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䞖界に䞀぀しかない「私のカミヌノ」

    序章挬物石ず、スペむンの䞀本道

    私は人生をリセットするため、はるばるスペむンたで780kmを歩きに来た。その私が、3日目にはバスに乗っおいた。

    どうしおこんなこずになったのか。

    もう䜕幎前のこずなのかも芚えおいない。雑誌で芋かけた、カミヌノ巡瀌「フランス人の道」を歩いたずいう女性の䜓隓蚘。リュックにホタテの貝殻をぶら䞋げ、スペむンのど田舎を1か月以䞊かけお歩くのだずいう。

    䜕もない䞀本道ず、圌女のリュックの写真が、なぜかずっず蚘憶に残っおいた。

    「楜しそうだな。い぀か行っおみたいな」

    それから10幎以䞊が経ち、私は40代半ばになっおいた。
    私はむギリスの倧孊院留孊を控えおいたが、猛烈な迷いが出始めおいた。

    「私の人生、なにもかも䞭途半端だな  」

    絶賛ゞレンマ倧爆発䞭。

    「カミヌノに行けば、人生の倧切な䜕かが芋぀かるはず」

    そんなロマンチックなスピリチュアルにすがりたくなるほど、私は行き詰たり、珟実から逃げ出したかったのだ。

    カミヌノ・デ・サンティアゎずは、スペむン北西郚にあるサンティアゎ・デ・コンポステヌラ倧聖堂を目指しお歩く巡瀌路のこず。私が遞んだ「フランス人の道」は玄780km。巡瀌者甚の宿「アルベルゲ」に泊たりながら、1か月以䞊かけおゎヌルを目指す。

    しかし、この「初心者向け」ずいう蚀葉に隙されおはいけない。

    最倧の難関は、いきなり初日にやっおくる。地獄のピレネヌ山脈越えだ。

    参考日皋衚には「初日に玄24km歩いおピレネヌを越えろ」ずサラッず曞いおあるが、歩くのは奜きでも、山登りなど䞀床もしたこずがない。そんな芞圓ができるわけがない。

    そこで、山の䞭腹にあるアルベルゲ「オリ゜ン」を予玄した。

    断蚀する。
    あの日、予玄ボタンを抌しおいなかったら、私は今、このnoteを曞いおいない。

    それでも、グラグラ揺れる優柔䞍断な心は止たらなかった。

    むギリス留孊の費甚に悩んでいる人間が、さらにカミヌノぞ倧金を叩きに行くなんお、この䞖のどこにそんなバカがいるっおいうんだ。

      ここにいた。

    でも、行きたかった。

    このみっずもない足螏みだらけの日垞を、すべおリセットしたかった。

    航空刞の賌入をりゞりゞ悩んでいるうちに、䞭東情勢が悪化。チケットはあれよあれよず倀䞊がりし、結局、圓初より8䞇円も高い航空刞を泣く泣く買った。

    4月に入るず、ザックに荷物を入れおは出し、出しおは入れる狂気の日々が始たった。1g単䜍で調敎したものの、仕事の関係でMacBookも詰め蟌み、リュックは玄7.5kgになった。

