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20年、誰かの正解を描き続けて。降りたら、私だけの言葉が始まった。

    きのした | 抽象画

    米国のエミー賞を受賞したCGアニメの制作に参加したことがあります。

    才能の塊のようなデザイナーや技術スタッフがいました。
    個性が強い人が多かったです。
    国籍も色々の彼らは、世界中のスタジオをプロジェクトごとに飛び回っていて、そのころの私の憧れでした。

    いつか私もそんな風になりたいと思い、練習と日々の業務をこなしていました。

    いつか私も、そこに行かれると思っていました。

    ある時、驚いたことに、その才能ある何人かが「もう、描きたいものなんてない」というのを聞きました。

    うまくなるほど、描きたいわけでもないものが、普通に描けてしまう。
    「正解」を瞬時に選択できるようになると、「正解じゃない道」を歩けなくなることがあるのだ、と知りました。

    商業CGの現場では、セオリーを共有して大人数の掛け算で完璧なものを作ることが仕事です。この構造の中で、20年間、私はずっと「誰かの絵」を描いていました。

    私は結局のところ、彼らのように「最高レベルの技術を極めること」はできませんでした。
    どこまでいっても、すごいグラフィックを生み出す、私よりずっと若い人もいました。
    私はそこに届きませんでした。
    長く、それを「負け」だと思っていました。

    でも、今は違うと思っています。
    私は、技術の限界を感じて、商業美術の世界から降りました。
    すると、ずっと滞っていた自分の表現への渇望が、出口を見つけました。
    その出口が、抽象画でした。
    魔法使いの呪文を覚えるのをやめたら、自分の言葉が出てきました。

    私はアナログで紙やキャンバスの上に描き始めました。商業CGとは真逆のルールで
    「自由に  終わらなくてもいい  苦しまない」
    まっすぐ引けない線も、計算外の色の混ざりも、ゆがんだ形も、すべてが私にしか出せない揺らぎです。揺らぎのなかに、自分を見つけました。

    技術を求め続けた20年間が無駄だったとは全く思いません。楽しくもあり、悔しくもある経験ではありましたが、そのことで「正解から降りる」という選択の意味が、骨の髄までわかります。

    技術の限界は、行き止まりではありませんでした。
    私にとっては入り口でした。

    もし今、これを読んでいる方のなかに、
    描けない、いつまでも到達しない、動けない、
    と感じている方がいるなら。
    それは終わりではなく、入り口かもしれません。

    私はこの続きを、もう少し、書いてみようと思います。



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    今日もここまで読んでいただきありがとうございます。


    一枚の絵ができるまでの、制作プロセスと判断の記録はこちらにまとめています。


    
長年の映像制作デザイナーとしての経験の後、抽象画を描きはじめた私のことは、こちらに書きました。

    

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    このnoteでは、抽象画の楽しみ方や制作の裏側、
完璧を手放したキャリア転換のことを書いています。
    
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© 2026 Kaori Kinoshita
    
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    抽象画家。描きながら、立ち止まったり迷ったり進んだりすることを言葉にしていきます。 元CGデザイナー20年。 偶然と即興を遊び道具に。 ※サイトマップはプロフィールにあります

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