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らーめんと僕

    僕はラーメンが大好きだ。
    僕は碩台小学校の三年四組、吉田あきひろ。

    家の近くに「こむらさき」というラーメン屋さんがある。
    学校の帰り道、「こむらさき」の前を通るだけでどきどきする。「こむらさき」にはいつも真っ白いのれんが掛かっていて、その揺れるのれんの奥から、暖かい、優しい、何ともいえないラーメンのスープの匂いが漂ってくる。もうたまらない。あーラーメンが食べたい。でも、毎日通り過ぎるだけ。

    「こむらさき」には、お父さんがほんとに時々連れて行ってくれる。7人程でいっぱいになる小さなお店。
    お父さんと二人で並んで座る。
    体中を包むスープの匂い。あー幸せ。
    湯気の向こうの「こむらさき」のおじさん。おじさんはラーメンを作る時、まるで手品の人のように不思議な動きをする。チャッチャッと麺のお湯を切る音が僕の心に響く。
    「お待ちどおさま。熱かけん気をつけて。」おじさんはいつも、僕、それから、お父さんの順番でラーメンを出してくれる。僕の前に出されたラーメン。
    白いスープに、何ともいえないような香りの良い揚げたニンニクのたれがかかっていて、焼き豚、キクラゲ、刻んだネギ、少しのもやし、海苔。
    さあ、「いただきます。」

    割り箸を割ってラーメンを食べ出した僕はもう、僕とラーメンだけの宇宙にいる。少しだけ芯の堅い麺をすすると、口の中には白いスープと、茶色いたれと、キクラゲなんかの素敵なハーモニーがつんと広がり、それが喉を通り、僕のお腹の中をゆっくりと降りていく。そして焼き豚をかじる。
    あー、美味しい。
    お父さんがあとから食べ始めるのに、いつもお父さんが先に食べ終わる。
    「ゆっくり食べなさい。」お父さんは言うけれど、僕はどんどん食べているつもり。どんぶりの底に少し残った麺の切れ端と、残ったスープを一緒に飲み干すのが、また大好き。
    美味かったー。
    「こむらさき」の帰り道。昔、野球の選手だったお父さんの背は高く、僕の頭を触る手は力強かった。

    そんな僕の家が、まさかラーメン屋さんになるとは夢にも思わなかった。
    番傘や蛇の目などの和傘を作っていたお父さんの事業が、時代の流れでうまく行かなくなって、お父さんとお母さんが、食べ物屋さんをやろうと決意して、なんとラーメン屋さんを始めたのだ。

    周りの人はみんなびっくり。
    お店の名前は、野球選手だったお父さんが付けたのだろうか、「ホームランラーメン」。

    お店の経営が順調になるまで、六年生の姉ちゃんのまりちゃんと、僕と、六才の弟のせいやの三人の姉弟は、お父さんお母さんと離ればなれに、熊本市郊外の立田山という、熊本の町を見下ろす小高い山にある小さな家で、おばあちゃんと一緒に暮らしていた。
    立田山は、昔の熊本藩主の細川家の別邸が自然公園になっているような、熊本市でも歴史ある静かな田舎町。150メートルほどの山頂に登ると、穏やかな二本の川に囲まれて、真ん中に熊本城のそびえる緑豊かな美しい熊本の街が一望できた。
    僕とまりちゃんは、立田山から碩台小学校まで30分くらいの道のりを、歩いて小学校へ通った。
    弟のせいやが、そろそろ小学校に入学する頃の春のある日、僕たち三人は思い切って、熊本市の新市街という商店街に開店したお父さんのラーメン店を、立田山からバスに乗って訪ねてみることにした。

    その季節は、早く花開きたくて、がまんし切れないようなつぼみをいっぱいに抱えた桜の木が、熊本の町の色を薄いピンクに染めて、バスの中から眺める景色は何となくうきうきと感じられる。僕たち姉弟の、初めて見るお父さんのお店への期待もふくらんだ。バスは終点の花畑町に止まる。熊本市の中心のバスターミナルだ。熊本の地方から出てきて中心地の繁華街へ向かう人、街での用事を済ませて地元へ帰る人、それぞれの人々が行き交う。

