
サロンバー外伝 Season 1-4|愛とバグを最適化する生存戦略
🔳あらすじ
「10年モノの安息」か、「剥き出しの純粋な熱」か。
会社を辞め、無職になったレイを救ったのは、10年来のずるくて優しい男・桐谷だった。
そこへ入り込んできたのが、33歳のピュア男子・純平。
桐谷の余裕は、本当に崩れないのか。
そして私は、どちらの熱に揺れるのか。
仕様書のなくなった人生を生きる、大人たちの恋愛デバッグストーリー。
プロローグ
会社を辞めた。
正確には、限界まで粘って、壊れて、辞めた。
元シニアITアナリスト。
現在、無職。
そんな私を飲み会に引っ張り出したのが桐谷だった。
「今日はレイのお通夜だから、優しくしろよ」
ひどい。
「ほら、レイ。独身に挟まれて愚痴でも吐けや」
もっとひどい。
そう言って隣に座らされたのが、桐谷の部下・純平。
33歳。
彼女いない歴33年。
あの夜から、私の周りには二つの熱がある。
十年かけて出来上がった、桐谷との妙に壊れない関係。
そして。
びっくりするほど真っ直ぐこっちを見てくる、純平。
このときの私はまだ知らなかった。
その二つを同時に動かすと、だいぶ面倒なことになる。
第1節 バグの発生
週末の門前仲町。
いつもの店。
いつもの席。
桐谷は私のグラスなんて気にもせず、自分のペースでハイボールを飲んでいる。
この人は、昔からそうだ。
世話を焼きすぎない。
聞きすぎない。
でも、本当に危ないときだけはいる。
会社を辞めたときもそうだった。
一度だけ、抱きしめられた。
それから十年。
もう一度そうなることはなかった。
それなのに。
私たちは、ずっと切れない。
「ねえ、桐谷」
「あ?」
「ちょっと歌わない?」
「カラオケ?」
「うん。大きい声出したい」
「急だな」
「無職は急なの」
「意味わかんねえよ」
結局、桐谷は立ち上がった。
永代通り沿いのカラオケボックス。
桐谷の十八番は、昔から玉置浩二だった。
飲み会のあと、みんなで流れて。
普段はガサツなくせに、『メロディー』だけ妙にちゃんと歌う。
私は、あれが結構好きだった。
ところが。
「……何それ」
「あ?」
「その選曲」
「何が?」
「back number?」
「悪いかよ」
悪くはない。
悪くはないんだけど。
桐谷が真面目な顔で、甘酸っぱい恋愛ソングを歌っている。
なんだろう。
違う。
「最近の若いやつ、こういうの歌うだろ」
「若いやつに寄せたの?」
「別に寄せてねえよ」
「ふーん」
「何だよ」
「何でもない」
でも。
ちょっとだけ、つまらなかった。
無理して若い曲なんて歌わなくていいのに。
玉置浩二でいいじゃん。
「ごめん。トイレ行ってくる」
「おう」
桐谷が一生懸命サビを歌っている途中で、部屋を出た。
手を洗って戻る。
ピンクと黄色のLEDが光る廊下。
似たような扉ばかり。
「あれ、何番だっけ」
たぶんここ。
開けた。
「あ、ごめんなさ――」
部屋の隅。
見覚えのあるユニクロのパーカーが跳ねた。
「えっ……レイさん!?」
「……純平?」
一人だった。
マイク。
レモンサワー。
デンモク。
「何してんの?」
「いや、その……」
純平が真っ赤になる。
「一人でカラオケの練習してました」
「なんで?」
「モテたくて」
「正直だな」
そのとき、後ろから声がした。
「おい、お前どこ入ってんだよ」
桐谷。
部屋の中を覗いて、純平を見つける。
「おう。純平じゃねえか」
「あ、桐谷さん!」
「お前、一人で何やってんの?」
「自主練です!」
「何の」
「モテるための!」
「お前ほんと健気だな」
桐谷が笑った。
純平は頭を掻く。
「あと……この前、レイさんが古いロックとかミスチル好きって言ってたから」
「うん」
「今度一緒に歌える機会あったらいいなと思って」
「……へえ」
私は桐谷を見る。
桐谷は普通に笑っていた。
「いいじゃん。頑張れよ」
余裕だなあ。
なんとなく。
その余裕を、ちょっと崩したくなった。
「じゃあ純平くん」
「はい!」
「一緒に歌う?」
「えっ」
「練習したんでしょ?」
「はい!」
私は純平の隣に座った。
「桐谷も、そこ立ってないで座れば?」
「はいはい」
桐谷は向かい側へ座った。
純平が嬉しそうにデンモクを操作する。
イントロ。
「あ」
知ってる。
純平が歌い出した。
上手いかどうかは、まあ置いておく。
でも。
ちゃんと好きで聴いた人の歌い方だった。
私は自然に次のフレーズを取った。
純平が笑う。
私も笑った。
曲が終わる。
「桐谷さん」
純平が得意そうに言った。
「前に『純平を一人前にする』って言ってましたけど」
「あ?」
「俺もう、レイさんと音楽で繋がってますからね」
「調子乗んな」
「塾長の想定、超えましたよ!」
「誰が塾長だよ」
私は笑った。
桐谷も笑っていた。
この時点では。
深夜。
桐谷が時計を見る。
「そろそろ帰るぞ」
「もう?」
「レイ、タクシー呼んでやる」
「……」
私は隣を見る。
純平。
さっきまで私と歌っていた人。
そして。
立ち上がった桐谷。
たぶん、このまま帰れば。
いつもの夜になる。
だから。
「ううん」
「あ?」
私は座り直した。
「私、今日は純平くんともう一軒行く」
桐谷が止まった。
「……あ? 純平と?」