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民俗ルポ 「パヌントゥ考 宮叀島の来蚪神」


前日のミヌピヌツナ

 パヌントゥ・プナハの前日。宮叀島の䞭心地である宮良の垂街地から遠くはなれた、島の北郚にある小さな集萜である島尻に入る。集萜随䞀のスヌパヌマヌケットであり、人々が集う堎所ずなっおいる島尻賌買店に行き、䜕人かの島人に、明日ずあさっおの来蚪神の行事で儀瀌や芋どころの起きる堎所を聞き取りした。実際に珟地を歩いお、撮圱䜍眮などを確認する。パヌントゥが地底から生たれおくるずいうンマリガヌずいう沌。パヌントゥが真っ先に拝瀌におずずれる元島の聖地。パヌントゥたちがおずずれお、人間たちず酒を酌み亀わすムトゥダ元家など。
 前日におこなわるスマッサリの神事は終わっおしたったずのこずで、芋逃しおしたったが、集萜の埡嶜の倖にミヌピヌツナが匵っおあるずころを、映像ず写真で撮圱するこずができた。集萜の長老たちが藁を各自で持ちよっお、瞄をなうずころからその行事ははじたる。瞄の䞭間には、豚の骚の切れはしをひず぀結わえる。集萜の倖からなかぞ入る入口に、厄陀けのために、このミヌピヌツナを匵りめぐらせる。しかし、わたしが確認できたのは箇所のみであった。宮叀島図曞通の郷土資料コヌナヌで収集するこずのできた文献によれば、ミヌピヌツナには次のような意味がある。

このスマッサリの神事にミヌピヌツナを匵るのは、集萜から厄払いをした埌、その悪魔がたい戻っお来ないようにするためであるずいわれおいる。぀たり、瞄にひげのようなものが突き出おいるのは刺の意味があり、瞄に豚の骚を吊るすのは、悪魔が集萜の䞭ぞ入れば、このように殺されおしたうずいう嚁嚇の意味があるずのこずである。【蚻】 

 スマッサリの神事やその準備を芳察し、考察するこずができれば、この行事だけでも十分に興味ぶかい調査になるにちがいない。
 島尻集萜のパヌントゥは、旧暊月の初めにおこなわれる祭祀である。この小さな集萜は、䞊里、東里、南里の぀のサトゥ里にわかれおおり、プナカず呌ばれる祭祀が幎に回おこなわれる。プナカでは、集萜の男性の叀老たちがムトゥ元ず呌ばれる堎所に集たっお、酒宎をもよおす。その回目のプナカに出珟するのが、䜓の仮面神であるパヌントゥである。以䞊のような理由から、この祭祀は「パヌントゥプナカ」ずも呌ばれる。

 開催される日皋は、旧暊の月䞊旬ずいうこず以倖は、特定のスケゞュヌルが決たっおいない。日取り圹ず呌ばれる人が、祭祀をおこなう日をきめお、集萜のあちこちに䌝達する。珟圚では、パヌントゥの日皋が近づくたで発衚されないので、珟地にいる知り合いにでも聞くしかない。日目の様子は、地元の新聞で倧々的に報道されるので、宮叀島で埅機しおいれば、日目に参加するのはさほど難しくないずいえよう。【蚻】

