
人と比べてしまう人へ|落ち込むのをやめたくて、比べ方を変えてみた
「〇〇さんはできるのに」
前職で、こう言われたことがある。
「〇〇さんはできるのに、なんで感情さんはできないの?」
その場では「すみません」と言うしかなかった。
でも、家に帰ってからもずっと引きずった。
自分はダメなんだ、あの人より劣っているんだ、という感覚が、しばらく抜けなかった。
私はもともと、人と比べて落ち込みやすいタイプだった。
誰かができていることを見ると、できていない自分ばかりが目についた。
だからこのフィードバックは、地味に、でも深く効いた。
自分でも、他人を基準にしていた
やっかいなのは、比べていたのは他人だけじゃなかったことだ。
私自身も、いつも誰かを基準にしていた。
「あの人みたいになりたい」「あの人と比べて自分は」。
無意識に、他人を物差しにして自分を測っていた。
転職して、今の会社に入ってからも、その癖は続いていた。
ある日、上司に言った。
「〇〇さんみたいに、もっとできるようになりたいんです」
いつもの、他人を基準にした言い方だった。
てっきり「そうだね、頑張ろう」とでも返ってくると思っていた。
でも、返ってきたのは違う言葉だった。
「人それぞれ得意なことは違うから」
「いや、感情さんには感情さんのいいところがあるよ。
人それぞれ得意なことは違うんだから、そこを伸ばせばいいんだよ。組織はいろんな人がいるから回っているんだから。」
あっけらかんと、そう言われた。
拍子抜けした。そして、少し目が覚めた。
そうか、そういう考え方があるのか、と。
誰かと比べて足りないところを埋めるんじゃなくて、自分の得意を伸ばす。基準が、他人じゃなくて自分にある。
前職とのあまりの違いに、しばらく考え込んでしまった。
現在地を知ることと、評価することは、違う
ここで少し、立ち止まって考えてみた。
じゃあ、他人と比べるのは全部ダメなのか。そう単純でもない気がした。
他人と比べることで、分かることもある。
自分が今どのくらいの位置にいるのか。世の中の水準はどのくらいなのか。「あの人はこんなことができるのか」と知って、初めて「自分もそこを目指せるんだ」と目標が見える。
他人と比べるのは、本来、自分の現在地と目指す先を知るためのものだ。
じゃあ、前職のあの言葉は、何が違ったんだろう。
考えて、ひとつの答えにたどり着いた。
現在地を知ることと、評価することは、違う。
他人を見て「自分は今ここにいる」と現在地を知るのは、ただの情報だ。
前に進むために使える。
でも、他人との差で「だから自分はダメだ」と価値を決めるのは、評価だ。これをやると、辛くなる。
前職の「〇〇さんはできるのに」は、後者だった。
他人との差を使って、私という人間を評価していた。だからあんなに効いたのだ。
上司の言葉は、そこを切り離してくれた。
他人はあなたを測る物差しじゃない、と。
そのうえで「得意を伸ばせばいい」と、前を向かせてくれた。
つまり、問題は「他人と比べること」そのものじゃなかった。
他人との差で、自分の価値を決めていたことだった。
比べる相手を、過去の自分にする
そこからは、比べ方を意識して変えるようにした。
自分の成長は、他人じゃなくて過去の自分と比べる。
noteを始めて、なんだかんだ続いている。
筋トレも、少しずつ回数が増えている。昨日より、今日のほうが少し上手くできた。
こういう、自分の中の小さな変化のほうが、他人と比べるよりずっとモチベーションになった。
他人と比べる限り、上には上がいて、終わりがない。
でも過去の自分となら、確実に前に進んでいる実感が持てる。
これは真似できることか、あの人だからできることか
比べ方を変えてから、実際に、いくつか変わったことがある。
まず、自分のことに集中できるようになった。
他人の動向にいちいち一喜一憂しなくなったぶん、目の前の自分のやることに気持ちを向けられるようになった。
それから、他人がやっていることを、素直に吸収できるようになった。
前は「あの人はすごい、それに比べて自分は」と落ち込んで終わっていた。でも今は、「あの人のあのやり方、いいな。取り入れよう」と、まっすぐ受け取れる。嫉妬が減って、学びが増えた。
そして一番変わったのは、他人と比べるときに、こう考えるようになったことだ。
これは、自分にも真似できることか。それとも、あの人だからできることか。
この見分けが、すごく効いた。
真似できることは、たくさんある。
仕事の進め方、メモの取り方、説明のわかりやすさ、毎日コツコツ勉強する習慣。
こういうものは、その人のやり方を観察して、取り入れればいい。
自分の伸びしろになる。
一方で、真似できないこともある。
生まれ持ったセンスやIQ、十年以上かけて積んだ経験、これまで築いてきた人脈、育ってきた環境。
こういうものは、今の自分がどう頑張っても、すぐには手に入らない。
前の私は、この二つをごちゃ混ぜにして、真似できないものまで「自分に足りないもの」として数えては、勝手にしんどくなっていた。
でも、変えられない部分を嘆いても仕方ない。
真似できることなら取り入れる、真似できないことはそっと横に置く。
それだけで、比較がずいぶん楽になった。
「〇〇さんみたいに」は、指導する側でも悪手だと思う
比べられる側の辛さを知ったから、逆の立場になったときのことも思う。
もし自分が誰かを指導する側になったら、「〇〇さんはできるのに」とは言いたくない。
あれは、相手の現在地を伝えているようで、実は他人との差で相手を評価する言葉だ。
言われた側は、自分の存在ごと否定されたように感じる。私がそうだったから、分かる。
同じことを伝えるなら、その人自身がどう変わったか、どこを伸ばせそうかを言うほうがいい。
基準を、他人じゃなくて本人に置く。
それだけで、受け取り方はまったく変わるはずだ。
比べなさすぎるのも、それはそれで危ない
人と比べるのをやめよう、とはもう思っていない。
むしろ、比べなさすぎるのも、それはそれで危ないと思う。
誰とも比べず自分の世界だけで生きていると、井の中の蛙になる。
自分の現在地も、もっと先があることも、見えなくなってしまう。
だから、比べること自体はやめなくていい。
気をつけたいのは、そのあとだ。
比べて何かを感じたら、真似できるところは取り入れる。
でも、他人との差を見て「だから自分はダメだ」と裁き始めたら、そこはいったん止まる。
物差しだけは、自分で持っておく
現在地を知ることと、自分を評価すること。
この二つを分けられるようになってから、前よりずっと、気持ちがラクになった。
自分のメンタルを健康に保つには、たぶん、基準を自分の側に持っておくことが要る。
他人はいくらでも見ていい。
真似したいところは真似すればいい。
でも、自分をどう見るかの物差しだけは、自分で持っておきたいと思う。