むというあまりに大胆な犯行を遂げたにも関わらず、いくら普段の校内には金銭、貴重品の持ち込みはないにしても、その後噂になっている犯行がお粗末すぎると思うんだ。学用品や教科書を盗んだところで、所詮はそれだけの話だ。鷺舞先生、僕たちは詳細は聞かされていませんが、具体的にそれら盗まれたとされている物品はその後どうなったんですか?生活指導部では把握しているんでしょうか?」
     鷺舞先生は腕組みをしてややしばらく考えてから言いました。
     「まぁお前たちのことを信頼しているから打ち明けるが、実際にそれらの物も、すべて発見されている。別の学年のまったく関係のないクラスの誰かの机の中に突っ込んであったり、ひどいものになると、一年生で技術の授業で使う工具セットを盗まれた子がいるんだが、それはプールの金網越しに中に投げ入れてあった。もうプールのシーズンはとっくに終わっているので発見が遅かったんだが、たまたま水道管理に見回りをしていた用務員さんによって発見された。しかし、生徒たちの間でお前らのいう怪盗Xの噂が大きくなることを危惧して、職員会議でこの情報は職員間だけで共有することにしたんだ。当然盗まれた当事者には返却したが、騒動が収まるまでは口をつぐんでいることを約束させた。まぁ遠からずわかる話だとは思っていたのだが、まさか最初の財布がこんな形で出て来るとも思わなかった。
     そうそう、それでその件に関してこれから緊急の全体職員会議が招集されるんだった。
     お前たちもいつまでもそんな格好していないで早く帰るんだぞ」
     先生がそう言っているところに平君が帰って来ました。
    「おお、小柴先生の用件は何だったんだ?」
    と孝一郎君が訊きました。
     「いゃあ、別に大したことじゃないんだ。紅陽祭の時に発表する部活ごとに記念撮影はしてくれるのか?ってこと。もしそうなら当日床運動の演舞をしない全部員にもレオタードを着用させなきゃならないとかって言ってた。けどなんだか急に職員会議があるからって慌ただしく追い返されたんだ。それよりみんな大変だぞ!」
     「何が大変なんですか、平先輩?」
    と言ったのは澤村さんでした。
    「この格好で一線校舎の二階を小走りしたら女の子にキャーキャー言われたんだ。ものすごい仮装効果だよ。当日が楽しみだけどみどのその姿を見たら、男子生徒はパニックを起こすと思うよ」

     一線校舎とはグラウンドに面した学校の正面に当たる棟で、その二階には三年生の教室が並んでいます。
     ちなみに一階には正面玄関、職員室、校長室、印刷室や保健室など学校の中枢部が並んでいます。
     校舎は並行して二線校舎、三線校舎と並んでいて渡り廊下で接続されています。三線校舎だけは鉄筋コンクリート造りですが、後の二つの校舎は戦前に建てられた古い木造校舎です。生徒会室は一線校舎とニ線校舎との間の渡り廊下の横に、後付けのように建てられており、中庭に面しています。
     今アタシたちがいる第二理科室は、ニ線校舎の二階の端にありました。角部屋になっているので、所蔵庫なども作りやすかったのでしょう。

     そうこうしているうちに菊田さんも戻って来たので、アタシたちはまた着替えを済ませ、平君がしっかりと施錠をして帰路に着きました。
     あ、もちろん生徒会室は第二理科室を使う前に孝一郎君が施錠をしました。ただ帰りがけにその前まで立ち寄って『第二理科室にいます』という貼り紙を剥がして来ました。

     孝一郎君と平君の家は学校と同じ富丘町にあるので二人はいつも連れ添って帰りますし、やはり同じ仲道町に家があるアタシとみども並んで帰ります。
     二年生以下はそれぞれに帰るのが恒例となっていました。
    菊田さんと澤村さんは、同じく富丘町ですが、野添君だけは富丘町とは反対側の国鉄の駅のある方向に当たる鮫田本町の住人です。
    十一月になっていたので、あたりはもうすっかり陽が落ちています。アタシもみども冬服のセーラー服の上に学校指定の春秋用の薄手のコートを着ています。ただ十二月からの厳寒期には冬の北海道ではこんなコートでは歯が立ちません。真冬に上に着るコートなどは各自自由とされています。
     並んで歩くと、見上げるみどの首元から先ほどのペンダントが緑色の輝きを放っていました。
    「ちょっとみど大丈夫なの?首から外してしまった方がいいんじゃないの?」
    「大丈夫ようてな。これから仲道商店街を抜けて帰るわけだし、この時間まだ通行人も多いわ。それよりも外して落とす方が危ないわ」
     なるほどと思いました。みどもまた理知的でハッキリした気性なのがわかると思ったわ。
    「でもね注意してね。さっきの中田みたいな奴もいるんだし。見た、あの眼⁉︎気持ち悪いったらありゃしない。アイツは変態ね」
    「私はあんな奴興味もないわ!」
     みどはどこまでも強い女です。

     第六回 ベリーダンスと事件

    さて、いよいよ紅陽祭の当日がやって来ました。 
    早朝にはグラウンドで花火が打ち上げられ、学校中が浮かれているようでした。

     前々日の衣装合わせで思わぬ感激を覚えてアタシたちは急遽予定を変更して当初案の寸劇を盛り込むことにし、こういうことが得意な孝一郎君が前日に即興で、一貫したストーリーではないものの、なんとかつぎはぎのシナリオを完成させました。
     それに伴い、紅陽祭実行委員たちが、あわてて大道具や小道具を製作してなんとか開会式に間に合わせました。
     それは例えば、教室の机に大きな段ボールに色を塗った模造紙を貼り付けた物を組み合わせてアリババと四十人の盗賊の洞窟を作ったり、やはり段ボールを切った物に着色してアラジンの魔法のランプを作ったりしました。
     それをぶっつけ本番で、演じました。
     洞窟の岩の扉の前でアリババの木田君が
     「開けゴマ!」
     と叫ぶと机の後ろに隠れていた盗賊に扮した男子がそれを両方向に開きます。木田君は中に入って行って、しばらくすると大きな布の袋を肩から担いで出て来ます。盗賊の宝を奪って逃げるという趣向です。
     そうするとやがてまた窟いわやの扉は自動で閉まってしまいます。次に何の脈絡もなくランプを手にしたアラジン役の平君がその窟の前にランプを置いて、膝を着き、両手を高く掲げた後で床に伏せ
     「アッラー・アクバル」
    という祈りの言葉を捧げます。
     そして首から下げていたカメラを取り上げるとフラッシュを焚きました。
     「ボン」
     という音を立てたかと思うと、暗幕を掛けた暗い体育館の中に閃光が光り、一瞬マグネシウムが燃える白い煙が立ち込めました。
     するとそれを合図にまた窟の扉が開き、中から大男の野添君がのっそりと出て来て胸を反らして腕を組み
    「お呼びですかご主人様?」
    と大声で言いました。
     ステージのある体育館はやんやの声援と大きな拍手に包まれました。
     そして次に菊田さんが提案していたケテルビーの『ペルシャの市場にて』に乗せてみどのシェエラザードがベリーダンスを踊ることになりました。
     菊田さんによると音楽室に鑑賞用のレコードがあるということなので、本番ではステージ横の放送ブースからそれを流すことにして、菊田さんから木村先生にお願いして当日の朝一番で、音楽室を貸してもらってこれだけは先に練習することになりました。
     いくらみどが度胸がいいと言っても、さすがにヘソ出しスタイルでいきなり初めてのダンスを披露するのは難しかったのでしょう。

     幸い音楽室にも吹奏楽部が楽器を仕舞っている音楽準備室が付属しているので、ここを借りてみどだけ先にあの衣装に着替えをしました。
     菊田さんがレコードを流すと、アラビア風の市場の雑踏を思わせるけたたましいメロディがスピーカーから流れ出しました。
     孝一郎君がアドバイスをします。
     「いいかみど、振り付けなんてないんだ。ただ曲に乗って身体をくねらせて踊ればいい。できるだけ腰を振って艶かしくな。本当はお腹を出したり引っ込めたりしながら踊るんだが、素人にはそれは無理だろう。
     あとは片膝を着いて両手を下に向けて広げて、両肩を交互に揺らしてその首から吊るしている金や銀のジャラジャラを揺するんだ。そうすればそのエメラルドも光を受けて一層輝いて見えるぞ。その時に一昨日も言ったように胸を天井に向けて突き出すのがコツだな」
     「ちょっと孝一郎、アンタ中学生のくせに、なんでそんなことにまで詳しいのよ⁉︎」
    「どうしたデコ、ははぁ、さては妬いてるな?悔しかったら、お前もみど並のプロポーションになってみろ!まぁ無理だろうけどな」
    孝一郎君はそんな憎まれ口を叩きました。
     これに噛みついたのは菊田さんでした。
    「ちょっと会長、いくらなんでもそれは失礼ですよ!うてな先輩に謝ってください!」
     絶対に筋の通らないことは許さないタイプです。
     案外来年の野添君の対抗馬かしら?それともみどのように副会長に落ち着くのかしら?
     「いやすまんすまん確かに俺も言いすぎた。うてなごめんな、謝るよ」
     珍しく孝一郎君が素直に頭を下げました。
    「俺だって緊張してるんだよ。ああ、それからベリーダンスは映画で見たんだ。〇〇七」
    「ああ、それなら僕も見たよ。確か『黄金銃を持つ男』だったかな?」
     平君が後を引き継ぎます。

    「それにしても水島、よくそんなこと詳しく覚えているな⁉︎それはそうと、こうして当日練習ができるのなら、寸劇の配役を全員集めて総練習をしてもいいんじゃなかったのか?」
    「それは俺も考えてみたさ。でもな平、完成した大道具や小道具は全て昨日のうちに体育館のステージの隅に置いておいた。あれをまたここに持って来るのは大変だし、なにより実行委員会の連中は今頃その体育館で技術の梨田先生や用務員さんたちと暗幕やスポットライトの設置でてんやわんやだろう?」
     そうです。わが校にはスポットライトがないので、昨日のうちに孝一郎君、平君、野添君の男子三人組が、グラウンドを挟んで向かい合って建つ柳野小学校に行って、学芸会で使うスポットライトを借り出して来ていたの。彼ら三人は柳野小の出身だから、小学生時代に自分たちが体験したスポットライトのことを覚えていたのね。アタシは小学校では校区外だったので、柳野小ではなくて、柏通小だったからその辺の事情はわからないの。みどは家は仲道町だけど、中学になってから東京から転校して来たから当然その辺は知らないわね。
     割としっかりした造りのそのスポットライトを運んでくる時には大男で力持ちの野添君はすごく助けになったようよ。
     「それに練習はしなくても、それほどの脚本じやないさ。第一、文化委員なんてやろうという連中はそもそも文化的なことに興味や才能がある奴ばかりだから、一発勝負でも大丈夫だと思ったんだ」
     ここでまたしても孝一郎君の説得力で平君も納得しました。でもいつもそれらしく聞こえるけど、彼の言っていることは本当に正しいのかしら?

     確かにその頃アタシたち四役を除く紅陽会実行委員会の面々は体育館での準備におおわらわだったそうです。
     同時に放送委員による、ステージの音響チェックも行われていたらしいんだけど、『ペルシャの市場にて』のレコードはこうしてアタシたちが使っているので流すことができなかったため、あらかじめ孝一郎君が同じクラスの放送委員の小山靖子さんに自分が持って来た久保田早紀の『異邦人》のレコードを託して、それで音響テストをしたそうですし、この曲は、開会式のオープニングからそのダイナミックなイントロで盛り上げると同時に、紅陽祭期間中は折に触れ、放送室から各教室に流されました。また寸劇のナレーションも孝一郎君は考えて、それを小山さんにお願いしていました。

     小山さんは背丈はアタシと同じくらいですが、鼻筋が通って、目がくりっとしたお人形さんのような女子で、みどや植村美樹さんとは別のタイプの美少女です。
     鈴を転がすようなハキハキと可愛い声でよく校内放送のアナウンスを務めます。将来はアナウンサーか女優でも目指しているのでしょうか?
     この日もいきなり渡されたはずの孝一郎君の書いたシナリオをそれは見事に語りました。
     それもそのはず、アタシと同じ書道部でやはり放送委員のマユミによると、どうも小山さんは孝一郎君に気があるみたいなのね。マユミはライバルだって息巻いていたわ。でもマユミは放送委員には、学校で好きなカーペンターズとか、ジョン・デンバー、オリビア・ニュートン=ジョンの曲を流したいがために立候補したという少々動機が不純な子だけど、アタシはそれがマユミの個性だと思っている。
     小山さんや、ましてやみどやミッキィと張り合えるかは別だけどね。

     そして遂にそのみどのシェエラザードのベリーダンスが始まりました。
     音響テストの評判が良かったので、急遽曲目を「異邦人」に変更しました。
     体育館に流れる『異邦人』のダイナミックなイントロにに乗せて、中学生ながら高身長のみどが、妖艶に腰をくねらせて踊り出しました。さすがにバスケ部のキャプテンです。運動神経は抜群ですし、リズミカルに跳ねるような動きもお手のものです。
     体育館の袖壁の上に設置されたスポットライトから放送委員の男子が操る緑色の光線に包まれて、首から下げたエメラルドのペンダントが激しく揺れて光を反射しました。
     踊りが終わった時には体育館に響き渡る大歓声と万雷の拍手でした。

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     その直後に孝一郎君のシンドバッドと木田君の魔法使いのチャンバラなどもありましたが、さすがの孝一郎君もすっかりその存在感を奪われていました。
     後になってみどは一組担任の和田先生やバスケ部顧問の樋口先生にずいぶんこっぴどく絞られたそうだけど、このみどのシェエラザードとベリーダンスだけで今年の紅陽会は大成功を収めたと言っても間違いはなかったでしょう。

