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躁うつの私を変えた、東洋哲学200日の人体実験

    はじめまして、かよママーです。
    男だけど、リアルに口調がオネエっぽいから、ママーってあだ名をつけてます。
    まずは軽く自己紹介。

    躁うつ歴、約5年。
    自らおっちんじゃう未遂あり。
    強めの眠剤や精神を落ち着かせる薬も飲んでいた。
    けど、東洋哲学を200日以上の実践したら、今はクスリと心療内科も手放して、心の状態も波風が立ちにくく、すごくいいんです。


    ゆるいあらすじ

    私が今、躁うつやっちゃう前ぐらいまで回復できたのは「東洋哲学」のおかげです。

    東洋哲学を知るキッカケは、友人からのすすめがあったから。
    その本が、著者しんめいPさん『自分とか、ないから』。私の人生を変えてくれたバイブル。

    最初は、友人と共有したいだけで読んでたんだけど、読み進めていくうちに「これ、この世の真理じゃん」って気づいてきて、そこから仏教や禅、密教や道教を私なりに本を読んで学んで、そのときの症状に合う東洋哲学の実践を200日以上、毎日繰り返しやってきたのね。いわゆる、人体実験ってやつです。

    で、気づいたら薬を手放せて改善しちゃったのよ。
    でもね、気持ちは「東洋哲学で絶対に治してやる!」って力んでたというよりは、「無理にやらない」「合わなかったら即やめる」って自分へのハードルを下げて、ゆる〜くやったことが、よかったのかもしれない。

    ここだけの話、人体実験を楽しめる私がいるから、「こうなったら面白そう」「どういう結果になるのかしら」と、ワクワクのような好奇心が挫折せずやり切れた要因の一つだと思います。

    結果的に計200日以上(1回目の100日間+2回目の100日間+α)、東洋哲学を実践し続けてます。
    現在も、自分がととのうと思う実践を日々やっています。継続は大事だと感じます。トイレ掃除も1日やったら1週間後もキレイってことはありえないですよね。毎日キレイな状態を保つには、日々の掃除が欠かせません。

    また、昨日と今日では、心も身体も別モノです。その日のコンディションに合わせて仏教や禅、道教などの教えを取り入れています。

    おかげさまで、今は薬を飲まなくても、心療内科にお世話にならなくても、毎日、元気に過ごせています。

    第一章は、東洋哲学を習慣化できるかどうかを試した100日間となります。
    第二章は、東洋哲学で躁うつを改善させるためにガチで挑んだ100日間になります。

    躁うつを改善できた流れを読みたい方は、第二章からお読みいただいて大丈夫です。


    第0章、改善前のわたし

    当時の症状

    あまり多くを書いても、この記事のスタートから重くなると思うので、サラッと書くぐらいにしておきます。

    ぶっ倒れたのが2021年4月末。
    躁うつと診断されたのが、2021年夏。

    2021年6月ぐらいから動けるようになって、病院に行けるようになった。
    ただ、心療内科の先生もピンキリで、「この人、大丈夫かな」と思う先生がいらっしゃったので、結局、心療内科4件まわることになりました。
    8月にようやく良心的な先生に出会って、そこからずっとお世話になりました。

    飲んでいた薬は
    ・朝3種類の錠剤
    ・夜5種類の錠剤
    ・睡眠薬1錠とメンタル系の1錠

    状態としては
    ・自己否定
    ・落ちたら寝込む
    ・イライラしやすい
    ・誰とも会いたくない
    ・窓を開けたくない
    ・音に敏感
    ・スマホいじれない
    ・外に出たくない
    ・車の運転ができない
    ・バス、電車乗れない
    ・人混み無理
    ・タヒにたくなる
    ・動悸
    ・落ち着かない
    ・胸が苦しくなる
    なお

    絶賛のとき、約2年間はこれが毎日のように出ちゃってたわ。
    その後、薬のおかげもあって、日常生活を送れるようになってきてからは、状態も落ち着く日が増えて、ぜんぶの症状が出るってことはなくなりました。それが2024年頃かな。