    バスを降りた僕たち三人姉弟は、噴水のある辛島公園を通る。公園の周りに人だかりがあった。人をかき分けて一番前に出ると、「さあ買うたあ、さあ買うたあ、このバナちゃん見てごらん、生まれは遠い台の・・・・・・。」
    その頃は値段が高くて普通の人にはあんまり食べられないバナナを、太くて渋い声を張り上げて即興の歌を歌いながらバナナを房のまま売っている。
    リンゴ箱をひっくり返した台を叩きながら、叩くたんびに値段を下げるという、小学校でも噂のバナナの叩き売りだ。叩き売りのおじさんの歌を最前列で楽しんで、バナナを食べたい気持ちだけ膨らんだ僕たち姉弟は手をつないで、
    繁華街、新市街へと歩いて入った。

    新市街にはパチンコ屋さんあり、映画館あり、喫茶店あり、そして、びっくりするくらいの沢山の人が歩いていた。
    小さい僕たちには、前が見えないくらい。

    まりちゃんが突然、「おかあさーん。」と叫んだ。前を歩くアベックの向こうから、ゆっくりと振り向いたお母さんは真っ白の割烹着だった。僕はもうダッシュでお母さんに飛びついた。お母さんの割烹着はなんだか、日だまりに干したばっかりの暖かい布団のような匂いがした。
    お母さんが言った。「せまいけれど、これからはもう、お店の二階でみんなで一緒に暮らそうか。」「せいやもこっちの小学校に入ろう。」「ウワー。」僕たち姉弟三人はみんなでお母さんに飛びついた。お父さんもお店から出てきた。お父さんの後ろには、おかあさんの割烹着に負けないくらいの、真っ白いのれんにプリントされた「ホームラン」の文字が揺れていた。そして、あたりを包む僕の大好きなラーメンのスープの匂い。僕にはもうバッチリ。

    お父さんのお店、ホームランラーメンは、四人が座れる二つのテーブルと、八人座れるカウンター。今日はお客さんが一人だけしかいなくて、僕たち姉弟はゆっくりとテーブル席に座ることができた。

    初めてお父さんが、僕たちにラーメンを作ってくれる。僕はどきどきしながらお父さんの動きを見守った。湯気の向こうのお父さん。お父さんはいったい、いつラーメンの作り方を覚えたんだろう。どんなラーメンを作ってくれるんだろう。「こむらさき」のおじさんは手品の人のような動きだけれど、僕のお父さんはベレー帽をかぶって前掛けをして、まるで絵描きさんのような雰囲気でラーメンを作っていた。できあがったラーメンをお母さんがテーブルに持ってきてくれた。

    白いスープに、揚げたニンニクを使った特製の黒いたれ、焼き豚、きくらげ、海苔。完璧定番の熊本のラーメン。
    ああっ、美味しいー。大先輩のラーメン「こむらさき」に少しも負けていない。
    と言うより、僕はお父さんのラーメンの方が好きかも。

    こうして、僕とラーメンの日々は始まった。

    昭和35年。お父さんがホームランラーメンを開店した新市街は、熊本でもっとも新しい商店街だ。車道の両側に商店街があって、歩道の上には、雨の日でも歩けるように屋根がついていた。ホームランの左隣は呉服店、その隣はたばこ屋さん、その隣は果物屋さん。右隣にはカメラ屋さん。その隣は布団屋さん。その隣に時計屋さん。道路を渡るネオンサインには、福助足袋の広告。
    道の向かいには靴屋さん、その右隣は金物屋さん。
    そして、靴屋さんの左側には、映画館、東宝劇場があった。新市街は映画館の町。果物屋さんの数軒向こうには電気館、そこでは主に松竹の映画が掛かっていた。その向こうには日活劇場。電気館の角を左に曲がれば東映劇場。そして東宝劇場の裏には大映があった。映画を見たい人たちは熊本中からこの街に集まって来た。その人たちが映画を見終わると、みんなホームランラーメンのお客さんだ。

    お父さんお母さんと、みんなで一緒に暮らすようになってからの初めての日曜日、お母さんがバケツで何かを溶かしていた。「なんばしよっと?」
    「ラーメンの味付けをする塩水を作りよっとよ。」「ふーん。」お母さんは体温計によく似たものを水に浮かせて、塩を溶かしながら目盛りを見ていた。
    お父さんが肉のかたまりを切っている。そして、たこ糸で縛り始めた。「なんばしよっと?」「こうやって焼き豚を作る。肉がバラバラにならんように縛る。」
    「ふーん。」見ているだけで楽しくてたまらない。