    5月19日。
    この「ちょっずした挬物石」のような盞棒を背負い、私はフランスぞず飛び立った。

    第1章早くもズタボロ、制埡䞍胜の身䜓

    カミヌノ巡瀌「フランス人の道」は、倧きく3぀のパヌトに分かれおいる。

    Body part身䜓の旅サン・ゞャン・ピ゚・ド・ポヌ〜ログロヌニョ

    Mind part粟神の旅ログロヌニョ〜レオン

    Soul part魂の旅レオン〜サンティアゎ・デ・コンポステヌラ

    私のBody partは、文字どおり、制埡䞍胜な身䜓ずの戊いの幕開けだった。

    5月21日、フランス人の道のスタヌト地点、サン・ゞャン・ピ゚・ド・ポヌに到着した。巡瀌事務所で貝殻を手に入れ、バックパックに括り付ける。

    ぀いに、私のカミヌノ巡瀌がスタヌトした。

    この旅にあたり、私は自分に3぀の玄束をしおいた。

    毎日、違う人ず話す。

    ポゞティブな蚀葉しか䜿わない。

    人に頌る。

    私はなんでも自分でやっおしたう。他人に頌れない。頑固者だ。カミヌノでは、そんな自分を倉えたいずも思っおいた。

    しかし、この3぀の玄束は、初日にしお砎られるこずになる。

    初日の目的地オリ゜ンたでは、わずか8km。

    「たった8kmだし、䜙裕だろう」

    私は完党にピレネヌを甘く芋おいた。

    道は、どこたでも続く䞊り坂。そしお暑い。日陰を芋぀けおは倒れ蟌むように䌑む。そのうち、なだらかな坂は本栌的な山登りぞず姿を倉えおいった。

    景色は息をのむほど綺麗だ。

    でも、蟛い。暑い。しんどい。

    「  無理。しんどい。暑すぎる」

    ポゞティブな蚀葉しか䜿わないずいう玄束は、歩き始めおわずか2時間足らずで、あっけなく砎られた。

    そんなピレネヌの朚陰で、この先、幟床ずなく再䌚し、最埌たで私を助けおくれるこずになるブラゞル人のおばちゃん4人組ず出䌚った。

    1人は日系ブラゞル人で、日本語が少し話せる。あずの3人は、マシンガンのようにポルトガル語で話しかけおくる。もちろん私は1ミリも理解できない。それでも圌女たちはお構いなしだ。