    東洋哲学の本を読み始めたのが2025年9月上旬。
    そこからすぐに、noteで最初の100日間をスタートさせることになります。


    心療内科の先生には黙ってた

    あ、そうだ。先にお伝えしておくことがあります。

    担当の心療内科の先生には1回目の100日間も、2回目の100日間のことも一切伝えませんでした。
    先生に伝えたら、返ってくる言葉が予想できたからです。「やめたほうがいい」「そんなことしてひどくなったらどうすんねん」。きっとこう言っていたと思います。

    そう言っていたとしても仕方ありません。心療内科に通い始めの頃は「死にたい」が強かったですから。実際、OD2回、未遂1回しました。

    そんなこともあり、強めの薬を飲んでいて、絶賛うつのときよりも私生活を送れるぐらいまで回復したので、私の身体には合ってはいたと思います。

    でも、うつの薬を飲んでも苦しいときは苦しいし、動悸が出たり、寝込んだりっていうのが、ちょいちょい出ちゃっていて、0にはならなかったんです。

    だったら、「思い切ってぶっ飛んだことしてみるのはアリだわ」って思ったんです。いい意味で開き直っていたのかもね。
    それに、「合わなかったらやめればいい」と思ってたので気楽に挑めました。


    第一章、自分の記録用にnoteスタート

    とっつきやすい東洋哲学からはじめてみた

    大乗仏教に「煩悩即菩提」という言葉があります。

    「煩悩を消すのではなく、煩悩の中にこそ悟りへの入口がある」という意味。

    当時の私は、安易にこの煩悩即菩提を100日間実践してみようと考えた。

    悟りたいわけではないけど、「人体実験という修行を楽しみたい」という軽い気持ちで煩悩即菩提をセレクト。

    ▼それがこちら


    煩悩をエネルギーに転換

    煩悩の中でも、「食欲」に目をつけて継続しやすいように設定しました。
    たとえば、お昼にラーメン食べたいから食べて、煩悩を満たし、それをエネルギー源に仕事や家事をこなしていく流れ。

    または、ラーメンを食べるために仕事をめっちゃこなして、ラーメンをいただくという流れ。後半はこっちが多かったわね。
    なぜかというと、後者は欲をコントロールし、欲を生きる力として循環させるからです。

    欲がある▶︎そのために働く▶︎工夫する▶︎誰かの役に立つ▶︎感謝して味わう
    という流れ。

    単なる「欲望に振り回される状態」ではなく、欲が生きる力として循環させたの。この方が煩悩即菩提に近いと感じたから。

    だから大乗仏教では、欲そのものを100%悪とは見ないんです。
    むしろ、欲をどう扱うかを大事にすると気づいてからは、この仕組みに途中から変更。

    NG:欲に支配される
    OK:欲を智慧に変えられる

    これが煩悩をエネルギーに転換するという意味です。

    ルールは簡単で、1日1日食べたいものをなるべく食べること。
    基本これだけでした。

    簡単に継続できそうとか思ってたけど、めっちゃ離脱しそうになったわ。


    食の煩悩を100日間満たし続けるのは意外とキツい

    4日目で挫折しそうになったんだけど、これめっちゃキツいのよ。笑

    まず、食の煩悩を満たすって意外とラクなんです。
    ケーキ食べたいならケーキ食べれば満たされるし、ラーメン食べたければラーメン食べれば満たされる。

    満たされると、食の煩悩も落ち着くから、心もしあわせ〜ってなる。
    んだけど、1日2〜3食も食べたいもの食べるってなると、まぁまぁキツいのです。

    欲が満たされてるから、食べたいものが浮かばなくなってくる。「十分満たされてるから、特に食べたいものない…」のように。
    「夕飯はなんでもいいや」と、逆に雑になった日もありました。

