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私の書いてきたテーマと、絶望という資産を物語化で無毒化し輸出する話

    本稿のイントロに、この曲を思い出しました。


    絶望したら速やかに死ぬことが文明ですか

    私も絶対に許さない人はいるし、憎悪とは何か理解しています。そうしたこととは別に、自死した父のことを死んだ方がいい人だと思ったことはありません。社会にはとても酷い人がおり、無期懲役や死刑になる人は存在するけれど、それは司法の結果であり、個人が死んだ方がいいかを決めてはいませんよね。

    「僕のお家はこんなに大変だったんです」と、述べたいのではないのです。みんな、それぞれの「地獄」を通り抜けているし、痛みも悲しみも私の専売特許ではない。個人的な体験を、作品に変えることで、今苦しんで血を流している方のための、「清潔なハンカチや包帯」になれるかもしれない。乗り越えるのはご本人でも、比喩的に止血しやすくする何かは、あってもいいと思う。それが、公共に資するという、私の願いです。言い方を変えると、この社会と祖国への貢献です。トラウマという資産は、他者の痛みを軽減しうる。

    スイスの自殺ツーリズムが羨ましかった

    • 父の自死遺族

    • 父の兄の病

    • 年下のきょうだいの病の療養の伴走

    • 私自身の障害の管理

    一人で複数の体験をしました。スイスの安楽死の報道を、10年以上前かな、目にした時「いいなぁ」と思いましたよ。けれど、母に、夫に加えて息子も自死する経験をさせることは、人として選択できません。だから、もう無理な日も義務として、生きて学んで自分を変えました。あの時早まらなくて、僕は良かった。

    自死遺族と障害を扱うためのペンネーム

    僕はカラストラガラというペンネームで活動しています。noteとKDPのAmazonが、住所と銀行口座を確認しているから、実在する個人です。このペンネームで匿名性を悪用して、無責任な発言をするつもりはありません。これからも、責任ある言動を目指します。あと、リアルの私を知ってる人も読者にいますし。つまり、絶望も語るための名前なのです。どう乗り越えたのかは書いてきたし、これからも稿を改めて書きます。

    現代社会がクソな要因

    新自由主義は小さな政府で競争を最適化する理念は良いと考えています。適切な競争はイノベーションに繋がる。創意工夫が生まれる。ソ連の崩壊直前では困るでしょう。しかし、新自由主義は機会の平等(スタートラインのこと。競争の結果ではないです)と、富の再分配が苦手です。どちらも、政府が関与していたことでもあります。

    また、競争が安全ではないことが問題です。例えば、必ず失敗して負けることもあるから、敗者復活が必要だけど、仕組みができていません。そのため、失敗しないことや負けないことを目指すと、手段が目的化し、問題解決ではなく書類上の正しさにこだわる官僚化が起きます。結果、公共が傷つきます。

    しかも退治すべき悪役がいない(複合要因だから)

    現代が「クソ」とか「社会が悪い」ことは具体的に何かというと、初代ドラクエの竜王や水戸黄門みたいに勧善懲悪な悪者がいるのではなくて、「新自由主義の運用難しい」とか「利益を前にすると倫理が消し飛ぶ」という問題に収斂するかもしれません。

    その上、倫理もシカトされれば社会も悪くなるのは自明

    倫理は、何が可能で何をすべきではないか区別できるくらいの意味です。例えば、コンビニで缶コーヒーを万引きすることは可能かもしれないけど、僕らはしませんよね。お隣に置き配が届いていても盗むことは可能かもしれないけど、我々はしない。1993年1月に東京都の石神井川で発見された矢ガモみたいに、クロスボウなどで生き物を傷つけることは可能かもしれないけど、我々はしませんよね。したくない理由は人それぞれだけど、しない。だから社会が成り立つ。

    絶望して思い詰める人は本当に社会に向いていないのか?