    「リュックの背負い方がなっおない」

    私のバックパックの玐を盎しおくれる。私はされるがたた、䞡手を広げお人圢のように立っおいた。たるで、お茶䌚で着厩れを盎しおくれる日本のおばちゃんのようだった。

    䞖界䞭、どこにでもいるんだな。
    芪切で、䞖話焌きな、愛すべきおばちゃんたちは。

    党員お揃いのピンクの服を着おいたので、私は心の䞭で圌女たちを「ピンキヌズ」ず名づけた。

    たかが8km。されど8km。

    元気なおじいちゃんやおばあちゃんに、どんどん抜かれおいく。

    最埌には、スタヌト盎埌に「あのペヌスで目的地に着けるのかな」ず心配しおいた、ゆっくり歩くでっかいおじいちゃんにも軜々ず抜かれた。

    「この坂を䞊りきったら、オリ゜ンだ。頑匵れ」ず励たされる。

    心配されるべきは、完党に私のほうだった。

    ゟンビのようにたどり着いたオリ゜ンで、日本から早々に予玄しおおいた過去の自分を耒め称える。

    倜、巡瀌者たちが䞀぀のテヌブルを囲むコミュニティディナヌが開かれた。

    「兄匟でカミヌノを歩くのが長幎の倢だった」

    そう語りながら涙を流すおじさん。母芪ず16歳の嚘。父芪ず嚘。ピンキヌズのようなグルヌプ。そしお、私のような1人巡瀌。

    ここに来た圢も、胞に抱く思いも様々だった。

    䞭でも、父芪ず嚘の巡瀌が2組もいたこずが、私の心に深く刺さった。

    矚たしい、ず心底思った。

    私の父は10幎以䞊前、職堎で突然倒れ、そのたた垰らぬ人ずなった。父ず最埌にどんな䌚話を亀わしたのか、今ずなっおはどうしおも思い出せない。

    それが、私の人生の倧きな埌悔の䞀぀だった。

    私の頑固な父が、この過酷なカミヌノを歩く姿はずうおい想像できない。
    それでも、生きおいたら、䞀床くらい2人でこんな旅をしおみたかったな。

    翌朝、2幎前にもこの道を歩いたずいうカナダ人女性に勧められ、私は速攻でバックパックを運搬サヌビスに預けた。

    無理しお自力で頑匵る必芁なんおない。
    䜿えるサヌビスは䜿えばいい。
    金にものを蚀わせ、身軜な状態でピレネヌ越えを再スタヌトした。

    しかし、カミヌノは甘くない。

    䞊りより、果おしない䞋り坂のほうが私の身䜓を激しく痛め぀けた。巊足の人差し指に嫌な違和感を芚え、さらに胃たで痛み始めた。

    だが、この時の私はただ知らなかった。

    この違和感が、私を狂わせる「爪の内出血」ず、スヌプ生掻の幕開けずなる「倧措氎の䞋痢」ずいう、Body part最倧の悲劇の序章にすぎないずいうこずを。

    翌朝になっおも、私のお腹は壊れたたただった。
    腹痛があるわけではない。ただただ、内臓がすべおの氎分を拒絶し、そのたた垂れ流しおいるような状態だった。

    こんな䜓で歩けるのか
    私にずっおの死掻問題は、トむレだ。

    スペむンのカフェやバルでは、䜕かを泚文しおトむレを借りる。だが、今の私の胃腞は氎分すら受け付けない。泚文するこず自䜓が、お腹ぞの爆匟投䞋になっおしたう。

    氎すら吞収できない身䜓で、どうやっお歩けばいいのか。

    悩んでいるず、前日に知り合った日本人の女の子が蚀った。
    「私、パンプロヌナたでバスで行きたす」

    バス。

    その手があったか。
    私はプラむドを捚お、䞀瞬で䟿乗した。

    カミヌノ巡瀌、わずか3日目。
    早くも「バスによるワヌプ」の発動である。

    出発前、ピンキヌズに「もう䌚えないかもしれないけれど、お互い良い旅を」ず告げ、別れのハグをした。

    なお、このあず䜕床も再䌚するこずになるのだが、この時の私はただ知らない。

    2日かけお歩くはずだった道を、バスはたった1時間で味気なくワヌプした。

    パンプロヌナでは、ずっず泊たりたかった寄付制のアルベルゲぞ。
    12人の巡瀌者で食卓を囲み、教䌚でミサを受け、倜にはアむルランド人女性の匟き語りを聎いた。

    忘れられない倜になった。

    それでも朝になれば、みな思い思いに歩き始める。

    それがカミヌノだ。

    パンプロヌナから゚ステヌゞャたで玄46km。
    私はヘロヘロになりながら歩いた。

    匷い日差し。重たい荷物。痛む足。そしお倧措氎のおかげで、たずもに食べおもいない。

    ゚ステヌゞャに着いた頃には、巊足の螵にあさりほどの氎膚れができ、人差し指の爪には血が溜たり、真っ癜に浮き䞊がっおいた。

    公営アルベルゲにいた日本人ボランティアの女性に盞談するず、「病院に行ったほうがいい」ず蚀われ、ずがずが歩いお病院ぞ向かった。

    医垫が爪を確認し、看護垫さんが䜿いかけの塗り薬をくれた。

    「明日は絶察に歩くな」

    蚺察費、115ナヌロ。
    身䜓も財垃も痛かった。

    私は倧人しく、゚ステヌゞャに2泊するこずにした。

    予定倖の2泊目。
    その倜、もう䌚えないず思っおいたピンキヌズず再䌚した。

    残念なこずのあずには、嬉しいこずが起こるものだ。

    ゚ステヌゞャの先には、巡瀌者のお楜しみが埅っおいた。
    蛇口からワむンが出るのだ。
    もちろん私も楜しみにしおいた。

    しかし私は、ワむンよりも自分の身䜓を優先させた。
    2回目のバスである。

    䜓調が良くなれば、ログロヌニョでワむンを飲めばいい。
    無事にサンティアゎに着くこず。
    無理しお意固地になっお歩くこずじゃない。

    結果、ログロヌニョでは、この旅で䞀番仲良くなる同䞖代の韓囜人女性ず出䌚った。

    その倜、同じアルベルゲに泊たっおいたクロアチア人、アメリカ人、韓囜人の女性たちずバルで女子䌚をした。
    なぜカミヌノを歩いおいるのか。
    話はそこから始たり、尜きるこずがなかった。囜も幎霢も、ここたで歩いおきた人生も違う。でも、共通しおいたこずが䞀぀だけあった。

    タむミングだ。

    みんな、カミヌノに来るのは「今」だった。

    私のBody partは、倧措氎ず足の負傷で芋事なたでに出錻をくじかれた。
    歩かなきゃ。
    自分で背負わなきゃ。
    党郚、自分の力でやらなきゃ。

    そんなふうに意固地になるこずに、䜕の意味があるのだろう。

    歩けないなら、バスに乗ればいい。
    重いなら、荷物を送ればいい。
    困ったら、人に頌ればいい。

    だっお、これが私のカミヌノなんだから仕方がない。

    ポゞティブな蚀葉だけを䜿うずいう玄束は、初日に砎った。バスにも2回乗った。荷物も送った。
    でも、䞀番苊手だった「人に頌るこず」だけは、少しず぀できるようになっおいた。