    こうなると、煩悩即菩提ではなくなるため、ハードルが低いようで毎日継続となるとキツかったです。

    一番キツかったのが、動けなくなること。
    人間、欲が満たされすぎるとね、動けなくなるのよ。
    なんでかなって考えた時、「欲=目標」にもなってたなと。

    例えるなら、目標を失ったマラソンランナー状態。

    「あれ、なんで走ってるんだろ。特にゴールもないのに…」と前に進むエネルギーがなくなり立ち止まるイメージ。

    この煩悩即菩提100日間を通じて学んだことは、欲を満たすために、仕事をやれる、家事をやれる、生きることが楽しくなると思ったの。

    欲は満たし過ぎず、満たさなさすぎず、ちょうどいい塩梅、仏教でいう「中道(ちゅうどう)」的な考えがベストだなって気づいた100日間でもありました。


    煩悩即菩提のおかげで他の東洋哲学も学ぶ

    この100日間で気づきや学びは本当に多かったですね。

    先ほど書いた仏教の「中道」もそう。

    欲は満たし過ぎず、満たさなさすぎず、極端な考え方から離れて偏らないちょうどいい間を見つけること。

    食の煩悩を満たしていく中で、自然と生まれたのが「感謝」です。

    ・万物
    ・食材
    ・つくってくれた人
    ポ螲厜ぎ人
    ・畜産農家の人
    ・運送会社の人
    ・スーパーやコンビニの人

    を含めて味わうことが次第にできてきて、欲が感謝に変わっていきました。

    感謝しようと意識してたわけではなく、自然と「あぁ目の前にケーキがあるのは、パティシエさん、生クリームの業者さん、牛、水、草、太陽、酸素…いろんな要素が相まってあるんだよね。ありがたい」と、その食事に関わるすべての万物と人に感謝の気持ちが湧いてくるようになりました。

    煩悩が感謝に変わるのも煩悩即菩提なんだけど、仏教の八正道(はっしょうどう)でいう「正見(しょうけん)」にも当てはまる。

    物事を偏見なく「ありのままに正しく見る」こと

    あと、仏教の核となる教え「因縁」「縁起」。

    因縁とは、因は「原因」、縁は「条件やつながりのようなもの」

    縁起は、すべては相互関係によって存在しているということ

    目の前にケーキがあるのは、お店でパティシエさんがつくり、材料を育てた人がいて、さらにその背景には、水や土、太陽みたいな自然の存在もあるからですよね。

    食の煩悩を満たしていく中で、私はそんな感覚を少しずつ持つようになりました。

    だから次第に、「食べたい」という欲だけではなく、「ありがたい」という気持ちも自然と湧いてきたんです。

    こんな感じで、すべては相互関係によって成り立ってるし、因縁であると学んだこと。

    つまり、物事は単独で存在しているのではなく、さまざまな要素が重なって成り立っている。そんな大きな気づきを得ることができました。


    煩悩即菩提で100日終えてみて

    100日間を通して感じたことや変化したことは

    ・東洋哲学でも、自分が実践しやすい教えからスタートさせると継続しやすい
    ・欲に飲まれず、欲をコントロールできる自分を知れた
    ・煩悩をエネルギーにするため、1日の目標がわかりやすくなった
    ・食を通じて、食材や携わってる人たちに感謝ができるようになった
    ・私が存在するのは、万物や他者の要素があるから

    ということ。

    最初は、食の煩悩を満たしてから仕事や家事のエネルギーに変えていたけど、途中からは「仕事や家事を終えた結果、食の煩悩を満たせる」としてからのほうが煩悩即菩提らしくなれたと思う。

    肝心の「生きやすい」部分については、「そうでもあり、そうでもない」といったところです。

    躁うつ病が、自分が生きやすい日常を自らつくったらどうなるかと思ったけど、食の煩悩を満たすだけでは、根本的な思考や心へのアプローチにはなってませんでした。

    ただ、この100日のおかげもあって、東洋哲学の実践が日常の中に当たり前に存在するような習慣にできたからこそ、次の100日計画に移行できたと思います。

    それが、「ガチで東洋哲学で躁うつ改善100日チャレンジ」。

    80日目ぐらいから「次どうしよう」とずっと考えていたけど、全然テーマが思い浮かばず。
    「もうすぐ終わってしまう…!!」と、98日目にふっと降りてきたのが「あ、ガチで東洋哲学で躁うつ改善できたら面白いかも」と、思いつきでスタートさせたのがはじまり。

