メインコンテンツへスキップ
見出し画像
Photo bynon_file

【小説】めぞん・プルガトリオ


    Episode1:ヤマダさんと宇宙スーパーに行こう!


    ――秋口、うだる様な暑さがなりをひそめ、ようやく涼しくなってきた頃

    そう、驚くべきというか当然というか、この『地球』にも秋があるのだ。


    ヤマダさんが朝日が差し込む部屋で寝てる俺の身体をぽふぽふ撫でてくる。

    ヤマダ「宇宙スーパーに買い物に行きませんか?」


    男とも女ともつかない、いやそもそも人間じゃない声が俺の耳に響き、ヤマダさんの身体から生えた昆布のような何かが俺の顔に被る。そう、ヤマダさんは『宇宙人』なのだ。信じてもらえないだろうが『宇宙人』だ。

    宇宙『人』という表現すらちょっと怪しい。

    ヤマダさんは不定形のボディを持っている。柔らかそうなボディで、何かを持ったりするときに腕の様なものが伸びてその先端で物を掴んだりする、さっきもその『腕』で頭をなでなでされて起こされたって寸法だ。

    俺「宇宙スーパー?」

    ヤマダ「はい、宇宙のスーパーです、食料を買い出しに行くのです!」


    眠い目をこすりながら改めてヤマダさんを見る。

    このふよふよした不定形のヤマダさんの身体にもようやく慣れてきた。

    再び柔らかい突起を出し、俺の頭をぽよぽよなでてくる。


    ――この世界に『地球人』はおそらく俺一人しかいない。


    もともとブラック企業の社員だったらしい俺は元いた世界で軽トラに轢かれた拍子にこの『異世界』に瞬間的に移動したらしい。ラノベ風に言えば『異世界転移』とでも言えばいいのだろうか?

    多分言っても信じてもらえないし、言う相手はもはや誰もいないが事実だ。

    そしてこの『異世界』は地球と似て非なる場所だった。

    地球文明の残渣がある、そう、ここは剣と魔法のファンタジー世界『ではない』のだ。そしてその遺された地球文明をモザイク状に塗りつぶすように異星人文化としか言いようのない建造物や超文明が上書きしている。

    そして俺は一つの結論にたどり着いた。


    ここは、地球だ。


    恐らく『宇宙文明に浸食されたあとの地球』だ。

    過去に宇宙人がいた事実はない、だとするとここは遥か未来の地球だ。

    俺は転移で長い時を飛び越え、他の人類を遥か過去に置き去りにしたのだ。


    ヤマダ「大丈夫ですか?」

    昆布まみれの心配そうな頭部が考え込んでた俺の顔を心配そうに覗き込む。不定形のヤマダさんだが、一応「頭」と思しき場所はあるのだ、昆布の様に長くびろびろした何かが生えている箇所が頭部って考えていいのだろう。

    俺は起き上がりながらヤマダさんの手、というか身体を掴む。

    ふよっ。

    ヤマダさんの大きくでっぱった部分は妙にやわらかくてここちよい。

    ああ、不定形宇宙人だけあって身体はふよふよしてるのかぁ。めっちゃやわこい。妙に揉んでて気持ちいいので俺はヤマダさんの腕(?)とも言える突起をふよふよ揉み倒していた。だが、よく見るとヤマダさんの様子が変だ。


    うっすらピンクのはずのヤマダさんの体色がみるみる真っ赤になっていく。

    頭の昆布がぞわわわわっと逆立っていくのが見えた。


    ヤマダ「ばかーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!」

    ばちこーん!

    ヤマダさんの身体から別な突起が出て俺のほっぺを全力でひっぱたいた。

    めっちゃ痛い。

    そっかー、宇宙人にも『触られたくない場所』ってあるんだな。


    ヤマダさんが明らかに必死な感じで何かを言っている。


    おそらくパニくった時だろうか、ヤマダさんの言葉は聞き取れない言葉になってしまう。『宇宙語』とでもいうのだろうか? こっちがヤマダさんの『素』の言語だ、感情が高ぶると翻訳が切れるのかこうなる。

    俺「ああ、ごめんごめん、なんか触っちゃまずい場所だったっぽいな」

    俺はこんどは慎重に……さっき俺のほっぺをひっぱたいた方の突起部……こっちなら問題ないであろう突起の先端を握る、突起部の先端は細かく枝分かれし、俺の指をがっしり握ってくる、どうやらこっちは問題ない様だ。

    ヤマダさんの声が落ち着いた感じに戻り、再び聞き取れるようになる。


    ヤマダ「さ、いきましょう、宇宙スーパーに」

    ヤマダ「迷子にならないように私にきちんとついてきてくださいね」

    ヤマダ「この世界のこと、あなたはまだよくわかってないんですから」


    冒険者も、ギルドも、チートスキルも、悪役令嬢も辺境伯もない世界。

    だが、ここは俺にとって間違いなく『異世界』だ。

    この世界で俺がなんとか生きているのも、ヤマダさんに拾われたおかげだ。


    俺はヤマダさんに手を引かれ、木造ボロアパートの扉を開ける。

    涼しくて爽やかな風が俺の(さっきひっぱたかれた)頬を優しく撫でる。

    そして俺は、未だにこの眼前に大きく広がる光景に慣れない。


    このアパートが存在する山の上から眼下に広がる街の風景。

    恐らくかつては人類が多数集う都市部だったのだろう、朽ち果てかけたビルがあたかも人類の墓標のように立ち並んでいる。その摩天楼はガラスに太陽をキラキラと反射させ輝き、その頂きには森林が青々と生い茂っている。

    人工的な植林を明らかに逸脱しているその緑は、我々人類がこの世界に不在になってからいかに時が経過したかを嫌が応にも認識させる。空気がおいしい、人類が排気ガスを出さないと空気はここまで美味しくなるのか。


    そして、その元都市部に食い込むように建てられた無数の建造物。

    見たこともないような、異星人の文化としか言いようのない建造物。

    廃墟と超文明が同居した、不思議な光景だった。

    その空中を整然と飛び交う無数の空飛ぶ乗り物。


    バス停……いや、俺が便宜上そう呼んでいるだけで、現実には謎の言語と表が書かれた標識の前で俺とヤマダさんは互いに手(?)を取り合って並んでいる。我々の世界で言う『バス』にあたる乗り合い飛行船があるのだ。


    しばらく待っていると、俺とヤマダさんの足元に大きな影が広がる。

    空中からゆっくりと『バス』が下りてきたのだ。


    ヤマダ「さ、乗りますよ」

    ヤマダ「乗り方、分かりますか? 整理券をしっかりとるんですよ」

    どうやらこの世界のバスも、乗り方は俺たちのバスと同じらしい。

    俺とヤマダさんを乗せたバスはゆっくりと飛び立っていった。


    ――子供のころは『空飛ぶ車』に憧れていた気がする。


    当たり前だが覚えていない、軽トラに轢かれる以前のことすら覚えてないのに子供の頃の話なんて覚えているはずがない。だが、目の前に広がる光景は過去憧れていたであろう、あの『空飛ぶ車』から見る光景そのものだった。

    それはまるで子供の頃に見たアニメの様だった、いや覚えてないわけだが。

    俺は座席に正座し窓に貼りつき、眼前の地平線をまじまじと眺める。

    こんな美しい光景を見られるなんて思わなかった、森に覆われたビルの廃墟群、遠くに光る海、すぐ横を飛び交う小型飛行船、地球って美しいっていうのを人類が荒廃しきってから感じるのもおかしい話ではある。


    さて、バスの中にはいろんな『宇宙人』がいる。

    いわば「犬や猫を二足歩行にしたらこうなる」と言った見た目の宇宙人、どう見てもロボットな存在、ヤマダさんの様な不定形の宇宙人、全身を布で覆い中身が見えない生命体、ぶっちゃりとした肉の塊のような何か……。

    この空間では『地球人』の俺の方が異質なのだ。

    周囲の視線がまじまじと俺に集中しているのが分かり、少し恥ずかしい。


    聞き取れないアナウンスを聞いたヤマダさんが何かのボタンを押した。

    チャイム音が鳴り響き、前面のモニターに謎の宇宙語が表示される。

    おそらく「次とまります」だろう、そこは地球のバスと概ね同じようだ。


    バスはゆっくりと高度を下げ、地面に降りたつ。


    そこには派手な色合いの平屋建ての建物があった。

    ヤマダ「大丈夫ですか?」

    バスで二人分の支払いを終えたヤマダさんがのっそのっそと身体を変形させつつ歩いてくるなか、バスは再び飛び立ち遥か上空へと飛び去って行った。そして俺とヤマダさんは大きく入口を開いた派手な建物の前に立つ。


    商品と思しき品物が並び、明らかに人間ではない宇宙人が多数出入りする。

    言葉こそ宇宙語で読めないが、多数のポップと思しき張り紙がある。

    宇宙語を知らない俺でもここが『宇宙スーパー』だと分かる。


    ふと横を見ると、軽トラ大の宇宙船が宇宙スーパーの前に着地して出店と思しき何かを開いている、薄めの円筒形の何か……幾何学的形状の何かを作っている……その形状はともかく甘い匂いは食欲をそそる。

    腹がごきゅるるると音を立てる。

    宇宙語で大書されたのぼりが立っているが当然読めない。そもそも匂いが旨そうなだけでもしかしたら食べ物じゃないのかもしれない。今度機会があったらヤマダさんにあれは何なのか聞いてみよう。


    そして、俺はふと浮かび上がった当然の疑問をヤマダさんにぶつけてみた。

    俺「『宇宙スーパー』って……宇宙にはないんだな」

    途端にヤマダさんの体色が少し点滅しつつ、身体が震える。

    ヤマダ「そ! そうですね! な! なぜなんでしょうね!? あはは」

    ヤマダ「そっ、そんなことより、ほら、ご飯の材料買いましょう!」


    ヤマダさんがふよふよした身体で俺をむりやり引っ張る。

    本当は俺がヤマダさんの身体をしっかりつかんでおくべきなのだが、朝みたいに「掴んではいけない場所」を掴んでしまったらきっと大騒動になるだろう、俺はヤマダさんにされるがままに引っ張られ、店内へと入っていった。

    派手な電飾……いや電気なのか? とにかく明かりが点滅している入り口をくぐると、聞いたこともないような、ほんわかした音楽と共に目の前には想像を絶する光景が広がっていた。


    ここが……『宇宙スーパー』……なのか……。





    Episode2:幾何学的鍋を食べよう


    俺は『宇宙スーパー』の真ん中で立ち尽くす。

    そこは極彩色の明かりがきらめく得体のしれない空間だった。


    商品棚は並んでいるし、『何か』を売っている商店であることだけは分かる。だが、それが何なのかさっぱり分からない。スーパーということは日用品及び食料品だろうと推測はできるが、何が食えるのかさっぱりだ。

    使われている言語は宇宙語、並ぶ商品は謎の物体、当惑しかできない。

    そもそも、俺は店で買い物ができない。

    言葉が通じない云々以前に『金がない』のだ。

    確かに金は持っている、だがそれはあくまでただの日本円だ、この恐らく最低でも数百年は経った、日本人はおろか地球人一人いないこの地球でこの金を使うことは不可能だ。ヤマダさんも実際そう言っていた。


    せいぜい『ヤマダさんを買い取るための交換物』にしか使えなかったのだ。


    ヤマダさんはあのときこう言っていた。

    ――「きっと模様が珍しかったからですね、あれに価値を見いだしたのはあの物好きな奴隷商人くらいです、ですので私を買い取る程度にしか使えません。当然宇宙スーパーでも使えません、ただの珍しい紙切れに過ぎません」

    駄菓子(駄菓子なんてあるのだろうか?)ひとつ買えやしないのだ。


    なので、交通費から買い物に至るまですべてをヤマダさんに依存している。

    まさか異世界転移の結果が、不定形生物へのヒモ生活だとは思わなかった。

    俺がスーパーで立ち尽くしてると、またヤマダさんが心配そうに見てくる。


    ヤマダ「大丈夫ですか? 気分とか悪くなったりしてないですか?」

    俺「あ、ああ、大丈夫」

    ヤマダさんの持ってる買い物かごには、こう、謎の物体が満ちていた。


    基本的に全て幾何学的形状の何かだった。

    薄っぺらい三角形の何か、灰色の直方体が液体に浮かんだ何か、白い円柱、卵状の形状の何か、何かが入った箱、ヤマダさんは食材だと言っていたが、映画のディストピア飯ですらもうちょっとまともな形状だと思う。

    よく見ると金属製と思しき円柱も籠に入っていた、食うの? それ。

    この宇宙文明、我ら地球原生生物に比べてなんかこう、得体のしれないもの食べてませんか? それとも星間を行き来するような文明においては、食材は幾何学的形状で統一されるんだろうか?


    ヤマダ「何か欲しいもの、ありますか?」

    周囲は食えるかどうかすら分からぬ得体のしれぬ何かで溢れたスーパー。

    この状況でそれを聞きますかヤマダさん。


    俺「い……いや、大丈夫」

    冷や汗をかきながら答える。何せ相手は宇宙人だ、悪意ゼロの笑顔で濃硫酸とか飲まされたらシャレにならない、もしかしたらヤマダさんは飲めるかもしれないがこっちは命にかかわるんだ。

    ヤマダさんはちょっとしょんぼりした感じで、会計に向かっていった。

    ヤマダさんに引き取られて以来、俺はヤマダさんの作る飯を食っている。

    幸いにして今のところ食えないことはない、というか割とうまい。そして俺はこの世界で食を得るための知識も技能も金もない。現状において俺の生殺与奪は全てヤマダさんが握っている状態だ。


    せめて何か働ける事はないかとヤマダさんに提案したが全力で止められた。

    あの時の言葉は聞き取れなかった、必死に宇宙語で止めてた。

    言葉も分からない異星文明の世界だ、命にかかわると思われたのだろう。


    なので諦めて『ヤマダさんのヒモ』生活を満喫せざるを得なくなってる。


    俺が考えている内に、支払いを終え荷物を抱えたヤマダさんが戻ってきた。

    ヤマダ「それじゃ、おうちに帰りましょう!」

    荷物を持ち、ヤマダさんと二人、もっそもっそとバス停に向かっていく。


    夕暮れにヤマダさんは頭の昆布をなびかせていた。

    ――あの時もヤマダさんは昆布をなびかせていた。

    あの、俺の持っていた紙切れ一万円が『唯一』役に立ったあの時も……。


    ヤマダ「あ、ちょうど来ましたよ」

    俺が思い出に浸るのを遮るように『バス』がゆっくりと降下してくる。えーっと、確か地球のバス同様に整理券を取るんだっけな……。行き同様に、いやそれ以上に美しく夕日に照らされた廃墟の摩天楼が俺の思考を妨げる。

    俺は、あの紙切れ程度の価値しかなかったと自らを称しているヤマダさんに引き取られ、この得体のしれぬ超未来地球という異世界で生活をしている。軽トラに轢かれた以前の『現世』の記憶もほぼ残っていない。


    ――必要無いのかもしれない。

    コールドスリープなどで人が未来に行くことはできるが、どうあがいても『人は過去には戻れない』。元の世界、もはや何百年昔か想像もできないあの地球に戻ることはできないのだ、ここに骨をうずめるしかない。

