
第26話(今宵の一膳)京都 祇園焼肉という記憶──天壇 1965 SENGAWA
静かな夜に
この日の夜は京王線仙川駅に下車した。 改札を出ると、桜の木の下で待ち合わせなのか、人が集まり、少し込み合っていた。
友人と久しぶりに会うために。 そして、祇園の思い出を静かに振り返るために。
空には雨雲が広がり、今にも降り出しそうな気配があった。 台風の影響で梅雨前線が刺激されているのだろう。 梅雨が終わりを告げる──そんな気がした。
駅から数分歩いたところに仙川フォレストスクエアがある。 駅の反対側のエリアに来るのは久しぶりで、 仙川の街の景観は、いつの間にか大きく変わっていた。
待ち合わせ場所は、フォレストスクエア3階にある「天壇」。
エスカレーターを上り、紫陽花の咲く中庭を抜け、さらにもう一段上へ。 甲州街道側の奥に「天壇」のエントランスが見えた。
予約を告げると、一番奥の4人掛けの個室に案内された。 友人はまだ来ていない。 「あいつらしい」と思い、瓶ビールを飲んで待つことにした。
祇園の天壇の姉妹店が仙川にできた── そんなことを全く知らず、友人から教えてもらったのはほんの数日前のことだった。
「祇園の天壇か。懐かしいな。早速予約してみるか。」
そう思い立ち、ネット予約をして今日ここに来た。
祇園といえば京都を代表する歴史的な花街。 舞妓・芸妓文化、伝統のお茶屋、八坂神社、町屋の風情。 サスペンスのロケ地として知られる辰巳神社もある。
祇園で見かける「祇園」「祇をん」「ぎをん」という文字は、 いかにも京都らしい風情をまとっている。 この時期、舞妓さんや芸妓さんが名前入りのうちわをお得意先へ配る「祇園うちわ」の風習もある。 そんなことまで思い出してしまうから不思議だ。

京都の接待でよく祇園を訪れた。 祇園で過ごした夜の灯りがふと胸に灯り、 遅ればせながら、この仙川の「天壇」に足を運ぶことにした。
1.きっかけとなった出逢い(京都焼肉 天壇1965 SENGAWA)
「天壇」の祇園本店が好きだった。
1965年創業の焼肉の老舗である。
東京にも銀座、赤坂、神楽坂、丸の内と店舗があることは知っていたが、 なぜか通う機会を失っていた。
友人の 「あの天壇の姉妹店が仙川にできたって知っているか?」 という何気ない一言が、この店を知るきっかけになった。
「天壇のつけ汁の焼肉か。懐かしいな。久しぶりに行ってみるか。」
そんな流れで、仙川の「天壇」に行くことになった。
桐朋学園や白百合女子大のある仙川の商店街の灯りは穏やかで、 祇園の華やぎとは明らかに違う、生活の息づかいが混じった柔らかな夜の表情をしていた。
その中で、フォレストスクエアの一角に見えた天壇の看板は、 どこか祇園の灯りをひと筋だけ連れてきたような佇まいだった。 その光景に、思い出の扉が静かに開いた。

2.「天壇」祇園本店との出逢い
祇園は、子供の頃から焼肉好きの私にとって特別な場所だ。
天壇をはじめ、フレンチ懐石の祇園おくむら、和懐石の祇をん 八咫── いくつもの名店に連れて行っていただいた、あの頃の夜の匂い。
石畳に落ちる柔らかな光、暖簾をくぐる瞬間のわずかな緊張、 町屋づくりの家屋に一歩踏み入れたときの、外観とのギャップにある驚き。 そして静かに始まる食の時間。
その記憶が、仙川の夜にふと重なる。 扉を開けた瞬間、香ばしい肉の香りが祇園の「天壇」の記憶をそっと呼び起こした。
祇園の店で、京都や祇園に関する様々なことを教えていただいた。 京都の夜は深い──そのことも。

3.京都焼肉 天壇1965 SENGAWAで一膳を愉しむ
席に案内され、まずはロースを注文する。
薄くスライスされた肉が焼き網の上で音を立て、 脂がじんわりと溶けていく。 その瞬間、祇園で過ごした夜の断片がふとよぎる。

天壇特製のタレをくぐらせて口に運ぶと、 甘みと旨味が舌の上でほどけていく。 仙川の夜に、祇園の余韻がそっと寄り添う。 そんな不思議な感覚に包まれる。
続いて頼んだハラミは、肉の厚みがほどよく、 噛むたびに香りが広がる。 焼き網の熱が生む焦げ目の香ばしさが、祇園の夜の深みを思わせる。
料理の温度、香り、焼き網の音── それらが仙川の静かな夜に溶け込み、 一膳の時間をゆっくりと満たしていった。
4.今日の所感
外に出ると、仙川の夜はすでに落ち着きを取り戻していた。
祇園の石畳の情景とは違うけれど、 どこか同じように、静かな余白を抱えた夜だった。
その余白の中に、今日の一膳の温度がそっと残っていた。
祇園の記憶と仙川の夜が、思いがけず寄り添った一日。 静かな満足感が、帰り道の足取りを少しだけ軽くした。
祇園といえば京都。 JR東海の「そうだ 京都へ行こう」のCMがふと脳裏をよぎる。
あの挿入歌が、時代を超えてゆっくりと流れていった。
参考
今宵、静かな夜の時間を楽しむための小さな手がかりとして。