「もう行く時間だよ」と今朝もまた言ってしまった日に
朝の支度の時間、気づいたら同じ言葉が口から出ていた。
「もう行く時間だよ」
「早くして」
子どもが動かないことへの苛立ちよりも先に、「また言ってしまった」という感覚が来る朝があります。
昨日も一昨日も、同じような時間に、同じような声かけをしている。
子どもの様子も、自分の言葉も、なんとなく似ている。
そういう朝が続くと、子どもを動かせないことへの苛立ちとは別の、どこかくたびれたような感覚が積み重なっていきます。
毎日言っているのに、なぜこんなに疲れるのか
声かけを繰り返すことの疲れは、声の大きさや回数だけから来ているわけではない気がします。
「また同じことを言っている」
「また同じ朝になっている」
何度繰り返しても変わらないパターンへの、なんともいえない重さ。
「言い方が悪いのかな」
「もっと根気強く待てばよかったのかな」
という気持ちが、頭のどこかをかすめることもあるかもしれません。
それは、子どもの朝のことをちゃんと考えているからこそ出やすい感覚だと思います。そう感じること自体は、おかしくないと思います。
「正しい言い方があれば」と探し続けているとき
「もっとうまい声かけがあるはずだ」
「言い方を変えれば、子どもが自分で動くようになるはず」
そういう考え方は、子どものことを真剣に考えているからこそ出てくるものだと思います。
声かけの工夫が助けになることはあります。
同じ場面でも言い方を変えたら、その日はすんなり動いてくれた、という経験は多くの家庭にあるはずです。
ただ、「正しい言い方を見つけたい」という方向で探し続けているとき、探しているのは「言葉の中身」であって、「どんな声かけのパターンが今の朝に続いているか」ではないことが多いかもしれません。
何を言うかではなく、今どんな流れが続いているのかをもう少し手前から見てみる余地
そこに、言葉を探し続けることとは少し違う入口があることがあります。

「今朝も同じことを言っている」という気づきの使い方
「また言ってしまった」という気づきは、自分を責める材料にするためのものでも、「今日から声かけを変えよう」と新しい方法を探し始めるスイッチにする必要があるものでもないと思います。
ただ、「今朝も同じことを言っている」とふっと気づいたその一瞬は、「今、どんな声かけのパターンが続いているんだろう」と少しだけ見てみる余地になることがあります。
何時ごろ最初の声をかけていて、子どもは何度目の声かけのあたりで動き始めるのか。「なぜ動かないのか」を断定するためではなく、ただ今どんな流れが続いているかを、少し観察してみるだけの余地です。
そこから何かが変わるかどうかは、その日によって違うと思います。でも、「もっと正しい言い方を見つけなければ」と探し続けることとは少し違う、もう一つの見方が生まれる日があるかもしれません。
今日もまた言うかもしれない、そういう日もある
「また言ってしまった」と気づいた朝の翌日も、うまくいく日もあれば、また同じ言葉が口から出てくる朝もある。
それが家庭の日常だと思います。
もし今朝、「また言ってしまった」という感覚があったなら、次にどう声かけしようかを考える前に、ほんの一瞬だけ
「今朝は何度目の同じ言葉だったかな」
と立ち止まってみること、そういう日があってもいいかもしれません。
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