
本では足りない──図書館と本屋で知った、書く理由
今日は気鬱で、体も重だるかった。
それでも午後、図書館に行くことにした。予約した本が届いていた。ついでに本屋にも寄った。本を借り、本を買った。すると、雨上がりの雲間から夕方の光が差すように、濁っていた頭の中がぱあっと明るくなった。借りてきた本と買ってきた本を机に積み上げると、体の奥底から何かがじわりと湧き上がってくる気がした。少し、体も軽くなった。
本にはそういう力がある。まだ見たことのない町へ行ける。知らない人生に紛れ込める。自分の中にはまだない言葉に触れられる。本を買うときの幸福は、読む前からもう始まっている。
けれど、それが何度も繰り返してきた一時しのぎであることも、私は知っている。
最近、少し分かってきた。あれは、どこかへ連れて行ってもらうことではなく、束の間の夢を見せてもらうことなのだ。
本を読んでいるあいだ、私はしばらく別の場所へ行ける。自分の鈍さや空白を忘れ、別の人生に紛れ込める。けれど、本を閉じれば、やはり自分の人生に戻ってくる。
本当の行き先は、自分でしか選べない。
そして、自分でしか分からない。
本を読み、夢を見て、束の間どこかへ運ばれた気になりながら、本当の行き先を決めないまま時間だけが過ぎていく。そんなふうにしていたくはない。
本当の行き先を、自分で選びたいのだ。
そうでなければ、夢見たまま彼岸へ渡ることになる。
だから書く。
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この作品は「日常の薄皮をなでる」シリーズの一篇です。
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