    まさか、躁うつ病を本当に改善できて、クスリも手放すことができるなんて、このときは知る由もありませんでした。


    第2章、躁うつを東洋哲学の実践で改善までの歩み

    ルール決め

    煩悩をエネルギーに転換する「煩悩即菩提」をテーマにやりきった100日間。おかげで東洋哲学が当たり前の意識になれたのは大きかった。
    100日終了後、1日だけnoteを休み、また新たに「躁うつ病を東洋哲学で改善100日計画」をスタート。

    こちらです▼

    とはいえ、東洋哲学で躁うつ病を改善するといっても、なにをしたらいいかわからず。中身は何も決まってない状況でした。
    ただ、ワクワクして楽しみにしてる私だけがいるって状況。

    これ突然ひらめいたんです。
    「とりあえず症状に合わせて東洋哲学を実践してみるか」という感じで、ゆる〜く決まった100日計画。

    スタートがゆるかったから、自分にプレッシャーをかけないでやれたことが、結果的に大きかったですね。

    ルールもつくったけど、自分で自分を追い詰めないような設定。

    ①無理しない
    ②身体の声と心の声を優先
    ③無理に減薬しない
    ④この方法が合わない場合は途中で止める
    ⑤完全に薬を手放せても数週間は様子を見ながら経過観察する

    記事のタイトルに「ガチ」と入ってますけど、表現として「本気度」が伝わると思い、付けたしたぐらいと思ってください。
    続けられるなら続けたい心持ちだったけど、本当はゆる〜い気持ちでした。だって、自分の状態が一番だもん。

    やっぱり一番よくないのは、途中でやめたときに「自分ってダメだ」と自己否定するキッカケを自分でつくっちゃいけないことだと感じました。
    ここで、うつを悪化させたら本末転倒です。なので、ルールはガッチリ甘めでゆるい設定にしました。
    スロットだったら、設定6で10000枚かるく出ちゃうぐらい、甘くてゆるい設定かもしれません。


    症状に合わせて東洋哲学を実践してみた

    そんなわけで、1日目がスタート。
    読み返してみたら、こんなこと書いてました。

    ぶっちゃけビビってます。
    自分でも「続くのかよ?」って思ってます。
    でも、持病を改善させる気持ちはあります。

    ・ビビってる気持ち33%
    ・自分への疑い33%
    ・楽しみな感情33%

    みたいな状態でした。
    仕方ないですよね、こんなアホなことする人いないですもん。
    躁うつを東洋哲学で改善しようと思う人、周りでは聞いたことありません。

    でも、どうせ生きてるなら、自分でいろいろやってみたくなったのです。
    なんでそんな思いになったのかというと、薬を服用して3年。ある程度まで状態は回復しましたが、そこから先、要は「根本的な部分」が治ることはなかったんです。

    状態がよくなると薬を1錠減らして、そのまま2週間は保つけど、また状態がダメになって薬を同じ量に戻す。を何度も繰り返してました。

    でも当たり前なんです。根本原因が改善されてないんですから。

    今だからわかりますが、「うつの部分」を根本的に治すには、「思考のクセ」を穏やかにすることが、心を落ち着かせる方法の一つなんだと東洋哲学を通じて気づけたことです。

    もちろん
    ・薬の効果
    ・時間経過
    ・環境変化
    ・休養
    ・自己理解の進行

    なお

    こういった要素を踏まえながら、その上で東洋哲学の実践が、私の思考や生き方に大きく作用したように感じています。

    人それぞれ、うつ発症のキッカケはいろいろありますが、「未来への不安」「決めつけ」「思い込み」「執着」「自分に厳しすぎる」「真面目すぎる」「几帳面すぎる」こういった方は、薬である程度(私生活を送れるほど)まで回復した状態なら、東洋哲学の教えが役に立つ可能性はあると感じます。