    月曜日に学校から帰ると、肉屋さんが配達に来ていた。なんと、骨がたくさんある。「お父さん、これ何の骨?」「豚と鶏。」「ふーん。」豚と鶏の骨かあ、じゃあ、これは豚の頭なんだろうな。僕は、血の固まりがそこここに付いて、目の部分が空洞になっている動物の頭の骨を見てそう思った。
    お父さんが骨を全部大鍋に入れる。「水入れて。」僕は蛇口をひねりホースの先を持つ。豚の頭の空洞の目のあたりを狙ってホースの水を入れた。

    「こんにちは〜。」「麺屋さんがラーメンの麺を持ってきてくれたけん受け取って。」今度は麺屋さんが配達に来てくれた。麺屋さんのおじさんは痩せて優しそうだけど、お父さんと同じ頑固なタイプの感じ。麺が何個入ってるか分からないけど、ずっしりと重い茶色の包みをおじさんから受け取った。
    また軽トラックが店の前に停まると、がっしりとした体格の雰囲気の違うおじさんがあらわれた。おじさんは黙って、お客さんの食べ残したものや野菜のくずなどを入れた缶を軽トラックに積んでいく。「あれが豚の餌になる。」お父さんは言った。なるほど、食べ残ったものは豚の餌になるんだ。なるほど、こんなふうにラーメンは出来ていくんだ。ラーメンにはこんなふうに沢山の人が関わっているんだ。そんなことを少しずつ、僕は覚えていった。

    大鍋がぐらぐらと沸騰してきた。お父さんは分厚い木で出来た鍋のふたを少しずらしただけで、ぐらぐらはそのまま。こっそりあけてみると、豚の頭は大鍋のなかでぐらぐらと揺れていた。一緒に炊きあげる野菜が、豚の匂いを消す。
    強火でがんがん。

    そのころお父さんは、時間が出来ると、いつも僕と遊んでくれた。まだ小さい弟と姉ちゃんは、いつもお母さんと一緒。僕が一番好きだったのは夏の蝉捕りだ。
    お父さんはラビットのスクーターを持っていた。スクーターのシートの後ろでお父さんの背中に必死でつかまりながら立田山に向かう。もう誰も住まなくなった立田山の家にお父さんの作った蝉捕り網がおいてある。僕が持っている虫取り網の五倍くらいの長さの竹に、ほんの小さな網が付いている蝉捕り専用の網。高い木の上の蝉でも捕まえてしまう。
    蝉捕り場は家の前にあるこんもりと茂った小さな丘、紅葉山。紅葉の木が多いのでそんな名前になったのだろうか。草ぼうぼうのその丘は、ちょっと見るとどこからも登れそうにないけれど、丘の前に住んでいた僕の家族はみんな登り道を知っている。生い茂った草をかき分けて秘密の道を登ると、下から見ただけでは考えられない静かな雑木林が広がっている。そこは蝉の天国。ミンミンミンミン、ワシワシワシワシ、アブラゼミやクマゼミが鳴き声を競う。

    「あすこにおるぞ。」高いところのクマゼミをお父さんが指さす。「見とけ。」お父さんは言う。蝉捕り網をそっとのばすと静かに網をクマゼミにかぶせた。クマゼミはまだ気付かない。お父さんはかぶせた網をゆっくりと動かしてクマゼミの頭に触る。クマゼミがびっくりして飛び跳ねて網に絡まる。お父さんは蝉取りの名人だ。
    次は僕の番、お父さんのやった通りに、蝉にそっと網をかぶせる。でも、ほとんどかぶせる前に気づかれて、ワシッと言っておしっこかけられる。なかなか難しい。「そーっと、そーっと」お父さんが言う。そーっとそーっと、今度はアブラゼミに網をかぶせた。気がつかない。網をちょっとだけ動かして蝉に触る。「ジジッ」やった。蝉が網に絡んでいる。網をそのまま地面に倒して、蝉を捕まえる。そして虫取り籠に入れる。指にからみつく蝉の足がちょっと痛かった。お父さんは沢山捕まえてはいけないという。

