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深夜のハノイ空港。仮眠しようと入った「空港のカプセルホテル」で、私は、他人の部屋に閉じ込められた。—しかも、返ってきた答えは「開けられるのは、朝まで無理」

    夜中のハノイ空港で、私は知らない部屋に閉じ込められた。
    自分で入って、自分でドアを閉めた。
    そして、内側から開かないことに気づいた。

    今思い出すと少し笑える。
    けれど、その瞬間の私は笑っていなかった。

    ドアノブは動かない。
    外は薄暗い。
    人の気配はほとんどない。
    トイレにも行けない。

    「え、どうするの、私」

    眠くて仕方がなかった頭が、その瞬間だけは一気に目を覚ました。
    ただし、頭はあまり働いていなかったと思う。

    そもそもの始まりは、ホーチミンでの海外研修からの帰路だった。

    研修を終えた私は、日本へ帰国する予定だった。
    ルートは、ホーチミンを夜に出発し、ハノイに夜中に到着。
    そこから空港で数時間を過ごし、朝の便で羽田に帰る
    なかなかハードな帰国ルートである。

    でも、航空券を探していたときの私は、こう思っていた。
    「空港で数時間くらいなら、なんとかなるでしょ」

    旅の計画を立てているときの私は、なぜかいつも少し強気だ。
    画面の中の私は、かなりタフである。
    でも、現実の私はそこまでタフではない。
    夜中にハノイ空港へ到着した頃には、私の体ははっきり訴えていた。

    もう無理。
    横になりたい。
    ちゃんとベッドで寝たい。

    ロビーには、ベンチで横になっている人が何人もいた。
    当初の予定では、私もそうするつもりだっが、いざその場に立ってみると、急に不安になった。

    女ひとり旅。
    スーツケース。
    貴重品。
    うとうとしている間に荷物は大丈夫だろうか。

    そこで、旅行前にちらっと調べた、空港内の宿泊施設を思い出した。
    カプセルホテルのような個室で、短時間でも休める場所。

    「そうだ、あそこを予約しよう」

    スマホで検索し、なんとか予約らしき手続きをした。
    夜中で頭はぼんやりしていたが、画面上では予約できたように見えた。

    よし。

    問題は、そこからだった。
    その宿泊施設が、どこにあるのかまったくわからない。

    Googleマップのピンは出ている。
    でも、今いる場所から右なのか左なのか、まったくピンとこない。

    空港は、地図で見ると近そうなのに、実際に歩くと急に難しい。
    私はスーツケースを引きながら、しばらく空港内をうろうろした。

    夜中の空港は、独特だ。
    私のスーツケースの車輪の音だけが、やけに大きく聞こえた。

    警備の人に、スマホの画面を見せると、
    あちらのほう、という感じで方向を示してくれた。
    どうやら施設は、3階にあるようだった。
    エレベーターの3階の扉が開いた瞬間、少し不安になった。

    3階のフロアは薄暗く、人の気配がほとんどない。
    空港の中にいるはずなのに、急に建物の奥へ迷い込んだような感じがした。
    でも、暗がりの向こうに、ひとつ灯りが見えた。

    近づくと、カプセルホテルのような小さなボックスが並んでいた。

    あたりを見渡して、フロントを探した。
    ただフロントが見当たらない。
    スタッフもいない。
    案内もよくわからない。

    そう思いながら周りを見ると、
    ひとつだけ、灯りのついた部屋があった。
    しかも、ドアが半開きになっていた。

    今、冷静に考えれば、ここで立ち止まるべきだった。

    受付も通していない。
    部屋番号もわからない。
    ただ灯りがついていて、ドアが半開き。
    それだけで入るのは、かなり危うい。

    でも、その夜の私は疲れていた。
    眠くて、早く横になりたくて、もう考える力がほとんど残っていなかった。
    そして、疲れた脳は、とても都合よく解釈する。

    「きっとここだ」

    夜中だから、電気をつけておいてくれたのかもしれない。
    ドアを開けておいてくれたのかもしれない。
    海外だし、そういうこともあるのかもしれない。
    今なら、当時の自分に突っ込みたい。

