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母の日の前に、自分のために花を買った。

    母の日の1週間前、息子は部活でいない。夫はゴルフに出かけたので、
    一人でホームセンターに行きました。

    別に何が欲しいわけじゃなかったんだけど、なんとなく行き場のない時間があって、気づいたら園芸コーナーに。なんだか中高年優等生!

    「あ、カーネーション」

    鮮やかなピンクと赤。そうか、母の日の季節だったよね。みんないなきゃいないでいいんだけど、なんだかぽっかりする。

    で、母の日って、うちでは毎年スルーされていくんだよね。

    一応、私も母なんだけどな…とどこかで思う。まあ中2の男子が粛々と準備して祝ってくれたとしても、それはそれで心配になる。

    「こーゆーワザ、いつ覚えた?」とか、
    「彼女いるんか?」とか。

    妄想母になってもアレなので、健全に育ってるんだな、とどこかで思いつつ、一抹の寂しさを感じる。母というより、オバ心的発想で。

    ——私、母の日に何かもらったのいつが最後だろう。

    保育園の頃はもらった気がする。でも、いつのまにかそういうイベントから、息子も私も遠ざかってた。別に何か欲しいわけじゃないんだけど、ただカーネーションが目に入るたびに、母である自分をちょっと顧みてしまう。


    大切なこと、教え忘れたのかな、って。


    あの頃は本当に必死だったから。保育園に迎えに行って、ご飯食べさせて、お風呂入れて、寝かせる。絵本も読んでたけど、たぶん作業になってたと思う。もっと時間の持てる母親だったら、手をつないでお買い物に行って、「これはね」って、いろいろ教えられたのかな、とか。

    よく「子育ては、”つ”のつく年まで(・・ここのつ以降は”つ”で数えられないからそうゆう)」って言うじゃないですか。


    振り返ると後悔しそうになるんだけど——


    人間振り返ると後悔が先に来るのって、私だけじゃないですよね(・・希望)幸せな記憶ももちろんあるのに、あの時こうしておけばよかった、が先に出てくる。「ほーんと贅沢な人間だなあ、私・・・」って、とつくづく思う。

    でも目の前の子はもう中学生で、部活に行って、親にはわかりやすくひねくれた無言態度をとる。「別にーーーー」がデフォルトだし、無駄に質問すると何故かキレられる。。そのひねくれが、まあまあまっすぐ育ったってことなんじゃないかなと。笑


    カーネーションの隣に、マリーゴールドの鉢植えがあった。名前、後から調べてわかったんだけど、買う時はよく見てなかった。


    でもなんとなく手に取って、買っちゃった。


    お花を買う余裕ができたのって、ここ最近のことなんですよね。何かに追われてた頃は、飾る余裕なんてなかったから。そういう意味では、ちょっと年を取ったなって思う。

    働くことをやめなかったから、今の自分がある。それは本当にそう思ってる。でもそれとは、また別の話で。


    答えは出ない。たぶん一生出ないんだけど。いやパンドラの箱かなあ、開けちゃったら、どろどろどろどろ。。。


    名前も知らないまま買ったマリーゴールドを、母の日の前に自分のために買って。それでよかったのかもよくわからないまま、家に帰った。

    ベランダに無造作に置いた鉢植えは、今日もちゃんと咲いてる。必死だったあの頃の私も、たぶん、ちゃんと咲いていたのかなあなんて、自分で自分を愛でてみた。

     
     
     
    大きな不満はないのに、なんとなく心が落ち着かない―そんな「静かな消耗」を、ことばで整えていく場所。 副業も経験した。転職もした。管理職は断った。それでも会社員でいることを選んだアラフィフの、現在進行形の記録。子育てが落ち着いたいま、自分のキャリアと向き合うひとへ。

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