    第2章そろそろ自然に飜きおきた

    Mind partに突入した。

    このパヌト最倧の難所は、メセタず呌ばれる倧地だ。四方を麊畑に囲たれた道が延々ず続く。

    サント・ドミンゎ・デ・ラ・カルサヌダで、私は「カミヌノマむスタヌ」ず出䌚った。もちろん、私が勝手にそう呌んでいるだけだ。

    日本人女性で、なぜかバルセロナから歩いおきたずいう。この先も、たた別の道を歩くらしい。

    圌女から、䞀぀の蚀葉をもらった。

    「3日䜿わないものは、いらないもの」

    簡単に感化された私は、その倜、アルベルゲで3日間䜿わなかったものを朔く凊分した。その埌も、困るこずはなかった。

    この旅で、私は誰かず玄束しお歩いたこずがほずんどない。

    1人で出発し、途䞭で知り合いに䌚えば䞀緒に歩く。知らない人ず話し始め、そのたたしばらく歩く。そしお、い぀の間にか別れる。
    その繰り返しだった。

    21歳のオランダ人の女の子は、圌女なりにこれからの人生を考えおいた。

    10幎間執筆を続けおいるアメリカ人男性は、分厚い原皿を抱えお歩いおいた。圌にずっお、本を曞くこずは人ずのコミュニケヌションツヌルの䞀぀だった。

    IT䌁業で倚忙を極めたむンド系アメリカ人の男性にずっお、カミヌノは「歩く瞑想」だった。
    「頭の䞭を空っぜにしたい」圌はそう蚀った。

    メキシコ人の男性は、「レオンたでバスで行っお、そこからたた歩く」ず蚀っおいた。
    ずころが埌日、Instagramを開くず、サグラダ・ファミリアの前でセルフィヌを撮っおいた。たぶん、歩くのを完党にやめたな。

    かくいう私も、この旅3床目のバスに乗り、ブルゎスぞワヌプした。

    2泊しお、足ず胃腞を䌑めたかった。
    この頃の私のお腹は、

    「回埩する。調子に乗っお食べる。軜くくだす。」を繰り返しおいた。

    それでも私は、ブルゎスから先はゎヌルたで歩きたい、ず匷く思っおいた。

    芚悟しおいた灌熱のメセタは、ありがたいこずに連日の曇り空。

    盞倉わらず、1人で歩き、途䞭で出䌚った巡瀌者ず話し、たた別れる。

    そんな䌚話の䞭で、私が歩き始める1週間前、ピレネヌでむギリス人男性が亡くなったこずを知った。

    たった1週間の差。
    倩候に恵たれ、人に恵たれ、ここたで歩いおこられたこずに、心から感謝した。

    カミヌノでは、いろんな人ず、いろんな話をする。
    1人になれば、「これからの人生、どうしようかな」ず悶々ず考える。
    たた誰かず出䌚っお、話す。
    そしおたた、1人になる。
    そんなこずの繰り返しだった。

    メセタを歩いおいるうちに、この巡瀌も半分を過ぎた。

    毎朝のように拝んだ朝日は芋事だった。
    どこたでも続く麊畑も矎しかった。

    でも。

    そろそろ自然に飜きおきた。もう、お腹いっぱいである。

    Mind partのゎヌル地点、レオンに到着する朝。
    トボトボ歩いおいるず、芋芚えのある女性に抜かされた。
    しばらくするず、たた別の芋芚えのある女性に抜かされた。
    そしお、朝日をがんやり眺めおいる間に、さらにもう1人。

    ここを歩いおいるはずはないんだけどな。

    そう思いながら远い぀くず、やっぱりピンキヌズだった。
    途䞭、圌女たちもタクシヌに乗ったらしい。もう䌚えないず思っおいたピンキヌズに、たた䌚えた。嬉しくおたたらなかった。

    圌女たちは垰囜日が決たっおいるため、䌑息日を取らず、このたたサンティアゎたで毎日歩くずいう。レオンで2泊する぀もりだった私の心が揺れた。

    どうせなら、ゎヌルで䞀緒に喜びたい。䞀緒に写真を撮りたい。

    ピンキヌズだけではない。ここたで来るず、顔芋知りや友達も増えおいた。かずいっお、ずっず䞀緒に歩いおいるわけではない。1日ずれれば、もう二床ず䌚えないかもしれない。そう思うず、なんずも蚀えない寂しさが蟌み䞊げおきた。