    蝉取りの間に、立田山の家の井戸水に冷やしておいたスイカを縁側でお父さんが切ってくれる。スイカに塩を付けて食べる。冷たくて甘くて美味しい。お父さんが言った。「種ば食うと頭にスイカの生ゆっぞ。」
    僕は丹念に種をほじった。

    もう一つの、僕とお父さんの遊びはキャッチボール。野球選手だったお父さんは、キャッチボールの基本を教えてくれた。キャッチボールの時は弟も一緒。
    三人で熊本城へ向かう。キャッチボールのいつもの場所は、熊本城の城内にある植物園の下の、お城のお堀のなかの空き地。
    熊本城は熊本市のど真ん中にドンとそびえていて、いつも美しい。桜の季節には桜の中にお城が埋まり、秋には銀杏の吹雪で黄金色に染まる。古い石垣と、かつてお堀だった神秘的な沼など、僕は熊本城に不思議な力を感じて、大好だ。

    キャッチボールは弟にも僕にも公平に教えてくれる。でも、弟はまだ小さくてへたくそだから、弟よりお父さんとのキャッチボールが好きだ。
    「キャッチボールは相手のことを考えて、相手の心に向けてまっすぐに投げる。」お父さんの教えだ。相手の心にまっすぐに。そう上手くは行かないけれど、お父さんでも弟でも、相手の顔を見て投げ投げのやり取りをすると、お互いに気持ちが伝わるような気がする。

    こんな風に小学生活を送って最上級生の六年生になった僕に、お父さんが言った。「出前に行ってくれんや。」「えーっ。」ホームランラーメンはお店から近いところだけに出前をしていた。
    出前箱はお父さんの手作り。ラーメンが二杯入る長方形の箱に持ち手が付いている。箱を重ねていって一番上にふたをすれば最高八杯まで出前できる。お父さんは出前箱を茶色に塗っていた。「持ち手のまん中ばもってごらん。」「そして力を抜いてバランスを取る。」「力を入れるとこぼすけんね。」

    初出前は一杯のラーメン。目指すはお店の前の東宝劇場。そろそろそろそろ、客待ちのタクシーの間を縫って、道を渡って、そろそろ映画館の階段を上がる。「ホームランです。ラーメン持ってきました。」「ご苦労様ね、そこの階段上がって映写室行ってね。」もう一山だ。

    せまい階段を上がると薄暗い部屋に大きな映写機が二台。初めて見る世界。
    まぶしい青い光を出して燃える黒い棒。燃える匂い。そして大きなフィルムの輪っかがゆっくりと回っていた。映写の窓から、映写技師のおじさんがスクリーンをチェックしてた。

    小声でおじさんに、「ラーメン持ってきました。」「おお。時間有るや?俺がラーメン食う間おってくれんや?」「こっちの映写機のフィルムが終わったら50円玉がちゃりんと落ちるけん、そん音のしたら教えてくれんや。」「はい。」
    初めて知ったけれど、一本の映画は何巻かのフィルムに分かれていて2台の映写機で交互に映写する。おじさんは一巻のフィルムが終わるまでずっと見ていなくても良いように、フィルムのおしりに50円玉を巻き付けている。フィルムが終わりに近づいて50円玉が落ちて、ちゃりんと音がしたら、続きのフィルムの掛かった隣の映写機を回す。「俺が考えたっぞ。」おじさんが自慢そうに言った。
    おじさんがラーメンを食べている間、映写窓からのぞいた。映画はクレージーキャッツのサラリーマン。遠くのスクリーンで植木等が踊っていた。食べ終わった映写技師のおじさんがどんぶりを持ってきていった。「いつでん来て、映画見てよかぞ。」

    食べ終わったどんぶりを持って帰った僕を、お母さんは誉めてくれた。そしてその日から、僕はホームランラーメンの出前の戦力になった。

    新市街商店街に面しているホームランラーメンの横には細い路地がある。その路地の奥は、深い深い怪しい場所。路地の奥は新興街と言って、なんと100件近い小さな飲み屋さんが並んでいた。看板にはバーと書いてある。僕にはバーの意味が分からなかったけど、お店はどの店も薄暗く、背もたれの高いソファーでお姉さんたちがお酒の相手をする。暇な夜にはお姉さんたちが沢山通りに出てきて客引きをする。昼間の路地の奥には、お姉さんより刺青のお兄さんたちの方が多いような場所だった。
    そんなお店に、小学校六年生の僕がラーメンの出前に行く。そうすると、だいたい、お店のお姉さんが、「わー、可愛いかあ。」と言う。中にはお小遣いまでくれる酔っぱらいのおじさんが居たりする。お小遣いはお父さんに没収されるけれど。