     ところが、そんな興奮の余韻も束の間、みどのエメラルドが紛失してしまうという大事件がぼっ発しました。

     第七回 盗難と不良

     「おいおい桑坂、そう泣いてばかりじゃ何もわからん!どうした、いつものお前らしくもない。
     困ったな……、野添から校内放送で急に呼び出されたから来てみたらこの有様だ。桑坂が無理なら、水島でも平でも誰でもいいから、事情を説明してくれ!」
     いつもは沈着な鷺舞先生が珍しく途方にくれたような様子で首を左右に振りながら言いました。
     「いや先生、それは無理です。いつもは僕や会長が馬鹿な話をしているのをたしなめてくれるように、常に大人みたいな態度で、まるで姉か先輩のように振る舞ってはいましたが、みどさんだってやはり中三女子、普通の十五歳の女の子でした。狼狽えるなという方が無理です。なぁ会長そうだろう?」
     そう言ったのは平君でした。僕や会長がと彼は言いましたが、本当のことをいうと馬鹿な話を最初に持ち出すのはいつも孝一郎君で、平君はそれに付き合うという感じでした。でもそれを踏まえて、みどの立ち回り役などもしっかり分析していた彼はさすがに理系の秀才だと思ったわ。
     彼にそう振られて孝一郎君は
     「そうなんです先生。みどさんは、さっきまでは気丈に振舞っていたのですが、先生の顔を見たら緊張の糸が途切れてしまったのでしょう。僕たちもまさか彼女がこんなにポロポロと涙をこぼして大泣きするとは思ってもみませんでした……」
     と、いつもは強気でそれこそアタシなんかよりは常に大人ぶっている孝一郎君も、みどの大泣きと鷺舞先生のうろたえが伝染したかのように、いつものどこか尊大な態度が消え失せて、やはり15歳という年齢相応に見えたわ。
     アタシはともかくとして、当人のみどだけでなく孝一郎君や平君でもそうなのですから、下級生たちの落ちつきの無さといったら、見ていてこれも痛々しいほどでした。

     平君や孝一郎君がいうように、アタシも親友ながら普段はとても同い年とは思えないくらいに感じていた、下手をしたら高校生どころか、セーラー服を脱いだら短大生でも通りそうな感じのみどが、まるで幼児のように泣いている姿は壮絶でした。
     ましてや朝からあのシェエラザードの妖艶な舞を見せつけられた後なだけに、アタシたちはみんなみどに酔っていたようなものだったのですから、ある意味仕方がないのかも知れません。
     孝一郎君と平君がかわるがわる説明をしましたが、それをアタシなりに解釈して皆さんにはお伝えしますね。

     朝の九時から始まった紅陽祭の開会式は先ほどお伝えしたみどのシェエラザードのダンスによって大成功を収めました。
     (ちなみにこの舞いはのちに新聞委員会が編集した学校新聞『紅陽』の「紅陽祭記念号」の中で『みどりの炎』と命名され、ずっとアタシたちの一九七四年度を語る上でのキーワードのひとつとなりました)

     もちろん実行委員会の寸劇だけではなく、三日間の紅陽祭期間中に催される各部活や学級の出し物などの簡単な説明が、それらの代表者によってステージ上で披露されたりして、開会式は一時間ほどで終わりました。(あ、ここでいう一時間とは中学校の一時限に当たる実質五十分のことです)
     それで三日間は普通の授業は組まれていないので、やはり一時間の休憩を挟んでアタシたちはそれぞれの催しに散ることとなりました。
     その前にまた着替えです。朝とは逆に紅陽祭実行委員会の人たちは体育館の最後尾にある男女別の更衣室で、アタシたち四役は女子は生徒会室で、男子は第二理科室でいつもの制服に着替えると、再度生徒会室に戻り、いつものように放課後に集合して初日の反省会を持つことを約してそれぞれのクラスや部活に分かれたのです。

     そして放課後、三々五々と生徒会室に集合したアタシたちは、そこでみどからあのエメラルドがなくなっていることを告げられたのです。

     今まで言ってはいませんでしたが、生徒会室の中には代々の四役によって使い継がれて来た七つのロッカーが設置してあります。会長から会計まで、四役七名が、その代によってどれを誰に割り振って使ってもいいようになっており、特に鍵はかかりません。そもそも紅陽会四役といえども普段は別に貴重品を学校に持って来ることはありません。あくまで、四役の個人用途に限って便宜を計ってくれたもので、いつの代から設置されているのかもわかりませんし、当然四役に選出された役員たち以外には、生徒会室にそのようなロッカーが設置されていることを知る生徒はほとんどいないはずです。

     そしてシェエラザードの衣装から着替えたみどが、お父さんからもらったあのエメラルド(孝一郎君に言わせるとイミテーションの人造品ですが)を自分が使っているそのロッカーの中にしまっておいたところ、放課後に確かめてみたら紛失していたということでした。
     全員が集まったところで、アタシたちは手分けして生徒会室内をくまなく探しました。個人で使っているロッカーは自分の責任で改めると共に、孝一郎君の提案で、同性の役員同士でさらに確認しました。誰も仲間を疑ってはいませんでしたが、念には念を入れろということでした。
     もちろんどこにもそれは見つかりませんでした。
     そしてその時になって、ともかく鷺舞先生に報告した方がいいということになって、野添君が先生を呼びに職員室に走りました。
    「先輩方は善後策を考えていてください」
     と言い残して。

     しかし野添君によると先生は職員室にはいなかったそうです。
     盛り上がった初日が終わり、そのままの気分で帰宅途中で間違いや事故があってはならないので、生活指導部の他の先生たちと体育館や校内を含む見回りと、校門の所で見送りをしていたそうです。
     それで野添君は校内放送のマイクを取りました。

     わが校の放送室は一線校舎の二階にあり、そこにはラジオ局のような放送ブースが設置されていて、昼休みや放課後には主に放送部や放送委員が、連絡事項や独自に作った校内向け番組を流していますが、先生たちによる生徒への連絡や呼び出しは、職員室入り口の柱に取り付けられたマイクを使って随時行うことができます。
     生徒の利用に関しては、中央委員会の各委員長や、また各部活の部長、キャプテンらは、職員室にいる先生の同意の上で使用することを許されていますが、紅陽会四役は自己の判断で使っていいことになっています。
     とはいえ、これを使うのは会長・副会長と、せいぜい三年生だけで、かくいうアタシなんかほとんど使ったことはありません。
     野添君は、そのマイクを手に取ると
    「鷺舞先生、鷺舞先生、至急生徒会室までお越しください」とアナウンスしたのです。
     それを聴いて先生がおっとり刀で駆けつけて来たっていうわけ。

    「なるほど、あらましはわかった。それで改めて訊くが、盗まれたのか失くしたのかわからないのか?」
    鷺舞先生がそう言いましたが、それに答えたのはアタシでした。
    「いっしょに着替えをしたアタシが見ていましたが、みどは大切なものだからと、それを首から外すと紫色のベルベットを貼った宝石箱に入れて鞄にしまい、それをロッカーに納めました。そのケースは残っているんです。中のエメラルドだけが無くなっていて、当然盗まれたものだとアタシは思いましたが、会長が、まだ断定するのは早い、ここはあくまでも紛失ということで行こうとみんなに提案したのです」
    「そうか、お前たちのことだ、うかつに外に洩らすとも思えんが、場所が場所なだけに、盗難騒ぎとなったらまた大変だ。好判断だったな水島!」
     先生はようやく落ち着いたような口調でそう言いました。

    「まぁ先生の方から、外部に洩れることのないよう、職員会議にははかっておくから、今日のところはもう帰りなさい。朝からいろいろ疲れてもいるだろうし。
     桑坂も気を落とさないようにな。またどこからか出てこないとも限らんしな!」
    「そうですよみど先輩、万が一これが怪盗Xの仕業だったとしても、これまでの例からしても、Xは自分の物にはしない可能性が高い」
     そう言ったのは野添君です。ここに来て彼は急に存在感を上げたみたいでした。

     「わかりました先生。もう大丈夫です。みんなもありがとう。迷惑かけてごめんね」
     みどが涙を拭いてそうアタシたちに謝りました。

     鷺舞先生が出て行ったあと、アタシたちはまたしっかりと施錠を確認してから一団となって生徒玄関の方に向かおうとした時、先頭に立っていた菊田さんが驚いたように誰かに向かって声をかけました。
    「ちょっと、そこのあなた、何かご用ですか?また平先輩でしょうか⁉︎」
    「どうした菊田さん?」
    「あ、先輩、そこに先日第二理科室に来た三年生が立っていたのです。まるでこちらを伺うようで何か気味悪かったわ」
    「何っ!またアイツが?」
     平君はそう言うと、先に立って辺りを偵察して来ましたが、虚しく引き上げて来ました。
    「ダメだ。誰もいない!」
    「イヤね、あいつ。こないだもみどのこと、ねめつけるような目付きでジロジロ見ていたわ!」アタシがそう言うと、孝一郎君が、
    「よし、今日はみども動揺していることだし、俺と平が途中まで送ろう!構わないよな平?」
    「ああ、それがいいと思う。」
    「二人ともありがとう。心強いわ!」

     と、いうことで三年生のアタシたち四人は一緒になって帰途につこうとしました。
     みどは気丈に振る舞おうとしてはいましたが、目は赤く泣き腫らしたのがありありとわかり、肩がまだ小刻みに震えていました。
     それを孝一郎君と平君が両側から抱えるように支えて歩きました。
     アタシはみどのカバンを持ってあげました。その時です、
    「おうおう、なんだお前ら暗くなって来たら大胆なことしてくれるじゃねぇかよ⁉︎優等生の諸君もさっきの桑坂のエロっぽい姿を見て理性を失ったのかよ?」
     玄関でそう声を掛けて来たのは七組の塚田真司君でした。
    「余計なお世話だ、塚田、退け!」
    「なんだと水島テメェ、また痛い目に遭いたいのかよ?」
     孝一郎君と塚田君がやり合います。
     ああ、あんな奴に君なんか付けたくないんだけどな。
     アタシたちが紅陽会四役に選出されてすぐの時期に、校内の人目に付かない石炭庫のそばで、因縁を付けられていた六組の瀬戸裕美子さんを助けようとした孝一郎君は、この塚田真司に顔面を一発殴られるという事件がありました。その時は騒ぎを聞きつけた鷺坂先生が間に合って、二人はその場で分けられましたが、以来二人の間にピリピリとした緊張感が漂っていたのです。塚田は中学生ながら九十キロ近い巨体の持ち主です。いわばデブね。アタシたちが恐怖に打ち震えていると、先に二年生の靴箱に向かっていた野添君が顔を出しました。
    「何やってんですか⁉︎会長や平先輩に手を出したら許しませんよ!」
    「なんだキサマこそ、二年の野添だったな?多少背が高いからってキサマもイキがりやがって、面白い、先にキサマから痛い目に遭わせてやろうか?」
    「やめとけシンジ!」
     その時不意に制止の声を掛けたのは本校で番長として知られる折原博之君でした。
    「だ、だってよ折原……」
    「うるせえ,テメェこそ黙ってろ!今日は楽しい紅陽祭じゃねぇか、それに今日の桑坂のダンスに免じて放っておいてやれ。何があったかしらねぇけどよ。これ以上問題を起こすと俺だってもう庇いきれねぇ。スマねぇな孝一郎、デブがまた短気を起こしやがってよ!」
     「いや折原、こっちこそありがとう。俺たちは今日は朝からいろいろ忙しくって疲れているんだ」
     折原君は他校の生徒も認めるわが校の総番なんだそうですが、塚田ですら頭が上がらないというのに、同じクラスのよしみなのかしら、孝一郎君には一目置いている感じなのよね。
     どっちにしろ、こうして一触即発の危機は脱したわ。

     こうしてアタシたちは四人で仲道商店街の途中まで一緒に帰りました。
     二人にはかなり遠回りをさせてしまったけど、この辺はさすがだと思ったわね。みどもその頃にはすっかり落ち着きを取り戻していました。
     「二人とも本当にありがとう。パパに叱られるのは怖いけど、悪いのは私なんだし、起こってしまったことは事実なんだから、ちゃんと説明しようと思うの」
     「ああ、それがいい。俺は平にちょっと用があるからここから引き返す。デコ、みどをよろしく頼むぞ、もう泣かすんじゃないぞ」
     孝一郎君はそう憎まれ口を叩くと夕闇に溶けかかった商店街を平君と並んで何か話しながら帰って行きました。

     第八回 X現る

    翌日、最終日と、三日間の紅陽祭は慌ただしく過ぎました。
     アタシはクラスの(主に男子が)主催していた射的屋を覗いたり、手伝ったりしながら、書道部の習字パフォーマンスなどに出たりとそれなりに楽しく充実した時間を送っていましたが、心のどこかでみどのエメラルドのことが引っかかっていました。
     彼女も普段通りに振る舞ってはいましたが、時折り寂しげな表情を浮かべることもあり、心ここに在らずという感じでした。
     でもバスケ部主催による3ポイントフリースロー大会の運営などにも関わっていましたので、束の間心の隙間を埋めることはできたようでしたし、紅陽祭実行委員会副委員長として、様々な些細なトラブルや問題点の相談に追われたりしたのも逆にいつものみどを取り戻すのにはよかったのかも知れません。

     二日目も無事にすみ、最終日の三日目、イベントのトリを飾って演し物の人気投票が行われました。
     これは毎年行われている紅陽祭期間中に開催されたイベントの人気投票で、今年は実行委員会のアラビアン・ナイトも演し物に入っていましたので、私たちはまたあの仮装をしてステージに並んで挨拶をしました。
     みどはエメラルドが無いので参加には消極的でしたが、事前人気と評判が凄まじかったので、無理にも参加しないわけには行きませんでした。
     舞台挨拶は開催順に行われましたので、アタシたちは一番最初にそれを済ますと、急いで着替えて部活のイベントでの挨拶に臨みました。
     アタシはセーラー服に着替えましたが、みどは部活のユニフォームでした。
     孝一郎君もシンドバッドから柔道着に着替えて、さらに学生服に戻るなど大変でした。彼は最後に閉幕の挨拶もあったので、柔道着のまではいけなかったのでしょう。