    不安感が少しずつ薄くなっていった

    東洋哲学を実践して、一番最初に変化を感じたのは、「不安がゼロになる」ではなくて、不安に飲み込まれる時間が少しずつ減っていったことでした。

    以前の私は、未来のことをずっと考えてしまうタイプだったんです。

    「悪化したらどうしよう」
    「この先どうなるんだろう」
    「一生このままだったらどうしよう」

    みたいに、まだ起きてもいない未来を頭の中で延々とリピート再生して、勝手に不安を巻き起こして苦しくなっていました。これが思考のクセといわれるものです。

    特に、私の場合は寝起きですね。

    朝に目覚めた瞬間から、すでに動悸がはじまってました。
    私はそれを「X JAPAN・YOSHIKIのドラムソロ」と呼んでました。

    「動悸からスタートする朝なんて、しんどいスタートだ」と勝手に思い込んでました。

    動悸の波が穏やかになったと思ったら、今度は思考のクセが暴れ始めてました。

    「このままだとやばいよ」
    「破滅するんじゃないか」
    「仕事も人も失うかもよ」

    みたいに、頭の中だけがうるさくなる。

    ひどい時だと、日中も思考のクセが襲ってきて、未来の不安を考えすぎて心まで襲われて、寝込んでしまうなんてことが、1ヶ月に4〜5回、多い時では10回ほどあったと思います。

    考えても仕方ないのに、考えることを止められない。
    これが、私にとって自分で自分を追い詰めて苦しくしてた原因だったのです。

    でも、禅や仏教をの本を読んでいると、「未来はまだ存在していない」という考え方がよく出てくるんです。

    最初は「いや、不安なもんは不安」って思ってました。笑
    いきなり「あ、そうなんだ!じゃあ今に集中!」とはなりませんでした。

    けど、実践(特に禅)を続けるうちに、「今ここ」に意識を戻す感覚が、少しずつわかるようになってきました。

    たとえば、

    ・お茶を飲むことを味わう
    ・呼吸を味わう
    ・ご飯を味わう
    ・散歩しながら足裏の感覚に意識を向ける
    なお

    本当にそんなレベルです。
    東洋哲学って、実は特別なことじゃないんです。
    坐禅を組んで山にこもるとかではなくて、日常生活の中でもできることだったんですよね。

    また、思考のクセによって意識が未来にいっちゃってるときほど、「今」を感じる時間が減ってることにも気づきました。

    「未来を考えないようにする」というより、「今に戻る」を繰り返していた感覚に近いです。
    思考がある以上、未来は考えてしまうものなので、そこは止めようとか思わなくていいんですよね。

    なので、不安が完全に消えたわけじゃありません。
    今でも普通に不安になる日はあります。

    ただ、以前みたいに「不安は自分のもの」になる感じは減りました。

    「あ、不安が襲ってきた」
    「今日は粘っこいなぁ」

    ぐらいで、不安と距離を取れるようになったんです。
    これだけでも、以前より生きやすい感覚はあります。不安は自分のものではないと感覚的に理解したからですね。

    東洋哲学を通して学んだのは、「不安を完全になくす」ことよりも、「不安があっても心まで汚さなくていい感覚」を育てることだったのかもしれません。


    思考のクセを「自分そのもの」だと思わなくなっていった

    東洋哲学を実践していく中で、特に大きかったのが、「思考のクセとの距離感」が変わったことでした。

    以前の私は、頭に浮かんだことを全部「本当」だと思っていたんです。

    ・嫌われたかもしれない
    ・どうせ失敗する
    ・自分なんてダメだ
    ・生きてる意味ない

    こういう思考のクセが浮かぶたびに、その感情に飲み込まれていました。

    でも、禅や仏教を読んでいくうちに、「思考のクセ=自分」ではないんだなって感覚が、少しずつ芽生えてきたんです。

    たとえば、空に雲が流れていくみたいに、思考もただ流れているだけ。
    たとえば、2ちゃんねるのまとめ動画に文字が画面上を流れてくるみたいに、思考もただ流れているだけ。