    そんなこんなで、出前はそんなに嫌いじゃなかったし、なんと、東映の映写技師さんとまで仲良くなって、おかげで東宝と東映の沢山の映画をただで観ることが出来た。
    東宝のクレージーキャッツと森繁のサラリーマンシリーズは全部観た。怪獣も全部観た。
    坂本九も片岡千恵蔵も、葵新吾も忠臣蔵も水戸黄門も。
    ちなみに、僕は東映と東宝の映画が好きで、日活はちょっと大人の映画で、「嵐を呼ぶ男」は良いけど「銀座の恋の物語」は苦手。
    松竹と大映はもっと大人の映画で僕にはついて行けなかった。

    中学生になった僕は、熊本城の向こうの京町にある中学校に通うようになった。
    学校の帰り道、熊本城の桜吹雪の坂道を自転車で駆け下りる。桜の終わりの頃の風の強い日に熊本城の横を通ると、散ってくる桜の花びらが、まるでピンク色の雪のように道を通る人に降り注ぐ。ピンクの吹雪の中を自転車で駆け抜ける。気持ちいい〜。これは経験した人にしか分からない。

    中学校では音楽の授業が大好きだ。音楽の先生が最高のステレオセットで音楽を聴かせてくれる。先生は良い音に凝っていて、僕にとっては初めて聞くステレオセットの最高の音はたまらなかった。音楽室の窓から、穏やかな初夏の遠くの入道雲を眺めて、先生がかけてくれたドボルザークの新世界のレコードを聞く。学校の帰り道、雲の浮かぶ空を見上げるとまだ新世界が響いていた。

    そんなときの新聞広告に出た新商品。パイオニアの卓上セパレートステレオ、39000円。
    そのころ何人かの友人の家に遊びに行くと、応接間に、スピーカーと操作部分が離れた、コロンビアやパイオニアや山水のセパレートステレオがおかれていた。音楽の先生の持っているセットの小型版。小型版でさえ買ってもらえるのは夢のまた夢の僕の前に、その、もっと小型版、卓上型なるステレオが発売されたのだ。
    中学校の帰り、僕は毎日、電気屋さんに行ってそのステレオを見た。コロンビアや山水のステレオには全然見劣りするけれど、ちゃんとしたステレオ。
    僕は、お父さんに思い切って頼んだ。「ステレオの欲しかけん、今度の土曜日、オールナイトでアルバイトさせてくれんね。」お父さんは言った。「よかよ。」

    土曜日には、新市街の映画館が全部オールナイト上映をする。映画が終わるたびにどっとお客さんが来てお店に溢れる。僕の役割はどんぶり洗い。お客さんの使った割り箸を捨てて、残った物を豚の餌缶に入れる。そしてどんぶりをきれいに洗って棚にのせる。その繰り返し。でも、どんぶりは次から次から来る。夜中の12時を過ぎる未体験ゾーン。
    映画の合間にはタクシーの運転手さん、入れ墨の人、裏のバーのお姉さんたち。客足はとぎれない。だいぶ疲れてきた。でも、僕は負けない。僕のステレオでドボルザークの新世界が聞きたい。

    うっすらと夜が明けてきた。
    最後のお客さんが帰って、僕は最後のどんぶりを洗った。ああ39000円のステレオ、お父さんはいったいいくらくれるだろう。「よう頑張ったね。きつかったろう。」「うん。」「それではアルバイト料。」お父さんは300円くれた。
    僕は二階に上がって思いっきり泣いた。そして疲れ切って眠った。

    夏、一人で蝉捕りに行った。立田山の家は誰も住んでいないので荒れていた。蝉捕りはいつもの紅葉山。お父さんの言いつけを守らずに、虫取り籠一杯の蝉を捕まえた。家に入って一人でのんびりとした。夏休みにだけ使っていた勉強机の引き出しを何気なしに開けたら、去年の夏の、蝉の死骸が入っていた。僕は虫取り籠の蝉を全部放した。蝉の死骸は庭に埋めて手を合わせた。
    僕はもう、蝉捕りはしないだろう。