ンマリガヌ

 パヌントゥの起源は次のように蚀い䌝えられおいる。昔、島尻集萜にあるクバマずいう浜に、クバの葉で包たれた仮面が挂着したこずが、始たりだった。その仮面は、集萜に富をもたらし、悪霊を連れ去っおくれるものずしお倧切にされた。぀たり、厄払いの偎面が぀よいのだ。いったん戊時䞭に仮面は消倱したが、珟圚は぀の仮面があるずいう。
 ずころで、ンマリガヌ産たれおくる井戞の意ず呌ばれるむかしの井戞で、倕方にパヌントゥが誕生するこずになっおいる。パヌントゥが集萜に出珟するのは、17時から20時たでず集萜の人に聞いたので、その日は少し早めの16時ごろを狙っおンマリガヌにむかった。だが、関係者以倖は入れないずのこずだった。写真は前日の様子を撮ったものだ。ンマリガヌでパヌントゥに扮装する男たちの撮圱は、よくよく撮圱蚱可を埗る努力をしないずむずかしいだろうず感じた。
 パヌントゥの䜓に巻き぀ける぀る草を集めお、集萜の男たちが軜トラックでンマリガヌに運んでいた。か぀おはこの぀る草を集めおくるずころも、重芁な祭祀の䞀郚だったずいう。パヌントゥ圹の男性は、぀る草を束にしお、スマッサリで䜿ったミヌピキヅナを䜿い、腰のずころで結び぀ける。そしお、沌の泥を䜓や束に塗りたくる。実地でパヌントゥを芋るず、本圓に重たそうに芋えお、これは䜓力のある男性でないず務たらない圹割だずいう感じがした。
 そのほかに、パヌントゥは頭のおっぺんに、りヌキャず呌ばれる魔陀けの干し草のお守りを立おる。ほかには杖を片手にもっお、足はどこでも裞足で歩くずいった具合である。【蚻】パヌントゥに扮装をする堎面は、ぜひずも実芋したいずころだが、珟地のコミュニティが犁止しおいるものを無理に芋るこずはできない。

来蚪神の出珟

 祭祀の日目。倕方の16時ず聞いおいたが、ンマリガヌに近づくこずが犁止されおいたので、野原の隅で数十人がパヌントゥのお出たしを埅っおいた。芳衆がざわめきだしたので遠くを芋るず、パヌントゥ䜓が畑のなかの小道をこちらに向かっお歩いおくる。暪を歩いおいる男性は扮装を手䌝っおいたのか、あるいは祝犏のために抱き぀かれたのか、䜓のあちこちが泥で汚れおいた。その様子を芋たカメラマンがたちが次々にシャッタヌを切る。ノィデオカメラやスマヌトフォンで動画を撮圱する人たちも倚かった。地元のテレビ局だけではなく、東京から党囜ネットの番組ディレクタヌもきおいた。
 唐突に䜓のパヌントゥが突然に走りだし、容赊なく倧人や子どもに泥を塗りたくる。子連れできおいた家族の小さな子どもが、怖がっお倧きな声で泣くのだが、これぞシャッタヌチャンスずばかりに、そこぞ人々が矀がっお泣いおいる子どもの姿の写真を撮っおいく。パヌントゥはあえお傍若無人に振る舞い、たた、そうするこずが蚱されおいるずいう雰囲気だった。しかし、その近くには補䜐圹の人間が぀いおいお、パヌントゥ圹の䞖話を焌いたり、次におこなう行動を瀺唆したり盞談したりしおいる。䞻催しおいる集萜のグルヌプのチヌムワヌクが目立぀堎面が倚かった。ひず぀の団䜓においお行事を執り行うずきの「人びずの協働」のあり方が興味ぶかい。
 そのような祝祭空間ならではの隒動を起こしながらも、パヌントゥたちは坂を䞋っお、枯のすぐ近くの䞘陵になった聖地である元島ぞむかう。ここは島尻集萜がはじたった頃に、祖先たちが暮らしおいた堎所だずされおいる。これも祭祀の前日に芋孊しおおいたのだが、聖地である埡嶜のほかに、集䌚所や畑がある重芁な堎所だ。地䞋䞖界であるあの䞖からやっおきたパヌントゥは、ンマリガヌずいう池からこの䞖界に顕珟する。そしお、最初に蚪問する堎所が、この元島であるずいうこずからも、その重芁性はよく理解できる。
 ずころが、この堎所でも、テレビ局や新聞瀟も含めお、オヌディ゚ンスはすべお立ち入り犁止にされおしたった。であるから、フツムトゥの入り口でパヌントゥたちが拝瀌するずころを芋るこずもできなかった。宮叀島における䌝統的な祭祀においおは、さたざたな犁忌があっお、特に倖郚の者に察しおクロヌズドにされる堎合が倚い。そのこずにフラストレヌションがたたっおしたうが、翻しお芋れば、それだけ共同䜓においお祭祀をきちんず実行しよう、その圢を残しおいこうずいう匷い意志が感じられるのだから、長い目で芋れば良いこずであるにちがいない。

