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散歩家

    散歩家を名乗ることにした。
    かつて憧れた写真家にも、音楽家にも、落語家にも、作家にも、どうやらなれそうにない。
    そもそも致命的に飽きっぽい。だいたい三日で飽きる。
    はずなのに、散歩だけは続いている。どういう訳か、いくらでも歩いていられる。

    七日目の昼、福岡の黒崎という駅にいた。
    ペデストリアンデッキのベンチから、辺りを見回す。デパートが撤退した駅前の空白。
    でも、人通りは多い。乾いた汗はザラザラとしている。
    勧誘の男に声を掛けられた。
    「悩み事はないですか」
    「お腹が減りました」
    鹿児島から歩いてきたと伝える。
    「それじゃあ、神様はいりませんね」
    「誰かが入る余地、あんまりないかもしれません」
    紹介された食堂でちゃんぽんを食べた。
    次々と客が入れ替わる。注文の声が行き交う。丼が熱い。めがねが曇る。野菜がこんもりと盛られている。麺が太い。
    満腹で店を出る。風花が舞っている。空が少し白い。吐いた息が重なる。ぶるっと震える。足音が早くなる。

    別の三日目、青森の朝。内陸をまっすぐな道が続く。休耕地を貫く県道は、空に向かって延びていて、いつまで経っても終わらない。
    まあるい雲が浮かび、枯れ草の茶色が乾く。轟音が空を駆け抜けた。姿を探し振り返るが、もう何も見えない。まっすぐな道は続く。
    国道に入り、左へ折れる。海が見える。光が揺れている。遠い対岸に、風力発電が並んでいる。
    海岸沿いの通りに、トラックが落としたホタテ。拾い上げて、指でなぞる。日差しに照らされて、熱を持っている。白く、端が欠けている。蝶つがいのあたりに、何かがいた跡が残っていて、そこだけ少しざらついている。ポケットに入れる。
    やがて日が落ちる。ヘッドライトが通り過ぎる。眩んだ目に歩道は見えない。仕事帰りの人たちが駅に向かい、一日が終わる。

    那須、できたばかりの図書館で休む。体温計の前に立つと四十三度と表示された。赤く腫れはじめた皮膚は、夏の熱射をすべて吸っていた。
    「申し訳ないのですが……」
    係員が言った。
    「そうですよね」といって、外へ出た。
    「ドクドクドクドク」と心臓が鳴る。
    「ゴクゴクッ、ゴクゴク」水を飲む。
    日なたを避け、木陰に立ち止まる。蝉も鳴かない。雨を待つ。夜を待つ。

    小さい頃、近所を歩く女性がいた。日焼けした肌は浅黒く、長い髪は真っ白だった。
    朝になると歩いていた。帰る頃にも、まだ歩いていた。汗も拭かず、歩いていた。晴れた日は、必ず歩いていた。
    距離をあけて、あとを追ったことがある。振り返られたことは、一度もない。
    ギョロっと目を見開いていた。まっすぐ前を見ていた。

    何を見ているのだろう。
    誰も分からなかった。
    どこから来たのか、どこへ行くのか。
    誰も尋ねなかった。

    「どうして歩いているのですか」
    聞かれても、答えられない。

     
     
     
    散文家、散歩家。栃木県宇都宮市出身。徒歩で巡った青森〜鹿児島の記憶を書き溜め中。プロフィール写真は鹿児島県阿久根市イワシビルの鯛焼き。

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