     その最後の着替えの時に今度は平君のカメラの盗難騒動が起こったのです。

     閉会式での閉会宣言は実行委員会委員長の孝一郎君の役割りでしたが、一応四役と文化委員長と副委員長も壇上に並ぶことになっていました。
     そのため学生服に戻る孝一郎君と一緒に平君、野添君、そして山本君たちも連れ立って第二理科室に一旦退きました。
     平君は科学部の部長として白衣を着て舞台挨拶に立っていましたし、やはりユニフォームの野添君も着替えをしたそうですし、文化部長の山本君もついて来たそうです。

     アタシたち四役女子はみどだけが、ユニフォームからセーラー服に戻る必要がありましたが、これも連れ立って生徒会室に戻りました。吹奏楽部の菊田さんも、珠算部の澤村さんも、仮装の後はずっとセーラー服でいたので着替えの必要はもう無かったのですが、みどがやはり先日の事件の後は、一人になるのが怖いというのでゾロゾロと付き合って行動したのです。 

     ここからは孝一郎君からのまた聞きです。

     孝一郎君たちがおしゃべりしながら第二理科室の中に入って行くと、中で何かが動く気配を感じました。
     それは、どうも一番奥の卓の陰だったように思った一堂が、ピタリと口をつぐんで一瞬躊躇して立ちすくんだその時、それは不意に卓の陰から立ち上がりました。
     そいつは手に平君のカメラを持っている、仮面を着けて真っ黒なマントを羽織った魔法使いの仮装をした人物だったのです。
    「と、豊信……」
     孝一郎君の口から訝しんだそんな言葉が漏れた時、
    「俺じゃないよ!」
     山本君は自身でそう言うのがやっとだったそうです。
    「怪盗Xだ!」
     山本君がそう叫びました。

     誰もが一瞬現実が理解不能で凍りついたようになった時に、魔法使いは脱兎のごとく駆け出したのです。
     持っていたカメラを卓の上に置くと、身を翻して集団となって立ちすくんでいる孝一郎君たちの間をすり抜けるように教室入り口から廊下に躍り出ると、そのまま二線校舎の廊下をマントの裾をなびかせて、疾風のように走り去って行ったそうです。

    「待てっ!」
     そう叫ぶや否や、野添君が巨体を躍らせて後を追います。さすがに男子バレー部のエースです。その反応速度は誰よりも速かったそうです。
    「おい野添、気をつけろ危険な真似はするな‼︎」
     ここでようやくわれに返った孝一郎君が大声で叫びました。
     その頃にはすでに加速した野添君にはその声が届いたかどうかはわかりませんでした。

     そして反応が誰よりも早かったとはいえ、当初の躊躇していた分、前を走る怪盗Xとの距離は開き孝一郎君たちが見つめる中でXは校舎二階の付きあたりの階段の手前で折れ、その階段を駆け下りて行ったようだったということでした。
     野添君の脚がいかに速いとはいえ、階下に逃げられてしまっては、逃走経路も幾通りもあり、一人で追跡するのは困難だと思われた時、息せききった野添君が戻ってきました。
    「だ、ダメです。逃げられました。下までは追ったのですが、奴はそのまま生徒玄関から走り出て行ってしまって見失ないました……」
    「そうか、それ以上は追わなかったんだな?」
    「はい、途中で奴がこれを落として行ったものですから、拾っているうちに手間取ってしまって……」

     そう言いながら野添君が開いた掌の中には、あのみどのエメラルドが入っていたのです。

     第九回  奪還と乾杯

     「ど、どうしたんだコレ?」
    「アイツが逃げる途中で落ちたんですよ。いや、わざと落として行ったのかな?」
     孝一郎君の質問に野添君が答えました。
    「一瞬輝く物が地面に落ちたんで、それに気を取られているうちに逃げられてしまって……」
    「いや、いい。コレを取り戻しただけでお手柄だ!」
    「水島、やっぱりアイツ、怪盗Xが一連の犯人だったんだな?」
     そう言ったのは平君でした。
    「まぁそういうことになるだろうけど、それはゆっくり検討しよう。先ずはみどにコレを返すのが先決だ。

     そうして男子が体育館に戻って来た時には紅陽祭の閉会式がまさに終わろうとしているところでした。
     孝一郎君は慌ただしくステージ上に上がり、厳かな口調で閉会を宣言しました。アタシは知らなかったけれど、直前にそんなドタバタ劇があったにしては落ち着いたもので、事実は知らなかったとはいえさすがだなぁと思ったのと同時に、今まで何してたんだろう?と疑問でしたし、それは一般の生徒も同じだったと思います。
     司会を担当していたみどが、
     「これで紅陽祭の全行事は終了しました。投票が済んでいない生徒は速やかに済ませ、体育館の暗幕の撤去作業を行う紅陽祭実行委員と、選挙管理委員を除く生徒は今日はそのまま帰宅してください」と告げ、生徒たちは三々五々に解散して行きました。
     山本君たち実行委員とはあらかじめ打ち合わせであったのです。
     また、年に二回の紅陽会役員選挙以外に唯一の仕事となる人気投票に関わる選挙管理委員会も、最後まで投票への立ち合いと、投票箱の回収がありましたが、開票作業は翌日以降に持ち越されることになっていました。
     生徒たちのざわめきが残る中、アタシたち四役は生徒会室に戻りました。
     そこで改めて孝一郎君から先ほどの怪盗Xの顛末が語られ、みどの掌の中にエメラルドが返されました。
     その瞬間のみどの歓喜と涙を抑えきれない様子は今でも脳裏に焼き付いています。
    「会長ありがとう!」
    感極まったみどの声に
    「いや、礼を言うなら野添の奮闘に対してだな!俺はただ茫然と見ていただけだからな」
     孝一郎君はそう言うだけでした。
     「野添君、本当に本当にありがとう」
     みどの涙は止まることを知りませんでした。

     「ようし、紅陽祭も終了したし、みどのエメラルドも戻って来たことを祝して乾杯しよう!菊田さん、すまないが澤村さんと二人で北口商店に行って生徒会費でジュースを買って来てくれ。」
     孝一郎君が会計の二人にそう言いました。
     紅陽会四役にはいくばくかの生徒会費が付与されており、皆の合意の元でそれを使うことができました。
     もちろん誰も反対はしませんでした。
     やがて学校前の米穀店である北口商店から二人はオレンジジュースであるプラッシーの瓶を五本抱えて戻って来ました。

    「すみません会長、冷えたのが五本しか無くて……」
    「いいさ別に乾杯するだけだから」
     孝一郎君はそう言いました。
     会計の二人が買い物に行っている間にアタシはコップを洗っておきました。
     これは家が酒屋さんを営んでいる澤村さんが提供してくれたビール会社の販促用のガラスのコップ十個組みで、四役は七人ですが、一応十個全部を洗っておきました。おめでたいことの乾杯は何人でやってもいいものだと思ったのです。
     するとそんなアタシの気持ちが伝わったのか、鷺舞先生が生徒会室に顔を表しました。
     「おお、お前たち賑やかに何をやっているんだ?体育館の方はもうみんな終わったぞ!」
     そこで孝一郎君が、先ほどからの一件を手短に語りました。
     「先生、ちょうどいいタイミングでした。みどさんのエメラルド帰還を祝しての乾杯にお付き合いくださいませんか?」
     そう言って先生の手にコップを渡すとそこにみどがプラッシーを注ぎました。
    「お、おう、そうか。桑坂、なにはともあれよかったな!」
     鷺舞先生は優しくそう言いました。
     「それじゃあ、紅陽祭の成功と、みどさんのエメラルドの帰還を祝って乾杯!」
     平君が乾杯の発声をしてアタシたちはカチンとコップを合わせました。元々ジュースはコップに半分くらいしか注がれていませんでしたからアタシたちは二口くらいでそれを飲み干しました。
     「さあ、乾杯も済んだだろう?実行委員会も選管委員たちももう帰ったみたいだからお前たちも遅くならないうちに帰りなさい。それはそうと平、先ほどカメラが危なかったと言ったが大丈夫なのか?」
     「はい。今日で紅陽祭は終わりですが、この後も人気投票の結果発表と表彰式にも使う予定なので置いておくつもりでしたが、今日のことがあったので持ち帰ります。これから第二理科室に行って持って来ます。そして施錠をして帰ります。会長付き合ってくれるか?」
     「もちろんだとも。ああ、デコ、コップはそのままでいい。ついでだから俺と平であとのことは引き受けた。君たちは先に帰りなさい。もうみどは泣かないとは思うがよろしく頼むよ」
     やっぱりこんな時にはこの二人は頼りになるわ。後のことは仲の良い孝一郎君と平君に任せてアタシたちは安堵の思いで学校を後にしたのです。

     最終回 祭りの終了と結末

    こうして紅陽祭は成功裏に終わり、あとは季節は冬に向かってまっしぐらに進んで行き、アタシたち三年生はいよいよ受験に向けての臨戦体制に入って行きました。とはいっても、その前に翌月に迫った期末テストと二学期の終業式が控えていましたし、アタシたち四役はその前に離任式も予定されていました。
     いろいろあった半年間でしたが、良き仲間に恵まれ、全力を出し切った紅陽祭が最後の晴れ舞台となったような感じでした。
     そんな中、紅陽祭の人気投票の集計が終わり、選挙管理委員会からその結果が模造紙に書き出されて体育館に貼り出されました。
     上位三位の結果だけをお伝えすると、 
     第三位 郷土史研究部による迫館と鮫田の歴史展示
     第二位 吹奏楽部によるステージ演奏、今年度吹奏楽コンクール出場曲、課題曲「フェリスタス」自由曲「エルザの大聖堂への行進」
     そして栄えある第一位は、紅陽祭実行委員会によるアラビアン・ナイトに決定しました。
     もちろんアタシたちの喜びようと言ったらありませんでした。

     そして結果発表から二日後の放課後を利用して表彰式が行われることになりました。
     三位の郷土史研究部は全員がステージに上がって孝一郎君が賞状を授与しました。
     しかし贈呈役の孝一郎君自身が、一位受賞のメンバーとして、シンドバッドの衣装のままでしたし、普段ならこういう時の司会を務めるはずのみども優勝の受賞者代表として賞状を受け取る手筈になっていて、あのシェエラザードの衣装に身を包んでいましたので、事前に打ち合わせをして、表彰式の進行と成績発表は放送部で放送委員でもある小山靖子さんが代行しました。
     二位、準優勝は妥当に吹奏楽部でした。彼らはステージ下にスタンバイして、部長の柳田君が孝一郎君から賞状を受け取ると、木村先生の指揮の元、コンクール課題曲のフェリスタスを再び演奏しました。アップテンポで軽快な響きが体育館にこだましました。
     菊田さんはバドルウルバドゥール姫の扮装のままクラリネットを吹いていました。
     彼女はこのあとすぐに壇上に上がって、アラビアンナイトの一員として整列しなければなりませんでした。なんとも慌ただしいことです。

     そうしていよいよ優勝のアタシたちの番です。
     小山さんがスタンドマイクに向かい
    「優勝は紅陽祭実行委員会によるアラビアン・ナイトです!」という声と共にアタシたちはステージに上がりました。
     四十人の盗賊(実際には紅陽祭実行委員の二十人程度でしたが)をすべて上げるわけには行かないので、そこは申し訳ないけど澤村さんに代表を務めてもらって、あとは四役の残る六人と、山本君と木田君の都合九人です。
     授与者は依然として孝一郎君ですが、賞状を受け取る役のみどはステージの袖にいて、体育館にひしめく生徒たちからは見えない位置にいました。事前になにやら孝一郎君と打ち合わせていたようです。
     やがて孝一郎君が舞台下に向かって合図をすると、木村先生の指揮棒が再び振り下ろされました。
     なんと、吹奏楽部は「異邦人」を生演奏し始めたではありませんか⁉︎
     後で分かったことですが、これはこの日のあるを見越して菊田さんが木村先生に提案して、練習を重ねていたんだそうです。仮に入賞しなくても、レパートリーが増えるので菊田さんも木村先生も納得ずくのwin-winだったということです。
     開会式の時はレコード音源でしたが、生演奏の迫力に乗せて舞台袖からみどが再び妖艶な腰振りでステージ中央に躍り出て来ました。

     それは緊張していた開会式の時よりも一層艶やかで艶めかしい中東の舞踏でした。
     体育館はまたしても割れんばかりの歓声と拍手に包まれました。
     いいタイミングで木村先生が演奏をフェードアウトさせて、ようやく孝一郎君が表彰状を読み上げ、それをみどに手渡しました。
     実のことをいうと、表彰状の宛名と本文はアタシが墨書したの。
     アタシもなんだか晴れがましい気持ちで中央の二人を見つめているとみどが、
     「ありがとう会長!でも今日はエメラルド持って来なかったの。もう怖くって!」
    と、小声で申し訳なさそうに言うのが聞こえました。
     すると孝一郎君がもっと小声で
     「心配ないさ。素のままのみどは人造宝石よりずっと美しい!」
     と言いました。
     ひゃあ〜っ!コイツ大人になったらどんだけ女タラシになるのかと思ったわ。本当よ。
     けど、それを聞いてみどの目からはまたしても碧色に光る涙が滲んだように見えました。

