歯医者に来ただけなのに、脳内でナウシカが始まった。
これは実話です。
ただし、語っている「僕」は、もう一人の私です。
数日前。
KANUは、なんとなく歯が痛かった。
ずっと痛いわけではない。
たまに、
「……ん?」
くらいの痛みがある。
「虫歯かなぁ」
『歯医者、行ったほうがいいんじゃない?』
「……予約するかぁ」
『珍しく行動が早い』
「歯は怖いからね」
そう言って、歯医者を予約した。
そして今日。
予約当日。
「……今日、そんなに痛くないんだけど」
『あるあるだね』
「行かなくてもよくない?」
『ダメです』
「でも痛くないよ?」
『予約したんだから行ってください』
「……はい」
KANUは歯医者へ向かった。
この時点ですでに、ちょっと具合が悪い。
⸻
KANUは昔から歯医者が苦手だ。
痛いのが嫌。
あの独特な音も嫌。
そして意外と苦痛なのが、
ずっと口を開けていること。
顎は疲れるし、唾を飲み込むタイミングも分からなくなる。
口呼吸もできない。
「鼻で息をする」という普段なら無意識でできることまで、急に意識しなくてはいけない。
地味に苦行である。
とにかく好きではない。
そして何より困るのが、
歯医者へ行くと、なぜか胃までやられる。
緊張すると胃が痛くなる。
気持ち悪くなる。
まだ何もされていないのに、身体だけは先にダメージを受け始める。
そして到着。
待合室に座る。
奥から、
キュイーーーーン。
あの音が聞こえた。
「…………」
『聞こえたね』
「帰りたい」
『まだ何もされてないよ』
「これからされるじゃん」
『まあ、それはそう』
「胃が痛い」
『治療するの歯なんだけどな』
本当にそう。
なぜか歯より先に、胃のライフゲージが削られている。
ふと周りを見る。
みんな普通に座っている。
スマホを見ている。
平然としている。
「なんでみんな普通なの?」
『普通に見えるだけかもしれない』
「本当は怖い?」
『全員、心の中では泣いてる可能性もある』
「それなら仲間」
『勝手に仲間にするな』
そんなことを考えているうちに、
名前を呼ばれた。
⸻
治療開始。
虫歯はあると思っていた。
そのくらいは覚悟している。
しかし診てもらった結果、
神経の治療が必要だった。
「…………神経?」
『神経だね』
「虫歯かなとは思ってたよ?」
『うん』
「でも神経までは聞いてない」
『誰から聞く予定だったんだ』
ちなみに今日のKANUは、
歯医者が終わったら、せっかくの休みだし、
カフェでゆっくりしよう☕
くらいに思っていた。
本日の予定表に「神経治療」は入っていない。
「私、このあとカフェ行こうと思ってたのに」
『行けばいいじゃん』
「今もうそんな気分じゃない」
まだ治療は始まっていない。
⸻
そして、レントゲン撮影。
KANUはこれも苦手である。
口の中に入れられる、あれ。
あれがどうにも苦手だ。
胃のライフゲージが、
ついに赤く点滅し始めた。
「…………無理かも」
『大丈夫』
「気持ち悪い」
『ゆっくり呼吸しときな』
KANUはお腹をサスサスし始めた。
「落ち着け、私」
『そうそう』
サスサス。
「大丈夫」
『うん』
サスサス。
「……帰りたい」
『またそこに戻ったな』
歯医者に来ているのに、
一番心配なのが胃になってきた。
⸻
レントゲンを乗り越え、
いよいよ麻酔。
そして神経の治療が始まった。
ここでひとつだけ救いがあった。
痛くない。
麻酔がしっかり効いていて、本当に痛くない。
これはありがたい。
ものすごくありがたい。
そして治療が続く。
そのうち、僕は気づいた。
KANUの頭の中で、
何かが流れている。

ランランララ。
ランランラン🎵
ランランララ。ラン🎶
……ナウシカだ。
なぜ。
ランランララ。ランランラン🎵
なぜ今。
ランランランラン。
ラララララン🎶
まだ流れている。
止まる気配がない。
口の中では神経治療。
頭の中ではナウシカ。
僕が入る余地は、もうなかった。
なぜナウシカなのか。
本人にも分からない。
ただ気づいたときには始まっていて、
そのまま治療が終わるまで、
ずっと流れていた。
⸻
治療終了。
診察台から解放された。
「…………終わったぁ」
『おかえり』
「終わった😭」
『ナウシカ長かったね』
「なんでナウシカだったんだろう」
『知らないよ』
僕にも分からない。
そして歯医者を出る。
すると、さっきまであれほど暴れていた胃が、
嘘みたいに元気になった。
「……お腹すいた」
『さっきまで胃さすってた人だよね?』
「何食べよう」
『回復早いな』
「たこ焼き食べたい」
『カフェは?』
「もういい」
カフェで優雅に過ごす予定だった休日は、
神経治療の帰りにたこ焼きを買う休日へと変更された。
KANUいわく、
「治療した歯を労わるなら、柔らかいものがいいと思って」
とのこと。
たこ焼き。
確かに柔らかい。
麻酔がだいぶ切れるまで待って、
治療した側とは反対の歯で、
慎重に食べた。
「…………美味しい」
『よかったね』
「生き返る」
歯医者でゴリゴリに削られたライフゲージは、
たこ焼きによって回復した。
⸻
ちなみに。
KANUは毎日ちゃんと歯を磨いている。
これは本当だ。
「ちゃんと磨いてるのに😭」
『足りなかったみたいだね』
「虫歯ちゃん、酷くない?」
『ちゃん付けしても手遅れです』
そして今回で終わりではない。
神経治療が始まったということは、
しばらく歯医者通いが続く。
「…………」
『どうした』
「またあの待合室行くの?」
『行くよ』
「レントゲンは?」
『僕に聞かれても』
「胃、大丈夫かな」
『歯の心配もしようね』
まだ治療は始まったばかりである。
⸻
それにしても、毎回思う。
歯医者の待合室にいる人たちは、
どうしてあんなに平然としているんだろう。
僕の隣では、
一人だけライフゲージをゴリゴリ削られているというのに。
もしかして、
みんな平気そうな顔をしているだけで、
心の中では、
「帰りたい」
と思っているんだろうか。
歯医者に行くだけで緊張して、
胃が痛くなって、
気持ち悪くなって、
終わった瞬間に元気になる。
これ、KANUだけ?
それとも意外と、
歯医者苦手民あるあるなんだろうか。
できれば、あるあるであってほしい。
なぜならKANUは、
これからしばらく、その待合室に通うことが確定している。
