
古町の古本屋
午後、支局に戻ると、谷田部デスクが電話を切ったばかりだった。
「東京行き、決まったぞ。お前、来週火曜の午後には行けるか?」
「……はい、行きます。香川先生の過去の鑑定記録、図書館経由で調べます。
あと、できれば、彼が勤務していた頃の病棟にも」
「相手にされるかどうか分からんぞ」
「分かってます。でも、今のままじゃ、鑑定に“客観性があるか”判断できません」
谷田部は一拍置いてから言った。
「お前さ、なんでそこまでやるんだ?」
環は答えなかった。
けれど、心のなかでははっきりしていた。
香川を許せないからじゃない。
この事件を、被告のせいにも、医者のせいにもしたくないからだ。
「……書くって、誰のせいにもしないってことですよね。
私は、その“誰でもない場所”を書きたいんです」
谷田部は、にやっと笑った。
「白石。お前、いつの間にか、地方記者の顔になってるな」
その夜、環は古町の古本屋で一冊の本を見つけた。
精神鑑定と責任能力をめぐる、ある法学者の論考集。
ページの端には、小さく書き込みがあった。
「診断とは、“自己申告の物語”に医学が構造を与える行為である」
環はそれを読んで、ふと、香川の語り口を思い出した。
あの鑑定には、物語がなかった。
ただ、病名と所見が、冷たく並べられていた。
だからこそ、自分が物語を書く必要がある。