     表彰式の間、平君は鷺舞先生にカメラを預け、自分たちの晴れ姿を撮影してもらっていました。鷺舞先生は慣れぬ手で必死に臨時カメラマンの役を務めていました。

     その二日後、いつものように放課後生徒会室に集まったアタシたちに向かって孝一郎君がこう言いました。
     「今日は菊田さんと澤村さんの会計二人に、紅陽祭期間中に掛かった経費の精算をお願いしたい。
     確かその都度レシートをもらって来てもらって、ノートに記入していたはずだから、そのチェックをするだけだと思うけど、正確を期すためにも二人体制でお願いする。こんな計算業務的なことは理系の平に任せても良さそうなものだけど、そこは一応役職区分だ。
     澤村さんは珠算部だから暗算でも可能なのかな?数字にはからきし弱い俺にはお手上げだし」
     そう言って笑いを誘った孝一郎君は続けて、
    「二人の集中に水を差してはいけないから、あとの皆んなは第二理科室に来てくれないか?先日の写真を平がスライドにして来てくれたからそれを見よう。ああ、二人には改めて見せるから心配しないで……」
     そう言って先に立って生徒会室を出て行きました。
    アタシたちはゾロゾロとそれに続きます。
     二階に行く階段の前で孝一郎君が振り返って、
    「ああ君たちは先に行っていてくれ。平、準備は頼むぞ」
     そう言って一人廊下をまっすぐ先に進んで行きました。
     アタシたちが第二理科室に入ってみると、正面にはスクリーンが降ろされてあり、OHP(オーバヘッド・プロジェクター)と、スライド上映機の準備がすでにセットしてありました。
     平君はスイッチを入れて。スクリーンに明るい光が投影されるのを確認していますと、スクリーンの上のスピーカーから孝一郎君の声で
    「鷺舞先生、鷺舞先生、いらっしゃいましたら至急第二理科室までお越しください」というアナウンスが聞こえました。どうやら職員室まで先生を探しに行ったものの不在で、またマイクを使って校内放送で呼び出しをかけたようです。

     やがて二人揃ってやって来ました。
    「おう、何だ何だ、お前たちにはいつも驚かされるな?仕事熱心なのはいいが、もうそろそろ任期も終わりに近づいているんだし、受験だって、期末テストだって近づいて来ているはずだ。まぁお前たちは優秀らしいからそんなに心配はしていないのかもしれないけどな」
     「いや先生違うんですよ。僕たちも任期の終わりが近いからこそ、この辺で片付けておかないとと思ったのです」
    「片付けるって何をだ?」
     先生の語気が荒くなって来ました。孝一郎君は平然とした顔をしています。
     平君も孝一郎君と意思は通じているようですが、みども野添君も唖然とした顔をしています。多分アタシはもっと情けない顔をしていたと思うわ。
    「もちろん怪盗Xとやらによる一連の盗難事件です」
    孝一郎君はそう言い放ちました。
    「何だと!水島、お前の頭が切れるのは認めるが、それは一般の中学生に比べたらの話だ!呑気に探偵ゴッコなんかをしているヒマや余裕なんてないはずだぞ!お前らは受験生であることを忘れるな!ああ、野添は違ったけどな」
     普段アタシたちには優しい鷺舞先生が本気で怒っているようでした。これが噂に聞く鬼の鷺舞なのでしょうか?アタシには孝一郎君の考えていることがわからず、ただひたすらに困惑して恐ろしくなってしまったのです。チラと見るみども困惑しているのが分かって少しだけ安心しました。アタシだけじゃないんだ。
    「そうです。野添はそういう意味では僕たちと立場は違うかも知れません。けど彼を外すことはできないのです。野添、みどのエメラルドを盗ったのは君だね?」
     孝一郎君の一言にその場は凍りついたようになりました。
    「ええっ‼︎」
     みどが引きつったような声を上げました。
    「野添が桑坂の宝石を盗ったというのか?証拠はあるのか水島、証拠も無しに人を告発して間違えましたじゃ済まんのだぞ‼︎」
     鷺舞先生は孝一郎君に詰め寄らんばかりにそう言いました。完全に大人の教師の迫力です。
    「証拠というと、状況証拠しかないわけですし、僕も仲間をこんな形で告発するのは気が引けました。でも僕たちはあと数ヶ月で卒業しますが、野添はまだこの学校に残ります。おそらくは来年度も今会計業務をやってもらっているあの二人と共にこの紅陽会を背負って立つことになることでしょう。そんな彼に正せるものは正して傷は小さくしておきたかったのです」
    「か、会長……」
     大男の野添君が膝を屈するようにして震え始めました。
    「だいたい、最初から認めたくはありませんでしたが、みどさんのエメラルドの盗難に関してはどう考えても生徒会室内部の事情を知っていて、しかも当日の僕たちの複雑な着替えの行動パターンを認識している人物の仕業としか考えられなかったのです。
     生徒会室に四役専用のロッカーがあることなんて一般の生徒は知らないことですし、さらに七個のうちのどれをみどさんが使用しているなんてことは僕たち以外には知りようがありません。しかも生徒会室は無人の時は常に施錠することになっていて、その鍵も僕たち四役しか持っていません。
     三年の中田や塚田たちが妙にみどさんのことを伺っていましたが、思春期の男子でみどさんのあんな姿を見せられたら誰だってメロメロになります。しかし以上の理由で奴らにエメラルドを盗む機会も動機もありません。」
    「ちょっと待って会長、その動機よ!私にはまだ野添君がやったなんて信じられないけど、どうして会長は彼がやったと思ったの?そしてその動機は何なのよ?」
     みどが悲痛な声で叫ぶように言いました。同じ副会長という立場で野添君と共に支え合って来たつもりだったのでしょう。
    「端的に言うと、あの事件から野添の行動がやけに積極的になったことに違和感を感じたんだ。」
     孝一郎君がそういうと、アタシはなんだか腑に落ちた気がしたわ。そういえば鷺舞先生を呼びに走ったのも、不在とみるやすぐに自分で校内放送をかけたことも、そして生徒玄関で塚田真司に絡まれた時も果敢に行動したことにも驚いたことを思い出したの。
    「何よりも決定的だったのが、彼がエメラルドを取り戻した本人だったということだ。自作自演ほど簡単なことはない。君はいつか自然にみどの手に戻るよう常に持ち歩いていたんだろう?僕も互いのロッカーの中は確認したが、身体検査には考えが及ばなかった。気がついた時にはそれを改めてやることは不自然だった。いずれ君がみどに返すことになると思っていたからね」
     「じゃあ動機、動機っていうのよね?よく刑事ドラマなんかでやっている!」
     アタシもつい口を挟まずにはいられませんでした。

     「一言で言ってしまえば嫉妬だな!」
     孝一郎君はそう言いました
    「立場は同じ副会長なのにどうしてもみどの方に注目が集まる。自分自身に実力も魅力も備わっていると考えがちで、実像以上に過信してしまう。いわゆる中二病そのものだな。僕も決して差別するつもりはなかったけど、やっぱり惚れっぽいから野添よりもみどやデコに声をかける方が多いし、馴れ馴れしく接してしまう。そしていつか平も言っていたが、みど自身の誰に対しても年長のような姉のように振る舞うその優しさの前にその巨きな身体の中に劣等感も同時に芽生えたのだろう。その過信と劣等感が強烈な嫉妬をみどに対して持つようになったんだと思う。ましてあの中学生とは思えない妖艶なベリーダンスを見た後だ。たったのひとつしか歳の差はないのに、とんでもない実力差を感じてしまったんだろう?」
    「そんな、私は野添君を傷つける気持ちなんて無かった。彼より優秀だと思ったこともなかったの。それどころか二年生ながらよくやってるって言う感心してたの。私なんかより会長の良きパートナーだなぁって思っていたのよ。」
     孝一郎君とみどがそこまで言うと野添君は肩を震わせて泣き始めました。
     「ウッウッウッ……お二人のそんなところにどうしても自分が追いつけない悔しさを感じていました…
    みどさんはいつでも本当にみんなのお姉さんのようで包容力がありました。会長がどんなに際どいことを言ってもそれをさらりと受け流す能力はとても中学生の女子とは思えませんでしたし、その会長もどんな時でもその場での受け答えがサマになりすぎていて、副会長として隣で勉強させてもらっていましたが、自分はとてもこんな人にはなれないと絶望的な気持ちにもなりました……」
    「ありゃあ、俺にも責任の一端はあったのかい?こりゃ参ったなぁ!」
     野添君のいう、孝一郎君の当意即妙のセリフが飛び出しました。じっくり考えてから物を言えばいいのに、打てば響くように出来すぎの答えが飛び出して来るから、野添君のように自信をなくす後輩も出て来るのかもしれないわね。しかしそう言う意味では孝一郎君とみどはまさにお似合いの二人だと思うし、それをセットにして嫉妬を感じていた野添君の感性も間違ってはいないとアタシは思ったわ。

     「付け加えていうなら、野添は金が欲しくてこれを盗ったわけでもありませんでした。
     みどのエメラルドはお父さんが安物だと言った人工エメラルドであることはみど本人の口から聞いていたのはこれも限られたメンバーだけでしたし、大体中学生の野添がそれを換金する手立てもないはずです。まぁざっくり考えて、こういう物は質屋に持ち込むのが定番なのでしょうが、僕も質屋のシステムはよく知りません。物品を質草として預けて、金銭を借りるという形態なのでしょうが、おそらく身分を証明するものが必要になると思いますし、いくら野添が大男だと言ってそのまま大人として商売人の目を素通りできるとは思えません。結局僕たちは未成年の中学生、世間的には子どもです。     
     つまりこの盗難劇は友人同士の間でのいたずらだった。そう僕は思うんだがどうだろう?これについてはあらかじめ平にも了解してもらっていた。あとは被害者のみどの意見がまず尊重されると思うが?」
     「もちろん私に異存はないわ。野添君のそんな感情に気づいてあげられなかった私にも落ち度はあるんだし、何よりエメラルドが戻って来たのだから私には何にも言うことはないわ」
    「ゆ、許してもらえるんですか……」
     野添君は鼻水をすすりながらそう言いました。
     「だから野添、勘違いするな、これは犯罪ではなくいたずらなんだって水島は言っただろう?」
     こう言ったのは平君でした。
    「せ、先輩……」
     野添君の声はまた嗚咽に変わりました。
     「デコはどう思うんだ?」
    「アタシ?アタシにはもちろん言うことなんてないよ!それにしても孝一郎も平君もさすがにいいとこあるわね!あっ、もしかして、菊田さんと澤村さんに仕事を与えてここに呼ばなかったのは。この話を聞かせたくないからだったの?」
     アタシのその問いに孝一郎君は
    「だから、野添は当人だったから仕方ないけれど、あの二人には来年以降も紅陽会を引っ張って行ってもらわなければならないんだ。それは僕たちが卒業した後に野添たちにがんばってもらわないとならないことだからね。来年野添がそれとなく彼女たちに打ち明けて相談すればいい。あの二人は野添を見捨てることはないし、それどころかより野添を盛り立てると思う」
     「か、会長、貴方って人はそこまで先のことを読んでくれていたんですね……」
    収まりかけていた野添君の嗚咽がまた強さを増したようだったわ。
     「ああ、わかったわかった。前言撤回だ。いやはや恐れ入った。水島、さっきは探偵ゴッコなんて失礼なことを言ってしまった。お前や桑坂、平や諸住の心意気はよくわかった。お前たちは本当にいい仲間だなぁ!近年の紅陽会でこんな素晴らしいチームはなかったぞ」
     鷺舞先生が感に耐えたように言いました。先ほどまで孝一郎君をひどく怒っていたのに、綺麗さっぱり態度を改めるなんて鷺舞先生も立派だと思ったわ。
     「野添、お前もいい先輩を持って幸せだなぁ!お前も来年は三年生で正念場だ、先輩たちの意気を忘れるな!」
    「はい、わかりました。力及ばすとも努力します。」
     野添君はようやくのことにそう言いました。
    「さて、一件落着か、ご苦労だったな。」
     鷺舞生生がそう言うと孝一郎君が
     「いや、先生落着させるのはこれからが本番です。」と言いました。
    「どう言う意味だ水島?」
    「だって矛盾してますよね、野添が怪盗Xであるわけがない。」
     「野添君はXを追っていたんだからね!同一人物であるはずがない」
     平君もそう付け足します。
     「そもそも一連の盗難事件は吹奏楽部の札幌遠征から始まったことは先般確認済みです。札幌に行かなかった野添がXであり得る余地はありません。」
     「ちょっと褒めると調子に乗るってか水島、改めて探偵ゴッコをやろうってのか?」
    「はい。怪盗Xは鷺舞先生、アナタです。」
    アタシは電光に撃たれたようなショックを感じました。みども同じように立ちすくんでいました。
     泣き崩れていた野添君はゆっくりと首を起こしました。
     鷺舞先生は顔を真っ赤にして今度は本気で怒鳴りました。
    「いい加減にしろ水島、図に乗ると許さないぞ! それもいわゆる状況証拠ってやつだとでも言うのか?」 
     先生はこんな時でも手放してはいなかった白木の棍棒を孝一郎君の目の前に突き付けました。
     「確かに状況証拠は満たしていますね。先生はあの時の札幌遠征に生活指導部顧問として同行しています。
     犯人の要件は満たしているわけですね。
     しかもこの生活指導部というのが恰好の隠れ蓑にもなっている。生徒の持ち物検査をする特権も持ち合わせている。巡回と称して放課後の教室をあちこちと歩くことも自由にできる。
     男子バレー部の野添が懸命に駆けても追いつかなかったのは、先生、貴方が学生時代陸上競技の短距離選手だった名残りでしょうし、いつも着ているその黒い上下のジャージが、魔法使いの黒マントに包まれることで、保護色の役目を果たしたんでしょう?
     アラビアン・ナイトの仮装をした男子の中で唯一山本豊信だけが、学生服の上下でした。他は皆実行委員が作ってくれたカラフルな薄物のベストを着ていました。はからずも魔法使い役の山本に見誤られる結果にもなったのです」
     「ふん、さっきはお友達同士のいたずらってことで、状況証拠だけでうまく話を決め込んだようだがな孝一郎、大人相手ではそうはいかないんだ。お前はこれだけで教師を告発しようという気じゃないんだろうな?」
    鷺舞先生の怒気は天を突くようでした。
     アタシはいつ先生がその棍棒で孝一郎君に殴り掛かるかそれだけを心配して必死の思いで二人を見つめていました。
     しかし孝一郎君はやはりこんな時でもやたらと大人びた口調で言いました。
     「先生、アナタこそ、僕たちが中学生だと思って甘く見てくれては困ります。物的証拠があるとしたらどうしますか?」
    「ぶ、物的証拠だと⁉️」
    「よし平、始めてくれ」
     そう孝一郎君に言われて平君は正面のスクリーンの左右の壁の暗幕を掛けました。
     続いて平君は先ほどテストをしたスライド映写機のスイッチを入れてスクリーンに明るい灯りを点しました。
    「会長いいよ!」
     「さて鷺舞先生、先生は当然ながら指紋のことはご存じですね?これだけテレビドラマなんかでミステリー物が溢れている時代です。警察、正しくは鑑識ですが、現場から採取した指紋を照合することによって犯人の特定に繋がることを」
     「な、何を言ってるんだ、それを中学生のお前たちが出来るとでも思っているのか?」
    「おや?出来ないとでも思っているのですか?」
     孝一郎君がそう言うと平君が一枚のスライドをスクリーンに投影しました。
     よく刑事ドラマで見る指紋の写真でした

