
演歌の花道
母は夜十時になると、リビングのテレビで「演歌の花道」を見ていた。
低いテーブルに肘を置き、体をぐっと預けるようにして、黙って聞いている。
少し険しい顔で、真剣に。
歌手のコメントには、よく辛辣なことを言った。
好きな歌手もいれば、嫌いな歌手もいた。
けれど、こんなことも言っていた。
「どんなに下手でも、世に出した人でないと歌えないのよ」
あるとき私は聞いた。
「そんなに好きなの?」
母は吐き捨てるように言った。
「嫌いよ。後ろ向きで」
ある日、車で流れていた演歌を何の気なしに変えたことがある。
すると母は鋭く言った。
「なんで変えるのよ。聞いてるのに」
私は慌てて元に戻した。
やっぱり好きなんじゃないか、と若い私は思った。
でも母は、テレビの前でいつも少し険しい顔をしていた。
ただ、チャンネルを変えるときだけは、満足そうな顔をした。
私はその後ろにいた。
好きな歌手のときは、なんとなく一緒に聞いた。
でも興味のない歌のときは、尻目に見るだけだった。
若い頃の私は思っていた。
好きなのに嫌いと言うなんて、素直じゃない。
そういうところが面倒くさい。
だから距離が縮まらないのだ、と。
でも今は、少し違う気がしている。
母は演歌が好きだったのではないのかもしれない。
それでも、
聞かずにはいられなかったのだと思う。
今、私は昭和の歌をよく聴く。
「三都物語」や、「愛燦燦」。
若い頃には分からなかった歌が、今は沁みる。
母はあのとき、
どんな気持ちでテレビの前に座っていたのだろう。
低いテーブルに肘を置き、体をぐっと預けるようにして、
少し険しい顔で黙って歌を聞いていた母を思い出す。
もしこの話を母が読んだら、きっと怒るだろう。
「やめなさいよ。見っともない」
そして、演歌が好きだったなんて、
きっと最後まで認めないと思う。
今なら、母の隣に座って、こう言うかもしれない。
「いい歌だね」
すると母はきっと言う。
「あんたこんなの好きなの。変わってるわね」
それでも、
低いテーブルに肘をつき、
少し険しい顔で歌を聞いていた母のことを、
私は覚えている。
*
この作品は「日常の薄皮をなでる」シリーズの一篇です。
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