    これまでの記憶じゃなく、これからの記憶を作らなければ……。


    ピンポーン


    チャイムの音と共に、前面のパネルに宇宙語が浮かび上がる、例の『次とまります』のサインだ、バスにはもはや俺とヤマダさんしかいない。俺たちが住まうアパートが近づいてきたのだ。

    バスは音もなくゆっくりと高度を下げ、住宅や林に地平線が隠れていく。

    俺が下りた後に二人分の支払いを終えたヤマダさんがのそのそ降りていく。


    もう、過去はどうだっていい。

    これから俺たちが向かうアパート、あの宇宙文明にありながら、地球の形式を保った築百年を余裕で越えるであろう古びた木造ボロアパート、どこか見覚えのある懐かしいあのアパートこそが、これからの俺の住まいなんだ。

    木造アパートの看板にはもはやいつ書かれたか分からない古びた筆書きで宇宙語が書かれている。さっぱり読めないが恐らくこのアパートの名前なのだろう、だが俺はこの言葉の発音を知っている。ヤマダさんに教わったのだ。


    『めぞん・プルガトリオ』

    この看板は、そう読む。


    ヤマダさんが教えてくれた。どこが『めぞん』でどこが『プルガトリオ』なのか? 発音はともかく意味は何だ? そもそも文法どうなってるのか? 木造ボロアパートにしては語感が小洒落すぎてないか? 疑問だらけだ。

    ぎぃぎぃきしむ木造の廊下を進み、『一〇三号室』と書かれた扉を開く。

    この部屋は俺を引き取ってくれたヤマダさんの居室だ。

    宇宙文明に支配された世界で、この部屋だけはどう見ても地球だ。木と書物の匂いがむせ返り、宇宙語の書物が山と積まれ、真ん中にちゃぶ台が鎮座している。それ以外にもいろんなガラクタと万年床が散らばっている。


    そして何が幸いかというと、この部屋には『トイレ』がある。

    異星人も排泄行為は行っているのだ! もしこれがなかったら俺は日々の尿意や便意とどう戦えばと途方に暮れるところだった。いや、まぁ、たまたまこのアパートが『地球風』だったからあっただけなのかもしれないが。

    トイレの中で俺は黄色いアーチを描く。

    ギリギリ『水洗トイレ』と言えなくもないこのトイレの水溜めがみるみる黄色に染まり、泡立っていく。異世界においても人は小便をするのだ。ある意味現世の名残とも言える行為を続けながら、ヤマダさんについて考える。


    言っちゃあなんだが、ヤマダさんは『片付けられない人』だ。

    もうちょっと正確に言うと『片付けられない”宇宙”人』だ。


    以前、少しは片づけたらどうだい? と提案したことがあったが、ヤマダさんはすっかり無言で体色が少し赤みを帯びただけだった。さらに言えばその日の飯がめちゃめちゃ不味くなった。なのでもう言わないことにしている。

    なぁき

    何となれば男は起きて半畳寝て一畳、ヤマダさんがいてもどうにかなる!

    ……はずだ。

    とか言っている間に謎の匂いが漂ってくる。ヤマダさんは宇宙の唄とでもいうべき聞き覚えのあるはずもない鼻歌を口ずさみながら、鍋を沸かし、スーパーで買ってきた幾何学的形状の何かをどんどん突っ込んでいた。


    え、あの幾何学的形状のブツ、食べるの?

    鍋の中の茶色い汁は積み木の様な幾何学的形状のブツですっかり埋まる。

    俺が知ってる『鍋』と違う。


    今日はこれを食わされるのか? そもそも食えるのか?

    と思っているとヤマダさんは嬉しそうに買ってきた金属製の円筒から何かをグラスに注いで俺の前にとん、と置いた。それは……こう、食事の場ではあまりその名前を口にしたくない黄色く、ブクブクと泡立つ『何か』だった。

    俺はこの液体(と同じもの)を先ほど目の当たりにしていた気がする。

    三十年以上前にちょっと受け入れがたい健康法があったのを思い出す。

    っていうか、そもそもこんなものわざわざ買って飲むものじゃないだろう! そもそももうここには『発生源』である地球人なんていないはずだ! そもそもなぜ宇宙スーパーはそれを売っている!


    頭に無数の『そもそも』が浮かぶ。


    目の前には積み木の様な幾何学的形状のブツを満載した鍋。

    傍らにはグラスに入った……いや言及するのはよそう。

    それを今日の晩飯にしろとヤマダさんは言っている!


    俺はとうとう『異星人との絶望的な文化衝突』に遭遇しつつあった。

    俺「いや……ヤマダさん……俺、そういうの、飲まないからね……」

    ヤマダ「大丈夫ですよぉ、あなたならこんなのへっちゃらでしょ?」

    物騒なことを言ってきた。

    地球人はそういうのを常食する変態だとでも思っているのだろうか?


    俺が考え込んでいる間にヤマダさんはふよふよと二本の腕を伸ばし、コップと幾何学的形状のブツを持ち俺に迫って来ていた。短い付き合いだが分かる、こういう時のヤマダさんは人の言うことを聞く耳を持っていない!

    いや、昆布生やした不定形生物に耳とか言うのも変な話だが。

    ヤマダ「ほぉ~らぁ~ おいしいですよぉ~」

    ヤマダさんの目は明らかに異常な光を帯び、頭部から生えた昆布は怪しくうごめいていた、そして俺の必死の抵抗も虚しく、ヤマダさんは「幾何学的形状のブツ」と「黄色く泡立つ何か」を目の前にトンと置いてきた。

    ええい! ままよ!

    俺は決死の思いで「それ」を口にする。



    ――尿は血液の老廃物である『ビリルビン』のせいで苦い味がするという。



    苦っが!!!

    ……口の中が謎の風味とチクチクとした刺激に襲われ、そのまま飲み下してしまう。頭の中に混乱と困惑が広がり、何も考えられなくなる!!! いったいこの飲み物は何だというのだ!?

    ヤマダ「¡Iʞʞı̣ ¡Iʞʞı̣ Ǝɹ-oɥ」

    ヤマダさんが楽しそうにふよふよと腕を揺らして宇宙語ではやし立てる中、俺は脳内がまるでふわふわと浮いたかのような感触に囚われていた、これが『この飲み物』の効果だとでもいうのだろうか……頭がぼーっとする……。


    ああ、走馬灯が……見える。


    薄れ行く意識の中、俺の脳裏には『最も古い思い出』が浮かんでいた。


    ――この世界に訪れた日の記憶が。





    Episode3:今日は異世界転移びより


    ――あの瞬間、俺の記憶で最後に残っていたのは、迫りくる軽トラだった。

    それ以前のことはよく覚えていない。

    ただ、すごく嫌な人生だった、という記憶だけはうっすらとある。


    最後にぱーっと遊び、それでおしまい。そう考えていた。


    軽トラに突き飛ばされ宙を舞い、地面との衝突が身体を襲う。

    ああ、もう、どうでもいい。

    自分なんてあの世でも異世界でもどこかに行ってしまえばいいんだ。


    真っ暗になる視界の中、とどめを刺すかのように嫌な怒鳴り声が聞こえた。

    聞きたくない! もはや声というより精神を貫く不快な音だ!!!

    日本語、いや、言語として聞き取れない! 聞きたくない!!!!!


    え? 日本語じゃない?


    外国語とも、いやそもそも地球の言葉に聞こえないその怒声は続いていた。

    ??「¡Ɐʞouǝǝʇı̣uı̣s Ǝǝɯǝʇ ¡Ǝʞop」

    あまりの声になんか視界が軽く歪んだ気がする。何語なんだ?


    まず怒鳴り声の主が見えない、必死に周囲を見渡しても分からない。

    そして俺のいる周囲数メートルだけ地面が薄暗い、まるで巨大な何かが上から覆いかぶさって影ができているかのようだった。最初は俺の目の前にバスが止まっているように見えた、いや、だが違った。

    フラフラだった思考がはっきりし、歪んだ視界が次第に元に戻る。

    それは巨大な乗り物の底面だった。

    巨大な乗り物が上にふわふわと浮いており、俺の真上にあったのだ。


    乗り物が……浮く……?

    そして運転席と思しきドアが半開きになり、明らかに人間じゃない毛むくじゃらの何かが制服を着て俺をひたすら怒鳴りつけていた。言葉の意味はよく分からないが恐らく「邪魔だからどけ」と言いたいのだろう。

    それは『怪生物』が操縦する『空飛ぶバス』だった。


    目の前の光景はともかく、怪生物はひたすら謎言語で怒鳴り続けている。

    俺は茫然としながら痛みをこらえて起き上がり、身体を歩道まで引きずる。

    それを見越したかの様に浮いていた『乗り物』はゆっくりと降りてきた。


    痛みをこらえ、改めて起き上がったとき世界は一変していた。

    遥か前方に広がる市街地、そしてそこに林立するビル群が、かろうじてここは地球であるということを肯定し、同時にビル群の荒廃っぷりとすっぽりと覆う豊かな植物、そして空中をゆったり飛び交う乗り物がそれを否定する。


    ゆっくりと周囲を見渡す。

    軽トラの姿は無い。

    それ以前に、ここは軽トラに轢かれた場所じゃない。見覚えのない場所だ。


    ここは……どこだ!?

    道路があり、交通標識があり、住宅街がある。日常の風景……のはずだ。

    だが、標識は見たこともない模様で、下に書いてある言語も全く読めない。英語や中国語など、おおよそ「地球の言語」とは思えない幾何学模様だった、住宅も見たことが無いデザインが多い、一体ここは何なんだ?

    映画の撮影現場にしたっておかしい。


    改めて周囲を見渡す。

    なんだろう、妙にキラキラして見える、空気も美味しい。

    嫌だった場所から逃れられた、そういう爽やかな感覚が俺の精神を撫でる。


    ふと振り返ると、先程の『空飛ぶバス』の降車口と思しき扉が開き、車中から触手を生やした何かが降車する。明らかに人間ではない、いや、普通の生物ではなさそうな何かが当たり前のように住宅街の方へと歩いて行った。

    改めて思う。

    これはドラマの撮影でも、ドッキリでもない。


    ――異世界転移


    大学時代に小説で読んだ物語が頭に浮かぶ。

    現世でパッとしなかった人間が、トラックに轢かれるとかの何かの拍子に今いる現実世界とは全く異なる『異世界』、それも大抵は剣と魔法のファンタジー世界に突然転移して大活躍する、っていう物語形式だ。

    ただここがファンタジー世界じゃないことだけは確かだ。

    以前小説で読んだことがある世界に近い気がする。

    地球に近いが、地球と異なるSF的な世界だ。俺はこの言葉も何もかもわからない、乗り物が空を飛び、元々あったビルは緑に覆われ荒廃し、得体のしれぬ怪生物が闊歩する世界にただ一人置いてけぼりを食らってしまったのだ。


    とにかく、持ち物を確認しよう。

    ポーチがある、まずは中には銀行の封筒に入った札束……

    さつたば!?

    ひぃふぅみぃ……と軽く数えてみるが一万円札がちょうど百枚ある。


    こんな大金を! と驚くと同時に虚しい笑いがふと漏れる。

    ここ異世界だぞ、異世界。

    金貨ならともかく、日本円が役に立つわけがない。

    漫画じゃないけど「尻を拭く紙」にすらならない。


    そして途方に暮れる。

    考えてみてほしい。

    『あなたは突然異世界に飛ばされました、どうしますか?』

    って。


    言葉も通じそうにない。現代知識無双どころか、ここは空飛ぶ車を駆使するような超文明だ。つまり俺は何一つ知らない原始人状態だ。ましてやエルフやオークと言った『こういう異世界にいそうな連中』もいない。

    バスから降りてきたのは、もはやこの星の生物じゃなさそうな連中だった。

    ……この星の生物じゃない?

    俺の頭にふとある考えが浮かんだ。

    ここはもしかして異世界じゃなく『地球』ではないだろうか?

    荒廃したビル群が物語っている。ここは間違いなくかつて俺たち地球人が住んでいた文明だ。それが何らかの理由で荒廃し、あとからやってきた異星人がその超文明でこの星を中途半端に上書きして今に至っている。


    そう、ここは『超未来の地球』なのだ。


    異星人が当たり前に押し寄せ、異星文明が当たり前になった地球なんだ。

    俺は軽トラに轢かれたとき、何らかの拍子で時間を超え、遥か未来の地球にやってきたのではないか? 異星人が当たり前のように住み着いて、その文明を謳歌する地球に。そう考えると全てに合点がいく気がしてきた。

    そして元々の主、我ら地球人はもういないんじゃないかって気がしてきた。

    少なくとも今のところ、『人間』を未だに一人も見ない、道を行き交うのは触手が生えてのっそのっそ地面を這う不定形な生命体だったり、毛皮の生えた謎な生命体ばかりで、皆さっきから地球人の俺を奇異の目で見ている。


    それにしても途方に暮れる。


    俺はどこに行けばいいのだろう?

    「家に帰りてぇなぁ……」

    自然と言葉が漏れ、俺はふらふらと街を歩き始める。


    周囲は少しずつ暗くなっている、腕時計を見るとそろそろ十七時になろうかというところだと気づいた後に失笑する。超未来の地球に来たんだぞ、俺。どこかで時刻合わせでもしない限り時計なんて何の役にも立たんだろう。

    だが、日が落ちつつあるのは事実だった。

    もしかしたらこの『異星人文明の地球』にもコンビニ的な、雨風をしのげて二十四時間滞在できそうな商店やレストラン的な場所があるかもしれない。しかし怪しまれてこの星の警察的な何かを呼ばれでもしたら厄介だ。

    良くて動物園か刑務所送り、最悪殺されてしまうだろう。

    俺は途方に暮れてとぼとぼと、ここがどこかも分からない住宅街と思しき場所を歩く。このまま深夜になったらおしまいだ、かと言って当然この世界に行く当てなんてある訳もない。言葉も通じないから宿の交渉もできない。


    ――どこをどうやって歩いたのかわからない。


    だが、俺は自然とある場所にたどり着いていた。

    なぜ俺がそこにたどり着けたのかは未だに分からない、ただ自然と足が向かっていた。何者かに導かれていたのかもしれない。俺を導いていたのが神か悪魔か直感か? よく分からないが俺はともかく『そこ』にたどり着いた。

    そこは緑に覆われた木造のボロアパートの入口と思しき場所だった。

    さっき俺はここを超文明が上書きした地球だと言ったが、ここは『上書きされる側』つまり地球文明の建造物だ。人間社会基準で考えても古臭いにも程がある築百年はあろうかという木造ボロアパートの入口だった。


    『Oʎɹɐpı̣ɥ…ʎ˙ꓥı̣u…ʇoʎʞ』


    アパートの看板には読めない文字が刻まれている、これまでこんな文字見たこともない、漢字とも、英語とも違う。読めないうえに文字の一部がかすれていて見えない、恐らくこの建造物の名前であろうことしか分からない。

    建物内は薄暗く、うずたかく積まれた古びた箱や古本の山が見える。

    入口には無数の張り紙や色とりどりの手書きと思しき看板が置いてあるが、やはりどれも宇宙語で読めない。地球の建造物ではあるようだが、もはや地球人は住んでいないのだろう。俺は入口から建物の奥をまじまじと眺める。