     「これが平のカメラがXによって持ち去られようとした時に奴がステンレス張りの机の上に手を付いた場所から採取した指紋です。
     意外に思うかもしれませんが、先ほどの状況証拠から僕と平は先生に疑惑を持っていたのです。
     それでいわば罠をかけたのですね。平は毎日何度もカメラを置いてある卓のステンレスをアルコールで綺麗に拭った上で、科学部のメンバーには絶対にそこに触れないようにお達しを出しておきました。中学生の科学技術で指紋検出が出来るかという実験だとメンバーには告げたのです。カメラはいわば囮でした。まさかあんなドンピシャのタイミングで僕たちとXがここで鉢合わせするとは思ってはいませんでしたが、平は仮にカメラは持ち去られてもいずれどこかからか出て来ると確信していたのです。
     それより僕たちに幸運だったことは咄嗟のことで驚いたXはその場にカメラを置くと素手をステンレスの天板の上に置いたのです。くっきりと右手の親指の痕が残りました。そこに体育館の用具室の中に置いてある白線引きから少量の石灰をくすねて来て、書道部のデコからわけてもらった未使用の小筆の穂先をほぐしてそれに石灰を含ませて指紋部分に叩きつけるようにして散布した後に息を吹きかけて石灰を吹き飛ばします。そうすると実際の指紋部分の皮脂だけに石灰が付着します。そこにセロファンテープを貼ってそれを反転させて接写したのがこのスライドという訳です。
     原理を知れば特に科学部員で写真館の倅である平に接写写真を撮影するのはさほど難しいことではありませんでした。そして先生、こちらが鷺舞先生その人の右手の母趾紋の写真です」
     孝一郎君がそう言うと平君がスライドを入れ替えます。先ほどとは明度が違ったような写真がスクリーンに映し出されました。
     「あ、先生の指紋は先日乾杯したジュースのコップから同様の手順で撮らせていただきました」
    ああ、あの時孝一郎君がアタシに使い終わったコップを洗わせなかったのはこういうことを狙っていたのね。アタシが知らずに先生の指紋の付いたコップを綺麗に洗わないようにあんなことを言ったのね。それを孝一郎君の優しさ、善意と勘違いしていたなんて、野添君じゃないけれどやっぱりアイツには敵わないわ。

     「さて先生、ここからは平写真館の平のお父さんに協力を仰いだそうです。やはり中学の科学部レベルで指紋の検出が出来るか検証しているということで平がお父さんに協力をお願いして作ってもらったのがこちらです」
     孝一郎君がそう言うと今度は平君はOHPのスイッチを入れて、その上に一枚の指紋がプリントされたシートを置いてスクリーンに投影しました。そしてそう上からもう一枚のシートを重ねて二枚を慎重にずらして動かして行くと、素人目にもその二枚がぴったりと重なったのがわかったのです。
    「どうです先生、これが物的証拠だと言うのです」
    鷺舞先生の手から棍棒が転げ落ちてカランという音を立てました。
     先生はガックリと肩を落として机に突っ伏しました。
    「お、俺をどうするつもりだ…?」
    「どうしましょうね?先ほど先生もおっしゃったように野添の場合と違って、仲間内のいたずらで済ませるわけには行きません。先生はご立派な成人ですしね。
     だからといって、偉そうに講釈しましたが、たかが中学生が図書館の百科事典から得た知識で採取した指紋に法的な証拠能力があるとも思えません。
     でも思うに、先生は病気、クレプトマニアと呼ばれる窃盗症ではないかと僕は思います。もちろん貧の盗みであるわけはありません。必要のないものでも盗らずにはいなれなくなる精神的な疾患だそうです。元からそのような症状があったのなら同僚の先生たちが気づかないわけがありませんし、生活指導部の仕事を任されるはずもありません。何らかの事情で札幌に行った時に突然始まってしまったのではないでしょうか?もちろん盗ったはいいけど本人にとっては不必要な物ですからほとぼりが冷めるのを待ってまず吹奏楽部の財布をこっそり職員玄関に置きました。おそらくそれからはご本人は苦しまれたのでしょうが、わかっていても止められなくなったのでしょう。やがてそれが快楽に繋がって来もするし、中学生の子どもは怪盗Xなどという大層な名前を付けてもてはやす。一番苦しかったのは先生自身だったのかも知れません」
     「会長、先生も見逃すんですか?」
    「まぁ、教師という立場もあり、責任能力という点から言っても、その罪の重さは野添、お前に比べると計り知れない物がある。でもな、お前を許して先生を許さないという訳にはいかないだろう?」
     孝一郎君は落ち着いた声でそう言いました。
    「まぁここは先生の責任において判断はお任せします。もちろん僕たちの主張を警察に訴え出たところで相手にされないのはわかっています。でもこれらはいつでも校長先生に提出する用意はあることにしておきますし、今度はそう簡単に発見されるところには隠しません。ああもちろん僕たちが卒業するまでの間ですよ。それよりも病院に行って治療を受けられた方がいいと僕は思いますけどね。病気のせいであって、先生が本当の意味での盗人だとは思っていませんから。
     というわけで、今度こそ一件落着と行きましょう」

     そんな孝一郎君の思いやりに満ちた一言で本当にこの件を含む紅陽祭に関わる出来事は全て幕を閉じ、アタシたちは十二月の離任式と役員改選。そして受験と卒業を待つばかりと思っていたわ。まさか最後にあんな悪夢が控えていようとは誰だって想像もつかなかったはずよ。

     それは二学期の期末テスト当日、十二月七日の未明のことでした。本校は突然火災を起こして一線校舎の半分とニ線校舎のすべてをを焼き払ってしまいました。もちろん第二理科室や生徒会室、図書室なども跡形もありませんでした

     出火の原因は最終的には不明でしたが、火元は一線校舎一階東端の保健室らしいということが現場検証で明らかになり、侵入してベットで寝ていた浮浪者の寝タバコの不始末ではないか?という結論に達したようでしたが、最後まで疑問が残りました。放火説も根強かったのです。
     朝登校したアタシたちは真っ黒に焼けこげた校舎を見つめ呆然とするだけだったし、思わず泣き出す女子生徒なども何人もいましたが、生徒会長の孝一郎君と副会長のみどは、早朝に学校から呼び出されて、校長先生や教頭先生たちとも話し合いを持ち、生徒が登校してグラウンドで緊急臨時生徒大会が開かれた時にはマイクの前に立ち、原稿も無しで堂々たる振る舞いで「全校一丸となってこの困難を乗り越えよう」とスピーチして、それは取材に来ていたローカルのテレビニュースでも新聞でも取り上げられていたわ。
     また日を別にして、放送部の小山靖子さんがお昼の校内番組で、火災に遭ってしまったこれからの生徒の心の持ちようを感動的なスピーチにまとめ上げ、それを放送したことが校内で評判になり、さらにNHKの迫館放送局がその音源をラジオで流したものですから彼女はすっかり有名人になってしまいました。

     そうして本来なら十二月で役員改選があってアタシたちは離任式を迎えるはずだったのだけど、この火事騒ぎで、三学期までの役員期間延長になってしまったわ。特に二学期中は迫館市内の他の中学から援助物資が届いたり、臨時の鮫田地区中学ブロック会議などが開催されたりしたので、アタシたちはまた目の回るような忙しさだったわ。

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     そしてようやく年が明けた昭和五十五(一九八〇)年一月三十一日木曜日、紅陽会役員の改選選挙が行われ、会長に野添文憲君、副会長に菊田純子さんと澤村恵子さんが選出されたわ。彼らは学年を跨いで、六月まで前期役員として紅陽会のために働くことになったの。
     さらに三学期の終了に併せて、鷺舞先生が依願退職をされたわ。原因は不明ですが、おそらく先生なりにいろいろ悩んだ果てのことだったのでしょう。

     そしてアタシたちは三月に柳野中学校を卒業してそれぞれの道に進んだわ。
     孝一郎君は私立の進学校である迫館ル・カーレは落ちたものの、公立の伝統校で旧制迫館中学であった迫館中央高校に合格し、みどはやはり公立の迫館東照に進みました。平君は予定通り迫館高専に入学しました。
     え、アタシですか?
     アタシは皆んなと違ってやはり公立の西稜高校に落ちてしまい、私立三愛女子校に進みました。
     実はこの高校はカトリック系の学校で、父は
    「日蓮宗の寺の娘がカトリックなど何事だ!」
    と言って怒っていたけど、アタシだって好き好んで公立に落ちたわけではないことを説明すると父もわかってくれたの。
     そしてこの高校では何とあの小山靖子さんと一緒になったの。彼女は高校に入ってから、というよりあの柳中の火事での感動的なアナウンス以来ものすごく積極的になって、高校時代にたまたま見学に行った霧山透主演の映画「出港」のロケで、金子健二監督に見初められていきなりエキストラ出演ながらスクリーンデビューを果たしたばかりか、学校が離れ離れになって孝一郎君のことはキッパリと諦めがついたのか、英語講師のサム・ピーポディ先生に熱愛になってしまったりしたんだけど、それはまた別の話よね。
     ともかくこうして別々になってしまったアタシたちだけど、卒業後も何度かは市内の喫茶店に集まって情報交換していたわ。
     平君は高専が面白くて仕方ないみたいだったし、将来はやはりお父さんの写真館を継ぐって言ってたわ。
     孝一郎君はともかく中央の授業について行くのに精一杯で、学校は何にも楽しくないって言ってたわ。あの中学の時の強気な彼の面影は薄れてしまったみたいだったわ。でも高校を出たら京都に行きたいとかって言ってたわ。まぁ彼のことだから自分の欲しいものは手に入れると思うわ。
     みどは高校でもバスケに夢中のようね。孝一郎君が
    「彼氏はできたのか?」
    って聞いても笑って首を振るばかりなの。アタシその時になってようやく気がついたんだけど、誰にでも優しくて皆んなのお姉さんみたいなみどは案外恋愛下手なんじゃないかしらって。それが逆に誰からも受け入れられる母性のようなものに昇華したんじゃないかしら?
     「そうか、じゃあみどはまだ処女なわけだ」
     孝一郎君があからさまにそういうと、みどはフルーツパーラーの中で大声で
    「馬鹿ぁ!」
    と言って、孝一郎間の肩を思いっきり叩きました。
     こんなことなら中学の時に思い切って孝一郎君にアタックするかされるかすれば案外丸く収まったんじゃないかって他人事ながら思ったの。
     それよりアタシたちのこんな穏やかで楽しい関係はいつまで続くのかしら?孝一郎君が迫館を去って京都に行ってしまうまでかしら?まぁなるようになるわね。
              了


     第二話 碧の涙 ②  逆光の距離 だから言ったでしょ

     第一回 焼け跡と、灼けたコンクリートと女の匂いの記憶

    俺の名は水島孝一郎。数年前から、この北の港町迫館さこだてで私立探偵を営んでいる。

     今夜も俺は中学の同級生で、今は愛人関係にある、ミッキィこと加賀谷美樹の経営するバーラウンジ「アンバサダー」のカウンターに座ってジョニー・ウォーカーをすすっていた。

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     店内では有線放送が流れている。今夜はお抱えピアニストの塩田が、知り合いの音楽家の演奏会に客演奏者として呼ばれて休みを取っているのでBGMとして流しているのだ。俺たちに取っては懐かしい80年代のJポップやニューミュージックが次々と流れていた。やがてドラマチックな異国風のイントロが流れ始めた。
    「異邦人だ!」
     やはりカウンターの俺とは反対の端でサッポロビールの赤星の小瓶を飲んでいた圭介がそうひとりごちた。
     彼、加賀谷圭介も俺やミッキィと同じ迫館市立柳野中学の同級生で、今や迫館を代表する建設業加賀谷組土木建設株式会社の二代目社長として、その名を轟かせている、ミッキィの亭主である。
     しかし、自分の乱倫を棚に上げて、妻の不倫の相手が俺と知れると、却って安心したのか、その歪な形の三角関係は一定の安定感を持って保たれていた。俺自身、この街で開業するに当たって彼ら夫妻の力を借りていたし、逆に圭介が巻き込まれそうになった詐欺事件を未然に防いでやったこともあった。

