
もっと未来に生まれていれば──母の通知表が教えてくれた、女性の生き方
母は読書家だった。
時事問題にも関心を持ち、満足する新聞がないとよくこぼしていた。勉強することが好きで、語学にも興味を持ち、小さな塾に通って英語やスペイン語を学んでいた。
私がルンバをプレゼントしたときのことを、母は嬉しそうに話してくれた。塾の英語の宿題で作文を書くことになり、ちょうどいい題材だと思って、ルンバの可愛さと有能さについて書いたのだという。発表までしてきたらしい。あとでその話を、少し得意そうに聞かせてくれた。
そんな話を聞くたびに、私は思っていた。
母が私の時代に生まれていたら、どんなに社会で活躍する人になっていただろう、と。
母は世の中の出来事をよく見て、自分の意見を持つ人だった。新聞を読みながら社会の話をする母の言葉には、いつも筋が通っていた。子供の頃から、知的で判断力のある人だと尊敬していた。いっそ私と入れ替わってもいい、とさえ思ったことがある。
ただ、家庭の中では、その知性が少し空回りしているように見えることもあった。
母は若い頃、銀行に勤めていた。
勤め始めは窓口業務だったが、行内のそろばん大会で一位になり、それを喜んだ支店長が奥の係へ配置換えしたのだという。窓口の仕事が気に入っていたから、少し残念でもあったそうだ。
窓口にいた頃、十万円合わなかったことがあったという。
そのときも先輩が始末書をほとんど書いてくれたらしい。
「全然美人じゃなかったから、うんと可愛がってもらって幸せだったわ」
母は懐かしそうに笑っていた。
「美人じゃないと、いいこともあるのよ」
その言葉を、少し誇らしげに話していた。
けれど、その勤めは長くは続かなかった。
当時は結婚すれば退職するのが当たり前の時代で、母も二年ほどで銀行を辞めた。
母が亡くなったあと、私の手元に何枚かの古い紙が残った。
戦後まもない時代の小学校から高校までの通知表だった。
開いてみると、成績は驚くほど良かった。
体育、図工、音楽以外の科目は、ほとんどが最高の数字だった。
やはり、と思った。
母はもともと、とてもよくできる子供だったのだ。
先生の所見の欄には、成績を褒める言葉が並んでいた。
その中に、一つだけ気になる一言があった。
「とても女らしい。」
その一行は、今でも小さな棘のように心に残っている。
母の人生を否定するつもりはない。
ただ、もしもう少し違う時代に生まれていたなら、母にひらけた道は今より多かったのではないかと思う。
世の中は確かに変わってきている。
けれど、その歩みはとてもゆっくりだ。
そんなことを考えるとき、私は母のことを思い出す。
母の知性や、世の中を見る眼差しのようなものが、少しでも私に受け継がれているのだとしたら、それはありがたいことだと思う。
いつか、誰かが私に向かって言う日が来るのかもしれない。
同じように。
もっと未来に生まれていればよかったのにね、と。
そして、いまこれを読んでいるあなたにも、
きっと、まだ使われていない力があるのだと思う。
母の服や家具は、もう残っていない。
けれど、何枚か残された古い通知表だけは、今も私の手元にある。
クローゼットの奥の引き出しに、そっとしまってある。
その中の一枚を、ときどき取り出して眺める。
それはきっと、母の心のようなものなのだと思う。
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この作品は「日常の薄皮をなでる」シリーズの一篇です。
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