
世界は、今ここだけでは足りない──これが、私の人付き合い
一日一カフェ。
今日はミスタードーナツにいる。
本当はドトールへ行きたかった。
ドトールのアイスコーヒーが好きなのだ。
シンプルで大きなグラスにカランと鳴る氷の音。味もちょうどいい。
でも混んでいて、エアコンも効いていなかったので、こちらへ来た。
須原屋で本を買った。
『リア王』。
『グレート・ギャツビー』。
それから、偶然見つけた『プレミアムカラー国語便覧』。
紙袋を持ったまま、ミスタードーナツへ入る。
チョコのかかったドーナツとアイスコーヒーを買って席に座る。
まだ読まない。
少し迷って、グレート・
ギャツビーを取り出す。
ゆっくりページをパラパラとめくる。
幸せな空気が、ふわりと広がった。
思わず、口角が緩んだ。
昔は、読みたい本を買っていた。
今は違う。
手元に置いておきたい本を買う。
『リア王』は、子どもの頃に読んだ。
物語も覚えている。
図書館へ行けば、いつでも借りられる。
だから、買う必要はなかった。
それでも買った。
何度も読むためではない。
一緒にいたいと思ったからだ。
本棚にいてほしい。
毎日、チラリと背表紙を見る。
また話しかけたくなる日が来る。
そのとき、そこにいてほしい。
これからは、私と一緒に歩いていく本だから。
家には、ソクラテスをはじめ、まだ読んでいない本が積まれている。
その景色を見るだけで嬉しい。
本を読むために買ったのではない。
本と一緒に暮らすために買った。
そういう本が、少しずつ増えていく。
機内では『グレート・ギャツビー』を観た。
ふーっと長いため息が出た。
冒頭の豪華なパーティーから、最後の静けさへ。
見終わったあと、
あのパーティーの空気まで変わってしまった。
ヘミングウェイの氷山理論とは、
こういうことなのかもしれない。
でも、忘れられないのは、豪邸でもパーティーでもなかった。
「デイジーから電話が来るんだ。」
そう言うギャツビーの顔だった。
恋人を待つ男の顔ではなかった。
夜になっても帰らない母親を待つ、小さな子どものような顔だった。
私は、何と言っていいか分からなかった。
「デイジーのことなんか忘れなよ。」
そう言いたかった。
君は昔、暗い森で魔王に出会ったんだ。
そして魔法にかけられてしまった。
だから君は、ずっと同じ場所に立ち続けている。
さあ。
僕が連れ出してあげる。
この湖から、息を止めて水底を潜り、向こうの湖へ渡ろう。
苦しいのは一瞬だから。
何も考えずに、僕の手を取りたまえ。
リア王もそうだった。
子どもの頃に読んで、今でも四大悲劇の中で一番心に残っている。
リア王の悲しみ。
コーディーリアの静かな悲しみ。
リア王を愚かだと思ってみても、悲しみは変わらなかった。
忘れられない。
だから、
ギャツビーのあの表情が忘れられない。
リア王の悲しみが、
何十年経っても残っている。
一緒に生きるのは、同じ時代に、同じ場所にいる人だけではなかった。
本の中にいる人たち。
レンブラントの絵の中にいる人たち。
『ラ・カンパネラ』の旋律の中にいる人たち。
リア王の中にいる人たち。
私は、その人たちと何度も会い、何度も話をしてきた。
私には、本の中で会う人たちがいた。
絵の中で視線を合わせる人たちがいた。
音楽の中で語りかけてくる人たちがいた。
それが、私の人付き合いだった。
世界は、今ここだけでは足りない。
私は、本の中の人たちとも生きている。
暑い午後だった。
外を歩いていると、
いつの間にかマイケルの歌声が聞こえてくる。
「why、why・・・」
*
この作品は「日常の薄皮をなでる」シリーズの一篇です。
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