    ――俺はこの建物を当然知らないはずだ。

    だが、不思議と懐かしく、心地よい感じがする。

    ああ、もしここに住むことができたらここでの生活も多少はマシに……


    次の瞬間だった。


    耳をつんざく、不愉快な、騒音の様な複数の『声』が聞こえてきたのだ。





    Episode4:ようこそ! プルガトリオへ



    その声は当然だが全く聞き取れない、宇宙語と言っていい言語だった。

    ??「¡ꓵsɐɯı̣sı̣ɐƃǝuo Ǝpı̣ɐuɐɯɐʞnʇ ¡Ǝʇǝɯɐʎ」

    ??「Ɐpunɹǝʇʇı̣ Oʇǝsǝɐʞ Oɯǝpǝʞɐpı̣sı̣ɹ Ɐɹɐʞɐp」

    ??「¡ꓵsǝpuı̣ɐuǝʇʇoɯ Oɯuǝssı̣ ¡ꓵsǝpuı̣ɐu」


    声の主は複数人(人?)いる……と思っていた矢先に、木造ボロアパートの廊下の奥の方からどたどたとあわただしい足音がしたかと思うと、『謎の怪生物』としか言いようのない生物群が俺の前に姿を現した。


    生物は全部で三体いた。


    一体はピンク色の不定形生物だった、巨大なふよふよとした見た目で何カ所か腕の様な突起を生やし、よたよたと建物の奥から逃げるように出てきた。頭と思しき場所からは昆布と思しき何かが頭部を覆うように生えている。

    残りは似通った見た目の二体の宇宙人だった。スーツの様にぴっちりとした服を着こみ、我々の世界で言う『鳥類』をそのまま二足歩行にしたらこうなるという極彩色の羽毛を生やした感じの、見た目がいかつい二人組だった。


    言葉が分からなくても分かる。

    この『鳥形宇宙人』二体は『ピンクの不定形生物』に何かを迫っている。

    だが、この不定形はそれに応じられない。


    ――このまま立ち去ってもいい……俺はそもそもこの時代の者じゃない……

    だが、心の奥の何かが『ここを見捨てて立ち去る』ことを拒んだ。

    この木造ボロアパートに対する懐かしい感触だったのかもしれない。


    俺「あー、ちょっといいですか? 皆さん」

    俺の声に三人がいっせいにこちらを見る。

    宇宙人たち「?Nɐ」「?Ǝǝɯǝʇ Ɐןɐpuɐu」「?Ɐʞnsǝpuɐuuɐu……Ǝ」


    俺は敵意がないことを示すために両手をちょっと高めにあげて軽く振りながら呼びかける。相手が異星人でも分かる、今三人はすっごく怪訝な表情をしているはずだ。皆俺の方を明らかに不審な目で見つめている。

    ボロアパートの入口で、時間が凍ったかのように固まる四人。

    俺は必死に、事情はよく分からないし、俺はここがどこだか知らない、言葉もさっぱり分からないこと、だが俺はここが地球と呼ばれていた頃の原住生物だということ、どうにかここは穏便に済ませられないかを訴えていた。


    『日本語』で訴えかけていた。


    一体何をやってるんだ? 俺は?

    相手宇宙人だぞ。

    日本語どころか、地球のどの言語も多分通じないぞ。

    相手が光線銃とか出して来たら、俺、終わるぞ!


    頭が鳥型の宇宙人が俺のことをねめつけ、敵意のこもった響きで喋る。

    鳥頭「?Ɐʞouı̣ı̣sɐʞoɐɯɐʇɐ Ɐʇuɐ Ɐpunɹǝʇʇı̣ı̣uɐu ?Nɐ」

    俺は必死に考える。

    この鳥頭が、ピンクの不定形に何かを要求しているってのは雰囲気で分かる、そしてピンクがそれを出せないことも。俺の荷物にあるものでなんかこう……納得してもらえそうなものはないか……俺は自分の荷物を確認した。

    ……あった……この世界では価値なんてないだろうが、ないよりはマシだ!


    俺はとっさに札束を取り出し、頭を下げ鶏頭に差し出していた。


    俺「これで! これでどうにか穏便に済みませんか! どうか!」

    どうか『頭を下げる』が敵意のないサインであってくれ! そして『札束』がせめてこの世界の古銭くらいの価値は持っていてくれ! 『日本語』は通じなくていいからせめて俺の意志だけは伝わってくれ!

    俺は祈るように頭を下げ必死に鳥頭に札束を掲げていた。

    ふと手の中から札束の感触が消える。

    恐る恐る上を見上げると、鶏頭は札束を数えながら、所在なさげに一万円札を数枚適当に抜き取ったかと思うと、ぐい、と俺の方に札束を押し返した。やはりちょっと『物珍しい柄の紙切れ』程度の認識でしかなかったのか……


    だが、驚くべきことに鳥頭たちから漂う気配が一変した!

    鳥頭「Ǝuɐpı̣ʞnzouoɯ Iɐʞounı̣ǝʇʇnɐɹɐɥoʍı̣sı̣ɹ Ɐƃɐʇuɐ」

    鳥頭「Ɐsuɐʍı̣ɐɥnʞuoɯ Ɐɹɐunɹǝɹnʞǝʇʇɐɹɐɥ Ouoɯnɐɹɐɥ Ɐɯ」

    鳥頭「Ɐuı̣ʞoʇı̣sı̣noʎı̣sı̣ɹ Ɐɹɐʞnɹnʞnʇǝƃı̣ɐɹɐʇɐɯ Nɐʎʇnoɾ̣ Ɐuɐɐɾ̣」

    鳥頭たちは口々に俺たちに対して何かを語っているがよく分からない。


    そして鳥頭はその極彩色の羽を揺らめかせながら立ち去り、すぐ近くに停まっていた黒塗りの乗り物でふわりと飛び立っていった。よかった……紙切れだったとはいえ、あの鳥頭たちを納得させるだけの価値はあったようだ。

    俺はゆっくりとピンクの不定形生物の方を見る。

    そいつは不定形のふよふよした身体を振るわせて、体色もピンクと赤で明滅していた、明らかに落ち着いていない様子が分かる。そりゃそうだ、得体のしれない生物(俺だ)が現れ、謎の紙切れを渡して場を収めたんだから。


    不定形「ꓵsɐɯ……Iɐzoƃnoʇɐƃı̣ɹɐ……Ɐ……Oʇʇǝ……Ǝ」


    不定形の生物の体色の明滅が次第に収まり、温かみのあるピンク色に戻る、おそらく安心したのだろう、なんか必死に宇宙語で語り掛けている。もしかしたらお礼を言おうとしているのかもしれない。

    俺「あー、うん、助かって何より……って宇宙人だから通じないか……」

    不定形「Ɐʞnsǝpounɹı̣ǝʇʇı̣ Oʍı̣uɐuı̣ɐʇʇı̣ Ɐɹɐʞı̣ʞʞɐs……Ɐʇɐuɐ」

    そうだよね、通じないよね。

    不定形のそいつは、俺の手元にまだ残っていた札束をちらちらと見ていた。あ、気になるよね、これ。確かに宇宙人にしてみれば珍しい柄の紙切れだし、まぁあの鳥頭も多少は喜んだみたいだし。


    気が付くと俺は、このピンクの不定形にこれまで起こったことをひたすら語り倒していた。軽トラに轢かれたこと、超未来の地球に来たこと、もはや身寄りもなく、周囲が全員異星人なこと、言葉も何も通じないこと。

    事故以前の記憶もないが、おそらく嫌な、ろくでもない人生だったことを。

    ……恐らく誰かに吐き出したかったんだと思う。

    それが言葉の通じないピンクで不定形の頭に昆布生やした相手であっても。

    その不定形の、性別の概念があるのかどうかすら分からないそいつは、まじまじと俺を興味深そうに眺めていた。おそらく謎の言語でわめき続ける異星人だとでも思っているのだろう、いやまぁこいつからすれば異星人だが。


    不定形「……Iunzɐʍı̣oɯı̣uɐu Ɐɯɐɯouoʞ」

    俺「え、なんて?」


    不定形の身体からおもむろに腕が生え、俺の腕を優しくつかむ。あたたかく、柔らかい感触が俺の手に伝わる。不定形のそいつは俺の身体をぐいぐいと引っ張る。まるでこのボロアパートに来い、と言わんばかりに。

    俺「このアパートに来い……と言ってるの?」

    通じるわけもないのに聞いてみる。

    不定形「¡Iɐɥ」

    言葉は通じないがこの不定形から肯定的な態度が伺える。なんだろう? こういう『肯定的な態度』自体ひどく懐かしい気がする。もう外は暗い、せめて一夜の宿だけでも確保できるならこんなありがたいことはない。


    俺「じゃあ、ちょっとだけお世話になろうかな」

    不定形「……Ɐɥoʞoʞ Oʇoɯoʇoɯ Ɐɐɯ」

    俺「はい?」

    不定形「Ɐɥɐɥɐ……Oɯǝpuɐu Nǝsɐɯı̣ɹɐoɯǝpuɐu Ǝı̣ı̣」


    突然不定形のこいつの色が細かく明滅したかと思うと二本の腕っぽい突起がにょきにょき生えてきてふんふんと目の前で揺られていた。やっぱお世話になっちゃまずかったのかな? とはいうもののもうすっかり真っ暗だ。

    このピンクの不定形のお世話になることにしよう。この世界に来るまで、そして来てから、嫌なことしかなかった気がするが、この不定形の言う事なら受け入れられる気がする、聞いていて心地よい。もう宇宙語でもいい。

    俺はこの築百年はあろうかという木造ボロアパートの看板を見あげる。


    『Oʎɹɐpı̣ɥ…ʎ˙ꓥı̣u…ʇoʎʞ』


    看板には謎のかすれた宇宙語。

    俺「これ……建物名だろうけど、なんて読むんだろうな?」

    ???「……Nosı̣ɐɯ……Purガトリオ……」

    なんか優しげな声が聞こえた、ああ、この声なら俺は受け入れられる。

    ???「めぞん……プルガトリオ……」

    だれだろう、この声の主は?


    ……もしかして例のピンクの不定形が声の主なのか!?

    俺「日本語喋れたの! あなた!?」


    俺があまりに大声で言ってしまったためピンクの不定形はびくっと身体を震わせていた。ああ! ごめん! しばらくピンクの不定形は宇宙語でブツブツ何かを呟いた後、俺の方を向きゆっくりと話しかけてきた。

    不定形「あー、わかりますか? わたしの ことばが」

    俺「ああ、今なら分かる『私の言葉が分かるか?』って言ってる」

    不定形の生物はしばし考え込むような動きをした後、ゆっくりと喋りだす。

    不定形「よかったです、おそらく翻訳が、使えるようになったのでしょう」


    不定形「ようこそ、私の名前は『ヤマダ』っていいます。あやうく、宇宙奴隷商人に連れていかれるところでした。あなたのおかげで売り飛ばされずにすみました。ありがとうございます」

    不定形の生物はふにゃっと変形する、頭を下げているのだろうか? 何はともあれ、この不定形が売り飛ばされずに済んだ。あの「紙幣」で買い取ったようなものだ。あの金、この世界でも多少の価値はあるのかもしれない。

    不定形「みよりが、ないのでしょう、しばらくここで、すごしませんか?」


    うなずく俺の手をひき、このピンクの不定形の宇宙生物……ヤマダさんは居室に俺を案内し、宿を提供してくれた。いやそれだけじゃない、金も仕事もない俺に日々「地球人でも食える食事」を提供してくれた。

    まぁ時には、謎の幾何学的形状の物質満載の鍋と、キンキンに冷えた異星人のアレという、できれば二度とお目にかかりたくない飯を食わされることもあったが……ああ、そうだ、思い出してきた……


    俺は万年床状態の布団で目を覚ました。

    真夜中で部屋は真っ暗になっている。

    傍らのちゃぶ台にはコップに残った黄色い液体とすっかり冷めた鍋がある。


    ああ、俺はあの時、アレを飲まされてフラフラになって寝てたんだ……

    ヤマダさんが意識を失った俺をなんとか布団まで運んでくれたようだ。

    傍らにはヤマダさんが泥酔したかのごとく見事に平たく潰れて寝ている。


    ――そう、あれから数週間ほどが経過した。


    もはや頼れるものがいないこの『超未来の地球』という異世界。

    ただ一人言葉が通じるヤマダさんとの生活がこうして始まったのだ。


    そしてある日、その生活は転機を迎えることとなる。





    Episode5:開かずの二〇三号室


    ――ヤマダさんとの生活もいい加減慣れてきた。

    異世界ヒモ生活、いいじゃあないか。相手は不定形生物だが。

    俺の精神を「堕落」の二文字が支配するのにそう時間はかからなかった。


    そうすると次にほしくなるのが「娯楽」だ。


    ヤマダさんの部屋には山と書籍が詰まれているが、全て宇宙語で読めない。

    古ぼけたブラウン管テレビがあったので(そう、驚くべきことにこの世界にも『テレビ』が存在したのだ!)試しに電源を付けてみたが、訳も言葉も分からない、くっそつまらなさそうなバラエティと思しき番組ばかりだった。

    まさかテレビ番組が宇宙レベルでこういうのばかりだとは思わなかった。

    仕方ないのでせめてちょっとした散歩でもと思い外出を試みたのだが、ヤマダさんが全力で止めてきた。「迷子になったら探せない」「お願いだからやめてくれ」とそりゃあもう泣いて懇願する勢いで、だ。


    ヤマダ「Oʇnɹǝɹɐsnʇnʎsı̣ɐƃ Ǝpı̣ɹoʇı̣ɥ Iuɐʇɐuɐ ꓵsǝpunɹɐɯoʞ Ɐʎı̣」

    ヤマダ「……Ɐɹɐʇı̣soɯǝpǝʞɐʞı̣sɐuɐɥ Iuɐʇɐuɐ Ɐƃoʇı̣ɥouɐʞoɥ」

    挙句は翻訳を忘れたのか宇宙語になってまで訴えかけてきた。


    仕方がない。

    俺はせめてこの築百年を超えそうな木造ボロアパート『めぞん・プルガトリオ』の内部の探索をすることにした。何せこのアパート、廊下や玄関を始め随所にいろんなガラクタが山と積まれており退屈しない。

    『片づけられない宇宙人』ことヤマダさんが建物全体を管理してるんじゃないかってくらいにそれはもう雑然としていた。廊下には、得体のしれない箱、極彩色の看板、落書き、古びた本で満載の本棚が所狭しと並んでいた。


    そして不思議なことに、他の部屋は封鎖されている。

    ヤマダさん(と俺)が住んでいる一〇三号室以外、つまり一〇一号室、一〇二号室は扉が固く板で打ち付けられ封鎖されていた。板や釘の古さから言って昨日今日に封鎖された訳じゃなさそうだ、とても入れそうにない。

    ならと俺はきしむ階段を上り、二階へと歩を進めた。


    そこで見た光景は想像を絶するものだった。

    二階の廊下は一階と比べると割と片付いていた。

    廊下の最奥部、つまり『二〇三号室』手前を除いて……


    それは宇宙語、いや、宇宙文明を知らない俺ですら分かる『拒絶』だった。無数のレーザー銃の様な何か、しめ縄と御札と思しき呪術的な結界、黄色と黒のテープが張り巡らされ、捺印された宇宙語の書類が貼り付けられ……。