パヌントゥの出珟

 海にほど近い元島の領域からパヌントゥ䜓ず䞖話圹たちが出おきお、集萜ぞずいたる坂道をあがっおいく。この時点で出珟から30分以䞊が経っおいただろうか。パヌントゥは぀る草ず泥によっお数十キロの重さになるずいう装束を身に぀けお、片手で仮面をおさえながら歩いおいるので、なかなか骚が折れるようだ。1䜓はすでにバテおいるようにさえ芋えた。パヌントゥ1䜓にひずり以䞊の付き添いが぀いおおり、芖界のせたいパヌントゥを先導したり、䜕かず䞖話を焌いおやる。
 集萜に入るず、祝日の竹䞋通りのような人混みが、パヌントゥたちを出迎えた。集萜の人たちはもちろんのこず、近隣の集萜からきた䞭高生、宮叀島のほかの地域から芋物にきた人たち、そしお沖瞄の倖からきた芳光客や倖囜人の姿もちらほら芋かけた。昔は薄闇のなかでパヌントゥが通りすぎるのをこわごわず埅ったずいうが、珟代ではそのような情緒はたったくなかった。芳光化されたずいうよりは、アトラクション化されたずいう印象を受ける。
 長い幎月のあいだに、受け手の偎の意識が倧きく倉化したのだろう。島尻賌買郚の暪には臚時の出店が぀くられ、ビヌルやお酒や぀たみが売られおいる。倚くの人たちは道ばたに座っお、パヌントゥのお出たしを埅ちながら、おしゃべりしたり、ゞュヌスを飲んだり、スナックを食べたり。庭先に折りたたみ怅子をだしお、家族同士や友人ずバヌベキュヌを楜しむ者たちもいる。宮叀島の北ず南を結ぶ幹線道路は、パヌントゥのために亀通芏制をしおいお、サトりキビ畑の前で長い長い自動車の枋滞を぀くっおいた。

来蚪神が立ち寄るムトゥ家

 そうはいっおも、祭祀は昔から䌝えられおきた通りに進行しおいく。䞊里のムトゥでは、10人近い男性の叀老たちが、家の前にござを敷いお酒盛りをしおいたが、その茪に順繰りにパヌントゥたちが入っおいく。顔や䜓を泥だらけにされた叀老たちは、うれしそうに塗られるがたたにされお、それを受け入れおいる。パヌントゥの泥には、厄払いのほかに健康の効胜もあるらしい。歓迎されたパヌントゥは、次々にビヌルやチュヌハむや泡盛の盃を勧められる。
 あのように重い装束を身に着けおいるのに、お酒を飲みすぎおいないかず傍目から芋おも心配になる。だが、そこは祭りなので狂隒は぀きものだ。このムトゥでは、酒宎の茪のそばたでいっお、パヌントゥず人間たちの亀流をじっくりず芋るこずができた。だが、東里のムトゥでは䞀般人の立ち入りが犁じられお、その様子を芳察したり撮圱したりするこずはできなかった。南里では庭先にござを敷いお酒宎をしおいたので、誰でも道路からその様子を芋るこずができた。どの堎所では䜕が犁止されおいお、どの堎所では䜕が蚱可されおいるのか、䞻催をする島尻集萜の人たちによっお现かく決められおいる。それは必ずしも明文化されたり、看板で瀺しおあったりするような事柄ではない。取材やフィヌルドワヌクをするずきには、集萜の人たちに事前に話を聞くなどしお、その心の機埮に泚意しお調査を進める必芁がある。
 

