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SNSのスむヌツに疲れたら、昭和のお菓子䜜りの本を開いおみる

    〜河野貞子著『ホヌムメヌドのお菓子』


    スむヌツが、画面の䞭を流れおいく時代に


    今は、お菓子を買うのも、䜜り方を調べるのもずおも簡単だ。

    スマヌトフォンを開けば、きれいなケヌキや焌き菓子、
    華やかな韓囜や䞭囜のスむヌツ、高玚なセレブ感のあるスむヌツなど、
    キラキラした写真が次々に流れおくる。
    芋た目の華やかさ、物珍しさ、季節限定、流行の玠材。
    スクロヌルする指の先で、たくさんのスむヌツが珟れおは消えおいく。

    それは勿論楜しいこずでもある。
    けれど、ずきどき、その速さに少し疲れおしたうこずがある。

    そんな時、私は叀いお菓子本を開く。

    昭和の家庭向けレシピ本、ずくにお菓子䜜りの本。
    叀本屋やオヌクションで少しず぀集めた本を開く。
    そこには今ずはたったく違う時間が流れおいる。

    掟手ではない。情報量も、今のむンタヌネットほど倚くはない。
    けれどペヌゞの䞭には、枩かくお、ゆったりずした懐かしい台所の空気が残っおいる。

    掋菓子が憧れだった時代


    1970幎生たれの私が子どもの頃に䜏んでいた田舎には、掋菓子店が䞀軒しかなかった。ケヌキ屋さんに行けるのは、誕生日やクリスマスのような特別な日だけだった。

    今のようにコンビニスむヌツもない。
    スヌパヌに行けばい぀でもケヌキが買えるずいう時代でもなかった。
    ケヌキや掋菓子は日垞の䞭にありながら、
    ただ少し遠いずころにある憧れだった。

    だから、家にオヌブンが来た時のこずを、私は今でも芚えおいる。

    グラタンが焌ける。
    シュヌクリヌムがふくらむ。
    ケヌキが家で䜜れる。

    それは、ただ䟿利な家電が増えたずいうだけではなかった。
    家の台所に少しだけ特別な䞖界が入っおきたような、ワクワクした出来事だった。

    チヌズケヌキが遠かった頃

    河野貞子『ホヌムメヌドのお菓子』のような叀いお菓子本を開くず、
    そうした時代の空気が芋えおくる。アメリカずいう蚀葉が、
    今よりもずっず遠く、未知の憧れを含んでいた頃。
    家庭でケヌキを焌くこずが、暮らしの䞭の小さな倢だった頃。

    なかでも目を匕いたのが、チヌズケヌキの章だった。

    河野貞子『ホヌムメヌドのお菓子』には、クリヌムチヌズやカッテヌゞチヌズを䜿ったチヌズケヌキのレシピが䞊んでいる。
    昭和45幎発行の家庭向けお菓子本ずしお芋るず、
    私ずしおはかなり早い印象を受ける。

    私が初めおチヌズケヌキを食べたのは、たしか小孊校䜎孊幎の頃だったず思う。

    母がファミリヌレストランのようなお店にパヌトに出るようになり、
    ある日、その店で出しおいたチヌズケヌキをお土産に買っおきおくれた。
    それはレアチヌズケヌキだった。

    今なら、チヌズケヌキはコンビニでもスヌパヌでも買える。
    ベむクド、レア、バスク颚、スフレ颚、ひず口サむズのものたで、
    遞びきれないほどある。

    けれど圓時の私にずっお、チヌズケヌキはかなり遠い食べ物だった。

    ペヌグルトでさえ、今のように皮類が豊富だったわけではない。
    チヌズずいえば、絊食やトヌストにのせるプロセスチヌズの印象が匷く、
    クリヌムチヌズやカッテヌゞチヌズが田舎のスヌパヌに普通に䞊んでいた蚘憶はない。

    だから、母が持ち垰っおきた癜いレアチヌズケヌキは、
    子どもの私には少し䞍思議なお菓子だった。

    甘いのに、どこか酞っぱい。
    ケヌキなのに、ふわふわでもスポンゞでもない。
    冷たくお、なめらかで、知らない味がした。

    『ホヌムメヌドのお菓子』には、牛乳ず酢などを䜿っおカッテヌゞチヌズを䜜る方法も茉っおいる。材料が手に入りにくければ、家庭で䜜ればいい。
    そんなふうに、読者があきらめずに䜜れるよう道を甚意しおいるずころに、著者の気配りが芋える。

    私はただ、この本のチヌズケヌキを実際に䜜ったこずはない。
    けれどペヌゞを読んでいるだけで、母がお土産に持っお垰っおきおくれた、あの癜いレアチヌズケヌキの蚘憶が戻っおくる。

    叀いレシピ本は、知らないお菓子ぞの入口であるず同時に、忘れおいた味の蚘憶をそっず匕き出しおくれるものでもある。

    レシピの向こう偎にある台所


    レシピ本に残っおいるのは、材料や手順だけではない。

    どんな道具を䜿っおいたのか。どんな蚀葉で読者に語りかけおいたのか。
    どんな写真で、お菓子の楜しさを䌝えようずしおいたのか。
    そしお、その本を手に取った人たちが、
    誰のためにお菓子を䜜ろうずしおいたのか。

    叀いレシピ本を買うず、ペヌゞが荒れおいたり、線が匕いおあったり、
    メモが曞かれおいたりするものもある。

    自分のために。
    家族のために。
    誰かを喜ばせるために。

    このペヌゞのお菓子を䜜った人がいたのだろうず想像するず、
    芋知らぬ誰かの本なのに、なぜか少し芪近感を芚える。

    ペヌゞをめくっおいるず、レシピの向こう偎に台所が芋えおくる。
    泡立お噚でボりルを混ぜる音。
    オヌブンをのぞきこむ時間。
    焌き䞊がりを埅぀匂い。
    食卓に出した時の、少し誇らしい気持ち。

    叀いお菓子本は、過去の本ではある。
    でも、ただ懐かしむためだけのものではないず思っおいる。

    叀いお菓子本が、今の暮らしを枩めおくれる

    速く、䟿利で、芋栄えのよいものが次々に流れおいく今だからこそ、
    叀いお菓子本の䞭にある、ゆっくりした時間に心をひかれる。

    お菓子は、買っお食べるだけでも十分に楜しい。
    けれど、誰かのために䜜るこず。焌き䞊がるたで埅぀こず。
    倱敗しおも、次はもう少しうたく䜜ろうず思うこず。
    そういう時間もたた、お菓子の楜しみだったのだず思う。

    SNSで煌びやかに流れおくるお菓子に疲れた時、
    私はそっず叀いお菓子本をめくる。

    そこには、掟手ではないけれど、
    今の自分を少し勇気づけお枩めおくれる、懐かしい台所の蚘憶がある。


    ※芋出し画像AI生成筆者䜜成


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