
ひとり時間⑤――三体の如来坐像
みちるは、ある宝物殿の階段を上がっていった。
展示室に入る前の小さなスペースに、如来坐像が三体あった。その先は行き止まりで、少し暗い空間だった。
みちるは、その坐像の柔らかな表情に惹かれて、三体の坐像の正面に順番に立った。ちょうど目が合う高さだった。
伝来も尊名も不明、本当は三体だけではないかもしれない、と説明があった。
仏像に性別があるのかどうかは知らないけれど、女性のように感じた。どこもかしこも丸っこい。
閉じている目に被さっている瞼は、ぷっくり膨らんでいる。ふっくらとした丸い鼻。頬はコッペパンのような曲線を描いている。口元はそっと微笑んでいるように見えた。
みちるはその坐像に慕わしさのようなものを感じて、少しの間見入っていた。
三体の坐像は、少しずつ違う表情をしていた。
みちるは、その坐像の瞼や頬に手を触れてみたいと思った。
家には、猫のぬいぐるみが所狭しと並び、抱きしめたり、頬ずりしたりしている。もちろん、それと同じことはできないけれど――。
坐像の前にそれぞれ四角い木のお皿があるのに気が付いた。
はじめに目を惹かれた、階段に近い右端の坐像の前のお皿に100円玉を乗せた。そして少しお辞儀をして、展示室に向かおうとした。
が、思い直して財布を取り出し、真ん中と左端の坐像の前のお皿にも、それぞれ100円玉を乗せた。
それで財布の中の100円玉はなくなった。
足りてよかった。
一体だけに置いたら、後で三体の間で争いになるかもしれない。そんな風に思った。
名残惜しかったが、改めて三体の顔を見つめ、後にした。
ウフフ
そんな低い笑い声が、みちるの頭の中に響いた。
みちるの頭の中に、イメージが広がった。
平屋の石造りの家。開け放たれた扉。広い土の庭。
気怠い空気の午後。
木立や池があり、四阿で大人がくつろいでいる。
洗濯を重ねて透けるほど薄くなったシャツを着て暴れ回る子どもたち。
その中にこんな微笑みがあるような気がした。
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この作品は「日常の薄皮をなでる」シリーズの一篇です。
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