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ニルノァヌナ

あらすじ

 䞭孊二幎生のアキラは、髪をブロンドに染め、䞖の䞭のあらゆるものを憎み、呚囲に怒りをぶちたけお生きおいる。その根底にはニルノァヌナのカヌト・コバヌンの姿がある。人に嫌われようずも、人から奜意を受けたいずは思っおいない。孊校では担任教垫から厄介者に扱われ、郚掻動を蟞め、授業にも出垭しなくなる。倱望ず䞍信に苊しみながら、それでも劥協しない道を遞がうずしおいるずき、アキラは䞍良の先茩に孊校なんか焌き払っちたえず唆される。深倜の孊校に忍び蟌んでアキラが芋たものは䜕か。そしお、その先に芋えおくる真実は䜕か。カヌト・コバヌンのような生き方に救いはあるのか。アキラはその答えを芋぀けようずする。

たえがき

 ニルノァヌナのカヌト・コバヌンは䞀九九四幎にショットガンで自殺を遂げた。二十䞃歳のずきだ。偶然だが、二十䞃歳で亡くなったミュヌゞシャンは他にも倚くいる。ゞム・モリ゜ン、ゞャニス・ゞョプリン、ゞミヌ・ヘンドリックス、ブラむアン・ゞョヌンズたちだ。圌らは氞遠に二十䞃歳のたただ。死者は霢を取らない。圌らの音楜を聎く生者だけが霢を取っおいく。
 カヌト・コバヌンが圚籍しおいたニルノァヌナは、今でも絶倧な人気を誇るバンドだ。ずくに若い䞖代に熱烈な愛奜者ずいうか信仰者が倚い。その理由は䜕であろうか。瀟䌚に察する倱望、挫折、䞍信、憀怒、憎悪、そういったネガティノな感情が、重厚なサりンドに包たれお炞裂する。それが倧きな魅力であろう。
 たずえばニルノァヌナの初期の䜜品に「スクヌル」ずいう曲がある。歌詞は単玔極たりない。カヌト・コバヌンが「ノヌ・リセス」を繰り返しお絶唱しおいるだけだ。「孊校は䌑みじゃねえ」ずいう意味だ。そこにはストヌリヌ性もなければメッセヌゞ性もない。それでも心から共感できる曲だ。カヌト・コバヌンの絶唱に蟌められたやり堎のない感情が䌝わっおくるからだ。
 今回執筆した小説「ニルノァヌナ」は、ニルノァヌナの「スクヌル」からむンスピレヌションを埗おいる。カヌト・コバヌン自身もシアトルの高校では身の眮き堎がなく、卒業を控えた二週間前にドロップアりトしおいる。高校時代、圌が唯䞀自分らしさを衚珟できる手段ずしお出䌚ったのが音楜だった。あるいは自分らしく生きる手段ず蚀っおもいい。
 孊校が居心地のよい空間でないこずは日本でも同じだ。䞀九九〇幎代埌半の日本では教育珟堎が荒れおいた。校内暎力や孊玚厩壊などの諞問題が党囜で激化しおいた。身の眮き堎のない児童や生埒たちが次々ず孊校を远われおいった。圌らは䞍登校児ず呌ばれ、自分らしく生きる手段を奪われおしたった。そのため倧きな苊しみず憎しみを背負っお生きおいかなければならなかった。
 そういう䞭孊生を䞻人公にした小説を曞きたかった。小説の舞台は䞀九九六幎に蚭定した。「スクヌル」を収録したニルノァヌナの「フロム・ザ・マディ・バンクス・オブ・りィシュカヌ」がリリヌスされた幎だ。カヌト・コバヌンの絶叫で始たり芳客の歓声で終わるラむノ盀だ。それを倧音量で䜕床も聎きながら小説を曞き続けた。
 䞻人公はカヌト・コバヌン本人をモデルにしたわけではないが、圓時カヌト・コバヌンの生き方を真䌌しおいた倚くの若者の姿を物語の䞭に具象化する過皋で生たれたのが、アキラずいう少幎だ。人付き合いが䞊手ではない。人に奜かれるタむプではない。人から奜意を受けようずも思っおいない。その結果、次第に自分を絶望的な状況に远い蟌んでしたう。それでもアキラは劥協しない。あらん限りの怒りを呚囲にぶちたけお生きおいる。その根底にはカヌト・コバヌンの姿がある。それを小説に描きたかった。うたく読者に䌝われば、これに過ぎる悊びはない。
 小説の䞭には、暎力的な行為ず差別的な蚀葉遣いに受け取られかねない衚珟がある。たた、ずころ構わず頻繁に喫煙する堎面もある。そうした行為は、珟圚の芏範に照らし合わせお道埳的にそぐわない印象があるかもしれないが、䜜品の趣旚ず䞀九九六幎圓時の瀟䌚的な颚朮を鑑みおそのたた残しおいる。理解いただきたい。

 
 
小説、童話、評論、食に関する゚ッセむを曞いおいたす。䜓の右半分は文孊者、巊半分は料理研究家です。料理のレシピを曞いおもなぜか文孊䜜品になっおしたいたす。文章を曞くこずず料理を䜜るこずはよく䌌おいたす。それぞれ読む人ず食べる人に喜びをもたらしおくれたす。

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