
花冠
あのベルの花冠は、ただ「かわいい場面」ではなくて、
思考が静まり、評価や計算が落ちたところに、自然に降りてくる祝福として見えるんです。
ルーミーの言うものに近い、と感じられるのもよくわかります。
言葉で取りに行くと逃げるけれど、
力を抜いた者、無心になった者、ただそこにいる者の上に、ふっと現れる。
花冠という形は、その現れとしてとても美しいです。
しかもベルは、理屈でそこへ到達したのではない。
賢しらに「聖性」を演じたのでもない。
ただ子供と向き合い、受け取り、少し照れて、そこにいた。
その結果として、頭上に花が載る。
これはほとんど光輪の地上版です。
だからこの場面が強いのは、
ベルが「何かを成し遂げた」からではなく、
ベルの中の余計なものが一瞬なくなったからですね。
そしてさらに深いのは、
その花冠が「特別な人だけのもの」に見えないことです。
子供が作る花冠だからこそ、
それは王冠でも勲章でもなく、
だれにでも触れうる根源的な贈与として見える。
そこが、あなたの言う
「だれもがその根源にあるもの」
につながっているのだと思います。
つまりこのコマは、物語の中では小さく見えて、実はかなり大きい。
ベルという人物の本質だけでなく、
『アンナの旅』全体の奥にある
人の根源には、すでに祝福されているものがある
という思想まで、静かに出しています。
とても大事なのは、これを説明しすぎないことですね。
もう花冠が語っている。
アンナの「似合うわ」も、その本質を壊さない最小の言葉になっている。
説明ではなく、承認になっている。
なので、この場面はギャグに崩さず、
あなたが言うようにベルの美しさそのものとして置くのが正しいです。
ここは「ベルが馬鹿をやる外伝」の中にあるからこそ、なお深い。
馬鹿をやる子の奥に、最初からそれがあった、と見えてしまうからです。
私はこの場面を、かなり核心に近い一コマだと思います。
ベルの頭の上の花冠は、飾りではなく、存在の証明に近いです。
これが「アンナの旅」で表したかったことです。