
既定路線
二人の女の子の生徒がいた。
一人は笑いの絶えない家庭の子。
もう一人は繊細で、授業の途中に悩みを打ち明ける子だった。
低いテーブルを挟み、カーペットの上に斜め向かいに座っていた。
悩みを話すとき、その子の声は静かだった。
子どもながらに辛そうだった。
不思議だった。
同じ年頃なのに、
人生の安定の仕方がこんなに違うものだろうか。
二十歳くらいの頃から、
私はよく考えていた。
なぜこの人は、
自分に合わない人ばかり選んでは泣いているのだろう。
なぜこの人は、
楽になる道もあるのに、
悪い方ばかりに考えては不幸を嘆いているのだろう。
ある時から、
それは配線の問題なのだと思うようになった。
人には、
既定路線のようなものがある。
思考は、
それまでの経験で配線されている。
だから別の道があったとしても、
そもそも見えないことがある。
幸せな人は、
幸せな道が自然と目に入る。
不幸な人は、
不幸な道がすんなり目に入る。
既定路線なのだ。
私自身も不安定な子どもだった。
大人になっても不安定なままだった。
そのこと自体を、
相談できる人もいなかった。
だから私は、
安定している友人たちを観察した。
どんなふうに考えるのか。
どんな選択をするのか。
少しずつ真似をした。
配線を増やすように。
既定路線からの脱線。
それは、
幹線道路から外れ、
道端の草むらを進むようなものだった。
背の高いひまわりや、
とうもろこしに遮られて、
先が見えなくなることもある。
それでも、
歩いてみなければ分からない道があった。
私はずっと、
配線を増やそうとしてきた。
それがうまくいったのかどうかは、
よく分からない。
それとも、
行くあてのない道を行くことが、
私の既定路線なのだろうか。
*
この作品は「日常の薄皮をなでる」シリーズの一篇です。
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