    思考実験なのだけど、上記のような社会の構造的な問題に対して、社会の不備を利用して「他者を死ぬほど苦しめてやれと考える人」と、「現代社会を生きるのに私は向いていないなと自死を思い詰める人」、社会の宝はどっちですか? 

    他人に危害を加える者が、社会に不向きなだけであり、社会に不満や違和感を持つ人々は、それが見えて悪用しない人材だから「社会の宝」です。例えば文芸でもアートでもなんでもいいから、その人の目に美しいとか痛くないと感じることを、選んでくれれば社会に美しいものが増えます。さらに、問題点を指摘できれば、社会をより良くする力になるでしょう。こうした取り組みは価値であり問題解決に繋がります。だから、比喩ではなく富になるはずです。ハンナ・アーレント(1906-1975)の「公共性」に、創造的な異端者を現代的に組み込むとも言えます。

    見えるけどできないことはストレスだけど、多くの人は見えないから平気でいられることもあるのです。だから気がついた人は、ご自分のテーマをお持ちなのだから、恥じる必要はない。歴史的に見て、多くの場合、社会に問題がありました。

    社会に問題がある3つ例

    元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く病人のような蒼白い顔の月である

    平塚らいてう | NHK for School

    人種差別の問題はいま、どういう状況にあるのか。3人の有名黒人指導者、キング牧師、マルコムX氏、クワメ・エンクルマ氏(いずれも故人)の娘がBBCに語った。

    有名黒人指導者の娘たちが語る 「Black Lives Matter」 - BBCニュース

     彼は手紙の終りにある住所と名前を見ながら、茶碗に注いであった酒をぐっと一息に呻あおった。
    「へべれけに酔っ払いてえなあ。そうして何もかも打ぶち壊して見てえなあ」と怒鳴った。

    葉山嘉樹 セメント樽の中の手紙

    イデオロギーの話をしたいのではなく、この3つの別々の問題は、まだ解決していない点は共通ですよね?

    平塚らいてう(1886-1971)や、公民権運動や、葉山嘉樹(1894-1945)の指摘は、個人的な不満ではなく社会の構造の問題に対してです。ジェンダーギャップ、人種差別、労働者の安全や権利、現代も課題ですよね。

    これらは、様々な利害関係があるため、まだ解決出来ていません。歴史的に見て、多くの場合、社会に問題があったことは事実です。本来おかしいだろと指摘できる人々が、道を切り開いてくれて、今があります。

    絶望をナラティブで「無毒化」し、分かち合うということ

    だから、世界がどんなにクソでも、絶望的に悪くても、その絶望を「ちょっともう無理なんだけど」と、安心して分かち合えれば、孤立から社会的な文脈で我々の絶望を資源に変えることができます。日本は人が資源で、その人も1960年代と比較して少ないけれど、絶望は売るほどあるから問題解決してフレームワークでも文学でもいいから海外に売る武器に出来ると私は思う。世界も絶望やダブルスタンダードなどに満ちているので、絶望の「無毒化」や、いかに安心して絶望と暮らすかは需要があると私は思います。(文学だけでなく、文化人類学的視点、経済学的視点も活用できます)

    死んだ方がいい人が世界や日本や社会にいるのかを議論するよりも、この絶望を資源として活かして、社会の公共を回復させどう富にするかに興味があります。2020年4月からnoteを続けてこれたのは、私みたいに至らない人間でも、ボールを投げれば誰かがキャッチしてくれたからです。

    フェイクニュースや歴史修正主義ではなく、我々は物語ることで絶望自体を無毒化することが出来ると思う。だから、絶望が深ければ深いほど、なんとか生き延びて欲しい。私もそうしてきた。理想論や机上の空論ではなく、実践論です。


    Photo by Hristo Sahatchiev from Pexels:

    https://www.pexels.com/photo/brown-trench-coat-on-wooden-rack-821357/


    絶望の文脈ではなく、表現の文脈で、この作品を本稿の終わりに配置しました。


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