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【薄皮メモ】僕たち地球人

    成蹊大学のオープンキャンパスに行った。

    娘の付き添いという、おまけのような立場で、国際系のガイダンスを受講した。

    印象に残ったのは、留学体験談だった。

    韓国の女子大学では、世界中から集まった留学生たちの共通言語が英語だったので、韓国語と英語の両方が上達したという。

    それ以上に印象に残ったのは、ジェンダーについて語る表情だった。

    韓国で交わされる議論の熱量に触れ、その学生自身も少し変わったのだろう。そんな興奮が伝わってきた。

    アメリカ・テネシー州の大学では、最初は英語が思うように話せず、孤立していたという。

    それでも思い切ってサークルに飛び込み、仲間ができた。連絡先を交換し、最後は試合の選手にも選ばれた。

    話していたのは留学生活のことだった。

    でも私には、その学生が「やればできる」という自信を手に入れた物語に聞こえた。

    エジンバラの大学では、さまざまな国籍の学生が集まり、それが特別なことではなく、日常になっていたという。

    留学先の寮では、一人部屋と二人部屋が選べたそうだが、多くの人は二人部屋を選んだ。定員を超え、一人部屋で二人暮らしになることもあった。ベッドとベッドの間は、手を伸ばせば届くほど近い。

    それでも最後は仲良くなり、今でも連絡を取り合っているそうだ。

    不思議だった。

    韓国の話も、アメリカの話も、イギリスの話も、「外国の話」には聞こえなかった。

    そこにいたのは、日本の学生ではない。

    私の目には、「世界の学生」に見えた。

    テレビでは、今日も国と国が言い争っている。

    でも世界のキャンパスでは、世界中の学生たちが笑い、議論し、少しずつ変わっていた。

    国境を越えることが目的だったはずなのに、気づけば誰も国境のことを話していなかった。

    若者たちは、もう国よりも、人と出会っているように見えた。

    ふと、子どもの頃に聞いた、ドラえもんの歌を思い出した。

    「ぼくたち地球人。今日も明日も明後日も──」

    あの頃は、夢のような歌だと思っていた。

    今日、その歌は少しだけ現実味を帯びて聞こえた。

     
     
    日常の薄皮をなでるように。 どう生きれば、自分の人生を生きたと言えるのか。 そんなことを考えています。

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