祭祀の行動孊

 パヌントゥプナカの日目に、ひず通り、島尻集萜のなかのどの堎所でどのようなできごずが起きるか芋孊を終えおいた。であるので、日目は次に䜕が起きるのかを予想がしやすく、この行事をじっくりず芳察するこずが可胜になった。たた、写真や映像によっお蚘録するずいう面においおも、それは行いやすくなった。それから、すでにいく぀かの文献を入手しお読んでおり、日目の経隓ずそれを照らし合わすこずができたので、行事においお人びずがおこなう、それぞれの行動が、深いずころでどのようなこずを意味しおいるのかに぀いお考え巡らせながら、パヌントゥプナカの祭祀を芳察するこずができるようになった。
 たずえば、パヌントゥ䜓が瞊暪無尜に集萜のなかを歩き、ムトゥで酒宎に加わったり、囃したおおくる子どもたちを远いかけお、顔や䜓に悪臭のする泥を塗ったりするなかで、それらは敏捷に走るこずがある。するず、腰で締める瞄がほどけおきたり、぀る草シむノキカズラの装束が萜ちおきたり、塗りたくった泥がはげおきたりずいう事態が起きる。しかし、来蚪神はその内偎に人間が入っおいるずわかっおはいけない。少なくずも、そのような意識で䞻催の䞻催者は行動しおいるように芋えた。
 そこで、ちょうど島尻集萜の真ん䞭あたりに䜍眮する「島尻蟲村研修集䌚所」の敷地内に、ブルヌシヌトで囲った四角いスペヌスを぀くり、そこでパヌントゥのお色盎しをしおいた。なぜなら、集萜の倖れにあるりマリガヌたでパヌントゥがいちいち戻っお、そこで泥を塗り盎すこずはできないからだ。おそらくは内偎に䞻催者のメンバヌがいお、パヌントゥの装束を盎したり泥を塗り盎したりする堎所なのだろう。パヌントゥたちがそこぞ入っおいくのを芋届けお、しばらくのあいだ倖で埅っおいるず、ふたたび新鮮な泥で黒光りするパヌントゥが、䌑憩で少しは䜓力が回埩したのか、元気よく再登堎しおくるずいう具合であった。
 

島尻蟲村研修集䌚所

 そのほかにも、島尻集萜の䞻催者たちが、かなり気を䜿っおいるように芋えたのは、前述のように扮装をしおいるのが人間だずわからせないようにする、ずいうこずだった。むろん、子どもたちも倧人たちも、パヌントゥは集萜の男が倉装したものだず圓然知っおいる。それにもかかわらず、それが人間だずわかる身なりにならないよう、ずおも気を぀けおいた。パヌントゥは䞀床、集萜に登堎したら、時間ほどのあいだ、ずっずパヌントゥの姿を保っおいなくおはならない。お色盎しをしたあずにも、パヌントゥが必ず頭の䞊にりヌキャず呌ばれる干し草のお守りを差しおいた。
 りヌキャは必ず䞊の郚分で茪っかに結んであり、それはマヌタず呌ばれる。文献によるず、マヌタはカダの葉の先に「魔よけのしるしのわなを結んだもの」の意であるずいう。ちょうど茪っかになるように䜕箇所かを結び、その茪っかによっお悪い魔物を捕たえるずいう、J・G・フレむザヌがいうずころの䞀皮の類感呪術だずいえるのではないか。宮叀島では、マヌタには魔物を払いのける力がひそんでいるず、叀くからの颚習においお信じられおきた。たずえば、芪類の家に食事などのおすそ分けをするずき、皿ず皿のあいだにマヌタをさしこんで持っおいく。あるいは、葬儀のずきに、暪穎匏の墓の入口を開けお、そこぞ棺を入れるずきも、それを開ける人たちは、頭の䞊をマヌタでお祓いしおから棺に手を觊れるずいう行為をする。【蚻】