     異邦人は俺たちがその中学3年の1979年に、彗星のように現れた久保田早紀のデビュー曲にして最大のヒット曲だった。
    「この曲を聴くと今でも鮮明に思い出すなぁ!」
    圭介がしみじみと言うのに被せてミッキィが、
    「みどりさんね。あれは女のアタシの目から見ても強烈すぎたわ」
    とため息まじりに言った。
     2人が言ったのは、中3の時の文化祭「紅陽祭」の中で生徒会である紅要会役員が演じた「アラビアン・ナイト」の中で、副会長だった桑坂みどりが、アラビアン・ナイトの語り手シェエラザードに扮して緑のベールを振るって踊ったベリー・ダンスのことである。当時から170センチ近い長身の彼女がヘソ出しスタイルで腰を揺らして踊るさまは、思春期真っ只中の男女生徒に強烈な印象を残したのだった。

    孝ちゃん、彼女のこと好きだったんでしょう?」
     「まぁな」
     俺はさりげなく答えた。
     「なんだ妬いてるのか?」
     「バカバカしい。50年近く前の話よ。だいたいアナタは成績優秀で品行方正な生徒会長。みどりさんは才色兼備の副会長。生徒会公認のカップルだったじゃない!」
     「ところがだ、俺たちは互いに告ったこともないし、実際付き合っていたこともないんだ」
     「へぇ、そりゃ初耳だ。孝一郎お前がそんな奥手だったとは思いもしなかったぞ」
     「バカヤロ圭介、お前と一緒にすんない!」
     「なあんだ。そんなことならアタシからアタックすればよかったわ」
     「そういえばミッキィ、お前はコイツに惚れていたんだよなぁ?」

    「ところでよ、その副会長のその後はどうなったかお前は知らないのか?」
     圭介が残ったビールを空けて言った。

     「みどさんは、東照高を出て大手都市銀行の○○銀行の迫田館駅前店に就職して窓口嬢になった。俺は京都での学生時代に、その銀行を使って親から仕送りしてもらっていたから、夏休みなどの帰省ごとに駅前店に顔を出して手を振ったりしていたが、その後アメリカに渡ったから、その後のことはわからなくなった」
     「なんだそれっきりか?」
     「ところが、俺は銀行の業務についてはよく知らないが、彼女はよっぽど優秀だったんだろうな?高卒女性としては異例の出世をして、その後北関東某県某都市の支店長になった。さらに東京本店に抜擢されたことまではわかっている」
     「なんだ詳しいじゃないか?」
     「俺はこれでも調査のプロだぜ!」
     「確か○○銀行と言ったら、その後の銀行再編で統合合併して今では青空銀行だな?その東京本店勤務かよ!おそらく統合時に熾烈な出世競争が男性行員の中でも繰り広げられたはずだ。そんな中で地方都市の高卒から女性として総合職に就けただけでも大出世だが、その上支店長とか本店勤務なんて、信じられないような出世だよ。女太閤、郷土の誉れだ!」
     「つまり手の届かない女になっちまったってことだよ」
     「うーん、それで今のことはわからないのか?もう調べてはいないのか?」
     「遥か昔に淡い恋心を抱いていた人のことをいつまでも想っていたら、今はミッキィの嫉妬の方が怖い」
     「はは、もっともだ」
     三人でそういうたあいない話をしながら、中学時代の思い出話はいつものように卒業と受験を目前に控えた十二月七日の学校火災に及んだ。

    それは二学期の期末テストの前日の深夜だった。三本ある校舎の木造部分である一本半を灰燼に果てさせた火災は、無人の保健室が火元と断定され、放火説が優勢を占めた。
     テストを受けるのが嫌な生徒による犯行も疑われ、前日の保健室の掃除当番だった俺たちにも疑いの目は向けられたと後から聞いたが、侵入してベッドで寝ていた浮浪者のタバコの不始末という結論に落ち着いたが、俺には文化祭を中心に起こった事件に関して思い当たる点もないではなかった。

     一般の生徒は朝に登校して焼け落ちた校舎を見て呆然と立ち尽くし、女子生徒の中には泣き崩れる者たちもあった。
     生徒会役員の中でも三年生の会長と副会長である俺とみどさんには早朝に学校から呼び出しがあり、校長や生徒会顧問の先生から説明を聞き、生徒登校後にグラウンドで臨時の生徒総会を開くから、生徒会長たる俺には、生徒に動揺せずに気持ちを落ち着かせること、明日からは先生たちとPTAを中心に現場の片づけと復旧に着手するが、生徒は焼け残った部分の掃除を指示の元で行うことを伝えるようにとのことであった。
     普段から全校朝礼での会長挨拶には慣れているつもりの俺だったが、さすがに場合が場合だったためにいささか狼狽していたのを覚えている。
     しかもその場で話す内容を組み立てなければならない。俺は当時から原稿などは一切持たない主義だったが、自分の動揺は隠せなかった。
     そんな時に、隣に立って先生の話を共に聴いていたみどさんが
    「あー会長、これ以上ない卒業記念になっちゃったわね」
     と静かな、しかしキッパリとした声で言った。
    『なんてこった、彼女はなお前を向こうとしている!』
    俺は彼女の芯の強さに驚愕した。
     もっとも人の心の中なんて覗いて見る術などないのだが、焼け跡に立つ一五歳の少女の発言としては力強さの中に一種の諧謔すら感じたものであった。
     一年生の時に東京から転校してきて、三年時には女子バスケ部のキャプテン。紅陽会四役の中でも、まるで全員の姉のような雰囲気を醸し出していた彼女はまた学年のアイドルの一人でもあった。
    紅陽会では会長と副会長という立場で、俺の方が上であったし、クラスが違ったから、単純な成績の比較などできなかったが、道南随一の進学校を希望していた俺に対して、彼女は二番手校を志望していたから、中学性としては俺の方が上だと思っていたが、一五歳の人間としては彼女の方が器が上かもしれないと、燻る焼け跡の臭いの中で、その時の俺は漠然と思ったものであった。
     そして俺には、また忘れられない思い出があった。

     一九八〇年八月二十四日、日曜日。
     道立迫館中央高校一年生の俺は桑坂みどりに電話した。
     「あら会長、どうしたのよ?」
     「なぁみどさん、海に行かないか?」
     「海ぃ?」
     「ああ、今日は夏の終わりにしては突然の暑さだ。昼の道内ニュースでは午前中に早くも真夏日を観測したそうだ。これが今年初の真夏日だってさ!
     しかも天気予報を裏切って、南国のような好天だ。夏休み中も夏期講習やら柔道部の練習で休む間もなかったんで、ちょっと骨抜きをと思ってな。平やデコにもこのあと声をかけようと思っている」
     「そうね、皆んなに会うのも久しぶりだし、私も今日はバスケ部の練習はないわ。海ってどこに行くつもり?」
    「大森浜でいいと思う。遊泳禁止だが、浜辺で遊んだり,肌を焼いたりはできると思う」
     「いいわ、了解。これから支度をしてパパに車で送ってもらう。会長はどうやって?」
     「俺はチャリンコで行くさ」
     「わかった。じゃあ二時に小公園でどうかしら?」
     「OK楽しみにしている」
     そうして俺は電話を切った。

     紅陽会四役のうち、同じ三年生だった書記の平敬一と、デコこと諸住うてなと俺とみどさんは在学中から強い結びつきがあり、それぞれが異なる進学先に進んだ後も、何度か本町のフルーツパーラーに集まって近況報告をしたり、情報交換をしていた。

     その日の迫館は、ほんの一日だけ南の町になった。そして俺はほんの少しだけ子供ではいられなくなった。

     自転車を降りると大森浜の文学記念小公園のベンチに座ったみどが笑いながら語りかけてきた。
     「平くんとうてなは?」
     「それが二人とも来れないんた。平は高専の夏休みの研究が終わらないそうで学校に行ってるし、デコはこの暑い最中に熱を出して寝込んでいる。みどによろしくということだった。 どうする?俺と二人っきりだが」
     「そう、残念ね。アタシは会長と二人でもいいよ。ここまで来ちゃったんだし」

     そうしてみどは、羽織ってきた水色のパーカーと白いショートパンツを脱いだ。家からあらかじめ水着を着て来たのだ。
     驚いた。
     なんと目のやり場に困るような白いビキニを身に付けていた。しかも下は紐パンだ!
     元々一七〇センチ近い高身長だったが、その下の肉体がこんなに大人びていたことを初めて知った。半年前のベリー・ダンスの時よりさらに成熟したようだった。

     「なぁに会長、どこ見てんのよ‼️」
     「いや、みどがこんなに色っぽくなってたとは驚いた」
     「会長こそムキムキじゃない?さすがに中学からずっと柔道部なだけあるわ。まだ続けてるんでしょう?」
     「ああ、進学校の柔道部なんて弱小運動部だけど、高校のうちに黒帯だけは取りたいと思ってるんだ。それに俺、そんな弱体柔道部にでも打ち込まないと、おかしくなってしまいそうなんだ」
     「どうしたの?会長らしくない。春に聞いた時みたいに、やっぱり勉強がキツいの?」

     「ああ、帰宅後に毎日四時間の予習復習をしても授業に着いていくのかやっとだ。あっぷあっぷだよ!」
     「さすが中央レベルが違うわね?」
     「できる奴らとは根本的な頭の構造が違うと思う。クラスには一年生の今から東大を目指している奴もいるんだ」
     「へぇ、すごいわね!」
     「昭和中から来た後藤賢太郎というんだけどね、進研模試で全国一位になった」
     「全国一位?」
     「全科目満点を取れば当然そうなる。まぁ同率首位だけどね、ゴトケンに言わせれば、まだ高校一年の一学期だからそんなに難しい話ではないらしい。どう思う、こんな奴らと毎日机を並べているんだぜ」
     「そりゃあストレス溜まって当然よ!」
     「最近なんか俺はおかしくなったような気がする。よく眠れないし、その分朝は起きれない。学校を休むこともしばしばだ」
    「強気の孝一郎くんらしくもないわね。でも会長はまだコートの中にいるし、シュートも打ってはいないわ」
     「そんなわけでのうさ晴らしに付き合ってもらって申し訳ない」
     「ううん、何言ってんの?それより浜に降りてみましょうよ!今日なら泳げるんじゃない?」
     「ここは遊泳禁止だぞ、岸から数メートルで急に深くなってるそうだ」
     「こんなところに突っ立ってるわけには行かないし」

     彼女はそう言うや、コンクリートの擁壁を越えてテトラポッドの上に立った。
     「ほら、早くいらっしゃいよ!」

     俺はそう言われて遅れてテトラポッドに登ろうとした。みどはテトラポッドのてっぺんでポーズを取った。必然的に俺は下から見上げる形になった。

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     「ちょっとジロジロ見ないでよ、いやらしいわね!」
     「そんな悩殺的な水着を着て来る方が悪い。見てくれって言ってるようなもんじゃないか?」
     「高校生になったからせっかく買ったのに、今年は寒くて一度も着る機会がなかったのよ。こうなったら会長にしか見せるほかはないわ」
    「俺にしかってのはご挨拶だなぁ」

     そう言って、俺がみどの乗っているテトラポッドに足をかけた時、彼女は場所を譲って自分は隣のテトラポッドに移ろうと、足を乗せた瞬間、上に薄く積もった砂で足を滑らせた。
     「キャッ!」

     俺はその声が聞こえる寸前に自分の身体を引き上げると同時にみどの左手を取って自分の胸の中に引き寄せた。
     そこはさすがにバスケ部選手だ。バランスを崩すことなく俺の胸に抱かれた。
     こっちだって、もう四年も柔道をやって体幹を鍛えているんだ。足場の狭いテトラポッドの上で若い女性の身体をホールドするくらい難はない。
     しかしその若い身体は弾力があり,嗅いだことのないい匂いがした。
     「大丈夫かみど?」
     「ごっめーん、危ないところだったわ。会長助けてくれてありがとう」
     「礼には及ばんさ。それより大丈夫か?足を捻ったりしていないか?」
     そう言った時,俺は自分の胸が早鐘のような鼓動を打っているのに気がついた。
     そしてそれはその胸に抱かれているみども当然気がついたはずだ。
     「ちょっと会長、息できないんだけど」
     彼女はそういたずらっぽく笑ったのが見えた。

     彼女は俺の右腕を静かに振り解くと、一呼吸おいてひょいと、次のテトラポッドに乗り移った。 
     「会長、顔が赫いわよ!」

     みどのいなくなったテトラポッドの灼けたコンクリートと吹き寄せる潮の臭いが、それまでの甘い女の匂いをかき消した。
     「ありがとう会長、今日のことは忘れないわ」

     迫館山を背景に逆光を受けた彼女の身体から純白のビキニだけが浮き上がって見えた。

     二人はその後波打ち際で海水と戯れたり、テトラポッドの上で甲羅干しをしたりした後、公衆トイレで着替えをして、近くのレストランでクリームソーダを飲んで別れた。

     「会長、秋にバスケの試合をやるの。見に来てくれない?」
     「試合?対外試合かい?」
     「ううん、東照高校女子バスケ部は、なんらかの事情で長らく廃部扱いになっていたのね。で、現在の三年生の先輩たちが入学後に一応同好会的な立ち位置で再開して、ようやく今年から改めて女子バスケ部として認可されて学校から予算も降りたわ。
     でもそんな有り様だから、多分会長のところの柔道部より弱小団体なの。現に一年生のアタシでも準エース扱いなのね」
     「ほぉそりゃあすごいじゃないか?」

     「ただね、まだ注目度は低いままだし、校内からは『あってなきもの』みたいな扱いなわけ。
     それで悔しいから、来月男子バスケ部に対抗戦を申し入れたのよ」
     「ふうん、それで?」
     「鼻でせせら笑われたわ。女の遊びに何ができるんだってね。それで男子の鼻を明かしてやりたいのよ!」
     「相変わらず君は前しか向いていないんだな?わかった、応援する。日程が決まったら教えてくれ。今度こそ平とデコも誘って行くよ」
     「ありがとう、約束よ!」