    技術的、呪術的、法的、ヤケクソとも言えるあらゆる形の『拒絶』だった。

    絶対に『二〇三号室』には近づかせないという強固な意志そのものだった。もう二〇一号室、二〇二号室が一階同様封鎖されてることはどうでもよかった。もはや『封印』と言っていい何かが二〇三号室には施されていた。


    俺はどたどたと階段を降り、ヤマダさんに話しかける。

    俺「おい! ヤマダさん! 二〇三号しつ……」

    俺がそう言いかけた瞬間、ヤマダさんの全身がビクウウウッっと大きく震え昆布が逆立ち、体色が真っ青になった。それは単に「急に話しかけられて驚いた」とは異なる。そう……なんというか『狼狽』の気配が溢れていた。


    俺は矢継ぎ早にヤマダさんに言葉を浴びせかけ続ける。

    俺「なんなんだあれ、レーザー砲の山に謎の呪術結界、なんか宇宙語の書類に封鎖テープまで貼られている! あの部屋なんなんだ!? 超・事故物件なのか!? 誰かあそこで死んで怨霊が出て封印でもされているのか?」

    ヤマダ「……」

    俺の言葉を聞くや否やヤマダさんの体色が少しずつ元に戻っていく。すっかり元の体色に戻ったヤマダさんはまるで深呼吸をするかのように身体をぐいーっと伸ばして、その後俺の方に向き直り、ゆっくりと言葉を発した。


    ヤマダ「……いいですか、よぉーく聞いてください」

    ヤマダさんはふよふよの頭部をずいっと俺の顔に寄せ、顔をじっと見る。

    ヤマダ「あの部屋は『開かずの二〇三号室』です、絶、対、に、立ち入り禁止です……あなたのいうとおり、あそこは『呪われた部屋』なんです。入ろうとしたらレーザーで撃たれて、呪われて、捕まって、死んじゃいますよ」

    俺「マジかよ……」

    俺の脳内に、レーザーで撃たれ、呪われ、獄死する姿が浮かぶ。


    ヤマダ「ふふふ、怖がらせちゃいましたね」

    ヤマダ「じゃあ、おやつを買ってきてあげます、宇宙スーパーの入口で売ってるOʎɔoʎɔoɯpǝʞɐqです。あまくて、まるくて、とってもおいしいんですよ。地球人のあなたでも、きっと食べられると思います」

    ヤマダ「おるすばん、しててくださいね」

    ヤマダさんは買い物かごを手に取り、ふと俺の方を振り返ってふよふよの身体をずいっと寄せ、目をじっと見る。頭の昆布が俺の顔にかかってきてなんか少し甘くていい匂いがするなか、ヤマダさんが言った。


    ヤマダ「くれぐれも、二〇三号室には近づいちゃ、だめですよ」


    パタン、とドアを閉めヤマダさんは買い物に出かけていった。

    あれは間違いなく『無表情』だった。たとえヤマダさんが不定形のふよふよボディだったとしても分かる。さっきのヤマダさんは無表情だった、声の抑揚もなかったと思う。正直怖かった。

    まぁ、触らぬ神にたたりなし、と(俺が元いた地球では)言ったものだ。

    俺はこの異世界ヒモ生活を享受する、それでいいじゃないか。

    俺はテレビをつけて頬杖をつきつつ万年床でごろっと横になり、堕落異世界生活を送ろうとした。バラエティ番組なんてぶっちゃけ内容が分からなくても「音と絵が出ているだけ」で笑えるところがあるからね――


    ――その時だった。


    何かのけたたましい『音』が耳をつんざいた。

    とても、とても嫌な音。

    記憶の奥底に眠っていた嫌な部分を引き出される様な音だった。


    それは室内からだった。

    室内のどこかから、まるで『俺はここにいる』とばかりに、その嫌な存在を誇示するかのように鳴り響く電子音だった。この部屋のどこかから鳴り響く、『恐怖そのもの』と言っていい音だった。

    俺「うわあああああああああああああ!」

    俺は情けない悲鳴と共に跳ね上がり、音がする方向はどちらかと必死に周囲を見渡す。一刻でも、一秒でも早くこの音を消し去らなければならない、そのどうしようもなく不快な感覚が全身を支配し、周囲を見渡していた。


    箪笥の上……


    箪笥の上に置いてある、お菓子とかが入ってそうな割と大き目のの円筒形の金属缶、音の主は間違いなくその中だった。取るものもとりあえず箪笥の上から缶をおろし、ちゃぶ台の上で「ばこっ」と蓋を開ける。


    その瞬間、嘘のように音は鳴りやんだ。

    まるで『ようやく見つけたか』と言わんばかりに。

    それはスマホだった。


    思えばここが異世界だったせいですっかり存在を忘れていたが、間違いなくこれは俺のスマホだ。それ以外に可能性はない。見覚えがあるデザインだしここは超未来の地球だ、俺のスマホ以外にスマホなんてあるわけがない。

    しかしなぜスマホがこんな缶の中に?

    この世界においてスマホなんてただの真っ黒な板に過ぎない。正直スマホを始め手荷物の存在なんて意識からすっかり消えてた。目を離した隙にヤマダさんがこっそり盗み出し隠すことは難しくもなんともないだろう……。


    だが、だがしかし、だ。

    そもそもこのスマホ、取り返していいのだろうか?


    そうしたらいずれヤマダさんは気づくし、寝てる間にでも調べられたら俺がそれを取り返したことは即バレるだろう。少なくとも今の関係異世界ヒモ生活は維持できなくなる。非はヤマダさんにあるが追い出されるのは俺なのだ。

    ヤマダさんに見放されたら、俺はこの異世界では天涯孤独の身だ。

    ここプルガトリオから放り出された俺には行くあてもない。人は三日水を飲まないと死に、三週間食べないと死ぬという。この異世界で誰にも看取られることなく俺は死に、宇宙野良犬にその死骸を貪り食われるのだ。

    そもそもヤマダさんが俺の不用心さに呆れて保管してただけかもしれない。


    決めた。


    見なかったことにしよう。

    ここは地球人の法律が支配する世界ではない。

    ヤマダさんが善意で保管してくれていたのかもしれない。


    繰り返すがここは超未来の地球だ。携帯の電波なんて飛んでいるはずもない。人類が滅び去ったこの地球ではスマホなんて単なる黒くてつやつやの板っきれに過ぎない、今更取り返したところでクソの役にも立たないだろう。

    元通りにしよう。

    スマホはそっと缶の中に入れ直し、ふたを閉め、箪笥の上に戻す。俺は何事もなかったかのように宇宙バラエティ番組に興じ、なにもかも忘れて、ふよふよのヤマダさんとヒモ生活を満喫する。それでいいじゃないか。

    そう決めた俺がお菓子缶の蓋を手に取った時だった。


    プルルルルルルルルルル

    突然スマホが光りだす、あの音は着信音だったんだ!


    ……って、そんなバカな!


    異世界生活を開始して数週間が経過している。スマホの充電なんてとうの昔に切れているはずだ。そもそもスマホのインフラはこの世界には存在しない! 着信音なんて鳴るはずがない! 俺は恐る恐るスマホを見る。


    「000-0000-0000」


    電話番号欄にはゼロがずらっと並んでいた。まだ非通知だった方がよほど納得できる。何だこの番号は! こんな電話番号あるわけがない! 俺がためらっている間もスマホは光り続け、不快な着信音を鳴らし続けていた。


    一分が立ち、三分が経過してもスマホは鳴動している。


    俺は勇気を奮い起こし、そっとスマホを手に取り「応答」をタップした。





    Episode6:スマホの男


    俺は警戒しながら無言でスマホを耳に押し当てる。


    ???「……テレビを見るがいい」


    スマホからは男の声……少し高めの、嫌悪感を抱く声が聞こえてきた。

    テレビ?

    俺はバラエティ番組が写っていたはずのテレビに目を向ける。


    そこにバラエティ番組の映像は無かった。


    映っていたのはひどく殺風景な部屋だった。

    映像の質はかなり悪い、元々の時点で映像の質は平成の昔のブラウン管画質だったが、さらに劣化し、色あせ、砂嵐の様なノイズ交じりのその画像は、まるで昭和のホームビデオカメラで撮影したような画質だった。


    部屋の中には年配の白衣を着た『人間の』男が一人机に向かっていた。

    久しぶりに見る『人間』の姿だった。

    カメラは軽くぶれ気味で、テレビの音声もノイズ交じりで聞き取りづらい。


    白衣の男が画面の正面を向き、口を開く。

    白衣の男「ここ……で来られたのが奇跡と言っていい……ょう」


    白衣の男の言葉は続く。

    白衣の男「あなた……は既に限界……達して……。本来であれば措置……行ってもいい段……す、一応……方いたし……が、効果が出るか……保証は……ねます。……強い……です……管理には気を付け……」

    白衣の男「その……とても強い……で……状態を治……ことはでき……が、……作用……て『……の記……は全て消え……』。記憶……の症状が出た後……用する……は、その間に何が起きたか……記録……」


    白衣の男「繰り返します……本来あなた……置入……すべき……す」

    白衣の男「ここまで……異常をきた……は、いったい何が……たに起こったの……か? もし可能であれ……話しいただけれ……いです、私……者です、機密……守ります……直に話すこ……気が楽になるこ……あります」


    ここでカメラ、いや恐らく白衣の男を見ているであろう視点が立ち上がる。

    白衣の男「待っ……ださい! まだ話は終……て」

    視点が振り返り、部屋のドアを開けたところで画面は砂嵐の様なノイズに覆われ、音声もザーッという耳障りなノイズが鳴り続けるだけになった。俺はこの謎の画像を立ち尽くしながら見ていた。


    おもむろに耳にあてていたスマホからあの嫌な男の声がする。

    男「流石、目をそらしているだけある、ノイズまみれだ」

    男「今更だが、実にお前らしい」


    俺はムッとしながらスマホに問いかける。

    俺「お前は一体誰だ! そしてこの映像は何だ!」

    男「そんな事はどうでもいいだろう、大切なことは一つだ」

    男「お前に『真実』を教えてやりたくてな」

    俺「何を言っている! なぜ答えない!」

    男「今度はお前のポーチを探ってみろ、万年床の傍らにあるそれだ」


    俺のポーチ?

    俺はこのヤマダさんの部屋に来て以来、ポーチを万年床の傍らに置きっぱなしにしていた。プルガトリオ来訪時に鳥頭どもに札束を突きつけたとき以来完全に放置していたポーチだ、俺はいぶかしがりながらもポーチを改める。

    ……ない。

    ポーチの中に入れていた札束も、鍵も、財布もない。いつなくなったのかはさっぱり分からないが、ポーチの中は完全に空っぽになっていた。一体なぜ、まさかこの『スマホの男』が奪い取ったとでもいうのか?

    俺がそう考えたのを読み取ったかのように男が答えてきた。

    男「おいおい、まさか俺を疑ってるつもりか? まぁ無理はない」


    男「まぁいいさ、あんたに『手品』ってやつを見せてやろう」

    男「箪笥……そうだ……そのスマホが入っていた缶の乗っていた箪笥……」

    男「そこの一番上の右側の引き出しを開けてみろ」


    言われるままに引き出しを開けてみる。

    そこには俺の財布、アパートの……かつて今はもう歴史に埋もれた俺の居室の鍵、そして札束が入った袋、いやそれだけでない、他にも札束が……ひとつ……ふたつ……全部で九束、袋の中の札束と合わせて十束分……。

    実に一千万円が入っていた。俺は目を丸くしていた。

    男「御喝采、ってところだな」

    おかしい。なぜ俺の荷物が箪笥の中に移動している? それだけじゃない、俺の金とあわせて実に一千万円という大金が箪笥の中に入っている。これはヤマダさんの金なのか? この世界に日本円なんて存在しないはず……。

    男「いいことを教えてやろう、その一千万円、全部あんたの金だ」


    そんな馬鹿な!


    俺が異世界に転生した時に持っていた金は銀行の封筒に入っていた百万円分、それだけだ。それ以前の記憶はないが、こんな大金をもって異世界転移したなんてことはあり得ない。この男は一体何を知っているというのだ!

    俺は思わずスマホを持ったままもう片方の手で札束を拾い上げた。

    ズシリと来る、そしてこの触り心地は妙に覚えのある感覚だ。確かに以前持っていたと言われても納得できる気がする。この超未来に既に日本円など存在しない。確かに『俺の金』以外に新札の札束なんて存在しないだろう。

    俺は思わず声にしていた。


    俺「しかし、この金は一体どこから、誰が! どうやって!」

    男は即答する。

    男「お前の居室から、お前の居室の鍵を使って、部屋に入り、だ」

    俺「俺の居室だと!?」


    ここは『超未来の地球』だ。


    俺の部屋があったアパートなんてとうの昔に朽ちて消えてなくなっている。だからこそ鍵の存在など全く気にも留めなかった、使う場所がないからだ。遥か時間を超えて過去にある俺の部屋の鍵を開けて札束を持ってきただと?

    男「お前の金である以上、お前の居室から持ってくるしかないだろう」

    わけが分からない、この世界の「持ってこられる」様な場所に俺の居室があるとでもいうのか!? なら俺の住んでいたモルタル二階建てのアパートがどこかにあったとでもいうのか? そして誰が持ってきたって言うんだ!

    そんな俺の考えを読んだかのように男がとどめを刺してきた。


    考えたくなかった、あえて意識からそらしていたその答えを。


    男「この一〇三号室、お前の他には山田一人しかいない、そうだろう?」


    ヤマダさん。


    ヤマダさんが、俺の荷物を漁り、鍵と財布と札束を奪い、そして俺が住んでいたモルタル二階建てのアパートが現存している場所を確かめ、俺の鍵を使い、俺の居室から俺も存在を覚えていない一千万円を奪い戻ってきた。

    そんな不合理な!

    何度でも繰り返すが、この『超未来の地球』において一万円札などクソの役にも立たない。せいぜい『絵柄が珍しい紙切れ』程度の扱いしかない、だからこそ鳥頭も札束から数枚札を適当に抜いて持って帰るだけで終わった。

    そんなに価値があるなら「札束ごと」持って帰っていいはずだ。


    男「数万円でよかった、だから数枚だけ抜いていった。それだけの話さ」

    俺「待て! この日本円が日本円として価値を持っているというのか!?」

    男「そうでなければ、なぜわざわざお前の部屋から一千万円を奪う?」


    秋だというのに嫌な汗が俺の頬を伝う。

    この男の言葉には嫌な説得力がある。

    さっきからテレビの砂嵐のノイズが耳障りな音を立て続ける。


    ヤマダさんは日本円が日本円であることを知り、価値を見いだしていた。

    それだけじゃない。

    鳥頭も価値を見いだしていた、だからこそ『数万円』を奪っていった。

    この『超未来の地球』で、だ。


    そしてヤマダさんはそれをごまかしていたことになる。ヤマダさんは言っていた ――「当然宇宙スーパーでも使えません、ただの珍しい紙切れに過ぎません」と。脳内に無数の疑問符が浮かぶ、一体なぜヤマダさんが!?