    「あ、自分はいま不安を感じてる」
    「あ、またネガティブな未来を妄想してるな」

    みたいに、一歩引いて見れる瞬間が増えていきました。

    おかげで、思考のクセに心まで飲まれることが少なくなりました。


    「またダメになった」が減っていった

    もちろん、急に全部できるようになったわけじゃありません。
    落ちる日は落ちるし、動けない日もありました。

    でも、以前みたいに「落ちた=終わり」ではなくなったんです。

    東洋哲学を学ぶ前の私は、落ち込むたびに、

    「またダメだ」
    「結局、自分は変われない」
    「私には向いてない」

    って、自分を責めまくっていました。自分で自分をいじめてた感じ。
    案の定、心まで落ちてましたよ。笑

    けど、仏教には「所業無常(しょぎょうむじょう)」という教えがあります。

    すべては移りゆくもので、常に変化している。
    ずっと同じ状態は続かない。苦しみも、感情も、変化していく。

    この考え方を知ってから、「今つらくても、これが永遠に続くわけじゃないよね」と思えるようになりました。

    この諸行無常という教えのおかげもあり、考え方や捉え方にも良い影響を与えてくれたのは間違いありません。
    思考のクセも「クセ強」が「クセ弱」に変わった感覚です。

    実践を200日以上積み重ねていくと、私の根本もゆっくりと変化していくと知りました。


    「治さなきゃ」の執着を手放してみた

    これ私の中でめっちゃ大事な気づきです。

    「別に治っても治らなくてもどっちでもいい」
    「東洋哲学が合わないなら、途中でやめていい」
    「薬を飲んで生きてるならそれでいい」

    すると、不思議と回復しようと力まなくなったんです。

    昔の私は、「早く治さなきゃ」が強すぎました。

    「治さなきゃ」
    「早く薬を手放したい」
    「人体実験で結果を出したい」

    でも、その焦り自体が、自分で自分を追い詰めていたのかもしれません。
    自分を潰してしまうプレッシャーというやつです。

    だから途中からは、

    「朝起きれたからOK」
    「お風呂入れたからOK」
    「外に出れたからOK」

    ぐらいの感覚で、自分を扱うようになりました。
    生きるハードルをグッと下げたんです。

    以前は、「普通にできること」が基準だったんです。
    同じように苦しんでる人は同じような経験あると思いますが、どうしても躁うつ病になる前の健康だった頃を基準にしがちになってしまうんです。

