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【問いをひとつ #01】心に底はあるのか

    「心の底から」と言う。

    心に、底はあるのだろうか。

    この問いは、私が考えたものではない。

    国際基督教大学(ICU)のオープンキャンパスに申し込んだとき、学長から参加者に向けて置かれていた問いだった。

    面白い。

    しばらく考えた。

    そして、こんなことを書いて送った。
    原文は残っていないので、記憶している範囲だけれど。

    心というものが何なのか、私たちはまだ完全には分かっていない。
    ならば、心に「底」があるのかどうかも、本当のところは分からない。

    ただ、自分の精神世界の中で、
    「ここが私の心の底だ」
    と認識することはできる。

    だとすれば、「心の底から」というのは、どこかに存在する絶対的な場所から出てくるものではなく、そのときの自分が認識している、自己のありようなのではないか。

    そんなことを書いたと思う。

    送信した。

    たくさんの回答が寄せられたらしい。

    それで終わった。

    でも私は、この問いに正しく答えたかったわけではなかったのかもしれない。

    この問いを出した人と、その続きを話してみたかった。

    「私はこう思ったんですけど、どうですか」

    「そうすると、そこはさ」

    そんなふうに。

    学長とサシで話す機会など、まあ、ない(笑)。

    今日、そのICUのオープンキャンパスへ行った。

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    キャンパスを歩いていると、「お悩みバスターズ」という企画を見つけた。

    一言の悩みをカードに書く。

    誰かがそれを受け取って、本の中から、その悩みのそばに置けそうな言葉を探して返す。

    「なんのために生きているのか分からない」
    「悩みの原因が分かるけど分からない」

    そんなカードもあった。

    面白いな、と思った。

    人と人が真正面から向き合って、答えを出すのではない。

    二人の間に、問いがある。
    そのそばに、本がある。

    その距離が、いいなと思った。

    少し前から、人と話すことについて考えていた。

    私は、人と真正面から向き合うと、どうも詰まる。

    何を話そう。
    どう思われるだろう。
    そんなことが入り込んでくる。

    少し並んで、同じ方向を見るくらいがいい。

    そして二人の間に、問いをひとつ置く。

    「あれ、なんだろうね」

    「ああでもない」

    「こうでもない」

    答えが出なくてもいい。

    話しているうちに、最初にはなかった考えが生まれることがある。

    私はそれを、勝手に「思考の細胞分裂」と呼んでいる。

    それなら、ここにも小さな問いを置いてみようと思った。

    一週間に、ひとつくらい。

    すぐには形にならない。

    しばらく、その問いと暮らしてみる。

    次の週あたり、そのとき自分が考えていることを、少しだけ置く。

    誰かが通りすがりに立ち止まって、

    「あれ、なんだろう」

    と少しだけ一緒に考えてくれたら、それでいい。

    最初の問いは、私が受け取ったものから。

    心に、底はあるのだろうか。

    来週、もう一度考えてみようと思う。

     
     
    日常の薄皮をなでるように。 どう生きれば、自分の人生を生きたと言えるのか。 そんなことを考えています。

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