    男がこらえきれないと言った感じでクスクス嫌な笑い声をあげる。

    男「つくづくお前は脳内お花畑だな。その調子だと、山田の『宇宙奴隷商人に連れていかれるところでした』っていう言葉もまるまる信じてそうだな、おめでたい奴だ。言わせてもらうが見ててうらやましい程だ」


    この男はつくづく俺の神経を逆なでしてくるのが上手い。

    だが、その瞬間俺の脳内に閃光が走る。

    俺はこの男のロジックの『致命的な穴』に気づいたのだ。


    俺「危うく騙されるところだったぜ」

    俺「俺は記憶喪失だ、そしてここがどこだか分からない」

    俺「そして俺の財布にも俺の住所がわかるものは入っていなかったはずだ」


    俺「そんな状況で、なぜヤマダさんが俺の元住んでいた住所を把握できる? 仮にこの地球に俺が住んでいたアパートが現存していたとしても、ヤマダさんが探すのは不可能だ。まさか日本中くまなく探すとでもいうつもりか?」

    俺「そもそも、だ」

    俺「テレビを勝手に操作し、電源も入っていないスマホに通話し、この金が俺の金であることを知り、とどめに金の隠し場所まで知っている。全てあんたが仕組んだ罠って考える方がよっぽど妥当だぜ? スマホの男さんよ」

    俺「何よりあんたは俺たちのことを『知りすぎている』」

    俺「あんたは何者だ? 俺達の暮らしをカメラで監視でもしてるのか? もしかしてこの数週間の全てが手の込んだドッキリで、『私が全て超文明に見えるトリックを仕込んだ仕掛け人でしたー』とでもいうつもりか?」


    俺がそこまでまくしたてた時、ギィという音が鳴る。

    建付けの悪い「めぞん・プルガトリオ」の玄関が開く音だ。


    男「仕掛け人……か……まぁいいさ、今回はここでおさらばしよう」

    男「あんたがどこまで『お花畑』にしがみついていられるか楽しみだ」

    男「せいぜい山田との日常を楽しむがいい」


    ふとスマホの画面が音もなく消え、テレビは元の宇宙バラエティを映す。


    俺は急いで札束をしまい箪笥の引き出しを閉め、スマホを缶に入れ箪笥の上に戻し、まるで何事もなかったかのように万年床に頬づえをつき、テレビに視線を向け、白々しくも『ずっとバラエティ見てました』という面をした。


    全てが元通りになった室内。

    テレビからは芸人と思しき宇宙人の宇宙語が能天気に鳴り響いている。


    ――テレビの内容が頭に入ってこない。


    それは決して、テレビの言語が宇宙語だったからではない。

    程なくして一〇三号室のドアが開く。


    ヤマダさんが戻ってきたのだ。




    Episode7:暖かくて、甘やかな牢獄


    ヤマダさんは両手に宇宙スーパーの袋を持ち、のそのそと帰ってきた。

    万年床で寝そべってた俺をみて安心したかのように身体をふよっとさせる。

    その拍子に袋に満載した商品が落ちそうになるのを俺は慌てて止める。


    気付いたヤマダさんが腕の先端でぽふぽふ頭をなでてくる。

    ヤマダ「ありがとうね、荷物は、冷蔵庫に入れておきますね」


    ヤマダさんは年代ものの冷蔵庫を開け、次々商品をを放り込んでいく。

    俺はふよふよとした不定形の腕が器用に商品を掴むのを眺めていた。

    このふよふよした手が、俺の部屋から一千万円を……


    そこまで考えて俺は必死に首を振る、一体俺は何を考えてるんだ!


    ヤマダ「あ、そうそう!」

    俺「え! あ! な! 何!?」

    考えていたところに話しかけられ、口から心臓が飛び出るくらいに驚く。


    ヤマダさんはちょっと悲しそうな顔でいそいそと荷物から包み紙を出す。

    ヤマダ「Oʎɔoʎɔoɯpǝʞɐq……無かったんですよ。それどころかIʞɐʎuɐqooもIʞɐʎɐʍɐƃɐɯı̣もIʞɐʎoもꓵnɾ̣uɐɯnʞɐɹnoɥも無かったんです……仕方ないので代わりと言ってはなんですがIʞɐʎuǝʇı̣ɐʞを買ってきました。ごめんなさいね」

    次から次へと宇宙語の固有名詞が出てきて大混乱する。

    このピンクの不定形は何を言ってるんだ?

    ヤマダさんは包み紙をちゃぶ台の上に置いてぱさぱさと広げる。中からは茶色く、円筒形の……幾何学的形状の食べ物と思しき何かが出てきた。ほのかに茶色のそれは、甘くておいしそうな匂いをたてている。お菓子だろうか?


    ヤマダ「お茶、入れますね」

    ヤマダさんは湯飲みを並べ、ポットから急須にこぽこぽとお湯を入れる。

    ヤマダ「ひとりふたつずつですよ」

    ヤマダさんは頭部をふよっとかしげ、昆布が軽く揺れる。


    ヤマダ「それじゃ、いただきます」

    ぱくり。

    甘くて黒いペースト状の何かが入ったその焼き菓子はとてもおいしかった。宇宙文明、捨てたものじゃない。茶の渋みと、このIʞɐʎuǝʇı̣ɐʞとかいうお菓子の甘みが実にぴったり合う。くせになる味だ。

    俺「おいしい! これおいしいよ! ヤマダさん!」

    ヤマダ「ふふふ」

    俺とヤマダさんは二人でIʞɐʎuǝʇı̣ɐʞをぱくついていた。ふと窓から外を見上げると穏やかな秋空の中、羊の毛の様にふわふわした雲がゆっくりと風に流されているのが分かる。部屋に流れ込む風が涼しく、心地いい。


    ああ、永遠にこの時間が続けばいいのに。


    俺がそう思う中、ふとヤマダさんが言葉を発する。

    ヤマダ「おいしいですよね……やさしいあなたと一緒に二人でいられる」

    ヤマダ「……このまま永遠に時間が止まってしまえばいいのに」


    ふとヤマダさんを見ると、体色はくすんだピンクになっていた。子供のころ通信簿に「人のことをよくかんさつしましょう」と書かれた俺ですら、今のヤマダさんが心からは喜んでいないことは分かる。どうしたというのか?

    ヤマダ「Ɐʇʇɐʞɐunʞɐʇı̣ɹɐuı̣uı̣ɐı̣ɹı̣s Oʇɐʇɐuɐ Ǝpı̣ʇɐʇɐʞɐuuoʞ」

    ヤマダ「……Ɐɹɐʇı̣ǝʇı̣ʞǝp Ɐƃoʇoʞnɐı̣ɹı̣s Ǝpı̣ʇɐʇɐʞɐunʇǝqoʇʇoɯ Isoɯ」

    ヤマダさんは俺に語る訳でもなく、まるで自分自身に言い聞かせるかのように宇宙語でぼそぼそとひとりごちていた。その身体は目をそらす様にうつむき気味で、頭部から生えた昆布は表情を隠すかのごとく垂れ下がっている。


    ヤマダ「もし……もしもの話です」

    唐突にヤマダさんが俺の方に身体を向け話しかけ……いや問いかけてきた。

    ヤマダ「もし私が、あなたにとっても酷いことをしてしまったとして」

    ヤマダ「どれだけ謝っても、取り返しのつかない酷いことをしたとして」

    俺「お、おう……」

    ヤマダ「そのとき私は……どうすればいいのでしょう……」


    俺がどれだけニブチンでも分かる。


    ヤマダさんは何かを『しでかして』いる。そしてそれは間違いなく箪笥の中の一千万円に関係している。ここに至って俺は確信せざるを得なかった。スマホの男の言う通りだ。ヤマダさんは俺から一千万円を密かに奪っている。

    それも日本円の価値を知りながら、それを俺に隠す形で、だ。

    怒りよりも何よりも先に疑問が浮かぶ。

    ここはそもそも超未来の地球だ。日本円が価値を持つっていうこと自体異常だ。ヤマダさんは多分すごく重要なことを隠している。それは『俺の金を盗んだ』以上の何かだ。ヤマダさんが真に苦しんでいるのはそれだ。


    どうしよう?


    問いただすのは簡単だ? 一言聞くだけでいい。

    しかしそれは間違いなく『後戻りのできない一歩』だ。人は”知らない”状態から”知った”状態になることはできるが、逆はできない。聞いてしまい、忘れたいと思ったことを意図的に忘れることは人にはできない。

    それを聞けば、このヤマダさんとの穏やかな生活は、恐らく終わる。

    だが、俺の心の中に『聞かなければいけない』という気持ちがあった。

    単純に『一千万円をヤマダさんが俺に隠れて発掘してました』だけなら分かる。一千万円など忘れて、ヤマダさんと異世界ヒモ生活を続ければいい。その一千万がこの世界で価値を持つか持たないかは実際のところ関係ない。


    俺が気になっているのはそこではない。

    一千万円以上の『世界の何か』をヤマダさんは知ってしまっている。


    ――「実はこの超未来の地球では空前の古銭ブームで、あなたの時代の一万円札千枚は、この世界で家どころか宇宙船とプール付きのビルディングが買えるだけの価値を持っているんですよ! 黙っていてごめんなさいね!」


    ……だったらどれだけ幸せだろう。

    断言できる。

    ヤマダさんが隠している『真相』は恐らくもっともっと恐ろしいものだ。


    聞いてしまった瞬間に、この世界が崩れ、二度と立ち行かなくなるレベルの何かだ。困るのは恐らく、いや間違いなく、ヤマダさんではなく俺の方だ。覚悟を決めるべきはヤマダさんではない、俺なのだ。

    決めよう、覚悟を。


    俺がヤマダさんの方を向いたその時だった。

    ヤマダさんの方が先に言葉を発した。

    ヤマダ「……やはりあなたは……ここを出て行かなければいけません」

    ヤマダ「あなたはここに……一〇三号室に居続けてはいけないのです」


    は?

    俺は思わずヤマダさんの肩と思しき場所をがっしりと掴んでいた。


    俺「ヤマダさん……い、いきなり何を言ってるんだ?」

    俺「あなたに追い出されたら、俺はこの異世界でどうしろって言うんだ?」

    俺はヤマダさんの身体をふよふよと揺さぶるが、ヤマダさんは目をそらす。


    ヤマダ「……Iɐuɐɾ̣oʎsɐq Ɐunoʎnɹı̣ǝʇʇoɯoɐƃɐʇɐuɐ Ɐɥoʞoʞ ¡ꓵsǝpunɐƃı̣ʇ」

    ヤマダ「……ꓵsɐɯı̣sǝɐʞı̣uɐʇɐuɐ Ǝʇǝqns Iɐsɐuuǝɯoƃ」

    ヤマダ「ごめんなさい……ごめんなさい……」


    俺の手を振り払ったヤマダさんはふらふらと身体を伸ばし、まるですべてをあきらめたかのように箪笥の方に歩みを進めていった、あの、スマホと一千万円が隠してある箪笥の方に。

    そして、ヤマダさんが箪笥の引き出しに腕を伸ばしたその時だった。

    おもむろにベルの音がした。

    スマホの着信音じゃない、昔の黒電話の原始的なベルの音だ。

    ヤマダさんの家の傍らに置いてあった黒電話が、けたたましく鳴り続けていた。ヤマダさんはわたわたと電話台の方に移動し、その不定形の腕を伸ばして器用に受話器を取って身体に押し付ける。その瞬間だった。


    ヤマダさんの体色が激しく変色し、まだら模様に濁る。

    明らかにヤマダさんが動揺しているのが分かる。

    ヤマダさんの狼狽した声が聞こえる。


    ヤマダ「明日!?」

    ヤマダ「どうにか、どうにかなりませんか!?」

    ヤマダ「……」

    ヤマダ「……ꓵsǝpnqnoɾ̣ı̣ɐp……ꓵsɐɯı̣sɐʞı̣unop……ꓵsɐɯı̣ɹɐɐɥǝʇɐ……Ǝǝ」

    みるみるうちにヤマダさんの体色がどす黒くなっていく。


    チン、と受話器を置いたヤマダさんは、ゆっくりと俺の方を向く。

    明らかに目が濁っている。


    ヤマダ「……ええ……大丈夫です」

    ヤマダ「これからも……ずっと……いっしょに……いましょう。この星は怖い宇宙人がたくさんいます……外に出るのは……危険です……あなたはずっと……この一〇三号室で……わたしといっしょに……すごすのです……」

    俺「いやだって……さっきヤマダさん……ここから出て行けって……」

    ヤマダ「いいんです! もう……いいんです……」

    ヤマダ「もう……おそいですね……そろそろ寝ましょう……」


    まだ外は暗くなったばかりだ、秋とはいえ八時にすらなっていないだろう。

    ヤマダさんは背を向けて、どす黒くなった体をふるふると震わせていた。

    その表情は伺えない。


    俺「……わかった……もう……休もう」

    俺は部屋を冷たく照らす蛍光灯を消した。





    Episode8:煉獄の家


    ……眠れるわけがない。


    俺はヤマダさんが寝静まったのを確認し、そっと建物を出る。

    遥か彼方には不夜城の如く色とりどりに光る宇宙人の建造物、真っ暗な中緑に覆われたシルエットだけが見えるかつてのビル街、ぽつぽつと見える空飛ぶ乗り物のランプが見える。しばし夜風に吹かれた後、腕時計を見る。

    時刻は二十三時を指している、恐らくこの星の時間もほぼ同時刻だろう。


    『Oʎɹɐpı̣ɥ…ʎ˙ꓥı̣u…ʇoʎʞ』

    ――めぞん・プルガトリオ


    この築百年を超えるであろう古めかしい木造ボロアパートの前で、俺は周囲に誰も宇宙人がいないことを確認し、ポケットからスマホを取り出した。ヤマダさんが寝入ったのを確認してこっそりお菓子缶から取り出したのだ。

    以前は電源が切れていなくても着信した。であれば……

    祈る様に電源を押すと、不思議と光がともり、ロック画面その他を全部スキップして通話アプリのテンキーが表示された。諳そらんじるまでもない。俺はテンキーの「0」をひたすらタップしていた。


    「000-0000-0000」


    数回の着信音ののち、声がする。あの少し高めの声が。

    男「よぉ」

    俺「単刀直入に聞く。『真実』を教えろ」


    スピーカーの向こうからくっくっくっと笑い声がする、嫌な声だ。

    男「どういう風の吹き回しだ? お前が『真実』を知りたがるとは」

    俺「お前は恐らく『ヤマダさんが隠している真実』を知っているはずだ、ヤマダさんは単に一千万円を盗んだだけではない。もっととんでもない隠し事をしている。俺の直感が叫ぶのさ、お前はそれを知っていると」

    男「いいだろう、話してやるさ。俺自身望んでいた事でもあるからな」

    男「発端はお前がこの建物に来る前のことだ……お前が、お前の言う『異世界』……『超未来の地球』に来た瞬間のことは覚えているか? あの時何が起こったのかを具体的に思い出してみろ……」


    俺「……」

    俺「あの時俺は全てが嫌になっていた……何が嫌だったのかは覚えていない……俺の具体的な記憶で最初に残っているのは軽トラに轢かれた後、空飛ぶバスの運転手に宇宙語で怒鳴られ……気がついたら見知らぬ場所に……」

    男「それだ」

    俺「なぬ?」

    男「あの時お前は、目の前に地球のバスが迫っており、運転手が怒鳴っていると認識した。だが、運転手の怒鳴り声を拒絶した瞬間、お前の視界の歪みが取れ、ふと目の前を見ると空中に浮かぶ『空飛ぶバス』がいた……」

    俺「なぜそこまで把握している!」


    おかしい、こいつは俺の感情の動きまで把握している。

    隠しカメラで撮り続けていたとしても心の動きなんて分かるはずがない。


    男「お前は世界の全てを拒絶した瞬間この世界にやってきた……いや、この世界に『発生した』と言える。その時点で『発生した』お前に発生以前の記憶……軽トラに轢かれる以前の記憶なんてあろうはずがない……」

    俺「待て、何を言っている!」

    男「お前は記憶を持っていないが『借り物の記憶』は持っている……空飛ぶバスの車窓からの景色……楽しかっただろう……空飛ぶ車への憧れ、通信簿に書かれた注意……ありもしない思い出……『借り物の記憶』だ……」

    俺「『借り物の記憶』……だと……?」


    男「この建物の名前を言ってみろ」

    俺「『めぞん・プルガトリオ』のことか?」

    男「フランス語とイタリア語が混ざり合った……まるであやふやなお前そのものの様な名前だが……実際『煉獄の家Maison Purgatorio』とはよく名付けたものだ……だがこの建物の真の名は違う、お前はこの建物の名前を間違って認識している」

    男「お前のその『借り物の記憶』でよーく見てみろ」


    この木造ボロアパートの名前、だと?