    そしてその日以来、大釜の中の豚の頭の骨の目のくぼみに水をぶっかけるようなことはしなくなった。それより、どうか美味しいスープになってくださいと思うようになった。
    そして高校生になった僕は、完璧なホームランラーメンの戦力になっていく。小学生の頃からお父さんの技術を見てきた。お父さんに負けない僕のラーメンが出来ますように。豚の頭に、鶏の骨にお祈りをする。

    土曜日の夜はオールナイトでお父さんの手伝いだけれど、高校の休みの日曜日は僕一人の世界。疲れて眠っているお父さんお母さんより早起きして、勝手に仕込みをやる。まずスープに火を入れる。そして、乾燥したキクラゲを水で戻す。焼き豚を薄く切る。ネギを刻む。そして、水で戻って大きくなったキクラゲを刻む。スープをがんがん炊く。がんがんがんがんお昼近くまで。豚の頭が僕をにらむ気力もないくらいに炊き込んだ。

    さあ、準備オッケーだ。日曜日のお客さんの出足は遅い、お父さんが寝ている間に売り上げを上げたいなあ。あ、お客さんだ。まずい、入れ墨の人だ。怖がっている気持ちがばれないように、「いらっしゃいませ。」僕は、お父さんとのキャッチボールのときのように、入れ墨の人の目を真っ直ぐに見ていらっしゃいませのボールをど真ん中に投げる。「おう。」何と入れ墨の人が投げ返してきた。「親父さんな?」「今日はまだ寝てます。」僕は言った。「ラーメンはお前が作るとや?」「はい。」お客さんは黙って座った。

    麺をゆでる釜の火力を最大にする。スープの鍋は充分に熱い。どんぶりを麺ゆでのお湯で温める。お湯を捨てて味付けの塩水を入れる。そして、ニンニクで作ったホームランラーメン独特の黒いたれを入れる。煎ったごまを入れる。ごま油少々。麺を手でほぐして沸騰を待つ。

    麺屋さんのおじさんの宮本さんは、僕がにらんだとおり筋金入りの職人さんだった。粉には特別の配合をしていて、かん水は充分に寝かしている。合わせた材料を特製の大型製麺機でゆっくりと伸ばす。だからこの麺はスープがよく絡み、コシがあって、時間をおいてもなかなかのびない。
    一度麺を取りに行った時に、宮本さんが工場を見せてくれた。

    沸騰してきたゆで釜に宮本製麺の麺を投げ入れて蓋をする。どんぶりに充分に白濁したスープを入れる。沸騰したゆで釜をあけると、たった一玉の麺が大釜の熱湯の中をゆったりと泳いでいる。大釜を泳がせるのが麺ゆでの最大のこつ。それなりに泳がせたところで、僕はちょっと麺を固めにあげる。それが僕の好み。そのタイミングはいつの間にか覚えた。
    今だっ、ざるで上げる。チャッチャッチャッ、充分に水気を切ったところでどんぶりに入れる。スープと麺がなじむようにお箸で麺をほぐす。焼き豚をのせて、キクラゲ、ネギ、海苔をのせる。この間、決してもたもたしてはならない。麺がのびてしまう。お父さんの教え。
    そして、スープと麺、具のバランス、ラーメンはどんぶりの中のバランスが大切だ。これもお父さんの教え。

    「よし。」「お待たせしました。」入れ墨の人は、胡椒をたっぷりかけて黙って食べていた。僕は仕事をするふりしながら、横目でちらちらと様子をうかがう。
    あっ、スープを最後まで飲んだぞ。
    「ご馳走さん、いくらや。」「80円です。」「親父さんのラーメンの方が美味かぞ。ばってん、まあまあ美味かったけん小遣いやる。」入れ墨の人は80円のラーメンに1000円の小遣いをおいて、颯爽と出て行った。大好きなお父さんのラーメンの方が美味しい。うれしいような悔しいような。
    その1000円はなんとお父さんが僕にくれた。

