
レンブラントと、同じ時を生きる──400年前の視線が届いた日
暑い日の夕方。
宅急便が届いた。
四角くて少し重い。ワレモノ注意。
私宛てだ。
はて、何だろう。
送り主を見ると、「〇〇アート」とあった。
ハッとして、急いで包装を剥がし、箱を開ける。
レンブラントの『書斎の学者』だった。
一か月後と聞いていたのに、ずいぶん早く届いた。
来てくれるのを、待っていた。
レンブラント展を訪れたあの日。
スマホをスクロールしていたら、『書斎の学者』の画像が目に飛び込んできた。
翌日には、上野の美術館へ向かっていた。
一つずつ、ゆっくり見ていく。
白と黒の世界。
その奥で、何かが動いている。
じっと見る。
幾重にも重ねられた黒い線が、人を、世界を形作っている。
なぜ、この世界が生まれたのだろう。
どんな瞬間に、この絵の中で世界が動き出したのだろう。
分からない。
胸騒ぎにも似た感覚を覚えながら、ゆっくり巡る。
『書斎の学者』の前で立ち止まる。
重厚なローブをまとった老学者が、光の差し込む窓を見つめている。
窓には、呪文の円盤のような図形。
錬金術師のようにも見えた。
老学者の目を見つめる。
幾重にも重ねられた線の奥に、
一つの視線があった。
目が合う。
同じ視線をたどる。
吸い込まれるように。
今、同じものを見ている気がした。
四百年という時間が、
静かに溶けていく。
同じ視線をなぞったとき、
同じ時を生きていると思う。
面と向かって一緒にいても、
視線が合わなければ、
何を話していいのか分からない。
レンブラントと会話はできない。
それでも、
時間を超えて、
視線を合わせることはできるのかもしれない。
あの眼差しは、
なぜ四百年も生き続けているのだろう。
何かが吹き込まれている。
私は、それを感じる。
五感ではない、
もっと奥のどこかで受け取っている。
レンブラントの内側にあったものが、
エッチングという形になって、
静かに流れ出す。
四百年という時間を越え、
私へ届く。
モルダウの流れのように。
レンブラントの中にあった世界が、
静かに私へ流れてくる。
そして、
私の中からも、
何かが静かに流れ出す。
私は、自分の中に何があるのか、
全部は知らない。
これからも、きっと分からないだろう。
でも、このエッチングに出会ったとき、
自分の中から、
何かが流れ出すのを感じた。
だから、この絵を家へ連れて帰ることにした。
何度も見るためではない。
この老学者と一緒にいたいから。
売店で複製画を注文した。
届くまでの間は、
パンフレットを部屋のクローゼットに貼った。
ベッドに腰掛けると、
ちょうど目が合う高さに。
今日から、
何度でも、
同じ視線をたどることができる。
同じものを見つめることができる。
同じ時を、生きられる。
*
この作品は「日常の薄皮をなでる」シリーズの一篇です。
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