    俺は建物の古びた看板を目を凝らして眺める。


    『Oʎɹɐpı̣ɥ…ʎ˙ꓥı̣u…ʇoʎʞ』


    読める気がする……かすれているが……確かに魂が叫んでいる。

    俺「京……大学……吉……寮」

    大学の寮?

    俺が気づいたのを察したのか、スマホの向こうから薄ら笑いが聞こえる。


    男「ようやく気付いたか」


    男「お前のもう一つの『借り物の記憶』、人生で最も美しく、楽しかった頃の記憶……大学寮生活時代の記憶さ……お前は、お前自身が拒絶したこの世界の建物の認識を、楽しかった『大学寮』の記憶で上書きしたのさ……」

    男「お前自身が拒絶したこの世界の建物……そう」

    男「そこはお前がもともと住んでいたモルタル二階建てのアパートさ」

    男「なぜ異世界到達後、無意識にここにたどり着けたか、理解できたか?」

    男「お前が上書きしたのはこの建物だけじゃない。お前は、お前が拒絶したこの薄汚い世界のありとあらゆるもの、道行く人々、乗り物、スーパーマーケット、街並みの風景、お前の目に入るもの全ての認識を上書きしたのさ」

    男「奇麗で楽しい御伽噺のお花畑に、な」

    男「はっきり言おう」



    男「お前は異世界転移などしていない、そこは紛れもない『現実世界』だ」

    男「かりそめの記憶であるお前が、狂った認知で見ているだけにすぎない」

    俺「!!!」



    なんてことだ。

    俺は『異世界転移』などしていなかった。

    認知が狂っていただけだったんだ。


    驚愕する俺をよそに、手の中のスマホから男の声は続いていた。


    男「そしてこれで、お前が以前俺にぶつけた『謎』も解けただろう」

    男「山田はどうしてお前の住処を知り、一千万円を盗むことができたか?」

    男「単純な話さ、『もともとご近所だった』んだよ、山田は」


    俺「なら、二〇三号室というのは……」

    男「御名答、お前自身の部屋だ、山田はあの部屋から九百万円を盗んだ」

    俺「封印もヤマダさんが仕込んだとでもいうのか?」


    男「それは違うな」

    俺「ならあの封印は誰が!」

    男「お前自身だよ、お前自身があの部屋を封印し、閉じ込めたのさ」

    俺「誰を!?」

    男「まだ気付かないのか? お前が記憶と身体を奪い取った男……」



    男「……俺だよ」



    足元が崩れる様な感触が俺を襲った。

    男「いろいろ返してもらうぜ、『記憶』も、『身体』も」

    スマホの中から、深淵の向こうから何かが掴みかかる感触が俺を襲う。


    俺は必死に食ってかかる。

    俺「嫌だ! 断る! 俺はこの世界で! ピンクで不定形の宇宙人ヤマダさんとのんびり異世界生活を送ると決めたんだ! ヤマダさんとのんびり異星人の食い物を食い、奇麗な車窓を見て、静かに過ごすと決めたんだ!!!」

    男「人の身体盗んでおいて随分な言い様だが……まぁいい」

    男「……好きにするがいいさ、だが一つだけ忠告しとくぜ」



    男「山田は明日破滅する」



    男「お前のお望みの『山田とお気楽異世界ライフ』も明日でお開きさ」

    男「残念だったなぁ、けど悪いのはお前さ。お前が札束を抱えて山田の前に転がり込んだあの時から、山田が何を抱え、何を考え、何に悩んだのか? お前はそれら全てからずっと目をそらし続けてきた。その報いさ」

    俺「そんな……嘘だ!」

    男「嘘なもんか。山田はずっとサインを出していた、お前がそれら全てから目をそらしていただけさ。明日山田は破滅し、消える、どこへ行くかは知らんが……少なくとも『お前が受け入れられる末路』は送らないだろうな」

    俺「言うな!!! それ以上その言葉を口にするな!!!」


    俺はスマホを耳にあてながら、うずくまり絶叫する。そんな中声が響く。

    男「だがここで、山田を救う方法がひとつだけ、ある」

    俺「もったいぶらずに教えろ! 何をすればいいんだ! 金か!?」



    男「俺を受け入れ、その身体から消え失せろ」

    男「そうすれば山田は助かる」

    俺「!!!」



    男「必要なことは言った、その気になったら電話しろ。じゃあな」

    そして音もなくスマホは沈黙し、手の中の深淵は静かに消失した。

    うすら寒い秋の夜風が吹きすさんでいた。


    ――めぞん・プルガトリオ

    煉獄の家Maison Purgatorio


    俺が住んでいた大学寮の見た目で上書きコーティングされた、ただのモルタル二階建てのアパート。ヤマダさんが住み、二〇三号室に俺の居室があるそのアパート。俺は、今となっては幻と分かっているその古びた木製の扉を開いていた。

    俺は二〇三号室に『スマホの男』を封印していた……。

    ここに来る以前の全ての記憶を勝手に拝借した、『本当の俺』を……。

    俺の足はギィギィ軋む階段を上り、自然と二〇三号室に向かっていた。あの強固な封印、俺が、俺自身が『スマホの男』に触れられないようにするために施していた強固な『拒絶』が待ちかまえる二〇三号室に通じる廊下へ。


    ――そこにはヤマダさんがいた。


    この建物は足音が響きやすい、当然ヤマダさんは俺に気づき「ひいっ!」と情けない声をあげながら振り向いた。薄暗い星の光にだけ照らされたその体色は暗すぎてよく見えず、その身体は小刻みにふるふると震えていた。

    そしてヤマダさんはその不定形の腕で何かを抱えていた。

    ……かつて俺の荷物が入っていた空のポーチ……いや違う、

    今やポーチは中身がぎっしり詰まっておりパンパンに膨らんでいる。

    ヤマダさんは俺の方に向き直り、俺の手の中に「ぐい」とポーチを押し付けた。ポーチの中から明らかにごつごつとした感触、多数の札束が詰め込められている感触が伝わる。そしてヤマダさんは泣いていた。


    ヤマダ「ごめんなさい……ごめんなさい……」

    俺が何を言ってもヤマダさんはひたすら泣きながら謝り続けるだけだった。


    ヤマダ「あなたに返したいんです……」

    ヤマダ「もうあなたに頼りません……」

    ヤマダ「お別れです……」


    ヤマダさんはそういうなり階段を駆け下り、一〇三号室に逃げ込み、そのまま内側から鍵をかけてしまった。とうとう俺は『ヤマダさんの部屋』から閉め出されてしまったのだ。

    だが俺が放り出された世界は『超未来の地球』ではない。

    ここは『現実世界』だ。

    俺は単にモルタル二階建てのアパートの軒先に立っているに過ぎない。

    だが、目の前の廊下、二〇三号室に続く道には無数の『拒絶』という名の封印がそのまま残り続けている。たとえそれが『幻覚』であったとしても俺の精神には効果を持っているだろう、つまり俺は二〇三号室には入れない。


    たとえそれが『現実世界』とはいえ、記憶もない俺にはいくあてもない。

    やむ無く俺は、二階の廊下の真ん中でうずくまって寝ることにした。

    俺は薄れ行く意識の中、スマホの男が電話口で言っていたことを思い返す。


    ――彼は『明日ヤマダさんは破滅する』と言っていた。


    俺のせいだ、俺が全てから目をそらしてしまったせいだ。

    明日朝一でヤマダさんと話をしよう。

    腹を割って、全てを打ち明けて、ここが現実世界だと認識したうえで。


    ――翌朝


    そんな俺の眠りを『破滅』によるドアホンの連打が叩き起こした。





    Episode9:いつもニコニコ現金払い


    ピンポーン

    ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン!!!!!


    階下に響くけたたましい音が俺を叩き起こす。

    何事かと階下に降りた俺が一〇三号室を見たのと、二体のスーツ姿の鳥頭の宇宙人が開いたドアを前にドアホンを鳴らすのをやめ一〇三号室に押し入ったのはほぼ同時だった。慌てて一〇三号室に駆け寄る俺。

    この二体のスーツの鳥頭には覚えがある。

    一か月前にヤマダさんに何かを迫っていた宇宙人だ。

    開き切ったドアの向こうで、体色が真っ青になりふるふる震えているヤマダさんと、頭頂部の羽をピーンと伸ばし、羽根を広げ、明らかに威嚇している鳥頭二人組がいる。ヤマダさんは必死に言葉をひねり出している。


    ヤマダ「お金はありません……ですが……身体ででも何ででも払います!」

    ヤマダ「ただ……ただ一つだけ」

    鳥頭共「?Ɐʎuɐu……Ǝʞɐpnʇoʇı̣ɥ」

    ヤマダ「追加で……追加でお金を貸して下さいっ!」

    鳥頭共「?Ǝǝɯǝʇ ?Ɐʞuɐʇʇɐunʞı̣sɐʞoɐɯɐʇɐ ?Ɐɐɥ」

    ヤマダ「先月あの人が立て替えた分……あの分だけ追加で貸して下さい!」

    ヤマダ「そのお金をここに置いたら、私はどこへでも行きます!」


    ヤマダさん……なんてことを言いやがる。

    ヤマダさんは恐らく高額の借金を背負っている。この鳥頭共は恐らく闇金か何かだろう、そして毎月の利子の返済すらままならなくなった、先月はたまたま俺が訪れて、利子分を返したからどうにかなっただけだったんだ!

    どうする……どうすればいい!?

    ヤマダさんは俺が利子を立て替えるのをよしとしていない。俺の金を奪って逃げるつもりならいくらでもできた、その金を昨晩全額返してきた。それどころか先月俺が立て替えた分を新たに借りてまで俺に返そうとしている。

    とにかくこの鳥頭宇宙人と対話しなければ!


    俺の意識が鳥頭共に向く、俺の精神が鳥頭共を『受け入れる』!

    次第に奴らの、鳥頭共の言葉が理解できるようになってきた!


    鳥頭共「Ɐpuɐu……Nǝs月立て替えた兄ちゃんか」

    鳥頭共「悪いな、この姉ちゃんはもう立て替える必要はないって言ってる」

    俺「俺が支払う! 利子はいくらだ!?」


    鳥頭共「もう遅ぇんだよ」

    鳥頭共「利子がついて膨らみに膨らんだ八百万の債務」

    鳥頭共「この債務者様は自力弁済の意志ありということさ」


    鳥頭共「温情溢れる俺らが職を斡旋することになっている」

    ヤマダ「ええ……どのような職でも……身体の準備はできています……」

    俺「やめるんだ! そんなことで身体を売る必要はないっ!」


    鳥頭共「兄ちゃん、勘違いはいけないなぁ」

    鳥頭共「俺ら嬢ちゃんを風俗に売り飛ばす、なんて非道なことはしねぇ」

    鳥頭共「東南アジアのリゾート地でコールセンター業務って奴だ。子や孫から見捨てられた独居老人に家族としての暖かな電話と、ちょっぴりの見返りをお願いする、高収入の歩合制……ちょっと拘束時間だけ長めだがな」

    俺「貴様らぁ……」

    鳥頭共「なんだかんだ言いつつこのギョーカイ人手不足でなぁ、究極の売り手市場って奴さ、嬢ちゃんが希望するならいつでも俺らは暖かーく受け入れるぜ。待ってたんだぜぇ、嬢ちゃんがのっぴきならなくなる瞬間をなぁ」

    鳥頭共「まぁそういうわけだ兄ちゃん、この債務者様は頂いてくぜ」


    鳥頭共「あ、そうそう」

    鳥頭がおもむろに一万円札を数枚数え、名刺と共に俺に渡してくる。

    鳥頭共「債務者様からのたってのご希望だ、先月あんたが立て替えた分、あれ不要だそうだ、お返しするぜ。それじゃあ、今後とも当社をごひいきに、兄ちゃんも金なくなったら俺らを頼りな、いつでも貸すぜ」

    鳥頭共「さ、来るんだ」


    鳥頭がヤマダさんの不定形を掴もうとした翼を俺は必死に防ごうとした。

    次の瞬間、鳥頭のもう片方の翼は俺を力いっぱい殴り倒していた。

    声をあげる間もなく吹っ飛ばされ、傍らの本の山に突っ込み激痛が走る。幻覚として見えているのは翼だが、間違いなく拳で殴られていた。救いと言えば『本の山』だけは本物でクッションになったことくらいだ。


    鳥頭共「暴力はいけないぜぇ、兄ちゃん」

    鳥頭がその顔を俺にグイっと寄せ、くちばしからの口の臭さでむせ返る。

    鳥頭共「『正当防衛』せざるを得なかったなぁ、悪いことしたなぁ」


    ――このままではヤマダさんは破滅する。


    あの『スマホの男』の言う通りに。

    俺が、一か月間俺が何もせず、ただ手をこまねいて見ていたせいで!!!


    ……。


    消えよう。


    ――ヤマダさんのために、今、俺は消えよう!


    俺は覚悟を決め、一〇三号室の入口にすっくと立ちはだかる。

    鳥頭共「なんだぁ、兄ちゃん? まだ何かする気かぁ?」

    ヤマダ「いいんです! お願いです! もうやめて!!!」


    俺は胸ポケットからゆっくりとスマホを取り出し、電源を入れ、耳に構えてゆっくりとタップする、数字の位置を確認するまでもない。鳥頭共は一瞬何かと身構えた後、ニヤニヤと嫌な笑いを浮かべて俺に言う。

    鳥頭共「兄ちゃん、警察はやめときな、『民事不介入』っていってな……」


    俺はスマホを耳にあてつつ、真っ直ぐに正面を見据えていた。

    これから起こることの『覚悟』を決めるために。


    俺「待たせたな」

    鳥頭共「?」

    俺「俺の身体なんていくらでもくれてやる」

    鳥頭共「何を言ってやがる?」

    俺「たった今、この場で、ヤマダさんを……ヤマダさんを救ってみせろ!」


    スマホの奥の深淵から声がする。

    スマホの男の、俺の、声が。

    男「……ずいぶんな言い様だが、分かった」



    男「今すぐスピーカーホンをオンにしろ」



    意思を込めタップした瞬間、何かが俺の頭に入ってくる感触があった。


    氷の様に冷徹な思考、威圧に一切ひるまぬ鋼鉄の精神、相手の力量を正確に見抜き、その弱点を最適解で撃ち抜く行動力。俺の知識が、記憶が、感情が過去の、事故以前の記憶に書き変わっていく。


    わかる、今の俺は『スマホの男』だ。

    『かつての、本当の俺』だ。

    俺の目が座り鳥頭をねめつける、今なら分かる、相手はただの零細企業だ。


    俺の身体が不意に動き、鳥頭の襟首を捕まえるや否やそいつの身体をちゃぶ台に思いっきり叩きつけた。あまりに前触れのない動作のせいで鳥頭はちゃぶ台の向こうに派手な音と共に転がる。鳥頭が本性を出しいきり立った。

    鳥頭「なんだテメェ何しやがる! 大人しくしてればつけあがり……」

    その瞬間!

