
恩師の言葉──時を超えて残る一言
高校時代の恩師の話です。
ある日、嘘をついた生徒を、先生は職員室で激しく叱りました。
真っ直ぐな人でしたから、許せなかったのだと思います。
そのあと、向かいの席でお茶を啜っていた先生が、静かにこう言ったそうです。
「生徒だって、死にものぐるいで嘘をつくんです。
その嘘を教師が信じてやらなくて、誰が信じるんですか。」
恩師は、その言葉にハッとしたと話してくれました。
若かった私は、その意味がよく分かりませんでした。
嘘と分かっていても、見ないふりをすることが優しさなのか、とどこかで思っていました。
正直に言えば、私はその先生のお気に入りの生徒でもなく、特別好きだったわけでもありません。
だからこそ、その話は美談としてではなく、ただひとつの言葉として、胸に残りました。
追い詰められたとき、人は正直ばかりでいられるわけではない。
必死で守ろうとしたものが、嘘という形になることもある。
それを責めるのではなく、
その奥にある必死さを見ようとすること。
無条件に信じるというのは、簡単ではありません。
ときに、自分の正しさが揺らぐ。
それでも、
「あなたを信じたい」と差し出される手がある。
月の光のように、
強くはないけれど、暗い夜を照らすような信頼。
私は、誰かをそんなふうに受け止められてきただろうか。
自信はありません。
けれど、あの言葉を聞いた日から、
人の弱さを見る目が、ほんの少しだけ変わりました。
人生には、あとになって意味が分かる出会いがあります。
あの二人の先生が向き合っていた、あの一瞬。
その光はいまも、私の中で静かに灯っています。
*
この作品は「日常の薄皮をなでる」シリーズの一篇です。
他の作品もよろしければ。