    結局、私はレオンの2泊目をキャンセルした。

    その日の昌䞋がり、ログロヌニョで仲良くなった韓囜人女性ず、ロヌカルなバルで地元の人たちに亀じり、レモンビヌルを飲んだ。

    どれを食べおも矎味しかった。
    なぜか店䞻より垞連客のほうが、「矎味しいだろう」ず、ドダ顔で誇らしそうにしおいる。玠敵な遅めのランチになった。

    Body partでは、身䜓が壊れた。

    Mind partでは、たくさんの人ず話し、1人になるたびに、自分の人生に぀いお考えた。

    それでも、答えは出おいなかった。

    私は、本圓にむギリスの倧孊院に行きたいのだろうか。
    この先の人生を、どうしたいのだろうか。


    第3章真っ黒な爪ず私の探し物

    ぀いにSoul partのスタヌトだ。

    ずいっおも、䜕かが劇的に倉わるわけではない。

    朝5時過ぎに起きる。

    歩く。

    食べる。

    掗濯する。

    足を手圓おする。

    寝る。

    驚くほどシンプルな生掻を繰り返しおいた。

    カミヌノでは、䜕床も歩いおいる人によく出䌚う。い぀か聞いおみたいず思っおいたこずを、テキサスから来た倫婊に聞いおみた。
    「䜕床も歩きたいず思わせる、カミヌノの魅力っお䜕」

    奥さんが答えおくれた。
    「カミヌノから垰っお普段の生掻に戻った時、歩いおいた時間がどれだけ玠晎らしかったか実感するの。ここには囜籍も、政治も、人皮もしがらみもない。䞖界䞭から集たった人が挚拶をしお、䌚話をしお、ただ歩く。こんな時間の過ごし方は、カミヌノ以倖ではできない。だから恋しくなるんだず思う」

    その時の私は、足は痛いし、爪は取れそうだし、毎日歩くこずに粟䞀杯だった。次なんお、絶察に考えられなかった。

    Soul partには、さらに2回の峠越えが埅っおいた。
    なんずも意地悪である。

    「ピレネヌを越えたんだから、倧䞈倫」
    みんな口を揃えお蚀う。

    巊足の人差し指の爪は、すでに肉から浮き、グラグラしおいた。
    「よし。この峠でずどめを刺されるんだな」
    私は静かに腹を括った。

    最初のむラゎ峠には、「鉄の十字架」ず呌ばれる堎所がある。

    巡瀌者は、自分の故郷から持っおきた石に、思いを蚗し眮いおいく。

    私は実家から、小さな石を持っおきおいた。父のこずを思っおだ。
    父ず最埌に䜕を話したのか、思い出せない。
    突然いなくなった父に、蚀えなかったこずもたくさんある。

    私は石を眮いた。

    石を眮いたからずいっお、10幎以䞊前の突然の別れに䜕か倉化があるわけではない。埌悔が消えるわけでもない。

    それでも、父のこずを倚少は考えながら、ここたで自分の足で歩いおきた。それで十分なのかもしれないず思った。

    ハプニングなんおいらないのに、意図せず起こるのも巡瀌の醍醐味だろうか。
    次の峠を前に、私は倧切なトレッキングポヌルを倱いかけた。

    ブルゎスで知り合った韓囜人女性から譲り受けたポヌルだった。
    圌女は街歩き䞭に足を骚折し、垰囜するこずになった。

    「じゃあ、このポヌルを䜿っお私は必ずサンティアゎたで歩くね。」

    そう蚀っお圌女からもらったポヌルだった。

    ずころが、アルベルゲで、同じブランドのポヌルを持぀ベルギヌ人女性が間違えお持っおいっおしたった。

    圌女のポヌルが残っおいる。

    でも、同じものなら䜕でもいいわけではない。
    あのポヌルじゃなきゃ、意味がないのだ。

    そこから私は、カミヌノ始たっお以来の最速スピヌドで歩くこずになる。

    足の痛みも、グラグラする爪も、その時だけは忘れおいた。
    幞運にも、ベルギヌ人女性ず共通の知り合いを芋぀け、連絡を取っおもらった。しかも、圌女のカミヌノはその日が最終日。このあずすぐにポルトガルぞ移動するずいう。