    そのころ、深緑色のスカーフのセーラー服の女の子とよく出会った。たぶん僕と同じ高校生。最初は黙って通り過ぎるだけだったけど、何となく目で挨拶するようになり、いつか「こんにちは。」と言い合うようになった。
    ある日、裏のバーのお店の一つ、「街」と言う店から出前の注文があった。ラーメンを届けると、背の高いシートにその子がいた。セーラー服で少しお化粧をして、お客さんにお酒をついでいた。僕が来たのは分かっているはずなのに僕の顔は見なかった。

    そのときに思った。あの子はバーのホステスさんになるんだろうか。自分の将来やこれからの職業のことなんか何にも考えないで、お父さんやお母さんの苦労に甘えていた僕は、彼女の姿を見て自分のこれからを真剣に考えた。あの子も僕も、そろそろ高校生は終わり、自分の将来を真剣に考えなければならない。次の朝、僕は思いきってお母さんに言った。
    「お母さん、僕はラーメン屋さんの跡継ぎになろかな。」お母さんは優しく笑いながら言った。「私は、あなたが将来、何になるか知っとる。」「だけん、一度は大学に行って勉強してきなっせ。」「僕は何になると?」「それは秘密。」「ずるかー。」でも僕は、なんだか少しほっとしたような気持ちになって、大学受験をすることに決めた。あんまり勉強はしなかったけれど。

    いつものオールナイトの土曜日が終わって、空が青くなってきた。明日から、僕は東京へ受験に行く。お店を閉めたあと、お父さんは頑張って来いなんて一言も言わず、今日の売り上げの中から千円札を10枚、9枚の千円札を1枚の千円札で折って束にして僕にくれた。「小遣いやろう。」「うん、ありがとう。」
    「ラーメン食うや?」お父さんが言った。僕は手伝いの時はいつも、最後に自分でラーメンを作って食べていた。「作ってやろか。」久しぶりにお父さんがラーメンを作ってくれた。やっぱりお父さんの作るラーメンは美味しい。
    ラーメンを食べながら店の後片付けをしているお父さんの姿を見ていた。

    少し寝るつもりで、目が覚めたら夕方になっていた。大好きな熊本城へ行った。
    夕方のオレンジ色の日差しに包まれて、お城のお堀の中を歩く。樹齢数百年の銀杏の影が長く伸びて、金色に光る芝生にコントラストをつける。どこかの中学生がマラソンの練習をしていた。僕は石垣に寄りかかってホームランラーメンの日々を思った。ラーメン屋もいいな。でも、東京の大学もいいな。東京もいいな。

    翌日、僕は同級生の受験生仲間数人と、寝台特急列車「みずほ」に乗り込んだ。
    仲間がいるのでまるで修学旅行気分で東京へ向かう。途中、富士山が見えれば合格するよとのジンクス。富士山は快晴で素晴らしかった。東京駅にはおばさんが迎えに来てくれていた。修学旅行気分の僕には、おばさんの硬い表情に気がつかなかった。荷物を抱えてホームに降りた僕におばさんが言った。

    「びっくりしないでよ。」
    「あなたのお父さんが亡くなったの。」

    僕には何も言葉が無かった。おじさんの会社に向かうタクシーの中、東京の景色を見ながら、何も考えられず涙も出なかった。
    会社の近くの喫茶店でおじさんと会った。おじさんは言った。「心筋梗塞らしい。お店で倒れた。」「どぎゃんするや?すぐ帰るや?」僕は、ポケットの中の千円札の束の一万円を握りしめながら言った「受験だけして帰ろうと思う。」
    「分かった。」おじさんが言った。「金は持っとるや?」「うん、お父さんが一万円くれた。」
    「それじゃ足りんかもしれんからこれ持っておけ。」おじさんは革の財布から一万円を出してくれた。しわのない一万円札。僕はポケットのお父さんの一万円と重ねて、
    お父さんの一万円の、出来たラーメンの数を考えていた。

    おじさんもおばさんも、お父さんのお葬式で熊本へ行った。

    一人ぼっちの東京で、熊本の方の空を見ながら僕は思った。

    お父さんのラーメンはもう食べられない。
    僕が将来どんな職業に就くのか分からない。

    でも、
    お父さんのラーメンは僕の中に生きている。


    #創作大賞2026 #オールカテゴリー部門


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