    俺はちゃぶ台を「ドオン!」と叩きつける、「ひっ!」と怯える山田、鳥頭どもが睨みつける中テーブルに叩きつけた掌の下には一千万円の札束が積まれていた。山田の借金を十分に返済し釣りがくる額だ。


    俺「単刀直入に申し上げます」


    積まれた札束を前に、俺は鳥頭共に凍てつく氷の様な口調で持ちかける。これが『スマホの男』の素の口調だ。もはや俺の口は男の口、俺の手は男の手。スマホの男……かつての、本来の俺の意志で俺は動いていた。

    鳥頭共「なんだぁ、貴様ぁ?」

    鳥頭共は相変わらずすごんでいるが、俺の変化をみて警戒モードが入ったのが分かる。『俺の過去』がそう告げている。かつて銀行渉外部で反社どもを調査し、ねじ伏せていた頃の『俺』の知識が冷徹に俺にそう告げている!


    俺「私が山田さんの債務を一括にて全額代位弁済致します」

    俺「異論はございませんね」

    鳥頭共「ふざけるんじゃねえっ!」


    鳥頭の片方が約款をヒラヒラと俺に見せる、今の俺ならこの約款を宇宙語で無く『日本語』として理解できる。鳥頭はちゃぶ台に置いた約款をトントンと指で叩きながらまくしたてる、どこを指しているかは大体予想できる。

    鳥頭「ここ読めや『乙は甲に債務算定⽇における締切⽇までに債務総額を基礎として、乙が予め選択した⾦額(以下「弁済⾦」)を支払う』いわゆる『リボ払い』って奴だ、一括返金なんてできねぇんだよ」


    俺は返す刀で山田に問いかける。

    俺「山田さん、あなたが債権者から説明された利率は」

    山田「は、はい……十一といち……十日で一割だと」


    所詮そんなもんだ、この程度の『零細企業』は。

    俺「十一の年利は約三千二百パーセントになります、山田さんの債務における年利上限十五パーセント、いや、どの世界の法定年利をも上回ります。民法第七〇八条『不法原因給付』の対象として本来であれば無効な債務です」


    バァン!

    山田「ひいっ!」


    鳥頭が羽根で……いや拳でちゃぶ台を殴りつけ、巻き舌交じりの声になる。

    鳥頭共「兄ちゃん……生兵法振り回してるとケガするぜ」

    俺「分かりました、暴力に訴えるのですね」

    俺「だとしたら当行としても債務者保護の観点から考えがございます」


    やはりそう来るか。いつものやり口だ。俺の目がみるみるうちに濁り、まなこにできた沼の中に鳥頭を沈めるかのように奴らをじっと見据える。俺は静かに、だがドスの効いた凄みのある声でしゃべり始める。


    俺「下手したてに出てりゃあ、ベラベラベラベラとつけあがりやがって」

    鳥頭共「!」

    俺「出るところ出るって言うのなら俺も手札を切らせてもらおう」


    俺「悪井組……あんたらの方が知ってる名前だろう……」

    鳥頭共「なっ! てめぇっ!」

    俺「広域暴力団極悪会系三次組織……この市一体の闇金を取り仕切っている組織だ……近年はあんたらのチンケなやり方のせいでギリギリのシノギを強いられている、いつ告発されてもおかしくない状態だ……」

    俺「既にうちの渉外部もあんたらに散々煮え湯を飲まされている……」

    鳥頭共「ふざけやがって……」


    ダァン!


    俺の足がちゃぶ台を割らんがばかりに踏み抜いた音が響き渡る。

    俺はちゃぶ台に片足を乗せ、背中をずいっと反らし鳥頭どもを見くだす。

    鳥頭共は去勢を張るので精一杯だ、当たり前だ。


    俺「証拠ネタぁあがってんだよ」

    俺「ことは公安も顔を出すトクリュウ匿名・流動型犯罪絡みだ、警察も全力を出すだろう……悪井組は『詐欺罪』『貸金業法違反』『暴対法』その他諸々でしょっ引かれ……極悪会までメーワクが及ぶ。メンツは丸つぶれだ……」

    俺「当然悪井組……いや極悪会総出で犯人探しが始まる。で、調べてみたら発端はアンタらだ……後は言わなくても分かるよな? 明日にでもアンタら二人、『事故』で仲良く海底のオブジェと化すだろう……」


    俺は濁った眼を座らせ、鳥頭どもをねめつける。

    俺「なぁ……わかれよ……俺ぁ括弧一登録一年目の闇金如きに用はねぇんだ」

    俺「パチ屋の裏にでも行けばあんたらの顧客候補は山といるはずだ……ここでこの女に固執し結果として『廃業』するか、それとも顧客からの円満返済の元、明日も商売を『継続』するか……選択の余地はないはずだ……」

    鳥頭共は青息吐息だった、もはや約款など何の意味もなさない。


    俺「俺らとあんたら、明日からはただの他人だ……それでいいだろ?」

    鳥頭共「分かった……一括返済を受け入れよう……」

    俺「商談成立だ、書類、今すぐ作ってもらおうか」


    俺はその手で、鳥頭共の名刺を破り捨てていた。





    Episode10:二〇三号室の真実


    二〇三号室に続く廊下。

    当然だが、『封印』など無い。

    俺はずかずかと足を踏み入れ、持っていた鍵で二〇三号室の扉を開く。


    そこは、驚くほどに質素なアパートの一室だった。

    無論、築百年のオンボロ木造アパートなどではない。

    その様な幻想は、ない。


    窓の外にはごく当たり前の風景が見える。

    毛むくじゃらの宇宙人も、緑生い茂る廃墟も、宇宙船もありはしない。

    当たり前に人が生き、当たり前に死んでいく、それだけの社会が見える。


    俺はあの時、かつての古巣の立場と情報ネタを使わせてもらった。

    退職金としては安すぎるくらいだ。


    『雇用的な意味以外』でもブラック企業であった、とある地銀の渉外部。

    あらゆる仕事をこなしてきたつもりだ、汚れ仕事と呼ばれる仕事にも手を染めた。山田の傍から追い払った闇金なんてかわいいものだ。俺は自らを殺して生きてきた。いずれはこの地獄の上、日の光の下に出られると信じて。

    結局日の光の下になどは、出られなかった。俺は所詮駒に過ぎなかった。

    社内政治に敗れ、全てに裏切られた。俺は自らの働きから見れば雀の涙にも満たない一千万円という退職金だけを押し付けられ追い出された。俺は今や古巣で『俺が辞める原因となったあの騒動の全ての元凶』扱いだろう。


    あの時の俺は心身ともに追い詰められていた。

    飯を食えず、食えば食った分だけ同じ量を吐血する程だった。

    『人間不信』という言葉があるが、あの時の俺は『万物不信』と言ってよかっただろう。もはや何も信じられなかった。そして、銀行を出たその足で最後の気力を振り絞って向かった精神科で俺は医者に薬を処方された。


    ――医師「ここまで来られたのが奇跡と言っていいでしょう」


    医者の言葉が脳裏に浮かぶ。

    医師「あなたの精神は既に限界に達しています。本来であれば措置入院を行ってもいい段階です。一応薬を処方いたしますが、効果が出るかどうかの保証はできかねます。極めて強い薬です、その管理には気を付けて下さい」

    医師「その薬はとても強い薬です。記憶喪失や幻覚状態を治療することはできますが、副作用として『記憶喪失中の記憶は全て消えます』。記憶喪失の症状が出た後服用する場合はその間に何が起きたかの記録をして下さい」

    医師「考え方や人格に多少の影響が出る恐れもあるでしょう」


    ある。


    俺の目の前には机の上に置かれた手つかずの処方薬がある。


    これを飲むと完全に俺の幻覚は消え去る。

    二〇三号室だけでなく、世界の全ての風景は「元通り」に戻る。

    ……この一か月間の全ての思い出と引き換えに、だ。


    俺は山田のことを思い返す。


    山田は、救われた。

    さきほど俺は山田の借金、八百五十四万円を代位弁済した……と言っても約款完全無視の横紙破りだ。手続きなんてものじゃない。あれだけ締め上げた奴等はもはや二度と来ないだろう。書類一式は山田の所においてきた。

    全ての手続きは終わった。

    山田の借金は、ゼロだ。

    山田は必死に礼を言っていた、泣いて土下座していた。だがそんなことはどうでもいい、俺は山田に土下座をされるために助けたんじゃない。あいつの、俺から記憶と肉体を奪ったあいつの最後の頼みを聞いたに過ぎない。

    あいつが守りたかった、あの一ヶ月の生活を守るために戦ったに過ぎない。


    ……あの一ヶ月とは一体何だったのか?


    俺はあいつにこの一ヶ月を『奇麗で楽しい御伽噺のお花畑』だと言った。


    当たり前だ。


    廃墟と超文明が混じり合った『超未来の地球』で、空飛ぶ車や毛むくじゃらの宇宙人を眺めて、空飛ぶバスに乗り、宇宙スーパーに向かい、幾何学的形状の物体と称しておでんの具を買って帰る。

    山田をピンクの不定形生物と認識し、愚にもつかない冗談につきあい、ビールを尿と認識し、共に回転焼きを食べる。穏やかな風が吹いていた、あの秋空の下で。何も考えず、ただただ平和に過ごしていただけの一ヶ月。


    ふざけた話だ。


    だが、その『ふざけた世界』に救われたのも事実だ。


    俺は退職し薬を処方された後、その薬を服用することすら拒んだ。

    限界だったのだ。もはやどうなってもいい。薬を処方されて帰宅するや否や、退職金のうち百万円をとりあえず掴んで外出していた。適当な店で豪遊し、その場で吐血して死ぬつもりだった。その結果が軽トラとの衝突だ。

    あの瞬間、俺は世界の全てを否定し、俺自身の手によって自らを封印した。そして自らをあの『暖かくて、甘やかな牢獄』とも言える一〇三号室に置き続けた。俺は奴が『超未来の地球』と称する世界で生きるのを眺めていた。

    あのままあいつに肉体を明け渡し、永遠の眠りに入ってもよかった。


    だが、その楽園が賞味期限付きであることも知ってしまっていた。

    あいつが『宇宙語』と称して聞くことを拒んだ言葉の全てが山田の借金を、いずれ来る生活の破綻を示唆していた。山田を救うためにはどうしても、俺自身をあの『暖かくて、甘やかな牢獄』から引きずり出す必要があった。

    そして俺は引き出され、山田を救いだした。あいつの世界を守ったのだ。

    今だからこそ、わかる。



    ――世界は、初めから美しいままそこにあった。

    ――俺がそれを認識しようとしていなかっただけだ。



    あの一か月間、俺は『本当の世界』を見ていたのだろう。

    万物を否定した俺にとっては、狂った認知を通してしか見ることを許されなかった美しい世界を。子供の頃の美しい思い出のままそこにあったバスの車窓を、大学生活の頃と同様の筈だった日常の生活を。

    あの山田とのどうしようもなく胡乱で優しい生活、あの生活は始めから世界そこにあったのだ。俺自身がその世界からずっと目をそらし、汚泥の中で戦い続けてきただけで。『もう一人の俺』はそれを認識させてくれたのだ。


    改めて、机の上の処方薬を見る。

    ――『記憶喪失中の記憶は全て消えます』

    医者の言葉が脳裏に浮かぶ。


    この薬を飲めば、山田との生活は俺の記憶から消える。

    元々かつての生活では意識もしなかった存在だ、あのピンクの不定形という宇宙人の幻想を剥ぎ取った本体がどういう人物だったかすら知らない。全ては元通りになり、俺は何も知らぬ状態で俺の部屋に戻るだけだろう。

    この間の生活の記録をするか?

    しようはずがない。

    元通りの認知になった状態であの『お花畑』を見たとしても、単に噴飯ものの思い出になるだけだ。あの『暖かくて、甘やかな牢獄』は、あの狂った認知だからこそ、あの時の俺だからこそ、価値を持つものなのだ。


    無論、未練のあるないで言えば未練はある。

    しかし、あの状態で、奇麗で楽しい御伽噺のお花畑で過ごし続けることはできない。俺は、俺自身の目で本当の世界をもう一度受け止めなければならないのだ。狂った認知などには頼らずに、俺自身の目で。

    煉獄の家めぞん・プルガトリオ

    言葉の通りだ。あそこは『煉獄Purgatorio』だったのだ。永遠に続く地獄Infernoと違い、煉獄は『魂の浄化が終わったら出て行かなければならない』。俺はあの煉獄の家を、めぞん・プルガトリオを出て、元の生活に戻らなければいけないのだ。


    ?「いいんだな?」


    ふと何者かに問われた気がした。

    声の主は言われなくても分かる。

    一か月間共に生きた、俺自身の声だ。


    俺「ああ、大丈夫だ」


    俺は薬を飲み、傍らのベッドに横になった。


    それが俺の『最後の記憶』だった。





    Episode11:さよならプルガトリオ


    俺は今日も二〇三号室で目覚める。


    現在はいわば「自宅療養中」とでもいうべき状態だろう、なにせ一か月近く記憶喪失に陥っていたのだ、無理もない。退職時に精神科で薬を処方されたものの、残念ながら飲むのが間に合わず記憶喪失になってしまったらしい。

    記憶喪失中のことは何も覚えていない、記憶喪失とはそういうものらしい。


    そんな俺が記憶を取り戻した直後。

    つまり記憶喪失中の俺が何らかの手段で服薬した後の話だ。

    俺の元に飛び込んできたのは不動産屋からの苦情だった。


    苦情によると俺は『いやだ! 心からおまえが消えていく』と叫びながら一〇三号室の扉に縋り付き、一晩中子供の様に大泣きしていたらしい。一〇三号室に住んでいた『お前』が誰だったのか? 今となっては知る由もない。

    なぜなら、今やこの一〇三号室は空室になってしまっているからだ。

    俺が記憶を取り戻し療養を始めた頃、引っ越し業者がやってきてこの部屋の主はあっという間に姿を消してしまった、挨拶ひとつなかった。きっと幻覚に叫ぶ俺を見て変質者が襲い掛かってきた、とでも思ったのだろう。