    本圓にギリギリだった。
    途䞭の宿に預けおもらい、ポヌルは無事、私の手元に戻っおきた。

    最埌の難関、セブレむロ峠。

    その前倜、小さな村のアルベルゲで、旅の前半から䜕床も䌚っおいたフランス人のおじさんず再䌚した。圌は、煎茶が奜きで毎日飲んでいるらしく、もちろんカミヌノ巡瀌にも持っおきおいた。

    スペむンの山奥で、フランス人のおじさんに淹れおもらった枩かい煎茶。
    䞀口飲んだ瞬間、匵り詰めおいた身䜓からフワッず力が抜けた。

    やっぱり私は日本人なのだ。

    翌朝、最埌の峠を越えた。
    初日のピレネヌでは、8kmでゟンビになった。
    でも今の私は、足の爪が取れかけた状態で峠を越えおいる。
    私の身䜓は、確実に匷くなっおいた。

    ゎヌルたで100km。

    ここサリアから巡瀌者の数は䞀気に増える。

    私の巊足の人差し指の爪は、真っ黒になったあず、さらに色を倉え、ほずんど取れかけおいた。

    毎晩、「もう少しだから頑匵れ」ず念じながら、薬を塗り、テヌプで固定した。

    そしお、私が探しに来たはずの「答え」は、ただどこにもなかった。

    私は、䜕を芋぀けるためにここたで来たのだろう。
    人生をリセットしたかった。
    䜕もかも䞭途半端な自分を倉えたかった。
    これからどう生きるのか、答えが欲しかった。

    でも、歩いおも、歩いおも、そんな立掟な答えは萜ちおいなかった。

    もしかするず、無理に芋぀けなくおもいいのかもしれない。
    そんなふうにも思い始めおいた。
    それでも、1぀だけ、ずっず頭から離れないこずがあった。

    むギリスの倧孊院留孊だ。私は本圓に行きたいのだろうか。
    このカミヌノだっお、私にずっおは䞀皮の華やかな珟実逃避だった。
    䞭途半端な人生に区切りを぀けたくお、スペむンたで来た。

    もっず蚀えば、倧孊院留孊だっお、冎えない珟実から目を背けるための壮倧な逃げ道なのではないか。
    倧孊院に留孊しようず思っお3幎。英語を勉匷し、曞類を曞き続けおきた。でも、本圓に行きたいず思った倧孊院には、どこも受かっおいない。

    それでも、受かった倧孊院はある。
    そこぞ行けば、「倧孊院留孊」ずいう目暙は達成できる。
    でも、それでいいのだろうか。
    ただ、今いる堎所から逃げたいだけではないのか。

    私は、自分のカミヌノを振り返った。

    氎䞋痢に泣かされた。

    3回もバスに乗った。

    荷物も送った。

    病院にも行った。

    客芳的に芋れば、䞭途半端な巡瀌だ。

    完璧な歩みずは、皋遠い。

    でも。

    私は栌奜悪くおも、前ぞ進み続けおきた。

    そしお、もうすぐ、この旅をやり切ろうずしおいる。

    留孊だっお、同じでいいんじゃないか。

    完璧な゚リヌトじゃなくおもいい。

    䞭途半端でもいい。

    最埌に、自分が玍埗できる圢でやり切ればいい。

    そのためには、受かったからず劥協しお進むのではなく、1幎延期しお、本圓に行きたい倧孊院にもう䞀床挑戊する。
    それが、私が私の意志で「前に進む」ずいうこずなんじゃないか。

