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ピクニックの魔力

    以前、戦場カメラマンの渡部わたなべ陽一氏が、向こうの人は余暇の使い方がうまいという話をしていた。
    たぶんラジオか何かで言っていたのだと思う。

    彼らはちょっとした時間があると家族でピクニックに行く。
    敷物と飲み物と軽食を持っていく。
    歩いていけるような近場に行く。
    敷物を敷いて、子供はそこらで遊び、大人はのんびり座っている。
    そうやって時間を過ごす。

    なんと素敵なんだろうと私は思った。
    ピクニック、最高やん。

    ピクニックというのは虫除けスプレーを全身に塗ったくって、テントやらタープやらを張ったり、コンロで肉を焼いたりしなければならないと私は勝手に思い込んでいたが、別に外でボーっとすればなんだっていいのだった。
    肩肘張らない海の向こうのピクニックに、私の蒙もうが啓ひらいた。

    以来、私もスーパーで買った木村屋のアンパンと水筒に詰めたコーヒーを持って、近所の巨大ドーナッツ型公園でボーっとしたりしていた。
    ちょっと今は暑すぎて無理だし、引っ越したのでドーナッツ公園にはもう行けないが、また秋になったらしたいものだよ、公園ピクニック。

    *

    さる5月末、私は川沿いを散歩していた。
    草がすでに茫々と繁茂して、業者の方がせっせと草刈りをしている。
    草面積は茫漠たるものがある。
    暑いなかご苦労様だと私は思った。

    風の強い日だった。
    まだ草刈りが終わっていない草どもがダイナミックに波打ってなんとも気分がいい。

    すると波打つ草陰に人間の頭が見えた。
    なんだろう。
    私はおもわず凝視してしまった。
    頭は一つではない。

    つとめてさりげなく横目でさらなる観察を続けたところ、草陰の人らは近隣に住む南アジアから来た若者たちで、子供が使うようなカラフルなレジャーシートを敷いてピクニックと洒落込んでいるのだった。

    草の背が高くなりすぎてもはや草に埋もれている感じだけれども、缶ビールなど飲んでなかなか楽しそうだった。
    さすが本場の人たちは気合が違う。

    *

    思えば日本人だってピクニックを楽しんでいたのだ。
    私の母が子供の頃一番楽しかった思い出は夜の野掛けで、満月の夜に外でゴザを敷いておにぎりを食ったのがものすごく良かった、満月がデカくて狂ってしまいそうで母は全力で野を駆け回って最高だったといつも言っていた。

    子供の頃の私はそんな母にいいしれぬ恐怖を覚え、満月が嫌いになったが、なんのことはない、誰だってタガが外れるぐらいエキサイティングな思い出のひとつやふたつあるのである。

    *

    というわけでピクニックは私が思っているより奥深く、また楽しいもので、人を惹きつけてやまないなにものかを持っているらしい。

    私は以前、汎ヨーロッパ・ピクニックのドキュメンタリーをNHKで見た。
    なるほどそんなこともあったんだなと感心した。
    あれも汎ヨーロッパ・フットボールとか汎ヨーロッパ・ハイキングでは駄目で、ピクニックである必要があったのかもしれない。

    これまでの私はピクニックをなんというか子供だましだと思っていた。
    小さい子がいる人が、やむを得ず子供を遊ばせるために行う消極的外出の一種だと心のどこかで軽んじていた。

    反省だ。
    ピクニックは人生の添え物ではなく、ピクニックこそが人生なのだ。
    私も今後は盛んにピクニックをやって、その深奥を探っていきたい。

    **

    使ってる水筒はこういうの


     
     
     
    好きな小説はニューロマンサーです

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