    だが、長い夢だったかの様な期間を終え、俺の心は極めて穏やかだった。

    俺はかつて務めていた銀行でもはや人間とは思えない扱いを受けていた。

    にもかかわらず、会社や同僚に対する憎しみも復讐心もなぜか湧かない。


    不思議なことに会社を去る時にもらった退職金一千万円は忽然と消えていた。しかし、どうでもいいという気持ちがあった。それはまるで凪の様に静かな心地だった。だが、完全に精神が穏やかだったわけではない。

    心のどこか、一カ所だけ何かが欠落した感覚があった。

    埋めがたい、どうしようもなく大きな穴がぽっかりと開いている。

    恐らく一か月間の記憶喪失の間に関する何かなのだろう。しかし今となってはもはや確かめようがない。俺は再就職をするでもなくただひたすら貯金を切り崩してだらだらと生活をしていた、とても働く気になれなかった。


    そんなある日だった、俺の元に差出人不明の郵送物が届いたのは。

    それは封書で、中にはキャッシュカードが一枚と手紙が入っていた。

    手紙の内容は、ある女の告解とでも言えるものだった。


    ◇  ◇  ◇


    私が何者なのか、もはやあなたは覚えていないのでしょうね。


    私は弱い女です。そして悪い女です。

    両親が亡くなり、遺産も特になかった私はそのままなすすべなく闇金に手を出し、莫大な借金を抱えてしまいました。愚かな女と笑って下さい、若い私はこのような状況でどのように身をふればよいか分からなかったのです。

    毎月の利子返済で精一杯で、身売りは時間の問題だと言われていました。


    そんな中でした、あなたが突然現れたのは。

    あなたは二〇三号室の住人でした、そのくらいしか面識のない方でした。

    ですが、その時突然私の前に現れたあなたは、おかしくなっていたのです。


    それは不思議な出来事でした。

    あなたは自分を『地球人』であると称し、私達を『宇宙人』であると称していました。まるであなた一人が別な地球に来たかのように振る舞い、そして言葉が通じないと思い込み、身寄りのない現状を恐れ、怯えていました。

    冗談だと笑われるでしょう、そんなことあるわけないと。

    しかし、間違いなくあの時のあなたはおかしかったのです、世界を『異星人が移住してきた人類滅亡後の地球』だと認識していました。ですが、私にとってそんなことは些細なことでした、もっと重要なことがあったのです。


    あなたは百万円という大金を持っていたのです。

    私の借金の利子を何か月払い続けてもなお余りある金を。

    しかもそれを『超未来の地球における無価値な紙切れ』と認識した状態で。


    借金に苦しんでいた私はとっさに一計を案じました。


    あなたに話を合わせることにしたのです。

    幸いにしてあなたは私の言葉だけを受け入れていました。

    ですので私はあなたを誤魔化そうと思ったのです。ここは異世界であると。


    それから一ヶ月ほど、あなたとの奇妙な『異星人生活』が始まりました。その間に私はあなたの札束と自室の鍵を奪い、あなたの部屋に侵入し、精神科の処方薬と九百万円を見つけ、その九百万円まで盗みました。

    つごう一千万円をあなたから盗んだことになります。

    ええ、許されざる大罪です。

    幸か不幸かあなたは『二〇三号室には強固な封印がかかっている』と認識していました、恐らく何かの理由で二〇三号室に入りたくない理由があったのでしょう。私は話を合わせ、二〇三号室に入らせない様にしむけました。


    正直に言います。

    この一か月間のあなたとの生活はとても楽しかったです。

    あなたと緩やかに、そして穏やかに過ごすことができた美しい日々。


    だからこそ思ったのです。

    こんな出会い方なんてしたくなかった。

    こんな『あなたの金を奪うための小芝居』なんて出会い方を。


    そんな出会い方をしなければ私はあなたとの穏やかな生活を心から楽しめたでしょう。しかしそれは許されませんでした、私はあなたの一千万円を盗んだ罪人です。どれだけあなたが笑顔を向けてもその事実は変わりません。

    あなたはこのアパートを『めぞん・プルガトリオ』と称していました。

    プルガトリオ……日本語で『煉獄』を意味します。

    まさにそこは私の罪をひたすら焼き続ける『煉獄』だったのです。そしてとうとう次の催促日の電話が来た時、私は決意しました。お金をこっそり二〇三号室に返そう。あなたは二〇三号室には近づけない、今のうちだと。


    ええ、見つかってしまいました。ですので直接一千万円をお返しました。

    ですが、あなたは現在一千万円を一銭も持っていないはずです。

    それはあなたが私の借金を完済してしまったからです。


    それだけではありません。

    あなたは法律に関するあらゆる専門知識を有しており、その知識と、法の外にある知識すら駆使して私を救ってくれました。もうあの借金取り達が私の元に訪れることは二度とないでしょう。

    幾度土下座をしても感謝しきれない状態でした。

    しかしあなたは二〇三号室に向かいました、あの部屋にあった薬、精神科が処方した薬を飲んだのでしょう。そしてその夜、私は聞きました。あなたの中から私の姿が消えていくというその泣き声を、必死に泣き叫ぶその姿を。


    どこに合わせる顔があるというのでしょう。

    記憶のなくなったあなたにとって私はただの不審者です。

    あなたに名乗り、お詫びをする資格すら私からは失われました。


    私にできることは二つしかありませんでした。

    一つ目はあなたのそばから今すぐにでも姿を消すことです。あなたは借金返済の残額をも私に渡しました、その一部を引っ越し費用にあて、私はあなたの元を離れました。もう私があなたの前に姿を現す資格はありません。


    二つ目はあなたに何十年かかってでもお金を返すことです。

    キャッシュカードが同封されていたと思います。

    暗証番号は「2971」です。ご自由にお引き出し下さい。

    口座には既にあなたからもらった残金全てを入金しています。


    今更私に罪を償える資格があるのか分かりません。ですが、今後どれだけ時間がかかろうとも残りの金額、あなたが肩代わりした一千万円の全てを返していきたいと思っています。それが私にできるせめてもの償いです。


    私はもうあなたに謝罪をする資格はありません。

    顔を合わせる資格すらありません。

    ただ、そのカードだけをお送りいたします。


    あなたに迷惑ばかりをかけてしまった、ダメな女より


    ◇  ◇  ◇


    俺「……」


    その手紙につづられていたのは、俺が記憶喪失だった間の俺の姿だった。

    俺は『宇宙人移住後の地球』という幻覚に囚われていた所を、この借金まみれの女に助けられ、途中一時的に一千万円を盗まれはしたものの、最終的には俺が彼女の借金を肩代わりし、闇金どもから彼女を救い出したらしい。

    銀行に勤めていた頃の俺からはとても考えられないことをしている……。


    俺の心の中にあいていた穴の正体が分かった。

    ああ……

    彼女に会いたい、恨み言の一つも言ってやりたい。


    それは断じて『俺の金を盗んだから』ではない。

    俺が一千万を犠牲にしてでも救おうと思った女、心から消えたときに一晩泣き叫ぶだけの想いを持っていた女、その後俺の心に巨大な穴をあけてのけた女。その女が『自分には俺に合わせる顔がない』などと言い出したのだ。

    そしてその女は、俺に金を返す手筈だけ整えて俺の前から永遠に姿を消そうとしている、そのことが許せず、腹立たしく、悲しかった。この女に再び会わなければならない、言ってやりたいことが心に次から次へと浮かぶ。


    俺「……」

    俺の心中に言葉にしようのない複雑な感情が浮かんだその時。



    おもむろにスマホが着信音を鳴らしたのだ。



    スマホを見る。

    発信先電話番号は常識では考えられない番号だった、こんな番号あるのか?

    俺は半信半疑で恐る恐るスマホを手に取り「応答」をタップした。


    それは酷くノイズ交じりの音声だった。


    男「よぉ」

    ノイズの中、男の声がする。

    だが、聞こえづらいはずのその声は不思議と意味がしっかり理解できた。


    男「……と言っても俺のことを……覚えてる訳はないな……まぁいい」

    男「いいことを……教えてやろう……」

    男「今……お前の手元には女から送られたキャッシュカードがあるはずだ」

    俺「ああ……」


    なぜだろう、初めて話す相手だし嫌な声だが、不思議と嫌悪感がない。


    男「発行年月を……見るがいい」

    キャッシュカードの発行年月はごく最近の月だった。

    男「あの女は……馬鹿な女さ……一般の銀行や貸金業を頼ることもなく、いきなり十一の闇金融に手を出した……だがそれが幸いした……おかげで彼女の与信情報は傷つかず……新たに口座を開設することが可能だった……」

    男「つまりその口座は……『女が立ち去った後すぐ』作られた口座だ……」


    男「あとは……単純な話……さ……差出人の情報などいくらでも……」

    次第にノイズが大きくなり、男の声が次第に聴きとりづらくなる。

    男「カード……店情報……そして消印……概ねの……住所が……」


    もはやノイズはかなりの大きさで、男の声は途切れ途切れになる。

    男「お前が……一千万円を手放した以上……俺が助言できるのは……ここまでだ……後はお前次第さ……お前はどうしようもない甘ちゃんだ……女のためにそこまで……俺にはできなかった……俺には資格がない……」

    男「だが……美しい光景を……見せてもらった……それで十分だ……」


    男「だから……お前に……すべてを託す……」

    男「お前との一ヶ月……案外……悪く……なかった……ぞ……」

    プツン


    力尽きたかのようにスマホは沈黙し、一切の音声は聞こえなくなった。


    俺は、俺に最後の意志を託してくれたそのスマホをじっと眺めていた。





    Epilogue


    某日、某県某市。


    俺は公園をのんびりと歩いていた。


    近所の宿に一週間ほどの滞在予約を入れ、ゆったりと周囲を探索している。

    秋はすっかり深まった。冷たいながらも空気はとてもおいしく、一面の紅葉は鮮やかな色彩で楽しませる。橋の下を流れる川は太陽の光をキラキラと反射させ、遠くに見える市街地の光景は人々の生活の営みを感じさせる。

    ――世界は、こんなにも美しかったのか。

    銀行勤めの頃はそのことに全く気づけなかった。何故俺は気づけなかったのだろう? いや違う。何故俺は『世界は美しい』と気づくことができたのだろう? 誰が気づかせてくれたのだろう? 答えは俺の手元にある。


    俺は手元にあるキャッシュカードをぎゅっと握る。


    彼女が送付したキャッシュカード記載の支店と封書の消印が示す場所。

    幸いにして都市の中心部から少し離れた所にあるエリアだった。

    この一帯を探せば、彼女に会えるかもしれない。


    正直、勝算は無かった。


    『この一帯』とはいえ、範囲は決して狭くはない。

    たった一週間、それもただの一般人男性が適当に探したところで見つかるものじゃない。そもそも俺は彼女がどういう人物か素性を全く知らないのだ。知っているのはせいぜいカードに記された「山田」という名前くらいだ。

    期待はしていなかった。


    だが、あの時、名も知らぬスマホの男が予言の様に俺を導いたとき、

    俺は直感的に悟った、これは彼が最後に残した『道しるべ』だと。

    興信所などに頼らず、自分の目で見て、そして感じろという。

    その想いが俺をここに連れてきたと言っていい。


    俺はふぅと疲れを感じ、目頭を押さえながら公園のベンチに座る。

    目の前では大きな池に噴水がキラキラと流れを作っていた。

    滞在も今日で最後だ、夕方にはあのアパートに帰るだろう。


    今まで、無理をしすぎていたのかもしれないな。

    エナジードリンクは人生の前借りと言うらしいが、だとしたら俺の『人生の借金』総額は酷いことになっているはずだ。俺が代わりに払ったとかいう借金どころじゃない、こりゃ近いうちに体にガタが来るかもしれないな。

    俺は自嘲気味に天を仰ぐ。

    穏やかな秋空だ。羊の毛の様にふわふわした雲がゆっくりと風に流されている。なぜだろう、俺はこの空を見ていたことがある。涼しく、心地よい風の中、この空をかつてどこかで見上げ、平穏な日々を送っていた気がする。


    永遠にあの時が続けばいいと思っていた気がする。

    そのとき、心の中をすごく心地よい何かが通過した。

    ふと視線を正面に戻したとき、俺の目の前には不思議な『何か』がいた。


    謎の怪生物だった。

    公園をつれてゆく子供連れの親やゆっくりと歩く老人、駆け回る飼い犬の中に『それ』はいた、それはどう見ても人間ではない。明らかに人間離れした格好をしているのに、誰も気にも留めることなくすれ違っている。


    頭から昆布を生やした不定形生物だった。

    その不定形の身体をふよふよと所在なさげに揺らし、ずるずると身体を引きずりながらゆっくりと公園を移動している何者か、強いて言うなれば宇宙生物としか思えない何者か、周囲の人々からは明らかに浮いた姿の何者か。


    色はくすんだピンクで、お世辞にも奇麗とは言えず薄汚れていた。

    もはや夢も希望もない、そういった趣がぴったり似合う感じの生物だった。

    弱弱しく、善良とは言えず、流されて生きていくだけの姿だった。



    そして、どうしようもなく、いとおしい姿だった。



    俺は起き上がり、ゆっくりとピンクの不定形に後ろから近づく。

    自分の目に涙があふれているのが分かる。

    彼女のすぐ後ろまできて、俺は声をかける。


    俺「こら、キャッシュカードの譲渡は犯収法違反だぞ」

    俺「ヤマダさん」


    不意に声をかけられたその不定形生物は振り返り、しだいにそのふよふよした身体をうち震わせる。分かる、『彼女』の目には涙があふれてきている。思わず駆け寄りその不定形の身体をしっかりと抱きしめる。


    ああ、ようやくここにたどり着けた。

    もう何も言うことはない。

    言おうとしていたことは無数にあったはずだ、だがもうどうでもいい。


    抱きしめたその感触、この頼りない不定形の身体は紛れもなく『ヤマダさん』だ。だが同時に『山田さん』の感触……柔らかいその身体、俺のことを抱きしめ返すか細い腕、もさもさした長髪の感触が次第に混ざってくる。



    ――世界は、初めから美しいままそこにあった。

    ――俺が、俺たちがそれを認識しようとしていなかっただけなんだ。



    ヤマダさんも俺も、最初からそこにいたのだ。俺が地の底で人の情を無くして戦っていた頃からずっと。互いに知ろうともしなかった。多分俺もヤマダさんもその美しさ、その大切さにまったく気づいていなかっただけなのだ。

    俺たちは一ヶ月間、自らのその『罪』を静かに焼いていた。

    あの不思議な空間、世界は本当は美しいということを俺たちに教え、俺たちが集い、共に出かけ、共に食事をし、共に同じ空を眺めていたあの空間。俺はヤマダさんのその身体を抱きしめながら言った。


    「さぁ、帰ろう、俺たちの家めぞん・プルガトリオへ」


    ヤマダさんはこくこくと無言で頷く。

    二人はただ、秋空の下静かに抱き合っていた。




    Epilogue:ただいま、プルガトリオ






    <めぞん・プルガトリオ:了>







    Special Thanks
    見出し画像として「NON」さんの「Leica M10-R」を利用いたしました、厚く御礼申し上げます。


     
     
    TALESはじめました(冷やし中華のノリで) 「ここじゃ語り切れないっ!」と思ったことをここで書く、ここはそういうページだったりします。 ほとんどの場合、見出し画像は「みんなのフォトギャラリー」からお気に入りの食べ物画像を選んでます。 胡乱な話を、ひっそりと、こっそりと。

    あなたへのおすすめ