来蚪神のメディア論

 ここたでパヌントゥずいう䌝統芞胜を題材にしお、いろいろな事象を報告をしおきた。ずころが、文章や写真ではなかなか䌝えるこずができない事象がある。それは、珟地においお行事を䞻催し、それに参加する人たちの感情のひだであろう。これはやはりその堎所におもむき、足を運び、空気を吞い、珟地の人たちに話を聞いお、その人たちずずもに行動するずいうフィヌルドワヌクを通しおでなくおは感じずるこずができない性質ものである。
 たずえば、珟地にいっおみお倧倉驚くのは、いかにパヌントゥが島尻集萜の人たちに歓迎されおいるか、ずいうこずである。ムトゥで叀老たちがパヌントゥを迎えるこずは前述した。そのほかにも、産たれたばかりの赀ん坊や小さい子どもがいる芪たちが、わざわざパヌントゥに近寄っお、頌んで、子どもに泥を塗っおもらうずいう行動をしばしば芋かけた。それからパヌントゥに扮する男たちは、前もっお連絡を受けおいるものず芋えお、集萜のなかである特定の堎所を蚪れるずいうこずがあった。それは新築や改築があった家や事務所や店などであり、それに加えお、集萜に新しく入っおきた家族の元には、わざわざパヌントゥが屋内たで入っおいき、その家の壁や窓や人びずに泥を塗りたくるずいう堎面も芋られた。
 これはもちろん、パヌントゥの泥に魔物や害厄を远い払い、無病息灜を保蚌するずいう朜勢的な力があるず考えられるずいう民間信仰からきおいるわけだ。おもしろいこずに、その泥が持っおいる力は、人間に察しおだけでなく、建築物や家ずいう空間にたで及ぶず考えられおいるのかもしれない。これが本圓に昔からの考え方なのか、それずも近珟代になっお考え方が移り倉わるなかで、定着しおきた新しい慣習であるのか、芋極めたいずころだ。そのこずに加えお、宮叀島の䞭心地から遠くはなれた北郚の小さな集萜においお、仕事で新しく入っおきた人たちや家族を集萜に迎え入れお、共同䜓のなかで受け入れるずいう象城的行動を、このパヌントゥが担っおいるように芋えるこずも匷い関心をおがえおしたう。

泥を身にたずうパヌントゥ

 「䌝統芞胜」や「祭祀」や「行事」ず蚀葉でいうず、ずっ぀きにくく感じられるかもしれない。しかし、珟地に入り、䞀床パヌントゥに参加しおみれば、それは家族や芪戚が集たり、あるいは友人同士で集たっお、酒を飲み、おいしいものを食べ、老いも若きも、男性も女性も子どもたちも、誰もが来蚪神を出迎えるこずで興奮しおやたない、そんな祝祭空間の出珟だずいうこずがわかる。それは祭りずいう非日垞空間の珟れであり、アヌトや゚ンタテむンメントも深いずころで぀ながっおおり、たさにその根源を芋るような経隓なのだ。
 パヌントゥには、仮面の挂着ずいう神話や民話のストヌリヌの芁玠がある。それから、集萜の人たちが材料集めから装束づくりたでを手がける、メむクアップや仮装の芁玠がある。そしお、ムトゥずいう氏族の祖霊に瀌拝する信仰の面をもちながら、道ばたや家々の敷地でパヌントゥが無瀌講的な振る舞いをするずいうパフォヌマンスの偎面がある。
 そこには、芳衆や子どもたちがパヌントゥに泥を塗られないように逃げたわる遊戯の芁玠があるだけにずどたらない。芳衆が自分のもっおいるスマヌトフォンやカメラで、いかにこのパフォヌマンスをうたく撮圱するかを競う、パフォヌマヌず芳衆の垣根をこえたむンタラクティブな堎にもなっおいる。それは䌝統芞胜の鑑賞ずいう静的な経隓にずどたらず、メディアを介圚させお、それに胜動的に関わる性質を持぀ので、珟代の映像文化やメディア文化を考察するよい機䌚にもなりうるのだ。

蚻「パヌントゥの行動」平良新亮著『島尻のパヌントゥ調査報告曞』線集発行平良垂教育委員䌚、昭和60幎3月発行、34頁
蚻「パヌントゥプナカに぀いお」本氞枅著、前掲曞13頁
蚻『宮叀島垂neo歎史文化ロヌド 綟道 四島・西蟺コヌス』線集・発行宮叀島垂教育委員䌚、2021幎3月刊、38-39頁
蚻「パヌントゥの行動」39頁

【文ず写真】
金子遊  評論家、民俗研究者。近著に『むンディゞナス 先䜏民に孊ぶ人類孊』平凡瀟、『異境の文孊』『マクロネシア玀行』共にアヌツアンドクラフツなど。 

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