     二人の間にそれ以上の進展はなかったし、思わずバランスを崩して転落しそうになったのはみどの方ったが、なんだか俺の方が羞恥心を覚えたままだった。そんなみどが語った熱い決意に俺は眩しさを覚えた。

    遠い夏の日、俺の胸の中にいたのは俺よりずっと大人びた一人の女だった。

    第二回 鬱病と天才

    九月になった。北の秋は早い。
     二学科早々に行われた実力テストの結果は惨憺たる有り様だったし、再開された授業はスピードを上げ、俺は数Ⅰに関しては、付いて行くこと自体が困難になっていた。
     席が近いゴトケン(後藤賢太郎)にわからないところを教えてもらおうとしたが、彼からは
     『俺はなぜお前が、コレを理解できないのかがわからん!』
     と言われる始末であった。

     この迫館中央高校は、前身が旧制中学であり、国公立大学進学が必須使命であったが、俺は早くもこの時点で、四期上の世代から導入された共通一次大学入学テストを経て、さらに志望大学の二次試験に挑む気力を失っており、進路が確定する三年時には、私立文系クラスを選択せざるを得ないだろうなという予感があった。

     この頃から俺はそれまでの不眠症に加えて、腹痛と下痢を頻繁に繰り返すようになった。
     今にして思えば初期の鬱状態だったと考えられるが、この時代、まだ精神科の敷居は高く、北海道の地方都市では心療内科などという言葉もなかったし、何よりまだ十六歳になったばかりの少年が掛かるような専門的な医療施設もなかった。
     俺は内科に行って、慢性胃腸炎の診断を受け薬を飲む日々が続いた。
     街中では、久保田早紀の新曲「九月の色」が流れていた。
     それまでのエキゾチックムードから一変して思いっきりのシティポップだったが、軽やかな曲調に反して哀愁を帯びた歌だった。

     授業に力が入らない分、柔道部の練習には集中した。冴えない体調も、思いっきり身体を動かしている方が気にならなかったし、無心になれた。
     高校の柔道では絞め技と関節技が使えるようになる。そこが中学までの少年柔道との違いだ。
     俺は中学の頃から寝技は得意だったが、これに絞め技と関節技が加わり、さらに磨きをかけた。そのうち上級生から「アナコンダ水島」という芳かんばしくない異名まで頂戴した。俺は上級生でも絞め落とすことを厭わなくなったし、そのうち黒帯の三年生とも寝技では互角に闘えるようになった。
     むせかえるような饐すえた臭いの道着の襟に顔を埋めると、みどの「会長はまだシュートを打っていない」という言葉が甦った。
     彼女も必死にシュートの練習を繰り返していることだろうと思いながら……


     「なんだい、結構淡くプラトニックな話じゃねぇか?若かったとはいえ、今の孝一郎からは思いも及ばんな!」
     ガラス鉢に盛ったカシューナッツを口に放り込みながら圭介が言った。

     「まぁ、俺はお前は中学の時は真面目一辺倒の堅物だと思っていたからな!」
     「そういえば孝ちゃん、鬱病の治療を受けているって手紙をもらったこともあったわね。圭介覚えてない?」
     「へぇ、そんなこともあったっけ?俺たちが結婚してからのことか?」

     「ああ、アメリカからの帰国して京都で探偵事務所を開業する前のことだから、アンタたちの結婚前か後かはわからない。古い名簿を頼りにミッキィの実家の住所に手紙を書いたような気がする。
     アメリカには結局は五年いたことになる。
     その間ずっとフィラデルフィア市警での武道マスターの仕事は続けていたし、私立探偵のドノヴァンに助手としても雇われていたから本場の経験を積むこともできた。しかし、表面上は完全に癒えたとはいえ、アメリカ赴任早々に起こった事件で撃たれた太腿の傷はその後も俺の心の中にしこりを残していたんだ。そのしこりが五年ぶりに帰って来た日本で再燃したわけさ。
     アメリカ北東部に位置し、温暖湿潤気候のフィラデルフィアは日本の太平洋側と似た気象条件だが、盆地であるあの京都の夏の、湿式サウナ室に閉じ込められたような暑さには及ばない。それですっかり体調を崩してしまって、町医者だが、精神科を受診したらうつ病の診断を下されたってわけさ。若い頃からの病歴、身体状況について問診されたら、おそらくその高校時代に最初の発症があったのだろうという診たてだった。なにしろ俺にとって高校の三年間は人生の暗黒期だったからな」


    第三回 絞める男と跳ぶ女

    それはその年、一九八〇年の九月二十二日、月曜日のことだったと思う。
     俺はスマホで、一九八〇年のカレンダーを呼び出して確認しながらそう言った。

     高校時代の俺は学校から自転車でまっすぐ帰宅すると、夕食まで二時間くらい昼寝をするのが普通だった。そして夕食後0時過ぎまで予習復習に当てるのだ。
     その日はまた一週間の始まりで朝から気分的に滅入って、ダウンするようにベッドで眠りに落ちていたのだが、母親のノックの音で目を覚ました。枕元の時計を見ると午後七時を指していた。
     「ちょっと、桑坂さんから電話なんだけど」
     そう告げられて俺は跳ね起きた。

     玄関前の廊下にある電話の受話器を取ると、みどの声が弾んだ。
     「ああ、会長今大丈夫?」
     「ああ、寝てたんだ。ところで突然どうした?」
     「ごめん、起こしちゃった?」
     「いや、どうせそろそろ夕食だ。ちょうどいいタイミングだった」
     「それならいいんだけど……あのね会長、こないだ海で話した男子バスケ部との対抗戦、今度の日曜日にあるの。来てくれるでしょ?」
     「日曜日か……」
     俺はそう言って、電話台の上に立ててある、母親が銀行からもらって来た三角スタンド式のカレンダーに目を落とした。
     「二十八日だな?」
     「そう、二十八日、午後三時試合開始。場所は東照高校体育館。オープン観戦形式よ。来てくれるでしょ?」
     みどは受話器の向こうで甘えるような声を出した。
     正直、俺は少々迷った。自分の体調の悪さと落ち込んだ気分では、あの天真爛漫な明るさがちょっと重荷に感じたのも事実だった。
     「次の日曜日か……?」
     「都合悪かった?」
     「いや、そうではないけど、ちょっと体調がな。
     先日も言ったけど、気分と体調の浮き沈みが激しいんだ。今月に入ってから急に秋めいて来たせいもあるんだろうけど、最近では頭痛さえまとわりつくような感じがずっとする」
     「そうかぁ、無理かぁ?」
     「ごめん。本当にごめん」
     「ううん、会長が謝ることなんてないよ。ストレス抱えてるのにプレッシャーはかけられないわ。気にしないで、会長の体調の方が優先よ!」
     俺は受話器を握りしめたまましばし考え込んだ。
     「いや、やっぱり行くよ、ほかならぬみどの意地がかかった大事な試合だ。謹んで招待を受けさせてもらうことにする」
     「ほんと?無理しないでよ!」
     「大丈夫、今週大人しくしてれば持ち堪えられる。それで、平とデコについては……」
     「ああ、それはアタシから誘ってみる。会長は、大人しく身体を休めていて」
     「わかった、頼む」

     そうして俺たちは当日の待ち合わせについて何点か取り決めをして電話を終えた。
     受話器を戻した時、なぜだか、あのテトラポッドの上の鼓動を胸の奥に感じた。
     それから土曜日までは、授業はもちろん柔道の練習にも力が入らなかった。毎晩一〇時過ぎには必ずベッドに入る生活が続いた。
     その甲斐あって、日曜日にはかなり爽快な気分で朝を迎えることができた。
     すでに脳裏には躍動するみどの姿があった。

     朝から冷たい雨が降る日曜日、俺はバスで柳井町にある東照高校に向かった。
     皆が皆、バスケの試合を見に来たわけでもないとは思ったが、雨の日曜だというのに、部活の練習があるのか、広い敷地内には結構な数の生徒の姿が見られた。

     東照高校は、公立校だが、道立の中央とは違い、迫館市立校で、公立校ではいわゆるNo.2のポジションにあった。その分、ガチガチの進学校の中央と異なり、明るく開放的で、自由闊達な校風で知られていた。服装は中央と同じく制服のない私服校だったが、女子の比率の方が多く、それだけに華やかな感じがしたし、男子生徒は女子の目を気にしておしゃれには気をつかうと、俺は柔道部の先輩に聞いたことがあった。
     その点、男子比率の方が圧倒的に高いわが校では、男子生徒などは年中ジーパンに同じウインドブレーカーで過ごす奴もいて、むさくるしさが充満していた。
     中学時代には、東照に行くと必ずカップルになれるという噂がまことしやかに流布していたが、それが事実かどうかはさておいて、わが校ではそんな浮かれた話の余裕は少なかった。
     大半の生徒にとって追わなければならないのは異性より、やがて来るであろう大学受験であり、毎月行われる実力テストと進研模試における席次だった。

    というわけで、雨の日曜日だというのに、どこなく華やいだ雰囲気のある俺が初めて訪れた東照高校体育館の通用門の前で、約束の午後二時半にみどは待っていた。
     すでにアップを終えているらしく、ユニフォームから覗く汗ばんだ肩に俺はまた女の色気を感じた。やっぱり無理してでも来てよかった。

     「平とデコは?」
     「それがね、今日も二人ともダメだったの。会長と同じ日に電話かけたんだけど、平くんは写真研究会の展示発表に当たっているそうだし、うてなは札幌のお爺さんが危ないらしくて、昨日から家族でお見舞いに行ってるわ。」
     「そうか、でも今日もみどを独占できるわけだ。ビキニは着てないけどな」
     「馬鹿ぁ!」
     彼女は屈託のない笑顔を見せて俺の左腕を取って、そのまま体育館の中に誘導する。

     「おいおい、見かけない男とこんな格好で歩いて大丈夫か?」
     「平気よ。誰かに問い詰められたら彼氏って紹介するわ!」
     「ヤバいべや⁉️」
     「なぁに、不満なの?」
     「べ、別にそんなわけじゃないけど……」
     「じゃあ大人しく言うことを聞いて。今日はアタシの彼氏らしく振舞ってよ!」

     また俺の鼓動が胸を叩くのを感じた。
     それは柔道で対戦する前の緊迫感とは違い、どこか自分の心臓ではないべつの器官が俺に何かを訴えているような気がした。
    「こんな初心うぶだったのね?会長、また顔が赫いよ」
     みどはそう言って白い歯を見せた。

     どこでも好きなところで見ていて、立ち見で悪いけどと言われて、俺は北側のゴール裏に陣取った。バスケのルールは詳しいことは知らなかったが、二〇分ハーフで、コートチェンジがあるということなので、どっちにいても彼女を応援することができると思った。
     (のちにルール改正で、一〇分クォーター制になった)

     一応みどから彼女の女子チームのメンバーを表にしてもらったので、ここに紹介する。
     誘われた時にルールをよく知らないと言ったら、
    「ともかく、終了のブザーが鳴り終わった時に、点が多い方が勝ちよ」
    「それくらいは知っている」
    「でも、この鳴り終わった時というのが肝心なの。終了ブザーがなっている間のゴールはポイントとして認められるの」
     「それは柔道も同じなんだ。終了直前に相手を崩して動作に入っていれば、その技は認められるんだ。それじゃあ最後までやってる方はもちろん、観る方も気が抜けないってわけか?」
     「そうよ、だから本場アメリカでは、エンターテイメントスポーツとして、野球やアメフトと並ぶ人気があるわ!
     まあ細かいルールは知らなくても楽しめるから、当日はメンバー表だけを渡すわね。」
     そうしてこの日彼女から渡されたメモには、簡単なコートの図とポジション、そしてそこに選手の名称と名前、学年が細く丁寧な文字で書かれていた。
     中学の生徒会の時には、書道二段の書記であった諸住うてなの陰に隠れて気が付かなかったが、その内面を窺わせる落ち着いて美しい文字だった。

    ポイント・ガード(PG)①  杉谷美香(三年)          シューティング・ガード(SG) ② 山川みなみ(三年)
    スモール・フォワード(SF) ③ 今井雪子(一年)
    パワー・フォワード(PF) ④ 桑坂みどり(一年)
    センター(C) ⑤ 朝岡和美(二年)
    控え選手 望月朱美(二年)
     という布陣だった。もちろん俺は誰一人面識はないが、いかにも現在の三年生が一昨年同好会として復活させ、今年ようやく運動部として認められたという弱小チームに思えた。
     ちなみに、正式に女子バスケットボール部として登録されたので、今年の春の高体連では公式戦に出場資格を得たが、全戦全敗だったことを先日の海でみどから聞いていた。
     そのことが男子バスケ部の嘲笑を買い、「お遊びバスケ」と陰口を叩かれるきっかけになったと、彼女は憤りを俺にぶつけて来た。

     そうこうしているうちに前半戦が始まった。

     俺が立つゴール裏はみど側のチームのものだった。つまり男子チームが攻め込んで来る真正面ということになる。
     女子チームはけちょんけちょんにされた。

     だいたい体格からして闘いにならない。
     東照高校男子バスケ部の道南地区における実力がどのくらいかは知る由もないが、少なくともその高さと大きさにおいて、女子チームを圧倒的に凌駕していた。
     当時身長一七三センチの俺から見て、高校生になってからおそらく一七〇に達したであろうみどもかなり背が高いと思っていたが、さすがに男子チームは軒並み一八五オーバーの大男揃いだった。
     唯一、一番の背番号を付けたポイント・ガードだけは一七〇台に見えたが、コイツがまた速い。正確なパスを出す。そして的確な指示を出すと同時に自身はコートを縦横に駆け回る。さらに最終的にゴール下にいる一九〇センチくらいあるセンターにパスを送り、コイツがゴールを決めるわけだから、せいぜい一七〇クラスのみどたちが必死にガードしてもまるで歯が立たない。
     次々とネットを揺らされた。
    俺はそのたびに背中がざわつくのを感じた。