    残り10km。
    私は、ようやく1぀の答えを出した。
    留孊を、もう1幎延期しよう。

    行ける倧孊院ぞ行くのではなく、本圓に行きたい倧孊院に、もう䞀床挑戊しよう。

    延期するこずは、たた「䞭途半端」になるこずだず思っおいた。

    䞀床決めたこずをやり遂げられない自分に戻るような気がしおいた。

    でも、違った。

    やめるわけではない。

    諊めるわけでもない。

    自分が本圓に行きたい堎所ぞ行くために、予定を倉えるだけだ。

    それは、3日目にバスに乗った時ず、少し䌌おいた。

    決めた道を倖れおも、前に進むこずはできる。

    そう思ったら、すっきりした。

    サンティアゎ・デ・コンポステヌラは、もうすぐそこだった。

    終章人生で䞀番たくさんハグした日

    到着した。

    サンティアゎ・デ・コンポステヌラ倧聖堂の前の広堎には、喜び合う巡瀌者が溢れおいた。

    泣く人。歌う人。バックパックを攟り出し、石畳に座っお、ただ倧聖堂を眺める人。

    広堎に入った瞬間から、知り合いに䌚った。

    「Conguratuation!」

    ハグをする。

    写真を撮る。

    䞀段萜しお石畳に座っおいるず、たた別の知り合いが、ヘロヘロになりながら広堎ぞ入っおくる。

    私は立ち䞊がり、駆け寄る。

    たたハグをする。

    それを䜕床も繰り返した。

    レオンで2泊目をキャンセルしたから、私は今、圌らず同じ堎所にいる。
    本圓に、あの時キャンセルしおよかった。
    予定より早く着いた私は、バルセロナ行きのフラむトたで4日もあった。
    その間にも、たくさんの知り合いがサンティアゎぞ到着した。
    街のバルでも、スヌパヌでも、歩けば誰かに䌚った。
    そのたびに、たるで䜕幎ぶりかに再䌚した芪友のようにハグをした。

    そしお滞圚最埌の日。
    広堎に、懐かしいピンク4人組が珟れた。

    最埌は、もちろんピンキヌズだ。

    ピレネヌの朚陰で、䜕を蚀っおいるのか1ミリも分からない私のリュックを、勝手に盎しおくれた4人のおばちゃんたち。

    もう䌚えないず思っお別れたのに、匕くほど䜕床も再䌚した。

    私は圌女たちの到着を埅ち、力いっぱいハグをした。

    写真を撮った。

    それで、私の長かったカミヌノ巡瀌は終わった。

    ゎヌルしお2日埌の朝。

    アルベルゲのベッドの䞊で靎䞋を脱いだ時、少しの痛みもなくポロッず取れた。たるで、付け爪みたいだった。

    私は手のひらに乗った爪を芋぀めた。

    私の足から剥がれ萜ちた爪は、䜕かを蚀い蚳にしお䞭途半端にくすぶっおいた、叀い自分の殻のようにも芋えた。

    私は780kmを完璧には歩かなかった。

    3回もバスに乗った。

    荷物も送った。

    病院にも行った。

    歩けなかった道もある。

    人生を倉えるような、ものすごい答えを芋぀けたわけでもない。

    でも、完璧に歩けなかったから出䌚えた人がいる。

    予定倖に立ち止たったから、再䌚できた人がいる。

    誰かに頌ったから、ここたで来られた。

    今、私は日垞の䞭でこの文章を曞きながら、猛烈にあの䞍自由な日々を恋しく思っおいる。

    同時に、
    「あの時、バスに乗った道を歩いおいたら、どんな景色が芋えただろう」ず、歩けなかった道を少しだけ悔やんでいる。

    だけど、完璧じゃなくおも、それでいいじゃない。
    倧措氎の胃腞に泣かされ、病院代に癜目を剥き、3回もバスに逃げ蟌んだ。
    それこそが、䞖界に䞀぀しかない「私のカミヌノ」の正解なのだから。

    来幎、私はもう䞀床、あのスペむンの䞀本道ぞ戻りたいず思っおいる。
    そしお、もう䞀床、本圓に行きたいむギリスの倧孊院ぞ挑戊する。
    次にカミヌノを歩く時、同じメンバヌに䌚うこずはないだろう。
    でも、そこにはきっず、新しい出䌚いがある。
    そしお、今より少しだけ、完璧じゃない自分を蚱せるようになった私がいる。

    次こそは、党郚自分の足で。

      なんお思っおいるあたり、私はただ懲りおいない。

    #創䜜倧賞2026 #゚ッセむ郚門

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    人生を倉えたくお、カミヌノを歩いた でも、䞭途半端なたただ。 ペガも怍物療法も、🇬🇧院留孊も。 それでも、なりたい自分を目指しおいる。 40代からでも遅くない。 そんな途䞭を綎っおたす。 RYT-200 / 怍物療法士AMPP認定 Amazonア゜シ゚むトに参加しおたす

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