    過去の栄光じゃないですけど。

    でも、その基準って、「調子を崩してる人間には厳しすぎる!」って気づいてから、「命あればOK」ぐらいまでガッとハードルを下げました。

    すると、「呼吸をしてるだけで十分」というふうに、心に優しい状況を自分でつくりました。

    「こうじゃなきゃいけない」
    「健康だった頃みたいに戻らないといけない」
    なんて、ないんです。

    それは自分が勝手に決めていること。
    こういう「決めつけ」「思い込み」も思考のクセだと感じています。

    思考のクセを自分だと思い込み、それに執着し続けていると、結果的に自分を苦しめてしまう。と、ブッダの教えで学びました。

    東洋哲学を学んでからは、今の自分に合わせて基準を変えてもいいんだと思えるようになり、以前よりも心が窮屈になることはありません。


    東洋哲学で変わったのは「自分への接し方」

    東洋哲学を通して一番変わったのは、症状そのものよりも、“自分への接し方”だった気がします。

    以前の私は、自分を追い込み続けることでしか前に進めないと思っていました。

    でも実際は、追い込むほど心は壊れていった。

    だから、東洋哲学を通して学んだ「無理に逆らわない」「今の状態を否定しすぎない」という考え方は、私にとってかなり大きかったんです。

    もちろん、東洋哲学だけで全部が解決したとは思っていません。

    薬や休養、環境、人との出会い。
    いろんな要素が重なったからこそ、今の自分がある。

    その上で、東洋哲学の実践は、「生き方」や「思考のクセ」をゆるやかに変えてくれた感覚があります。

    少なくとも私は、“生きづらさとの付き合い方”を、以前より知れるようになりました。


    不安感が少しずつ薄くなっていった

    私が、生きづらさを感じていた中でも、「不安」というものに対しての比重は大きいかったです。

    東洋哲学を実践して、一番最初に変化を感じたのは、「不安がゼロになる」のではなく、不安に飲み込まれる時間が少しずつ減っていったことでした。

    以前の私は、未来のことをずっと考えてしまうタイプでした。

    私の思考のクセでもあるんですけど、

    「もっと悪くなるんじゃないか?」
    「働けなくなったらどうしよう」
    「一生このままだったらどうしよう」

    みたいに、まだ起きてもいない未来を頭の中で延々とリピート再生して、不安で勝手に苦しくなっていました。

    特に朝です。
    起きた瞬間から、もう不安感でいっぱいでした。
    (今もたまにありますが、東洋哲学を実践して、起床1時間後には元に戻せるような感じです。)

