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「立つのって楽しいね」

     この言葉は、僕が保育士になるきっかけになった言葉だ。

    僕が保育士を目指して実習に行っていた時。
    0〜2歳児クラスまでの小さめの園で、アットホームな温かい雰囲気の園だった。
    子ども一人ひとりと丁寧に関わっていて、伸び伸びと保育をする先生たちが印象的だった。

    僕は0歳児クラスで実習をさせてもらっていて、ある男の子とすごく気が合った。

    0歳と20歳。

    年齢はこんなに離れているのに、不思議なくらい気持ちが通っている感覚があった。
    会って間もないのに、僕が抱っこをするとすぐに寝てくれた。
    顔を合わせるだけで、急いではいはいして膝に乗りにきてくれた。
    不安ばかりの実習だった。
    だけどその子が、僕の居場所を作ってくれた。

    その子が特に好きだったのは、つかまり立ちだった。

    片手で簡単に覆えるくらいの小さい手で、僕の手を力強くぎゅっと握る。
    そして僕の目をじっと見ながら、ゆっくりと立ち上がる。
    立ち上がると、満面の笑みで膝を弾ませていた。か弱く、でも意思をしっかりと持った重みを手に感じた。

    「立つのって楽しいね」

    僕がそう声をかけながら、ただ立っているだけ。
    目を合わせて、笑い合った。

    手を取って、支えるだけ。
    それだけで、満ちていく。

    実習期間は2週間だったから、その子とはすぐに会えなくなってしまった。

    それでも僕はあの時の実習で感じた、小さな手の温もり、心を通わせる心地よさ、求められることで満たされていく感覚がどうしても忘れられなかった。
    だから、保育の道を進んだ。


    その後、他の園での実習を経て、縁があって同じ保育園に就職することになった。
    そして、実習の時に関わっていた子どもたちの担任になった。もちろん、あの男の子もいた。
    目が合うと、すぐに駆け寄ってきてくれた。
    あの時は支えられて立ち上がっていたのに、誰の支えもなく立ち上がる姿が、すごく大きく感じた。
    でも、僕に向ける笑顔はあの時のままだった。


    保育士になると、ただ子どもと笑って過ごしているだけでは済まない毎日が待っていた。

    ある時、園児が子ども同士のトラブルで怪我をしてしまい、その対応に追われた時があった。
    自分がしっかりと子どもを見ることができていなかったからでは、という思いが強く、保護者に対してうまく話すこともできず、先輩に頼り切ってしまっている自分が情けなかった。
    自分がいたからこんなことになってしまった、いない方が良かったのでは、とさえ思った。

    出勤の時は、園の入り口で体が動かなくなった。
    その場で2、3秒座り込んだ。
    ドアを掴んだ手は、縛られたみたいに動かない。
    取っ手を握ったまま、ただ思った。
    入りたくない。
    その2、3秒は、もっとずっと長く感じた。
    逃げちゃいけない、その気持ちだけでなんとか体を動かした。

    それでもひとたび保育室に入れば、子どもたちは僕の抱えている感情なんて知らずに、「せんせいおはよう!」と、笑顔で迎え入れてくれる。
    ただ純粋に僕を求めてくれる。
    その姿にいつだって悩まされて、いつだって救われていた。

    僕が支えて、立たせていたと思っていたけど、本当はずっと、僕の方があの小さな手に支えられていたんだ。


    「立つのって楽しいね」

    そう言って笑い合ったあの時間が、僕の保育を支えてくれている。


    #創作大賞2026 #エッセイ部門

     
     
     
    現役の保育士です。 園ではたくさんの子どもたちと関わり、家では2人の娘の父親をしています。 保育園や日々の中で出会った忘れられない言葉や、小さな感情の動きを記録しています。 ※個人が特定されないよう内容は一部変更しています。

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