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姉とふんどし

    5月初旬、気持ちよく晴れた朝。
    わたしの一人暮らしの部屋に姉が滞在して数日目。
    同じ部屋で、互いに別のことをしている。
    わたしはネイルを塗り直し、姉は隣でふんどしを縫っている。

    ふんどしを縫っているのだ。

    少し前のわたしなら、姉の下着がふんどしで、さらにそれを自分で縫っているなんて、突っ込まずにはいられなかった。
    でも今は、そんなことでは動じない。
    姉には、前科が山ほどあるからだ。

    ふんどしを縫っていた数日後、「ポーチをつくったの。見て見て」と子どものように言うので見てみたら、既視感のある生地。
    「あ、」と思い出したのは、あのふんどしと同じ生地だった。
    一瞬だけ複雑な気持ちになった。が、使い古したものを再利用したわけではないのだから、と、なぜか心の中で姉をフォローして、「いいね」とだけ返した。
    ちなみに正しくは「ふんどしパンツ」というらしい。締め付けが少ないことから、愛用する人もいるらしいのだが、そう聞くと姉に「変なの」と言いにくくなるのが悔しい。
    どこで手に入れた情報で、なぜ手縫いをしているのか。そんな疑問は、浮かんだ瞬間に「まあいいや」と消えていった。
    姉のことは、だいたいいつもこんな調子だ。

    わたしは自己紹介が苦手だ。
    たった数秒でなにを伝え、なにを伝えるべきでないのかわからないからだ。
    かつてウケを狙って何か一言言ってみたこともあるけれど、見事大滑り。
    その日の夜、風呂場で思い出し、恥ずかしさにしばらく滝行のごとくシャワーにうたれた。
    そして、もう慣れないことはやめようと固く決意した。
    以来、妙な誤解をされないように、変に期待をされないように、余計なことは言わないようにしている。

    それなのに!わたしを知ってくれている同僚や友人が、わたしを紹介する時に、きまって(勝手に)説明してくれる一言がある。

    「彼女のお姉さんは変わった人なんですよ」

    ちなみにこの同僚も友人も、わたしの姉に会ったことはない。
    わたしから聞いた話だけで、イメージが出来上がっているのである。

    「歌手をやってたんだっけ?」
    「ファンキーなお姉さんなんでしょ」
    「縄文人になりたいんだっけ」
    「今はスリランカ?コロンビアにいるんだっけ?」

    さてどこから説明を入れようか。
    そんなことを考えているうちに、結局その場は次の話題に移っているのが常なのだが、それほどにわたしというものを説明しようとすると、どうしても姉がくっついてくる。

    姉は、身内のわたしが言うのもなんだが、美人だと思う。歌も上手い。
    こういう姉がいると自分と比べてしまいそうなものだが、不思議とそうはならなかった。
    目立つ人なりの大変さを、子どもの頃から見てきたからだと思う。
    高校を卒業後上京した姉が、芸能界を目指すと言った時は、大して驚かなかった。
    上京したての頃はオーディションがどう、とか、舞台のチケットのノルマが、とかそれらしい話が聞こえていた。
    そんな姉の、様子のおかしさ(これこそが本当の姉だったのだけど)に気づきはじめたのはいつからだろう。

    たとえばあれは2014年頃だったか。
    姉は、「ずっと憧れていた伊能忠敬のように日本地図を作りたい」と、仙台、新潟、群馬、大阪、京都、奈良を徒歩で巡る旅に出た。
    はあ、伊能忠敬って憧れる対象なのか。しかも日本地図は200年以上前に完成している。今から歩いても、それはただの旅だ。
    数日後、「ただいまー」と帰ってきた姉が脱いだオレンジ色のスニーカーは、買ったばかりとは思えないほど、くたくたに履き潰されていた。

    別のある時、姉は突然、縁もゆかりもない南米コロンビアへ旅立った。
    なにやらコロンビアの占星術師のアシスタントタレントという仕事のオファーがきたというのだ。
    コロンビアってどこだっけ。わたしの脳内はコロンビアに置いて行かれたまま。
    占星術師?のアシスタントタレント?スペイン語も話せないのに?
    姉の友人知人は「危ないからやめた方がいい」と止めたが、わたしはもう質問するのも面倒で、(止めてもどうせ行くのだから)「いってらっしゃい」と送り出した。
    移住も視野に入れた10日ほどの視察を終え、本格的な準備のため一度帰国したが、その直後、コロンビアでジカ熱が流行し、計画はあっけなく強制終了となったらしい。
    姉は特にショックを受けるでもなくケロッとしていた。
    わたしからすると、よくわからない案件が、よくわからないうちに終わっていた不思議な一件だ。