     それでも女子たちも果敢にシュートを放つが、男子の高いディフェンスに阻まれ、なかなか得点には結び付かなかった。
    かろうじて相手の故意ではないにせよ、力任せのファウルによって獲得したフリースローでの得点に頼らざるを得ず、みども何ポイントかを獲得したが、それを外すと会場の男子生徒から失笑が漏れた。

     それにしても彼ら彼女らは速い。
    コートを駆けて、跳んで、打つ。
     それらすべては俺が日頃親しんでいる柔道とはまったく別な動きだった。
     接触競技ではないとはいえ、ゴール下でのシュートでは男子のブロックに、女子は苦もなく撥ね飛ばされた。
     いつしかみどの肘にも血が滲んでいるのがわかった。
     顔をしかめて歯を食いしばって何度も立ち上がったが、俺と目が合うと、その都度笑顔を見せた。
     そう、いつも彼女は笑っていた。
     思えばあの中学の焼け跡の前でも、みどは涙を流さなかった。それどころか軽口を叩いて笑顔さえ見せたのだった。
     けどあの時も今も、笑顔の下には燃えるような想いがあったに違いない。

     今ようやくわかった。彼女は跳ねる女だった。疾駆して跳ぶ女。
     一方の俺は叩きつけ、絡め取り、絞める男だ。
     勝利という目的は同じでもアプローチが違う。スタイルに差がある。それに生まれ持った資質が加わり、それぞれの人格形成に至ったのだろうと思うと、俺はなぜか首筋に戦慄を感じた。
     同じフィールドで闘って来たんじゃなかった。テトラポッドの上に立つみどは逆光を受け、俺はその眩しさに言いようのない距離感を感じた。でも光があるから闇を照らすんじゃない。そもそも比較することができないことを俺は改めて知った。

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    女子の顧問監督は、椅子に掛け、腕組みをして唇を噛んでいた。
     開け放った通用門の外から、湿った空気と雨の匂いが、体育館の中に流れ込んでいたが、
     選手たちの動きにつれてキュッキュッキュッと床が鳴り、バッシュのゴム底の焦げる臭いが鼻を突くようにも感じた。
     しかしそれはもしかしたら実在する臭いではなく、俺の焦りがもたらした幻覚だったのかもしれない。


     「やっぱりいいようにあしらわれたのか?まぁそうだろうな?高校生の男女では圧倒的な体格差がある。確かにバスケはスピードと戦略重視の一面はある。しかし高さで競い合って勝てるはずがない。リバウンド勝負になったら歴然だ!われらがヒロインは敢えなく涙を飲んで、お前とはそれきりのお別れという青春ストーリーってわけだ?」
     圭介が不敵に笑ってそう言った。普段あまり酒に強くない彼はすでに茹で蛸のような顔色をしていた。

     「ところがそうでもないんだな」
    「なんだ、まだ続きがあるのか?」
    「もちろん、これからがクライマックスだ!ところでミッキィ、喋りすぎて腹が減った。何か喰うものはないか?」
    「ウチにはフルーツがおつまみくらいしかないわ。江春楼から何か取りましょうか?」

     江春楼とはアンバサダーと同じホテル・ポートプラザに入っている中華料理店だ。俺は海鮮焼きそばを頼んだ。

     「それで孝一郎、クライマックスはどうなった?」
     「まぁ待て、それより、さっきミッキィが俺の書いた手紙のことを言ったので思い出したんだが、俺はあの時期に、ここ迫館で、みどさんに会っていたんだ」
     「何よ、アタシには手紙しかくれなかったくせに!」
     「ほら、やっぱり嫉妬した!」
     俺がそう言うと、ミッキィはおしぼりを俺に投げつけた。

     「富丘町の白梅軒だったはずだ。まだ雪が残っていたから3月だったかな?」

     「そう、会長はアメリカに行ってたのね?」
     「おい,もう会長はないだろう?あれから十五年も経ってるんだぜ!」
     「そうね。でも孝一郎くん、貴方撃たれて亡くなったって噂があったわ」
     「おいおい、今言った通り撃たれたのは事実だが、こうしてピンピンしてる。勝手に殺さないでくれ」
    「噂よ噂!まさかご自宅に電話して『孝一郎君亡くなったんですか?』って訊けるはずもないじゃない?だから一昨日の夜に電話をもらった時には幽霊からの電話って驚いたわ!」
     「みどがまだ実家にいてくれてよかったよ。結婚して家を出てるんじゃないかって言う不安でいっぱいだったけどね」
     「嬉しい!気にかけてくれたのね。でもね孝一郎くん、アタシ来月盛岡に転勤なの」

     「転勤❗️女子行員に転勤なんてあるんだ?」
     「アタシは総合職に登用されたの。それで先日、盛岡勤務って辞令が下りたのよ。だからこれ以上ないタイミングで電話をもらったことになるの。幽霊でもお化けでも飛んで来るわよ❗️」
     「そりゃあすごいや、大出世だなぁ!見事に3ポイントを決めたってわけだ、おめでとう‼️」
    「ありがとう、でもまだまだブザーが鳴ったわけではないの。これはあの時と同じ、終わりではなくてリスタートなの」
     「昔から君は前だけを向いていた」
     「ううん、あの時も今も、あなたは憂鬱な顔をしてどん底気分を撒き散らしていたけど、アタシだって悩んでいたし、頭に来ていた。
     けど、あの試合で、孝一郎くんが見てくれてたあの試合で再スタートが切れたんだわ。アタシはゴールを決めたんじゃなくて、スタートを切ったのよ!」

     「焙煎したコーヒー豆の芳しい香りに包まれながら、みどはそう言って微笑んだんだ。」


     最終回 ブザー・ビーター

     「やれやれ、こりゃ話にならんな」
     ハーフタイムでそう呟きながら体育館を後にする男子生徒が目立ち始めた。残った観衆の中にもあからさまな嘲笑が広がっていた。
     後半開始前に円陣を組んだ女子チームからは「オー!」という掛け声が起こったが、それすらも「まだやるのかよ?」という、嘲りの対象でしかなかった。
     コートチェンジが行われ、俺は常にみどの顔が見えることになった。みどはもう笑ってはいなかった。かといってその目には絶望の色はなかった。静かに燃えているのがわかったし、それは他の女子部員たちも同様だった。何が彼女たちを鼓舞するのか、徐々に冷えて行く会場の熱気の中で、少女たちだけはその熱量を維持しているように見えた。

    女子チームは戦法を明らかに変えて来た。山川・今井・浅岡の疲労が激しく、特に一年生である今井の疲労が顕著なのは俺の目からでもわかった。そこで監督は後半は今井に替えて、控えの二年生である望月朱美を投入した。
     二年生なのに先発メンバーに選ばれなかったのは、実力が劣っているのだろうと思う。
     おそらく全戦全敗だったという高体連の公式戦でも敗戦処理としての使われ方をして来たのかもしれない。
     しかし、キャプテンでポイント・ガードの杉谷美香は別の選択をした。
     山川にパスを送るとすぐにそれを自分に戻させ、自ら敵陣に斬り込んで来る戦法に変更した。
     さすがに三年でキャプテンを務めるだけのことはある。彼女も百七十センチ近い高身長だが、ドリブルが早く、ピボットワークも鮮やかだった。そこから身を翻して交代したばかりの望月に繋ぎ、さらにみどにボールを集中しだした。

     この作戦が功を奏した。
     女子を侮って、前半から力押しに押して来た男子チームにも疲労の色が漂いはじめ、それに引き換え、チャンスの増えたみどのシュートの正確性も安定して来た。
     あれだけ空いていた点差がみるみるうちに縮まって来た。
     体育館の中は、選手たちの荒い息と、激しい足音。ドリブルが床を打つ響き、そして熱狂し始めた観衆の声援が入り混じった。
     女子チームを応援する女子生徒の甲高い声援が、時折重く湿った空気を切り裂いた。目を転じると、通用門の外ではいつしか雨は上がったようだった。
     体育館の天井に近い明かり取りの窓からは、西陽が斜めの逆光になって体育館の中に差し込んで来た。

     後半も十分を過ぎて、一進一退の攻防が続き、勝負の行方がよくわからない状況にまで達すると、今度は男子たちがなりふり構わぬ攻撃に転じた。すでに杉谷の作戦は見抜かれていた。

    男子チームは望月とみどにゾーンプレスを集中しだした。
     やはり男子の方が体格的に優っている上に、点差を詰められた屈辱感と焦りがあったのだろう、まだその圧力は力を増すばかりで、チームの中でも背の高いみどでもしばしばボールを抱えて背を丸めるシーンが目立った。そこから隙を突いてパスをセンターの浅岡に回すのは至難の技だったが、そこに突然、いつの間にか走り込んだ杉谷が手渡しでボールを受けて、シュートを決めることもあった。
     しかし小柄で体力もあまりないように見受けられる望月は、相手のプレスに翻弄され、パスの精度が落ちた。ここでも男子選手五人の体力が際立った。彼らは各々連携し合い、二人が望月にプレスをかけても、残る三人は、決めた相手のマークを徹底する技術をも持ち合わせていた。
     しかし、彼らの口許から、前半戦の嘲笑は影を潜めていた。
     荒い息遣いで大きく口を開けざるを得ないので、その表情から真意を読み取るのは難しかったが、間違いなく彼らの中にも驚愕と焦りがあった。男子のプレイに接触によるファウルが増え、そのたびごとに望月やみどは弾き飛ばされたが、彼女らは歯を食いしばって立ち上がった。特に相手の背番号五番の巨漢はまさに壁だった。おそらく身長は一九〇センチ以上あるだろう。しかも手脚が異常に長い、こいつがファウル覚悟でみどや杉谷の放つショットを阻止しようと立ちはだかるのである。周囲の話に耳を傾けると、どうやらこいつは三年生らしい。
     俺でもこいつを畳の上で投げきる自信があるか?と聞かれれば、首を横に振らざるを得ない。
     しかし柔道では畳に寝てしまえば、身長の高低は関係がない。
     まして絞め技や関節技にはまったく関係がなくなる。絞め技などは道着が大きいから相手に掴まれやすいとも言えた。
     俺は一〇人が駆け回るコートに集中しながらも、頭の中ではそんな妄想のシュミレーションをしていた。

     残り時間はすでに二分を切っている。
     点差は驚くべきことに、一点差にまで詰まっていた。
     ここで敵の五番が、女子たちを蹴散らすように突進し、派手なダンクシュートを決めた。 リングとネットも大きく揺れた。
     体育館は大歓声に満ちあふれた。三点差だ。

     ここで時間は一分を切り、キャプテンの杉谷は賭けに出た。
     エンドラインからシューティング・ガードの山川みなみにパスを送るとそれを自分に戻し、狙い澄ましたようなロングパスをみどに送った。
    しかし、読まれていたのか、まだ反応速度が落ちていないのか、これが敵の五番にインターセプトされた。そして、ボールをキャッチした大男がその場で一瞬腰をかがめたその時、目の前にいた小柄な望月朱美がさらに腰を落とし、相手が両手でホールドしたボールをひょいと下から弾いた。
     望月は自らこぼれて床に落ちたボールを拾うと、そのままドリブルでゴール下まで運びシュートの体勢に入った。
     体育館は興奮の坩堝るつぼに包まれた。

     しかし、横から駆け込んで来た男子キャプテンのポイント・ガードが、彼女の前に両手を大きく広げた。
     望月朱美はわずかに膝を曲げ、顔を上げてゴールに視線を合わせた。
     相手の視線もそれを追う。
     その時望月は上半身だけを斜め右方向にひねり、約3メートル離れたみどに突き刺すようなパスを送り、そのままどうとコートに倒れた。
     「フェイントだ!」
     俺の背後にいた男子生徒が叫んだ。

     3ポイントエリアの外側でボールを受けたみどは、一歩前に出ると、全身のバネを思いっきり効かせたジャンプシュートを放とうとした。
     しかしその瞬間、再びあの巨漢センターも限界までその長い腕を伸ばした。

     みどはいつも強かった。紅陽会の頃から、笑顔を絶やさず、姉のような愛情で皆を包みながら、常に笑顔の下で刻苦して闘って来たのだ。そして彼女は今も輝いていた。

     試合終了のブザーが鳴っていた。
     しかしみどは果敢にシュートを放ったが、男の指先がそれに触れた。だが、ボールはみどの執念の糸を引くようにそのままゴールに吸い込まれた。
     3ポイントが入って同点の表示が示されると同時に残り時間も〇:〇〇になった。
     しかし、その時審判がホイッスルを吹いて手を腰に当て、ディフェンス側に右手の五本指を示してファウルの宣告をして、次に右手の人差し指を体側に突き出した。
     1フリースローがみどに与えられた。

     タイムアップして時計は止められたが、このワンスローだけは認められる。入れば1点が加算される。

     フリースローラインの外側で、息を整えながら、審判からボールを手渡される直前、
     みどはまっすぐゴール下の奥に立つ俺に視線を合わせた。弾む息の中でその口がゆっくり開閉したのがわかった。

    「ダ・カ・ラ・イ・ッ・タ・デ・ショ」

     少しだけ口角を上げると、その唇は再び引き結ばれた。

     審判からボールを受け取ったみどは、一拍腰を落とすと軽やかに跳んだ。

     両手から放たれたボールは美しい放物線を描いた。
     まるで逆光の西陽に映る虹を見るかのようだった。

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                完
              松島花山 






     
     
    札幌に住む脳卒中片麻痺の重度身体障害者です。いろいろ不自由はありますが不幸でも可哀想でもありません。毎日楽しく生きています。  アメーバブログにてみんつちというハンドルネームで「われは河の子」というタイトルのブログを掲載中です。札幌市の障がい当事者講師として講演活動をしています。

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