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「沖縄空手」がなぜ人を惹きつけるのか

プロアスリート・格闘家にはじまり、政治家や医者まで、各分野での有力者が沖縄空手の虜になっている。

何故、彼らは他のスポーツではなく沖縄空手を選んだのか。それを紐解いていきたい。

1.科学では得られないもの

ここ数十年で急速に科学は発展した。

そして、我々はもう科学の発展していない時代には戻れない。

つまり、科学の発展していない時代に生まれたものは、今の時代に自然発生することはないのである。

沖縄空手は、戦乱の世に生まれた、時代を象徴する文化である。

仮に、空手というものが今この瞬間消滅して人々の記憶から消え去ったとしよう。今の平和で便利な時代の人は、空手のような「型」を生み出せるだろうか。

これがたとえば、「車」だったり、「薬」だったり、…あるいは「ボクシング」「キックボクシング」だとしても、今の人々は、ゼロからの再発明でそれらを生み出すことが出来るような気がする。

ただ、「空手」の「型」に関しては、受け継がれてきた歴史なしでは、誰も「クーサンクー」「ナイファンチン」を再発明することは出来ないと断言できる。

科学や理屈だけじゃないものが、沖縄空手の型にはある。

そこに無意識に惹かれるのは、人間が人間らしくある感情のはたらきなのではないだろうか。

2.文化に触れる「学問」

沖縄空手はアジアを代表する大切な文化だと思う。

その成り立ちには諸説があるが、一説に、ざっくり言うとインドのヨーガが中国に渡り中国拳法として発展し、それが琉球へとたどり着いたという話がある。

それゆえ、東洋思想の深い根源的な要素を、沖縄空手を通じて感じることができる人も居る。

それだけでなく、日本薩摩示現流の影響や、沖縄土着の「手」の正体など、掘れば掘るほど、あらゆる文化・思想に触れるきっかけにもなる。

そのように、複数文化が交差して成立したのにも関わらず、唯一無二のものとして確立されている。
要は、中国拳法や日本武術の要素も感じられるが、複数文化の寄せ集めという印象を全く受けず、別物として仕上がっているのだ。

そして、「どうして上記のように感じられるのか」という疑問は、沖縄の文化や歴史を学ぶたびに少しずつ理解できていく。

もはや、一つの学問として、とても奥深いものとなっている。
そして、未だに謎に満ちているからこそ、各有識者達が想いを寄せてこぞって研究を進めているのだ。

3.沖縄空手の精神に宿る「哲学」

技術的なことを最新の科学…すなわち物理や生理学で解読する試みもある。

それにより、沖縄空手の研究やレベルアップに繋がっているが、沖縄空手には理屈では説明出来ない領域がある。
沖縄空手における精神世界は、脳科学だけでは説明出来ない深いものがある。

その深い精神世界を考えるには、拳聖の名言を考えるのも良い。
「空手に先手なし」という言葉を知っているだろうか。
これは、「戦術的に先に攻撃をせずカウンターを狙え」とも解釈できるが、「空手家たる者、むやみやたらに自分から喧嘩をふっかけることは空手の精神に反する」という意味合いだったと言われる。

要するに、沖縄空手というものには、このような言葉や動きを一つとっても、簡単に答えは出ずに深い意味が込められているということだ。

このように深い哲学に触れられることが、あらゆる人を惹きつけているのだろう。

昨今、金原神を中心に若い世代でも愛好家が増えていると聞く。

彼が沖縄空手の新時代を担う存在に成長することを期待したい。
近々、「沖縄空手記事」も投稿されるとのことなので、こちらも期待である(笑)


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