    「ないない。たぶん、それはない」と。

    でも、そのときは不思議なほど自然に思えてしまった。

    私はその部屋に入った。
    中は小さな個室で、ベッドがあった。

    「よかった、寝られる」

    ただ、少し気になるものもあった。
    部屋の中に、割りばしのようなものや、誰かの私物っぽいものが、置いてあったのだ。

    「あれ?」

    一瞬、違和感はあった。
    でも、私はその違和感をすぐ横へ置いた。

    「まあ、こんなものなのかな」
    「空港内の簡易宿泊施設だし」
    「海外だし」
    「とにかく寝られればいい」

    本当は、おかしいと思っていた。
    でも、そのおかしさを認めると、また受付を探し、誰かに聞き、外をうろうろしなければいけない。
    もう、それが面倒だった。

    疲れていると、人は違和感よりも「早く休みたい」を優先してしまうのだと思う。
    私は、ドアを閉めた。
    ベッドに座り、水を飲んだ。

    「ふう、やっと休める。」そう思った。

    寝る準備をしようと、ドアノブに手をかけた。
    開かない。

    え?
    もう一度、回す。

    開かない。

    押す。引く。握り直す。
    というより、ドアノブ自体が動かない。

    「え、なんで?」

    一瞬で頭が真っ白になった。

    さっき、普通に入れたのに。
    外からは入れたのに。
    内側から開かないって、どういうこと?

    そこで、ようやく理解した。
    私、閉じ込められた。
    夜中のハノイ空港で。
    誰の部屋かわからない小さな個室に。

    自分で入って。
    自分でドアを閉めて。

    「どうする、私」

    考えは次々出てくるが、まとまらない。
    日本の家族に連絡しても、助けに来られない。
    ベトナム語はわからない。
    警備員を呼ぶにはどうすればいい?

    私は部屋の窓から外を見た。
    3階のフロアは照明が落とされ、ほぼ真っ暗。
    数十メートル先にエレベーターが見える。
    あそこから誰か来てくれれば、気づいてもらえるかもしれない。

    しばらくすると、キャビンアテンダントらしき人たちがエレベーターから降りてきた。
    「お願い、こっちに来て」
    心の中で叫んだ。
    でも、その人たちは、すぐ右のほうへ行ってしまった。

    まるで展示ケースの中に入っているような気分だった。
    こちらからは外が見えている。
    でも、外の人はこちらに気づかない。

    声を出せば聞こえたのかもしれないが、
    大声を出す勇気も出なかった。

    ふと、前年の記憶がよみがえった。

    スペイン旅行、帰り、飛行機が遅延し、乗り継けず、帰国が1日遅れた。
    あのときは、家族から会社へ「もう1日休みます」と連絡してもらった。
    そして、私は思った。

    「今年も、そのパターン?」

    いやいやいや。
    さすがにそれは困る。

    「ホーチミン研修を終え、ハノイ空港で部屋に閉じ込められ、朝便に乗れず。」そんな帰国報告、つらすぎる。

    でも、焦ってもドアは開かない。
    私はもう一度、窓の外を見た。
    もう少しだけ待ってみよう。

    すると、ひとりの男性が、こちらに向かって歩いてきた。

    私は紙に、英語で助けを求める言葉を書いた。
    「助けてください。部屋の鍵が開きません」

    窓越しに見せた。

    男性は、驚いた様子だった。
    それはそうだ。
    夜中の空港の宿泊施設で、なぜか部屋の"中"に閉じ込められている日本人女性がいるのだから。

    彼はスマホの翻訳機能で私に質問してきた。

    「なぜここにいるのですか」
    不思議だったのは、その翻訳が最初から日本語だったことだ。
    どうして私が日本人だとわかったのかは、今でも謎である。

    私は、スマホの翻訳を使いながら説明した。予約したこと。
    場所がわからず探していたこと。
    灯りがついて、ドアが半開きだったので、自分の部屋だと思って入ったこと。

    説明しながら、だんだん恥ずかしくなってきた。

    「灯りがついていて、ドアが開いていたので入りました」
    こうやって文字にすると、なかなか危ない人である。

    彼は施設の関係者だったようで、どこかに連絡をしてくれた。

    助かる。
    もうすぐ開けてもらえる。
    そう思った。

    ところが、翻訳越しに見せてくれた言葉は、予想外だった。

    「業者と連絡が取れるのが明朝なので、それまでは無理です」

    えーーーー!

    明朝まで無理?

    それはつまり、朝までこの部屋に?
    トイレにも行けず?
    朝のフライトがあるのに?