    インドでのエピソードもなかなかだ。
    一度一緒にヨガの体験レッスンを受けた際、「ヨガいいな。どうせなら本場で学びたいな。」と言っていたなと思ったら、 ちょっと目を離した隙に姉はすでに旅立っていた。

    その帰国前にニューデリーで乗ったトゥクトゥクが、まずかった。
    頼んでもいない観光地をいくつも回らされ、最後は法外な宿代を請求された。
    「払えない」と言っても、「ここしか空いてない」の一点張り。
    ほとんど一文無しだった姉は、疲労もありとうとう泣き出した。
    「無いって言ってるじゃん。どうしたらいいのぉ」
    すると、それまで強気だったそのインド人は、姉の涙を見て急に慌てふためき、
    申し訳なさげにカレーと水を差し出したという。
    「どうせこれもお金を取るんでしょう!」と、さらに泣き喚く姉。

    結局無料でカレーをもらい、払える分だけで宿に泊まれることになったという。
    その後、なんとかかんとか帰国し、わたしがこの話を聞いたのは五年ほど経ってからだった。

    話し終えた姉は、
    「インド人の男性は女性の涙に弱いみたい。」
    と、にっこり笑った。
    問題はそこじゃない。
    姉は翌年も、その翌年も、またインドへ行った。
    あの日の出来事は、姉にとっては「もう行かない理由」にはならなかったらしい。

    他にも、片道航空券だけでタイへ行ったり、日本を旅している途中で出会ったスリランカ人をきっかけに、そのままスリランカへ行ったり。姉を突き動かすものは、いつも理解不能だ。

    そんな姉と、一番長い時間を過ごした時期がある。
    3年前、わたしは十数年の東京生活に終止符をうち、地元へ戻ることにした。
    東京生活の最後の半年間。姉がわたしの家に居候することになった。
    その頃姉は「縄文人になりたい」としきりに言っていた。
    伊能忠敬の次は縄文人か、「またなんか言ってるな」と聞き流していたのだが、そこから電磁波がなんちゃらと言って電子レンジを、「冬だし冷蔵庫なんかなくても平気だ」という理論で冷蔵庫を、最後は洗濯機を処分させられた。
    流石に洗濯機は……と渋ったが、「どうせもう東京を離れるんだし」とか、「わたしが手洗いするからお願い!お願いお願い!」と懇願され、その必死さにやれやれと手放すことにした。今思えば、もっと抵抗すればよかったのだ。
    その日から姉は、自分がシャワーを浴びるタイミングで、自分とわたしの洗濯物を持って風呂場に入るようになった。
    風呂場からは「ジャーッジャッジャッ」と布を絞る音がしばらく聞こえてくる。
    裸で二人分の洗濯物を絞る姉の姿を想像して、その健気さに申し訳ない気持ちになるわたしがいた。
    いや。あぶない、あぶない。洗濯機を無理やり処分された被害者はわたしだ。

    当時の部屋にはベランダがなく、洗濯物は部屋干ししていた。
    部屋干し用のポールの真下がベッドで、寝ている時に水滴が落ちてくることがよくあり、その件では何度か姉と喧嘩をした。

    数ヶ月後、わたしは東京を離れ、この話を笑い話として友人に話した。
    「それでか。」と妙に納得した顔で言うので理由を聞くと、
    「実はあの頃、ちょっと臭うなって思ってた。」
    ……。
    どうやら当時のわたしの衣類は気づかないうちに生乾き臭がしていたそうだ。
    手で絞って、そのまま部屋干しした結果である。
    友人にはその時に言って欲しかったし、30代前半の女子として、何か大切なものを失っていたんじゃないかと姉を恨んだ。

    と、こんな感じで、わたしはよく姉に巻き込まれている。
    本気で腹が立つこともあるし、理解できないことも多い。

    少し前、姉に誘われてスリランカへ行った。
    正直、出発前は全く乗り気ではなかった。
    「ヨーロッパがよかったなあ」と思っていたくらいだ。

    でも、スリランカは人が驚くほどやさしく、ごはんは最高においしい。時間の流れまで穏やかであっという間に虜になった。
    わたし一人なら、たぶん一生、スリランカという選択肢すら浮かばなかった。
    あの景色にも、きっと出会えなかった。
    ……悔しいけれど。

    姉に巻き込まれてみるのも、案外悪くない。

    これを書いている前日のこと。姉が「パンツ買わなきゃ」と言った。
    「え、作ってたふんどしがあるじゃん」と返したら、
    「あーあれ、大事なところが全然隠れなくて。捨てた。」
    少しの間があった後、二人して腹を抱えて笑った。
    こうして姉の前科は、今日も更新されていく。

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