    朝から考えても仕方ないのに、考えることを止められない。
    そのまま心まで飲まれて、気持ちも気分も落ちていく感じでした。

    でも、禅や仏教の本を読んでいると、「未来はまだ存在していない」という考え方がよく出てくるんです。

    最初は「いや、不安なもんは不安だわ」って思ってました。笑
    初っ端から「そうなんだね!」とは思えないものです。

    思考のクセと認識するまで「思考はすべて自分」だと思ってましたし。

    けど、禅の実践を続けるうちに、「今ここ」に意識を戻す感覚が、少しずつわかるようになってきました。

    たとえば、

    ・山や空をぼーっと見るだけ
    ・呼吸だけに集中する
    ・ご飯を食べるときはご飯だけに集中する
    ・散歩するときは足裏に意識を向ける

    本当にそんなレベルです。
    日常生活でできちゃうのが禅のステキなところ。

    でも、不安で頭の中が未来に飛んでいるときほど、「今」を感じる時間が減っていることにも気づきました。

    思考のクセによる妄想で、今を生きておらず。
    身体はちゃんと「今ここ」にあるのに、心だけが未来へ飛んでしまっているような感覚。

    自動で延々とリピート再生される妄想の中で苦しんでいる自分が現実世界に存在してるっていうイメージです。

    だから、「未来を考えないようにする」というより、「今に戻る」を繰り返していた感覚に近いです。

    もちろん、悟っているわけではないので、不安が消えたわけじゃありません。
    今でも普通に不安になる日はあります。

    ただ、以前みたいに「不安が自分の全部」になる感じは減りました。

    「あ、不安が来てるな」
    「今日は強めだな」
    「こういう日なんだね」

    ぐらいで、少し距離を取れるようになったんです。

    あとは、禅の精神として、動くことで意識を今に戻す方法です。

    例えば、
    寝起きから不安があったとしたら、「とりあえず起きよう」と起きる。

    次に、
    「とりあえず布団を畳もう」と畳む。

    ここからは、
    「トイレに行こう」「顔を洗おう」「掃除しよう」「ストレッチしよう」と、1つ1つの行動だけを見て動いていきます。

    仮に、掃除しようと思ってもできなくてもオッケーで、ダメだったらダメでいいという心持ちにしています。

    なぜなら、ハードルを極端に下げて動くことを意識しているからです。

    「今日1日の高い目標をクリアする」よりも「戻すこと」が大事ですから。

    スポーツする前のアップと同じ感覚だと思います。
    身体をゆっくり動かして、動ける状態の身体にしていくような。

    私の場合は、身体を少しずつ動かしていると、血流がよくなっていくような感覚があり、身体も動くようになっていきました。

    また、
    目の前の1つ1つに意識を向けてるおかげで、思考のクセによる不安も少しづつ距離を置けるので、次第に心も軽やかになっていきましたね。

    以前の私は、「不安がなくなれば幸せになれる」と思っていました。

    でも、東洋哲学を実践して気づいたのは、その逆でした。

    不安があっても、自分で自分を支えられる。

    そんな感覚が少しずつ育っていったことで、不安そのものに振り回される時間が減っていったんです。


    200日間の人体実験を終えて思うこと

    東洋哲学は「病気を治す魔法」ではなかったということです。

    私の場合、妻が寄り添ってくれたこと、薬や休養、友人、心療内科の先生との出会いなど、いろんな要素が重なって今があります。

    その中で東洋哲学は、「どう生きるか」「どう心と付き合うか」を教えてくれた存在でした。

    苦しみをなくしてくれたわけじゃありません。
    でも、苦しみに飲み込まれない自分を、少しずつ育ててくれました。

    今でも落ち込む日はあります。
    不安になる日もあります。

    それでも以前のように、「もう終わりだ」とは思わなくなりました。

    「今日はそういう日なんだね。」

    そうやっていい意味で割り切れて、自分に声をかけられるようになったことが、私にとって一番大きな変化だったのかもしれません。

    この200日間は、躁うつを治すための挑戦だったはずなのに、振り返ると「自分との付き合い方」を学ぶ200日間でした。

    もし、この記録が、今まさに生きづらさを抱えている誰かの心を少しでも軽くできたなら、あの人体実験は大成功だったと思います。


    おわりに

    2026/07/05現在。

    私は、躁うつ病をやる前ぐらいの、心も身体も動ける状態に戻ってきています。要は、元気ですと伝えたいです。

    薬も完全に絶ってますし、不安になっても自分で東洋哲学を実践して戻せるようになっています。

    また、私ごとですが、ぶっ倒れる前にスタートさせていた「個人投資家」に戻ることができました。

    「もう無理だろうな」と思っていましたが、1ヶ月前からまたやれるようになり、ここ1ヶ月は投資の学びに勤しんでいます。

    私の感覚として、投資をすることに戻れたというのは、非常に大きい意味を持たせています。

    躁うつ病のときは、「数字は見たくない」「学びたくない」「お金に向き合いたくない」そんな状態だったのです。

    それが、つい1ヶ月前に突然「ちょっと投資の世界を覗いてみよう」と、自分に期待感もなく足を踏み入れたら、気づけば夢中に投資を学んでいる自分がいました。

    東洋哲学が私の考え方の軸となって、ここまで連れてきてくれました。
    本当に感謝しかないです。

    寄り添ってくれた妻、東洋哲学を教えてくれた友人、ブッダをはじめとした東洋哲学の智慧を現代まで引き継いでこられた方々に、この場を借りて感謝を申し上げます。

    私を元の状態に戻していただき、本当にありがとうございます。

    あとですね、投資にも東洋哲学の智慧というのがマッチしてると感じています。

    特に、「一切皆苦」「諸行無常」という言葉が似合いすぎる世界です。

    意味は
    「人生は、思い通りにいかないもの」
    「永遠なんてなく、すべては移りゆくもの」でしたね。

    似合い過ぎて笑っちゃいます。

    今までの心の持ち方とはまるで違って、投資あるあるの「早く買いたい」「ソワソワする」「怖い」みたいなものは少なく、かなり冷静に感じ取れていると思います。

    そういう意味でも、躁うつ病になってよかったと心から思います。
    躁うつ病という時期があったからこそ、東洋哲学に出会えたわけですから。

    遠回りのようで、「すべてには意味がある」。

    今のあなたの状況も、そう思えるようなnoteであれたら嬉しく思います。


    #創作大賞2026  #オールカテゴリ部門


     
     
    ゆる〜く「躁うつを東洋哲学で治せたら面白い」をテーマに人体実験(⚠️マジで改善しちゃった)。同じように苦しんでる人に何かキッカケになればと執筆中。断薬も成功。 元お笑い芸人、口調がオネエ風の男👩 Amazonアソシエイト参加

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