    私はすかさず翻訳機に入力した。

    「明日までトイレにも行けないのですか」

    もう、体裁を気にしている場合でもない。
    閉じ込められた人間にとって、トイレ問題は、かなり切実だ。

    すると男性は、少し考えたあと、どこかへ行き、いくつもの鍵がつながった、束のようなものを持っていた。

    それを見た瞬間、私は、心の中で思った。
    あるんかい。

    業者じゃないと無理って、言っていなかった?
    鍵、あるんかい。

    彼は鍵束の中からひとつずつ鍵穴に差し込んだ。

    ひとつめ。
    だめ。
    ふたつめ。
    だめ。

    私は内側から、祈るように見ていた。

    お願い。
    開いて。

    そして、ある鍵を回した瞬間。
    ドアが開いた。

    開いた。
    その瞬間、体から、力が抜けた。
    外に出られる。
    トイレに行ける。
    朝の便にも乗れるかもしれない。

    たったそれだけのことが、こんなにも、ありがたいなんて。

    案内された受付は、ちゃんと別の場所にあった。

    「ここにあったんだ……」

    どうやら、私のネット予約は、完了しておらず、決済もできていなかったらしい。
    1人用は満室で、2人用なら空いている。と、
    (「今日のことをネットに投稿しなければ、1人用の料金にする」とも言われた気がする。ちなみに今、こうして堂々とnoteに投稿しているわけだが、数年前の話だし、時効だよね)

    念のため言うと、私は、その施設を責めたいわけではない。
    最終的には助けてもらった。
    鍵を開けてもらい、受付に連れて行ってもらい、ちゃんと休める部屋へ案内してもらった。
    むしろ、問題はもっと手前にある。
    なぜ私は、あの部屋に入ったのか。

    灯りがついていたから。
    ドアが半開きだったから。
    予約したと思い込んでいたから。
    受付が見つからなかったから。
    疲れていたから。

    理由はいくつもある。

    でも結局、私は自分の違和感を無視したのだと思う。

    部屋に入ったとき、少しおかしいと思った。
    割り箸、私物のようなものが置かれていた。
    受付を通していないことも、本当はおかしい。

    でも私は、その「おかしい」を、ひとつずつ「まあ、そんなものかもしれない」に変えていった。

    疲れていると、人は自分に都合のいい物語を作る。

    「きっとここで合っている」
    「たぶん大丈夫」
    「まあ、なんとかなる」

    そう思いたいから、そう思える材料だけを集めてしまう。

    あの夜、私に必要だったのは、完璧な英語力でも、旅慣れたスマートさでもなかった。

    翌朝、私は無事に羽田行きの飛行機に乗った。
    会社に「また帰れません」と連絡する事態にはならなかった。

    帰ってきてしまえば、何事もなかったような顔で日常に戻る。

    でも、私の中には、あの夜の景色が今でも残っている。

    薄暗い3階。
    並んだ小さな部屋。
    ひとつだけ灯っていた明かり。
    半開きのドア。
    動かないドアノブ。
    窓の外を通り過ぎていく人たち。
    鍵束の音。
    開いたドア。

    思い出すと、今でも少し胸がざわっとする。
    でも同時に、ちょっと笑ってしまう。

    「なんで入ったの、私」

    それでもきっと、私はこれからも、旅をする。
    安いルートを探すだろうし、少し無理な予定を立ててしまうこともあるかもしれない。
    「まあ、なんとかなる」と思う自分も、完全には変わらないと思う。

    でも、次に夜中の空港で、灯りのついた半開きの部屋を見つけたら。
    私はたぶん、いや、絶対に、すぐには入らない。

    まず受付を探す。
    部屋番号を確認する。
    ドアを閉める前に、内側から開くか確認する。
    そして、疲れている自分にこう言う。

    「ちょっと待って。今のあなたの判断力、かなり怪しいよ」

    ハノイ空港の夜、私はそれを学んだ。

    少し恥ずかしくて、少し怖くて、でも今では少し笑える、私だけの旅の授業だった。

     
     
     
    企業で事務職として12年働く中で、心身のバランスの鍵は「食事・運動・睡眠」にあると確信しました。現在はこれを軸に、神経から体を整える『シナプス療法』を習得中。目標は本来の自分を取り戻せるリトリート施設をオープンすること。私と心も体も「解放」される人生を始めませんか?

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